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とても良い本だった。 筑紫さんが生きていた時は、ときどき「スローライフ」ということをnew23で筑紫さんが取り上げているのを見ても、あんまりそこまで興味を持っていなかった。 何を寝ぼけたことを、ぐらいに思っていた記憶もある。 しかし、今回きちんと読んでみて、とても考えさせられた。 「スローライフ」ということは、とても大事なことだと思えた。 この本のサブタイトルは、「緩急自在のすすめ」。 筑紫さんは「自在」を「自(おの)れが在る」と読み下している。 つまり、世間の価値観や、とかく急かせる時間観に流されず操られず、緩急の中に己をしっかり持つこと、自分の価値基準や価値機軸をしっかり持つことを「スローライフ」と筑紫さんは呼んでいる。 グローバル化の中で、一元化される、一次元の価値観に対して、多元的な価値をめざし、価値を多様化し、自分にあった自分の価値観を築いていく、グローバル化への抵抗のすすめ。 独立自尊の現代ヴァージョンのひとつの表現が「スローライフ」ということらしい。 とても興味深く、考えさせられる提言だと思う。 そのための日本各地のいろんな地域や自治体の動きや、世界におけるいろんな動きについてもこの本の中でいろいろ言及してあって、とても面白かった。 「それで人は幸せになれるのか?」と、問うことが、本当に大事な時代や社会なのかもしれない。 アンゲロプロスの「時間を“奪う”か“味わう”か」という問いと表現はとても面白かった。 私も、時間をゆっくり味わえる人生を生きたいと思う。 「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」 という格言も、とても面白い、考えさせられるものだった。 ロハスやスローフードを、きちんとビジネスとしても採算がとれるように工夫している各地域や自治体の話が、なんとも生き生きしていて、興味を喚起させられた。 「大事なのは、私たちがどういう生き方を選択しようとするか、この地球のなかで生き続けるためにどこに価値を認めるのかなのである。」 (193頁) この筑紫さんの言葉は、とても大事なメッセージだと思う。 個人にできること、またすべきことを、二つの“P”、つまり、プロテスト(抗議、異議申し立て)とプロテクト(守る、自分の身を守り、自分の大切な人々や社会を守ること)、と表現していたのも面白かった。 プロテストとプロテクトのため、そして自分自身が本当に納得のいく楽しい人生を生きるため、「スローライフ」ということは、「スローフード」や「スローインダストリー」をひっくるめて、21世紀にとって最も考えるべき、実践すべきことかもしれない。 筑紫さんが、スローライフを実践していくうえで、大事だと思う七つのことを挙げていて、それもとても興味深かった。 1)自発性こそが全ての出発点であり、命である。上意下達、機関決定、労組型の「動員」「日当」などをルールとしない。 2)ゆるやかな結びつきを組織原則とする。参加者ができる範囲で、割ける時間を使ってやれることをやる。 3)「小さいことは良いことだ」-少数派であることを肩身が狭いとか、恥だとか思わず、むしろ誇りにする。 4)他の「同好」グループとの結びつきは、「水平型」「ネットワーク型」を目指し、上部組織―下部組織の「垂直型」を採らない。 5)「正統性」に固執しない。自分たちがやっていることが大事で、正しいことだと信じないことには運動の活力は出てこないのはたしかだが、それが他者、他グループを非難、排撃する理由になってはならない。「富士山の頂上に辿り着くには、いろんな登山口がある」と思ったほうがよい。 6)寛容とゆとりを持とう。 7)「快」「楽」を最優先にしよう。いくら正しいことをやっていても、それが苦しげに見えたら多くの人の共感を集めることはできない。(中略)真の「ゆたかさ」とは「心ゆたか」であることであり、金、時間、空間の「ゆとり」は「心のゆとり」を得るための手段であることを示すことができれば、真の勝ち組はこちらであると言うことができる。そのためには、やっている当人たちが、それを楽しみ、おもしろがり、快いと思わなくてはならない。つまり、黒澤さんの言うように「もっと幸せに」なって見せることである。 そのために何を考え、何をしたらよいか。あるいは、してはならないか。 (205~207頁) とても良い、また繰り返し思いだし、味わいたい一冊だった。 >> 続きを読む
2012/12/22 by atsushi
森のゆめ市民大学のスタッフとして身近な存在でもあった筑紫さん。我々のような市井の人間に対して優しく厳しく『自分で考えること』を教えていただいた。その延長線にある1冊。頑張ろう! >> 続きを読む
