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ヘルマン・ヘッセ

著者情報
著者名:ヘルマン・ヘッセ
へるまん・へっせ
ヘルマン・ヘッセ
生年~没年:1877~1962

この著者の本を読んでいる会員ランキング

このランキングは1日1回更新されます。
      デミアン
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
      いいね! Outsider
      • 究極の自己探求の物語。
        読了後、価値観を揺さぶられるような圧倒的な力があった。

        『いつも正しく、堅実な父母と姉妹。綺麗で清浄なものだけに包まれた家で、平和で安穏とした生活を送っていた少年シンクレール。

        しかし、その明るい世界の傍らには、もう一つの世界が存在している。一歩家を飛び出した先の路地や隣家では、押し込み強盗や殺人等、煤にまみれた背徳的な世界が広がっているのだ。

        正反対のように思えるそれら二つの世界は、隣り合わせに存在していた。明るい生活に属しながらも、どこか暗い世界の闇に心惹かれてしまう。繊細な筆致で描かれる、少年の心情の機微。

        そんなある時、シンクレールは不良少年に絡まれ、その時に放ってしまった心にもない嘘から、罪の意識に苛まれるようになる。誰にも相談できず独り苦しみ続けてきた彼の前に現れたのが、転校生のデミアン。彼は、シンクレールに、明るく綺麗な世界とは異なる、別の世界を魅せることになる』

        人間として生まれてきた意味。
        人は、人生で何を為すべきなのか。

        この本は、誰しもが一度は悩んだことのあるこの大きな問いかけに、真剣に挑んでいる。何のために生きているのか、そういう悩みを一度でも抱いたことのある人には是非手に取っていただきたい。ある一つの指針を示してくれると思う。

        たしかに、難解で、何度読み返しても中々頭に入ってこないねっとりした文章の数々が並んでいる本だとも思う。それでも、私は読むのをやめられず、夢中で読んだ。文章の持つ独特の雰囲気に圧倒され、惹きつけられ、なんとか書かれてあることの意味を理解したいという気持ちが昂ってきて、何度も読み返した。読み込むうちに、自分なりにこういうことなのかなと解釈できた時には、感動とともに深く胸に刻まれた。

        薄い本なのに、驚く程読むのに時間がかかる濃密な物語だった。自己の内面を徹底的に追及しているという意味では、物語というよりも、哲学的な色合いが濃いかもしれないけれど。

        自分らしく生きることの大切さ、そして、その困難。
        心底、出逢えて良かったと思える本だった。

        『あるものをぜひとも必要とする人が、この必要なものを見出したとすれば、それを彼に与えるものは偶然ではなくて、彼自身、彼自身の願望、必然が彼を導くのである』
        『各人にとって本当の天職は、自分自身に達するというただ一事あるのみだった』
        >> 続きを読む

        2018/06/24 by *久里*

    • 他6人がレビュー登録、 20人が本棚登録しています
      車輪の下で
      カテゴリー:小説、物語
      4.5
      いいね! Moffy
      •  「あしながおじさん」や「赤毛のアン」のような学園物語が好きで、一人の少年・少女が男性・女性と成長していくのを見届けることで自分自身の励ましにもなるので、この一冊のあらすじを読んだ時も喜んで借りることにした。
         が、「あしながおじさん」や「赤毛のアン」とは全く異なった雰囲気だった。
         若き少年時代の楽しみや努力について綴られているものの、当時の教育を風刺が主だった。後半は混乱と不安定の続き。
         自由と個性を失うことが、こんなにも恐ろしい。

         特に好きだった部分に、ハンスの友情を描写した部分がある。
         「飛ぶ教室」のように、少年たちの友情はどこかと美しく、純粋である。が、時にそれは大人たちを困惑させることもある。
         中盤で描かれているハンスの友情も、どこかと言葉には出せないものがある。
         こういった単純な気持ちは、何かと「一回きり」な味わいがあり、当時の心を一度でも失えば、二度と元には戻れなくなる。
         大人になっても、あの頃の気持ちを時折思い出せるようにしたいものだ。
        >> 続きを読む

        2017/11/23 by deco

      • コメント 1件
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      少年の日の思い出 ヘッセ青春小説集
      カテゴリー:小説、物語
      4.5
      いいね!
      • 蝶集めの楽しさや熱情、ちょっとした出来心から盗みを働いた悔恨。
        純粋で真っ直ぐな心を持った子供の時にしか味わえない感情ひとつひとつが美しく、確かな感情を伴って描かれています。

