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本当に純粋に学問自体が好きな人。マンハッタン計画に関わっても特に罪悪感を感じるでもなく、アメリカへの愛国心を語るでもない。一方で戦後日本訪問をとても好意的に叙述していて、西洋式ホテルではなく、日本式旅館や食事を絶賛している。湯川教授も登場する。絵画とかドラムとか外国語とかいろんな事に興味を持って実践してて、科学や数学の話以外のエピソード多くて読みやすかった。 >> 続きを読む
2016/11/11 by W_W
ーベル賞取るような人ってのはこんなにも面白い日々を過ごしているのか?平凡な毎日って何かね?って言われそうだ。下巻も早く読みたいが、予約がまだ先... >> 続きを読む
2013/06/15 by freaks004
笑いすぎると涙がでるのは、涙と笑いが無二の友だからである。 いま、わたしが考えた言葉なので真に受けてはいけませんよ、とはいっても、シューベルトの歌曲に「笑いと涙」という曲があるらしい。どうやら涙と笑いが二人三脚で時をかけてきたのは本当のようだ。 こんなことを空想したのは、おそらくファインマンのエッセイを読み返したせいだろうか。理系の人のエッセイを読んでいると、日頃使わない神経が刺戟され、おもわず読み耽ってしまうから困る。なかでもこの本は度々読み返す。 殊に、一人めの妻の病を語った話がわたしのお気に入り。泣かせる話をするくせに、要所々々で笑わせてくれるので、話が深刻になりすぎない。程よく泣かせ、程よく笑わせ、最後はやはり‥・・・・ 他にもいいものが入っている。たとえば、チャレンジャー号爆発事故調査のいきさつや、科学の価値とは何か等。そしてもしかしたら、涙がでるほどの笑いにも出会うかもしれない。 >> 続きを読む
2015/01/20 by 素頓狂
ファインマンさんの家族や、友人、同僚など親しい人々が語るファインマンの素顔。本人へのインタビューもたくさん盛り込まれている。ただし、話の内容は「ご冗談でしょう、ファインマンさん」「困ります、ファインマンさん」などの「ファインマンさんシリーズ」で既に紹介された話がほとんど。同工異曲の本だと言える。「ファインマンさんシリーズ」を読んだ事がある人は、数々のエピソードを思い出しながら読む事ができるし、読んだ事がない人には、「ファインマンさんシリーズ」の”入り口”になるだろう。タイトルにある「超天才」だが、天才も「並みの天才」と「超天才」の2種類あるという。「並みの天才」は、誰でも、その何倍か頭がよければ、なれるような天才、「超天才」は魔術師のようなもので、その思考過程は想像を絶する、というような天才の事を指しているらしい。個人的な定義では、ここで言っている「並みの天才」は「秀才」で、「超天才」が「天才」に当たるのだが、それについては本書とは関係ないので閑話休題。これまでの「ファインマンさんシリーズ」と内容的に重ならないのは、最後の章の「死ぬこと」(皮肉な感じもしないではないが・・・)ファインマンさんは「自分の死」でさえ、「新たな挑戦」のような感覚で、向き合っていたようだ。無論、楽しい挑戦では無かったようで、物理など他の事を考える機会があれば、喜んでそちらの事を考える事をしていた。ただ、「死」について考える事から逃げてばかりいた訳ではなく、その中でもファインマンさんらしいユーモアを見せる事もしばしば。「この死ぬってことは、何とも退屈きわまるよ」という事さえ言っている。(趣味のいいジョークとは言いかねるが・・・)印象に残った言葉は「(死ぬ事について考えると)もちろん僕だっていやな気持ちになるがね、でも君が考えるほどじゃないよ。 なぜかというと他の人に言いたいことはもう十分話してあるから、その人々の心の中に僕が生きている気がするからだ。 僕をそこいらじゅうに拡げちゃった感じだね。 だから、たぶん死んだあとも、完全にいなくなっちまうわけじゃないよ。」というもの。いかにもファインマンさんらしい言葉だと思う。そして、ファインマンさんが直接、話をした人以外にも、「ファインマンさんシリーズ」などの本を読んだ人の中にもファインマンさんは生きているのだろう。それを証明するかのようなエピソードが最後に紹介されていた。ダニー・ヒリス(コンピュータ学者)がファインマンさんと議論する夢を見た時のこと。夢の中で「ねえ、リチャード、いったいなぜ僕に話をしたりしてるんです? もうとっくに死んでるのに!」とファインマンさんに言うと、すかさず、このようにやり返されたそうだ。「まあいいよ。 少なくともこれなら邪魔が入らなくていいじゃないか!」 >> 続きを読む
2013/04/29 by Tucker
リチャード・P・ファインマン。1965年、ジュリアン・S・シュウィンガー、朝永振一郎とともにノーベル物理学賞を共同受賞した科学者。超一流の科学者であると同時に、周囲の人達からは「いくつになっても"イタズラ小僧"のようなところがある人だった」と言われていた。その人物の生涯をマンガ化したもの。「ご冗談でしょう、ファインマンさん」「困ります、ファインマンさん」「聞かせてよ、ファインマンさん」「ファインマンさん、最後の冒険」「科学は不確かだ!」「ファインマンさんは超天才」 :など、一般向けの「ファインマンさんシリーズ」を全て読んだ人にとって、本書はそれらをまとめたダイジェスト版のように感じられる。逆に「ファインマンさんシリーズ」を読んだ事がない人には「入門編」にあたるだろう。興味を持ったら、本の方も読むといいかもしれない。(本書のどのエピソードがどの本に収められているかまでは分からないが・・・)軽いエピソードの集まりばかりというわけでもなく、「量子電磁力学(光と電子の相互作用の理論)」の説明は、かなり難しかった。・・・というより、分からなかった。ただ、この部分が分からなくても、全体に影響はない。印象に残ったのは本書の後半の方の2つのエピソード。一つは、ロスアラモスで原爆製造の研究団の一員だった頃を振り返った時のセリフ。「変化する情況の中で、僕らは何かをやる理由を絶えず考え直すべきだということ」そもそもアメリカが原爆製造に着手したのは当時のナチスドイツが原爆を作りかねないためだった。だが、ナチスドイツが降伏した後も原爆製造は続けられる。これは本当に続ける必要があったのか、という問いを発した者はごくわずか。(当時、日本も原爆製造の研究を進めていたそうだが・・・)コロコロ変わっても困るだろうが、頑ななまでに「既に決まった事だから」と聞く耳持たない態度の人をどこかで見た気がする。もう一つは「スペースシャトル チャレンジャー号 爆発事故調査委員会」の話の中で、事故の背景として浮かび上がった事実。「スペースシャトルは安全である」と言い続けたいNASA上層部と、「そんな事はない。一度、完全に点検しろ!」と突き上げる現場。現場の声は上層に上がっていくに従って、どこかへ消えてしまっていた。「絶対安全」と言い続けていたくせに、ある天災がきっかけで、その「大ウソ」がばれてしまった会社(国もだが)と姿が一部、重なって見えた。ただし、こちらの方がはるかに病んでいたが・・・。 >> 続きを読む
2013/09/28 by Tucker
【大貫昌子】(オオヌキマサコ) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)
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