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市原隼人がでているドラマでカラマーゾフにハマり、本も読んでみよう!と思って読んでみた。ドラマの前知識があるおかげか、結構スラスラと読めた。上巻ではキリストがどうとか神がどうとかそのようなことが語られていて、私や日本人である人はあまりピンと来ないと思う。ちょっと哲学的な感じだった。上巻なのでまだストーリーは全然進んでいないが、今夜から中巻を読むので楽しみだ。内容はたぶん理解出来ていないがとりあえず、ストーリーを楽しもうと思う。光文社現代語訳の亀山さん訳のが読みやすいと評判だが、カラマーゾフの空気感が軽いといったレビューを見たため、新潮文庫の原さん訳で挑戦!やはり読みやすい=どうしても空気感が軽くなるんだと思う。読みにくくても、カラマーゾフの雰囲気を味わいたいのでこのまま読み進めていこうと思う。 >> 続きを読む
2015/06/19 by snoopo
【『「罪と罰」を読まない』に触発されて再読してみましたよ~。これはさすがに古いか……。】 先日、「『罪と罰』を読まない」をレビューしましたが、そこでも書いた通り、私自身、高校生の頃『罪と罰』は読んでいるのですが、その内容をかなり忘れてしまっていました。 こりゃあ、もう一度読まなきゃね、ということで再読してみましたよ。 ストーリーは、多くの方がもうご存知で、今さらネタばれもないでしょうからそのまま書かせていただきます。 ラスコーリニコフは大学の法科に通っていたのですが、実家も貧しく十分な仕送りもない上に、家庭教師の職も勝手に辞めてしまい、当然大学にも通えなくなり、屋根裏部屋の下宿でただただ悶々として暮らしていました。 少しは働くなり何なりすれば良いものを、一向に働こうともしないため、金もなく、ろくに飲食もできず、下宿代も溜めまくっている体たらくです。 その頭の中には、一つの計画とも言えない計画が渦巻いていました。 それは、自分が質入れをしたことがある金貸しの老婆を殺して金を奪おうというものでした。 ある時、酒場で聞くとはなしにこんな議論を聞いてしまったのです。 唸るほどの金を持っていながら、社会の害悪でしかない人間がいる。 一方で優れた才能を持ち、もしその才能を発揮することができれば人間社会にとって素晴らしい成果をもたらすであろうに、貧困のためにそれができないでいる者もいる。 そんな時、優れた才能を持つ者が社会の害悪でしかない金持ちを殺してその金を奪ったとして、その金により志を果たすことができるのであればその方が人間社会にとって数倍も良いことなのだ、と。 ラスコーリニコフは独善です。 そして傲慢でもあるのでしょう。 金貸しの老婆を殺して金を奪うという自分の計画を正当化してくれるであろう議論に力を得て遂に実行してしまうのです。 確かに、金貸しの老婆は強欲だったでしょう。 また、腹違いの素直な妹を酷使し、打擲し、良いように下働きとして使役もしていたのです。 しかも病気持ちでもう長いことはないでしょう。 にも関わらず、自分が死んでもこれだけ尽くしてくれた腹違いの妹には遺産を一銭も残さず、自分の供養をしてもらいたいがために全額修道院に寄付してしまおうと言うのです。 ラスコーリニコフは、老婆の頭を用意してきた斧で叩き割り、血まみれになった老婆の死体から財布を奪い取ります。 更に鍵を奪うと、次の間にある抽斗を開けようとし始めます。 そこに、腹違いの妹が帰ってきました。 ラスコーリニコフは、有無を言わせず腹違いの妹も撲殺してしまうのでした。 そこへさらに来客がやってきます。 急いで扉に栓(閂のようなもの?)を差し込み、息を殺して外の様子を窺います。どうやら、異変が起きたことに気付いた来客は、庭番を呼びに行くことにしたようです。 ラスコーリニコフは、一瞬の隙をついてかろうじて脱出することに成功しました。 老婆から奪ったのは、財布に入っていたいくらかの金と質草のいくつかの品物だけでした。 本当は、抽斗の中には多額の金が入っていたというのに。 こんな物のためだけに俺は老婆を、妹を殺したのか……。 証拠隠滅のため、一度は盗んできた物を捨ててしまおうかとも思いましたが、いざ捨てるとなると人の目もありなかなか上手く行きません。 