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最後の一文を読み終えた時の深い満足感小手先のトリックやどんでん返しなどでなく、本当に良質の小説だけが持つ、ため息のような感動をミステリーでも得たいと思う人は、この小説を読みなさい。文学的な基礎知識も特別な読解力も不要ただハラハラさせるストーリーを追うだけでいいのです。人は獲得し、そして失う。生きるという事はその繰り返し。主人公シッド・ハレーはそれを体現した存在です。だからこの物語はあなたの物語でもある。シッドのように振る舞えなくても、シッドに寄り添う事は出来ます。プロローグから壮絶な喪失感で幕を開け、乾いた語り口と骨太なストーリーでぐいぐい読者を引き込みます。「勝つことがすべてである。勝つことが私の役目だ……そのために自分は生まれてきたのだ」シッド・ハレーは元チャンピオンジョッキー。自他ともに認める最高の騎手でした。愛する女性と結婚し、たたき上げで築いた財産もあり、天職と思える職業で成功をおさめ、有名になり……そしてすべてを失いました。彼ほどの喪失を経験した人はほとんどいないのではないかと思うほどの悲惨な運命。運命に弄ばれ事件に巻き込まれ、という典型的なハードボイルド小説ともいえるのですがそれだけでは語りつくせない魅力と深さがこの小説にはあります。「恐怖」を追求している点もその一つでしょう。(もちろんホラーとは全く別です)「人がなんといおうと、恐怖というものを私は充分に承知している。それは、馬そのもの、レース、落馬、あるいはふつうの肉体的苦痛に対する恐怖ではない。そうではなくて、屈辱、疎外、無力感、失敗……それらすべてに対する恐怖である。」「自身に対する自分の見方が幻覚にすぎなかったことをむりやり知らされることは、地震にも似た精神的激変であった」一人称小説なので「私」シッドは、その時々の状況を赤裸々に、時に情けなさ丸出しで語りかけてきます。その真実と切実さといったら…。彼は決して鉄の精神を持った男ではないのです。ただ、自分に対する誇りの為に、外にそれを漏らさない。自分から逃げない道しか歩めない、そういう性分なのですね。それでも生きていくという選択をすることのしんどさと当り前さ。相棒のチコ、元妻のジェニー、その父のチャールズ、ジェニーの女友達のルイーズ他の登場人物造形の素晴らしさのみならず、本作では悪役さえも血の通った人物として納得できる描かれ方をします。敵は、前作「大穴」の悪役の怪物的異常性とは異なり、人間が他者に与えうる脅威という形で現れます。暴力そのもの以上に脅迫の方を人間は苦しむものなのです。フランシスの小説の主人公はみな、素晴らしく魅力的なのですが、中でも最高に愛されているのはこの「シッド・ハレー」です。彼の描くのは、悪と闘う正義の味方ではなく、内的な動機に基づくアイデンティティの獲得、維持の為に闘う男の姿です。一話完結の作品がほとんどですが、例外が2つあり、その一つがシッドの出演(もはや実在人物^_^)作品です。負けず嫌いで頑固で自尊心が高くてめちゃくちゃタフな男でありながら、一方で大きな弱点を持っています。彼は、身体が不具であると言うハンデを背負っているのです。それは単に肉体的な不自由さではなく、アイデンティティを決定的に損なう類の障害です。愚痴も言えば弱気にもなる。内面では怯えも怠惰も嫉妬も抱えている事を自ら認め、端的に語るのがシッド。フランシスの主人公の多くは精神力の強い、抑制のきく一見クールな男性が多いので、見ようによってはシッドはフランシス作品中最も情けない主人公なのかもしれません。しかしだからこそ、人は彼を愛するのでしょう。彼のように、人からは、タフな男に思われたい。仮に自分自身の目には、そう映らなかったとしても。そう夢を描くことでしょう。そして彼が立ち直り、再び自分の人生を歩みだす姿を見たいがために、繰り返しこの本を読むのです。私も再びシッドに逢いに行くでしょう。もしも人生で打ちひしがれる事があったなら、自分が生きていくための勇気をもらうためにも。きっと。 >> 続きを読む
2019/05/16 by 月うさぎ
