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遠藤周作

著者情報
著者名:遠藤周作
えんどうしゅうさく
エンドウシュウサク
生年~没年:1923~1996

この著者の本を読んでいる会員ランキング

このランキングは1日1回更新されます。
      沈黙
      カテゴリー:小説、物語
      3.8
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      • あらすじ
         江戸時代初期、日本では激しいキリシタンの迫害が行われていた。その頃、ローマ教会にはフェレイラ教父が拷問の末に棄教したという報告が入る。教父の教え子だったロドリコら若き司祭は、事の真相を突き止めるため、危険極まりない日本への渡航を希望する。マカオで出会った日本人のキチジローを案内人とし、一縷の希望の元、上陸を果たすも、住民の生活と信仰は地獄であった。淡々と流れる日常の中で行われる虐殺。そこには神の救いはない。自身にも危険が迫る中、主イエス・キリストへ問うロドリコ。沈黙の中、彼はイエスへ導かれる。そこには、イエスがキリストとして生まれ、死んでいった意味が表されていた。


        ネタバレ感想
         序盤は苦難はあれど恐怖はない。想定内の展開が、サスペンスやホラー映画の冒頭の静けさのようだった。日本に上陸してからは、ロドリコたちがいつ捕らえられるかと生きた心地がしない。案の定、身の毛がよだつ結末へ物語は走り出す。この渦中にロドリコは、神や信仰に疑問を持ったり、逆に教えられたっ協議に立ち返ったりする。激しく心が乱れるさまは、司祭というより一人の人間だった。遠藤周作さんの文章は、とても読みやすい。キリスト教ではない私にも、神を信じる人の気持ちに触れることができる。


        踏むがいい。

        お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。

        踏むがいい。

        私はお前たちに踏まれるため、

        この世に生まれ、

        お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。


        最後のこの部分、涙が溢れた。私も言われたい言葉だった。
        母親か、父親か、恋人か、
        人は誰かに無償の愛をもらいたい。
        宗教は、この無償の愛をもらえるものかもしれない。

        この本から、本質を見極める難しさ、赦すということの難しさを知った。凝り固まった観念にとらわれず、何が大切なのかをわかる人になりたい。

        >> 続きを読む

        2017/03/21 by momotaro

      • コメント 3件
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      深い河
      カテゴリー:小説、物語
      4.2
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      • 遠藤さんの宗教観があらわれた深い作品。これぞ純文学。

        磯辺は妻を癌で亡くす。昔人間の夫で仕事ばかり、妻を顧みなかった磯辺だが、その臨終の時に妻から告げられる。
        「わたくし・・・必ず・・・生まれかわるから、この世界の何処かに。探して・・・わたくしを見つけて・・・約束よ、約束よ」
        妻は輪廻転生を信じていたのか。、、、彼は、転生した妻を探しにインドに旅立つ。

        美津子は、自分は人を本当に愛することができない人間なのではないか、と虚しさを覚えながら生きてきた。大学生の時、クリスチャンの野暮ったい学生大津を誘惑し捨てた。しかし、大津のことを軽蔑しながらも気になってしまう。その後、愛のない結婚をし、新婚旅行に行ったフランスで大津と再会する。彼は神父になるために神学生になっていた。

        子どもの頃、両親の不和で辛く寂しい沼田を慰めてくれたのは捨て犬のクロだった。クロは彼にとって哀しみの理解者であり、話を聞いてくれるただ一つの生きものであり、彼の同伴者であった。彼は動物を題材とした童話作家になった。
        犀鳥という珍しい鳥を飼うことになった。結核をこじらせ手術で死にそうになっていたとき、犀鳥が死んだ。自分の身代わりになってくれた、と思った。

        木口は、戦争中、ビルマのジャングルで地獄の体験をした。食べ物もなく仲間はコレラや赤痢でバタバタと生き倒れ死んでいくが、何もできない、気力さえもない。自分も飢えと赤痢で死を覚悟したとき、塚田が助けてくれた。彼は、ジャングルの中を食べ物をさがして見つけてくれたのだ。牛が死んでいた、と。これを食べなければ死んでしまう。しかし、実はそれは・・・。

        磯辺、美津子、沼田、木口、みんな弱い人間。それぞれに人に言えない苦悩を抱えている。彼等はインドへのツアーで、ガンジス川を訪れる。

        ガンジス川は聖なる河。生も死も、人間も動物も、あらゆるものを受け入れて流れている。
        ここで身を清めれば、輪廻から離脱する(一切の苦しみから解放される)ことが出来ると信じられている。どんな身分の人も、死んだらここに流されることを望む。みんな、犬の死体や遺体が流れる側で、茶色い水で体を洗い口をすすぐ。

        大津は、ヨーロッパのキリスト教からは異端だとして神父になれずにいた。
        「神は色々な顔を持っておられる。ヨーロッパの教会やチャペルだけでなく、ユダヤ教徒にも仏教の信徒のなかにもヒンズー教の信者にも神はおられると思います」という考えが”汎神論”だと神学校の先生に厳しく批判された。

        そして、インドに渡り、底辺のアウトカーストなど道に行き倒れた人をガンジス川まで担いでいって、供養(流す)していた。あのマザー・テレサのように、社会の底辺にいる人たち、道ばたに倒れ見捨てられた人たちのため。幸せから見捨てられた人の悲しみ、辛さ、苦しみを背負うことだった。安心してください、ガンジス川があなたを受け入れてくれますよ。

        その姿は、ぼろぼろで悲惨だが、彼の心は明るい。それは、彼の信仰によるものなのでしょう。大衆や弟子たちの批判も裏切りを赦し、見捨てられた病人や軽蔑される人やどうしようもない辛さを抱えた人たちすべての苦しみを、全部十字架に背負ったキリストの生き方を、彼もなぞっていたのでしょう。