ラスコーリニコフは、奪ってきた金品の扱いに困り、結局、手をつけないままある場所の石の下に埋めてしまいました。 そして何喰わぬ顔をして下宿に戻るのですが、事件を起こしてしまった衝撃からか体調を崩していきます。 そんな時、ふらふらと外出したラスコーリニコフは、以前酒場で知り合った元下級官吏のマルメラーゾフが酒に酔って馬車に轢かれた現場に出くわします。 マルメラーゾフは、娘のソーニャを売春婦として働かせて家計を支えさせ、その稼ぎすら一人で飲み潰していたのです。 しかし、マルメラーゾフは、内心ではそれを悔いに悔いていたのですが、自分ではどうにもできずに遂に轢死してしまうのですね。 マルメラーゾフを助け出してその家に運び込んだ際、赤貧洗うがごとしの家の様子を見てしまったラスコーリニコフは、母が苦労して工面して送金してきた金を寡婦に葬儀代として全部くれてやってしまうのでした。 ちょうどその頃、ラスコーリニコフの妹のドゥーニャに結婚話が持ち上がり、婚約者に会うために母と妹がラスコーリニコフが住むペテルブルクにやって来ました。 ラスコーリニコフとしては、妹が家計を助けるために吝嗇家の弁護士である婚約者に嫁ぐつもりであり、自分を犠牲にしているのだと思えてならず、妹の結婚に猛反対します。 ドゥーニャは、自分は犠牲になどなるわけではないと言うのですが……。 そんな中で、ラスコーリニコフが殺人犯ではないかという疑いを持つ者がいました。 それは予審判事のポルフィーリィでした。 彼は、ラスコーリニコフの唯一の親友であるラズミーヒンの親戚筋に当たる切れ者でした。 ポルフィーリィとて、ラスコーリニコフが犯人であるという確たる証拠を握っているわけではないのです。 ただ、疑いを持ち、ラスコーリニコフに慇懃に語りかけて罠をしかけようとするのですが……。 さて、上巻ではこんな辺りまでが語られますが、私が読んでいる本は高校生の頃買った新潮文庫で、米川正夫氏訳のものです。 奥書を見ると、昭和26年発刊で、この本は第52刷となっていますが、特に改訂等の記載が無いので、基本的に昭和26年の訳のままなのかもしれません(実際、この版が出版された時点は米川氏がお亡くなりになった後なのですし)。 そのせいか、さすがに古さを感じます。 ラスコーリニコフをはじめとして、登場人物の口調が古すぎるのです。 こんな言葉遣いはしないよねと思わざるを得ません。 ラスコーリニコフは、設定では頭脳明晰で美貌の元大学生ということになっているのですが、その口調はどこか時代がかった農民の口調のようで、イメージと合いません。 私が高校生の頃読んだ時には「こんなものか」とでも思ったのか、特に訳語等について何らかの感想を持ったという記憶は無いのですが、読み直してみると、さすがに今この訳を高校生に読めというのはいささか酷のように思われます。 非常にとっつきにくいですし、読みづらいと思います。 高校生では意味の分からない言葉も多いのではないでしょうか?(例えば「陋劣」なんていう言葉は使わないでしょ?)。 今では、他に新訳等もあるのではないかと思うので、特に米川氏の翻訳に思い入れがあるという方以外は、もっと読みやすい本を選んだ方が良いと思います。 特に、この作品は、ラスコーリニコフをはじめとして、登場人物の独白が大変多い作品ですから、その部分が読みづらいとかなり辛い読書になるかもしれません。 また、ラスコーリニコフの思想自体、今読み返すとかなり幼稚で陳腐ものとしか思えず、それが延々と続くわけで、さすがにこれを真に受けて読むのは今は辛いと感じました。 この時代の、こういう社会情勢の中で生まれた考えであるという注釈付きで、そういうものだとア・プリオリに了解した上で読まないと、「素」で読むのはなかなかにしんどいというのが上巻までを再読した印象です。 取りあえず、下巻に読み進んでみましょう。 全体を読んだ上で、改めてこの作品について考えてみたいと思います。* 私が読んだ本は新潮文庫の旧版、米川正夫訳のものです(旧版が出なかったので新版でレビューをさせていただきました)。 >> 続きを読む
2019/02/04 by ef177
ただの物語ではなく、宗教の芯の部分まで考慮されている作品。それぞれの登場人物が自分の考えを深いところまで考えているため、内容理解が追いつかないところもある。ただ自分も深いところまで考えられる人となりたい。2巻目のイワンの書いた大審問官は有名 >> 続きを読む
