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塩野七生

著者情報
著者名:塩野七生
しおのななみ
シオノナナミ
生年~没年:1937~

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このランキングは1日1回更新されます。
      コンスタンティノ-プルの陥落
      カテゴリー:小説、物語
      4.7
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      • 塩野七生の地中海戦記3部作の1作目の作品「コンスタンティノープルの陥落」を読了。

        紀元1453年5月29日、オスマントルコの猛攻によって陥落したビザンチン帝国。
        西暦330年、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって建設されて以来、1123年間もの間「ビザンチン帝国」とも呼ばれる、東ローマ帝国の首都であり続けたコンスタンティノープル、

        「コンスタンティヌスの都」という意味である、コンスタンティノポリスは、オスマントルコ帝国のスルタン・マホメット2世率いる、スルタン直属の最精鋭部隊・イェニチェリ軍団2万人を中心とする、10万人の大軍勢を前に、陥落を余儀なくされることになった。

        ビザンチン帝国最後の皇帝は、奇しくも創始者と同じ名前を持つコンスタンティヌス11世だった。

        この作品は、様々な立場にいる人々の視点から描いた、多層的な物語だ。
        この歴史的な出来事の現場証人となるのは、ヴェネツィアからトレヴィザン提督の船医としてやって来たニコロ、フィレンツェ商人のヤコポ・テダルディ、セルビア騎兵を率いる22歳のミハイロヴィッチ。

        ローマ法王の代理として、ギリシア正教会とカトリック教会の再合同に着手することになった、50歳のイシドロス枢機卿、コンスタンティノープルの僧院にいる合同反対派のゲオルギオス、その弟子のイタリア人で21歳になったばかりのウベルティーノ。

        コンスタンティノープルの市街を一望のもとに見渡すガラタ、ジェノヴァ居留区の代官・アンジェロ、ロメリーノ、ビザンティン帝国最後の皇帝・コンスタンティヌス11世の右腕・フランゼス、そしてマホメット2世の小姓を務める12歳のトルサン。

        戦闘場面が中心の記述で、当時の戦闘の様子をこれほどまでに克明に描きあげているのは素晴らしいですね。
        恐らく、著者はいつものことながら、相当の下調べをしていると思う。
        そして読んでいて、それぞれの立場からの視点の違いがとても興味深いのだ。

        マホメット2世は、ただ単に、一つの都市を欲しがったのではない。
        それは大きな理由があってのこと。
        コンスタンティノープルは、アジアとバルカンを結ぶ交通の要所であり、同時にビザンチン帝国の首都を手中にすれば、かつてのビザンチン帝国領土全域に領有権を主張できるのです。

        この陥落があったからこそ、その後のオスマントルコの繁栄があったのだと思う。
        そして、西欧人にとって最終的に唯一「皇帝」と呼ぶに相応しい東ローマ帝国皇帝、及びその国を消し去ってしまったことによる西欧人への衝撃の大きさをも、この作品からは計り知ることができます。

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        2021/04/04 by dreamer

    • 他4人がレビュー登録、 10人が本棚登録しています
      ローマは一日にして成らず
      カテゴリー:古代ローマ
      4.0
      いいね! tomato
      • 塩野七生の文庫版「ローマ人の物語」43巻の読み初めの「ローマ人の物語1 ローマは一日にして成らず[上]」を読了。

        木馬で有名な戦いで敗れた、トロイの王の血筋の落人たちが、辿り着いたイタリア西岸で、何代か後の子孫である、ロムスとレムスという双子が、ローマ建国者となる伝承の紹介からこの物語は始まっています。

        テヴェレ河に打ち捨てられた双子は、狼に育てられ、やがて羊飼いに引き取られ、羊飼いのボスとなって、やがて自分たちを捨てた、トロイの王家の子孫であるアルバの王(アルバロンガの王である娘が双子の母親で、ここでいうアルバの王は双子の母親の叔父です。 彼が王の座に就いたとき、将来自分を脅かすだろ王位継承者の資格を持つ双子をテヴェレ川に捨てたというわけです)を殺し、その後アルバ(ロンガ)には戻らず、ロムルスの名前を取った、ローマの国を自分たちが捨てられたテヴェレ川の下流に建設したのです。
        B.C.753年のことでした。

        ローマ人は戦いの末、ラテン民族であるアルバ人、サビーニ人、土木建築技術に優れたエルトリア人等を攻略していきますが、他民族を淘汰するのではなく、ローマにある七つの丘に、それぞれ、それらの人々を住まわせローマ化(同化)を図って大きくなっていきます。
        エルトリア人技師等によって運河や土木建築、公共建造物などの都市開発も進みました。

        このエルトリア人技師を取り込んで発展する様は、時代が違いますが、7世紀の日本が、白村江の戦いで滅んだ百済から多くの官僚、政治家、技術者等の亡命貴族を受け入れ、律令国家を確立した過程によく似ています。
        優秀な人材は、とても貴重です。

        ロムルスを初代として、ローマの王制は7代、244年(B.C.753年~509年)で終わりますが、元老院制度から、多民族同士の習慣、考えの違いを律するための法制度の制定、さらには軍制=税制=選挙制等の立脚などを行なっていきます。

        7人の違った部族の王が、ローマの指導者として、次から次へと出来過ぎと思われるくらい適時、適材適所の働きをして、やがて個人のリーダーシップよりも、法が支配する共和制国家に変わっていきます。

        王、元老院、市民集会というローマの発展を支えてきた三本柱の王が、執政官に変わっただけで、三極構造の機関設計は変わらないものでした。

        こうしたローマの発展過程を読んでいくと、そのプロセスがアメリカ合衆国によく似ているなと感じます。
        最初はWASPが、そして黒人や、アイルランド人、イタリア人等、様々な民族で、様々な宗教を持った、多種異民族の集合体法治国家として大きく発展してきたアメリカを彷彿とさせられます。