        >玉ねぎ(キリスト、愛の神のこと)がヨーロッパの基督教だけでなくヒンズー教のなかにも、仏教のなかにも、生きておられると思うからです。思っただけでなく、そのような生き方を選んだ・・・・・・後悔はしていません。

        >玉ねぎという愛の河はどんな見にくい人間もどんなよごれた人間もすべて拒まず受け入れて流れます。(大津)

        >過去の多くの過ちを通して、自分が何を欲しかったのか、少しだけわかったような気もする。・・・信じられるのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っているこの光景です。・・・その人たちを包んで、河が流れていることです。人間の河。人間の深い河の悲しみ。そのなかにわたくしもまじっています。(美津子)



        大津(遠藤さん)の考えるキリストの愛、神の愛は深い。
        そして、ガンジスのように広いのですね。


        私も、ガンジス河のような心をもちたいと思いました。

        ・・・できれば、もう少し明るくね^^;
        >> 続きを読む

        2016/06/13 by バカボン

    • 他2人がレビュー登録、 17人が本棚登録しています
      イエスの生涯
      4.4
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      • キリスト教って?と思って、聖書を読んでみました、というか読みかけて挫折。旧約聖書はユダヤ教(キリスト教も共通)の話らしいけど、何だか神様は怒ったり脅したりで恐ろしいし、物語もダラダラ続いてよく分からないし、・・・早々に挫折。新約聖書はイエス様の言葉が、優しさに満ちた良い言葉がいっぱいなんだけど、やっぱり物語がよく分からないし面白くない。・・・挫折。

        世界で超有名な”キリスト教”って、実際どんな教えなのか、キリスト様ってどんな人だったのか・・・遠藤周作さんのこの本を読んで、やっとユダヤ教とキリスト教、イエス様のこと、キリスト教というのは何なのか、何となく(ちょっとだけ^^;)分かったような気がします。

        もっとも、これは遠藤周作さん個人の解釈ですが、日本人にはとても腑に落ちる。

        イエス様は、苦しみ悩む弱い人たちに寄り添い、”神様はどうして助けてくださらないのか。なぜ神は我々を見捨てるのか”と絶望しかかっている人たちを救いたいと思った。そして、大衆が感じている”怒り、裁き、脅す神” ”父親のような厳しく怖い神” ”沈黙の神”に違和感を覚えていた。そして、彼は、神とは実は”愛にあふれた方”なんだ、”神の愛” ”愛の神”を信じる。(当然神様は信じてる。神様を信じるというのは大前提の社会、神を冒涜すると死刑の時代)

        大衆はイエスを、地獄のような現実やローマ帝国の支配から救ってくださる救世主だと期待するが、イエスはそうではなく”神の愛””愛の神”をみんなに証明したいだけ。その証明の方法が、(神を冒涜しているという罪で、実際は政治的に利用され)十字架にかけられて無抵抗で無力にも死ぬことだった。(ゲンキンな)大衆は期待はずれだと怒ったけれど、(彼を裏切り見捨てた弟子や)すべての人間の”罪”を引き受け、すべてを赦し、すべてを神にゆだねて・・・。

         「父よ、彼等を許し給え。彼等、その為すことを知らざればなり」



        ・・・みたいな?
        イエス様は本当にやさしく愛に満ちたよい人だった。そしてあくまで神を信じていた。一生懸命に”神の愛””愛の神”を伝えたんですね。自分の命をかけて・・・。

        聖書の内容も、実は何人もの聖書作家が色々な資料やら伝承やらを参考につくってるので、事実とはちがうところや矛盾が多いらしいです。

        キリスト教は、キリストが十字架で殺された後、やっと彼の真意に気づき、心を打たれた弟子たちが広めたものらしいです。

        西洋の歴史的政治的な背景があってのユダヤ教、キリスト教みたいです。なので、日本人には色々と細かいところや腑に落ちないところもあってなかなかなじめませんが、ただ、キリスト様の”愛”は真実で普遍的なものだと思います。(”慈しみ”の心はあらゆるものに打ち克つ、キリスト教の”愛”もそういうものなのでしょうね、きっと。)
        >> 続きを読む

        2016/06/13 by バカボン

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      王妃マリー・アントワネット
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
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      • (「ジャン・クリストフ」の中に”ジャンヌダルク”が出て来たので気になって”フランス革命”が題材になってる本を読もうと思い「ベルサイユのばら」を借りたんだけど(マンガだし)2巻が貸し出し中で1巻しか読めず、遠藤周作の「王妃マリー・アントワネット上・下」を読みました。でも、”ジャンヌダルク”は出て来ませんでした。ジャンヌダルクはもっとずっと前、中世の人でした。え~・・・西洋史がまったく頭に入ってないワタシ。^^;)


        狐狸庵先生の創作も入ってるけど(マルグリットや修道女アニエスとか)フランス革命や有名なマリー・アントワネットについてわかった。

        貴族に生まれその中で育ったというだけで、無邪気で悪意のないマリー・アントワネットが、貧乏を強いられている大衆から妬まれ憎まれるように・・・。改革は必要かも知れないけれど、そこに嫉妬や憎しみなどの感情が入り込むとそれは狂気となる。
        大衆というのは無知ゆえに感情に流されやすく簡単に暴徒と化してしまうものなんだと思いました。

        革命は戦争だという革命派。なら、人々が真に幸せになることは望めない。(殺すなかれ!)
        変化はゆっくりと起こるもの。急いではいけない。話し合い、理解し合い、気づき、変化する。

        典型的な大衆の代表マルグリット。自分とあまり年の違わない王妃とを比べて、その生い立ち境遇のあまりの違いに憎しみを募らせる。王妃は民衆の苦しい生活を知らず贅沢三昧をするが、それは窮屈な生活や孤独を紛らわすためでもあった。どっちも自分がかわいい、どっちも自分中心なのは同じ。ただ、王妃は自分が罪を犯したとは思っていない。(王妃が贅沢をするのは処刑されるほどの”罪”なのか?)