2016/06/11 by 匿名
本書は1865年夏、当時のロシアの首都サンクトペテルブルグが舞台となっています。農奴解放前夜1850年代末~60年代半ばにかけて首都ペテルブルグの犯罪率は高まり、一大犯罪都市のごとき観を呈していたらしい。巻末ではモデルとなった事件がいくつか紹介されています。主人公・ラスコーリニコフが罪を犯し、その後の精神状態が詳細に描かれています。熱に浮かされ、鬱屈とした日々。貧困にも関わらず、お金を大切にしないところも異常をきたしているからでしょうか。そして犯罪者心理としては、殺害現場に戻ってしまうのですね。彼の罪が表沙汰になってしまうと、母とこれから結婚する妹はどうなってしまうんだとハラハラしながら読んでいました。いまいち殺人の動機がよくわからず、ラスコーリニコフに感情移入することができません。『ひとつの命とひきかえに、何千もの命を救える』と作品紹介に書かれていますが、本当にこのような目的があっての殺人だったのか。それともただの妄想なのか。「白痴」とは違い、ドストエフスキーの思想が多く入り込んでいないので、ストーリーを追えばいい分読みやすく感じました。ラスコーリニコフが最終的にどのような選択をするのかが楽しみです。私は罪の意識に苛まれ、自首すると思っています。もちろんそれだけでは終わらないのでしょうけど。 >> 続きを読む
2017/09/20 by あすか
ようやく読み終わりました。文学の訳本全般における気になる点ですけれど、会話が不自然というのがあります。こればっかりは原文を読めない自分が悪いのですが。。。どうしても登場人物の会話が気になってしまいますね。それは置いておいても、ロシア美少女を想像しながら読むと捗ります。 >> 続きを読む
2016/05/10 by さったん
2005年4月読破。
2015/12/17 by Y96
ドストエフスキーという人が、私はやっぱり好きだと思いました。彼が描く、繊細で謙虚で、ちょっと空想癖がある、物凄くいい人だと思うので、私ならこういう男性を放っておかないんだけど、どうやら一般的には違うらしい。こういういい男性って損な目に遭うよね、という物語。女性は得てして我儘気まま、あるいは、理解できないものとして描かれている。それは、男性から見た女性像なんだろうな、って気がします。 『やさしい女』は、質屋の男が、いろんな品物(ふつうの質屋では金に換えてもらえないようなものも)を売りにくる、どうやらワケアリであるらしい少女を見初めてもらい受けようとする所から始まる話。『白夜』は、美しい都市サンクトペテルブルクを舞台に、都市を愛しその空気に馴染んでいる男性が、ある日[違和感]を感じてその正体を探ろうと都市内をふらふらと歩き回っていた時に、絡まれかけた女性を助ける所から始まる話。 男性ゆえの女性に対する理想像が混ざったなんとも言えない思い込みの激しさと「女性」に対する崇敬心、男女の食い違いが個人的には凄くしっくりくるので、いい作品だなぁと思いました。 >> 続きを読む
2017/05/08 by コノハ♦
筑摩版小沼文彦訳に較べると、亀山訳の主人公は、やや男性的な感じ。ただ、主人公は、もっとだらしなくみっともない、卑小な人物のはずなので、小沼訳の方が、本来のイメージに近いのではないかと思う。それから、亀山訳では、「まったく」を「ったく」と訳すなど、ウケを狙っているのか、妙な言葉遣いが違和感。こういう「新しい」コトバは、すぐに古びるし、作品の品格も落とすので、やめた方がいいと思う。 >> 続きを読む
2017/09/16 by Raven