我が敬愛するディック・フランシスの競馬シリーズの魅力は、何と言っても、主人公たちの心の傷を内面に秘めながら、その弱さを克服しようと立ち向かう姿勢であり,また人生を誠実に直視し、清潔な正義感を持つ、そのストイックなたたずまいにあるように思う。この「血統」は、初めて本格的に英国以外を舞台とした作品で、主人公のジーン・ホーキンスは、英国のプロの諜報部員だ。38歳、独身。非常に沈着冷静で有能だが、憂鬱症に悩まされている。感情をあらわにしないが、ユーモアのセンスがあって理知的な人間だ。このように、なかなか魅力的な男なのだが、長年の死と背中合わせの生活を送ってきたため、一種の鬱病に取り憑かれているのだ。それは、かつて激しく愛した人妻のキャロラインとの別れのせいでもあった。いつも、仕事の合間に、ふとやり切れないほどの虚無感と不安が襲って来るのだ。ホーキンスの生き方は、同じ英国の諜報部員といっても、超ゴージャスなホテルで世界の美女と美食に囲まれる007ことジェームズ・ボンドの快楽主義的な生き方などとは、まったく正反対なのだ。一緒にアメリカに行く上司の娘、十七歳のリニイ。彼女がほのかな想いを寄せていることを知りながら、そして自分もこの少女に惹かれているのを自覚していながら、ホーキンスは、欲望に身を任せるようなことはしない。「自分が三十八年間に学び取ったことがあるとすれば、誰とは寝てはならないという見きわめをつけることである。さらに、それ以上にやるせないことだが、いかに寝ることを避けるか、ということである」とホーキンスは言うのだ。なかなかカッコいいセリフで、ちょっとレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウを思わせるところがあって、実にいいんですね。そして、すべての物に恵まれながら、生き甲斐を失いかけている億万長者の牧場主の妻ユーニス。この女性は、百万ドルの女郎屋にいると自嘲する「長いお別れ」のテリー・レノックスに似通ったところがある。そういう上流階級の退廃の甘い香りや性の誘いも拒絶するホーキンスは、やはりマーロウ的だと思いますね。楽しい時は、人は人生とは何かということを考えたりしない。苦しい時、孤独な時、不安な時、人生とは何かを問い掛けるのだと思う。哲学者のハイデガー流に言えば、そういう問い掛けをせずに日常性に埋没してしまうのが、ただの人なのだ。「血統」のホーキンスは、その意味ではただの人ではない。常に人生の意味を問い掛け続ける男なのだ。鬱病気味のこの主人公が、最後に生きることを再び決意するこの作品は、やはりハードボイルドの精神を持った小説だと思う。ただし、ちょっとグルーミーなハードボイルドなのだ。 >> 続きを読む
2018/02/19 by dreamer
私の大好きな作家ディック・フランシス。「興奮」「度胸」「大穴」etc.そして、私が個人的に"男の恐怖心三部作"と密かに思っている、「利腕」「奪回」に続く三部作の三本目の作品「証拠」。土曜日から読み初め、日曜の朝まで一睡もせずに、いつものように一気に読了したのが、この「証拠」なのです。(今回で三回目の読破になります)シッド・ハレーが活躍する「利腕」以降、"男の恐怖心"がディック・フランシスにとっての重要なテーマになっていったのは、1970年代のヒーロー小説が見失っていた"敵"を、主人公の裡の脆くて弱い精神と肉体に見い出し、その入り口を"恐怖"に見立てたのだと思います。「証拠」の主人公のトニイ・ビーチが、「利腕」のシッド・ハレーと決定的に違うのは、挫折したヒーローではない事です。トニイ・ビーチは危機に直面した事がないのです。そういう局面に極力、立たないよう注意して生きてきたとの設定です。父や祖父のようなヒーローに対して劣等感を抱いても、自分には無縁な世界だと言い聞かせているのです。いわば「利腕」が、"ヒーローへのカムバック物語"であるならば、「証拠」は、ヒーロー以前の男が、"危機、恐怖、克服という設定を通してヒーローになっていく物語"だと思うのです。そして、この二本の作品は、同じ"恐怖心"をテーマにしていても、微妙に違っていると思います。「社会生活では苦しみを表に出す事は許されない。人は涙を見せない事になっている。特に一応人並みの容姿を具えた三十二歳の男は泣いてはならない。妻が亡くなって半年たち、周りの者すべての哀悼の念が消えて久しい場合はなおさらである」と、この「証拠」はこういう一節で幕を開けます。主人公の喪失感を色濃く漂わせた、ディック・フランシスらしい、なかなかいいプロローグで、男心をくすぐります。いきなりディック・フランシスの豊穣な物語世界の中に引き込まれてしまいます。