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香西秀信

著者情報
著者名:香西秀信
こうざいひでのぶ
コウザイヒデノブ
生年~没年:1958~

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      論より詭弁 反論理的思考のすすめ
      カテゴリー:言語生活
      5.0
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      • いかに論理的に述べるか?という技術について触れた本はたくさんあります。個人的に思うに、学問や資格、技術的な発想力、プレゼンテーション力やイノベーションを求めようとする現代においては、論理力というのは、特に重要なスキルになってきている時代なのかと感じています。


        しかし、現実には自分としては論理的に述べても、相手からは詭弁だとか、その意見は認めないとか、逆に詭弁なようなことが当たり前のようにとおってしまったり、それで意外にも成功したり、予想通り失敗したり、論理的には事が運ばない様々な出来事が起こります。


        では、論理的に述べる必要はなんなのか?論理がもたらす効果や
        メリット、デメリット。詭弁とはどういうことなのか?
        ということについてこの本には新鮮な切り口で書かれて興味深い内容となっています。


        本文の一部を引用させてもらうと
        「議論というのは大抵偏った力関係の中で議論されるが、その議論が機能しないことを詭弁を用いたからだと勘違いしてはいけない。自分の生殺与奪権を握る人を論破などできないが、説得することは可能である」

        (要は、会社によっての製品の方針が違うわけですから、例えばすぐ食べれることが売りのお店に、丁寧さや食事の質をもっとよくするべきだということを新入社員が議論するようなものだ。ただ、言う行為自体には意味はあるということを著者は言っているのだと思います)


        他にも、「多くの根拠で武装して論証が堅牢になったことで勝ち誇っている。だが、そうした根拠の集まりは論理的にはただしくても、心理的にはおかしいことがある。1つの統一された思想を持った論者が
        同時には発想しえないような、複数の根拠が入り込むからだ。」とか


        「詭弁を嫌う人でも、自分やその仲間の詭弁は気にならない。それは才気煥発たる物言いに見えるらしい。
        っしかし、同じことを自分たちの敵がやると、とつぜんそれがごまかしになりルール違反になる」


        というような、自分の日常でも思い返せばあるあるですが、案外気づかないことは往々にしてあると思います。
        せっかく論理的な勉事を求めて勉強するなら、やっぱり論理のもたらす影響とかって知っていた方が得すると思います。
        言われれば「あぁ、なるほど」と思っても、それが自分の論理とか説得とか思っていると、案外気づかなかったりするので。

        なので、この本をたびたび思い返しつつ、”論理”に対して上手く付き合えていけたらなぁと思いながら日常で検証していきたいです。


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        2018/07/26 by kkz

    • 1人が本棚登録しています
      論理病をなおす! 処方箋としての詭弁
      カテゴリー:言語生活
      5.0
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      • ・どんな本?
         この本を読めば詭弁に騙されなくなる、なんてことはない。私は本書を読む以前には、詭弁について誤りである論理を用いた、ただの屁理屈だと誤解していた。そんなものに騙されるのは知性が足りない証拠であると。あるいは知識さえあれば詭弁に騙されることはなくなるだろうと。しかし詭弁はそんなに優しいものではないし、看破するのが易しいのならばそもそも私達は騙されていない。
         著者は『詭弁に騙される人は、単に馬鹿だから騙されるのではなく、人間の思考が、そのようなものを受け入れてしまう癖をもっているから騙されるのである』(p.20)と、主張している。詭弁にはどういった型のものがあり、なぜわれわれはそれらの詭弁にだまされるのかを考えることで、人間の思考の癖について学ぶことのできる本だ。
         
         ・人間の性質
         人間は2つの対立した意見があると、どちらかの味方をしてしまう。また、人間は自分が正しいと思いこみ、対立意見があった時に自分の意見を見直すことはせず、間違っているのは対立意見のほうだと決めてかかる。人間には自分を正義だと思いこみ、自分の正しさを信じ、正しくあり続けようとする性質がある。(つまり客観的に、実際になにが正しいかなど、どうでもいいのだ)

        ・言葉の曖昧さ、多義性を利用した詭弁
         詭弁の型の一つに言葉の曖昧さ、多義性を利用した詭弁がある。例えば、キリスト教について知っているか?という問いを投げたとする。この問いにはA「キリスト教の存在を認知しているか?」の意味でも解釈できるが、B「キリスト教がどういった宗教であるか知っているか?」の意味でも解釈することは可能だ。我々は日常生活において前後の会話や、問いを投げた人間との関係性などを考慮して、Aという意味なのかBという意味なのかを推察する。
         しかし、議論の場などでは対立側がAの意味で質問、あるいは発言していても自分の側に有利にするために、意図的にBの意味で解釈するということが起こり得る。これが客観的に私達が明らかにAの意味であると断言できる場合ならいい。その場合いくらBの意味であると叫んでいる人間がいたって私たちは騙されない。それほど人間は愚かではない。問題はAであるともとれるしBであると解釈しても必ずしも間違いでない、という場合に起こる。言葉の曖昧さ、多義性を利用した詭弁は、言葉のもつ不完全性とそれを許容している人間の本質によって引き起こされるものといえるだろう。ここで例をあげることは文章量と私の能力不足の都合でしない。本書で述べられていることだが、説得力をもった詭弁、つまり私達が騙される詭弁については説明するのが難しいのだ。
         しかし私達が詭弁にだまされる時は、その詭弁が正しさを含んでおり、一概に間違いであると切り捨てることができない時であると言えるだろう。そして、そういった詭弁は人間の性質によって生み出され、人間の本質によって受け入れられるのだともいえる。
          

        ・感想
          『要するに疑わない、信じるというより、人は「疑いたくない」のだ――自分の過ごしている世界が、周囲が、信用するに足る、安心するに足るものだと信じたい。安心したい。だから疑心暗鬼に陥らずに、信じる』(西尾維新、恋物語より)
         このセリフは、恋物語の登場人物である詐欺師の貝木のものである。貝木は人間の本質は疑うことを嫌い、信じることを好むという。だから騙しやすい、と。これと同じことで人間は人間の本質によって、詭弁に騙されるのだと本書で考えさせられた。人が人である限り、人は人に騙されることから逃れることは不可能なのだと。
         私達が詭弁に、詐欺に、あるいは嘘にだまされない為には、まずそれらについて学ぶことが大切なのではないだろうか。また、人間の本質について知ることも同様に大切なことだと思う。そしてどれだけ学び、知識を得て、深い思索にふけったとしても「自分は騙されることはない(なぜならば自分は賢いから)」などといった幻想を抱かず疑い続けることこそが、騙されることから身を守ることに繋がるだろう。
        >> 続きを読む

        2015/10/14 by けやきー

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