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知的障害者(主人公)の日記を通じて、手術前後の生活が分かるお話。本だからこそ表現できる、日記の「誤字」が良かったです。映画「レナードの朝」(1991年)に、お話が少し似ています。所有していた本でしたが、友達に貸して、戻ってきませんでした。2019年、図書館で借りて、再読しました。 >> 続きを読む
2020/02/08 by mirio3
【しあわせということ】 パン屋で働いているチャーリィは、精白なのですけれど、それがために、人を疑うということを知りません。 悪意のある仕打ちをされても、それを善意で受け止めることができます。 彼なりに、しあわせな世界に住むことができていたのだと思います。 ただ、自分が他の人に比べて、賢くないということには気付いていました。 ですから、他の人と同じように賢くなりたいと、思っていました。 そうしたら、もっと、もっとしあわせになれるだろうって、そう思ったのでしょうね。 ある時、最新の脳外科手術のモルモットにならないか?と持ちかけられます。そんな言い方では無いにしても、実際はそういうこと。手頃なうすのろだから、チャーリィが選ばれたというだけのことでしょう。 賢くなれるかもしれないと思ったチャーリィは、一も二もなく同意します。 本書は、映画化もされましたし、日本のテレビドラマにもなりました。 ですが、本でなければ表現できない感動があります。 脳手術を受けたチャーリィの日記がそれです。本書は、「けえかほうこく」というチャーリィの一人称で語られます。 最初は、誤字だらけの、子供がつづったような、たどたどしい言葉で始まります。 それが、少しずつ普通の文章になっていき、そして…… 最後は、チャーリィは、また、今までと同じようにパン屋さんで働いています。 また、毎日をしあわせと感じながら。 この物語については、既に沢山の方がレビューされていますし、有名な作品ですので、私が今更粗筋を語る必用はないと思います。 もし、まだ読まれていない方がいらっしゃったら、是非読んでくださいとおすすめします。 ……大分前、とあるきっかけで、「お勧めの本」を聞かれたことがあって、私はこの本をお薦めしました。 その時、一緒にいた、私なんかよりも、もっとたくさん、とてもたくさんの本を読んでいる(らしい)人から、「そんな甘ったるい本」と鼻で笑われたことがありました。 ええ。良いと思うんです。甘ったるいと感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は、良い本だと、今でも思っています。 どうぞ、是非読んでみてください。とても良い本です。 >> 続きを読む
2019/01/29 by ef177
SF小説のランキングがあると、必ず選ばれる作品ですね。主人公のダニエルは技術者で、自分のロボット製作の会社からマイルズとベルという友人に追い出されてしまいます。まるでスティーブ・ジョブスみたいです。主人公ダニエルは二人に復讐を誓い、コールドスリープで30年後に蘇生することにします。しかし30年後に生き返りますが、世の中(自分に関わる事)は冷凍になる前に思っていたようにはなっておらず、腑に落ちないこともありました。その疑問解決のため、タイムトラベルで1970年に戻ることにします。そして輝かしい未来の幸せを得るため再度コールドスリープで2001年を迎えました。読んでいてドラえもんを思い出しました。ドラえもんの場合は、同時空間に今ののび太と未来から来たのび太がいたりしますが、この本ではダニエル同士がかち合う場面はありません。出会っていたら、どんなストーリーになっていたのでしょうか?次元の話になると、今目の前で流れている時間の裏で、別の次元(もうひとつの世界)が流れているという話がよくされますが、けして交差しない世界だから、というのがあったのでしょうか?だからダニエル同士は出会わなかったのか・・・。タイムトラベルで、1970年にもすんなり戻れたから猫のピートも無事戻ってこれたのですが、もしタイムトラベルがうまくいかなかったらどうなっていたのか?ともふと思いました。ちなみにコールドスリープと聞いて、以前読んだ「人体冷凍 不死販売財団の恐怖」という本を思い出しました。オカルトなとても怖い話の作品でした。この作品では未来は"よき未来"ですが、荒廃した未来を描く作品もある訳で、そう考えると未来はどんな様子になってるか分からない。また30年冷凍されていれば、その30年分の世界は見れない。だったら冷凍されてまで僕は未来にジャンプしなくてもいいやと個人的には思います。余談ですが。 >> 続きを読む
2017/10/25 by Reo-1971