今回の「証拠」の主人公トニイ・ビーチの職業はワイン商。父親も祖父も勇敢な軍人であったのに、「二人の勇気、才能、向こう見ずな性格は、私には伝わっていない」という設定がミソなのです。そのために彼は心の裡にあるコンプレックスを長年抱いて生きているのです。そういう男が、"いかに勇気を見い出していくか"というのが、「証拠」のテーマなのだと思います。いかにもディック・フランシスらしいテーマで、彼のファンとしては嬉しくなってしまいます。このトニイ・ビーチという男、基本的にヤル気のない男であり、ディック・フランシスの小説に登場してくる主人公としては、特異な存在だと思います。頭はいいのですが、人生に全く野心を持っていない。デスクワークも嫌だけど、レースに出て大胆な騎乗も出来ない。才能らしい才能といえば、目隠ししたままチョコレートの銘柄を当てられるという変な特技のみ。そして、学校を卒業しても、どんな職業についたらいいのかわからないというような、我々に近い等身大の人間で、共感は抱けるのですが----。こんな彼は特別なヒーローではなく、どこにでもいそうな青年だったのです。そして、彼が勤め人ではなく商人になったのは、チョコレートの特技をワイン商に見い出されたためだったのです。物語のほうは、ワインのラベルと中身が違う事を発見し、それを探っていくうちに、背後にひそむ陰謀に巻き込まれていくというもので、デイック・フランシスなので当然、その過程で主人公が心の裡にあるコンプレックスを振り払い、勇気を見い出し、ヒーローに変わっていくのですが、このあたりの描写がさすがにうまいんですね。「利腕」以降のテーマである、"男の恐怖心"をめぐってプロットが展開していくのですが、いつもながらのフランシス節に酔わされてしまいます。泥棒にまず殴りかかる。それまで危険を避けるのが自然だったのに、思わず立ち向かってしまうのです。自分にもなぜだかその不合理な衝動がわからないのです。そして、次の瞬間に恐怖を実感するのです----。「恐ろしい状況の下で脅えるのは自然な事だ。恐れる事を知らないのは正常ではない。恐怖を味わいながら落ち着いているのが勇気というものだ」と言われて安堵はするのですが、恐怖を味わっただけで、まだ落ち着いてはいないのです。そうなると、当然、最後はもう一度恐怖を味わうシーンになり、そして今度は"恐怖をいかにして克服するか"になるのです。これから秋の季節の到来を迎え、デイック・フランシスという希代のストーリーテラーの作品を、枕元に置いて、しばらくは眠れない日々が続く事になりそうな予感がしています。 >> 続きを読む
2016/09/11 by dreamer
ディック・フランシスの小説を久しぶりに、本棚の奥から取り出して読みました。読了したのは彼の晩年の作品「帰還」です。この物語の主人公ピーター・ダーウィンは、外交官。職業の特性が、その人間の特性を作り上げるという設定は、ディック・フランシスの小説に多く、この「帰還」も例外ではありません。このピーター・ダーウィンの場合は「愛想よく関心を示しながら何も読み取られない目をしていること」だ。彼に向かうと誰もが、心に隠していることを話し始めるという極めつけの聞き上手。物語は、帰国途中の主人公が、ひょんなことから娘の結婚式に向かう老人夫婦と知り合い、彼らをイギリスまで送っていくところから始まる。この老人夫婦の娘が住んでいる町は、主人公が子供時代を過ごした郷里で、その町で静かに進行する陰謀に、やがて彼は立ち向かうことになるのです。ディック・フランシスのいつもの例にもれず、謎解きの要素の濃い物語ですが、それは特にどうということもありません。それよりも、主人公の母親と義父、老人夫婦など例によって登場人物のひとりひとりが、生き生きと活写されます。今さら言うまでもありませんが、このうまさには、あらためて舌を巻きます。こういうディテールを読むのが、ディック・フランシスの小説を読む愉しさで、もうそれだけで充分なのです。ディック・フランシス、老いてもなお健在だということを実感した作品でした。 >> 続きを読む
2018/01/26 by dreamer