        共和制への移行と共に、それまで支配階級だけのものとされた法の適用を、民衆が要求し始め、法の成文化が急務になります。

        そこで、ローマから三人の元老院議員からなる調査団が法治都市国家として、先進国であるギリシアのアテネとスパルタに派遣されることになったのです。

        ここから時代は、B.C.1700年~B.C1500年のクレタ文明にまで遡り、トロイの落城で凱歌をあげた、ミケーネ文明のB.C.1200年頃の衰退を経て、B.C.800年前後のギリシア文明への言及となります。

        私は漠然とギリシア時代の後がローマ時代だと勘違いしていました。
        ギリシア文明が早々と衰退しただけで、ローマ時代初期とギリシア時代は、ほぼ同時代のものだったんですね。

        B.C.776年に、第1回のオリンピア競技大会がギリシアの地で開催されています。
        ローマ建国は、その13年後です。

        イタリアの南にあるナポリも、元々ギリシア人の勢力圏内でした。
        「ナポリ」の地名はギリシア人が、新しい都市国家として目星をつけた新しい都市国家(ネア・ポリス)が語源となっています。

        ギリシア人は、ポリスと呼ばれる都市国家集団で、ドーリア人によって建設されたスパルタとアカイア人によって建設されたアテネが、ポリスの代表として有名です。

        普段は、ポリス同士で仲が悪い彼らですが、共通の敵ペルシアには結束して立ち向かいました。
        難敵ペルシアをエーゲ海から駆逐した「サラミスの海戦」の下りは、ワクワクしながら読みました。

        ローマが参考にしたがっていた、アテネの市民集会の直接民主制(市民一人に一票)や、追放したい人の名を陶片に記して投票する、陶片追放と呼ばれた一種の(独裁制)自浄システムのエピソードも面白く読みました。

        作家の伊坂幸太郎が、「ホワイトラビット」の中で「レ・ミゼラブル」のヴィクトル・ユゴーが『これは作者の特権だから、ここで話を前に戻そう』とか、『ずっとあとに出てくるはずの頁のために、ひとつ断っておかねばならない』とか、妙にしゃしゃり出てきていることを面白おかしく紹介していました。

        塩野七生も、それから司馬遼太郎も、結構そうした傾向がありますね。
        そして、私はそれが嫌いではありません。
        塩野七生の作品には、ふんだんに地図を差し挟んでくれていて、文中の地名などを地図で確認する作業も、実に愉しいですね。

        この作品の中では、「スキャンダルは、力が強いうちは攻撃してこない。弱みがあらわれたとたんに、直撃してくるものである。それが当人とは無関係な事でも、有効な武器であることでは変わりはない。」という彼女の含蓄のある言葉が心に残りました。

        後は、蘊蓄として、戦略(ストラテジー)の語源は、ポリス国家アテネの内閣の構成員となる1年任期の10人に命名された「ストラテゴ」(国家政略担当官)であること。
        ローマの王制を廃し、共和制の最初の執政官となった、ルキウス・ユニウス・ブルータスのブルータスは、馬鹿者を意味する言葉であること。

        続いて、執政官となったヴァレリウスは、王制から共和制への舵取、それから民衆懐柔策として、民衆の権益にすり寄った法改正を行ない、それが公共の利益を重んずる「ブブリコラ」という綽名を付けられましたが、そのブブリコラが、パブリックの語源であること等を知りました。

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        2021/12/09 by dreamer

    • 他4人がレビュー登録、 13人が本棚登録しています
      ローマは一日にして成らず
      カテゴリー:古代ローマ
      4.2
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      • 塩野七生の「ローマ人の物語2 ローマは一日にして成らず[下]」を読了。

        この2巻目では、ギリシアから視察団が戻ります。
        ローマはしかしながら、秩序重視型のスパルタの政体も自由重視型のアテネの政体も取り入れることはなく、独自のシステムを模索していきます。

        結果として正解だったのではないでしょうか、ギリシアは結局、都市国家以上の発展はできず、ペルシア戦争には結束して勝利しますが、その後は再び、アテナイとスパルタとかの有力都市同士の激突となり、深刻な内乱状態に陥りました。

        プライドが高くて自国(都市国家)ファースト過ぎました。
        結局、ギリシアの辺境のマケドニアのフィリッポス2世によって統合されてしまいました。

        そのフィリッポス2世の息子のアレクサンドロスが、マケドニア王になったBC336年にはマケドニアとギリシア軍がオリエントに遠征し、ペルシア帝国を滅亡させます。

        ただアレクサンドロスは、BC323年に33歳の若さでバビロニアで病死してしまいます。

        彼の死後、帝国はプトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニアの3大国とその他の小国に分離・分割され、ギリシャ本土は、小ポリス国家が、再度分立する状態になってしまいました。

        これらの国々は、BC2世紀からBC1世紀までの間に、全てローマに滅ぼされ、征服されてしまうという結果になったのですから、結果論ですが、当時は新興国であったローマは、先進国として絶頂期にあったアテネやスパルタの政体を取り入れなくてよかったのです。

        著者の塩野七生が、ローマの優れていた点をいくつかとりあげていました。

        ①その一つにローマは、敗北から学ぶということがありました。
        エピソードとして面白かったのは、BC390年にケルト人にによって、7カ月ローマを占領されたエピソードです。

        ケルトは、ギリシア式の呼称です。ローマ人はガリア人と呼びました。
        今日ではケルト人は、アイルランドに押し込まれた感がありますが、古代では、ヨーロッパの最も広い地帯に住み着いていた民族でした。

        紀元前6世紀頃から移動を始め、一部のケルト人がアルプスを越え、今日のミラノからポー川流域に住み着きました。
        ローマと彼らの間にはアペニン山脈が横たわっていたうえに、エルトリア人の勢力圏もありました。