シャーロット・ブロンデ、1847年、英国がヴィクトリア朝時代の作品です。光文社古典新訳文庫では上下巻です。 ジェーン・エアという恵まれない生まれの女性主人公が、家庭教師として仕えるその家の主人と結ばれるまでの話です。 まず読んでいて驚くのが、主人公のジェーンの生きていく姿勢です。 両親を幼くして亡くしたジェーンは、伯父の家に引き取られます。しかしジェーンに対して理解のあった伯父は早くに帰らぬ人となります。 伯母とその子達は、言わば家族ではないジェーンのことをイジメ倒しますが、ジェーンはそれに負けず、言い返しやりかえします。 よくある孤児の物語だと(ある家に居候であれば)、いじめに堪え忍んで裏でシクシクと涙をながすのが常ですが、そうでないんです。 そこにその時代から考えると珍しいであろう、自立した女性が描かれています。 しかも18才になったジェーンはローウッドという40近い金持ちの家に家庭教師として住み込むのですが、そこに客としてくるローウッドのいい女(ひと)に対しても、"あんな人ローウッド様にはふさわしくないわ"と強気です。ジェーンは優れた美貌の持ち主でもないのですが、すごい自信なんです。上巻は家庭教師として赴任してまもなく、ローウッドに恋する所までの物語ですが、後半はどう描かれているのか、楽しみです。ちなみに、ディケンズと同時代のシャーロット・ブロンデですが、作品に描かれている生活文化が一緒なんで、"あー同じだ"とひとりほくそえんで読んでいます。登場人物がプディング食べていたりして。 >> 続きを読む
2017/12/31 by Reo-1971
光文社古典新約文庫、上下巻の下巻。読んでいる最中、何度も心を打たれました。上巻はジェイン・エアの幼少期からローチェスターに出会うまでの物語でしたが、後半はその後、ジェイン(とローチェスター)が様々な紆余曲折を経て、二人が結ばれるまでが描かれています。下巻の始まりでは、二人は幸せいっぱいで愛に満ち溢れ結婚寸前までの状況になりましたが、実はローチェスターには家に監禁状態の妻がいる(それも気が違っている)ことが判り、ジェインは家を着の身着のままで飛び出します。その後ジェインは浮浪者状態となり死にかけますが、すんでのところでセント=ジョンに助けられ、そこで職を得て暮らします。一方ローチェスターは気が違った妻に家に火をかけられ、屋敷は全焼、自信も片腕と視力を失います。離ればなれになった2人だったが、ある日天からのローチェスターの声を聞いたジェインは、元の土地から移り住んでいたローチェスターを探し当て、二人は結婚します・・・。物語はどん底と絶頂を繰り返し、どん底の場面では物語の行く先が心配になり、絶頂の場面(ローチェスターとの運命的な出会い、そして奇跡的な再会)では心を揺さぶられました。作品は愛に充ち溢れ、ジェインの凛とした生き様が心に残りました。この小説の副題はシャーロット・ブロンデの"自伝"だそうです。ちなみにシャーロットは38歳という若さで亡くなっています。そのシャーロットの圧縮された人生の激しい情熱のようなものを、この物語から感じとれたような気がしています。今度、映画も観てみようと思っています。 >> 続きを読む
2018/01/05 by Reo-1971
スティーヴン・キングの「IT」(1~4巻)を、2日間かけて読了しました。最初、斜に構えて読み始めましたが、そのうちに、知らない間にのめり込み、こうなるともう、完全にキングの術中にはまってしまって、この長大な物語から抜け出ることが出来なくなっていました。しかも、最終章に待っているのは、これまでキング作品に感じたことのない感情なんですね。込み上げてくる感動に、いささか戸惑ったのは、キングに対する、ある種の偏見を私が持ち続けていたせいかもしれません。それにしても、参りました。六人の少年と一人の少女がITと闘う1958年と、彼らが大人になってから再び闘う1985年が、絶妙にクロスして語られるんですね。まずプロローグ的な一章、二章に続く第三章は、大人になった彼らが仲間の連絡を受けて故郷の町に戻って来る1985年の〈現在〉で、故郷で残虐な殺人が発生し、その背景に存在する〈化け物〉と再び闘う時が来た、ということだけが、彼らの現在の生活と挿話を紹介しながら、ゆったりと語られていきます。不安を秘めた、実に巧みな導入部だ。26~27年ごとに大量の行方不明者や死者が出ることも暗示され、これに続く第二部からいよいよ〈過去の闘い〉と〈現在の闘い〉がクロスしていく。彼らが27年前の闘いを忘れている設定なので、我々読者には、ITとはなんなのか、彼らはどう闘ったのか、その肝心の部分が微妙に伏せられたまま進んで行くというのも、実にうまい。ITはなかなか出て来ないんですね。膨大な寄り道と言ってもいいが、こういう枝の部分を描くと、キングはもともと群を抜いてうまい作家だから退屈することはないんですね。いつもなら、もっと早く出てこいと悪態をつくところなのに、そんな暇もなく読み耽ったのは、枝が徐々に太い幹に収斂されていく構成のうまさとリズムの良さ、そのバランスが絶妙だからなんですね。そして、何と言っても圧巻は、最終章の第五部だ。ここに至って、ITの正体と27年間の闘いの実態が明らかになるのだ。そこに、現在の闘いをクロスさせていくキングの筆致の冴えは、実に見事だ。過去と現在が、物語上で捩れていくのは珍しくないが、これはその構成とテーマが不可分なのだ。表面的には、化け物の正体にがっかりするという"スティンガー・ショック"に近いものがあっても、もちろんまったく異なっているんですね。愛と勇気の物語という、この感動的なラストの力強さは、もっと根源的なものだと思いますね。 >> 続きを読む
