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本書は、受験などで力を発揮するような受動的に知識を得る「グライダー」型の能力と、自分自身でものごとを発見・発明する「飛行機」型の能力を比較したうえで、「グライダー兼飛行機」になるために何を心掛けるかを考えるためのものだと宣言するところに始まります。とはいえ一冊を通して一塊の思想を伝授するといった趣向ではなく、一話完結のエッセイ形式で進行するため、目次等で気になった部分だけを抜き出す読み方に適しています。内容については、仮に現在の流行りの言葉で呼ぶならば、"思考のライフハック"とでも表現できる、考えることにまつわる助言やコツともいうべき情報が紹介されています。そんな数々の知見を一概に要約することは難しいですが、雑にまとめてしまうなら、力押しではなく「押してダメなら引いてみろ」に類する発想による思考法と言えます。そのような主旨である本書のなかで、たったひとつ重要な知見を挙げるとすれば、やはり複数の章にわたって最も多く紹介されている、「忘却」が結果として「思考の整理」を導くというアドバイスであり、これによって本書の位置するところを大まかにイメージして頂けるのではないでしょうか。本文で取り上げられる思考するものの対象としては、著者が英文学者であるだけあって論文の執筆が例として頻出しており、「ものを書くのは人間を厳密にする」という言葉にも表れるように、読者のメインターゲットは文筆を職業や学習のために必要とする、もしくは志す人々にあると言ってよいでしょう。具体的なテクニックについては、スマホどころかコンピューターも一般家庭に普及していない時代だけあって、スクラップブックやカード・ノートの利用法といった今となっては参照されがたいであろう情報も存在しますが、同時に刊行時点では未来の話である、コンピュータの普及によって従来の仕事が奪われる社会を予見するなど、いまだからこそ光る部分も存在し、見所のひとつでもあります。実は通読したうえで、本書の内容をさほど目新しくは感じなかったのですが、40年近く前に刊行され源流となった本書にある知恵の多くが間接的に伝わった、または常識として定着しているからこその感想かもしれません。 >> 続きを読む
2020/09/23 by ikawaArise
本を読む本。J・モーティマー・アドラー先生、V・チャールズ・ドーレン先生の著書。本の読み方、正しい読書の仕方が学べる良書です。読書好きや読書博士、本の虫であることを自覚している人にとってはもちろんのこと、そうでない人にも参考になる点がたくさん。この本を読むと読書好きや読書博士、本の虫になってしまうかもしれません。 >> 続きを読む
2019/05/23 by 香菜子
今、話題の外山滋比古さんのエッセイ・・「日本語の作法」当世の言いまわしでという中で、「ホームと電車の間が広くあいているところがあります。ご注意ください」と、普段、なりげなく聞いているが、この「ください」は本来、命令形であって、目上の方には使えない、対等の間柄でも問題がある。びっくりしたのは、この頃の学校では、こどもに対して命令形はなるべく使わないらしい。「提出せよ」は論外、「提出してください」も敬遠、「提出しましょう」と言うのが、当世風らしい・・・・。教育の場、先生と生徒の関係は、商売人とお客様の関係になってしまったのか。いやはや、いやな世の中である。衣食足りて礼節を知る。ことばは礼節のひとつであり、ことばを大切にするのは文化のはじまりである。敬語を使う、目上の人への言葉使いで、品性がわかる。日本のことばが生まれ変わりつつある今、日本の文化、日本のことばを大切にしたい、日頃口惜しい思いのしている、昔ながらの大人には、多少憂さの晴れる本である。 >> 続きを読む
2013/05/24 by ごまめ
