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再読。純文学の大御所、谷崎潤一郎の代表作である。主人公・譲治と10才以上年下の少女・ナオミとの同棲物語。年下との同棲物となると漫画「りびんぐゲーム」あたりを想起するが、本作は星里もちる作品のような牧歌的な物語では決してない。ヒロインのナオミの性的奔放ぶり、自己中心性は尋常ではなく、特にP151,152を読んでナオミのあまりの性格の悪さにドン引きした(主人公の譲治も聖人君子ではないが、ナオミの性格の悪さは譲治の比ではない)。ラストの一文は「細雪」同様、余韻をもたらすものである。それにしても最近、一度読んだ小説を読み返すことが多く、未読の小説を読むハードルが高くなっている。未読の小説では、最近ではクリスティとかカーとかクイーンばかり読んでいる。しかも、それが滅法面白いのだから困ったものだ。 >> 続きを読む
2019/05/23 by tygkun
再読。文豪・谷崎の代表作である。非常に薄い本だが、内容の濃さは異常である。舞城と同様改行がない文体(本当に一切ない)、段落の終わりに句読点をつけない文体であり、形式的にも異色であるが、中身は異色どころではない。三味線師匠春琴と奉公人佐助の師弟愛が主題だが、春琴の嗜虐性は苛烈極まりなく、「痴人の愛」のナオミのサディズムは笑えるが、「春琴抄」の春琴のサディズムは全く笑えない。佐助の「眼」のシーンでは「イタタタ」と声に出そうなほど、臨場感があった。谷崎の作品は「春琴抄」「卍」「痴人の愛」と異常性が際立つものが多く、ノーベル文学賞候補に7回も挙げられながら、受賞することができなかったのも納得できる。ただ、代表作「細雪」は一般人にも安心して薦めることができる傑作であり、日本純文学の頂点に位置する作品であると思っている。まさに天才としか評することができない才能の持ち主であろう。 >> 続きを読む
2019/05/28 by tygkun
「先生、わたし今日はすっかり聞いてもらうつもりで伺いましたのんですけど、折角お仕事中のとこかまいませんですやろか?」柔らかな大阪弁で、園子が「先生」に事件の詳細を語ります。綴られたのは、4人の男女で起こった愛欲の物語。人妻園子が愛した魔性の女・光子、園子の夫、光子の婚約者・綿貫。彼らの激しい愛は、破滅に向かい加速させていきます。おもしろかった!人妻の同性愛を描いているので一見複雑なようですが、園子の愛は純粋に光子に向けられています。光子に囚われていく妻を心配する夫も当然ですし、綿貫もある行動を起こすけれどさほど悪いヤツでもない。今までとんでもない谷崎キャラクターを見てきたので、今回はおとなしいなと思いながら読んでいました。ナオミ、譲治、要、春琴、佐助…この人たちの方が遥かにヤバかった。そういえば、光子に言いくるめられる園子の姿が「痴人の愛」のナオミと譲治に重なりましたよ。―なんて、余裕こいて読んでいました。残り30頁になる前までは。・・・・・・・・・・・・ああ、谷崎作品。やはりとんでもない。ラストもラスト、頭を抱えながら読んでいました。そして、そのまま読了しました…。常識人である園子の夫までも、堕としてしまうのですね。ごくごく普通の人が、急速にヤバい人(上記)の仲間入りをしていく過程が恐ろしかったです。あっという間でした。「僕等が死んだら、この観音様「光子観音」云う名アつけて、みんなして拝んでくれたら浮かばれるやろ」ああ、なんて気持ち悪い…!!!気持ち悪すぎる。個人的に今年は「卍」を課題図書にしていましたので、無事読み終えてほっとしています。達成感があるものの、気持ち悪さもつきまとい。少し複雑ですが、総合的にはおもしろく読ませて頂きました。 >> 続きを読む