2018/09/11 by dreamer
「ユーニス・パーチマンがカヴァイデイル一家を殺したのは、読み書きができなかったためである」 このインパクトある、自信あふれる出だしの一行。さすが、ルース・レンデル。ルース・レンデルは、P.D.ジェイムスと並ぶ、イギリス女流サスペンス作家、と言われるのですが、調べてみたら、2000年以降、発表はしているものの、日本語訳は出版されていないとのこと。 さて、P.D.ジェイムスと並んで語られるのは、人間の心理の奥深く、その襞まで一枚一枚丁寧にひろげていくような心理描写と、情景描写が積み重なって、重厚なミステリになっているところでしょうか。 ですから、物語は派手ではない、軽くもない、スピーディでもありません。ルース・レンデルが描こうとしているのは、美しい謎ときではないのです。 この物語で底辺にずっと重低音のように続いているのは、イギリスの階級制度です。 ユーニスは、労働者階級の生まれで、戦争もあり、子ども時代に学校教育を満足に受けられませんでした。 問題は、父親が、「読み書きができなくても、生きていける術を娘に教えてしまった」ことです。読み書きができないかわりに、ユーニスが身につけたもの、それは、すぐれた観察力、記憶力、一目見ただけでやり方を覚えてしまうという見取り能力でした。 ユーニスは、いつも活字を恐れています。ちょっとしたメモが読めない。買い物のリストも読めない。 「口数少ない、陰気な女」という不満がだんだん出てくるのは、「余計なことをしゃべると読み書きができないこと」がすぐわかってしまう・・・というユーニスの若いころからの自己防衛であり、その結果、人とのコミュニケーション能力は全く育たないまま、貧乏なまま、暮らしてきました。 身分の差など結局、埋まらない・・・だから、変に立ちいらないで欲しい、とユーチスはだんだん、無愛想、無口になっていく。 最初にぎゅっと締めあげておいて、ゆるめ、だんだん、締めあげる力を強くしていって、最後にとどめのぎゅ、という全体の流れの強弱のつけ方など、流れるようです。 読み書きができても、書物が読めても、上流階級でも人間性というのは別問題・・・ということもこの物語でよくわかるのです。 >> 続きを読む
2018/07/01 by 夕暮れ
11月の課題図書。見覚えのあるタイトルと思ったら、ウィル・スミス主演の映画「アイ・ロボット」の原作だったのですね。ロボットのサニーが可愛かった記憶があります。スーザン・キャルヴィン博士が語る、ロボットと人間の物語。9つの短編集です。ほとんどの短編で彼女かドノヴァン&パウエルが登場し、主役を務めています。とにかくロボットが魅力的です!お気に入りは、人間に造られたことを頑なに認めないQT(「われ思う、ゆえに…」)です。かみ合わないドノヴァンたち人間との会話が面白くて。人間の心が読め、その人達にとって都合の良い回答をするRB(「うそつき」)もお気に入りです。8歳のグローリアとロビィの友情物語は涙、涙でした。前半はロボット、後半はストーリーが良さが光っていました。スティーヴン・バイアリイ氏の正体にドキドキしました。「ロボット工学の三原則」がキーとなりストーリーが展開されていきます。初出は1940年なのに、全く色褪せていないところがすごい。それどころか、スーザン・キャルヴィン博士が同世代だったのが心躍りました。この作品の世界程、発達を遂げてはいませんけどね。現代と比較しながら読むのも楽しい作業でした。 >> 続きを読む
2020/11/29 by あすか
まるでシェイクスピア!というのが第一印象でした。笑いを内に秘めた諧謔や、人間を達観視した分析的な言葉が散りばめられ、人物像を浮き立たせる会話を中心に展開しています。何とも演劇的です。セリフはもちろんドラマチックな見せ場も舞台映えしそう。一方、作家の人柄を反映した率直さが感じられる点などは、近代を先取りした新しい文学の萌芽と評価されたことと納得できます。われわれが読む時その価値に気付かないほどに、現代の文学に近いものがあるように思いました。例えばドイツ文学に比較してみれば、本作は余りに違うでしょう。オースティンは難解な文学だと聞いたことがあったのですが、それも全く感じませんでした。日本語の文学と似た話法を使っている為もあるかもしれません。オースティンの英語は「文の骨組み自体は、仮定法、分詞構文、倒置、強調、省略の連続」だそうで、本書の読者層は上流階級の人々でした。読みやすいと感じられたのは、ひとえに翻訳がきちんとしていた為だったのでしょうね。ありがたいことです。それにしても男性優位の英国社会において、中流階級女性の活躍が難しいものであったことは想像に難くありません。