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私が愛してやまない作家の一人に宮城谷昌光がいます。無限の読書の悦びを与えてくれ、人間そのもの、及び人間の生き方についても多くの示唆を与えてくれ、現在、彼の全著作読破に向けて1冊、また1冊と読み進めているところです。そこで今回は、文庫本全5作を読了したばかりの、ある意味、彼の特徴が十二分に発揮されたのではないかと思われる名作「孟嘗君」。この孟嘗君といえば、多くの食客を従えて諸子百家を鳴動させた無頼の公子。かの司馬遷が「史記」において、いささかの悪意をもって記したことでも有名な人物です。作者の宮城谷昌光は彼を、国家という組織よりも、それを運営すべき人の心の中にユートピアを見ようとした人物として捉えており、この孟嘗君にとって国家とは、自分と旅をし運命を共にする食客たちという、正に形をもたぬものの中にこそ存在するというように描いているのです。その意味で、この主人公は、常に天下国家という政治を相手にせざるを得なかった"重耳や晏子"、あるいは人間の精神面のみを見ようとした"介子推"の中間くらいに位置する人物と言えるのかも知れません。そして、いつもながらの宮城谷昌光の小説らしく、魅力的な作中人物が登場しますが、まず第一に指を折るのが、孟嘗君の養父である快男児の風洪。この常に、自分は今、何をしているのか、という問いかけを忘れずに前進する男の存在は、ラストで主人公の言う、「今日つくったいのちも明日にはこわれる。それゆえ、いのちは日々産み出すものであろう」という言葉へ結実していくのです。このくだりの描写を読んで、日々の暮らしの中に埋没しがちな私の生の在り方について、ふと立ち止まって考えさせられました。この宮城谷昌光という作家の紡ぎ出す言葉は、"平易にして深淵"。その比類稀な達意の妙は、私が敬愛してやまない、吉川英治プラス司馬遼太郎の味わいがあり、私の心をいつも陶酔させ、妖しく魅惑的で豊饒な読書の悦びを与えてくれるのです。 >> 続きを読む
2016/11/21 by dreamer
この宮城谷昌光の「晏子」は中国春秋時代の中期、秦・普・楚・斉の四大国が覇権を競っていた時代を舞台に、斉の国で軍事の才能を発揮した晏弱将軍と、その息子で、後に名宰相となる晏嬰の清冽な生き方を描いた超大作です。この新潮文庫の第一巻から第四巻までを全て読み終えて思う事は、まさしく今という現代を生きる我々にとって、この作品の主人公の行動そのものが、一つの人間としてのあるべき生き方の"規範というか理想"を示しているのではないかという事でした。今までの私の歴史・時代小説との関わりの歴史を振り返ってみると、今回のような読み方をした作品が、過去に二つあったように思います。吉川英治の「宮本武蔵」と司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の2作品です。「宮本武蔵」は戦時下の、そして「竜馬がゆく」は戦後の高度経済成長下の、それぞれ時代は違ってはいるものの、何か直線的な一筋の生き方が求められる時に、読者の要求に応えてベストセラーになった作品であったような気がします。この2作品に対して、この「晏子」という作品は、作者の宮城谷昌光が以前、語っていたように「歴史小説とは感動を書くものだ」という考えを、"情と義"の双方を貫き、いかなる権力もこれを滅ぼす事の出来ない男、晏弱・晏嬰父子の生き方を通して描いているのだと思います。この二人の父子の姿は、言ってみれば、全く先の読めない混迷の時代に鮮やかな光芒を放って、我々読者に深い感動を与えてくれるのだと思うのです。ここで、また思うのは、宮城谷昌光の作品における、ある種の"凄み"というのは、この希代のヒーロー晏子に高潔なるが故の孤独とでも言うべきものを持たせている点にあるような気もするのです。そして、その事を際立たせてくれるのが、適役の崔杼の存在だと思うのです。