2020/11/11 by あすか
「細雪」はいつか絶対読むと思っていた自分の課題図書。最近はとても良い本に巡り合うことが多く、その流れで満を持して…!だったのですが、読むのになんと1カ月以上かかりました。というのも、大きな事件が起きるわけではなく、今まで私が読んできた作品のように登場人物に癖があるわけでもなく、日常がとても丁寧に描かれているだけなのです。なので、「読むのが止められないー!」といったことにならず、隙間時間にほんの数ページ(場合によっては数行)読んで…といった読書になったからでした。四人姉妹のうちの幸子、雪子、妙子を中心に生活ぶりや縁談のあれこれ、街並みや当時の流行、洋服など、当時の情景が目に浮かぶようです。文体も美しくて彼女らの台詞などもとても楽しい。それでも特に大事件が起こらないストーリーは最初、正直退屈でした。でも上巻を読み終わる頃にやっと登場人物たちに親しみを感じるようになり、ページを捲るのが楽しくなりました。中巻、下巻を読み終わる頃にはもっともっと好きになりそうです。 >> 続きを読む
2017/11/07 by chao
細雪。読んでよかった。最後まで読んで、ただ仲の良い姉妹というだけでなく、小さなことから事件に至るまで様々な場面での会話や行動を通じて、良いところもそうでないところも知って、イヤだなと思うこともあったけれど、それも全部ひっくるめて彼女たちが好きで、鶴子、幸子、雪子、妙子、みんな幸せになってほしいなぁと心から思う。まるで、古くからの友人みたいな感覚。まだまだ読んでいたいし、時代としてはこれから戦争で大変なことになっていくはずだから彼女たちがとても心配。小説だからこれで終わりなんだけれど、ずっと彼女たちがコロンバンでお茶をしたり、手紙のやりとりをしたり、お花見をしたり、変わらずいきいきと生き続けているような気がしてならない。ラストは悲しい出来事もあったし、良かったと思えることもあったけど、結末ありきの小説ではないから、それは大きなことではない気もする。幸子は谷崎純一郎の奥さまがモデルになっているのだとか。それにしても、ここまで女性を描けるのはスゴイと思う。この四姉妹が好きなのはすでにレビューした通りだけど、細雪の文章もとても好き。読み終わってしまうのがとても惜しい。退屈だなぁと思って読んだ上巻。今改めて読むととても楽しく読めそう。下巻単体でいうと☆4かなぁと思うけど、トータルでは文句なしの☆5です。 >> 続きを読む
2017/12/14 by chao
なんとなく谷崎の気分になったので、図書館で借りてきました。新潮文庫の谷崎は表紙ですぐにわかりますね。200ページもない短い話です。相変わらず、谷崎は話の構成が上手い。引き込んできます。二人のおんなとは、前妻の品子と後妻の福子です。そして庄造は猫のリリーを溺愛している。谷崎といえば『痴人の愛』のナオミのような、ファム・ファタルを愛する倒錯趣味の印象が強いのですが、ここでのファム・ファタルは猫のリリーだなと思いました。リリーは猫ならではの気まぐれさで周囲を手玉に取り、庄造ばかりではなく、かつてはリリーに嫉妬し憎んでいた前妻の品子すらも跪かせるのです。お見事。リリーは庄造のところから品子のところへもらわれていくんですが、詳しい経緯は実際に読んでもらうとして、もらわれていったリリーを一目見ようとする庄造の書かれ方がほんと、愚かな男の書き方が、谷崎だなぁ。とはいえ二人の女もリリーを超えられはしないのであって、猫を取り巻くすべての人が滑稽に見えます。愚かさを実にうまく描くのが谷崎ですね。ちなみに舞台は芦屋。巻末の注解に関西弁の注釈があるのが変な感じです。正直註なんていらないでしょと思うのですが… >> 続きを読む
2016/11/16 by ワルツ
