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福田恒存

著者情報
著者名:福田恒存
ふくだつねあり
フクダツネアリ
生年~没年:1912~1994

この著者の本を読んでいる会員ランキング

このランキングは1日1回更新されます。
      老人と海
      カテゴリー:小説、物語
      3.8
      いいね! Tsukiusagi Minnie su-kun sunflower cocodemer niwashi ryoh3
      • 有名すぎる一冊で、読んだ記憶もあるのに、人様のレビューに「そんなシーンあった??」と動揺しておもわず再読してしまいました。

        本書はいろんな版で出版されているはずなのに、表紙絵は決まったかのように「おだやかな海」。物語の大半はそんな海とは似ても似つかぬ……と書き進めたところで、作中にあった女性名詞「ラ・マール」としての海に思いが及ぶ。男性的じゃないんだ、海は。

        老人の夢に何度も登場するライオンもまた、獰猛というより温厚な、まるで猫のようなようすで……ラストシーンあたりで老人の視界に入ってくる猫はまるで夢の中から抜け出してきたのか? なんて想像は、再読してみて気付いた疑問です。

        よめばよむほど味わいのある極上のこんぶみたいな本、それを名作と人は呼ぶのですね。
        >> 続きを読む

        2016/01/24 by junyo

      • コメント 1件
    • 他22人がレビュー登録、 78人が本棚登録しています
      リチャード三世
      カテゴリー:戯曲
      4.8
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      • 本書の解説でもあったように、シェイクスピア作品の中でもテンポが速い作品だと思う。
        薔薇戦争をモデルにこの史劇は書かれたが、そういった知識を踏まえてから読むと当然もっと面白いだろう。

        多い登場人物、関係が複雑で把握しにくいところがあるが、これは前知識を持っているか、あるいは慣れの問題だろう。

        口に出した呪いの言葉は、自分に降り掛かってくる。これが繰り返され、呪いは運命となり一族を苦しめる。
        人を呪ったり、中傷したりしてはいけない!それは自分に降り掛かってくる。こういう教訓をこの本を読んで再確認した。

        もうすこし知識を持って読めば、今とは違った感想が出てくるだろう。テンポが速くスラスラ読めるが、人物関係が複雑でちょっと把握しにくい。文学初心者には難しいかも。しかしある程度本を読み慣れている人ならそこまで苦心せず読めるだろう。
        >> 続きを読む

        2015/06/09 by Nanna

    • 他2人がレビュー登録、 5人が本棚登録しています
      サロメ
      カテゴリー:戯曲
      4.5
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      • まさかの旧仮名づかい!ちょっととっつきにくさを感じますが、
        ビアズリーの挿絵がたっぷり入っていてデカダンムード120%
        しかし、私は最近知りました。
        オスカー・ワイルドがビアズリーの絵も人も大嫌いだったということを。
        それを知って納得したのですが、ビアズリーの絵は、「ワイルドのサロメ」には合っていません。
        このサロメは、若く儚く透き通った月のように清らな乙女なのです。
        一方、男心を惑わす妖しい魅力を備えていることを自覚もしている。
        サロメが初めて恋に落ちるその瞬間、その相手とは……。
        月の光を浴びてはいけない。月は人の心を狂わせるから。
        摩訶不思議な月の光に溢れた宵に、倒錯した愛と狂気に満ちた美の世界が展開します。

        「なんて痩せているのだろう!ほっそりとした象牙の人形みたい」
        「その肌の白いこと、一度も刈られたことのない野に咲き誇る百合のよう、山に降り降りた雪のよう」
        「お前の髪は葡萄の房、エドムの国のエドムの園に実った黒葡萄の房」
        「お前の唇は象牙の塔に施した緋色の縞。象牙の刃を入れた柘榴の実」
        サロメが観た男は決して女の愛を受け入れてはくれぬ預言者ヨカナーンでした。

        ええとですね。実際のヨカナーンはラクダの毛の衣を身に纏い荒野をさすらう放浪者です。
        外見はほぼホームレスですね。しかし月の魔力か恋の力か、サロメの目にはこの通りの美青年に映るのです。

        Suffer me to kiss thy mouth. 
        憑かれたようにヨカナーンを求めるサロメ。冷たく拒むヨカナーン。
        彼を手に入れるためなら何でもする。そしてサロメが望んだものは…。

        さて。ここでいつもの翻訳読み比べタイム!
        How beautiful is the Princess Salomé to-night!
        「いかにも美しい、今宵の王女サロメは!」(福田訳)
        「こよいはなんとお美しいことだ、サロメ王女は!」(西村訳)

        Thou speaketh truly. God is terrible; He breaketh the strong and the weak as a man brays corn in a mortar. But this man hath never seen God. No man hath seen God since the prophet Elias.