        でも、フランス革命が起こり、断頭台に消えることになるマリー・アントワネットは母親として人間として大きく変わっていた。大衆の狂気に対しても、自分の人間として(王妃として)の尊厳だけはなくさなかった。

        >人生で一番、大切なことは自分の主義を守り、自分の義務を果たすことだということです。・・・わたくしたちの死の復讐をしないように・・・

        修道女アニエスは権威や肩書きを重んじ自己保身に走る教会に疑問を持ち、教会を去り革命に参加するが、王と王妃の処刑を求める大衆の狂気を目にして悩む。

        >裁くのは神さまだけ。人間じゃありません。

        目には目を。やられたらやりかえす。彼奴に殴られたんだから彼奴も殴られればいい。・・・こういう考え方には私は同意できない。これでは、不幸な人が増えるだけだ。不幸な人がなくなる、みんなが幸せにならなければこの世はいつまでもよくならないと思う。人の不幸を望んではいけない。

        正義とか、善い悪いとか、罪とか。関係ない。そんなの誰が決めるのか。
        一人でも不幸な人をなくすること。本当に幸せな人は人を不幸にしようとは思わないからね。とにかく、自分は不幸だと思う人を一人でもなくすことが一番だと、思います。

        フランス革命は悲劇でした。

        で、ジャンヌダルクは出てこなかった。ちがう本を探そう…

        ドキドキハラハラ…
        西洋歴史小説、面白い。一気読みです。
        >> 続きを読む

        2015/04/29 by バカボン

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      海と毒薬
      カテゴリー:小説、物語
      3.8
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      • 西松原住宅地に引越してきた「私」は、その町にある勝呂医院に気泡を打ってもらう。
        呂医師には技術のみごとさにかかわらず、患者の生命本能を怯えさせるものがあった。
        彼は戦争末期、九州F医大の医局員たちが捕虜の飛行士八名を医学上の実験材料にした事件の当事者だった。


        登場人物の日常生活が描かれ、まるで身近な出来事のように読者を導きます。
        八月の暑さも、ショーウインドーの人形も、病室の異様な臭気も。
        すべて自分自身が体験しているかのようでした。
        彼らと同じように生活し、流されるように事件に関わり、そして過去を引きずりひっそりと生きていく。
        読んでいるときは特に難しさは感じなかったのですが、読了と同時に本書がもつテーマをどう捉えたらいいのか悩みました。

        「神なき日本人の罪意識」

        正直に言いますが、信仰があったからといってこの事件を止めることができたのか私にはわかりません。
        わからないなりに、本書で感じたことを書いていこうと思います。

        まず恐怖を感じたのは、手術シーンの生々しさ。
        文章から静かな手術室に響く電気メスの音、八ミリ撮影機の無機質な音を感じます。
        印象的だったのは何時もの手術とは違い、患者のショック死や急激な脈や呼吸の変化を恐れる緊迫感が捕虜のときにはなかったこと。
        栄誉を懸けた田部夫人のときと比較すると歴然ですね。

        捕虜を殺した後の、各々の感情もおぞましさを感じます。
        浅井助手は、
        ―一人の人間をたった今、殺してきた痕跡はどこにもなかった。
        戸田は、
        ―ながい間、求めてきたあの良心の痛みも罪の呵責も一向に起こってこない。なぜ、自分の心はこんなに無感動なのか。自分の殺した人間の一部を見ても、ほとんどなにも感ぜず、なにも苦しまないこの不気味な心なのだ。
        唯一顔を背けていた勝呂に少しほっとする思いでしたが、
        彼らはこの後も七名の捕虜を生体解剖するのですよね。(全てに携わっているわけではありませんが)
        どのような思いだったのでしょうか。
        戦争で人が死ぬようにだんだん感覚が麻痺していったのでしょうか。

        裁かれ何年か経った後、
        ―あの時だって仕方がなかったのだが、これからだって自信がない。これからも同じような境遇におかれたら僕はやはり、アレをやってしまうかもしれない・・・
        と呟いた勝呂の言葉がアンサーかと思ったらやりきれない気持ちになります。
        もし自分が同じ境遇に立たされたら拒否できるのかと言われると、断言することはできません。
        否定したいとは思いますけど。
        身近にこのような大事件はありませんが、昔より自分の正義を貫くことがなくなったと感じるので。

        「三世にわたって尽きることのない心の病がある」
        何度か出てきたこの言葉も、読了後は心に響くものがありました。


        感想がとても難しい読書でした。
        上手く纏まりませんでしたが、知ることができて良かったと思いました。
        >> 続きを読む

        2016/10/05 by あすか

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      『深い河』創作日記
      カテゴリー:日記、書簡、紀行
      4.0
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      • 『深い河』を書き上げるまでの三年間の遠藤周作の日記。

        これを読むと、最初の頃の設定とかなり出来上がりは変わっていったことに驚く。

        また、登場人物の設定や、それらの登場人物を実際に小説によく描くためにはかなり苦労したみたいで、かなり経ってから、「固かった氷塊がとける」ような思いがして、やっと自由に書けるようになったという記述も興味深かった。

        「人間の哀しさが滲む小説を書きたい。それでなければ祈りは出てこない。」
        (55頁)

        という言葉も、心に響いた。

        また、日記だけでなく、この本には、「宗教の根本にあるもの」という短い文章も収録されており、それもとても興味深かった。

        遠藤周作が言うには、宗教とは無意識のものであり、自分を生かしている大きな生命を意識することだという。
        何かしら人生において見えない働きとなって、自分の人生を後押しししてくれるもの。
        その無意識的なものへの意識が宗教だという。
        それは、歴史や文化によってさまざまな形をとるが、その点ではどの宗教も同じであるという。
        そして、復活とは蘇生と異なり、自分を生かしている大きな命に戻ることだという。