上巻を読み始めた時は数ページずつちょこちょこ読んでいた細雪。中巻に入ってからは面白くて読むのをなかなか止められず、久しぶりに寝不足覚悟で夜中読んだりしました。「日常生活を描いているだけ」と上巻でレビューをしましたが、中巻では大雨による洪水が起きたり、自由奔放でたくましい四女妙子の周りで事件があったりと、日常生活を超えたストーリーの起伏がありました。でも、面白いと思えているのは、ストーリーに起伏があったからではなく、私が細雪の世界観に入り込んだからだと思います。本を開くとそこには細雪の世界がたしかにあって、鶴子、幸子、雪子、妙子とお春どんや啓坊やシュトルツ夫人といった人たちが生きている。彼らが彼らの意思で生きているとしか思えない。その世界を表現する会話や文章も本当に良くて。読み始めは上中下巻は長いな…と思っていましたが全く飽きません。☆5にしたかったのですが、妙子の結婚について、家柄や世間体を気にする幸子や雪子の考え方を少しイヤだなと思ってしまって☆4。でもこういう気持ちになるのも、物語に心が入っているからこそ。それに、おそらくこの時代ではやっぱり幸子や雪子の考え方の方が普通なんだろうな。。中姉ちゃん、雪姉ちゃん、こいさんたちの幸せを願いつつ下巻へ…と、読み始めようとした瞬間、下巻が手元にないことに気が付いた!自分のバカー!!! >> 続きを読む
2017/11/24 by chao
成熟のその手前 暇さえあればオクタビオ・パス著の『弓と竪琴』を読んでいる。分からない、いくら読んでも分からない。引っ切りなしに引用される書名の波に押し流され、道をたずねても相手は聞いたこともない名前の学者や小説家たち。じぶんに理解できるのはじぶんが理解していないという事実だけ。つい昨日会ったばかりの人を持ち出すようにアリストテレスを引用する奇癖をもつ、このメキシコが生んだ、明哲で抜けめのない批評家の論考を、そう易々と飲みこめる私ではないが、それでも、繰り返し、繰り返し読むうちに何か味がしてくるから読書はおもしろくて、読書百篇ではないけれど、義自ら通じた先になぜか谷崎潤一郎がいた。 前々から感じていて敢えて口に出してはいないが、もし、谷崎潤一郎から藝術家の才分が失われたとしたら、ただの変態、あるいは瘋癲老人になるだろう。藝術家とはそういうものかもしれない。それにしても、谷崎の女体崇拝はちょっと常軌を逸しており、どうして女性の足にそこまで執着するのか、とくに若い頃は不思議で仕方なかった。男性には見られない曲線美があるのは分かるし、僕もエスカレーターに乗ると、踵からふくらはぎ、その小丘からベルトが掛る腰までのラインを隈なく見ます。華のある歩き方をする人のラインには「美」が充溢していて、もうひとつの顔と呼べるほどの多様性と情報量に富み、そこには確かな個性がある。たとえば、パスピエの女性ヴォーカルの子がいい。「つくり噺」のPVの終わりのほうに、階段を昇っていくシーンがあって、歩き方と例のラインをじっくりと観察できる。しかも顔が隠れているから、その分よりいっそう美人に見える。いや、きっと美人と断定して間違いないと思う。これだから谷崎を読むのはイヤなんですね。話が逸れた。 話を谷崎にもどして、肝心の作品論をしてみたい。いいえ、個別の作品論ではなく、総論としての、やや抽象的な戯言かもしれないが、谷崎の作品からは西洋文学を学んだペンだこがほとんど見受けられない。と言えば言い過ぎだが、大岡信がみずからの愛するポール・エリュアールの影響を自作からは隠すように、谷崎も(谷崎の愛した西洋の作家って誰だ?)そういう抑制する力をもっていたから、我が国の大古典である源氏をほんとうの意味で創作に活かせたのではないだろうか? ここで前述のオクタビオ・パスが、ポエムとポエジーを区別した事情を思い出すと、ポエジーの要素のなかでも「放棄」が詩学の世界では肝腎なのだろうか? 