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菊池光

著者情報
著者名:菊池光
きくちみつ
キクチミツ
生年~没年:1925~2006

この著者の本を読んでいる会員ランキング

このランキングは1日1回更新されます。
      羊たちの沈黙
      カテゴリー:小説、物語
      4.5
      いいね! Tukiwami
      • 【傑出した稀代の「悪役」】
         この作品は、傑出した「悪役」を生み出しました。ハンニバル・レクター博士。
         優れた精神科医でありながら、既に9人を殺害しています。
         この物語の冒頭では、厳重な警備の下、精神病院の特殊な区画に勾留されています。
         そこを訪れたのは、FBIアカデミーの訓練生であるクラリス・スターリング。
         とある偉いさんのちょっとした話の種に使えれば程度の理由で(もっともその理由はクラリスには伏せられていて、彼女には重要なインタビューだと教えていますが)、まともな供述を拒否しているレクター博士と面会させようというわけです。もちろん、ダメもとで。
         クラリスは聡明な女性なのでしょう。レクター博士は彼女を気に入り、ちょっとした「バレンタイン・プレゼント」をくれるのでした。

         さて、物語は同時進行で、「バッファロー・ビル」と呼ばれる変質者による連続殺人事件を追っています。
         バッファロー・ビルは、女性ばかりを殺害し、その死体から皮を剥いでは川などの水の中に捨てることを繰り返していました。

         その後、「バッファロー・ビル」による新たな事件が発生します。上院議員の娘が、おそらく「バッファロー・ビル」によって誘拐されたと思われます。
         クラリスは、上司の命により、クラリスとなら話をするレクター博士から何らかの情報または優れた専門家としての知見を得るために再度の接触を求められます。
         レクター博士は「バッファロー・ビル」事件に興味を抱いていたのです。

         本作が書かれたのは1988年。作中の描写にも時代を感じさせます(例えば、クラリスの上司が、「ドット・プリンター」の不調に悩まされたり、ポケットベルを使っていたり)。
         以後、ハンニバル・レクターを模倣したと思われる作品が沢山書かれていますが、このようなキャラクターを生み出した本書の功績が大ではないでしょうか。
         とにかく強烈な印象を与えます。
         しかも、レクター博士はシリアル・キラーだというのに、どこか嫌悪できないところがあります。いや、嫌悪できないどころか、かなり惹かれるところすらあります。
         その後、レクター博士の生い立ちが描かれる続編が書かれており、私はそれも読んでいるために余計なのかもしれません(本書も再読です)。
         物語としても十分面白い上に、このような強烈なキャラクターの魅力もある本作、まだ未読の方は是非とお勧めします。

         ところで、タイトルの「羊たちの沈黙」というのはどういう意味かご存知ですか?
         既に読まれた方はお分かりのとおりですが、クラリスがレクター博士との面会の中で、彼女の幼少時の話を求められる場面があります。
         彼女は、不幸な生い立ちなのですが、とある事情から羊たちの鳴き声が心に刻まれています。
         レクター博士は言います。「きみの手でバッファロー・ビルを捕まえ、誘拐された女性を救出できたなら子羊たちの悲鳴を止められると思うかね?」と。
         さて、羊たちは沈黙するのか?
        >> 続きを読む

        2019/01/21 by ef177

      • コメント 2件
    • 他4人がレビュー登録、 9人が本棚登録しています
      初秋
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
      いいね!
      •  ロバート・B・パーカーやギャビン・ライアル、ジョン・ル・カレ、クライブ・カッスラーその他、ハードボイルド小説や冒険小説を私に教えてくれたのは、私の読書の師匠、故内藤陳さんです。
        内藤陳さんが会長の日本冒険小説協会、入っていましたから。

