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発売された当時、直ぐに買って読みましたが今は大まかな内容しか思い出せなくてまた読んで見ました。表題にある「巡礼の年」は「フランツ・リスト」の「ル・マル・デュ・ペイ」の曲集の第一年、スイスの巻からきてるらしいです。村上春樹は大方音楽と関係がある作品を書きますね。途中でも色々音楽のタイトルが出て来て読んでる方もニヤリとします。内容はある日突然親友達から意味もなく拒否され自殺まで考え、そして一人づつ逢い何故そうなったか真相を探る物語ですが、実際に私のこれまでの人生でも急に連絡が取れなくなった友人がいます。人それぞれの人生ですから仕方ないと思います。読んでいてその事と話しがだぶり少し切なくなりました。そして主人公の「つくる」頑張れ、負けるなと応援したくなります。 >> 続きを読む
2020/03/01 by rock-man
読みやすかった。若い頃の何をやりたいのか何をやろうとしてるのかが曖昧にそれぞれが流れていく。音楽が常にそばにあって女の子とのやり取りもつかめそうで掴めない。そんな儚い青春の空気感を表現するのが巧いというか。デビュー作からやっぱり春樹カラーでした。 >> 続きを読む
2019/06/17 by miko
学生の頃に読んで、そのあとも何度か読んで、中年になった(?)ワタナベやレイコさんと同世代になって再読。読んでいる間じゅう、しっとりと霧に包まれた静かな山道と針葉樹の濃い緑色が目に浮かぶ、そんな小説。阿美寮のイメージ。突撃隊も好きだし、昔はよくわからなかった永沢さんの台詞に共感するようになっていて、自分の内面の変化を感じた。もう少し年齢を重ねてから、また読んでみたいと思う。 ただ数年前に映画を見てしまい、読んでる途中で直子役の菊池凛子(歴史に残るミスキャストだと思う)が頭の中に何度も登場してきて興醒め。映画さえ見ていなければ!悔やまれる。 >> 続きを読む
2020/06/22 by sally
かなり久しぶりの再読。「世界で一番タフな15歳にならなくちゃいけない」生きることはどのような強さが必要なのか、そもそも「強さ」とは何か、そんなことが語られる世界。15歳の世界には色んなことがある。と同時にむしろ何もない世界なのかもしれない。15歳くらいといえば最も強く外からの刺激を感じる年代であり、自分と他者と世界について深く考える時期でもある。それは大人から見ると極めて狭い世界であり、経験も知識も浅いものかも知れない。しかしそのような内省こそが成長する過程そのものであり、学校という”社会”から(ドロップアウトとはいかないまでも)少し浮いた感じであればこそ強くそれを意識し、苦労して大人になる。そして大人になったところで、世界は依然冷たいままだ。そういえば自分も確か高校1年生くらいの時に一人で旅をしたことがあった。もちろんこの小説のように不思議なこともなければ家族に問題を抱えていたわけでもなかったが、それでも楽しく、良い経験だったと思う。この小説を読むと不思議と高速バスに乗ってどこか遠くへ行きたくなる。原作を前回呼んだのがかなり前だったので、思い出す部分もあるし、過去に持っていた印象とは違う印象を受けることもある。あれ、大島さんってこんなに切れ味鋭くて厳しい人だったっけ?とか。ちなみに3度舞台化されたのは全部観たけれど、どれも美しくて素晴らしい舞台だった。脚本と蜷川幸雄さんの演出が良かったのだろう。主要なキャスト(カフカ少年、大島さん、佐伯さん)が3度とも入れ替わっているので、原作を再度読む時に舞台の印象に引きずられることは無く、ニュートラルに読める。一方、3度とも同じ役者が演じたナカタさん(木場勝己さん)と星野君(高橋努さん)は、舞台の役作りがすごかったのか、元々役が特徴的でつかみやすいのか、とにかくよくハマっていて、素晴らしかった。という訳で自分が原作を読むと、この2人のパートは脳内で舞台上の木場勝己さんと高橋努さんが登場する。勿論良い意味で。 >> 続きを読む
2020/02/08 by lafie
2回目の再読。最初に読んだ時期が思い出せないほど前だったにもかかわらず、雰囲気や作中の出来事を結構覚えている自分がいて驚く。やはりそれだけ大きな力を持った小説だと思う。2つの世界が交差する中で共通点とか相違点とか、色んな意味とか解釈が成り立っていくのも2回めならではな感じ。最初のエレベーターのシーンからいきなり引き込まれるし、無駄がなくてパズルのように組み上げられる物語の構成はすごい。どっちの世界にもいる「図書館の女の子」が素敵すぎてどうしようみたいな。笑 >> 続きを読む
2018/11/24 by lafie
「いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの」とてもチャーミングなオードリー・ヘップバーンがこちらを見つめる有名なジャケットは、映画を観ていなくても誰しもが知っているでしょう。一目見て、忘れられなくなるくらいキラキラしています。でも、映画を観ていない私が本書を読んだ脳内映像の主役は、マリリン・モンローでした。型破りで自由奔放、一つ一つに色気のあるしぐさはオードリーではありませんでした。ここまでホリー・ゴライトリーの印象が違うと、映画→原作の人は困惑するだろうし、原作に満足してしまうと映画を観ようという気は起らなくなるかもしれません。私は後者です。収録されている短編3作を含め、雰囲気が良くて、おしゃれで、登場人物と共に会話を楽しんだり、悲しくなったり。本を読んでいて、とても満たされました。囚人宿舎の中でギターを弾く新人囚人により、生きていることを思い出した風景(『ダイアモンドのギター』)、花盛りの家、親友とクリスマスツリーを切りに行った日のこと(『クリスマスの思い出』)、なんて色彩が豊かなのでしょう。それと、どれもラストが好みでした。ホリー・ゴライトリーには、自分らしく幸せであってほしい。主人公の想いに共感しました。それぞれ短編の主人公にも同じことを思いました。 >> 続きを読む
2018/07/07 by あすか
コレは自分の書架から。双子と同棲する"僕"と鼠先輩(違)のつれづれ。3フラップのピンボール台"スペースシップ"がおかれていたバーをめぐる2元中継スタイル。村上春樹氏のこの作品での洗練度は失礼ながら要約すると和製サリンジャーを気取っているのだと思った。のちのノルウェイの森にまっしぐらだwけっこう好きだ。物語ではなく、文体を味わっていくということが。 >> 続きを読む
2018/07/06 by motti
ノルウェーの森の元ネタ
2010年頃に初めてに読んで以来の再読。Book1の始まり方が素晴らしすぎて大好き。全体的に好きな本ではあるけれど、Book1の最初とBook2の最後が一番好きかも知れない。一度渋滞を狙ってタクシーで首都高にのってやりたいくらいの勢いです。笑さて、少なくとも今現在、実際には三軒茶屋のあたりに非常階段は無いそうです。でもこの感じ「何か既視感があるんだよなあ」と思っていたら、読んでいるうちに思い出しました。首都高から階段で降られる場所があるんです。過去に一度、高速バスに乗っていて用賀で降りたことがあるんですが、そのときに降ろされた「用賀PA」というのが高速の上にあって、そこから田園都市線の用賀駅まで降りるときに階段で降りていったような気がします。ちょっとだけですけど、この小説の雰囲気に似ているのでそのうちまた行ってみようと思います。できればタクシーで。内容的には村上春樹先生が言う「精神的な囲い込み」みたいな呪いのようなものが重くて暗くて、Book1はとても怖い話だと思っています。それは家庭や学校や地域が少しずつ「歪む」ことで、どこかで人間性の本来の姿みたいなものが見えなくなっていく様子だったりするのかも知れません。この「精神的な恐ろしさ」は、最初に読んだときは本当に背筋が冷たくなりました。その上で語られる第15章の会話は、圧倒的に力強くまた優しくもあると思うのです。ちなみに、「村上さんのところ」という本によると、村上春樹ご本人はあゆみのこともたまきのことも覚えていないらしい。笑 >> 続きを読む
2019/04/28 by lafie
訳者のあとがきが一番印象的でどれだけこの作品に村上春樹の思い入れがあるか伝わってきた。作品自体は、何となく平らな印象が残って良さがよく分からなかった。多分訳者のように原文で何度も読み返すと魅力が伝わってくるんじゃないかと思う。自分には無理だけど。 >> 続きを読む
2017/11/11 by キトー戦士
著者の小説、3作品目。今の自分にとっては、そのなかで際立って面白いと思えた本。少しずつ読むつもりが、一気に読み終わってしまった。じわじわとくる。 >> 続きを読む
2020/08/02 by Rumi
鼠3部作の3作目です。鼠からの手紙から作品は始まります。どうやら鼠は青森→北海道と転々としているようです。"私"は妻と離婚し、そして耳の美しい新しい彼女が出来ます。ある宣材写真で見かけた"耳"が気になって、その"耳"の人を探してやっと見つけたのが彼女です。ところで、ある日私を訪ねてくる男がいました。そのいかめしい男は私が広告製作に使った写真に写る"背中に星模様の羊"を探してくれといいます。「羊を探せないと君を社会的に抹殺する」みたいなことを言われ、私は仕方なく思い腰をあげてその羊を探すことにします。仕事をやめ彼女と北海道に旅に出ます。上巻はここで終わりです。妻と離婚し、羊を探すため仕事もやめてしまった私ですが、すべての事から解放され、これから羊を探すひろい草原のような空間、つまり希望がみえるようなそんな感じがします。下巻ではどんな展開になるのか、楽しみです。それにしても依頼人の運転手はいいキャラです。私と彼女との3人でのやりとりが面白いです。その一節。"「じゃあたとえばサウジアラビアで作られた車にはアラーが入り込んでいるわけだね」「サウジアラビアでは車は生産されておりません」「本当に?」と僕。「本当です」「じゃあアメリカで作られてサウジアラビアに輸出されて車にはどんな神様が入っているのかしら?」とガールフレンドか訊ねた。むずかしい問題だった。"運転手、私の猫に"いわし"なんて名前をつけたりもして。 >> 続きを読む