        『深い河』を読んだ後で読むと、興味深く読める一冊だと思う。
        >> 続きを読む

        2013/06/06 by atsushi

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      海と毒薬
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
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      • 研究生の戸田は、なぜ生体解剖実験(殺人)を手伝ったのだろうか・・・。

        >良心の苛責とは・・・・子供の時からぼくにとっては、他人の眼、社会の罰にたいする恐怖だけだったのである。
        >姦通だけではない。罪悪感の乏しさだけではない。ぼくはもっと別なことにも無感覚なようだ。・・・ぼくは他人の苦痛やその死にたいしても平気なのだ。
        >醜悪だとは思っている。だが、醜悪だと思うことと苦しむこととは別の問題だ。
        >他人の眼や社会の罰だけにしか恐れを感ぜず、それが除かれれば恐れも消える自分が不気味になってきた
        >柴田助教授も浅井助手も唇に微笑さえうかべていた。
        (この人たちも結局、俺と同じやな。やがて罰せられる日が来ても、彼等の恐怖は世間や社会の罰にたいしてだけだ。自分の良心にたいしてではないのだ。) (戸田)

        >「どうせ近い内に死ぬ患者だったんです。安楽死させてやった方がどれだけ人助けか、わかりゃしない。」(看護婦)
        「死ぬことがきまっても、殺す権利はだれにもありませんよ。神さまがこわくないのですか。あなたは神さまの罰を信じないのですか。」(執刀した橋本部長の妻ヒルダさんが看護婦に)

        橋本部長や助教授たちは自分の保身のため、良心はない。
        上田も医学の発達のためだなどと言い訳をする。

        神(の罰)が恐いから、神に対して罪になるから人を殺してはいけない・・・というのが神を信仰する人の考え方なのかな?
        では、神が許せば人を殺すのか?罰せられなければ殺すのか???
        神も、他人の眼も、社会の罰も、恐れという点では同じではないか。

        日本人は神を信じないから恐れを知らないのかもしれない。でも世間(他人の眼)や社会からの制裁を恐れる人は多い。
        良心はどうだろう。
        作者は、神と良心とを結びつけて考えたいのかもしれないけど、結局、戸田が実験に荷担したのは恐れもなかったし、良心も痛まなかったからだろう。
        それは、神を信じてないからではないと思う。恐れと良心とはちがう。強制と自律。外からと内から。
        神と良心とを結びつけるのは難しい。(・・・愛と良心なら似てる)
        神を信じなくても、神の罰を恐れなくても、良心は育てることはできると私は思うのです。
        (神を信じて殺す、聖戦?やテロなんかもある・・・)



        人が人を殺さないのは、人間に対する「慈しみ」の心があるからじゃないかな?平等の意識、仲間意識、差別しない気持ちからなんじゃないかな。誰にも殺す権利はない。自分の命と同じようにみんな等しく大事な命だと。

        同じ研究生の勝呂は、実験に参加しても何も出来なかった。それは、恐れだけでなく彼の良心がさせなかったのではないか。
        なぜ彼は引き受けたのか。それは絶望感であり、無気力になっていたからだ。
        >本当にみんなが死んでいく世の中だった。病院で息を引きとらぬ者は、夜ごとの空襲で死んでいく。
        >どうでもいい。・・・どうでもいいことだ、考えぬこと。眠ること。考えても仕方のないこと。俺一人ではどうにもならぬ世の中なのだ。

        でも、
        >(俺あ、あんたに何もせん。)
        (成程、お前はなにもしなかったとさ。おばはんが死ぬ時も、今度も何もしなかった。だがお前はいつも、そこにいたのじゃ。そこにいてなにもしなかったのじゃ)

        勝呂には人間(患者や捕虜)に対する良心があった。良心があったから何もできなかった。でも、その良心は弱々しいものだった。

        自分の行動をきめるのは外からの「恐れ」ではなく、内なる「良心」。

        良心を育てること。(心は放っておいたら育ちません)
        どんな時代であれ、どんな世の中であれ、世間や社会に負けない本当の良心、慈悲の心を自身の中に育てることが大事なんだと思う。

        考えさせられました。
        >> 続きを読む

        2013/11/01 by バカボン

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      わたしが・棄てた・女
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
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      • 遠藤周作の『私が棄てた女』は、大学時代の友人が以前勧めてくれたことがあった。

        とはいえ、へえ~、と聞き流して、全然今に至るまで読んだこともなかった。

        たぶん、私がこの小説をなかなか読まなかったのは、タイトルと、漠然と知っているあらすじから、いろいろと自分にとってのよく似た過去を思い出させられるだろうとなんとなく思っていたからだと思う。

        最近、別の方からも勧められ、遠藤周作の他の作品を最近読んでいたこともあり、ふと読み始めてみた。

        案の定、読みながら、なんともにがい思いをしながら、前半の方は読まざるを得なかった。

        三十代半ばになれば、男性も女性も、いくばくかは、それまでの人生の中で自分がふったこともふられたこともあるだろう。
        私も、両方あった。

        そして、若くて、まだ何にもわかっていなかった時に、この主人公と、いくばくか似たようなことがあった。
        愚かなことだったと思う。

        その後、十年以上の時が経ち、その間に、自分も同様にふられたことや棄てられたことがあったり、あれこれと人生の経験を積む中で、当時の自分の愚かさと身勝手さが、少しずつわからされたような気がする。
        そして、それが距離を置いてわかるようになった時に、随分遅ればせながら、この小説を読んだのだと思う。
        もっと早くに読んでいれば、本当は良かったのかもしれないが、人は随分回り道して、やっとわかることもあるのだろう。

        人は、何かしら人生のある瞬間に関わった人は、必ず自分の人生に何らかの跡や影響を与えていくのだと思う。
        そのことは、この作品の中で、他にないほど、心に迫る、深い響きで描かれている。