しかもこれを書いたのが20代の頃だと言うのですから驚きです。まるで実在する人物のような性格設定、セリフの妙、心理分析、階級社会の正確な描写、ヒロインの魅力、文章力などが後の文学に大いなる影響をあたえたかもしれません。彼女の文学の系譜にアガサ・クリスティが連なるのではないかしら?などと想像してみました。少なくとも私にはとても似ている部分があるように思えました。では「高慢と偏見」とはどんなストーリーなのでしょうか?時はナポレオン戦争時代。ヴィクトリア朝時代以前のちょっとゆるい時代。中流及び上流階級の、土地や財産を持ち労働をせずに暮らしていくのが当たり前の地主(ジェントルマン)達。要するに金銭的に恵まれた人達の結婚願望が描かれているだけ…っちゃだけです。舞踏会やら狩猟やらお食事の招待やらで頭が一杯の日々を送っています。事件らしい事件は起こりません。最大の事件が駆け落ち…っていうか結婚しないまま男女が行方をくらまして同棲したってレベルです。上巻では、主役のエリザベスの目は上流階級や外見という「時代的社会的価値観」を引きずった「偏見」と自分の賢さという「自尊心」により曇っており、感心する程の魅力を発揮してはいません。これって面白いですか?英国社会に興味がない人にはそれほど面白く思えないのではないかしら?でもこんなたわいのないストーリーを興味深く読ませる技量が作者にはあるのです。簡単に言うと喜劇の要素です。エリザベスのモノローグや人々のセリフに演劇的な喜劇の要素が存分に含まれているんですね。物語はこう進むのではないかという期待を読者に持たせつつ下巻へ!【登場人物】(ベネット夫妻とその5人の娘たち)ジェーン 長女 心優しき美女 まさに「天使」 エリザベスと仲良しエリザベス 次女 主人公 聡明で快活で行動的な美人 父の寵愛を受けているメアリー 三女 姉妹の中で最も不細工なため教養こそ人間の価値と勉学に励む変人女となる作者にも虐げられている気の毒な存在キャサリン(キティ) 四女 末の妹に感化され浮ついていたがあまり自分がないタイプリディア 五女 歳の割に長身でませている おしゃれ好きで男好き 愛嬌のある積極的な性格で世間体などお構いなし 母親が溺愛しているためワガママで奔放(婚活相手の男たち)チャールズ・ビングリー 優しく人当たりの良い金持ちのボンボンダーシー 貴族の叔母を持ち大金持ち。上流階級クラスの家柄の当主 非常にプライドが高い男 正直すぎて損をするタイプ 裏返せば誠実であるジョージ・ウィッカム 美男子で話し上手で上品さもあるモテ男 ダーシー家の使用人の息子だが現在はダーシーとは険悪な間柄 軍隊に所属 ウィリアム・コリンズ ベネット家の親戚で相続権をもつ牧師 25歳の若者とは思えない卑屈さと尊大さの混淆した奇妙な性格の男性でベネット家の娘を花嫁候補と考えエリザベスに求婚する(近所の住人)シャーロット・ルーカス エリザベスの親友 父は貴族の称号を持つが成り上がりで貧乏 器量もよくないために売れ残りを心配されている女性にはファーストネームがありますが男性は名前で呼び合うシーンはありません。(特にダーシーの名が不明です。彼の名をフィッツウィリアムとしている記事もありますが、フィッツウィリアムは苗字のはずですから家系を示すミドルネーム的に使われるものではないかしら?)また興味深いことに、コリンズ氏以外は自分の考えや心の動きなどはほとんど描かれないのです。男性の無名性には、かなり恣意的なものを感じます。社会が押し付ける父権的なもの男性目線の価値を否定したい気持ちは伝わりますが、一方で美女でないと女は価値が下がるという「事実」を描いて見せてもいます。ジェンダー的意識は作者にはどうも無いようです。女性が家庭内で料理をすることを貧乏の証明になるとして退けていることからも、所詮は著者の環境(中流階級)を肯定するレベルの社会意識を反映しています。(労働者階級の人間は個性を持った存在としては描かれません)形は恋愛小説なのにいろいろいいたくなる小説ですね。なんとも。 >> 続きを読む
2017/05/11 by 月うさぎ
「なんて見下げはてた真似をしたのだろう!」エリザベスの目からうろこが落ちていく様が楽しい下巻。ここまで赤裸々な自己分析ができる女性を描いた小説はおそらく以前にはなかったでしょう。聡明で柔軟で快活な彼女の人柄がいよいよ開花する感覚。エリザベスの衝撃シーン。少々長いですが引用してみます。「このわたしが、炯眼を誇るこのわたしが!才気を自慢にしているこのわたしが!何事もよいほうに考える姉を小馬鹿にしていたこのわたしが、いたずらに人を疑って己の虚栄心を満足させていたとは。まったく面目丸つぶれの大失態ではないか!とんだ恥さらしだ!たとえ恋をしていても、これほど物事が見えなくなるとは。愛情ではなく、虚栄心がわたしの目を曇らせてしまった」その後、エリザベスがダーシー様に惹かれていくのを自覚し、何度も自問するところなどは、今度こそ自分に正直になろうとする真摯さに好感がもてますし、心の変化も不自然ではありません。