2017/12/05 by Reo-1971
『1Q84』(村上春樹) <新潮文庫> 読了です。まず初めに、章名について。例えば、「BOOK1 前編」の第1章は目次では次のように書かれています。----------第1章(青豆)見かけにだまされないように----------さて、章名は「(青豆)見かけにだまされないように」でしょうか、「(青豆)」でしょうか、「見かけにだまされないように」でしょうか。実は、新潮文庫では左ページの上部に章名が書かれます。つまり、章名は「(青豆)」なんです。そのように見ると、『1Q84』という作品は「(青豆)」と「(天吾)」を交互に並べられて作られていることになります。その構造はこの作品を実にうまく表現していると思います。そして、その構造を知っておくと、「BOOK3」で驚くものを眼にするでしょう。「見かけにだまされないように」というのは副章名ということになります。村上春樹は、タイトルと書き出しだけ決めて作品を書き始める、と聞いたことがありますが、もしかするとこの作品では、章についてもそうかもしれませんね。なかなか難しい作業ですしおそらくは違うとは思いますが、そんなことを想像しながら読んでみるのもなかなか楽しいです。作品を読んでいると、社会的な問題について書かれていることに驚きました。これまでの村上作品では、あくまでも個人的な問題を書いてきたので。そのため、最初は実験的な作品なのかな、と思いました。しかし読み進めていくにつれ、だんだん個人的なものへと扱う問題が移っていきます。村上春樹の実際の意図はわかりませんが、最初は社会的なものを扱おうとしたけれど、筆を進めていくと、やはり興味は個人の中にあった、という風に読めました。作品全体として前半と後半の間にちぐはぐな印象を受けるのは、新しい分野を開拓しようとしたけれどうまくいかなかった、あるいは書きたいものはそこにはなかった、ということを表しているように思えました。それでも、二人の問題を同時に扱おうとしたのは新しい手法だと思います。私はそこは成功していると思ったのですが、いかがでしょうか。「ヘックラー&コッホ HK4」が登場してから急に物語がぐっと引き締まり、面白くなった感じがします。まさに、確かな手ごたえが感じられる、といったところでしょうか。小学生のころに初恋を経験した方にはたまらない作品だと思います。恥ずかしながら私も、たびたび小学一年生のときのことが頭に浮かび、何とも言えないせつない気持ちに襲われました。 >> 続きを読む
2017/07/16 by IKUNO
「100%の女の子」と「鏡」はすごく良かった。特に前者は1Q84の元ネタということでなるほどなあって感じだし、なんだかとても好き。 でもそれ以外はちょっと初期の村上春樹色が強すぎて、フフッと笑いながら読んだけどどうもなあ・・・って感じ。 「形而上学的な足の裏」とか、自分が村上春樹さんの信者だったとしてもついていけない所も多い。 やれやれ。笑 >> 続きを読む
2018/01/01 by lafie
評価が高いという理由で、今更ながら手に取った。 言葉の使い方や、人物設定は魅力的なのだが、 フランスシネマのような単調さと、 恋愛や性のことばかりが際立ってるのが どうしても好きになれない。 でも名作と言われるのも それはそれで分かるような気はする。 そんな中でも私の好きなシーンは、 死を直前に迎えた緑の父親と主人公のワタナベが 初対面にして心を通わせるシーンだ。 一風変わったキャラクターが多く、 共感しづらい心理状態ばかりの中で 唯一、人間くささが出ているからである。 今後、もう少しヒューマンドラマが期待できそうな 他の作品も読んでみたいと思う。 >> 続きを読む
2019/01/28 by NOSE