         スペンサーシリーズ、大好きでねぇ、私は。は。と気がついたら随分と年月が経っていて、手元にある文庫が字が小さくて困る、と思ったら、新版が出ました。

         私立探偵スペンサーと相棒、ホーク、スペンサーの恋人、スーザン。この3人が大人でいいです。

         ただし、この物語は、私立探偵スペンサーが事件を追うというより、15歳のポールという少年と出会い、共同生活を通して少年が成長する成長物語。

         今、読むと15歳の男の子にビール飲ませたりしてNGかもしれないけれど、でも15歳くらいの人に読んで欲しいと思います。

         両親が離婚して板挟みになるポールはすねてしまっているのですがスペンサーはどちらにも頼らず自立せよ、と教えるのです。

         そして家にこもっていないで身体を鍛え、外へ外へと出るように導く。ポールに必要だったのは、優しさよりも、甘えないで、自立せよと言い切る潔さだったのだと思います。
        >> 続きを読む

        2018/06/26 by 夕暮れ

    • 他2人がレビュー登録、 6人が本棚登録しています
      鷲は舞い降りた 完全版
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
      いいね!
      • 【この無謀な作戦は成功するのか?】
         ジャック・ヒギンズの代表作であり、超名作です
         時は第二次世界大戦のさなか。
         配色濃くなってきたドイツは、ヒトラー総統の命令のもと、なんと!一発逆転を狙ってチャーチル英首相の誘拐作戦を開始します。
         いくらなんでもそんなご無体な!

         しかし作戦は実行に移され、落下傘部隊を乗せた輸送機が悪天候の中を飛び立ちます。
         落下傘部隊を率いるクルト・シュタイナー中佐は見事降下作戦を成功させます。
         そして、「鷲は舞い降りた」との降下成功を伝える暗号がドイツ本国に届きました。
         このままチャーチル誘拐作戦は成功するのか?

         荒唐無稽と言えばこれほどとんでもない作戦もあったもんじゃない!
         敵国の首相を誘拐しちゃおうっていうのですから。
         逆に、この作戦をみすみす成功させたりしたら、イギリスの抜け作振りはここに極まれりということになるわけですが……。

         戦争物というと、大体は戦勝国である連合国側から描かれることが多いのですが、本作はナチス・ドイツの視点で描かれていきます(作戦の成否はまた別としてですよ)。
         本作は、登場人物が男臭くてみんなカッコ良いのです。
         シュターナー中佐は言うまでもなく、彼を慕う部下たちがまた。
         戦争物って、女性は敬遠しがちですが、本作は女性が読んでもグッとくるんじゃないですかね~(キャラがとてもステキなので)。

         テンポ良く、スピード感溢れる手に汗握る展開はさすがです!
         本作は映画化もされましたが、傑作と言って良い作品だと思います。
        >> 続きを読む

        2019/06/20 by ef177

    • 他1人がレビュー登録、 5人が本棚登録しています
      利腕
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
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      • 最後の一文を読み終えた時の深い満足感
        小手先のトリックやどんでん返しなどでなく、本当に良質の小説だけが持つ、ため息のような感動をミステリーでも得たいと思う人は、この小説を読みなさい。
        文学的な基礎知識も特別な読解力も不要
        ただハラハラさせるストーリーを追うだけでいいのです。

        人は獲得し、そして失う。生きるという事はその繰り返し。
        主人公シッド・ハレーはそれを体現した存在です。
        だからこの物語はあなたの物語でもある。
        シッドのように振る舞えなくても、シッドに寄り添う事は出来ます。

        プロローグから壮絶な喪失感で幕を開け、
        乾いた語り口と骨太なストーリーでぐいぐい読者を引き込みます。

        「勝つことがすべてである。勝つことが私の役目だ……そのために自分は生まれてきたのだ」
        シッド・ハレーは元チャンピオンジョッキー。自他ともに認める最高の騎手でした。
        愛する女性と結婚し、たたき上げで築いた財産もあり、天職と思える職業で成功をおさめ、有名になり…
        …そしてすべてを失いました。
        彼ほどの喪失を経験した人はほとんどいないのではないかと思うほどの悲惨な運命。