        「全くそのとほりだ。神は恐しい。弱いも強いも一緒くた、碾臼の中の穀物同然、みんな打ちのめされてしまふのだ。
        だが、あの男が神を見たわけがない。神を見た者は預言者エリア以來ひとりもゐないのだ。」
        (福田訳)

        「いわれるとおりだ。神さまは恐ろしい。強い者も弱い者も打ち砕かれる、人間が小麦を臼でつき砕くように。
        だが、あの男は神さまなどついぞ見たことはないのだ。預言者エリアこのかた、神さまを見た者はひとりとしておらぬわ」(西村訳)

        Ah! I have kissed thy mouth, Jokanaan, I have kissed thy mouth. There was a bitter taste on thy lips. Was it the taste of blood?... But perchance it is the taste of love.... They say that love hath a bitter taste.... But what of that? what of that?

        「あゝ!あたしはたうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたよ。
        お前の唇はにがい味がする。血の味なのかい、これは?……いゝえ、さうではなうて、たぶんそれは恋の味なのだよ。恋はにがい味がするとか……でも、それがどうしたのだい? どうしたといふのだい?」
        (福田訳) 

        「ああ!おまえの口にくちづけしたよ、ヨカナーン、おまえの口にくちづけしたよ。
        おまえの唇は苦い味がした。あれは血の味だったのか?……いいえ、ことによると恋の味かもしれぬ……恋は苦い味がするとか……でも、それがなんだというの?それがなんだというの?」
        (西村訳)

        新潮版は、語順も言葉もほぼ直訳です。

        Kill that woman!  「殺せ、あの女を!」(福田訳) 「あの女を殺せい!」(西村訳) 


        仮名遣いに関しては読んでいるうちに慣れますから問題ないです。
        岩波版は文中に訳注が入らないので、新潮版よりも読み易いくらいでした。
        古文調に翻訳するのもワイルドの意図に沿っていると思います。
        ワイルドの原文では hath = has thy=yourという具合に古語を使用しています。この作品は下手に現代口語にしてはいけないのです。

        私ならサロメのセリフに「あたし…だよ」とか「お前」は使いません。
        少なくとも thyは「そなた」でしょう。

        もう一つ不満。新約聖書に馴染んでいる日本人ならば、王の名は「ヘロデ王」であるはずです。
        それをフランス語読みのつもりなのか「エロド」と呼び変えているのがわざとらしくて厭。

        古典的で文語的だからといって、福田訳を「作品のもつ耽美性、毒々しさ、残忍さ、悲喜劇性が際立つ名訳」と決めつけるのはどうでしょう?
        翻訳家の権威に目がくらんでいる人も多いのでは?

        言葉のリズムに限れば西村訳のほうが優れている気がするのですが。

        また、毒々しさというのは「ビアズリーのサロメ観」であって、オスカー・ワイルドの戯曲の世界観とは別物だと、今の私は確信しています。
        岩波版の「サロメ」は、絵本のように大量の挿絵が入っているため、どうしてもビアズリーの個性である毒気に引きずられます。
        読者の印象がビアズリー解釈の「サロメ」になってしまうことでしょう。
        でも、まあ、これはこれ。ということで。

        先達のありがたいお仕事を参考に、脚本家気分で自分で翻訳してみるのが一番いいのでしょうね。

        P.S.
        もう1冊光文社の新訳が出ているので、いずれそれも読んでみたいと思います。
        宮本亜門演出で国立劇場で舞台化した「サロメ」は、平野啓一郎の新訳を脚本化したそうです。
        >> 続きを読む

        2015/11/21 by 月うさぎ

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    • 7人が本棚登録しています
      夏の夜の夢
      カテゴリー:戯曲
      3.5
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      •  シェイクスピアの喜劇2作。新潮文庫のシェイクスピアを訳している故福田恒存氏について調べてみたが、文壇の中でも目立ち、随分活躍された方だった。訳文自体は50年以上前のもので、他の訳に比べて固い気もしないでもないが、シェイクスピアの文章の威厳、当時の中、上流階級の教養主義的な側面を表すには最適な訳だろう。「夏の夜の夢」、「あらし(テンペスト)」はいずれも有名だがどちらも初見だった。両者も喜劇で楽しく読めたが、文章の時々に、様々な場所で引用されるような、物事の核心をつくようなセリフやソネットが散らばっており、さすが遥か極東の国でも500年間以上語り継がれる物語である。最後に、特に気に入った、有名な一節を引用したい。

        「We are such stuff as dreams are made on, and our little life is rounded with a sleep.」

        「吾らは夢と同じ糸で織られているのだ、ささやかな一生は眠りによってその輪を閉じる」
        >> 続きを読む

        2017/07/15 by shinshi

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      じゃじゃ馬ならし
      カテゴリー:戯曲
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      • この本の名言をご紹介します。

        ***
        ぼんやりしている心にこそ恋の魔力が忍び込む >> 続きを読む

        2012/09/26 by 本の名言

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      お気に召すまま
      カテゴリー:戯曲
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      • この本の名言をご紹介します。