放棄するためには獲得しなければならず、獲得するためには対象を認識しなければならない。それとも「放棄」とは、捨てたあとに残ったものを指すのだろうか? もちろん、事はそう単純ではないし、詩学の世界では一体化するような事例もあり、例をあげると大岡昇平とスタンダールや、バルガス=リョサとフロベールなど。しかし、そういう作家であっても、ほんとうに輝いているときには、語りの言葉のうちに霊魂が宿り、その作家は人間として独り立ちしている。この立ち姿のことを人は文体と呼び、この立ち姿こそ谷崎文学の醍醐味である。それは初期作品といわれる、大正期の短篇でも変わらない。松子夫人の手ほどきを受けるまえで、あの息の長い調子は鳴りを潜めているけれど、これらの短篇には、ゆくゆくは大家になる自負心が推量され、円熟期を迎える萌芽が散りばめられている。「金色の死」は、これまでの藝術に対する内省とこれからの決意がテーマで、三島由紀夫っぽい友だちと主人公の二人舞台。この友だちがおもしろい。「母を恋うる記」と「富美子の足」、このふたつは題名から察してもらいたい。坂口安吾の作品のような「小さな王国」もなかなか読ませる。他に「人面疽」、「途上」、「青い花」。谷崎の初期短篇はすこし軽視されがちだけど、円熟期や後期にそれほど引けを取らないと私は思う。文豪と認められるまえの若い作家のつよい気魄や色々の意匠に、藝術家としての伸びしろや、成熟してゆく定められた未来を予感することができる。付記 我奈覇美奈さんの「With A Wish」という曲がなかなかいいです。歌声がなんか胸にくるものがあるし、繰り返し聴いても飽きにくい。女性ヴォーカルの魅力が詰まっている気がします。 この本には既レヴューがありまして、過去のじぶんのノー天気なコメントをみて冷や汗が出ました。 >> 続きを読む
2016/06/11 by 素頓狂
「刺青・秘密」 新潮文庫 谷崎潤一郎遡れば約一年半ほど前のこと。通信制高校生である私は、国語の授業で日本の古典文学に目覚めました。それに連なる形で近代日本文学に関心が湧いた私は、三島由紀夫の「金閣寺」を読み、その「日本語」で表現された豪華絢爛な文章の「妙」に触発され、日本の純文学を耽読するようになります。しかし、この「谷崎潤一郎」という作家は、日本の文学を語る上で避けては通れないとは思っていましたが、この作家だけは避けていました。なぜならば私は「クリスチャン」であるからです。谷崎のウィキペディアを徒然と覗いてみた私は、妖しい、倒錯した世界観を構成する単語の並ぶ作者の情報を見て、「これは、クリスチャンとして読んではいけない。」と、馬鹿に真面目に心に決めていました。ですが、待ち時間に書店に行き、谷崎の処女作の収録された、新潮文庫出版の本書、「刺青・秘密」を手に取ると、その表紙カバー(梅の花でしょうか)の妖艶さから、まず魅了されてしまい、「処女作だけ、読んでみて判断しよう。」と、本書を読むことと相成ったのです。 「きっと倒錯しきった耽美主義の世界が描写されているにちがいない。」、そう決め込んでかかっていた私は、表題作である「刺青」「秘密」以上に、本書収録の「異端者の悲しみ」に、いたく共感してしまったのです。主人公の章三郎は、東京帝国大学の文学科の学生ですが、ろくに通学もせず、実家である日本橋の八丁堀の二階で、親への反抗手段としてだらだら午睡したり、ふらふらと遊び呆けたりして暮らしています。そして、根拠のない自信、「俺には、とてつもない芸術の才がある! 今に見ていろ、お前らのような健常な、幸福者をアッと言わせてやるからな。」、そんな風に己を鼓舞するのですが、いざ原稿の前に膝を正しても、すぐに女のことを考えたり、酒のことを考えたりと、とにかく怠惰な若者です。