        運命に弄ばれ事件に巻き込まれ、という典型的なハードボイルド小説ともいえるのですが
        それだけでは語りつくせない魅力と深さがこの小説にはあります。

        「恐怖」を追求している点もその一つでしょう。
        (もちろんホラーとは全く別です)

        「人がなんといおうと、恐怖というものを私は充分に承知している。それは、馬そのもの、レース、落馬、あるいはふつうの肉体的苦痛に対する恐怖ではない。そうではなくて、屈辱、疎外、無力感、失敗……それらすべてに対する恐怖である。」
        「自身に対する自分の見方が幻覚にすぎなかったことをむりやり知らされることは、地震にも似た精神的激変であった」

        一人称小説なので「私」シッドは、その時々の状況を赤裸々に、時に情けなさ丸出しで語りかけてきます。
        その真実と切実さといったら…。
        彼は決して鉄の精神を持った男ではないのです。
        ただ、自分に対する誇りの為に、外にそれを漏らさない。自分から逃げない道しか歩めない、そういう性分なのですね。
        それでも生きていくという選択をすることのしんどさと当り前さ。

        相棒のチコ、元妻のジェニー、その父のチャールズ、ジェニーの女友達のルイーズ他の登場人物造形の素晴らしさのみならず、本作では悪役さえも血の通った人物として納得できる描かれ方をします。
        敵は、前作「大穴」の悪役の怪物的異常性とは異なり、人間が他者に与えうる脅威という形で現れます。
        暴力そのもの以上に脅迫の方を人間は苦しむものなのです。

        フランシスの小説の主人公はみな、素晴らしく魅力的なのですが、中でも最高に愛されているのはこの「シッド・ハレー」です。
        彼の描くのは、悪と闘う正義の味方ではなく、内的な動機に基づくアイデンティティの獲得、維持の為に闘う男の姿です。

        一話完結の作品がほとんどですが、例外が2つあり、その一つがシッドの出演(もはや実在人物^_^)作品です。
        負けず嫌いで頑固で自尊心が高くてめちゃくちゃタフな男でありながら、一方で大きな弱点を持っています。
        彼は、身体が不具であると言うハンデを背負っているのです。
        それは単に肉体的な不自由さではなく、アイデンティティを決定的に損なう類の障害です。
        愚痴も言えば弱気にもなる。内面では怯えも怠惰も嫉妬も抱えている事を自ら認め、端的に語るのがシッド。

        フランシスの主人公の多くは精神力の強い、抑制のきく一見クールな男性が多いので、
        見ようによってはシッドはフランシス作品中最も情けない主人公なのかもしれません。
        しかしだからこそ、人は彼を愛するのでしょう。
        彼のように、人からは、タフな男に思われたい。
        仮に自分自身の目には、そう映らなかったとしても。
        そう夢を描くことでしょう。
        そして彼が立ち直り、再び自分の人生を歩みだす姿を見たいがために、繰り返しこの本を読むのです。

        私も再びシッドに逢いに行くでしょう。
        もしも人生で打ちひしがれる事があったなら、自分が生きていくための勇気をもらうためにも。きっと。
        >> 続きを読む

        2019/05/16 by 月うさぎ

      • コメント 15件
    • 他1人がレビュー登録、 4人が本棚登録しています
      ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
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      • 現役を退き、今は学究的な引退生活を送る、英国諜報部〈サーカス〉の元諜報部員ジョージ・スマイリー。

        彼を引退生活から呼び戻したのは、〈サーカス〉の中枢にソ連の二重スパイが潜んでいるという驚くべき情報だった。スパイが内部にいる以上、それを探すには現在は部外者であるスマイリーが最適だという判断だった。

        しかも、この二重スパイは彼のかつての仇敵、ソ連のカーラによって操作されているらしい。そこで、スマイリーは〈サーカス〉の記録を遡り、関係者の証言も集めながら、英国諜報部の中枢にいるティンカー(鋳掛け屋)、テイラー(洋服屋)、ソルジャー(兵隊)、プアマン(貧者)と名付けられた容疑者たちの中から、二重スパイを探り出していく。