        僕はこの作品に対してメッセージ性はあまり感じられず、前述した感覚的なところにこの作品の良さを感じました。

        読みながら、自分の少年時代を、楽しかったこと・辛かったこと・悲しかったこと・後悔等、綺麗な思い出ばかりではなく薄汚れた思い出も、全てをありのままに思い起こしていました。後味の悪さがあったからかもしれません。

        中学校の国語の教科書に掲載され、教育現場でも活躍しているこの作品。
        中学生にどのようなことを伝え、また、中学生はこの作品をどのように受け取るのか。大人になってから読んだ僕には分からないことです。学生の時に授業でやれたら楽しかったのでしょうか。それとも、落書きをしていましたかね。

        因みに、登場人物のある強烈な一言も学生に強い印象を残す一因なのだそうです。そのセリフを読み、確かに印象に残るなあと納得出来ました。

        読んでどうなるという作品ではありませんが、名作だと思います。
        >> 続きを読む

        2018/05/04 by read1212

      • コメント 2件
    • 他1人がレビュー登録、 3人が本棚登録しています
      デミアン
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
      いいね!
      • 大好きな大好きな大好きな「デミアン」
        私の高校生の頃の理想の男がマックス・デミアンだったかも。
        今読んでも彼の魅力は陰りませんね~。

        ひたいに『カインのしるし』をもつデミアンはこんなことを言う少年です。

        『自分で考えたり、自分で自分をさばいたりすることをめんどくさがる人は、だれでも、昔からきまっている禁令に、だまって従ってしまうんだ。そんなやつらはらくなものさ』

        もともと謎の転校生という設定が私のツボでした。
        ヘッセの初期作品はほぼ「青春小説」。ヘルマン・ヘッセは私の10代当時は、少女漫画ファンの必読書でした。
        少女漫画用語でいうなら「ギナジウムもの」です。(萩尾望都の「トーマの心臓」がその代表作)

        しかし単なる青春小説とは違い、この小説のテーマは生と死と再生です。
        そして時代を覆う「戦争」の影と世界の閉塞

        『鳥は卵から無理に出ようとする。卵は世界だ。
        生まれようとする者は、ひとつの世界を破かいせねばならぬ。
        鳥は神のもとへとんでゆく。その神は、名をアプラクサスという』

        再読してみて、私がいかにヘッセの弟子であったかがわかります。
        宗教や習慣や集団の罠に堕することなく純粋な魂で自己の真実の姿を見つめる勇気。
        生きることの意味。
        ヘッセに共感し、ヘッセに学んだ10代の私。

        『どんな人間にとっても、真の天職とはただひとつ、自己自身に到達することだ』
        『しかし世のなかには、そういった偶然というものはないのだ。
        もし何かをぜひ必要とする男が、その自分に必要なものを見いだすなら、それをかれに与えるものは、偶然ではなくて、かれ自身である』

        ああ。今でもヘッセと私はこんなにも近い。

        と、思わせてくれる愛すべき一冊。

        好きすぎて岩波の後に新潮でも買って読んだくらい。
        今回2冊を比べてみて、私はやはり岩波文庫の実吉訳に軍配を挙げたいです。
        文章が紋切型ではなく、文章として読みやすい。
        (漢字の表記の基準がちょっと変だけど)
        高岡訳はシンプルで意味を取るには楽です。
        でも少々乱暴でぶつ切りで、詩情には欠けるものがあります。
        「デミアン」は哲学書というよりは、神秘主義的で抽象的な幻想小説の面もあるからです。

        岩波の名前の表記「エミイル・ジンクレエル」も好みでした。
        ドイツ語をよくご存じの方に教えていただきたいのですが、
        Sinclair という綴は日本語的に音にした場合 ジンクレールに近いのではないですか?
        高岡役ではシンクレールですが、Sをシと発音するのはS+子音の時なのでは?