全編が恋愛譚で構成されているドストエフスキーの処女作「貧しき人びと」を読み終えました。この作品は、下級官吏のマカール・ジェーヴシキンと彼の下宿の隣に越してきた美少女ワルワーラ、二人の間に交わされる書簡体小説になっています。二人の歳はかなり離れていますが、何と言うのかオジサンの恋の格好悪さ、みっともなさが、実にしみじみといいんですね。金持ちと結婚することになったワルワーラが、初めのうちこそ悩んで嫌がっていたのを、支度金なんかが届くとスパッと割り切って、婚礼の準備に大わらわになる。お金のための結婚なんて断じていけないと、つい昨日まで意見の一致していたジェーヴおじさんは、「ちょっとすみませんけど、仕立物取りに行ってくれますか?」みたいに、あっさりパシリにされたりするんですね。そんな彼の振り回される様子がたまらないんですね。とんでもない善人だからなおさら-----。もちろん、この作品は、貧しく、つましく暮らす庶民の中にこそ愛の真実があることの描かれた、ヒューマニズム讃歌でなくはない。だが、多声の作家と言われるドストエフスキーの真価は、すでにこの処女作において花開いていて、人間の抱く愛や優しさや純情は、必ず敗北するという物語だと思って読めば、そう読めるようにも書いてあると思うんですね。さらに、この作品にはもう一つ仕掛けがあって、よくよく注意して読むと、ワルワーラとジェーヴシキンの物語の裏側に、もう一つ別の悲恋と悲劇の物語が隠されている。それはやはり、ドストエフスキーの真骨頂である「ほのめかし」という手法で織り込んであって、これを発見するのもドストエフスキーの文学を読む際の大きな愉しみでもあるんですね。 >> 続きを読む
2018/11/22 by dreamer
ドストエフスキーが描く人物は、躁鬱病ではないかと思うほど情緒不安定な感じの登場人物が多く、苦手。かつて浮気した相手の夫が突然現れる話なのだが、主人公はいけすかないし、夫は何考えているか分からず不気味。実に居心地の悪い読後感です。 >> 続きを読む
2015/10/10 by asapy
ドストエフスキーのこの長さのものでは最も読みやすく、作者の凄みが伝わる。博打にはまって、ほとんど病的な敵愾心を抱いていたツルゲーネフに借金の催促をした体験などが盛り込まれている。どうしても長さに臆してしまうという人はこの作を導入にお勧めできる。 >> 続きを読む
2015/10/14 by aaa
いよいよ面白くなってきた。中巻ではほとんどがミーチャのシーンだ。尋問を受けているときのミーチャの二転三転っぷりが本当に面白い。ロシア的というか古典文学的というかオペラ的というか、重い空気なのにどこか笑えてしまう。ドラマではイワンを軸にしてストーリが転回するが小説ではミーチャなのかな。ドラマを見ていたので犯人は誰かわかっているが、もしわからなかったらどういう気持ちでこのストーリーを読み進めていただろうと思うと、犯人を知らずにこの本を読めなかったことに対して少し後悔。あと、グルーシェニカってそんなに魅力的な女性なんだと興味を持った。今日本屋で下巻を買って早速読む。 >> 続きを読む
2015/07/01 by snoopo
とうとう読み終わった。私の読書生活、カラマーゾフを読むことを目標としてきたがとうとう読了した。神だとかなんとか論者とかそのへんはさっぱり分からなかったがストーリーを追うだけでも面白かった。登場人物のそれぞれがしっかり個性を持っていて、満遍なく全体のキャラクターがしっかり描写されとてもバランスの良い小説だ。最後、アリョーシャの子供たちに言う言葉の数々がとても素敵で美しかった。でもこの本、日本人ではなかなか心底から理解出来る人は少ないと思う。ガチガチのキリスト教で育ったわけではないし、日本の社会がそんなに宗教宗教していないので、それぞれのキャラクターが持つキリストへの信仰心に対して共感したり反撥したりの意見を持つのは難しいのかなぁと思う。あまり宗教の概念が根強くないから。そういえば、高校のときの英語の先生がすごくアメリカかぶれしていて、キリスト教に改宗して子供もミドルネームがある…みたいな英語の先生がいて…なんかそれって、それってお飾りキリスト教?と感じたことがあるのを思い出した。まぁ本人がそれで満足しているなら、私はいいんだけど。。懐かしい。 >> 続きを読む
2015/07/07 by snoopo