        ところが、ローマがエルトリア系の王を廃して、共和制に移行したことから、ローマはエルトリアを敵に回し、ケルト民族の防波堤となっていた、エルトリアを撃破してしまったのです。

        やがて、エルトリア領内に侵入してきた、勇猛なケルト人は、ローマに狙いを定めます。
        タイミングの悪いことに、ローマはエルトリア撃破に活躍した武将でもあった、カミルス独裁官を貴族と平民の対立に巻き込み、挙句の果てに、平民派によってローマから追放されていました。

        結果として、ケルト人のローマ占領を許してしまいました。
        ケルト人は、さんざんローマでの強奪・破壊を徹底した後、居心地が悪くなり、ローマから賠償金を払うから、ローマから出て行ってくれというオファーをのみました。

        ローマは、カミルスを呼び戻し以降20年かけて、
        1)防衛を重視しながら破壊されたローマの再建、
        2)離反した旧同盟諸部族との戦闘と国家安全の確保、
        3)貴族対平民の抗争の解消を行ったのです。

        敗北から学んだローマは、再建のために必要な政治改革を結果的に実行することになりました。

        呼び戻されたカミルスは、戦闘のためにローマ人が圧倒されたケルト人の戦法を模倣しました。
        そして、武器や武装も改良したそうです。
        このことでカミルスは、ロムルスに次ぐローマ第二の建国者と呼ばれるに至りました。

        カミルスに、武田信玄の戦法や赤備えの甲冑などをそっくり模倣した、徳川家康の印象が重なりました。

        何事であれ改革は、効果が見えてくるまでに、長い期間を要するものですが、ケルトショックの屈辱が、カミルスの政治・軍備改革を推し進める原動力になりました。

        ②フランチャイズ方式 ローマ連合共同経営
        著者は、ローマ人の美点を寛容と開放性であると指摘していました。
        ローマ人は、敵を打ち破っても、敵に市民権を与えるなどして同化して勢力圏を拡大していきました。

        著者は、古代ローマ人が後世の人々に遺した真の遺産は、広大な帝国でも、2000年経ってもまだ残っている遺跡でもなく、宗教の違いや人種の肌の違いも超えて同化を進めた、彼らの開放性だと言っています。

        「われわれ現代人は、あれから2000年経っていながら、宗教的には非寛容であり、統治能力より統治理念に拘泥し、他民族や多人種を排斥しつづけている」との嘆きも付け加えていました。

        ローマは同化制度で成長を続け、ハンニバルに完膚なきまでの敗北を喫した時も、同化先の新しい血を新陳代謝のように取り入れることで立ち直りも容易にできたのです。

        ③高速道路のアッピア街道
        ローマだけが都市国家として生まれながら、都市国家を超えていった原動力となったのが、このインフラ整備でした。
        他国にはこうした発想がありませんでした。

        道路が国土の「動脈」であることは、今日ならば誰でも知っていることですが、2300年もの昔、それをわかっていたのは、ローマ人だけでした。

        ローマ人は、政治・軍事・行政上の必要からアッピア街道だけではなく、次々にローマに通じる幹線道路を敷設していきました。
        そして、この高速道路網こそが、「ローマ連合」を有機的に機能させる上での重要極まりない動脈になったのです。

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        2021/12/25 by dreamer

    • 他3人がレビュー登録、 7人が本棚登録しています
      海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年
      カテゴリー:イタリア
      4.7
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      • 〇塩と魚しかなく、土台固めの木材さえ輸入しなければならなかったヴェネツィア人には、自給自足の概念は、はじめからなかったにちがいない。しかし、この自給自足の概念の欠如こそ、ヴェネツィアが海洋国家として大を為すことになる最大の要因であった。(P66)

        〇私は、マキャヴェリの言葉に示唆されて、ヴェネツィアという国家を、一個の人格として取りあつかうつもりでいる。(P78)

        〇しばしば歴史には、イデオロギーを振りかざす人がいったん苦境に立つや、簡単にその高尚なイデオロギーを捨てて転向してしまう例が多いのを思えば、ヴェネツィア人の執拗さは興味あるケースである。自分にとって得だと思うほうが、こうあるべきとして考えだされた主義よりは、強靭であるかもしれない。西と東の強国のいずれにも決定的に附かず、独立と自由を守り抜いたことによって、ヴェネツィア人は、やはりずいぶんと得をしたのである。(P126)

        〇現実主義者が憎まれるのは、彼らが口に出して言わなくても、彼ら自身そのように行動することによって、理想主義が、実際は実にこっけいな存在であり、この人々の理想を実現するには、最も不適当であるという事実を白日のもとにさらしてしまうからなのです。(P144)



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        2017/03/01 by シュラフ

    • 他2人がレビュー登録、 5人が本棚登録しています
      危機と克服
      カテゴリー:古代ローマ
      3.5
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      • ヴェスパシアヌスの息子・ティトゥスの治世はわずか二年でした。この善意あふれる皇帝の治世は、たび重なる大災害が続きます。
        有名なのはヴェスヴィオ火山の噴火ですね。ポンペイは火砕岩や火山灰の堆積で四メートルもの深さにまで埋没し、その直後降った雨によって固まってしまいました。
        ヴェスパシアヌスの時代に始まったコロッセウムの建設も、ティトゥスの代で完成します。
        災難続きで心身ともに疲労が重なったのか、治世二年三カ月で死を迎えました。

        国民のため、公僕に徹しようと自らの恋まで諦めた皇帝でしたが、あまりにも短い治世でしたね。たしかに短期政権で不満も出なかったのかもしれませんが、これだけの災害が続く中、大きな混乱とならなかったのは良き政治の在り方だったのではないかと思います。大きな災害が起こったのが、ティトゥスの代であったことが救いだと思います。しかしこんなにも短命だと、ユダヤの姫との恋を叶えてあげたかったですね。

