こんにちはゲストさん(ログインはこちら) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト →会員登録(無料)


宮崎嶺雄

著者情報
著者名:宮崎嶺雄
みやざきみねお
ミヤザキミネオ
生年~没年:1908~1980

この著者の本を読んでいる会員ランキング

このランキングは1日1回更新されます。
      ペスト
      カテゴリー:小説、物語
      3.6
      いいね! Minnie
      • 「われわれはみんなペストの中にいるのだ」
        「僕はヒロイズムというものを信用しません。僕はそれが容易であることを知っていますし、それが人殺しを行うものであったことを知ったのです」

        思いきり久々の再読。大好きなカミュの大好きな一冊。
        普遍性を意図した文章は作者の真意を理解するためにはしっかり読み込む必要があって、思いのほか時間をとってしまいました。あれ?こんなに回りくどい文章だったっけ?と感じたほど。
        けれど記憶にたがうことなくこの名作は完全に私好みの小説でした。
        ラスト近くのタルーの告白以後のスピード感はそれまでの手さぐりで夕闇を歩いているような中間部に比して、快感ですらあります。
        「異邦人」でも感じましたが、いよいよ大詰めを迎えての爆発的な感動はその前のつまらない部分を耐えてこそ(失礼)という気すらしてきます。
        結びの見事な事は指摘するまでもないでしょう。
        深い感動と共感。
        ああ、再読できてよかった。

        何よりもカミュの人間や人生や社会に対する姿勢や思想が好きです。
        「人は神によらずして聖者になりうるか」
        彼こそは真のヒューマニストではないでしょうか。

        ペストは過去の出来事ではありません。人を死に至らしめる病毒はいろいろな形で現代社会を覆っています。
        新しい感染症も出現し、交通の利便化で風土病も輸出されてしまっており、パンデミックの危機は一向に減っていません。
        細菌兵器や放射能汚染などの新たな厄災も加わりました。
        当然ながらより普遍的なのは地震などの天災でしょう。
        天災は、命の危険は一時で終わるかもしれませんが、地域社会の崩壊や生活の復興の困難はペスト以上の長期に渡る不幸であることを私たち日本人は既に知っています。
        そして最大の悲劇はなんといっても戦争です。

        社会的に隔離され個人の自由が束縛され未来もなく死刑宣告を背負って生きること。
        それはペストと何ら変わることはないのです。
        そしてこういった厄災が起きていなくても社会の中に「人を殺すシステム」が存在するという事実があります。
        それを放置している人間達の無関心と妥協の罪。
        むしろ彼はその現実にたいする無知をこそ問題視し罪であると言っています。

        カミュは外的、物理的な疎外だけではなく人間社会のシステムに組み込まれた人間性の疎外を直視し、堂々と疑問を突き付けます。
        社会を糾弾して快感を得る事は誰にでもできますが、カミュは個々人が人間としてどう生きるかを真面目にストレートに問いかけ、かつ答えているのです。

        「天災を受けいれることを拒みながら、医者となろうと努める」人々が必ずいること。
        「人間のなかには軽蔑すべきものよりも賛美すべきもののほうが多くある」


        彼の誠実さと明晰な頭脳と哲学的良心的な心を私は愛します。

        名作とはかようにいつの時代も息づき決して錆びつきません。
        それは素晴らしい事であると同時に悲しいことです。
        彼らが問題にした人間社会の脆弱さがまったく改善されていないことの証拠であるからです。

        せめて個人が自分の善行を果たす決意をすることです。
        彼が否定したヒロイズムに決して溺れることなく。
        >> 続きを読む

        2017/06/30 by 月うさぎ

      • コメント 4件
    • 他5人がレビュー登録、 20人が本棚登録しています
      谷間のゆり
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
      いいね!
      • いろんなところで名前を聞いていましたが、未読でした。誰訳で読むか迷いましたが、とりあえず信頼の岩波文庫で。面白かったです!

