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MarshakSamuil IAkovlevich

著者情報
著者名:MarshakSamuil IAkovlevich
MarshakSamuil IAkovlevich
MarshakSamuil IAkovlevich
生年~没年:1887~1964

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      森は生きている
      カテゴリー:戯曲
      5.0
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      • 「ペンギンの憂鬱」の中にソーニャとニーナが森にマツユキソウを探しに行くところがある。マツユキソウってあれではないかな「森は生きている」の花。と思い出した。
        子どもの頃にラジオドラマで聞いて、劇でも見た。ときどき学校で劇を見せてくれていた。「北風と太陽」「ソラマメの煮えるまで」など、後は覚えていないけれど、面白くて何度も夢に見た。
         特に好きだった「森は生きている」なのに焚き火を囲んだ12の月の場面しかはっきり浮かんでこない。それで図書館に予約した。2009年の新版が来て、誰も読んでないように綺麗で新しかった。
        戯曲だし子供向けなので、楽しかった。


        大晦日なのに、意地悪な老婆と娘に、孤児のまま娘がこき使われて苛められている。
        まま娘はそだを拾っていた森の中で、モミの木を切りに来た老兵士が、おじいさんのおじいさんが大晦日の晩に一年の月を一度に見たと話してくれる。

        お城では、これも両親のない王女がマツユキソウが欲しいとダダをこねている。
        「マツユキソウがないと新年にはならないわ」
        では明日は?と教育ががりの博士が訊く。
        王女は「マツユキソウのない明日は12月32日よ、そして33日、34日。新年は来ないわ」と言う。
        年賀のために来ている隣国の大使たちは途方にくれてしまう。
        マツユキソウを持って来たものには籠一杯の金貨を与える とおふれをだす。

        一方、老婆の言いつけで森に入ったまま娘は、日が暮れてもマツユキソウが見つからない。雪は深く手足は凍えてくる。すると遠くに焚き火が見えて、12人の人たちが話していた。
        それが大晦日に集まった12の月たちで、12月のおじいさんから1月のおじいさんに一年の手渡しをしようとしていた。
        可愛いまま娘は火のそばによって、マツユキソウを探していると言う。
        そこで、一月の風景が過ぎ二月が過ぎ、三月の雪解けが過ぎ、四月になる。
        あたりは明るく、草は萌え出て、マツユキソウの群れが花を開く。
        まま娘は花を摘んで籠に入れる。四月は美しく輝く指輪をくれて、困ったときに投げて唱える言葉を教えてくれる。

        家では老婆と娘が帰りを待っている。まま娘が持ってきた籠一杯のマツユキソウを見る、褒美は籠一杯の金貨だった。花を大きな籠に入れなおし、隙間を土で生めて二人はお城に出掛ける。

        マツユキソウが来たお城では新年の宴がはじまる。

        そこで、女王はマツユキソウが咲く春の森に行きたいと言い出す。
        女官庁は「お母さんのわがまま、お父さんのとっぴょうしのない気まぐれを受け継いで、夏はツララが御所望でしょう」と嘆いている。

        老婆と娘は案内役で森に行くことになる。兵士と二人の先導で森に入っていくが、王女は寒くてたまらない。
        先へ行く兵士たちは道作りで大汗をかいて赤い顔をしている。
        「なぜ赤い顔をしている?」「道作りで動いたからです」「それでは私もそうしよう、シャベルを持て、博士も、女官庁もみんなそうするのです」
        息をきらしながらみんなで進んでいくが、迷子になってしまう。道案内の老婆と娘は、まま娘を呼んでくる。
         盗んだ指輪を返し、無事森の中で12の月のお陰でマツユキソウに出会うのだが。
        指輪は女王が欲しがり、まま娘が渋っていると、湖に投げてしまう、そこで娘は教えられた言葉を唱えると、一月のタンバリン、二月の角笛、三月の鈴の音が聞こえ、白い姿が娘を連れ去ってしまう。そして春が来る。

        みんなでマツユキソウを摘んでいると、木の実がなる夏から秋へ、そしてまた一月。
        帰り道が解らず震えていると老人が来て願いをかなえてくれると言う。
        老婆と娘は毛皮がいい、犬のものでもいいから欲しいと言うと、二枚の毛皮をくれた、しばらくすると二匹の犬になってソリを引かなくてはならなくなる。