        皇位を継いだのは、弟のドミティアヌス。彼の治世は十五年に及びますが、元老院を完全にコントロール下に置く意思を明らかにし、非難が高まります。最終的には暗殺、記録抹殺刑となりました。ライン河とドナウ河の両防衛線の機能性向上に功を奏した実績もありましたが、フラヴィウス朝は二十七年で崩壊。記録抹殺刑になるほど悪い治世ではなかったと思いますが…

        しかし、この後はネルヴァから始まりマルクス・アウレリウス帝が死ぬまでの五賢帝時代が始まります。
        この巻はショートリリーフ・ネルヴァが死去し、トライアヌスに託されるところまでが描かれています。
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        2021/08/03 by あすか

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      チェ-ザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷
      カテゴリー:個人伝記
      4.0
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      • 塩野七生の「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」は、悪名高い野心家の生涯に、真正面から挑んだ意欲作だ。

        1492年8月、シエナ。数人の若者が、馬を走らせていた。
        5日後に迫る市主催の競馬に出場するための練習をしているのだ。
        その中に、枢機卿の息子、チェーザレ・ボルジアもいた。

        その頃、ローマでは、11日前に亡くなった法皇の後任を選ぶ、枢機卿会議が開かれ、そこにチェーザレの父も出席していた。

        広場を出ると、チェーザレは、従者から手紙を受け取った。
        それは父からのもので、法皇に選出されるとある。
        法皇アレッサンドロ六世の誕生だ。

        これによって、チェーザレの運命は、大きく変わるのだった。

        チェーザレは、結婚できないはずの聖職者の息子という、あってはならない存在だった。
        ところが、法皇アレッサンドロ六世は、そのチェーザレを強引に枢機卿につける。
        自らの権力基盤を盤石にするためだ。

        当時のイタリアは、ヴェネツィア、フィレンツェ、
        、ナポリ、ミラノなどの各国に分裂し、統一された国家ではなかった。

        イタリアが分裂しているうちに、イタリアよりも後進国だったはずのフランス、ドイツ、スペインなどが、専制主義の国家体制を確立。

        力と財を蓄えて、分裂しているイタリアに触手を、伸ばそうとしている状況だった。
        加えて、背後のトルコも、脅威となりつつあった。

        この時代に生まれたチェーザレは、父の権威を背景に、弟や妹を利用し、自らの王国の建設、つまりはイタリア統一という野望の実現のために生きることになる。

        彼はそのためには、どんな冷酷なことも、優雅にやってのけるのであった--------。

        ルネサンス期のイタリア。諸国が割拠する半島を、統一しようという野望を抱いた青年チェーザレ・ボルジア。

        史上最も悪名高い一族に生まれ、謀略に明け暮れて、31歳にして生涯を終えた男の人生を、哀惜を込めて描いた名作だと思う。

        この作品の著者・塩野七生のデビュー作は、「ルネサンスの女たち」。
        このデビュー作は、連作で、タイトルの通り、ルネサンス期に生きた、女性四人を描いたものだった。

        そして、連作中の三作に、脇役として登場するチェーザレ・ボルジアに真正面から挑んだのが、この作品なのだ。

        さらに、この作品で脇役として出て来たマキャヴェッリも、後に主人公として描かれ、背景として出て来る、コンスタンティノープルの陥落も、後に三部作として著している。

        つまり、この作品には、塩野七生という作家の原点があると言えるだろう。

        この作品のように、個人名に「あるいは」で繋いで、その本のテーマを掲げるタイトルのスタイルは、欧米の評伝によくあるものだ。

        このタイトルだけでも、著者がデビュー当時、既に日本の従来の小説や史伝の枠から逸脱していることがわかる。

        著者の代表作である「ローマ人の物語」シリーズが、小説というより、「歴史書」になっていて、読み物としての面白さが、初期の作品に比べて、少し希薄になっていると思う。

        それに対して、この作品では、もちろん史料は、徹底的に調べられているのだが、歴史的に不明な部分は、豊かな想像力で補われ、血の通った人間像が描かれていると思う。

        この人物たちを、どうしても書きたいという、著者の意気込みが、行間からも感じられるのだ。

        この作品で、毒を盛る男として、悪名ばかりが高かったチェーザレ・ボルジアが、日本で言えば織田信長のような、革命を志した存在であったことを、多くの人々が知ったのではないかと思う。

        そして、マキャヴェリズムとは何かを理解したのも、この作品によってだと言っても、過言ではないと思う。

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        2021/05/14 by dreamer

    • 他1人がレビュー登録、 5人が本棚登録しています
      サロメの乳母の話
      4.0
      いいね!
      • 歴史に名を遺した人の「身近な」人(一部、馬)の独白、という形での短編集です。塩野さんならでは、という感じで、面白かったです。歴史のIFは、無意味ではあっても面白いですよね。にやりとさせられるユーモアは、さすが塩野さん。

        小説ですが、史実からうまく想像を膨らませているので話に無理もなく、そもそも読者である私は史実をあまり知らないので特に違和感を覚えることもなく、楽しめました。人間というのは1000年、2000年経ってもそこまで変わるものではなく、いるわぁー、こういう人、というのが楽しい。ユダの母親とか。

        史実を追い求めるのも楽しいのですが、IFを想像するのもまた楽しいものです。歴史上の人物は有名になればなるほどキャラクタが固定されていくので、本当にそうなの?と想像する本書は、読みながら古代のワイドショーを観る気分でした。ワイルドの『サロメ』もちょっと読み返したいですね。あれもワイルド視点の一種のIFですし。

        >> 続きを読む

        2016/12/13 by ワルツ

      • コメント 2件
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      ルネサンスとは何であったのか
      カテゴリー:イタリア
      4.5
      いいね!
      • 塩野七生の「ルネサンスとは何であったのか」は、著者としては珍しい、自問自答の対話形式で書かれたルネサンスの解説書になっています。

