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山本博文

著者情報
著者名:山本博文
やまもとひろふみ
ヤマモトヒロフミ
生年~没年:1957~

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      歴史をつかむ技法
      カテゴリー:日本史
      3.0
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      • 点数にすると50点、星2.5, 四捨五入で3つです。

        構成ですが、3部構成で、前半は歴史の掴み方のレクチャー、真ん中が、掴み方を実践した日本の歴史解説、最後は又レクチャーです。

        レクチャーは、読み物としてはあまり心が動きませんでした。ただ、著者の仰ることには大いに賛同です。

        実践解説は大変面白かったです。そうそう!これこれ!という感じでした。◯◯年、◻︎◻︎の変という結果だけの情報じゃなく、何故それが起きたのか、そこに着目した解説は本当に楽しめました。

        が、なんか新しさは感じなかったんですよね。これは何かと考えたら、テレビなんです。最近の歴史番組はこのアプローチなんですね。だから、この本の読後感想と同じく、番組ごの感想は、学校の授業もこういう風にやってくれたら楽しかったのにねっという感想なんです。
        >> 続きを読む

        2014/02/19 by yogi

      • コメント 4件
    • 2人が本棚登録しています
      武士道 現代語訳
      カテゴリー:武士道
      4.0
      いいね!
      • 今更ながら新渡戸稲造の「武士道」を読みました。山本博文氏の現代語訳がとてもわかり易く、すらすら読めました。

        恥ずかしながら、新渡戸の名を知ったのはつい最近で、この本の存在すら知りませんでした。

        私にこの著書を論じるほどの知識も文章力もないですし、もともと「Bushido ~The Soul of Japan~」の名で英文で書かれた本書を、逆輸入するという形で読むことになりましたが、ちょっとした書評を。いつか原文で読みたいなあ。

        冒頭の「武士道は、日本の標章(しるし)である桜の花に勝るとも劣らない、我が国土に根ざした花である」の、印象深い比喩的表現の一文で幕を開ける本書は、キリスト教のクエーカー教徒であり、グローバルな知識人である新渡戸が、神道・儒教・仏教に由来する武士道を論じ、高く評価しているという点で、非常に興味深いです。

        また、新渡戸はクエーカー教徒でありながら、彼が生きていた時代に日本にやってきた宣教師たちの「キリストこそ救い! ほかはすべて腐敗している!」といったような、独善的な布教・伝道活動のあり方に批判的で、キリスト教宣教が、日本人の道徳教育には一役買っていることを述べながらも、性格形成には一切貢献していないことを指摘しています。

        しかしながら、宣教師たちの失敗を挙げながらも、新渡戸が宣教師たちが日本にもたらした間接的な好影響も共に挙げ、新渡戸が本書を書いた時代、武士道がもはや廃れ、詭弁家、計算家、理屈屋が時代を席巻してしまって、やむを得ず武士道を葬送するとともに、その精神性は、さながら冒頭の桜の木に根付いているようであり、孔子の仁の思想、そして仏教の慈悲をくわえ、それはキリスト教の「愛」に到達すると述べており、武士道の未来をやはりクリスチャンらしく、散ってしまった桜の花びらを悲哀を持った視点で俯瞰しながらも、キリスト教に託している。

        新渡戸が理想としたのはキリスト教と武士道がうまく調和された教えであり、道徳であり、哲学であり、、、と、この時点で私はアメリカ人の白人の友人が浮かんだ。私は彼を「碧眼のサムライ」と心の中で呼んでいる。

        彼は宣教師で、武道をやる。普段は武士らしく寡黙だが、思慮深く、勉強熱心で真面目で敬虔なクリスチャンで、私が新渡戸のこの本「武士道」を知る前から、彼と会うたびに「キリスト教と武士道、、、これこそ、地球人類の鑑、理想ではないか」と考えることがしばしばありました。

        そもそもナザレのイエス自身が身をもって「武士道」を体現したと思います。といっても、社会的地位のあった武士階級と、神の子でありながら汚い飼い葉桶で生まれ、社会的地位のある律法学者・パリサイ人から「お前は気でも狂ってるのか!」と言われていたイエスは、ちょっと状況が違いますが。

        そうすると、やはり、立ち返るところは武士道であり、それを体現したイエスを見上げよ、ということになるのでしょうか。

        武士道は死んだのでしょうか? 我々の周りの武士道、すなわち大和魂、武士道≒大和魂だと思いますが、私が考える限り、武士道の高貴な道徳観があらわれた例として、それには、たとえば東日本大震災において、世界が賞賛した、日本人の道徳心の高さ。
        あの状況下において、誰一人とせず(中にはいたと思いますが)不平不満を言わず、列に割り込まず、耐え忍び、強盗も略奪も起こらなかった日本人の姿勢に私は武士道のそれを覚えます。

        一部では日本は「恥の文化」であるから、恥、すなわち名誉が傷つくことを極度に恐れる武士道の道徳観がここに現れている気がします。

        武士道の象徴する、朽ちるよりもむしろ散ることを選ぶ生に執着しない桜、そして、生に執着しなかった結果、現代では散り散りになってしまって、舞った花びらの香りは、現代においてもあちらこちらで漂っているはずで、以下に引用した最後の文章に集約されています。

        ー何世紀もたち、その習慣が葬られ、その名さえ忘れ去られても、その香りは、「路辺に立ちて眺めれば」はるか彼方の見えない丘から風に漂ってくるだろう。かのクエーカー詩人がその時美しい言葉で歌ったように。
        どこからとも知れぬ親しい香気に
        旅人は感謝の心を抱き
        歩みを止め、帽子をとって
        空からの祝福を受けるー

        また印象深い新渡戸の言葉があります。

        ー黄色人種は、黄金の象形文字で記された貴重な一ページをなしているのである。ー

        私も一人の日本人として、武士道の片鱗を受け継いでいる日本男児として、またクリスチャンとして礼節をわきまえた男気溢れる漢になりたいと思いました。

        ところで、解説でも新渡戸は、武士道を多少美化して書いていると書かれていましたが、私達の考えるフィクション作品でのキャラクターで、武士道を体現している人物は誰でしょう?

        人によっては黒澤明作品における三船敏郎か、あるいは私は北斗の拳のケンシロウやビデオゲーム作品「龍が如く」の、メインキャラクター、元ヤクザの桐生一馬であるのですが、、、
        そう、あくまでフィクション作品における「任侠、ヤクザ」と「武士道」の親和性、共通項は露骨すぎるほど、あまりにも顕著です。
        、、、と、思っていたら、思った通り、ちくま新書の関連著書紹介の中に「サムライとヤクザ ー「男」の来た道」が載っていました。読んでみようかな、、、

        P.S.それと余談ですが、各章のサブタイトルの上には十字架が記されており、やはり本書はキリストの上に立つ武士道における十字架、桜の木を暗喩しているのでしょうね。
        >> 続きを読む

        2018/02/21 by KAZZ

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