私が「いたく共感した」というのは、私がかつては、クリスチャンになる前は章三郎のような若者であったからです。特に下記に引用する作中の地の文に「いやあ、似てる、俺と似ている。」と、嘆息のような笑みが浮かびました。ーーー閑寂な孤独生活に憧れる瞑想的な心持ちと、花やかな饗宴の灯を恋い慕う幇間的な根性とが、常に交互に起こって居た。友達の金を借り倒して、世間へ顔向けが出来なくなると、彼は暫く韜晦して八丁掘の二階に屏息したり、漂白の旅に上ったりする。そう云う時に彼は自分を非常に偉大な人物であるかの如く己惚れる。ーーーさすがに友達の金を借り倒してフラフラできるほどの「不道徳的器用さ」を私は持っていませんが、約二年前、今よりまだ落ち着きのなかった時分、インターナショナルなたこ焼きパーティーの席で、アメリカ人女性に「これ、飲め!」と言われて差し出されたのは、タコのドリップ、ドブの水のように混濁した色の「タコ汁」で、そこで私の心には、上記の「幇間的な根性」がふつふつと出しゃばってきた末に、その「タコ汁」を飲みほしてしまったのでした……。そんな下品な「幇間的」な振る舞いをしたかと思えば、「閑寂な孤独生活に憧れる瞑想的な心持ち」で、本の虫になっている時の自分、短歌を詠む、何か作品を創っている時の自分をして「非常に偉大な人物であるかの如く己惚れる」、鉄面皮な、厚顔無恥な「自我」が、「へりくだりなさい」というキリスト教倫理とせめぎあうようにして相対し、いざ自分よりも優れた同世代の人々、自分よりも本気で人々の事を考え、祈っているクリスチャンの人々の輪に入ると、「俺は一体全体、人生について何も分かってないじゃないか。自分の創る作品だって、所詮は狂言綺語じゃないか。人生の何に役立つのだ。」と、「自惚れ」の生じた自分を恥じるという、章三郎同様、なんとも七面倒臭い性格をしているのです。そして、河盛好蔵氏の解説を読んで初めてわかったことですが、この「異端者の悲しみ」は、大正六年(1917年)に発表された作らしく、この時代にもこのような、ある意味で「とても若者らしい不器用な若者」はいたんだなあ、という思いに駆られました。それ以上に驚いたのは、この作品は作者、谷崎潤一郎の「半自叙伝」の中編小説であり、そのことを知った私は、谷崎潤一郎という人物に親近感を抱いてしまいました。この他にも「二人の稚児」という、「浮き世」を、「この世」をほとんど知らずして比叡山延暦寺に引き取られ、それ以来、勤行に修行を重ねて育った、二人の少年が抱える、未だ見たことのない「浮き世」「女人」と「仏道信仰」への葛藤を描いた作品も、とても豪奢な文章・物語の調べとなっており、多数の仏教用語や、その経典の示す世界観の描写も、注解と合わせて読むことで、日本の仏教の、その片鱗を見ることが出来るので、クリスチャンである自分としては、こういった作品は大変勉強になりますし、とても興味深いです。口語における日本語はもちろんのこと、江戸の下町方言、江戸落語のような語り口の作品、そして、文語と、ありとあらゆる日本語を超絶技巧で展開し、幅広い芸術や風俗の知識をふんだんに馳駆して作品の世界観を構築する「谷崎文学」の世界は、あまり立ち入らぬ方が吉とは知りながらも、今後も立ち入ってしまいそうな「鍵」を、私に持たせた本書でした。 >> 続きを読む
2018/11/30 by KAZZ