        この作品は、「ローマ人の物語」の単行本10巻「すべての道はローマに通ず」という総括的な巻を書き終わった頃に書かれたそうです。

        そう言われれば、この「ルネサンスとは何であったのか」は、著者の「わが友マキアヴェッリ」、「チューザレボルジア あるいは優雅なる冷酷」、「ルネサンスの女たち」、「神の代理人」等、彼女の著作活動の初期に書かれたルネサンスものの著作集の総括のような読物になっています。

        初期の「ルネサンスもの」の後、彼女は「海の都の物語」、「ローマ亡き後の地中海世界」、「ローマ人の物語」等を書きました。

        書くためには勉強せざるをえなく、勉強すれば考えるようになる、そうしたプロセスの繰り返しの中から、数々の著作が生まれ、彼女自身の視野が広がったことで「ルネサンス」を俯瞰することができたのだと思います。

        「ルネサンスとは、一言で言えば、今までの自分に疑いを持つことだ。」と彼女は、この「ルネサンスとは何であったのか」の中で書いています。

        「そこから始めて、あらゆることに疑いをもっていく。それまで一千年もの間、信じてきたキリスト教にも疑いを持つ。それでは、キリスト教がなかった時代はどうだったのか、ということで古代復興になっていった。」とも書いています。

        「宗教とは信ずることで、哲学とは疑うこと」と言い、ギリシアで哲学が盛んだったのは、ギリシア時代はキリスト教という一神教の規制を受けなくて済んだからだと、著者は言い切っています。
        疑うという点では、頑迷な宗教とは対極に位置する科学もそうですね。

        読んでとても面白く思ったのは、15世紀前半のルネサンス全盛期を経済的に支えた、メディチ家のロレンツォの生きた時代から200年遡った13世紀前半に、異端の神聖ローマ帝国皇帝として、教皇から破門されたフリードリッヒ二世の啓蒙活動を、著者がルネサンスの萌芽として捉えていたことです。

        神が全てという発想から、人間重視の考えがルネサンスとすれば、キリスト教の規制を平気で受け流し、二度も教皇から破門されたフリードリッヒ二世の啓蒙思想が、ルネサンスの萌芽だったとする著者の慧眼に感心させられました。

        また著者は、フリードリッヒ二世と同時期の聖フランシスコの活動もルネサンスの萌芽として捉えていました。

        清貧と人類愛を説くフランチェスコ会を広めた聖フランチェスコも、「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」という政教分離思想の持ち主だったフリードリッヒ二世も共に、ローマ法王全盛期のイノケンティウス三世の庇護を受けています。

        「ローマ法王は太陽で皇帝は月」と高言したイノケンティウス法王亡き後、この二人の活動が大きな影響力を持ち、ルネサンスの萌芽となったことは歴史の皮肉と言っていいかもしれません。

        文字を読めない多くの人に、聖書に書かれている事項を理解させるためのフレスコ画法を広めたのはフランチェスコ宗派の教会でした。
        これがルネサンス絵画への道を切り開いたとされています。

        イノケンティウス法王の次の次の法王の座に座ったのは、イノケンティウス三世の甥のグレゴリウス九世でした。
        異端審問の制度を整備した厳しい法王としても有名です。

        そのグレゴリウス九世と破天荒なフリードリッヒ二世は、犬猿の仲でした。
        度重なる要請にも関わらず、第六次十字軍の遠征を先延ばしにしているフリードリッヒ二世をこの法王は、破門宣言を下します。

        破門されたまま遠征したフリードリッヒ二世は、あろうことか外交力を駆使してイェルサレム王国の正統の世継ぎになる娘のヨランダと結婚し、十字軍史上初の神聖ローマ帝国直々のイェルサレムの聖地入りを果たします。

        法王から戴冠された神聖ローマ帝国皇帝の身でありながら、法王の赦しも受けず王国の世継ぎながらイスラム教徒の娘と結婚する等、法王に対する尊敬の念が足らないこと等を理由に、まだ一度目の破門が解けていないにもかかわらず、フリードリッヒ二世は、二度目の破門を受けてしまいます。

        このことから、1228年~1229年のこの第6回の十字軍は、破門十字軍、無血十字軍とかフリードリッヒ十字軍と呼ばれています。

        ルネサンスに与えたアラビア文明の重要性も注目されているところです。
        その点では、アラビア数字、哲学、思想、科学の観点から、アラビア語も解し、大学などを建立し学術の発展に寄与したフリードリッヒ二世を取り上げた著者の慧眼に感心しました。

        著者が2013年に刊行した「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」も読んでみたくなりました。

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        2021/12/13 by dreamer

    • 他1人がレビュー登録、 4人が本棚登録しています
      海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年
      カテゴリー:イタリア
      4.5
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      • 資源に恵まれないヴェネツィアのような国家には、失政は許されない。だからこそ彼らは現実的であり、合理的なものの考え方をする。例えば、聖遺物信仰についても生きた聖者に信仰を捧げて牛耳られないようにするものだ、と塩野七生は指摘する。なるほどと思う。塩野七生のこういうものの見方というのは大変に勉強になる。西欧とイスラムの対立の中、統治能力の優れた政府を持つ必要があったヴェネツィアが選んだ政体は共和制。共和国国会のメンバーを世襲制にして政治のプロ階級をつくることで個人の野心と大衆の専横を抑え込んだ、という。

        【このひと言】
        〇芸術家は、史実に忠実でなければいけないと言っているのではない。出来栄えさえ見事であれば、それで十分なのである。

        〇マルコ・ポーロの幸運は、大旅行を終えて後に、この時期しばしば起っていたヴェネツィアとジェノヴァの戦いに巻き込まれ、ジェノヴァの捕虜になり、牢の中で暇をもてあましていた時に、彼の話を聞き、それを書きとめておく気になった男に恵まれたことである。