驚いたというのが、ディック・フランシスの「再起」を一読しての印象だ。何せ、著者のディック・フランシスは、この作品を発表したのが86歳。前作の発表から、6年の歳月が流れ、もはや引退だと噂されていた最中に発表された作品なんですね。それが、その出来栄えときたら、文章が実に若いんですね。いや、文章ばかりではなく、筋の運びも、謎の緻密さも、そして結末の動的な描写も、どれをとっても脂ののりきった全盛時を思わせる勢いなんですね。フランシスのファンとしては、ある種の感慨を持って読んでしまいましたね。主人公は、引退した元騎手のご存知、我らがシッド・ハレー。上院議員エンストーン卿から、自分の持ち馬が八百長に巻き込まれているらしいので、調べてもらいたいと依頼を受ける。調教師と騎手が怪しいというエンストーン卿だが、その二人が相次いで謎の死を遂げてしまうのだ。警察は、調教師が騎手を殺して自殺したと判断するが、どうしても納得のいかないハレーは、独自の調査を続けるのだった。その折も折、恋人のマリーナが何者かによって襲撃された-------。物語はこう運ぶのだが、読ませどころはそれだけではない。お馴染みシッド・ハレーが、折にふれ口にする"辛辣なセリフ"の放埓ぶり。見当違いの捜査に走る警察、競馬界の裏事情、ハレーの辛辣な目は、至るところに批判の矢を放つ。ハードボイルド小説好きの私にとって、ハレーの一挙手一投足は、もう思わずニヤリとするシーンの連続で、本当にたまりませんね。このように、ハードボイルド小説の本道を行く作品ですが、現代の小説としての新機軸も出していると思うんですね。利権に群がる人間模様を描くにあたって、今はやりのインターネット・ギャンブルを絡ませているんですね。そのギャンブルに足を突っ込むエンストーン卿の息子ピーター、大立者のジョージ・ロックス、当初の八百長疑惑は、どうやら、裏ビジネスまで巻き込んだ根深い陰謀であるらしい。ハレーとマリーナの恋愛模様、ハレーの元妻ジェニィとの絡み、競馬界の裏面、予想を超えた陰謀がねちっこい文体で描き出される。そして、隻腕のハレーが、終局でのアクションを白熱させ、フランシスファンのハートを熱くさせるのは言うまでもありません。 >> 続きを読む
2018/08/07 by dreamer
窮地に立った時、人はどう行動するか。立ち向かうのか、それとも-------。これは恐らく、冒険小説と呼ばれるジャンルに通じる永遠のテーマであるだろう。というより「人として生きる上での」と言っても良いと思う。何せ、私たちの人生は、ある意味、冒険の連続だし、良い冒険小説ほど、人生の妙味に迫るものもないのだから。アフガン戦争で右足を失い、帰宅休暇を命じられたトマス・フォーサイス英国陸軍大尉は、そんな人生の窮地にいきなり立たされた。スター調教師で男勝りの母の様子がどこかおかしい。聞くと、週2千ポンドもの金をゆすり取られているというのだ。脅迫者は、母が脱税をしているというのだ。気弱な義父は、頼みにならない。しかもキーとなる会計士は交通事故死。はたして、ゆすり犯の正体は?足の不如意さと闘いながら、トマスの捜査が始まった。この本を読みながら、私はトマスの行動に人生を見る思いがしてならなかった。なぜなら、仲の悪い母、血のつながらない父のために闘うことこそ、人生なのだから。捜査を進めるうちに、あることが明らかになってきた。犯人はどうやら母の厩舎と関わりがあるらしいのだ。カメラが写真に捉えたその人物とは?-------。このディック・フランシスとフェリックス・フランシス共著の"競馬シリーズ"44作目となる最後の小説「矜持」は、このように戦争に傷つき私生活も問題だらけの英国陸軍大尉トマス・フォーサイスが、窮地から母と義父を救い出そうとする、スリル満点の傑作だ。何より素晴らしいのは、一大事に及んでの生きざまという、冒険小説の醍醐味をじっくり物語に溶け込ませ、我々読者をトマスの人生に寄り添わせる、その手際の見事さだ。私は、読み進むうちに知らず知らず、トマスの行動に不撓不屈の精神を感じてしまうんですね。つまり、彼の行動、その決断の一つひとつが、何とも言えず愛おしいのだ。この小説が素晴らしいのは、そんな境地に達したディック・フランシスの、人生の味に触れられるからに違いない。 >> 続きを読む
2019/04/04 by dreamer
【ディック・フランシス】(ディックフランシス) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)
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