        やがて、彼の前に姿を現わした二重スパイは、思いもかけぬ人物だった-------。

        このスマイリーという男は、服装に金をかけているが、いかにも風采のあがらぬ、小太りの蛙のような体形をした、ずんぐりした中年男で、オックスフォード大学出身、17世紀のドイツ文学に興味を持ち、貴族の出の美しい浮気女の妻がいる男だ。

        ジョン・ル・カレの小説にいつも、影の人物として顔を出してきたジョージ・スマイリーという男は、一見して市井の人間と変わらぬスパイなのだ。しかし、この凡庸な外見の下には、明晰な頭脳が隠されているのだ。

        このスパイ小説史上、最も高齢のヒーローと言われるジョージ・スマイリーという男は、ジョン・ル・カレの初期の「死者にかかってきた電話」などの作品で主人公を務め、その後、脇役に回っていたが、この作品の大成功によって、最も有名なスパイ小説の主人公となったのです。

        英米でベストセラーとなったこの作品は、読む楽しみを満たしてくれる豊かなスパイ小説で、最近も「裏切りのサーカス」という題名で映画化もされているほどで、初めの20数ページを過ぎれば、あとはワクワクしながら、最後まで一気呵成に読まされてしまうのです。

        「一人の、太った、中年のスパイが、自由世界の崩壊を防ぎうる唯一の人間だ、などと考えるのは、およそばかげた虚栄心にすぎない」と自分に言い聞かせるスマイリーは、ジェームズ・ボンドとは正反対のリアリティあふれる人間なのだ。

        英国社会の縮図とも言うべき、情報官僚組織の中に生きる一スパイの表情が、英国の伝統的な小説の手法によって、見事に描き出されていると思う。

        有名な二重スパイ、キム・フィルビーの事件を下敷きにしたこの作品は、スマイリーとカーラの宿命の対決を核とした三部作の開幕を告げるもので、この作品によってジョン・ル・カレは、世界が認める現代スパイ小説の巨匠としての地位を確立したのだと思う。


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        2018/01/22 by dreamer

    • 1人が本棚登録しています
      血統
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
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      • 我が敬愛するディック・フランシスの競馬シリーズの魅力は、何と言っても、主人公たちの心の傷を内面に秘めながら、その弱さを克服しようと立ち向かう姿勢であり,また人生を誠実に直視し、清潔な正義感を持つ、そのストイックなたたずまいにあるように思う。

        この「血統」は、初めて本格的に英国以外を舞台とした作品で、主人公のジーン・ホーキンスは、英国のプロの諜報部員だ。38歳、独身。非常に沈着冷静で有能だが、憂鬱症に悩まされている。感情をあらわにしないが、ユーモアのセンスがあって理知的な人間だ。

        このように、なかなか魅力的な男なのだが、長年の死と背中合わせの生活を送ってきたため、一種の鬱病に取り憑かれているのだ。

        それは、かつて激しく愛した人妻のキャロラインとの別れのせいでもあった。いつも、仕事の合間に、ふとやり切れないほどの虚無感と不安が襲って来るのだ。

        ホーキンスの生き方は、同じ英国の諜報部員といっても、超ゴージャスなホテルで世界の美女と美食に囲まれる007ことジェームズ・ボンドの快楽主義的な生き方などとは、まったく正反対なのだ。

        一緒にアメリカに行く上司の娘、十七歳のリニイ。彼女がほのかな想いを寄せていることを知りながら、そして自分もこの少女に惹かれているのを自覚していながら、ホーキンスは、欲望に身を任せるようなことはしない。

        「自分が三十八年間に学び取ったことがあるとすれば、誰とは寝てはならないという見きわめをつけることである。さらに、それ以上にやるせないことだが、いかに寝ることを避けるか、ということである」とホーキンスは言うのだ。

        なかなかカッコいいセリフで、ちょっとレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウを思わせるところがあって、実にいいんですね。