ヴェルシーロフ公爵の私生児、アルカージィの自伝のような描写。一部では、アルカージィの生い立ちから理想への追及が描かれてます。アルカージィの理想。それは、ロスチャイルドになること。貧しきながら富豪なり。ホームレスになり、パンと水だけで暮らしながら金を乞う。莫大な金額を残して死んでいくのが、彼の理想であり、また試験的に実践する。実践により、その意志はより固くなり、第二部へ。挫折と堕落を味わうアルカージィ。理想は甘美な誘惑に呑まれ、意志が崩れ落ちるも、理想への肥やしで流れ落ちる。父性愛が一部では求められ、二部では手に入れたアルカージィは、ほとんどこれを理由に堕落してゆく。妹のリーザが、敵の男に凌辱され、前からあった決闘の約束がより間近になる。当時のロシア情勢のこと、思想の為に命を絶ったり、凌辱のために命をを絶つといった、殺伐とした、階級の差が激しい様が描写されています。色々と勉強にもなるところが良い。 >> 続きを読む
2016/06/16 by 扉の向こう
ドストエフスキーがドストエフスキーになるまえの長篇で、散漫な印象を与える。ディケンズの影響が色濃いのに注目されたし。 >> 続きを読む
【再読してみて、さて、この作品を他者に勧めるか?/『「罪と罰」を読まない』も踏まえてのレビューだよ】 「『罪と罰』を読まない」に触発されて、再読を始めた『ツミバツ』の下巻レビューいきますよ~。せっかくですから、『読まない』の方のレビューに出てきた点にも触れつつ進めてまいります。 さて、上巻で『因業ばばぁ』ことアリョーナと、その腹違いの妹であるリザヴェータを撲殺し(斧が凶器なのですが、みねで殴って殺すので撲殺が正しいです)、多少の金品を盗んだラスコーリニコフですが、妹のドゥーニャの結婚話には猛反対したという辺りまで上巻のレビューに書きました。 ドゥーニャは美人ということもあり、ラスコの親友、『馬』(あるいは『修造』)ことラズミーヒンもドゥーニャに一目惚れしてしまいます。 このラズミーヒンが、様子がおかしいラスコを心配してラスコの近くに引っ越して来るのですが、その転居先が、吉田浩美さんが付箋を横貼りにした『ポチンコフの家』(私が読んだ本では『アパート』ではなく、『家』と訳されていました)なのですね。 その後、ドゥーニャの婚約者である弁護士のルージンは、打算的で吝嗇家であるという馬脚を顕してしまい、ドゥーニャの逆鱗に触れ、結婚はお流れになってしまいます。 ですから、『読まない』で4人が期待した、ページ稼ぎのために1週間続くであろうドゥーニャの結婚式(ロシアの宴)は発生しないのでした!(笑) このルージンっていう奴、本当に嫌な奴です。 ラスコも嫌いだけど、こいつが『ツミバツ』の中で一番キライなキャラですね。 己の結婚相手は貧乏で苦労した人が良いなんて言うのですが、それは苦労した経験の尊さを評価したり、貧しい身分のドゥーニャを受容してそう言っているわけではなく、そういう身分の人を嫁にもらってやれば一生恩を売り続けることができ、妻を奴隷のように従わせられるからという全くさもしい根性からそう考えるような大馬鹿野郎です。 しかも、後にドゥーニャとの関係修復を狙って、ソーニャに盗みの無実の罪を着せようとする(回りくどい計略なのです)ふざけた野郎ですよ! 一方のラスコですが、ソーニャが売春をしている部屋を訪れ、そこで自分の犯行を告白してしまいます。 何故、そんなことをしたのか? 罪悪感からではないでしょう。 だって、告白の後、自首を勧めるソーニャに対して、「自分は懲役に行くつもりはない」と言い切るのですから。 ラスコはとことん甘ったれなんですよ。 予審判事の『愛之助』ポルフィーリから犯行を疑われて苦しくなり、また、自分なりの傲慢な理屈から犯行を正当化してきたのにそれを誰にも理解してもらえないという鬱屈した不満から、ソーニャなら同情し、理解を示し、泣いてくれるであろうという勝手な算段で告白したと読みました。 ところがこの告白を隣の部屋で、薄い壁越しに聞いていた奴がいました。 それがスヴィドリガイロフという、ドゥーニャが昔家庭教師を務めていた家の主人でした。 スヴィドリガイロフは、妻がいたのにドゥーニャに言い寄り拒絶されるという『前科』があったのですが、ドゥーニャが妻の紹介でルージンと結婚することになったと知り、ドゥーニャを追いかけてペテルブルクまでやって来ていたのですね(妻は死亡しています。それはスヴィドリガイロフが殺したという話も……)。 何だってルージンが婚約相手なんだと。 自分だって妻を捨てて莫大な財産をもってドゥーニャを迎えようと口説いたというのにそれを拒絶された。 ところが、ルージンなんぞに金のために身を売ろうとしているなんて、俺とどう違うというのだ、納得できね~と言うわけですね。 