wikiに「愛情の冷めた夫婦を軸に理想の女性美の追求を描いている。」と紹介されています。本書が理想の女性美の追求をしていたとは、私は全く思いませんでした。ひなびた地方の人形浄瑠璃の観客の雰囲気が心地よく、最後の一文の終わらせ方も良かったです。 最後の一文が唐突で、図書館へ本当に最後なのかを確認しに行ってしまいました。人形浄瑠璃にハマっている50代男性と、その若い妾と、娘婿の3人の人形浄瑠璃鑑賞旅行の話です。この人間関係で旅行とは一体どのようなものになるのかと、興味津々です。これだけでも素晴らしいなと思いました。あの人形浄瑠璃の雰囲気と3人の人間関係が混ぜ合わさった時の空気と、最後の場面を表現したくて書かれた本なのかと思いました。読んでいると、小屋の老若男女の賑わいや、弁当の香り、夏の日差しがありありと思い浮かび、私も当地へ飛んで行る気分でした。とても良かった。また読み直したいです。たまたま病院の待合室にあって10回通って読み終えた本でしたが、この後、谷崎潤一郎をランダムに色々と図書館で借りて読むようになりました。そしていつか人形浄瑠璃を見てみたいです。あの弁当持参のパティション付き小屋やゴザを敷いたりするものが現在はもう無いのが残念です。 >> 続きを読む
2019/01/21 by april
1月28日に行こうと思っている文芸漫談のお題が「鍵」なので読んでみました。谷崎潤一郎は「春琴抄」と「細雪」を映画で観たことがあるだけで、小説を読むのは初めて。わ、わー!なんと、これ、官能小説!?と、のけぞりながら読み終えました。大学教授という地位も名誉もある夫と、貞淑な妻。お互いに盗み読まれているかもしれないというスリルを感じながら、日記を書き鍵をかける。さてさて、この夫婦のなんともアブノーマルなお話を、いとうせいこうさんと奥泉光さんが、どんな風に読み解いてくれるのか、楽しみです(*^_^*) >> 続きを読む
2017/01/13 by shikamaru
谷崎はやっぱり美文家ですね。惚れ惚れする文章。これは中公文庫版で、西洋と東洋を比較した以下の6つの随筆が入っています。『陰翳礼讃』『懶惰の説』『恋愛及び色情』『客ぎらい』『旅のいろいろ』『厠のいろいろ』言わずと知れた表題作と、客ぎらい以外は初読でした。興味深かったのは『恋愛及び色情』で、日本においては恋愛小説の地位が低いという指摘。あぁー、確かになぁ、と。個人的には恋愛小説には感情の機微がぎゅうぎゅう詰まっていてとても好きなのですが、日本では娯楽小説や女子供が読むものって感じで、大の大人が、しかも日本男児が読むものではないと思われているというのは、ちょっと感じます。歴史小説とかに含まれた恋愛部分を楽しんでいるかもしれませんが、いわゆる純文学でも自己とは何か、とかそういう視点できても、恋愛そのものを扱うと直木賞候補って感じになっているような。『厠のいろいろ』も面白かったです。ぼっとん便所から水洗便所への過渡期を生きた著者の厠談義。TOTOという会社が日本に生まれたことは必然だったのでしょうね。。折に触れ読み返したいです。 >> 続きを読む
2017/09/02 by ワルツ
明治がどのような生活をしていたのか、どのような日本だったのかをリアルに知ることができた気がする。谷崎の小説はまだ読んだことがなく、人から聞くにはよく変態だというが、この幼少時代を読む限りは特に変態だとは思わなかった。私は歌舞伎を見に行くのが好きで、この本にも歌舞伎の話がたくさん出ているので理解できたのがうれしかった。教養とは時代を超えて共有できるものだと思った。それにしても昔の文豪など、奇跡や廻るめくして文豪になった人が多いこと。谷崎もその一人で、決して裕福で学のある家庭で育っているわけではないということ。谷崎の小説を読んでみたいと思った。 >> 続きを読む
2016/05/22 by snoopo