        そして、ずっと後になって、不思議と思い出され、稀有なものだったという気がする優しさというものもある。

        この作品が、単なる感傷や道徳ものと異なり、深く胸を打つのは、この作品の底に、遠藤周作ならでは、イエス・キリストというテーマが流れているからだと思う。

        「責任なんかより、もっと大切なことがあるよ。
        この人生で必要なのはお前の悲しみを他人の悲しみに結び合わすことなのだ。そして私の十字架はそのためにある。」
        (106頁)

        不覚にも、私はこの件のところで、涙を止めることができなかった。

        そして、以下の言葉も、深く心にしみるものだった。

        「しかし、ぼくは知らなかったのだ。
        ぼくたちの人生では、他人にたいするどんな行為でも、太陽の下で氷が溶けるように、消えるのではないことを。
        ぼくたちがその相手から遠ざかり、全く思いださないようになっても、ぼくらの行為は、心のふかい奥底に痕跡をのこさずには消えないことを知らなかったのだ。」
        (124頁)

        なんとも切ない小説だし、人間というのはどうしようもない、罪深いものだと思う気もするが、主人公の森田みつの優しさは、かけがえのない救いのようなものを感じる。

        この世で、結局最後に残るものは、そして最後に勝つものは、優しさなのだと思う。
        たとえ、それがどれほどみじめであろうと。
        なぜならば、人が本当に心の底で求めているのは、ずっと一緒にいてくれる同伴者であり、本当の愛だから。

        それが最初からわかっていれば、どれほど人は良いことだろう。

        せめても、わかった時から、そのことを大切にする。
        そのことを、遠藤周作は伝えたかったのだと思うし、そこに導こうとイエスはずっと働きかけているのだと思う。
        >> 続きを読む

        2013/08/22 by atsushi

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      悲しみの歌
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
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      • 読書しながら世界一周

        マレーシア半島の西にある小さな島、パンコール島の安宿にありました。
        いつ誰が置いていったのか分かりませんが、日に焼けて手垢が染みた一冊との出会いには何か縁があるように思え、譲ってもらいました。

        舞台はもはや戦後の面影もなくなり、狂った活気に満ち溢れる昭和の新宿。
        しかし、平成生まれの私にはどうにも想像できません。
        島の小さな食堂で食後のアイスティーを飲んでいると、偶然日本人のおばさまが来店して声をかけてくださいました。
        彼女はカナダ人の旦那様とヨットで東南アジアを旅しているのだそうです。
        自然とお互いの旅の話になり、フィリピンの話題になりました。
        おばさま曰わく"フィリピンは昭和の日本だよ"とのことでハッとしました。
        暇を持て余す青年たち、毒々しい色気を放つ娼婦、ガス欠のトラックを押す様、肌の色は違えどかつての日本を知るヒントがそこにはあったのです。

        矛盾を盾にした大人
        不潔だと罵り身ごもる娘
        その行き違いの間で殺される胎児
        生まれるはずだった命と死を望む命
        死なないでと懇願する博愛と死ねと凶弾する民主主義
        自分は正しいと自己暗示して仮初めの清潔に安心する愚かさ
        正しいものなどどこにもないと、あるものはむせび泣き、あるものはその不安を誤魔化すために虚勢を張る。
        その虚勢はまた新たな矛盾を生み出し、また生を許されない命を作る
        それでも今日も日は昇り、新宿はその捻れを懐に抱え込む。
        単純な対比では描けない昭和新宿の、いや日本の民主主義の不潔を浮き彫りにした本作。
        だが、年号が変わり、21世紀になった現在でもそれは変わらないと感じた。
        確かなものはなにもなく、信じるべきものなどどこにもなく、正しいものがないなら、間違ったものもないのかもしれない。
        なら生きるということは常に悩み続けることなのだろうか。
        だとしたら、あまりにも辛い。
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        2016/05/12 by 旅する葦

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      キリストの誕生
      5.0
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      • この本、実は、十二、三年前、同じく遠藤周作の『イエスの生涯』とともに古本屋で買った。
        しかし、そのまま長いこと本棚に眠っていて、ついこの前、『イエスの生涯』を読み、とても感動し、それでこの本も読みだした。

        しかし、なかなか遅々として進まず、真ん中らへんまでは、なかなかあまり面白さを感じなかったのだが、真ん中らへんから俄然面白くなり、ラストの方はただただ感嘆の、本当に遠藤周作の入魂の書だった。

        特に感銘を受けたのは、以下の三つのことである。

        1、ステファノの殉教に関するペテロらの行動と心理の分析。
        2、なぜペテロやパウロの殉教の様子を知っていたはずのルカがそれについて一行も書かなかったか。
        3、ユダヤ戦争によるエルサレム破壊の後の、本当の意味の「キリストの誕生」の意味。

        これらは、本当に深く深く心に響き、印象的だった。

        使徒行伝の中のステファノの殉教に関し、遠藤周作は緻密に前後の文章を分析し、ペテロやヤコブらの他の主要な教会を率いていた弟子たちは、結局何もしていなかったこと、つまり、イエスが十字架に架けられた時に逃げ出して、臆病で卑怯だったペテロたちは、イエスの十字架の二年後において、ステファノの殉教に関して、また同じように臆病で卑怯に見て見ぬふりをしたことを指摘している。

        これは今まで全然考えたことがなかったので、とても印象的だった。
        通常、私たちは、イエスが十字架の死を遂げた後、その時は逃げ出したペテロたちが、不思議なほど強くなり、殉教も恐れず、イエス・キリストの福音を人々に伝えるようになったと考えがちだ。
        実際に、そういう面もあったのだろう。
        しかし、二年経った時に起こったステファノの殉教事件の時に、またペテロやヤコブたちは、同じことをせざるを得ない状況に追い込まれ、またそのように振る舞った。