        〇簿記の記入に不可欠なアラビア数字がヨーロッパにもたらされたのは、1200年代はじめのピサ人の功績による。はじめのうちは、憎っくき異教徒の産物ということで、教会関係者をはじめとする人々から、少なからぬ抵抗を受けたらしい。しかし、ローマ数字と比べれば、便利なことでは比較にならない。書きちがい読みちがいも少なくなるうえに、0という観念もある。それで、現実的な商人の間では、教会の妨害にもかかわらず拡まっていった。

        〇信者には信仰の対象が必要だ。それを信仰することによって、彼らは、心の平安を得るだけでなく、天国の席の予約もしたつもりになれるのである。この場合の信仰の対象が、聖者の骨ということになっている骨の一片や、キリストが架けられたという十字架の切れはしであったりすれば、これらはいかに信仰を捧げられても、その人々を扇動しようとはしないから実害はない。聖遺物購入に費用がかかっても、これならば安い代価である。一方、合理的と自認していたフィレンツェ人には、聖遺物信仰はなかったが、それだけに生きた聖者に信仰を捧げ、彼らによって牛耳られることがたびたび起った。

        〇資源に恵まれないヴェネツィアのような国家には、失政は許されない。それはただちに、彼らの存亡につながってくるからである。都市国家や海洋国家の生命が短いのは、この理由による。
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        2017/03/04 by シュラフ

    • 他1人がレビュー登録、 2人が本棚登録しています
      海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年
      カテゴリー:イタリア
      4.5
      いいね!
      • 地中海の覇権をめぐり、ヴェネツィアとジェノヴァとの戦いが苛烈を極める。航海技術などはジェノヴァのほうが上回っていたようであるが、ジェノヴァの欠点は個人主義的で天才型であるがゆえに、まとまりがなく内紛がたえない。結局、ジェノヴァは政局混乱のうえに消滅していく。ジェノヴァの自滅と、ヴェネツィアの勝利。勝利を決した要因は双方の国家の社会組織能力ということ。ジェノヴァの個人主義放任の害が国家に不利益をもたらしたと、塩野七生は指摘する。個人の利益と国家の利益をどちらを優先すべきか、それは間違いなく国家である。

        【このひと言】
        〇国力が昇り坂にある時は、個人主義放任も害を及ぼさない。それどころか、良い結果を生むことが多い。

        〇エリートは、修道僧の僧が神のために無償の奉仕をするように、与えられた名誉のためだけに奉仕すべきである、と言う人がいるが、このように言う人々は、まったく人間の本性に対して盲目であると言うしかない。修道僧には、神がいるのである。死後に天国での第一等の席も、保証されている。まあ、保証されていると信じることが彼らにはできるのだ。一方、キリスト教徒であっても、神に奉仕を誓ったわけでもない俗界のエリートたちには、無償の奉仕をするほどの理由はない。やはり、能力には、それにふさわしい報酬が与えられてこそ、彼らも、その才能をより以上に発揮する気持になるというものである。

        〇現実主義は、人間の理性に訴えるしかないものであるところから、理性によって判断をくだせる人は少数でしかないために、大衆を動員するためにはあまり適した主義とは言えない。

        〇戦争は悲惨なものである。しかし、その戦争にも、一つだけ積極的な意味がある。各人の欲望を単純化するという効能である。

        <解説>
        〇保守であれ、リベラルであれ、極端なイデオロギーのもとに「理想の追求」を急ぐときに大きな災いがもたらされることは、歴史の証明するところである。バーリンは、キリスト教を絶対視することなく、人間性の現実を冷徹に直視することを唱えたマキアヴェリを高く評価しているが、それはまさにこうした理由によるものであって、決して権謀術数的な政治手法の擁護にあるのではない。塩野さんがマキアヴェリを敬愛する理由も根源的には近いのではないかと私は推測している。

        >> 続きを読む

        2017/03/05 by シュラフ

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      海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年
      カテゴリー:イタリア
      4.5
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      • ただミラノの官吏によるエルサレムへの聖地巡礼のお話なのであるが、第九話「聖地巡礼パック旅行」に考えさせられてしまった。時代的には地中海では海賊が跋扈して、また西欧がトルコと対峙していた、という緊張の時代だったと思うのだが、なぜかのんきである。トルコの軍船の接近に恐怖し、船員の事故死を哀しみ、熱気に苦しむという苦難の旅ではあるのだが、それでも彼らはエルサレムに感動して、そして免罪を得たことを喜ぶ。あー、いったい人間とはなんなのだろうと思ってしまう。危険をおかしてまでわざわざ苦労などする必要はあるのだろうか。

        【このひと言】
        〇外交の重視は、その国が軍事力だけでは対抗できなくなったという証拠でもある。
        〇現実の同盟というものは、不幸にして、互いの立場を理解し、それを尊重し合う精神があるから結ばれるものではない。第三者に対する恐怖から結ばれるものである。そうでなければ、今のところ敵にまわす必要がないから、ひとまず結んでおく、という程度のものでしかない。
        〇権力者は、権力者同士の話し合いを好むものである。
        >> 続きを読む

        2017/03/11 by シュラフ

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      海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年
      カテゴリー:イタリア
      4.5
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      • 16世紀以降、ヴェネツィアは手工業部門にも積極進出。海洋貿易中心であったが、大航海時代による香味料貿易の危機に伴う方針転換。西欧諸国の戦乱を逃れてきた職人たちを受け入れた結果、ヨーロッパ毛織物工業の中心のひとつになるほど発展。さらに絹織物工業、石けん、ガラス工業、眼鏡、出版業など次々と展開。この海洋貿易から国内産業への転換について塩野先生は、ヴェネツィア人は資本の効率性を重視する民であるがゆえ、と説明する。時代環境が変わったことで産業構造が変化したということだろう。どうも塩野先生はホレた男に甘い気がする。