スヴィドリガイロフは、ドゥーニャのことを諦めておらず、ラスコに「聞いたぞ、聞いたぞ」とほのめかし、ドゥーニャとの橋渡しを要求するのですがすげなく断られます。 これはどうにもならないと悟り、兄思いであるドゥーニャの心理につけ込み、ラスコの重大な秘密を知っているとほのめかす手紙を出し、ドゥーニャを誘い出し、そこで手籠めにしようとするのですが、これにも失敗し、遂には自殺してしまうのですね。 何で自殺までしちゃうんでしょ? どうもその心理には納得できない部分が残りました(いや、スヴィドリガイロフは、ドゥーニャの他に何と16歳の少女とも結婚話を進めていたのにですよ)。 このすったもんだの過程で、スヴィドリガイロフは、ドゥーニャに対して、『因業ばばぁ』とその妹を殺して金品を奪った犯人はラスコであるということを暴露してしまいます。 ソーニャからもその裏付けを取るドゥーニャ。 ドゥーニャは、ソーニャならたとえラスコが刑に服したとしてもついていってくれる人だと確信し、ラスコに自首を勧めます。 妹にまで知られてしまった……。 八方ふさがりになったラスコは、自殺もできず、結局、自首を選択するのですね。 自首減刑もされ、裁判でも何も争わず正直に罪を認め、奪った金品に手をつけなかったことや、さらには『修造』らがラスコの過去の善行を証言するなどしてくれたこともあって、懲役8年という寛刑に処せられシベリア送りとなります(そうそう、ドゥーニャは『修造』と結婚するのですよ……『ロシアの宴』はありませんけどねっ)。 この後エピローグがつくのですが、ソーニャはラスコに付き従ってシベリアに移住するのですね。シベリアでお針子などして生計を立てます。 そして、献身的にラスコに面会に行きます。 シベリアでの獄中生活は結構ルーズで、面会者は自由に刑務所の中に入って行けるようで、ソーニャは他の受刑者とも顔見知りになり、他の受刑者からまるで女神のように慕われる存在になっていくのです。 一方のラスコは相変わらずの人嫌いを発揮し、他の受刑者からも嫌われるのですが、ある時、ソーニャが売春していた部屋で見かけた聖書のことを思い出し、聖書の差し入れをソーニャに求めるのです。 その後、信仰に目覚め、深く反省するに至り、ようやくソーニャへの愛に気付き、まだ7年残っている刑期を勤め上げてソーニャとやり直すことを決意し、ソーニャもそれを分かり喜びの涙にくれるというところでこの物語は終わります。 再読してようやく内容を把握し直しました。 そうそう、こういうお話でしたっけね。 とは言え、登場人物のモノローグが大変長い作品です。 みんな、本当によくしゃべります。 中には、必ずしも筋とは関係がない、どうでも良いことを延々としゃべる場面もあり、そういうところで量を喰っている小説とも言えます。 枝葉を払って整理したら、もっと短くまとめられる小説とも言えましょう。 無駄(?)な枝葉が多く、そこで分量を喰ってしまっている分、全体の印象がぼやけがちになって、だから読んでもよく覚えていないと言われてしまうのかもしれません。 大きな筋は、自分勝手な理屈から、そしてその理屈を実現できない自分が嫌で、その理屈通りに強盗殺人事件を起こすラスコと、そのラスコが自分の罪に気付き、ようやく人間らしい存在となってソーニャと新しい人生を歩む決意をするまでのお話と言えるのですが、そのラスコの気持ち、テーマがなかなかストレートには伝わりにくい作品と言えるかもしれません。 ラスコ自身の右往左往する感情や振る舞いが現在の我々には理解し難い部分もあり、今の若い読者にはヴィヴィッドに響かないことが懸念されます。 また、人間には弱者(平凡な存在)と、強者(優れた存在)があり、後者は前者を犠牲にして良いのだという理屈も、今となってはかなり陳腐な思想と言わざるを得ず、なかなかこんな思想をストレートに前面に出すなんていう作品は今は無いのではないでしょうか? 昔のロシアの、非常に貧富の差が激しく、貧しい者はとことん虐げられており、極貧から這い上がるなどまず不可能という背景を承知しないとなかなか成立しないお話なのでしょう。 登場人物、特にラスコの場当たり的な、無計画な行動にも疑問符がつくでしょう。 