この人物は、自分の美貌の妻を盗った斉公を弑逆し、政権を握った際に、斉の太史が「崔杼、その君荘公を殺す」と記録したので、これを殺害し、そしてその弟も同様に記したので、再び血祭りに上げますが、更にその下の弟も同じように書くのをやめなかったので、遂に殺す事を諦めたというエピソードで知られています。その崔杼が政権争奪の中で最愛の妻が殺されるや、いとも簡単に驚くほど呆気なく首をくくってしまうのです。ここには単に適役・崔杼を人間らしく描いたというだけではなく、彼を通して晏子を逆照射する試み、つまり、何万人もの顔も知らない民衆に慕われる親子と、たった一人の女のために殉じていく崔杼と、人間として果たしてどちらが幸せか、という問題提起が成されているのではないかと思うのです。確かに晏子の生き方は、この作品の中で一国を動かし、多くの民衆に感動を与えました。だが、当の晏子自身はどうだったのだろうか? その高潔の心をかなぐり捨てて、全てをさらけ出す事の出来る相手はいたのだろうか?----と。一国の大事を託すにふさわしい晏子の生き方は、我々凡人には到底、出来ないものであり、しかし、だからこそ、そのような手の届かない生き方であるからこそ、永遠に憧れの対象であり、理想像になるのだと思います。 >> 続きを読む
2016/09/06 by dreamer
春秋時代の戦国騒乱の世を舞台に、妖艶なる美女夏姫をめぐる男たちの数奇な運命と、自分の美貌に翻弄され続けた夏姫が、天下の覇権を手にした楚王のもとで、天与の伴侶、巫臣と出逢うまでの波乱万丈の人生を描いた、この宮城谷昌光の三作目の長編小説「夏姫春秋」は、第105回の直木賞受賞の何度繰り返し読んでも、その都度あらたな発見のある、そんな見事な歴史小説です。彼の第一作目の長編小説「王家の風日」が、なぜ、受王(討王)は、酒池肉林のような狂態を行なったのか、第二作目の「天空の舟」が、なぜ、伊尹は湯王と桀王の間をしばしば往来し、敵対する二人の王に仕える事が出来たのか、という疑問に対する自分なりの答えとして、作者の宮城谷昌光が書いたと語っているように、この「夏姫春秋」は、なぜ、夏姫を撫有した者は次々と奇禍に遭い、巫臣だけがその災厄から免れたか、という事に対する答えとして書かれているのだと思います。この疑問に対する解決は、この作品において夏姫をどのように描くかという事は、後に楚王が、「夏姫は、風伯を体内に宿しているらしい」というように、夏姫は天が遣わした「風」として描かれています。この作品の題名にある「春秋」とは、歳月に通じ、この作品は夏姫という「風」に吹かれた、突き詰めて言えば、夏姫という太陽に照らし出された星々である男たちの物語なのだと思います。男たちが妖星を見るのは、「風がまったくない静かな夜」であり、彼らは、「緑翠の風を胸いっぱいに吸いこんで」出陣して行くのです。この時、彼らは好むと好まざるとにかかわらず、夏姫が送り出す「風」の中に、いわば、彼女を中心とする"宇宙"の中にいるのだと思います。その中で、巫臣は夏姫と会う直前に、「天は明るいのに、風が暗い、と感じたこと自体、奇妙なことであった」と思いをめぐらし、夏姫を一目見るなり、「その性、童女なり」と断じ、唯一、彼女の心の中に入ろうとした人物だったのだと思います。そして、巫臣は神と対話の出来る祭祀の官であり、ここに至り、"陰陽、日月"が一体となって夏姫の不幸に終止符が打たれるのは、当然の帰結だろうと思うのです。それでは、作者の宮城谷昌光は、なぜ、夏姫を「風」として描いたのか、という事を考えてみると、この作品における夏姫の描写といものは、詳細でなおかつ簡潔であるにもかかわらず、時には"抽象的"ですらあると感じるのです。恐らく、この作品で作者が描こうとしたのは、夏姫を余白を持って、あるいは、"描かないで描くという手法"ではなかったのかと思います。悪女として歴史上の汚名と共にある夏姫----。彼女を救済するには、目に見えないもの、すなわち「風」にでもするしかなかったのではないかと推察出来るのです。そのため、この作品のラストの一文で吹く「風」の愛らしくも、かそけき描写が生きてくると思うのです。絶世の美女、夏姫を描きつつも、物語を通して一つの"宇宙観の創造"に至る、この「夏姫春秋」という作品は、類まれなる傑作であり、宮城谷昌光の作品特有の"馥郁たる豊穣なロマンの香り"を余すところなく描いた、見事な歴史小説だと思います。 >> 続きを読む