        しかしながらヘッセにハマり、その後に読み漁ったヘッセの後期の小説を私は当時決して理解していたとは言えません。
        正直に言うと難しすぎたんです。
        東洋思想に傾倒していくヘッセの年齢を重ねた熟慮に若い私は全然近づけなかった。

        この「デミアン」がちょうとヘッセの分岐点にあたるのですね。

        ヘッセの心の師匠がニーチェだったことも今回改めて理解しました。
        アプラクサスのことも、つい最近思い出させていただきましたし、
        「ツァラトウストラ」がゾロアスターのことだったなんて!!私は明きめくらでした。

        今なら彼の言いたかったこと、「デミアン」後のヘッセの精神の成長、いえ「目覚め」が読み取れるかもしれません。

        ヘッセも再読したいし、ニーチェも読まなければならないなんて!
        読書の旅の果てしれぬこと…。
        >> 続きを読む

        2018/03/17 by 月うさぎ

      • コメント 13件
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      クヌルプ
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
      いいね!
      • 先日、ヘッセの『デミアン』を読んで感銘を受けたので、何の気なしに、どういう物語かも知らず、『クヌルプ』を読んでみた。

        最初のうちは、というより、全体の四分の三を過ぎるまで、正直、なかなかこれが名作と本当に思える作品になってくれるのかわからずに読んだが、ラストが本当に素晴らしくて、思わず涙。

        『デミアン』とはまた違った意味で、私にとって特別な作品となった。

        『クヌルプ』の主人公のクヌルプは、今でいうところのニートだろうか。
        定職にもつかず、結婚もせず、ぶらぶらしている。
        傍観者としてこの世間を眺めているだけだが、人づきあいはそれなりにあって、友人たちは誰もがクヌルプを好きで、クヌルプに親切で、旅先で泊めてくれる人に事欠くことはない。
        たまたま旅先の町で出会った女の子に声をかけ、楽しくダンスを踊ることなんてこともある。
        第一章では、そんな若き日のクヌルプの日々が、第二章では、クヌルプといろんな話をする友人が、クヌルプがある日突然いなくなってしまい寂しい思いをすることが描かれる。

        第二章の途中では、以下のような言葉があり、印象深い。

        「人間はめいめい自分の魂を持っている。それをほかの魂とまぜることはできない。ふたりの人間は寄りあい、互いに話し合い、寄り添いあっていることはできる。しかし、彼らの魂は花のようにそれぞれの場所に根をおろしている。どの魂もほかの魂のところに行くことはできない。行くのには根から離れなければならない。それこそ出来ない相談だ。花はたがいに一緒になりたいから、においと種を送り出す。しかし、種がしかるべきところに行くようにするために、花は何をすることもできない。それは風のすることだ。風は好きなように、好きなところに、こちらに吹き、あちらに吹きする。」

        第三章では、年をとったクヌルプが、もはや精も根も尽き果てて、故郷をめざして歩いている時に、今は医者になっている小さい頃の友人がたまたま出会って、介抱する。クヌルプは感謝しつつ、その友人のところからも発ち、最後は故郷をめざして雪の中を歩いていく。

        そこで、神と心の中で話す。

        自分はどこから人生を間違えたのだろう。
        若い時は、いくらでもまた再出発できたはずだった。
        もつれた糸はもはやどうしようもなく、すべてが無意味だった。
        そう思い、悔恨に苦しむクヌルプに、神はこう諭す。

        本当に無意味だったと思うのか?
        すべて、素晴らしい、輝いた日々で、それらなかったとすれば、後悔せずにはいられないのではないかと。

        クヌルプは、たしかにそうだと思う。

        かつて、結婚しようと思った二人の女性がいて、決して別れるとは思わなかったが、結局別れてしまった女性のことについても、神はその時は本当に幸せだったのではないか、幸せでなかったわけではないのではないか、と尋ね、クヌルプはそうだったと思う。

        そして、以下のようなことが述べられる。

        「「さあ、もう満足するがいい」と神様は諭した。
        「嘆いたとて何の役にたとう?
        何ごとも良く正しく運ばれたことが、何ごとも別なようであってはならなかったことが、本当にわからないのかい?
        本当にお前はいまさら紳士や職人の親方になり、妻子を持ち、夕方には週刊でも読む身になりたいのかい? 
        そんな身になったって、おまえはすぐまた逃げ出して、森の中でキツネのそばに眠ったり、鳥のわなをかけたり、トカゲをならしたりするのじゃないだろうか。」」

        「「いいかい」と神様は言った。
        「わたしが必要としたのは、あるがままのお前にほかならないのだ。
        私の名においてお前はさすらった。
        そして定住している人々のもとに、すこしばかり自由へのせつないあこがれを繰り返し持ちこまねばならなかった。
        私の名においてお前は愚かなまねをし、ひとに笑われた。
        だが、わたし自身がおまえの中で笑われ、愛されたのだ。
        お前は本当に私のこども、わたしの兄弟、わたしの一片なのだ。
        わたしがお前と一緒に体験しなかったようなものは何ひとつ、おまえは味わいもしなければ、苦しみもなかったのだ。」