金が無いというのに、将来設計などまるでなく、ただ怠惰に家でゴロゴロして、挙げ句の果てに強盗殺人に及び、さらにその後もふらふらし続け、金を浪費し、結局何もできない男がラスコです。 頭脳明晰で美貌の青年と描かれてはいますが、これほどまでにその設定が活かされない、伝わってこないキャラというのも珍しい。 とことん甘ちゃんであり、三浦しをんさんから「きさま、いいかげんにせえよ!」と怒られるのもよく分かるところであります。 とは言え、これだけ人口に膾炙している古典であることは間違いなく、だからこそ読んではいなくても何となくその筋は知っているということにもなるのでしょう。 『読まない』では、実際に『ツミバツ』を読んでみて、さあ、この作品を他人に読めと勧めますか?という問いかけがあります。 みなさん、結局オススメするわけですが、さて、私はどうしましょうか……。 読まないなら読まないで良いかもしれません。 ドストを読むのなら、『ツミバツ』ではなく『カラマーゾフの兄弟』の方を双手を挙げて推挙します(こちらは是非読むべきだとお勧めします)。 さて、『ツミバツ』どうしましょうかねぇ……。 興味があればもちろん読んで損は無い作品だと思いますが、必読とまでは言わないかな。 >> 続きを読む
2019/02/05 by ef177
ドストエフスキーは『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を読もうとしましたが途中で挫折しています^^;失敗を踏まえてネット上の相関図を見ながら『白痴』に挑戦しました。恋愛要素が含まれている話なら読めるかもしれないと思って。「白痴」と呼ばれる主人公ムイシュキン公爵が、療養先のスイスからロシアに戻るところで物語が始まります。読む前は公爵はお人好しで騙されやすい人なのかと思っていましたが、意外と胡散臭い人(イヴォルギン将軍)を疑っていました。個人的にヒロイン、ナスターシャの婚約者だったガヴリーラが気になります。イライラして周囲に悪態つきまくっているので、現実にいたらお近づきにはなりたくありませんがw一方で和解した公爵の前で泣きじゃくったり、片思いの相手に手紙を渡したけれど、こっぴどくふられたりして散々なのがどこか憎めません。ナスターシャも言動が突飛過ぎて、狂気の沙汰なのか計算しているのか謎です。札束を暖炉に放り燃やそうとして、相手(ガヴリーラ)の反応をうかがっているかと思えば、家を捨て、善良なムイシュキン公爵のプロポーズを断り、素行の悪そうなロゴージンを選びます。それが、自ら破滅に向かおうとしているように見えました。一巻はナスターシャが婚約破棄をしてロゴージンを選び、家を出て行くところまで書かれています。 >> 続きを読む
2019/08/18 by May
最高です!!!!
2019/07/06 by nakiring
初めて本棚の本についてレビューを書きます。この4巻ではなく全巻を通した印象です。とにかく長編なので、まず読み終わった時の第一声は"終わったー!"でした。物語の場面ごとであれば感想を言いやすいものの、すべて通して"こういう本""こんな感想"とまとめることは難しいです。読みやすい本というわけでもないので、声を大にしてオススメするのも躊躇しますが、様々なテーマのもと多くの人物が登場して展開するので、読んだ人にとって、物語のどこかに引っかかる何かがあるのではないかと思います。個人的に引っかかったのは、この巻だったかどうかは定かではないのですが、「愛し切らせてくれ」という台詞でした。翻訳者の方の訳語ではありますが、自分の命が尽きるまで1人の人間を想いたい気持ちを強く感じました。読んだのが今より恋愛に興味のある頃だったので、これに引っかかったのかもしれません。他の場面でも、欲や執念といった、あらゆる人間の想いというのはこうも深いものか、と感じるところが複数あったように思います。またいつか再読してみたいと思います。いつになるかはわかりませんが…。 >> 続きを読む
2019/10/26 by たけのこ
【フョードル・ドストエフスキー】(フョードル・ドストエフスキー) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)
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