2016/09/12 by dreamer
春秋時代の話を読んだのは初めてですが、登場人物たちが、とても魅力的です。宮城谷さんの小説を読むのも初めてなので、楽しく読んでいます。 >> 続きを読む
2014/08/29 by りんりん
宮城谷昌光の中国古代歴史ロマンの世界を味わいたくなり、今回「介子推」を久しぶりに読んでみました。この「介子推」は、「重耳」に登場する高潔の人、介推を主人公とした長編小説です。物語は、介推が山霊のお告げによって、霊木から作った棒で、山中に巣食う邪霊の虎を退治するところから始まります。何やら神仙譚めきますが、この作品で描かれているのは、冒頭の虎をはじめ、霊木たる櫟や、雪の小片を"風の簪"と捉えるような独特の"シンボリズムの世界"なのです。その中で放浪の公子・重耳に仕える介推と、彼と人生の明暗を分けた郷党の友人・石承の生きざま、更には重耳を狙う刺客・閹楚との死闘などが描かれていきます。そして、この作品は、奇蹟の人、重耳の歩いて来た道が穢されるに及び、これを恥じた介推が山にこもるところで終わります。だが、この作品の全編を通して我々、宮城谷昌光の熱烈な愛読者を包み込む、この小説の持つ優しさ、奥深さは、まさに言葉では言い尽くせません。物語は「重耳」を別の側面から読む楽しみを有しつつも、全く別個の性格を持っていると思うのです。それは、重耳が相手にしたのが"天下国家という政治"であったのに対し、介推のそれが、徹頭徹尾、"人の心"であったことによっているためではないかと思います。作者の宮城谷昌光は、この作品を書くために相当な苦吟を強いられた旨を述べていますが、人の心しか相手にせぬ男を書こうとすれば、確かにそれは道理です。さまざまなシンボリズムの織り成す世界は、今一つのシンボル=神となった男の像を最後に浮き上がらせるのです。それと同時に「重耳」や「晏子」で、地上の覇者を描いた作者は、ここに"精神の王者"を描き切ったのだと思います。 >> 続きを読む
2017/09/17 by dreamer
「孟嘗君」ですっかりはまってしまった宮城谷昌光の世界。 もっと読んでみたくて時代的につながっている 「楽毅」を手にとってみました。 物語のスタートとしては、 白圭の冒険譚的にスタートする「孟嘗君」の方が 明るくて楽しいのですが、 滅亡しそうな国の宰相の息子である「楽毅」が いろいろ悩みながら進んでいく こちらの物語も十分面白いです。 本書での楽毅はまだ28・9歳でありながら、 かなり優秀な武将の印象です。 細かな反省点がいくつかあったりするのですが、 ここから かの有名な諸葛亮孔明が 激賞した武人にどのようになっていくのか、 大変楽しみです。 >> 続きを読む
2015/04/12 by kengo
王欣太さんの『達人伝』で関心を抱いた呂不韋の小説と知って飛びついた。『古代中国といえば三国志』な私にとって三国志の前にあたる時代の中国を舞台にした話はとても新鮮だったが、『達人伝』の腹黒でスケコマシでスカした呂不韋像が既に頭にこびりついてしまっているので本書の少年呂不韋にはかなりの違和感が(^◇^;)呂不韋が三国志の郭嘉と同郷だということを知った時は吃驚したなあ・・・。 >> 続きを読む
2018/03/15 by kikima