        不覚にも、これらのメッセージには、思わず涙がこぼれた。

        本当に、人はそのようにしか生きれず、またそのすべてが無駄なことではなく、確かに意味のあることだったのかもしれない。
        そして、どのような人生も、神のひとかけらなのかもしれない。
        >> 続きを読む

        2013/10/06 by atsushi

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      ヘルマン・ヘッセ全集
      カテゴリー:作品集
      5.0
      いいね!
      • ヘルマン・ヘッセの最後の長編小説『ガラス玉遊戯』。新潮文庫に入っているヘッセの小説はたいてい読んでいましたが、この『ガラス玉遊戯』はあまりに長大な作品です。以前から読んでみたいと思っており、今夏ついに挑戦することができました。今回、臨川書店の『ヘルマン・ヘッセ全集 15』により、読みました。

         この作品は、利発な少年ヨーゼフ・クネヒトがガラス玉遊戯名人となり、さらに没するまでを描いた伝記になっています。舞台の設定がユニークで、近未来が想定されています。ヘッセがこの作品を書いていた頃はナチスが政権を担当し、ユダヤ人が虐殺され、第二次世界大戦が行われていました。ヘッセはスイスに亡命中でした。そうした記述は作品中には見られませんが、この作品の舞台では、大きな争いの時代が終わって、一部の心ある精神的な人々が理想郷として創ったのがカスターリエンという街であるとされています。そこではガラス玉遊戯という総合芸術のようなものが至高の学問・芸術として敬意を払われている高度に精神的な文化を育む土地なのです。カスターリエンの外には現実の世界があり、そこでは物質的な経済活動が変わらずに行われ、カスターリエンを経済的に支えています。カスターリエンの人たちは修道僧のようにひたすら学問的なもの、精神的なものを求めて生きていけるようになっています。カスターリエンは厳密な階層社会で、上位の決定機関には数名のマギスター(名人)が就いています。とりわけマギスター・ルーディ(遊戯名人)は最も尊敬をされる職であり、カスターリエンの精神的な支柱です。カスターリエンには国中から集められたエリートが集まっています。優れた生徒たちが上級の学校へ引き抜かれ、さらにその中でも最も優秀な生徒のみがカスターリエンに行くことができます。

         ヨーゼフ・クネヒトは少年時代より優れた資質を持つ生徒としてカスターリエンの上層部の目に留まっていました。ある時やってきたマギスターの一人である音楽名人と出会ったクネヒトは、音楽の魅力と音楽名人の魅力にすっかり魅せられてしまいます。この音楽名人はクネヒトが大人になり、マギスターとなった後も常にクネヒトを導く師として音楽名人の最期の日まで、クネヒトの道を示し続けます。

         カスターリエンが存在するこの近未来においても、カトリック教会は存在しています。多くのカスターリエン人は宗教に懐疑的です。ダラス玉遊戯は極めて宗教的であるにもかかわらず、あるいはそうであるがゆえに、同じくヒエラルヒーが存在し、同じように精神的な生活を送っている二つは疎遠な関係にありました。クネヒトはこのカトリックの修道会にしばらく滞在し、ここで尊敬するヤコーブス神父に出会い、師事します。ヤコーブス師から教えられたことで大きなことは、カスターリエンの歴史認識の欠如についてです。カスターリエンは過去のほぼ完成された芸術の再現をその様式に則って行っていますが、創造的な面は少なく、また、今こうしてできているものがなぜこのようであるのかということを歴史的な文脈で理解しようとはしません。カスターリエンの外のことに無関心なのです。

         クネヒトはマギスターとして比類のない名声を博しますが、だんだんカスターリエンのあり方に疑問を抱くようになります。そこにかつての友人であり、今はカスターリエンの外の世界で有力者となっているデジニョーリが現れます。デジニョーリは仕事でカスターリエンにやってきたのですが、クネヒトは外の世界に学ぶべきことがあることを感じ、デジニョーリを通じて外への脱出を試みます。マギスターとしての地位を捨ててカスターリエンから去ることは前例のない狂気のように周囲の人々には思われますが、クネヒトはカスターリエンを去り、デジニョーリの家にやってきます。クネヒトはデジニョーリの息子、ティートの教育を任されていました。ティートは様々な学校で問題を起こし、家でも好き勝手をし、手に負えない少年になっていました。クネヒトはしかしティートの心を開かせ、別荘で共同生活を送る提案を受け入れさせます。しかしこの共同生活の二日目、つまり別荘についた翌日、ティートが湖に飛び込んで泳ぐのに続いて飛び込んでクネヒトは死んでしまいます。