        サッカレーの『虚栄の市』と並行して読んでいたら、時代が被って途中少し混乱したりしましたが…語り口がやっぱりフランス文学ですね。
        年上の美女と若い男の組み合わせというのも、いかにもフランス的です。あちらでは、男は女が育てるもの、という考えなのかなぁと思ったり。そして苦い思いをして、男の人はより魅力的になっていくのでしょう。日本の小説にも年上女性と若い男の組み合わせはありますが、そういうのを書くのはたいていが女性作家のイメージです。私が思いつくところでは、芝木好子とかですかね。そもそも貴族社会というのがヨーロッパの特殊なところでしょう。社交界において、女性が華として君臨する文化。そこで若くてきれいなお嬢さんではなくて、堂々としたご婦人に惹かれるのも、やっぱりお国柄なんでしょうかねー。

        しかし『谷間のゆり』の舞台はフランスの田舎です。貴族ではありますが、控えめな女性が貞節を貫く話です。以下、内容に触れますので未読の方はご注意を。






        青年フェリックスの憧れであったモルソーフ夫人は貞節を貫いて死ぬわけですが、結局彼女は満足だったのでしょうか?
        ifの話をしても仕方ありませんが、夫も子供も振り捨てて若い男に走ったとして、フェリックスが心変わりしないとも限りません。そう考えると最後まで少なくとも肉体的な関係にはならなかったことは夫人にとっての勝利であったかもしれません。精神的な連帯感を存分に味わい、私のことを愛してね、ただし親愛の情で、などという無理難題を若い男に強いて、貞節な妻という役目をやりきって死んだ彼女にとっては、ある意味勝利だったかもしれません。
        しかしそれもダッドレイ夫人という浮気相手がフェリックスにいたからでしょう。身体の関係を持つ相手が存在しなければ、フェリックスにこんな生殺し状態が耐えられたでしょうか?そのくせモルソーフ夫人はダッドレイ夫人と関係をもったフェリックスを冷たくあしらうのですから、ひどいものだと読みながらしみじみ思いました。いずれ娘を嫁にやるつもりだったというのも、本当にそんなことができたかどうかはなはだ疑問です。恋は盲目ですからフェリックスはモルソーフ夫人を崇め奉っていますが、いろいろ割り切っているダッドレイ夫人のほうが私は好きです。モルソーフ夫人は自覚のない悪人だと思います。というかフェリックスに、君はそれでいいのかと問い詰めたい。
        しかし好きになってしまったら仕方ないんでしょうね。盲目ですからね。それでも、フェリックスとモルソーフ夫人の愛を純愛とは呼びません。エゴイズムや本能的な情動を、信仰心とか世間体とか貞淑さとか騎士道とかで過剰包装した歪なものです。ダッドレイ夫人も愛想が尽きるってものです。ふたりとも、悲嘆にくれるふりをして充分心で遊んでいるんですから。

        最終的に女性が病に倒れて死ぬというのはフランス文学でよくあるパターンのひとつですが、やっぱりこのままいくとどちらかが裏切らずにはいられないからですかね。完璧な愛は壊れる前に封印すべし。ロミオとジュリエットも、あそこで心中しなければいずれ破局を迎えたのかもしれません。フェリックスとモルソーフ夫人は、崇高な愛というものに酔っぱらっていたようですが、愛ってそんなに気高いだけのものではないでしょう、とダッドレイ夫人は語りそうですし、バルザックもそう思っているのでは?
        ああ、美しい夫人であった、とフェリックスが悲嘆にくれるところで話を終えることもできたのに、最後にナタリーからきっぱり振られているところが、さすがバルザック。このくだりがあるのとないのとでは大違いです。
        昔の恋人の話を子細に語るなんてのは、恋愛的作法でNGなのはどの時代も同じですね。フェリックス、そんなことも知らないなんて、30にもなって…
        ある意味モルソーフ夫人の呪いなのかも。ナタリーは賢明でした。死んだ人にはどうあがいても勝てないし、フェリックスは、もはや一番いい時期は過ぎているようなので。

        しかし脚注を読むと、この後フェリックス君は結婚するそうで、かなり驚きました。その辺は『イヴの娘』に書かれているそうなので、読まなくては…
        >> 続きを読む

        2016/01/30 by ワルツ

    • 1人が本棚登録しています

【宮崎嶺雄】(ミヤザキミネオ) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)

会員登録(無料)

今月の課題図書
読書ログってこんなサービス
映画ログはこちら
読書ログさんの本棚

レビューのある本