        そして、そのあと、このステファノの死の後に、本当の意味で、ペテロたちは強くなり、異邦人にもキリストの福音を伝えていくようになる。

        人は一挙には変わらず、凡夫はどこまでも臆病で悲しい存在だということと、にもかかわらず、いくつかの出来事を経て、人は本当に変わっていくということを、とても考えさせられた。

        それから、ペテロ、さらにはパウロは、熱烈にキリストの福音を伝道していくことになるが、イエスの十字架から四十年ぐらい経ったときに、ローマでペテロもパウロも皇帝ネロのキリスト教弾圧により殉教した。
        しかし、その様子を知っていたはずのルカは、その様子を聖書に全然書き記していない。

        遠藤周作は、その理由を推測し、おそらく、あまりにも悲惨な死だったために、書かなかったのではなく、書けなかったのだろう、と記していて、とても印象的だった。

        ペテロやパウロのような立派な人たちが、なぜ理不尽な不条理な酷い死に方をしなければならなかったのか。
        その神の沈黙の前に、ルカたちは、語る言葉を持たず、何も書けなかった、書こうにもあまりにも悲し過ぎて書けなかったのだろう。
        その遠藤周作の推測は、おそらく全くそのとおりで、正鵠を射ていると個々の底から思えた。

        さらに、その後、ユダヤ人はローマ帝国に反乱を起こし、ユダヤ戦争が勃発し、ローマ帝国の軍勢の前に完全に滅ぼされることになる。
        この時も、神はエルサレムの破壊に何も介入せず、沈黙を保ったままだった。

        イエスの十字架の死と、ステファノやペテロやパウロらの殉教と、イスラエルの滅亡と。
        これら三つの、あまりにも悲しく不条理な出来事とそれに対する神の沈黙。

        しかし、それゆえにこそ、キリスト教は滅びず、このことへの問いもひっくるめて、不思議と生き残り、その後広まり続け、ついにはローマ帝国をひっくり返すまでに広がっていくことになる。

        遠藤周作は、ユダヤ教の風土では、通常、人を神と崇めることは決してありえないし、他にも多くの殺された立派な預言者やラビもいたのに、それらの誰も神として信仰されることはなかったのに、イエス・キリストだけは、十字架の出来事の後の十数年後には、メシアでありキリストであり神の子であり、主であるという信仰が広まっていったことに注意を促す。
        つまり、そうとしか思えない何かが、イエスにあり、イエスと出会った人に忘れがたい印象をそれらの人に刻印していったからではないか、と述べているが、確かにそのとおりだったのだろうと思う。

        この本を読み終わった後の深い感動は、うまく言葉では言い表せない。
        多くの人に、『イエスの生涯』と併せて読んで欲しいと思う一冊である。
        また、この本の最後の方で資料として使われている『ユダヤ戦記』も全部必ず読もうと思った。
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        2013/10/12 by atsushi

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      女の一生
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
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      • 面白かった。江戸~開国の激動の時代における、キリシタンの扱い。その中でも愛を貫いて死んでいくキクの姿に感動。 >> 続きを読む

        2015/02/23 by naoppi

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      スキャンダル
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
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      • 第三の新人、キリスト教文学などと位置付けられる遠藤周作は、純文学、中間小説、時代小説、ユーモア・エッセイなど幅広い分野で数多くの作品を書いた作家ですが、推理小説の分野でも病院を舞台にした「真昼の悪魔」などがありますが、人間の心の奥の神秘(ミステリー)を追求する作風から言って、ミステリーと位置付けられる作品は意外に多いような気がします。

        この小説「スキャンダル」は、功成り名を遂げた作家に、突如降って湧いたスキャンダルの真相をめぐるミステリーです。

        キリスト教作家の勝呂は、自作の授賞式で招待客の背後にいる、嗤いを浮かべた自分の顔にそっくりな男を発見します。

        そして、同じ頃、勝呂が新宿の歌舞伎町ののぞき部屋や六本木のSMクラブに出入りしているという噂が流れ、この醜聞を執拗に追うルポライターに悩まされながら、自ら真相の究明に乗り出していきます。

        彼とマゾのプレイをしたという画家の糸井素子、夫の死後、糸井素子と怪しげな関係に陥った成瀬夫人、突然訪れる糸井素子の自死------!?

        謎が深まる中で、心の中心部にある歯車が狂い始めていたことに気付いた勝呂は、現われた"もう一人の自分"と対決することになるのです------。

        「どうして、もっと、美しい、きれい話、書かないですか」------。悲しげな老神父の声を反芻しながらも、清らかな小説を書くことがない勝呂。

        キリスト教という宗教の"精神的理想"を慕いつつ、作中人物のどす黒い心を描写する時、自分もどす黒い心理になってしまうのです。

        この小説には、勝呂と同じように二面性を持つ人物が何人も登場します。穏かな大学教授だった成瀬は、戦争中に凄惨な殺戮をした元兵士であり、その暗い一面を知ったことが、上品な成瀬夫人にとって性的刺激の火種となったのです。

        この小説は、遠藤周作という作家が、60歳を過ぎて挑んだ"ドッペルゲンガー(二重身)"をテーマにしたミステリー仕立ての小説ですが、その筆力と透徹したまなざしは、やはり凄いと思います。

        事件の始まりは、もう一人の自分が"目を覚ます"ことなのかも知れません。



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        2017/05/08 by dreamer

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      夫婦の一日
      カテゴリー:小説、物語
      3.0
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      • 不幸に襲われたとき、心の拠り所になるものは何か。
        老いて死を間近に感じたとき、不安から救ってくれるものは何か。
        生涯をかけて厳しく宗教を追求してきた著者は、実人生の中で、傍らにいる妻の苦悩と哀しみを受け入れるために、信仰とは相反する行動に出た。生身の人間だけが持ちうる愛と赦しの感情を描いた表題作ほか、心の光と闇の間で逡巡する人間の姿を描いた短編集。