         私はこんな長大な物語なのに、何てあっけない終わりなのだろうと驚きました。教育にたぐいまれな才能を持つクネヒトがティートを様々に教育していく様子が描かれていくのかと思っていたのに。しかしよく読んでみると、クネヒトは「少年の尊厳と友情、その魂を得ることを目指して戦っているのだ」と死を予感しながら冷たい湖に飛び込んでいるのです。そして最後の段落。少し長いが引用してみます。

         ああ、なんてことだ、あの人の死は僕のせいなのだ!そう思うと彼は愕然とした。自尊心を守る必要も、抵抗する必要ももはやなくなった今になって初めて、驚愕した心の悲しみのうちに、自分がすでにこの人をどんなに愛していたかを感じた。そして、どう抗弁しても名人の死には自分も責任があることを感じながら、この責任が、自分自身と自分の人生を造り変え、今まで自分が自分に求めていたよりはるかに大きなものを、自分に要求するであろうという予感に襲われて、神聖なおののきを覚えるのであった。

         この最後の段落を読めば、クネヒトのティートへの教育はすでに行われていることがわかります。ティート少年はこの時、クネヒトが湖に飛び込む前に身につけていたガウンを身にまとって以上のような感慨を抱いているのです。ティートはクネヒトの意志を継ぐ者としての使命を帯びていると言えるでしょう。

         このように教育というのは卓越した人格による強烈な一撃によってその人の人生を生涯にわたって決定づけるもののようです。思えば音楽名人とクネヒトの出会いがそうでした。一地方学校の生徒に過ぎなかったクネヒトに音楽名人がほんの短い時間合奏をしてくれる、そのことでクネヒトの人生は決定してしまったのでした。

         『ガラス玉遊戯』はこの後、ヨーゼフ・クネヒトの遺稿として、「生徒時代および学生時代の詩」と「三つの履歴書」という小説を載せています。この三つの履歴書「雨ごい師」「聴罪師」「インドの履歴書」はクネヒトが学生時代に課せられた作文で、虚構の自叙伝です。しかしここまで読み進めてきた者とすると、これはヨーゼフ・クネヒトの輪廻転生した姿とも読めます。「クネヒト」には「仕えるもの」という意味があるそうです。この三つの履歴書でもそれぞれ「仕えるもの」という意味の名を持つ人物がそれぞれの時代で生きています。ルーディー・マギスター、ヨーゼフ・クネヒトにも通じるすべての履歴書の人物のお話は師と弟子の話です。師に仕える弟子が成長して自分も弟子をとるようになり、師から教わったことを伝承していく。師となった「仕えるもの」はもっと大いなるものに仕えています。そしてこれも共通しますが、師の理解者は弟子しかおらず、周囲の人たちから敬意を示されつつも、本当のところでは理解されていないということです。マギスターであったクネヒトはカスターリエンの精神を最も体現する人物であり、最高位にありながら、それゆえにカスターリエンの限界を知り、カスターリエンから立ち去ってしまいます。そのことを同僚の優れたマギスターたちも全く理解することができません。すでに「生徒時代および学生時代の詩」に書かれているように、クネヒトは踏み越えていく者なのです。どこかに安住しているのではなく、先へ先へと踏み越えていくのです。「伝記」の中でクネヒトが不意に自分の若い頃の詩を思い浮かべ、カスターリエンから出ていく決意をする場面があります。少年の日に作った詩が老境にさしかかった自分の背中を押していくのです。ここにクネヒトの精神的な健全さ、若さがあります。そしてそれはヘルマン・ヘッセの若さです。最晩年に書かれたこの作品に溢れる瑞々しさは本当に美しいです。何度も表現される自然の描写などは、そしてその自然に感動する少年の感性などは、老年のそれではあり得ません。そしてそうでありながら、ヨーガ行者のような、聖人のような悟りきった静けさがあります。クネヒトの師である音楽名人の晩年はほとんど精神的な存在となってしまった名人の温かさが描かれています。ほとんど話すこともなくなった師はクネヒトに音楽の美しさ、芸術の美しさを伝えます。優れた教育者だった名人はクネヒトに言葉にはできない体験でその精神を伝えて世を去ります。とても美しい場面です。

         
        >> 続きを読む

        2015/08/11 by nekotaka

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