孟嘗君(田文)はあいかわらず子供で、 第2巻も主人公は養父の風洪です。 しかし彼の男っぷりは惚れ惚れしますね。 著者の創造の産物なのでしょうが 風洪が魅力的でどんどん先に読み進みたくなります。 しかも、風洪のほかにも 才能ある人がたくさん出てきたり、 水戸黄門か!って突っ込みたいくらいの悪人が出てきたりで 物語全体が躍動しまくり(笑) 一大絵巻のような様相を呈しています。 いや本当に面白いので★5つにしたいくらいなのですが、 「万人に是非とも読んでもらいたい」というジャンルではないため 心を鬼にして★4つです。 >> 続きを読む
2015/03/29 by kengo
いや~、本当に面白いので もう一気読みペースです(笑) 併読している他の本に手が伸びません(爆) 本巻の序盤で孟嘗君(田文)の養父・白圭(風洪が改名) の冒険譚は終了。 史実ではないのでしょうが実にすがすがしい人物で、 彼を養父に設定することによって 孟嘗君の心中にひとつの理想像をつくりあげるねらいが 著者にはあったんでしょうね~。 田文がそろそろよい年になってきたこともあり、物語の主人公も白圭から途中孫臏(そんぴん・いわゆる孫子の兵法で有名な孫武の子孫でこちらも有名な軍略家)をはさんでやっと田文へ移っていきます。 物語も後半に入って やっと主人公がまともに自分の意志で動き始めるとは(笑) しかし、面白い。 4巻以降も期待です! >> 続きを読む
勢いおとろえず面白いです! そして白圭がまた登場し、 物語にこのように係わってこようとは想像しませんでした。 主人公はしっかり孟嘗君に切り替わっているのですが、 なんともすごい役どころとなっております。 白圭と孟嘗君の係わり合いは おそらくは著者の創作なのだと思うのですが、 白圭自体が史実の人でこうした偉業を成した方だということは 本作で始めて知りました。 中国は深い国ですね~。 あいかわらず一気に読みすすめさせられてしまい 次巻がいよいよ最終巻。 最後まで目が離せません! >> 続きを読む
2015/04/02 by kengo
文句なく面白かったです! 史実や歴史書の記述に著者独自の解釈や創作を加えつつ、 よくぞこんな物語を描いてくれたと思います。 間違いなく大変 勉強されたことでしょう。 その際に疑問に思われたことや、 このように伝わっているが自分はこう解釈する といった記述もいさぎがよいので飲みこみやすく、 好感のもてる読後感です。 鶏鳴狗盗や狡兎三窟といった故事は 本巻になって やっと登場しました。 でも、そんなエピソード抜きに 最後まで大変 面白く読ませていただきました。 これまで★4つでおさえてきましたが、 著者の並々でない努力に敬意を表し★5つにしたいと思います。 >> 続きを読む
信義なき世をいかに生きるか。春秋時代中期、小国鄭は晋と楚の二大国間で向背を繰り返し、民は疲弊し国は誇りを失いつつあった。戦乱の鄭であざやかな武徳をしめす名将子国(しこく)と、その嫡子で孔子に敬仰された最高の知識人子産。親子二代に亘る勇気と徳の生涯を謳いあげる歴史叙事詩。第35回(2001年) 吉川英治文学賞受賞「小説現代」誌(1998年1月号~)に連載されていた長編小説をまとめたものです。中国古代史を典に採った歴史小説を書かれている作家さんとしては、おそらく我が国で五本の指には数えられるであろう宮城谷さんの、その十八番である中国古代ロマンを初めて読んでみました。難解な漢字や、故事が頻出し、また春秋戦国時代の中国についての知識が皆無と言っていい僕にとっては、かなり読みごたえのある読書になりました。どちらかというと、趣味や娯楽といった読書ではなく、教科書を読んだような、学ぶべきところの多い有意義な読書になりました。時は紀元前、春秋戦国時代の中国・平原。周王朝から降ること数百年、中華は北方に晋、南部に楚という二大国が鼎立し、その二国間をめぐり、周囲の小国が向背を繰り返し、戦乱の火が尽きる事のない消耗の時代に突入していました。小国・鄭の王族の子に生まれた子産は、幼いながらもその利発さを発揮し、彼に故事を教える史官をして驚嘆せしめる記憶力、発想力を著し、ついに“天才”と言わしめます。