「没後50年に伴い谷崎潤一郎氏の版権が切れる」 去年の暮れのニュースです。 谷崎潤一郎? もちろん名前くらいは知っておりますとも。昭和の文豪でしょ。でも、読んだことはありませんね。なんだかとっつきにくくて。なにせ文豪というくらいなので。……という具合に当初は敬遠ぎみでした。しかし、谷崎氏の作品について少し調べてみた後、嬉々として飛びつきましたね。ナゼって、非常にアウトな匂いがしたからです笑 内容云々はとりあえず脇に置いておいて、とにかく文章が巧いです。特に「魔術師」では、語り手が表現をこねくり回したような言葉で長々と話しているにも関わらず、リズミカルで読みやすい。まさに言葉の「魔術師」でした。それぞれの短編で書き方が違うのも見所です。 収録作はどれも背徳的な香りを孕んでいますが、「マゾヒズム小説集」というには少しタイトル負けしている感が否めません。解説でみうらじゅうさんが書いておられるように、谷崎文学がそこに至る前の「萌芽」というのが正しいかと思います。 表紙絵は中村佑介さんで、人目をはばかると同時に人心を惹き付ける書籍となっていますが、ちょっと狙いすぎかなとも思えます。 これから代表作を読んでいこうという場合には、良い導入になる一冊です。 ちなみに、『春琴抄』はもう青空文庫で読めます。 >> 続きを読む
2016/01/16 by あさ・くら
『春琴抄・吉野葛』(谷崎潤一郎) <中公文庫> 読了です。谷崎というと「美しい文章」というイメージがありましたが、私には「素直な文章」という印象を受けました。全くどこにも引っかかりがなく、ごく自然に読んでいけるのです。しかし、これが当たり前のことだと思ってはいけません。「春琴抄」は作者、春琴伝、てる女という三つの視点、「吉野葛」は現在の吉野、伝説の吉野、津村の母の思い出、津村の最初の吉野行の四つの次元が、ときにはそれぞれに、ときには絡み合い混濁し、実際は非常に複雑な構成、文体でできているのです。それを「全くどこにも引っかかりがなく、ごく自然に読んでいける」のは神業と言っても過言ではないと思います。それを現実にできる彼のような人を「天才」と言うのではないでしょうか。# 今更私がそう表現するのは陳腐極まりないのですが……。「春琴抄」では、あらゆることが非常に詳細な描写で綴られていますが、一つ、春琴の妊娠、ということについては、その結果しか述べられていません。一体春琴と佐助とはどのように結ばれていたのか、そこだけは欠け落ちてしまっていて、読者の想像に任されています。そんなところも「うまいなあ」と唸らざるを得ません。谷崎潤一郎も先物買いで、中公文庫から出ている小説はあらかじめ全て購入してしまったのですが、この作品を読む限り、安心して楽しむことができそうです。 >> 続きを読む
2015/08/01 by IKUNO
『卍』(谷崎潤一郎)<中公文庫> 読了。文豪谷崎潤一郎が書いたレズビアン小説として名高いが、そういう興味からはいってしまうとすぐに飽きてしまうだろう。そういうシーンが無いではないが、直接的な表現はほぼ無いし、あったとしても軽い内容だし、回数も少ない。そもそも、レズビアンの設定が必要だったのか、という気さえしてくる。(もちろん、最後まで読むとその効果がはっきり分かるのだが)この事件が不幸な結末を迎えることは早々に仄めかされる。読み進めると新たな登場人物が現れ、次々に新たな事実が提示されるが、しかしその事実も何が嘘で何が本当なのか、どんどんわからなくなっていく。もちろん、どんな不幸な結末を迎えるのかも想像できない。全文がこの事件の当事者である園子の独白だけで語られている。園子の激しやすい性格を打ち出しながらも、どこも余すことなく秩序だって状況が説明される。他の登場人物たちの会話も違和感がないし、人物描写にも実にいきいきしている。この小説のような複雑な構造を、独白だけで綻びなく作り上げてしまう技量は、さすが谷崎潤一郎と思わせられる。常識的な世界から少しずれた世界の描写は、どこか江國香織の作品を想起させた。