        森の中では焚き火が燃えて12の月が揃っている。まま娘はなくしたと思った指輪を貰い、老婆もその娘もいなくなった家に帰る。
        12の月は、順番に贈り物を持って家を訪れると言う。別れ際にすばらしい葛籠をくれる。帰り道のために立派なソリもくれる

        女王はまま娘のそりに乗せてもらう。お願いしますと、ありがとうを覚えて、褒美を与えることが感謝ではないことも覚える。
        l
        ままむすめ さようなら12月のにいさんたち!みなさんの新年の焚き火を、あたしは、わすれませんわ。 

        女王 わたくしはよろこんでわすれたいけど、わすれられないわ。
        博士 わすれてこそーーー思いだすもので。

        ままむすめ (ふりかえりながら)さようなら。四月の月さん。
        冬の月たち 途中、なにごともないようにな。
        四月 さようなら、かわいい子。ぼくがお客に行くのをまっていておくれ。

         鈴の音がまだながくきこえている、やがてしずまっていく。森の中があかるくなってくる。朝が近づいてくる。



        作者も訳者もなくなっている。1946年に書かれた戯曲、童話劇だが「青い鳥」と肩を並べる名作だそうだ。

        訳者あとがきでは
        この作品は、古くから伝わるスラヴの伝説、すなわち新年をひかえた「ペンギンの憂鬱」の中にソーニャとニーナが森にマツユキソウを探しに行くところがある。マツユキソウってあれではないかな「森は生きている」の花。と思い出した。
        子どもの頃にラジオドラマで聞いて、劇でも見た。ときどき学校で劇を見せてくれていた。「北風と太陽」「ソラマメの煮えるまで」など、後は覚えていないけれど、面白くて何度も夢に見た。
         特に好きだった「森は生きている」なのに焚き火を囲んだ12の月の場面しかはっきり浮かんでこない。それで図書館に予約した。2009年の新版が来て、誰も読んでないように綺麗で新しかった。
        戯曲だし子供向けなので、楽しかった。


        大晦日なのに、意地悪な老婆と娘に、孤児のまま娘がこき使われて苛められている。
        まま娘はそだを拾っていた森の中で、モミの木を切りに来た老兵士が、おじいさんのおじいさんが大晦日の晩に一年の月を一度に見たと話してくれる。

        お城では、これも両親のない王女がマツユキソウが欲しいとダダをこねている。
        「マツユキソウがないと新年にはならないわ」
        では明日は?と教育ががりの博士が訊く。
        王女は「マツユキソウのない明日は12月32日よ、そして33日、34日。新年は来ないわ」と言う。
        年賀のために来ている隣国の大使たちは途方にくれてしまう。
        マツユキソウを持って来たものには籠一杯の金貨を与える とおふれをだす。

        一方、老婆の言いつけで森に入ったまま娘は、日が暮れてもマツユキソウが見つからない。雪は深く手足は凍えてくる。すると遠くに焚き火が見えて、12人の人たちが話していた。
        それが大晦日に集まった12の月たちで、12月のおじいさんから1月のおじいさんに一年の手渡しをしようとしていた。
        可愛いまま娘は火のそばによって、マツユキソウを探していると言う。
        そこで、一月の風景が過ぎ二月が過ぎ、三月の雪解けが過ぎ、四月になる。
        あたりは明るく、草は萌え出て、マツユキソウの群れが花を開く。
        まま娘は花を摘んで籠に入れる。四月は美しく輝く指輪をくれて、困ったときに投げて唱える言葉を教えてくれる。

        家では老婆と娘が帰りを待っている。まま娘が持ってきた籠一杯のマツユキソウを見る、褒美は籠一杯の金貨だった。花を大きな籠に入れなおし、隙間を土で生めて二人はお城に出掛ける。

        マツユキソウが来たお城では新年の宴がはじまる。

        そこで、女王はマツユキソウが咲く春の森に行きたいと言い出す。
        女官庁は「お母さんのわがまま、お父さんのとっぴょうしのない気まぐれを受け継いで、夏はツララが御所望でしょう」と嘆いている。