演劇的な滑稽さと写生的な表現のバランスがとれており、ドラマティックでありながら目の前でおこっているような自然さが失われないのはオースティンの筆力のなせる業だと思います。最初こそシェイクスピアっぽく始まりましたが、作者の関心は徐々に言葉よりも心のほうに軸が移ったようで、エリザベスその人を丁寧に丁寧に描いていきます。身分という社会規範に無条件に従うことなく、自分の心をありのままに見つめる姿勢は、今では当たり前の人としてあるべき姿かと思いますが、この時代では型破りだったことでしょう。そんな女性を応援している自分がいました。オースティンもまたエリザベスを実の娘の様に愛していたそうです。きっと自分の分身でもあったのでしょう。そうでなかったならこの小説が放つ魅力は半減していたに違いありません。多くの恋愛物語が理想化した女性を崇め奉る狂った心に酔いしれる男の独白なのに対し、エリザベスの心理描写のクールさが気持ちいいです。やはり女性はこと恋愛に関しても男性よりも実用的。男を見る目に「経済力」という要素が絶対的に絡んでくるということも外すことはできません。そんな「世の常識」を破る存在は末娘のリディアです。お金持ちの男よりも色男への恋に一目散。あまりに考え無しの幼い恋ですが、潔くさえあります。彼女は当然家族のお荷物のダメ娘として描かれますが、著者の中に彼女を礼賛したい気持ちがゼロとは思えません。世間では認められない奔放さを一種の憧れとして、自分の中に秘めていなければ、リディアをあのようにいきいきと活躍させることは難しいでしょう。リディアが主人公なら…と妄想した私ですが、実際にパロディが出ているらしい(?)リディアと真逆なのはシャーロットです。こちらは物語のヒロインには絶対なれない平凡な女性です。しかし現実的には彼女の生き方が賢い選択であり自己実現を地道に目指す彼女の生き方が正当なのです。シャーロットは身分は貴族の家柄のお嬢様ですが、格下のコリンズ氏との結婚を決断しました。(当時の社会常識としてありえない縁組なんだそうですよ)最初は親友が身を落したと失望したエリザベスもシャーロットの生活を間近にして考えを改めます。女は夫に生活面で頼らざるを得ませんが精神性まで支配されずに自分に対するプライドを保つことはできるのだということを彼女を通して学んだのです。これをテーマに小説にすればすごい作品になったかもしれませんが、時代はそこまで進んでいなかったということでしょうね。結果的にエリザベス自身は「尊敬できる男性」と格上婚をしてシャーロットのような努力は不要なご身分になるのです。最後はシンデレラ物語でThe Endなのでした。このように実は本作は小説としては破綻しています。あれこれドタバタした挙句の果ては、エリザベスはこの二人から何も学ばないでいいご身分になってめでたしめでたしなのですから。「高慢と偏見」は恋愛群像劇の映画を見慣れている今でこそ普通に感じますが、物語のテーマは一つではなく、誰の立場から見るかによって異なった意味が出てきてしまう訳です。実はそういう難点があるほうが論議がしやすい(つまり論文が書きやすい)んですよね。告白すれば、残念なことですが、オースティンが文学的にどれほど優れた「文章力」を持っているのかは翻訳家でも文筆業でもない私には理解しきれませんでした。プロ好みの文章なのかもしれません。英国でもジェーン・オースティンのファンは知識自慢の男性がメインだったそうな。当時の社会常識では女性が小説家になるということはまだ認めてもらえなかったそうで、オースティンは匿名、その後に登場するブロンテ姉妹も男性の名で作品を発表していたそうです。これらの小説の女性的なことっていったら!!見破れない方がおかしいと思うのですが…ね。ちなみに今回選んだ翻訳は小尾芙佐氏の新訳古典文庫です。同じ翻訳者の「ジェイン・エア」と比べたいという思いもあっての選択でした。彼女の努力はオースティンの時代と文章のニュアンスを再現することに向けられています。現代風にアレンジしたり自己の余計な言葉をつけたしたりをしていないように感じられました。多少現代文的には読みづらかったり言葉が古めかしく思われる方もいらっしゃるかと思いますが、私としては子供の頃に読んだ「小公女」などの文学に近い世界観で懐かしかったですね。また原文の発音になるべく似せたいということでしょうが、MRをミスタと表記している点が(好き嫌いは別れるでしょうが)彼女の工夫のようです。その昔はMRは「氏」SIRは「卿」と一律に訳すのがお約束だったみたいですが。文学的価値ということを考えなければ、エリザベスは自立もしなければ冒険もしない。金持ちと恋愛結婚し玉の輿と周囲に祝福されめでたしめでたし。という王道の物語なのですよね。エリザベスは既存の価値に挑戦する気概はある女性ですが実質的に彼女が自らの人生を切り拓く要素はゼロです。ゴシック小説というジャンルの、心理無視の非現実的メロドラマが当時から存在し、その殻を破った新鮮な作品ではあったようですが。新しさというよりは「現代に通じる」という評価が概ね一般的なのはそのためでしょう。私が恋愛小説が苦手なせいかもしれませんが、テーマ性という点からみると、いまひとつ大作という印象は受けませんでした。いや、それもオースティン自身が100も承知のことみたいですね。彼女の小説とは「二インチ四方ほどの小さい象牙板に施されたきれいな彫刻」なのだそうですから。その繊細な美や職人の手仕事をこそ堪能すべき小説だと思います。 >> 続きを読む