現在90歳になんなんとする現役学者さんのたぶん最新のエッセイです。(2012/10/11発売)「言葉は生きている。時とともに変貌するし、所によっても違った意味を帯びる」外山滋比古氏の専門が本来は英文学とは、意外でした。日本語といえば外山さん、と思い浮かぶほど。日本のことばのオーソリティ。と思っておりましたが。実は、外国語習得において「新しい日本語」を見つけたのだそうです。「回帰した日本語は、やさしく、あたたかような気がした。それを国語とはいいたくない。日本語であるとひとりこだわった。いつしか日本語弁護を考えるようになっている」彼の基本姿勢は言語の柔軟性を容認するというところ。言葉の語源、文学の原文主義をむしろ批判的に眺めています。意外にも、国語教育者やお堅い言語学者とは一線を画していることがわかりました。日本語への愛と柔らかい発想の論理がとても面白く、「国語学者」への皮肉もいっぱい。読みやすく、あらたな気づきもあって良書だと思います。『地理的言語』 言語には歴史(時間)的な性格・意味の他に、地理(空間)的な性格と意味があることを発見。 日本人は翻訳がお嫌い=苦手。 意訳なくして翻訳など不可能と知るべし。『第四人称・第五人称』 外山氏のアイディアによる造語です。 演劇の観客、書物の読者は1~3人称、つまり「物語の当事者」ではないのです。 時代と社会を超越する古典は、作者のみによって完成するのではなく、 また第四人称によって成立するのでもない。 時の試練を経た五人称読者という受け手によって成立する、という主張。 実に共感いたします。 ベストセラーは四人称が作りますが、五人称読者が手にしてくれるかどうか。 時の女神しか知らぬことでしょう。『センテンスとパラグラフ』 日本語にはそもそも文を区切る発想がなく、句読点も明治初期の輸入品。 俳句では、五七五それぞれの句が省略されたセンテンスの性格を帯びている。 外国語導入において、単語にエネルギーを注いだ結果、パラグラフ(段落)など、置き去られてしまった。 日本の文学者でさえ段落のことなんか理解していない人がほとんど。 ありゃ~。どうりで、国語のテストでヘンテコな問題があったわけだ。『敬語の論理』 敬語の心は人間関係を思う心 相手を尊敬しているかいないかではなく、人間関係を円滑にするためのもの。 「コーヒーでよろしかったでしょうか」に反発する「ことばにうるさい人たち」は、 敬語の心を理解していないのでは? 過去形が丁寧な感じになるのは正しい用法。(英語も同じ) 敬語の消滅した世代に芽生えた敬語の表れとみればおもしろい。 「敬語撲滅運動」などで人間の平等は図れない。歴史的文化破壊だ。『目のことばと耳のことば』 言葉の基本は音声。つまり耳の言葉が重要です。 「声を失った沈黙のことばに長い間触れていると、文章の力を過信する」ようになる。 「文章の方が高級という錯覚」を持ってしまう。 ことばのリズム、調子などのセンスを失うことになりかねない。 「考えること表現をもとめていることは、つねにことばより大きい。」 「すべてはことばでは〝筆舌につくし難い”のである」ことばのプロの言葉として、心しておきたい一言です。 読み聞かせであっても、耳を使う言葉であることを考えればまだまし。 外山氏は、今、「〝耳で読む”勉強会をつくろうとしている」そうです。『ワレとナンジの間』 日本語には0型自称が使われている! 敬語の基本は敬遠。日本人は相対するのを好まない。 一人称が多数あるのは多神教的。 その上、訳語にしない第一人称がある。 自称を落とすのではなく名詞で言い換える。「先生」「父さん」「先輩」など。 漱石は東洋の文学は西洋の文学とは別のものである。と気付いた文学者。 観念的文学と社会的文学の発見 『多数決』 多数の支持があれば慣用になる。言葉は意味や用法を変えていくものです。 こどもの名前、ことわざなども。『あいさつ(ファティック)』 コミュニケーションにおいて、意味のない言葉はないが、 あいさつに、言葉の意味を求める人はいない。ファティック言語=あいまい性。 気持ちや心を伝える、共感・交歓。「コミニョン」 俳句はあいさつの文芸。論理的意味から自由。 「すみませんが」を謝ることばだと決めつけるのも 「幼稚で、小学生でも一、二年生くらいの知性である」 ↑結構、この手の毒舌がいっぱいでてきておもしろいんです。『外国語の意味』 文脈・コンテクストによって具体的な語義は決まる。 辞書ひくの大変だったものなあ。 そうか。「試験にでる単語」って辞書として使えばよかったんだ~!今更遅いけど。 『通信革命』 文字の出現と、印刷・出版の出現が今までの大きな変革。 出版は書き手と読み手の立ち位置を書き手優位に変えた。 携帯電話の登場は、新しいコミュニケーションの様式の誕生。劇的な変化を予感させる。 (ケイタイ文化=ネット文化と読み替えた方が適切かもしれません) >> 続きを読む