子産の父・子国は歴戦の武将でした。武の家に、文に明るい子が出たか、と、戸惑いを隠さぬ子国でしたが、付き従う一族の長・子駟の政事に忠実に従い、ある時は他国を攻め、ある時は一心腐乱に首都を護り…家中の些事には気を向ける暇もないほど、多忙な日々を送っていました。繰り返される戦禍の最中、君を送り、太子を新たな君と奉ったあたりから、一族を覆う禍々しい影。鄭国の政事を司り、実権を握り続ける子国ら穆公七家に対する、不満の嵐は、こともあろうに一族が即位を推し進めた国王から発せられていたのでした。登場人物の多さや、関係する国の多さに、やはりここでも相関図、系図を作成しながらの読書になりました。古代中国の卿制度や、礼に対する貴族たちの考え方など、目新しい発見ばかりで新鮮です。上巻は、タイトルにも掲げられた主人公・子産についてよりも、父・子国の活躍がメインに語られます。天賦の才を発揮し始めた子産が、ついに鄭国朝廷へ召し出され、戦乱の世を、鄭を何処へ導くのか。興趣が尽きず、下巻へ進みます。 >> 続きを読む
2015/07/25 by 課長代理
信義なき世をいかに生きるか。感動をよぶ歴史叙事詩。謀叛に巻きこまれ、父・子国は果てる。3年の長きにわたり喪に服した子産はその後、苛烈なる改革者にして情意あふれる恵人として、人を活かす礼とは何かを極め、鄭と運命をともにしていく。時代を超えることばをもった最初の人・子産とその時代を、比類なき風格と凛然たる文体で描く、宮城谷文学の傑作長編。上巻に続いて、下巻を読み終えました。上巻では、もっぱら子産の父・子国を主人公に、乱世の二大国に挟まれ、その向背を風見鶏のように左右していた小国・鄭の苦難が描かれていました。下巻で、ついに、天才の誉れ高き貴人・子産の登場となります。二大国晋にせよ、楚にせよ、春秋時代は君とその一族の時代でした。周王朝から枝分かれした諸国は、名君が出ればその臣(つまり兄弟をはじめとする一族・連枝)は暗であったり、暗君をいただいた国は賢臣により支えられているという、いわば自然摂理のような様相を呈していました。そこに、他の氏族の入る余地がなかったということが、いたずらに戦乱の世を数百年と永らえてしまった因ではないかと思いました。鄭国においても然り。限られた氏長者たちだけで運営されていた政府は、意外なことに年功序列に近い順序で地位が決まっていきます。そして、子産が活躍し始めた紀元前五〇〇年頃の中華では、君の時代から大臣の時代へと変遷していった過程の只中にあったと、作者は綴ります。病を得た君主を見舞うと見せかけ縊り殺す執政、幼君を立て傀儡化し国富を懐中に納める執政と、時はまさに乱世、一寸先は闇というなか、誰もが誰もを信じることができなくなっていたその時期に、『礼』ひとつを生涯の規範と信じ、公平な眼で政を行う子産に鄭国内のみならず隣国、遠国からも声望が集まります。死を得るまで、政治、軍事ともに出色の活躍をみせた子産でしたが、その陰には常に『礼』を重んじる心があり、その謙譲の心があったればこそ「子産をこそ」と励まし、支える多くの有力者たちの後援に繋がりました。孔子をして、その死を「いにしえの遺愛なり」と悼惜させた、中華の大人・子産の人生を、史実に可能な限り忠実に(架空の人物を登場させたり、ドラマチックな展開・要素を極力排除して)、描かれた歴史ロマンです。驚いたのは、冒頭にも書きましたが、春秋時代の中華の各国の人材登用が能力に依るものではなく、あくまで血筋を重んじていたということです。それでは、一国の政事を司る人材にはじめから限りがあり、大きく国勢が飛躍するということが考えにくいと思いました。また、戦争をする理由というものが不明確なのですね。領地争いというのでもない。攻め寄せては、攻略し、そして奴隷を獲得したり、自国に有利な通商の約定を交したりして自国へ引き上げてゆくの繰り返し。時折、子産のように礼儀を重んじるあまり、敵国君主に対し弓矢を向けるは無礼と、下馬し拝礼する始末。