2017/05/17 by 月うさぎ
【パラ宇宙の崩壊】 ある時、物理学者のハラムは、大分前から研究室に放置されていたタングステンが変異していることに偶然気付きます。 分析にかけてみると、何だって?! プルトニウム186だって?! プルトニウム186などという物質は、この世界には存在し得ないはずなのにこれは一体どういうことだ? 実は、このプルトニウム186は、平行宇宙(パラレル・ワールド)からタングステンと交換に送り込まれたものだったのです。 平行宇宙と、私達の宇宙とでは自然法則が異なっているため、私達の世界では存在し得ないような物質もあちらの世界では存在できるのですね。 こちらの宇宙から消えたタングステンも、あちらの宇宙では存在し得ない物質なのでしょう。 これがきっかけとなり、両宇宙の間で交渉が始まり、互いの世界の物質を効率良く交換するための「エレクトロン・ポンプ」が建造されました。 その結果、私達の宇宙では異世界から来るプルトニウム186を使って、無公害、無料、無尽蔵のエネルギーを手にすることが可能になり、人類の生活は一変しました。 これはすべてハラムの業績と評価され、ハラムは「エレクトロン・ポンプ」の父として科学界で絶大なる権力を手中に収めたのです。 とは言え、実際のところ、ハラムがやったことと言えばプルトニウム186への変異に偶然気付いただけであり、その後の「エレクトロン・ポンプ」の建造も、平行宇宙から送られてきた設計図の通りに作ったというだけだったのですが。 ハラムは、自己の地位を守るために、その絶大な権力を使って、真実を明らかにしようとする科学者をことごとく蹴落としていきます。 ハラムなんて何もしていないじゃないかと批判していた一部の科学者は失脚していくのですね。 さて、この平行宇宙との交渉ですが、両宇宙にとって良いことだらけのように思われました。 しかし、中には疑念を持つ科学者もいたのですね。 両宇宙が「エレクトロン・ポンプ」によってつながっているということは、両宇宙の異なる自然法則が徐々に混じり合っていることであって、強い核融合力が生じやすい平行宇宙の法則が私達の宇宙に流れ込むことにより、私達の宇宙の核融合が生じ易くなり、終いには太陽などが不安定となって核融合を始めてしまい爆発する…… もちろん、平行宇宙は強い核融合力が生じにくい私達の宇宙の自然法則が流入するため、ただでさえ小さい平行宇宙の太陽(核融合が生じやすいので我々の宇宙の太陽のような大きな天体は形成されないのです)はますます冷えていってしまうのですが……。 これは両宇宙にとって破局ではないか! そう気付いた両宇宙の一部の人々は、「エレクトロン・ポンプ」を直ちに止めるべきだと主張しますが、その恩恵にどっぷり浸かっている大多数の人々は、そんな危機など起こり得ないという主張に加担し、破局を信じようとはしません。 実は、ここに罠があったのですね。 私達の宇宙は確実に破滅するでしょう。 しかし、この「取引」を始めた平行宇宙にとっては、自分たちの太陽が冷え切ろうとどうなろうと実はどうでも良いことだったのです。 太陽からのエネルギーが得られなくても、ポンプさえあれば異宇宙から莫大なエネルギーを入手できるのですし、異世界が核融合反応によって爆発しても、それは今にも増して莫大なエネルギーが異世界に充満するだけのことで、それを入手すれば何も困らないのです。 つまり、異世界が崩壊しようが、その犠牲によって自分たちの宇宙は永遠に安泰というわけです。 そのことに気付いた私達の世界のほんの一部の科学者は、何とかしなければと躍起になるのですが、「エレクトロン・ポンプ」を止めることはどうしても叶いそうもありません。 一体どうすれば……。 という作品なんですね。 タイトルの「神々自身」とは、シラーの「愚昧を相手にしては、神々自身が論ずるも空し」から取られたものです。 つまり、ハラムや「エレクトロン・ポンプ」の恩恵にどっぷり漬かって、危機を省みないような「愚昧」を相手にしていては、壊滅の危機を察知した「神々」だって空しい所為しかできないのではないか?という皮肉に満ちたタイトルになっています。 なかなかに凝った設定の一冊です。 本書は、ヒューゴ賞、ネビュラ賞のダブル・クラウンに輝いた作品ですよ。 >> 続きを読む
2019/08/09 by ef177