        短編五本。
        うち前半四本は遠藤周作が、実生活を小説に仕立てたもの。
        解説では、そのうち表題作を除く三作が、後に発表される長編『スキャンダル』への前奏曲のようなものと位置付けています。
        「老い」を眼前にして死の恐怖に怯え、若さへの憧憬や反発、著者ならではの信仰についての独白…
        老年期をすでに迎えた男性の心の有様を、日常の出来事に写して深く描写しています。

        『六十歳の男』
        男は自身の老いを確かに感じながら日々を送っています。
        それはなかなか寝付けない夜や、神経痛の痛みで痛感していました。
        男(=著者)は老いてゆく悲しみを吐露します。

        原宿のホームに「うつくしい熟年」と書いた上原謙と高峰三枝子のポスターが出ていたけれど、老年のことを熟年と言いかえようが本質は変りなどしない。うつくしく老いるなど根本的にありっこないのだ。老年とは残酷なほど醜いということは、鏡にうつる私の肉体や顔をみただけでよくわかる。うすぎたなく生気のない髪、染みのでた皮膚、醜悪なのは顔や肉体のせいだけではなかった。醜悪とは六十歳になっても心に静かさと安心がまだ訪れないことだった。六十歳になっても神は私をまだそんな気持にさせてくださらぬ、夜、夢と夢の間で眼を闇に向けて開けていると、突然、死の恐怖が切実に襲ってくる。自らの肉体が消滅すること。朝の光も街のたたずまいも、人々の動きももう見られぬこと。あたたかな珈琲の匂いを嗅げぬこと…。それを思うと、鋭い刃物でえぐられたように胸が痛む。私はどこで息を引き取るのか。いつだろうか。考えまいとする。その想念から逃げるために早く眠ろうとする。老いの醜悪とはこのあさましい執着から離れられぬことだ。

        男は、散歩の間に喫茶店に入り、若者たちを観察することを日課にしていました。
        喧しくおしゃべりを続ける女生徒たちを見つめる視線の中には、溌剌とした若さに対する憧憬と、無造作で幼稚な生き方に対する嫌悪感とがありました。
        また、ふとした時に男の中に芽生える背徳の心を、彼女たちを対象にして自らの内側で弄ぶ癖がありました。
        つまりは、踏み越えてはならぬ人の道を、越えるも越えぬもこの胸ひとつ、の状況を密かに愉しんでいる風でありました。
        そんなある日、いつものように公園を歩いていると、女生徒の一人から声をかけられ…。

        未だ六十までは道半ばですが、著者の煩悶はよく理解できました。
        同性として、同じような悩みに怯えるのだろうとは、容易に想像ができました。
        「老いてゆく」という生き方に定型はありませんが、成功するとしたら、それは周囲からの評価によってしか有り得ないと思います。
        つまりは、周りから好かれる、迷惑をかけない、おじいちゃん・おばあちゃん。
        ところが実は、老人もさまざま、生々しいまま、安寧な心を持たぬまま、齢を重ねる方もたくさんいらっしゃいます。
        何が大切かというと、著者のように老いていく自分を客観的に見られる視点を持っているかどうかだと思いました。
        老いてゆくということは、人間が劣化し醜悪になっていくことだと、少し自虐的ですがそんな自覚を持った年寄りと、生涯現役を宣言して憚らぬ年寄りと。
        『老醜』という言葉をぐっと身近に感じている最近です。
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        2014/11/18 by 課長代理

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      十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。
      4.0
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      • タイトルが長い!そして挑発的!
        長すぎて、逆にそれが目を引いて買ってしまいました。

        色々な場面においての手紙の書き方についてです。

        だいぶ昔に執筆された本のようで、今はあまりお目にかかることも少なくなった(…と思われる)ラブレターの書き方なども入っていますが、つづられ方にユーモアがあり、面白おかしく、でもフムフム、と納得してしまいます。
        なるほど、同じことを伝える内容でも、書き方ひとつで相手が受ける印象ってこんなにも違うのだなぁ。
        筆不精を克服した筆者のコツも書かれていますよ。
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        2016/04/24 by taiaka45

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      私にとって神とは
      カテゴリー:キリスト教
      4.0
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      • 何でクリスチャン?

        日本人が生まれたときから(意識してなくても家がそうなので一応)仏教徒だったり神道だったりするのと同じように、母親の影響で11歳のとき何となく洗礼を受けたそうです。

        神を信じているのか?

        神の存在は”対象”ではなく、”働き”だと。何か選択するときなど、何か分からないが自分を後ろからそっと押してくれるようなもの。自分の意思+Xの Xが働いている。で、それはそれぞれの人の心の中にある。
        、、、日本的なとらえ方だと思う。西洋のキリスト教の考え方とはちょっと違うのかな。人によって色々な神があっていいんじゃないか、という感じに捉えられてるようです。一神教のユダヤ教の人は多分、(見えないけど)唯一の絶対的存在を信じてたりするのかな。

        キリスト教は煩悩の中に神がいる、仏教のように煩悩を捨てろと言われないからいい、と言われてます。お釈迦様の教えは苦しみの心の原因を見つけ治療することで楽にするものだけど、キリスト教は患部はそのままに慰めるものなのかな?(末期癌のモルヒネみたいな?)