本作を読んだ限りでは、中国古代春秋時代というのは、あくまで貴族間の駆け引きの時代。民草は、税を納め、使役に耐える、“国民”ではなかったようです。その当時の価値観をしっかりと伝えてくれる丁寧な文章は、あとがきでご自身が述懐している通り、一日に400字詰め原稿用紙1枚を書き上げるのが限界だったという、まさに苦心の作。1000枚を超えた長編ですので、創作は1000夜を数え、ついに病に倒れ、連載が一時期中断したというエピソードは、さもあらんといった話でした。血筋、力がすべてだった荒廃した時代に、『礼』とことばを重んじた子産。外交や、困難な内部調整も、自らの内に確固とした規範があるからこそ、涼やかに、そして確実にこなしてゆきます。その口から発せられることばの数々は、後世にまで残る訓戒として、現代社会にも置き換えられる“玉”のようなものでした。ことばの力とは何であるか。それはおそらくことばを産み、表現することが、その者の真正さにかかわりがあるということだろう。彼が聞いたのは、子産のことばであったにはちがいないが、じつは子産そのものではなかったか。子産そのものを聴いたのである。 >> 続きを読む
2015/07/31 by 課長代理
ひきつづき大変おもしろいです。 もはや滅亡寸前と思われる故国の存亡をかけて 十全の準備を施そうとする楽毅のはたらきぶりがすごいのひと言。 ちょっとジャンルが違いますが 銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーを思い出しました。 守城を明け渡す場面では その潔さから赤穂浪士を彷彿させられたのは私だけでしょうか。 作者が日本人向けに書いているからなのでしょうが、 その見事さに日本人好みの美を感じさせられます。 本書の最後になって有名な 「隗より始めよ」の逸話が出てきました。 ことの詳細は3巻に入ってから語られるようです。 うまいつなぎ方ですね。 次巻もたのしみです。 >> 続きを読む
2015/04/19 by kengo
とうとう楽毅の守りたかった中山の国が滅びます。 ここから素直に楽毅のエピソードがすすんで 燕にとりたてられ斉攻めで獅子奮迅の活躍を見せるのかと思いきや、 2巻からの物語の流れ(というか楽毅の感情)をくむとそうはならず 本巻での主人公はほとんど趙の武霊王とその子供達です。 外交・内政ともにとんでもない手腕を発揮し、 用心深く準備にも長けていた武霊王も 跡継ぎ選択に関しては聡明さを欠き、 結局 国を弱体化させるきっかけをつくり 自らの命をも失ってしまいます。 後世ではこのあたりの振る舞いもあって 武霊王は英雄視されないのですね。 ここまですすんで第3巻 終了。 いよいよ最終巻は燕・韓・魏・趙・秦の連合軍をひきいて 斉とたたかうことになるのでしょう。 しかし、あれだけ内々に助けてもらって しかも尊敬している孟嘗君の故国とたたかわなければならなくなるとは、 戦国の妙なのでしょうか。 どのような展開となっていくのか この先も楽しみです。 >> 続きを読む
読了しました楽毅。 最後まで大変面白く読めましたが、 最後の方はなんだかあっけなかった感じです。 斉を攻めても大丈夫なように 他国と自国との関係、他国同士の関係を 絶妙に外交という技で調整して準備を整え、 いざ戦となれば玄妙な手腕を発揮する楽毅。 たんなる武将としての能力だけではなく、 内政・外政の読みや交渉、 トータルでものすごく能力の高かった人であることは 非常に良く伝わってきます。 燕という国は危ういんだけど 燕の上将軍である楽毅自身は もう何人たりとも歯向かえないような域に達しているだけに、 あの安心感が波の無さを感じさせたのかもしれません。 それと、70余の都市を陥落させ 当時 西の秦、東の斉という2大強国にうたわれていた斉を 滅亡寸前まで追い込み宿願達成目前となりながら、 敬愛する燕王の急死⇒もとから中の悪かった太子の即位 によって将軍職を追われたあたりからの記述が あっさりし過ぎていたのかも。 