凄く良かった。アルジャーノンに花束をの小説ができる過程から世に送り出されるまでの過程を知れた。小説ができてからというものの、世に送ることにダニエルキイスは苦労したんだなぁと感じた。今と昔では作家の求められるレベルが違うだろうし、大人の事情がこんなにも一つの小説に介入しているんだと大変だなぁと感じた。小説は作家のすべてが映し出されているものだと思ったが、こんなにも編集者や出版社から、この物語はこう変えた方がいいとか口出しされるもんだと知って、小説家は芸術家ではないんだと自分の勘違いを認めた。それにしても出版社が最初に提案した「アルジャーノンに花束をは、チャーリイの知力を後退させるのはやめて、天才のままキニアン先生と無事結婚、めでたしめでたしで、小説を書き直してくれ。読者はハッピーエンドを好むんだ。」とダニエルキイスに提案したシーンは、あほか!と思った。そのように書き直してくれたら、この小説をうちから出版しよう!なんてダニエルに提案するが…やれやれ。出版社は売れるものを世に出したい。作家は自分が良いと思ったものを世に出したい。それを私たちは読んで何を感じる。そういうことも考えさせられた本だった。 >> 続きを読む
2015/10/03 by snoopo
死体がない殺人という紹介に惹かれて買った。犯人のまさかの正体にびっくりだった。オリヴァ夫人がけがをしたと聞いた時のポアロの悪態が頭に残ってます。これいいね! >> 続きを読む
2014/10/31 by えま子
この物語の主人公は、ルウ・アレンデイルという30歳を過ぎた架空の自閉症の男性です。 そして、この物語の舞台は、現在よりもちょっとだけ先の、明確には書かれていませんが、おそらく私たちがまだ生きているであろう程度の「未来」と受け止められます。 描かれている社会環境や生活習慣は現在と異なることは全くありません。 ただ、少しだけ、おそらく現在にはないであろう医学的な技術が盛り込まれているだけです。 この本の冒頭に書かれている「謝辞」を読むと、作者は実際に多くの自閉症の方達と接してきた経験があるようです。 そして、この本を書くにあたって。それらの方達との接触を断ったとのこと。 それは、この作品はあくまでもフィクションであり、特定の、実在する自閉症の方をモデルにしたわけではない、しないようにするために、自分の中の記憶を不鮮明なものにするためにそうしたのだそうです。 さて、物語のあらすじをご紹介しましょう。 主人公のルウは、とある企業の「Aグループ」と呼ばれるセクションで働いている独身男性でした。 「Aグループ」というのは、自閉症の人たちばかりを集めたセクションで、彼らの精神の安定のために、勤務中でも好きな音楽を聴けるシステムや、これも精神の安定に効果があるらしいトランポリンがあるジムや、色彩に関する効果を生み出す(様に思えたのですが)ぐるぐる回る「扇風機」のような物などを、企業の費用で備えたセクションでした。 作中で十分に解説されているわけではないので詳しくは説明できないのですが、ルウなどの自閉症の人たちは、健常人(ノーマルと作中では呼称されていますが、つまりは普通の、私たちみたいな連中です)に比して、「パターン」の認識能力に優れているのだそうです。 そのため、ルウ達は、「ノーマル」が見ただけでは分からないような、パソコンのディスプレイ上に映し出される複雑なデータを見て、そこからある「意味」を見いだす仕事をしていました(つまりは、ある種のプログラミングのような仕事なのでしょうか?)。 事実、その「Aグループ」は非常によい業績を上げていました。 ルウは、大変几帳面で、きれい好きな性格の良い、とても素直な男性でした。 自閉症の人たちは、自分が自閉症であることを(世間がそう「見ている」ことを)知っていました。 そして、実際、自分たちが、「ノーマル」の人たちと同じように振る舞えないことを自覚していて、それを「負」の要素として自覚していました。 社会は、彼らに対して、「自分は自閉症です」というカードを持たせていました。 それは、社会生活の中で、対応ができなくなったときに、そのカードを見せろということです。 そうすれば、「ノーマル」な連中は、「あぁ、自閉症なのか」と分かってくれるということです。 ルウは、「ノーマル」な人たちの言葉を理解することに苦しみます。 嫌だったら、どうして「嫌です」と言わないのだろう? どうして「考えてみましょう」などと言うのだろう。 ルウは、「考えてみます」と言うのは、考えることじゃないのだろうか……と、本当に素直に悩んだりもしました。 でも、経験を経て、「ノーマル」がそういう言い方をする時は、本当は考える訳じゃないのだということを学びます。でも決して納得はしないのですよ。やっぱり、どうして、そう言うのだろうという疑問は残り続けているのでしょうね。 ルウは「ノーマル」な人たちが運営しているフェンシングのクラブに入ります。 最初はどうにもならないわけですが、徐々に腕を上げていきます。 私は、フェンシングのことは知らないので何とも言えないのですが、例のノーマルには無いルウの「パターン」認識能力が徐々にフェンシングに応用されていきます。 つまり、相手の攻撃、防御のパターンを、まるで音楽を聴いているように見切ってしまえるようになるのです。 ルウのフェンシングの腕は格段に向上し、上級者をもうならせるほどの腕前になります。 