        ***
        この世はすべて舞台だ。
        そして男も女もその役者にすぎない。
        >> 続きを読む

        2013/10/24 by 本の名言

      • コメント 3件
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      ドリアン・グレイの肖像
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
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      • オスカー・ワイルドを語るときに「彼の人生そのものが芸術作品」という表現がありますが、
        それは芸術至上主義のワイルドに対し、少し失礼な気がします。
        「ドリアン・グレイの肖像」は非常に魅力的で稀有な小説です。
        物語の世界に引きずり込まれる快感がこの小説にはあります。
        ストーリーの神秘的・魔力的な魅力と奇抜さ。
        登場人物の圧倒的な魅力と存在感。
        美意識に彩られた芸術論と個人主義哲学への共感。
        シェイクスピアを思わせる文章の美しさ、演劇的な演出、自然美の表現などなど。
        心を去らない一冊。紛れもない名作と言えるでしょう。

        【ストーリー】
        若さと美貌と純真無垢な精神を兼ね備えた20歳の貴族、ドリアン・グレイ。
        仕上がったばかりの彼の肖像画は青年画家、バジル・ホールウォードの最高傑作になった。
        ドリアンは初対面のヘンリー・ウォットン卿の話術に幻惑され、自分の若さと美貌の価値を知り、それを失う恐怖から肖像画に向かって叫んでしまう。

        「いつまでも若さを失わずにいるのがぼく自身で、老いこんでいくのがこの絵だったなら!」

        新しい思想(ヘドニズム=快楽主義)に耽溺し、贅沢や快楽主義に耽ってゆくドリアンは知的ながらも傲慢で無反省な人間へと堕落していきます。
        彼の真の魂を見つめるのは彼の肖像画だけでした…。

        デヴィッド・ボウイの愛読書としても知られ、70年代に多くの少女漫画家が取り上げられていました。
        当時、耽美や倒錯愛や退廃文化に染まっていた女子高生の頃に読んだこの本は、今読めばきっと別の感想になるはず……。でしたが、そう変りませんでした~(^o^;)

        「芸術家とは、美なるものの創造者である」
        「すべて芸術はまったく無用である」

        ワイルドのこの芸術論には全く同感ですし。
        彼の美学や良心に対する姿勢は今でも非常に共感できます。
        というよりも、ワイルドに影響受けたまんまなんでしょうね。多分。

        新しい発見はありました。
        ヘンリー卿が、決してワイルド自身の代弁者として描かれてはいないということです。
        よく『ヘンリー卿=ワイルド』と短絡的に決めつける意見が多いのですが、
        (実際当時は私もそんな風に感じていたものでした)
        ドリアンの口から「逆説公」と言われるほどの「皮肉屋」というところが正解でしょう。
        「かれの言葉は華麗にして奇抜、そして無責任極まりないものだった」とあるように、
        所詮ディベートのごとき言葉遊び的な非実践型の口先男であることが所々で示唆されています。
        ハリーも自分の見たいようにドリアンを眺めているにすぎません。バジルと同様です。
        人品を外見の立派さで判断できるという考えはヴィクトリア時代の「常識」だったといいます。
        結局は最後までドリアンの本質が見抜けませんでしたよね?
        妻の離婚での傷心を隠せない弱さもあり、犯罪を醜悪として決して容認できないある種の道徳心も潔癖さも実は捨て切れてはいません。
        ハリーにとっては現実は見るに堪えないもので、醜悪さは犯罪です。
        犯罪は現実そのもの、つまりは醜悪の極みなのです。

        バジル、ドリアン、ハリーの3人をすべて含むのが、ワイルドですよね。
        そして3者をすべて「否定」してみせたのがこの作品における彼の意図ではないでしょうか?
        ワイルドはこれほど大きなものはないくらいの矛盾を抱えていた人のはずです。
        ああ、もし彼が現代に、少なくとも20世紀の末ごろに生きていたなら
        ずっと生きやすかったでしょうに。
        でもそうすると、彼の芸術は生まれなかったかもしれません。それも困りますね。

        ヴィクトリア時代の清教徒的な窮屈な精神世界と偏狭な道徳概念に苦しみ、
        それを踏みにじり悪徳に忘我するほどには落ちぶれられない彼。
        その悩める姿がこの小説に浮かんでくるように感じました。

        感覚の重視を提唱しているのは興味深い点です。
        もしかしたら、この時代にこれはとても斬新な提唱だったのではないでしょうか。
        ドリアンがアロマテラピーやパワーストーンなどに熱中し、科学的に効果を証明しようとしている描写もあります。
        現代の流行を考えると不思議な感じがしました。
        迷信より科学を信じるという姿勢も見受けられます。

        デカダンチックな衣装はまとっていますが、決してオカルト小説ではないのです。

        時代に抗う小説を書くことで、彼は魂の自由を求め、個人主義的生き方を選んだのでしょう。
        >> 続きを読む

        2015/03/06 by 月うさぎ

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【福田恒存】(フクダツネアリ) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)

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