代替わりした王へ楽毅がおくった 「燕の恵王に報ずるの書」のくだりも、 「読んで泣かぬものは忠臣にあらず」とまで言われている 古今の名文のはずなのですが、 いまいち心にズシンとくるような扱いになっておらず 個人的には少々 残念でした。 それでも4巻通して非常に楽しませていただきました。 これまで「三国志」と「項羽と劉邦」くらいしか読んだことがありませんでしたが、 それ以外の時代の中国ものも読んでいきたいと思わせてくれる本でした。 でも「孟嘗君」「楽毅」とつづけて多少 戦国ものに疲れたので、 いったんジャンルを変えたいと思います(笑) >> 続きを読む
2015/04/24 by kengo
1巻目や2巻目を読んでいた時にも思ったのだが、呂不韋の女性観が地味にムカつく。男性作家が(おそらく)男性読者を対象として書いた本だから、女である私が男性登場人物の女性観や女性登場人物に対して「ハア?」と思うのは仕方ないのだろうが、それにしても酷い。いわゆる男尊女卑とかではないのだが無駄に理屈っぽくてさりげなくムシがいいというのが地味にムカつく。美人は自分の美貌を自覚すると性格が変わるから自覚しない方が良いって何。77〜78ページにおける維に対する想いも簡単に言ってしまえば「維ちゃん可愛いo(^-^)oでも1人の女に入れ込むのは怖い(>_<)・・・そうだ!維ちゃん以外に美女をはべらせれば良いんだ(^ω^)」←コレだけのことなのに2ページにわたって延々と自分の心境を語っている・・・ >> 続きを読む
2018/03/16 by kikima
毎年無に戻る農業を受け入れられない呂不韋くんは多分医人や学者にも向いてない。無が受け入れられない人は向いてない仕事だから。彼が天下の商人になったのは商才があったからというだけでなく、商人としてしか生きる道が無かったからなのかもしれない。呂不韋ハーレムがまた地味にムカつくなあ。女にとって魅力的な男性であるのは分かるし男性読者を主な対象とした小説に美女は必須ということも頭では理解できるのだが・・・ハーレムにする必要性はあるのか(−_−#)186ページの「女の幽美さに翻弄される自身を晒すことは、維を哀しませる」にもイライラ。もうとっくに悩ませ哀しませ続けてるよ! >> 続きを読む
どれだけ苦労して才知を磨こうと実績を築こうと、相性の悪い人と仕事をしないといけなくなったらどうにもならなくなってしまう、という悲しさを晩年の呂不韋に見た。しかし彼のことは最後まで好きになれなかったなあ。華陽夫人が存命だというのに執政の席から退き、小梠からの一途な想いを自分のことしか考えられず他人を思いやる事を忘れていると解釈したうえに美貌が衰退して手を出す気にもならないと評価し巨根男をあてがって逃げる始末。始皇帝に対して色々してあげようとするのも自分が少年の頃大人に導いて貰ったからそうしているというだけという印象。アンタがそういう若者だったからって始皇帝もそうとは限らないんだよと。とある時期から放ったらかしにされているとしか思えない維も可哀想だった。 >> 続きを読む
2018/03/18 by kikima
宮城谷昌光は三国志を読んだことがあったがやたらと長く細かいことが書いてあるなと思った程度で良い印象は持っていなかったのだが、古代中国の夏王朝ということで興味を覚え手に取った。車がまだ発明されていない時代とかで、場面の様子の想像が難しいのだが、それなりに読んでいて楽しい、そんな感じで下巻に突入する。 >> 続きを読む
2020/03/02 by 和田久生
【宮城谷昌光】(ミヤギタニマサミツ) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)
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