ルウはそこで、マージョリというノーマルの女性と出会います。 ルウは、マージョリとのフェンシングの剣の接触に独特の感覚を覚知し、あるいはそのフェンシングを音楽の様にとらえ、それをとても心地よいものとして認識します。 また、マージョリの髪の色についても大変な魅力を感じます。ノーマルの目には、マージョリの髪は茶色にしか見えないようだけれど、もっと沢山の色がある。それが光の具合によって美しく変わる……などと覚知します。 それは、恋をしているのでしょうね……僕たち「ノーマル」の感覚としては。 ええ、ルウだって「恋」という概念は理解しています。ですが、「ノーマル」が言うところの「恋」と自分が感じている意識とは同じなのか、をはかりかねるわけです。 加えて、恋愛感情やsexのことも知識としては理解しているのですよ(自閉症というのは、この作品を読む限りにおいては、理解には何の障害もなくて、ただ、それを表現し、フィードバックする部分にトラブルがあるため、自分の知覚の検証が妨げられてしまい、その結果認知が阻害されてしまうのではないか……などと勝手なことを感じたりしました)。 だけど、恋愛やsexという意味(文字面の意味じゃなくて)を検証できなくて、ただ事実行為としてそういうことをするという観念におぞましさのような気持ちを感じたりもしていました。 ノーマルな人たちは、あんなことをすることが平気なのだろうか……って。 ……あぁ、それって、私たちが初めてそういうことがどういうことかって知ったときの気持ちに近いかもしれないね。 はたまた、自閉症のエミーという女性は(おそらくルウを愛していたのでしょうね)、ルウはノーマルとつきあっている、マージョリと恋人関係にあると声高に、執拗に非難し続けます。 その感情の奥に潜む「キモチ」の切なさも……賛同はできないけれど、私なりに理解できるようにも思えました。 この後に起きること。 ルウの命が狙われるような事件が起きます。その理由は? ルウには全く落ち度はありません。 あぁ、人間って……て奴かも。 ルウの勤めている企業に、トンデモな上司が赴任します。 彼は、ルウ達自閉症の「Aグループ」に無駄な金が費やされていると主張し(全く外れているのですが)、「おまえらクビになるか、自閉症を治す手術のモルモットになるかどっちか選べ!」とまぁ、極端に書くとそういう汚い違法な強制をします。 もちろん、簡単に言えば、モルモットになった研究データを金にしようという魂胆なんですけれどね。 さて、ルウはどういう選択をするか…… というのが、かなーり書き過ぎとも思える下手くそなご紹介でした。 フィクションですし、設定に、今はないことも沢山あります。 自閉症の一端は知ることができるかもしれませんが、それがオーソライズされた見解であるという保障は何もありません。 ですが……、私のように、自閉症ということに対する知識が全くなかった者にとっては、「偏見」(私は、そのような気持ちは持ったことはないし、決して持ちたくはないとは思っていましたが、でも「知らない」ということは「偏見」と大差がないことなのかもしれないと感じました)を持たないように……という意味はあるように思えます。 くらやみの速さはどれくらい? 光の速さは分かっている。 くらやみは光が届かないところに、いつも、ある。 だから、くらやみは、光より速いのかもしれない。 光はくらやみに、追いつけない。 >> 続きを読む
2019/02/26 by ef177
ようやく二冊目を読み終わり、まだ中盤なので展開が読めないがどうやら「IT」は子供だけに見えて大人には見えない様だ。でも、主人公の子供達は大人になっても「IT」が見えてはたしてこれが現実か錯覚かで悩んでいるようだ。そして作中には「アイアンメイデン」「チャック・ベリー」「ブルース・スプリングスティーン」「ジューダス・プリースト」などなど軽く私の好きなロック関係の話しも有り読んでいて楽しいです。 >> 続きを読む
2018/02/06 by rock-man
今までで、一番面白い話しの内容です。只話しがあっちこっちに飛んで読みずらい。唯一女の子の「ベヴァリー」に恋が芽生え今後それが楽しみです。最後の方でITと戦うシーンがあるが、これからどうなるか。ようやく、次が「4」で最後です。それにしても長くて大作だなあ。 >> 続きを読む
2018/02/25 by rock-man
やっと、この超大作を読み終わりました。正直言って読みずらい。少年時代の場面か大人時代の場面か良く解からない箇所が多々ある。こんなに読みずらい本も久振りかな。あまりにも余談が多すぎる。あまり、人には薦められない本です。まあこんなもんでしょ、スティーヴン・キングは。 >> 続きを読む
2018/03/18 by rock-man
【小尾芙佐】(オビフサ) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)
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