        そして、すべての物に恵まれながら、生き甲斐を失いかけている億万長者の牧場主の妻ユーニス。この女性は、百万ドルの女郎屋にいると自嘲する「長いお別れ」のテリー・レノックスに似通ったところがある。そういう上流階級の退廃の甘い香りや性の誘いも拒絶するホーキンスは、やはりマーロウ的だと思いますね。

        楽しい時は、人は人生とは何かということを考えたりしない。苦しい時、孤独な時、不安な時、人生とは何かを問い掛けるのだと思う。

        哲学者のハイデガー流に言えば、そういう問い掛けをせずに日常性に埋没してしまうのが、ただの人なのだ。

        「血統」のホーキンスは、その意味ではただの人ではない。常に人生の意味を問い掛け続ける男なのだ。鬱病気味のこの主人公が、最後に生きることを再び決意するこの作品は、やはりハードボイルドの精神を持った小説だと思う。ただし、ちょっとグルーミーなハードボイルドなのだ。


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        2018/02/19 by dreamer

    • 1人が本棚登録しています
      証拠
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
      いいね!
      • 私の大好きな作家ディック・フランシス。「興奮」「度胸」「大穴」etc.そして、私が個人的に"男の恐怖心三部作"と密かに思っている、「利腕」「奪回」に続く三部作の三本目の作品「証拠」。

        土曜日から読み初め、日曜の朝まで一睡もせずに、いつものように一気に読了したのが、この「証拠」なのです。(今回で三回目の読破になります)

        シッド・ハレーが活躍する「利腕」以降、"男の恐怖心"がディック・フランシスにとっての重要なテーマになっていったのは、1970年代のヒーロー小説が見失っていた"敵"を、主人公の裡の脆くて弱い精神と肉体に見い出し、その入り口を"恐怖"に見立てたのだと思います。

        「証拠」の主人公のトニイ・ビーチが、「利腕」のシッド・ハレーと決定的に違うのは、挫折したヒーローではない事です。トニイ・ビーチは危機に直面した事がないのです。そういう局面に極力、立たないよう注意して生きてきたとの設定です。

        父や祖父のようなヒーローに対して劣等感を抱いても、自分には無縁な世界だと言い聞かせているのです。いわば「利腕」が、"ヒーローへのカムバック物語"であるならば、「証拠」は、ヒーロー以前の男が、"危機、恐怖、克服という設定を通してヒーローになっていく物語"だと思うのです。そして、この二本の作品は、同じ"恐怖心"をテーマにしていても、微妙に違っていると思います。

        「社会生活では苦しみを表に出す事は許されない。人は涙を見せない事になっている。特に一応人並みの容姿を具えた三十二歳の男は泣いてはならない。妻が亡くなって半年たち、周りの者すべての哀悼の念が消えて久しい場合はなおさらである」と、この「証拠」はこういう一節で幕を開けます。主人公の喪失感を色濃く漂わせた、ディック・フランシスらしい、なかなかいいプロローグで、男心をくすぐります。いきなりディック・フランシスの豊穣な物語世界の中に引き込まれてしまいます。

        今回の「証拠」の主人公トニイ・ビーチの職業はワイン商。父親も祖父も勇敢な軍人であったのに、「二人の勇気、才能、向こう見ずな性格は、私には伝わっていない」という設定がミソなのです。

        そのために彼は心の裡にあるコンプレックスを長年抱いて生きているのです。そういう男が、"いかに勇気を見い出していくか"というのが、「証拠」のテーマなのだと思います。いかにもディック・フランシスらしいテーマで、彼のファンとしては嬉しくなってしまいます。

        このトニイ・ビーチという男、基本的にヤル気のない男であり、ディック・フランシスの小説に登場してくる主人公としては、特異な存在だと思います。頭はいいのですが、人生に全く野心を持っていない。デスクワークも嫌だけど、レースに出て大胆な騎乗も出来ない。才能らしい才能といえば、目隠ししたままチョコレートの銘柄を当てられるという変な特技のみ。

