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多和田葉子

著者情報
著者名:多和田葉子
たわだようこ
タワダヨウコ
生年~没年:1960~

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このランキングは1日1回更新されます。
      雪の練習生
      カテゴリー:小説、物語
      3.0
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      • Wikipediaの純文学で例示されていた作品。短編集のようで、最初の祖母の進化論を54ページでドロップ。おとぎ話みたい。主人公はアザラシか何かかと思ったが、装丁をみると白熊か。そんなこと書いてあったような気もするが、ともかく頭に入ってこない。 >> 続きを読む

        2020/01/17 by 和田久生

    • 他1人がレビュー登録、 3人が本棚登録しています
      容疑者の夜行列車
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
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      • 今日の終わりと明日のはじまりが溶けあっているかのような、たっぷりとした時間のなかをくぐりぬけながら旅をする女性ダンサーの物語。
        彼女は旅で出会った人たちと関わるなかで、リュックサックにコーヒー豆の包みを忍ばせたり、恋人に別れを告げる手紙を代筆したりと、怪しげなことや危なそうなことを次々と経験する。しかしどんな人やモノも、彼女に近づくことはあっても手を出すことはない。なぜなら、彼女はずっと旅をし続けなくてはならないからだ。

        過去の日記のような文体が現実の輪郭をぼやけさせていて、気づけば夢の世界にいることもあるのがなんとも幻想的だった。あれこれと無理に読み解こうとせずに文章のおもむくままに身をゆだねれば、きっと心地よく感じられると思う。文章そのものはシンプルで読みやすく、それでいて著者のセンスのよさがつまっている。誰にも、何をすることも期待されない旅の最中だからこそもてる、心の余裕を味わえるのも良い。本物の退屈さの中にいなければ絶対に出てこないような言葉に出会えるのもものすごくぜいたくで、読んでいて嬉しくなった。

          ダンサーにとって、静止の時間というのは大切かもしれない。いや、静止というのは、こちらの誤解。花だって、動いている。太陽のある方向に首を曲げたり、茎が伸びて成長したり、枯れたり。ただ、その動きが恐ろしく遅いだけだ。植物の動きに比べたら、かたつむりなど特急列車ではないか。遅い動きというのは、体力を多く消耗するから、疲れる。ひまわりのように、一時間かけて首を右から左へ動かせと言われたら、大変だ。どうして、ひまわりは、そんな動きをしても疲れないんだろう。そんなことを考えていたら、なんだか、たまらなく植物園に行きたくなってきた。(『ハンブルクへ』より引用)

        ひょんなことから爪切りを奪われてしまった彼女は、伸び続ける爪に己の運命のおかしさをそっと忍ばせて、夜から夜へと旅を続けるのだろう。「わたし」に見守られながら。
        >> 続きを読む

        2018/10/08 by カレル橋

    • 他1人がレビュー登録、 2人が本棚登録しています
      旅をする裸の眼
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
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      • そこを抜けるのにどんなに時間がかかろうと、あるいは途中で行きあぐねようと、迷路には出口が用意されることになっている。
        「終わり」という約束事があるが故に、人は安心して迷路に踏み入るのだ。

        ところが、多和田葉子の迷路のような小説「旅をする裸の眼」には、そうした安心感が微塵もない。

        出口はないかもしれない、という恐怖を心の隅に抱えたまま歩き続けていくしかないような状態に置かれる。

        しかも、あたりは暗い。闇を分ける月や街灯がない時、人は何を頼りに進むのだろう。
        音、匂い、風、あるいは闇に凝らす眼。

        では、その眼はどのように闇に慣れ、どのように他者の形を見極めるのか。

        この作品の主人公「わたし」は、故国の言葉、風習、価値観から引き離され、名前を失くして彷徨うベトナムの女性だ。

        社会主義者としてベルリンを訪れた彼女は、いつの間にか自由主義のパリにいる。
        飛行機に乗り、汽車に乗り、国から国へ、街から街へ、人から人へと動き続けるが、心が求めているものは出口なのだ。

        理解できない異国の言語に囲まれた彼女の孤立を慰撫するのは、映画館の椅子であり、スクリーンに映るカトリーヌ・ドヌーヴという有名な女優だ。

        「わたしは夜の海を彷徨うボートで、映画館は灯台」と彼女は思う。
        映画館の闇の向こうで、そこだけ明るいスクリーンは、著者の小説「ゴットハルト鉄道」の長いトンネルの果てにある光の射す出口に似ている。

        その出口を、「わたし」は一対の眼となって一心に見つめる。
        眼は、意味で塗り込められた闇から言葉を紡ぎ出し、その言葉がかろうじて「わたし」と世界とを繋いでいる。

        この作品を著者の多和田葉子は、ドイツ語と日本語で同時に書いたという。
        日本語の揺らぎがドイツ語の表現を変え、ドイツ語の変化が日本語の意味を変えるというふうに、二つの言語が影響し合う形で書き継がれたそうだ。

        この行為は、この作品の主人公の過去や意識が、外の国や言葉に接して変容していくありさまと恐ろしいまでに呼応していると思う。

        >> 続きを読む

        2019/02/18 by dreamer

    • 1人が本棚登録しています
      それでも三月は、また = March Was Made of Yarn
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
      いいね! kentoman
      • とても、大きなテーマ。
        扱うのは難しいテーマだと思うが、こういう形式のものは、それぞれの違いがわかってしまう。
        すっと受け入れられるのは、谷川さんと村上さんの作品かな。
        希望の意味は、とても大きくて複雑ではあるが、確かに、あるのだと思う。
        >> 続きを読む

        2014/08/25 by けんとまん

      • コメント 1件
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