        【このひと言】
        〇歴史は複雑であることに醍醐味があるとは言っても、醍醐味が味わえる程度には整理される必要はあると思う。
        〇外交というものは、思っていても胸の中におさめて、口には出してはならない時もあるということを教えている。
        〇戦争でも平和でも、思いどおりに決められるのは、政治的能力によるものではない。軍事力である。量である。
        >> 続きを読む

        2017/03/12 by シュラフ

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      海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年
      カテゴリー:イタリア
      4.5
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      • 1797年、ヴェネツィア共和国は滅亡する。直接的な原因はナポレオンのヴェネツィアへの進軍ということなのだろうが、経済・政治・軍事的に三流国に転落してしまっていたヴェネツィアにとって滅亡はさけられなかったように思える。ではなぜヴェネツィアはそこまで衰退したのか。塩野先生の見解は、ヴェネツィア人の精神構造の変化をもたらした投資対象の変移が原因だという。かつて海洋貿易国家時代には人材の上下への流動性があったものが、農工業時代になると動脈硬化のように社会が膠着化してバイタリティーが失われた。日本の教訓とすべき話。

        【このひと言】
        〇マキアヴェリの著作が、ルネサンス時代を代表するだけでなく、時代を越えて通用する政治哲学の古典となり得たのは、理想を述べたからではなく、現実を喝破したからである。
        〇投資の対象の変移は、それをする側に、その投資が定着するにつれて、精神構造の変移をもたらさずにはおかないものである。ヴェネツィア人は変わったかもしれない。だが、それは彼らが奢った結果ではない。投資の対象の変移につれて、彼らの精神も変わっただけなのである。一民族の衰退の原因を、その民族の精神的堕落の結果とするよりは、よほどこのほうが恐ろしい。
        〇独占の弊害は、それが経済的な必要以上になされることによって、社会の上下の流動が鈍り、貧富の差が固定化し、結局は、その社会自体の持つヴァイタリティの減少につながるからである。
        >> 続きを読む

        2017/03/12 by シュラフ

    • 他1人がレビュー登録、 2人が本棚登録しています
      ハンニバル戦記
      カテゴリー:古代ローマ
      4.4
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      • ローマは建国以来初めての海戦。
        大国カルタゴと新興国ローマが対決した、第一次ポエニ戦役が描かれています。

        ますますおもしろくなってきました。
        ハンニバル戦記<上>、ローマ人シリーズ3巻目にあたります。

        タイトル通りハンニバルが出てきて・・・・・
        ということにはなりませんでした。
        ここで登場したのはハンニバルの父親、ハミルカル。
        スキピオの祖父にあたるグネウス・コルネリウス・スキピオ。

        海上都市の攻め方に未熟なローマ艦隊が勝利を重ねたり、大敗から教訓を得たり。
        熱い攻防戦でした。

        しかしスキピオVSハンニバルが見たくて、はやる気持ちを抑えられません。
        すぐに中巻を読もうと思います。
        >> 続きを読む

        2018/03/21 by あすか

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      ハンニバル戦記
      カテゴリー:古代ローマ
      4.7
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      • ハンニバルのサグント攻撃を機に、第二次ポエニ戦役が幕を開ける。
        二十九歳のハンニバルは、ローヌ川を渡りフランスを横断。
        アルプスを越えてイタリアに進攻した。


        ついに、象とともにハンニバルがやってきました!
        心理戦、気象情報など様々な情報収集により、ローマ軍を追い込んでいきます。
        今までローマ目線で時代を追っていましたが、ハンニバルが登場してからはカルタゴ寄りの見方になりました。
        あまりにも強すぎて。
        ローマとの闘い、ティチアーノ第一回戦で執政官を救い出した若い騎士・スキピオ。
        彼が後半、表舞台に出てきてからはますますおもしろくなりました。
        ハンニバル側は才ある将が他におらず、後半は戦況が苦しくなってきます。
        苦労して連れてきた象が、あまり役に立たなかったのが少し残念でした。

        最初から最後まで、内容の濃い、充実した一冊となっています。
        >> 続きを読む

        2018/03/31 by あすか

      • コメント 6件
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      ハンニバル戦記
      カテゴリー:古代ローマ
      4.8
      いいね!
      • ハンニバルがイタリアでやったことと同じことを自分はアフリカでやる、と公言して乗り込んだスキピオ。
        フェア・プレイによって勝つことがローマ人の誇りでもあったが、ハンニバルは策略によって勝つのも勝利であることを教える。
        そして、それを最も率直に吸収したのは、スキピオ世代のローマ人だった。

        ハンニバルとスキピオ。
        二人の天才が、ついに会戦で激突します。
        同じ才能をもつ者同士が対決するのは、歴史上でも稀なことらしい。
        ということは、もしかしてローマ人シリーズのピークもこの巻なのでは・・・なんて浅はかなことを考えてしまいました。

        二回目の対決は実現しそうでせず、少しずつ次の時代へと移っていこうとしていました。
        この二人の晩年は英雄にしてはあまりにも不遇で切なくなってきます。
        現実は容赦ない。

        後半はマケドニア、カルタゴが滅亡します。

        このハンニバル戦記、本当におもしろくて夢中になって読みました。
        次のタイトルが「勝者の混迷」とのことで、平和の継続ではなく暗い時代がやってくるのかと思うと少し憂鬱です。
        >> 続きを読む

        2018/04/05 by あすか

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      勝者の混迷
      カテゴリー:古代ローマ
      4.3
      いいね!
      • 強大国カルタゴを滅亡させ、地中海世界の覇者と呼ばれるようになったローマ。
        『いかなる強大国といえども、長期にわたって安泰でありつづけることはできない。
         国外には敵をもたなくなっても、国内に敵をもつようになる。』
        名将ハンニバルの予言にも似た言葉が、悪いことが起こる前兆のようで。
        この巻は、少し嫌な予感からのスタートでした。