        仏教(お釈迦様の教え)については、日本仏教との違いが大きいのでけっこう誤解されてるみたいですが、印象としては、遠藤さんの考える日本のキリスト教の考え方はお釈迦様の慈しみの心の部分と似ていると思いました。

        ただ、お釈迦様はキリスト様のような自己犠牲ではなく、自他共に幸せになる道を説かれました。自我は錯覚で、実際は”無我”であり、自我に対する執着をなくす(弱くする)ことで苦から解放される。自分が不幸になるなら、自己犠牲は愚か(智慧が足りない)と否定されてます。自己犠牲は偽善につながりやすいので、遠藤さんも問題だとされてます。(キリスト教の問題を色々指摘して悩まれてる)

        遠藤さんが考える日本式キリスト教は、お釈迦様の教えと共通するところがあることがわかりました。神は”働き”だとすると、日本人にもわかりやすい。(ちょっと曖昧だけど)

        西洋人にとって神、キリスト教とは何なのかな?
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        2016/06/13 by バカボン

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      眠れぬ夜に読む本
      5.0
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      • 「眠れぬ夜に読む本(1)

        随分前に、このことにちょっと触れた。
        眠れないので「眠れぬ夜に読む本」と言うのを読んでいたが、余計眠れなくなってしまった。
        というようなことを書いた。

        狐狸庵先生は「とうに亡くなられてしまったが、著書はほとんど読んで、読み返すたびに、もう作品はないのだ、これで終わりだと思う。
        それでも完璧でない自分は、全集なら、きっと半分も読んでないだろうということがわかっている。
        これからの 宿題だと思っている。

        「この眠れぬ夜に読む本」は270ページの薄い文庫で、同じシリーズに「私にとって神とは」「死について考える」と言う二冊があがっている。この二冊も、まだ未読なので、私の「ほとんど」も当てにならない。
        読んでいないのでわからないが、題名から、もう少し先で考えてもいいだろうと残してある。

        眠れないときは何を考えるか、
        1 生と死について考える
        2 東京について考える
        3 自分と他人と動物について考える
        4 趣味と興味について考える

        という目次に続いて、少し詳細に題名が並んでいる。

        名作「沈黙」があるように、狐狸庵先生はキリスト教徒だったけれど、難しい宗教の話や、心理学や、医学の話ではない。

        好奇心の赴くままに、過去や、現代や未来を考え、そこにあるべきもの、あったもの、出会うものなどを、ユーモアをこめて、語っている。

        不思議な現象を科学に照らしてみたり、人とは何なのかと、遺伝学を紐解いたり、軽い話題の中でも、死後の世界を考えたりしている。

        昼間には、生活があり、合理的で、実際的で、複雑な時間が繰り返されていく、だが周囲から離れて自分ひとりになった夜の思考は、混じりけのないむき出しの心と対面できる時でもある。

        そんな時、生きていることや亡くなった人や、自然や、伝聞であっても不思議な現象や、気にかかっていながら訪ねたことのない土地への思いに浸ることが出来る。

        「眠れぬ夜に読む本」はいつも私の傍にある。難しい言葉もなく理解できない不思議もなく、その世界を共有できるところにこの本の魅力がある。

        「地獄の思想」とともに、現実を超えた、人の心の深い底の流れに誘われる本である。

        いつか目次に沿って思うことを書いてみたい、とりあえず(1)にした。
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        2014/12/03 by 空耳よ

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      おバカさん
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
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      • とても面白かった。

        実は、この小説、もうずいぶん昔、私が高校生だった頃、Y先生という先生に、何か面白い文学作品はないですか?と尋ねたら、自分はあんまり文学は読まないけれど(数学の先生だったので)、遠藤周作の『おバカさん』という小説は、なんだか心に残っているなぁ、と話してくれた。

        へえ~、そうですか~、と答えつつ、自分から尋ねながら読みもせずにかれこれ十数年経ってしまったが、やっと今読んだ。

        つい最近、『深い河』を読み直して感動し、ある方から、その中に出てくるガストンさんという登場人物が、この『おバカさん』に登場していると聴いたことも大きなきっかけだった。

        読み終わった感想は、とても読みやすく、面白く、かつ、不思議と心に残る小説だった。

        「でもガストンは人間を信じたかった。この地上の人間がみんなナポレオンのように利口で、強い人ばかりではないと思った。この地上が利口で強い人のためにだけあるのではないと思った。
        自分やこの老いた犬のような―
        弱くて、悲しい者にも何か生きがいのある生き方ができないものだろうか…。
        あの空の星のなかにもきっと自分たちと同じような星があるにちがいない。鋭い光を放つかわりに、弱々しい、しかしやさしく光る星だってあるにちがいない。意気地ない自分だが懸命に生きれば、そんな星の美しさのひとかけらでも奪うことはできないかしら…。」
        (110頁)

        「素直に他人を愛し、素直にどんな人をも信じ、だまされても、裏切られてもその信頼や愛情の灯をまもり続けていく人間は、今の世の中ではバカにみえるかもしれぬ。
        だが彼はバカではない…おバカさんなのだ。人生に自分のともした小さな光を、いつまでもたやすまいとするおバカさんなのだ。」
        (293~294頁)

        この二つの文中の言葉は、珠玉の言葉と思った。

        また、ガストンさんの、「これが私の決心。あなたを捨てない。ついていくこと。」という言葉には、とても感動して、これこそが、人が心のどこかでいつも探し、渇いていることなのだと思った。

        ユダヤ教や初期仏教が非常に精緻な優れたものであるのに対して、一見単純に見えるキリスト教や浄土真宗が深く心をとらえてやまないのは、上記のことをシンプルに中心にしているからなのだと思う。
        おそらく、ユダヤ教も初期仏教も、本当はこの心が真髄にはあったし、あるのだと思うが、このことほど、ともすれば人が忘れてしまいがちな大切なことはないのだろう。
        そして、キリストや法然・親鸞という人たちは、このこと一つに生きた生き方だったのかもしれない。

        多くの人におすすめしたい、今なお新しい、不朽の名作と思う。
        なんとなくなつかしいような戦後の頃の雰囲気もいいと思う。
        >> 続きを読む

        2013/08/18 by atsushi

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【遠藤周作】(エンドウシュウサク) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)

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