2015/10/21 by けんとまん
とても良い本だった。 筑紫さんの生きていた頃は、よくnews23を見た。 筑紫さんの温厚で余裕と味のある笑顔や表情、懐の広いスタンス、そして社会の木鐸としての度胸ある発言が、この本を読んであらためてとてもなつかしい。 この本には、『週刊金曜日』において1993年から2008年の十五年間の期間に筑紫さんが執筆したエッセイが収録されている。 読みながら、あらためて、そういえばと、今はすっかり忘れていて思い出されることも多かった。 そして、何よりこの本において貴重なのは、それぞれの具体的な出来事や事件を通して、一貫して筑紫さんが語ってきた、筑紫さんの思想やメッセージの色あせぬ輝きだと思う。 筑紫さんがこの「失われた十五年」にいかに取り組み、発言してきたか。 今はすっかり忘れているさまざまな政界や官僚の不祥事、金融危機や事件、政界再編やイラク戦争などの個々の具体的な出来事や事件を通して、筑紫さんが説き続けてきたことは、これからの日本にとってもとても大事なメッセージが多々含まれていると思う。 まず第一は、「官尊民卑」「官主主義」と闘い、民をこそ大事にする在野精神や民主主義である。 「無責任の体系」「現実主義の陥穽」「雰囲気の支配」「既成事実の追認」と闘い続けること。 減点主義の官僚文化や、その腐敗としての「私腹国家」を批判し続けること。 それは、日本が昨今の混迷や政治的麻痺から脱却するためには本当は最も必要なことだったと思うし、今もそうだと思う。 また、筑紫さんが格闘した対象には、「投票率の低下」があった。 有権者の関心の低さや、政治からの逃避・離脱に対して、「とにかく投票にいこう!」としばしば自分の発言力への無力感を感じながら説き続けたことが、この本を読んでいて、あらためて胸打たれた。 投票率が低いと、50%以下の50%、つまり25%以下の人々が全体を支配し、公共の利益を捻じ曲げてしまいかねない、という指摘や、 イラクへの自衛隊派遣もあと5%投票率が高ければ止められたはず、という文章を読んでいて、あらためて考えさせられた。 「市民とはあきらめない人たちのことだ」(272頁) という言葉も、深く考えさせられた。 一方で、 「「とにかく変わって欲しい」という、そのとにかくが危ないのだ。どう考えるかを本気で考えないと―。」(212頁) と述べているように、筑紫さんは民主主義の未成熟や暴走にも常に警戒や憂慮を欠かさなかったと思う。 筑紫さんは、民主党への政権交代を見ることなく亡くなられたが、自民党長期政権が続く日本の病として、「隠し病」「先送り病」「しがらみ病」の三つを挙げていた。 この三つの病は、どの程度、今改善されていると見られるだろう。 さらに、より良い政治や社会を目指すために、筑紫さんは常に幅広い立場の人の意見を聴き、対話することを心がけていた。 「内輪の論理に立てこもり、自分たちの気に染まぬ動きや意見に対しては悪罵を放つことが批判だと思い込む危険がある。 敵と戦うつもりなら、なぜ敵がそういう行動をし、意見を持つかの観察力、洞察力、そしてできれば説得力を持たないことには戦いにならないし、ましてや勝つことなど覚束ない。」(85頁) そのことにあらためて感銘を受けた。 この精神、左右ともに、今これからの日本人に最も必要なセンスと思う。 自らを「文化的保守主義者」とし、自民党を「悪しき革新主義」とあえて呼んでいるところも面白かった。 筑紫さんはある意味、本当の意味の愛国者だったのだと思う。 「大切なことは人がそこから何を読み取り、血肉化していくか」 起こった出来事を、健忘症のようにすぐ忘れるのではなく、きちんと覚え語り継ぎ、本当に未来に生かすためにそこから貴重なメッセージを汲み取り血肉化すること。 それこそ、本当の歴史や人間や国家社会への愛情である。 筑紫さんはそう言いたかったのではないか。 「第二の敗北をどう抱きしめるか」ということに注意を促していたのには、あらためてすごい慧眼と思った。 我々が、最も忘れずに覚えて、そこからの教訓を血肉化しなければならないのは、本当はこの失われた十五年のことなのかもしれない。 そのためにも、この本は極めて重要な時代の証言であり、一冊だと思う。 「過去は単なる過去として存在しているのではない。いつも「現在」の視点で振り返られる存在なのだ。 歴史はいつも「現在」とともに在る。」(362頁) この本は「現在」において、あらためてじっくり読みなおされるべき本だと思う。 >> 続きを読む
【筑紫哲也】(チクシテツヤ) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)
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