        読み進めるにつれて、ティベリウスとガイウスのグラッススの兄弟の末路があまりにも悲惨で、ハンニバルの言葉を思い出すには十分でした。
        この兄弟、兄は七ヶ月、弟は二年の実働期間しかなかったのが惜しいほど、才能に恵まれていました。
        しかし、元老院がハンニバルに勝った百年前と同じことしか考えていませんでした。
        まさに、国内の敵。兄弟も性急ではありましたが。
        「『混迷』とは、敵は外にはなく、自らの内にあることなのであった」の一文が突き刺さります。

        しかしその後もローマは、軍事上の才能に長けたガイウス・マリウスや、会計検査官ルキウス・コルネリウス・スッラ等の人材に恵まれます。
        近い将来、ユリウス・カエサルという偉大なる指導者が控えているのはわかっていますが、まだまだたくさんの人物がいる面白さを堪能していきたいと思います。
        >> 続きを読む

        2018/05/10 by あすか

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      勝者の混迷 勝者の混迷(下) (新潮文庫)
      カテゴリー:古代ローマ
      4.3
      いいね!
      • 護民官スルピチウスとマリウス、スッラの間で内乱が勃発。スッラが武力でローマを制圧した。
        しかしその後、執政官キンナが反旗。スッラがギリシア遠征に向かった途端、マリウスとその一派の名誉回復を決めた法案を成立させた。今度は武力によってマリウスとキンナがローマを手中に収める。
        マリウスが早々に亡くなると、キンナは独裁政治を始める。

        次から次へと権力闘争が繰り広げられます。内乱だけでなく、ローマが混迷期に入ったのを見て、外からもポントスの王ミトリダテスが仕掛けてきます。混迷も混迷、ドロドロ状態です。英雄が登場する前は、このようなものなのでしょうか。
        内乱というと、外敵を制圧する華々しさに比べ暗いイメージを抱いてしまいますが、
        名将スッラvs執政官キンナ
        キンナ亡き後のローマ正規軍とスッラのたたかい
        スッラによる国政改革
        第一次~第三次ミトリダテス戦役…
        手に汗握る激戦の数々!英明ミトリダテス王を迎え撃つのは、スッラ、常勝将軍ルクルス、若くして成功し、失敗も挫折も知らない天才ポンペイウス。本当に人材が豊富です。彼らの活躍に夢中になり、2020年→2021年を迎えました…。と、止まらない。
        上巻読了からから2年半以上、放っておいたとは思えないほどハマっています。
        >> 続きを読む

        2021/01/05 by あすか

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      ユリウス・カエサル
      カテゴリー:古代ローマ
      4.0
      いいね!
      • スッラの行った「民衆派」一掃作戦の「処罰者名簿」に名を連ねていたカエサル。周りの助命嘆願により、スッラはカエサルに妻との離婚を要求するが、彼はこの回答として「否」をつきつける。そのため小アジア西岸へ潜伏する。逃避行中のカエサルは軍に志願。後に弁護士開業、ほとぼりが冷めるまでロードス島へ留学するも、乗っていた船が海賊船に襲われ、捕虜にされてしまう。
        その頃わずか六歳しか離れていないポンペイウスは、ローマ正規軍四万を率いる総司令官に任命され、スペインに出陣を果たす。

        「ユリウス・カエサル ルビコン以前」とタイトルは変わりましたが、本書の内容2/3は、前巻「勝者の混迷」をカエサル視点で描いたものとなってます。社会不安となった「カティリーナの陰謀」でカエサルの名も起ち、彼を中心にローマ世界はまわり始めます。このとき三十七歳。彼の偉業を思えば、やっとスタートラインに立ったというところでしょうか。

        カエサルの器量が徐々にあらわれていく中、金や女といったスキャンダルが多いのも目立ちます。
        「女にモテただけでなく、その女たちから一度も恨みをもたれなかった」考察が妙におもしろかったです。様々な追及をかわす処世術に長けていたのですね。
        >> 続きを読む

        2021/01/10 by あすか

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      ユリウス・カエサル
      カテゴリー:古代ローマ
      4.3
      いいね!
      • ポンペイウス、クラッスス、カエサルの「三頭政治」が成立。
        四十歳を迎えたばかりのカエサルは、圧倒的多数の票を得て執政官に当選します。
        次なる野望はライン河を境としたガリア戦役。紀元前58年~51年、物語の舞台はガリアへと移ります。八年間でのガリア戦役四年目ではさらに踏み込んだことをしており、橋をかけてローマ軍初のゲルマンの地への侵攻(デモンストレーション)、さらにローマ人初のドーヴァー海峡を越えてのブリタニア進攻など次々と手をうってきます。本書ではガリア戦役五年目までが描かれています。

        想定外のことが起こっても、冷静に臨機応変な対応をしているのが素晴らしい。私なら不安で何も考えられなくなりそうなことも、さらりとこなしていました。数だけみれば劣勢でも戦の勝ち方を知っていて、結果を出しているので、部下や市民からは支持を集めますよね。それから、「農地法」成立までの演説がとてもおもしろかったです。弁舌に優れた人の話しぶりは、聴衆も読者も魅了させてくれますね。

        しかし、行き過ぎる行動は元老院にとって我慢のできない存在となり、元老院派による反撃で、ポンペイウスとカエサルの間が揺らぎだします。利害関係が一致しているときには有効な手段ですが、そうでなくなった時に彼らはどのような行動に出るのか。先が気になり、このシリーズばかり手に取ってしまいます。
        >> 続きを読む

        2021/01/13 by あすか

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【塩野七生】(シオノナナミ) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)

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