        老婆と娘は案内役で森に行くことになる。兵士と二人の先導で森に入っていくが、王女は寒くてたまらない。
        先へ行く兵士たちは道作りで大汗をかいて赤い顔をしている。
        「なぜ赤い顔をしている?」「道作りで動いたからです」「それでは私もそうしよう、シャベルを持て、博士も、女官庁もみんなそうするのです」
        息をきらしながらみんなで進んでいくが、迷子になってしまう。道案内の老婆と娘は、まま娘を呼んでくる。
         盗んだ指輪を返し、無事森の中で12の月のお陰でマツユキソウに出会うのだが。
        指輪は女王が欲しがり、まま娘が渋っていると、湖に投げてしまう、そこで娘は教えられた言葉を唱えると、一月のタンバリン、二月の角笛、三月の鈴の音が聞こえ、白い姿が娘を連れ去ってしまう。そして春が来る。

        みんなでマツユキソウを摘んでいると、木の実がなる夏から秋へ、そしてまた一月。
        帰り道が解らず震えていると老人が来て願いをかなえてくれると言う。
        老婆と娘は毛皮がいい、犬のものでもいいから欲しいと言うと、二枚の毛皮をくれた、しばらくすると二匹の犬になってソリを引かなくてはならなくなる。

        森の中では焚き火が燃えて12の月が揃っている。まま娘はなくしたと思った指輪を貰い、老婆もその娘もいなくなった家に帰る。
        12の月は、順番に贈り物を持って家を訪れると言う。別れ際にすばらしい葛籠をくれる。帰り道のために立派なソリもくれる

        女王はまま娘のそりに乗せてもらう。お願いしますと、ありがとうを覚えて、褒美を与えることが感謝ではないことも覚える。
        l
        ままむすめ さようなら12月のにいさんたち!みなさんの新年の焚き火を、あたしは、わすれませんわ。 

        女王 わたくしはよろこんでわすれたいけど、わすれられないわ。
        博士 わすれてこそーーー思いだすもので。

        ままむすめ (ふりかえりながら)さようなら。四月の月さん。
        冬の月たち 途中、なにごともないようにな。
        四月 さようなら、かわいい子。ぼくがお客に行くのをまっていておくれ。

         鈴の音がまだながくきこえている、やがてしずまっていく。森の中があかるくなってくる。朝が近づいてくる。



        作者も訳者もなくなっている。1946年に書かれた戯曲、童話劇だが「青い鳥」と肩を並べる名作だそうだ。

        訳者あとがきでは
        ---この作品は、古くから伝わるスラヴの伝説、すなわち新年をひかえた大晦日の晩に、1月から12月までの月の精がのこらず森の中で出逢うという伝説をもとにして書かれたもので、境遇の不幸に負けることなく、いつも明るさと他人への思いやりを失わず、雄々しく勤勉に働く少女が思いも寄らぬ幸福をえたという、いわばソビエトのシンデレラ物語です。いわゆる継子いじめがあったり、娘と同じ年頃の両親のいない女王のわがままがあったりして、物語はおもしろく展開しますけれど、しかしこの作品のねうちは、そうした筋のおもしろさばかりにあるのでがありません。作品の底に流れている高いヒューマニズム、人間なり人間の生活なり、また社会なりへ向けた作者の眼の鋭さ、深さ、視野の広さ、などによって、この作品は普通ありきたりの童話劇でないものになっています。またその内容を現している形式の美しさによって高い芸術作品にもなっています---

        気の効いた、面白い台詞が沢山あり、こんな話だったのかと読んでいても楽しかった。ディズニーの映画になれば、劇場に見に行こう。「アナと雪の女王」のようにつくれるかも。
        >> 続きを読む

        2014/10/02 by 空耳よ

      • コメント 2件
    • 1人が本棚登録しています
      森は生きている 12月のものがたり
      5.0
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      • マイベスト童話は、「シンデレラ」でしたが、これを読んで世界が広がりました☆
        歌も素敵です。 >> 続きを読む

        2015/04/16 by chiiko

    • 1人が本棚登録しています

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