しかし、谷崎潤一郎は全く手を緩めることはしない。常識の世界までもをこの異常な世界に引きずり込み、やがてすべてが地獄のような世界だけになってしまう。読んでいて、とても沈鬱な気分になった。この沈鬱さに打ち勝つ自信のある読者だけが読むべき作品だと思う。※※ 以下、内容に触れます。また、性的な表現があります。※ 嫌な方は読まないでください。※性的不能者にもかかわらずプロの女性をも虜にしてしまうという綿貫のテクニックを身に着けた光子と園子との間には、どんな行為が行われていたのだろう。それは読み進めていけばだれもが思うところだが、それよりも気になるのは、孝太郎のことだ。孝太郎はたった一度だけ光子と接しただけで、光子に絡め取られてしまった。男をたった一度だけで破滅へと突き進めさせてしまうそのテクニックは、一体どこで身につけたものだろうか。まだ二十三歳だった彼女は、一体どのような人生を送っていたのだろうか。登場人物の中で唯一正常な世界の住人であった孝太郎がこの世界に落ち込んだことで、この物語の陰鬱な終結を迎える。最後の悪夢のような三ヶ月。その日々は園子、孝太郎、光子が三人で一緒に過ごしていたはずだ。一体、三人の間ではどのようなことが行われていたのだろう。「今日死ぬか、明日死ぬか」と思いながら生きていたあの日々、薬で衰弱しているために燃えるような感覚を与えられなければ満足できなかったあの日々。そして、最後の日に、光子を観音として描いた絵を飾り付け、その前で死を図る。谷崎潤一郎は『春琴抄』『吉野葛』を読んだだけだが、こんなに陰鬱な作品ではなかった。谷崎潤一郎は先行買いして大量に積読してあるが、この先読み続けられるのか、ちょっと心配になってきた。読み続けた先には孝太郎のような終末が待っていないだろうか。 >> 続きを読む
2019/03/16 by IKUNO
日本でもっとも偉大な小説家は谷崎潤一郎だろう。人気があるのは漱石で間違いないが、谷崎の作品の質には及ぶまい。『細雪』だけならまだしも、『蘆刈』、『卍』、『猫と庄造と二人のおんな』、『吉野葛』、『少将滋幹の母』等、読める作品を挙げるだけでも切りがない。これに『陰翳礼讃』や『文章読本』など、高級な文明批評や作文指南書が加わる。しかも、実人生がけっこう充実していた。三人も奥さんをもらったりして女性関係には恵まれていたし、三人めはあの松子夫人ですからね~。うらやまけしからん。これだけ褒めれば十分でしょ、きょうは谷崎をこき下ろしてみます。 なんだこのマザコン野郎、ってみんな思いません? 少なくとも、わたしはそう思っていました。『夢の浮橋』を取り上げたのは、じつをいうとマザコンについて話したいからで、というより、谷崎を罵った手前打ち明けにくいが、わたしはもちろん男はみんなマザコンだと、このごろ考えるようになったからだ。 わたしの場合は谷崎とは反対で、母親があまり好きではなかった、いや、むしろ嫌いだった。そして、そのことが自分の性的嗜好につよい影響を与えた事実をこの小説が教えてくれた。こういう反発もおそらくマザコンでしょう。いや~、母親について語るのはむつかしいし、恥ずかしいなあ~。こんな話題を藝術の高みまで昇華させた谷崎は、やはり本物の藝術家の一人にとどまらず、誰からの謗りも受けない生粋のマザコン野郎だ。 >> 続きを読む
2015/03/24 by 素頓狂
ちくま日本文学全集007
2017/10/27 by Raven
【谷崎潤一郎】(タニザキジュンイチロウ) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)
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