        そして、学校を卒業しても、どんな職業についたらいいのかわからないというような、我々に近い等身大の人間で、共感は抱けるのですが----。こんな彼は特別なヒーローではなく、どこにでもいそうな青年だったのです。そして、彼が勤め人ではなく商人になったのは、チョコレートの特技をワイン商に見い出されたためだったのです。

        物語のほうは、ワインのラベルと中身が違う事を発見し、それを探っていくうちに、背後にひそむ陰謀に巻き込まれていくというもので、デイック・フランシスなので当然、その過程で主人公が心の裡にあるコンプレックスを振り払い、勇気を見い出し、ヒーローに変わっていくのですが、このあたりの描写がさすがにうまいんですね。

        「利腕」以降のテーマである、"男の恐怖心"をめぐってプロットが展開していくのですが、いつもながらのフランシス節に酔わされてしまいます。

        泥棒にまず殴りかかる。それまで危険を避けるのが自然だったのに、思わず立ち向かってしまうのです。自分にもなぜだかその不合理な衝動がわからないのです。そして、次の瞬間に恐怖を実感するのです----。

        「恐ろしい状況の下で脅えるのは自然な事だ。恐れる事を知らないのは正常ではない。恐怖を味わいながら落ち着いているのが勇気というものだ」と言われて安堵はするのですが、恐怖を味わっただけで、まだ落ち着いてはいないのです。

        そうなると、当然、最後はもう一度恐怖を味わうシーンになり、そして今度は"恐怖をいかにして克服するか"になるのです。

        これから秋の季節の到来を迎え、デイック・フランシスという希代のストーリーテラーの作品を、枕元に置いて、しばらくは眠れない日々が続く事になりそうな予感がしています。







        >> 続きを読む

        2016/09/11 by dreamer

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    • 1人が本棚登録しています
      帰還
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
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      • ディック・フランシスの小説を久しぶりに、本棚の奥から取り出して読みました。読了したのは彼の晩年の作品「帰還」です。

        この物語の主人公ピーター・ダーウィンは、外交官。職業の特性が、その人間の特性を作り上げるという設定は、ディック・フランシスの小説に多く、この「帰還」も例外ではありません。

        このピーター・ダーウィンの場合は「愛想よく関心を示しながら何も読み取られない目をしていること」だ。彼に向かうと誰もが、心に隠していることを話し始めるという極めつけの聞き上手。

        物語は、帰国途中の主人公が、ひょんなことから娘の結婚式に向かう老人夫婦と知り合い、彼らをイギリスまで送っていくところから始まる。

        この老人夫婦の娘が住んでいる町は、主人公が子供時代を過ごした郷里で、その町で静かに進行する陰謀に、やがて彼は立ち向かうことになるのです。

        ディック・フランシスのいつもの例にもれず、謎解きの要素の濃い物語ですが、それは特にどうということもありません。それよりも、主人公の母親と義父、老人夫婦など例によって登場人物のひとりひとりが、生き生きと活写されます。

        今さら言うまでもありませんが、このうまさには、あらためて舌を巻きます。こういうディテールを読むのが、ディック・フランシスの小説を読む愉しさで、もうそれだけで充分なのです。

        ディック・フランシス、老いてもなお健在だということを実感した作品でした。


        >> 続きを読む

        2018/01/26 by dreamer

    • 1人が本棚登録しています
      失投
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
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      • 本作はパーカーによる私立探偵スペンサーシリーズの初期のころの作品であり、スペンサーの性格はなんというかよくしゃべり誰にだってジョークをふるまう人間で、そのくせマッチョっでボクシングや運動が好きなハードボイルドタイプでもある。
        パーカーが作り出したスペンサーという男はよくわからない男だ。作品によっては悪党を殺すことに躊躇しない人間でありながら、別の作品ではどんな悪人でも命乞いされれば殺すことができなくなってしまう。少年を親から引き離して自立させようとするのもあれば、非行少女に高級娼館を進めるなどする。
        硬派とは少々違うハードボイルド、紳士的ではあるが暴力的な作品として楽しめる。
        >> 続きを読む