2013/03/02 by 月うさぎ
転石 苔を生ぜずこの言葉には初めて英語の時間に出会った。A rolling stone gathers no moss分詞構文の例題より日本語に感心してしまった。どこの国でも同じことを考えるものだ。ここにもそう書いてある。でも最近少し違った意味にも使い出したそうだ。アメリカ式解釈で、優秀な人なら引く手あまたで席が温まる暇がない。それってヘッドハンティング?「会社変わるの、まだ no moss なのにね、うらやましいです」なんていわれるのかな。この言葉がイギリスで生まれたときは、絶えず商売換えする人に金はたまらないという意味だったとか。私は日本人なので、やっぱり腰の定まらない人は生活も安定しない、と言うように感じるけど。終身雇用でなくなってきたら、能力を磨かないと苔が生えると言われかねない気もする。項目が多いので折に触れて少しずつ読もうと思っている。 >> 続きを読む
2014/10/03 by 空耳よ
記憶と対立するものとして、一般的にネガティブなものとして考えられる忘却の意義が一篇一篇のエッセイで説かれていく(“忘却肯定”)。忘却があるからこそ思考する余地があり、記憶と異なり忘却には個性があり、それが創造につながる。息抜きや三上・三中、スポーツやドラマなどによるカタルシス効果は忘却を促進させるものとしてその必要性を知ることとなった。知識や情報が溢れる現代だからこそ、より深い学びのために忘却の役割を意識することは重要性を帯びてくる。All work and no play makes Jack a dull boy. >> 続きを読む
2017/05/16 by Jay
タイトルになっている「ゆっくり急ぐ」は、ローマ皇帝アウグストゥスの名句“FestinaLente(ゆっくり急げ)”の言葉から・・・これは「急がば回れ」などとは違い、むやみに急いでは行けない。だらだらしていてももちろんいけない。平常心を失うことなく先を急ぐ、ということ。生き方の教えとも、仕事の心得とも。でも、どのエッセイも日常のさもありなんという事柄が続く。先人の言葉が紹介されていてなるほどと・・・例えば、岡倉天心は「茶の本」の中で、「人は自己の感情には無頓着に世間一般からもっとも良いと考えられているもの得ようとかしましく騒ぐ」と、本当にいいものではなく、高価なものをほしがり、「美しいものではなく、流行品を欲するものである」とも・・・・。食べ物も、口でたべる前に、目で食っちゃう。好きな落語、好きな音楽、好きな本、好きな食べもん屋、・・・・世間が評価するものは一定の水準以上のものだが、それが自分にとってベストではないことは、多々あること。自らの基準ができあがるには、自分の気持ちに素直になれることが必要。好き嫌いがはっきりするのは、結構大事なことなんですな・・・。 >> 続きを読む
2013/08/24 by ごまめ
日本語のもっている美しさ、特徴をわかり易く説いている。特に戦後、敬語は封建時代の象徴のように誤解され、家庭でも学校でも教えなくなった。家庭でおこなう躾けをしなくなったと同じくして、敬語、親を敬う気持ちもどこかへいってしまったようだ。この本、読みながら、なるほど、なるほどと納得して読んでいたのだが、今プログを書きはじめようとして、一度外山滋比呂さんの他の本を読んだのではないかとふと思い、探してみるとありました、文庫本「日本語の作法」が、・・・えぇ、同じではないか。表紙のイメージは残っているんで、デザインが同じなのはまず買うことはないんですが、BOOKOFFなんかで、単行本の安いのを買う時は要注意ですな。二回読んだというのは事実なので、完読しても気が付かないというのは、アルツハイマーがはじまっているのか、逆にちょっと不安。でも、何回、読んでも楽しい本であるのは間違いありませんな。 >> 続きを読む
2013/08/04 by ごまめ
【外山滋比古】(トヤマシゲヒコ) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)
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