この小説を読んだのは多分3回目。いつ読んでもすごすぎる小説。第1部は運命というようなものがどのように忍び寄ってくるのか、そんな話。例えば自分が誰かのことを好きになるとき、それは何を根拠にできるのだろうと思うことがある。青いティッシュペーパーと、柄のついたトイレットペーパーだけは、絶対に買ってはならない。牛肉とピーマンは、絶対に一緒に炒めてはならない。そんなことさえ知らずに、僕は彼女の何を理解できているというのだろう。無条件に信じろと言ったところで、誰が信じてくれるだろう。そして、彼女はいなくなる。変わった人々が現れ始め、おかしなことが起こり始め、猫が姿を消す。運命がささやく。「もっとひどいことにだってなりえたのだ」第1部はとにかくそんな風に、翻弄される僕らの物語なのかもしれない。 >> 続きを読む
2019/01/14 by lafie
ホールデンの持つ思春期特有の純粋すぎる価値観が、自分の黒歴史を見ているようで、ときどき手で顔を覆いたくなった。しかし、恥ずかしさを抱いてしまうということは、あの頃に忌み嫌っていた「大人」になってしまったということであり、読了後には「もう戻ることが出来ない時代」に対する様々な感情が沸き起こった。村上春樹の独特な言い回しに賛否両論あるけれど、むしろ春樹節全開の胡散臭い表現だからこそ、ホールデンの不安定な精神がよく表せているのではないかと思う。 >> 続きを読む
2019/09/21 by ちまき
--その木は ひとりの少年の ことが だいすきでした。-- 年末、子どもにプレゼントする絵本を探した本屋さんで再会した一冊です。 小さい頃とても好きだった絵本。 今は村上春樹の訳で評判になってるんですね。 絵が、懐かしく嬉しい。 老いた少年が切り株に腰をおろす最後のシーン。心から素晴らしいと感じます。 何もかもを木から持って行ってしまう我が儘な少年、 何もかもを少年に与えてしまう過保護な木、 でも、そんな二人だからこそ、木は切り株になれて、少年は人生に疲れて帰ってきて、最後を共にできる結末。 もし木が少年を厳しくたしなめて何も渡さなかったら、少年が腰を下ろす切り株はできていませんし、何より、人生に挫折した少年が最後に帰ってくる場所にならなかったと思います。 もし少年がお利口さんで優しい性格だったら木は綺麗な大樹のままですが、そんな良い子なら、人生も上手に渡り歩き、孤独と挫折の最後に至ってないように思います。 少年が木から何もかもを強欲に持って行ったのは勿論「望ましく」ないのだと思います。少年に何もかもを無批判に与えた木も、「望ましく」ないのだと思います。 それでも、そんな二つのマイナスのかけ算だからこそ辿り得た一つの幸せの形。 望ましくは無かったかもしれないけれど、間違っては無かったんだ、という嬉しさ。 とても素敵なハッピーエンドと感じます。 親になり、子どもにどう接するかを思う日々の中で、この作品もまた深く参考になります。 何歳になっても、ゆっくり子どもの話を聴いてあげられる親でありたいと、改めて感じました。 >> 続きを読む
2018/01/06 by フッフール
前半の、主人公の少年時代から、結婚にかけてを読んでいる時は、久々に自分の感性に合う小説を見つけたと驚いた。しかしながら、読後感はあまり良いものにはならなかった。 これには、いろいろな理由が考えられるだろう。例えば、後半の「中間」や「存在」といった哲学的とも言える難解な話題の応酬に疲れてしまった等だ。しかしながら、最も自分にとって前半、後半を分ける隔たりとなったのは、後半、つまり主人公が壮年となり、昔出会った少女の面影を追い続けるという感覚が理解できなかったからだと思う。自分はまだ20代である。誰かを愛したことはあるにせよ、それが後々まで続き、まだ見ぬ家庭さえかなぐり捨ててしまうという想像が全くつかなかったのだ。これは、この本の評価というよりは、自分自身の読書における限界についてだが、そういったものがこの本を読んで、初めて自覚された。 自分は決して、この本の前半にあるような思春期もそこそこの男女の恋愛模様を好き好んで読みたいわけではないが、かと言って、社会人の背徳的な関係を覗きたいわけでもないのだ。それこそ、この本には私のような、子供でもないが大人にもなりきれない人間にとっての、「中間」的な物語が描かれていなかったというのは、今だから思うことなのだろうか。また、少ししたら読み返したいと思う。 >> 続きを読む
2018/02/25 by shinshi
第3部。圧倒的な運命性があり、逃れられないものがある。過去へ戻り、記憶を旅し、歴史を遡ってまで辿らなければならないのは、呪いに他ならない。第2部であれほど勇気をくれた笠原メイが「今ここには居ない」という事実。(あの手紙の数々は素敵すぎるけど)でもだからこそ、一人で闘わなければならない。僕は誰を助けるために208号室へ行き、井戸の中で誰の名前を叫ぶのだろう。 >> 続きを読む
【村上春樹】(ムラカミハルキ) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)
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