        2015/04/30 by teem0

      • コメント 3件
    • 2人が本棚登録しています
      ユダの山羊
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
      いいね!
      • スペンサーが本棚にいたので読んでみた。調べてみたら1978年刊行の5作目だった。

        ストーリーは単純で分かりやすいが、なんと言っても会話の応酬が気が効いているうえに、今回も相棒のホークが参戦する。
        この頑固で、出来る黒人はこのシリーズのハードボイルド部分の必須アイテムで頼りになる。しばらく読んでいて見つからないと頁をめくってみたくなる。

        スペンサーは相変わらず
        一一一 インド人の女が(…)私には目もくれなかった。この頃、女がますます私に関心を抱かなくなったのに、気がついた。女性の好みが、二枚目タイプから離れつつあるのかもしれない。一一一 
        と本気か冗談かぬけぬけと思っている。しかしフェミニストだ、憎めない。

        老富豪からの依頼が来る。イギリスで家族と食事中に、テロリストが投げた爆弾で下半身が動かなくなり、娘と妻は即死だった。そのテロリスト9人を探し出して欲しいと依頼される。調べつくして似顔絵もある。殺しても生かしていても報酬は一人2500ドル。いい話だ。

        そこでイギリスに飛び、広告でおびき寄せ3人は射殺。リーダーが2人を殺し、女を残して逃げた。その女を囮にして、ホークと尾行を始め。本拠地のあるコペンハーゲンで2人を、リーダーを追ってアムステルダムからオリンピック開催中のモントリオールに移動する。

        因みにモントリオールオリンピックは1976年の夏、その後この作品が書かれたのか。すでに40年前になる。

        そして観客席や、通路を駆け巡って、ついにリーダーと対面。ホークと2人で格闘の上、おとりにされた女がライフルで撃った。

        富豪というのはいい、経費におまけつきでポケットからぽんぽん封筒が出てくる。鶴の一声でオリンピック全日入場券が届く。満員の飛行機の搭乗券もファーストクラスで手配してくれる。

        スペンサーとホークは命がけの分、経費はふんだんにある。

        ホークは一件落着後、一日150ドルの契約分しかどう勧めても受け取らない。これが彼のポリシーで解決後はさっさと別かれていく。ただ囮で同行したリーダーの女に好かれて腕にぶら下げているが気にしていない。
        ホークは 彼女を刑務所か病院に入れるべきだと思っているが、スペンサーは言う「彼女は<ユダの山羊>だったが、俺の<ユダの山羊>だった。それを、屠所へ送る気にはなれない、彼女は、お前さんと暮らせるかも知れんな」
        何処までもスペンサーはスペンサーなのだ。

        「きみたちは、立派な男だ。いかなる場合でもわしの助力が必要な時は、必ず力になる」と老人は行った。
        こういうことも書ける人なのだな、パーカーは。

        なんとも言えず愉快な話だった。でもこれはどう見ても男性読者向きに書かれたに違いない。
        恋人のスーザンといい、囮の女性がスタイル抜群で美しいところといい。
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        2016/09/09 by 空耳よ

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      レイチェル・ウォレスを捜せ
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
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      • 「スペンサー小説と呼んでくれ」----これは作者のロバート・B・パーカー自身が語っている言葉だ。

        ハードボイルド・ミステリは話が錯綜していて、なかなか全体像をつかみきれないものですが、過去のスペンサー小説は、いつもシンプルだった。

        この作品「レイチェル・ウォレスを捜せ」で私立探偵スペンサーが依頼されたのは、過激な女性解放活動家レイチェル・ウォレスのボディガード。

        レズビアン差別者を名指しで非難する著作を出そうとしたレイチェルは、何者かから脅迫を受けていた。

        非常に優れた思想家だが、神経質で気難しくユーモアを解さないレズビアン、レイチェルのガードは生易しいことではなかった。

        講演会場の図書館、サイン会場の書店、TV局、保険会社と、レイチェルの出向く先々で軋轢が生じるのだった。

        だが、事件に遭う前にスペンサーとレイチェルの間の相剋が決定的になってしまい、スペンサーはクビを言い渡される。

        ここまでが物語の前半で、後半は脅迫通り、彼女を誘拐したRAM(アメリカの道義復興)に肉迫していくスペンサーの活躍が描かれていく。

        このシンプルな二部構成は、一見物足りなく感じますが、各シーンにおける人物描写が圧巻なので、それほど気にならないんですね。

        とりわけ、スペンサーの誇り高き騎士ぶりは、マーロウ型ヒーローの面目躍如たるものがありますね。



        >> 続きを読む

        2018/04/07 by dreamer

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      銃撃の森
      5.0
      いいね!
      • ハードボイルド小説が無性に読みたくなり、本棚の奥から、かつて貪るように読んでいたロバート・B・パーカーの小説の中から「銃撃の森」を取り出して、再度じっくりと読んで見ました。

        ロバート・B・パーカーの"ハードボイルド小説"は、「約束の地」「初秋」「ユダの山羊」などの、私立探偵のスペンサーシリーズが特に好きなのですが、この「銃撃の森」はスペンサーシリーズ以外で最も好きな小説で、とにかくこういう小説に食指をそそられるのです。

        ストーリー自体はすこぶる単純です。マイケル・バー=ゾウハーの「パンドラ抹殺文書」のようにプロットが複雑に絡み合い、錯綜し、そして二転三転するというようなことは何もないのです。

        主人公の作家が殺人現場を目撃し、証言台に立とうとしますが脅迫されて屈服します。そこまでが30ページ。残りの240ページはその屈服から彼がいかに這い上がるか、というだけのストーリーです。

        まったくストレートな構成なのですが、これが唸らされるんですね。この小説は、実は私が考えるハードボイルド小説の理想形に限りなく近いものなのです。

        まず主人公ニューマンは体を鍛え、いささか自分でもそのタフネスさに自信を持っているという設定です。しかし、ギャングの脅迫にあった時、彼は恐怖心にとらえられます。この"タフな男"というのは、幻想にすぎなかったのです。その体の震えが、まず行間からヒリヒリする感覚で伝わってきます。

        このプロローグから前半は、親友のクリスの手を借りてギャングたちとの闘いを決意し、下調べをする描写に費やされます。その間もニューマンは絶えず脅えているという状況が続いて行き、むき出しの暴力と向き合った時の恐怖が克明に描かれていくのです。

        そして、ニューマンが意を決してすがるのは、このまま屈辱に埋もれたままで男は生きていけない、という一点なのです。この前半部が生き生きと活写されているので、後半部の活劇が俄然、生きてくるのです。

        この後半部は湖に浮かぶ樹々におおわれた島での戦闘シーンが描写されていきますが、これがいいんですね。

        ニューマンは最後まで震え続けていて、突然、戦士として雄々しく立ち上がるわけではありません。逃げ道はなく、殺らなければ殺られるのです。闘わざるを得なくなるという筋立てなのです。

        後は、具体的な戦闘の中で彼がどう動くか、その反応が読みどころとなって、ロバート・B・パーカーは我々読者をグイグイと有無を言わさず引っ張っていきます。そして最後にはサバイバル描写まで出て来て、もう言うことはない小説なのです。

        再読して思ったことは、この小説の鍵をニューマンの妻ジャネットに求めることも出来るだろうということです。もし、仮にそう読むならば、これはまた違った色彩を持ち始めるような気もしてきます。

        例えば、この小説を、ニューマンとジャネットの愛の物語と読めないこともないのですが、やはり私はこの小説を"男の復権の物語"として読むほうがピタッとくるような気がします。

        ロバート・B・パーカーは、現代という複雑で巨大な迷路の中で、めくらましにあっている男=ヒーローを、原始的な森に引きずり出して来たのだと思うのです。
        >> 続きを読む

        2016/08/26 by dreamer

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