こんにちはゲストさん(ログインはこちら) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト →会員登録(無料)


AusterPaul

著者情報
著者名:AusterPaul
AusterPaul
AusterPaul
生年~没年:1947~

この著者の本を読んでいる会員ランキング

このランキングは1日1回更新されます。
      ムーン・パレス
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
      いいね! Tukiwami
      • 【あらすじ】
        この小説の主人公マーコ・スタンリー・フォッグは生まれた時から父親はおらず、母は少年時代に他界している。その後、母方の兄である伯父のビクター・フォッグに育てられる。フォッグは学業のほうは優秀だったらしく、やがてコロンビア大学に進学し周囲から変わり者とみられながらも大学生活を謳歌していた。

        在学中に伯父が亡くなると、フォッグは絶望する。悲しみを紛らわせるために金遣いが荒くなり経済状況が逼迫するが、そのことを分かっていながらフォッグはなんら手を打たない。やがて家賃すら払えなくなり、アパートを追い出され浮浪者になってしまう。放浪生活の果てに友人のジンマーと放浪生活中に一度会っただけのキティに救いだされる。フォッグはキティと結ばれて、再び世界との繋がりを取り戻す。


        【感想】
        人が生きる理由は生存本能に過ぎないのかもしれないが、人がよりよく生きようとするのは他者が存在するからだろう。他人からよく見られたいがために、あるいは役立ちたいがために知識を蓄え、礼儀作法や技能を身につけ、身だしなみに気を遣う。ジャック・ラカンは「人間の欲望は他者の欲望である」と言った。人は他者の存在によって向上しようとする意志――よりよい未来を目指すことができるのだ。わが身ひとりのためだけに、毎日気合をいれて料理を作ることのできる人間がどれだけいるだろう。

        フォッグは浮浪者になったことで、絶望するわけでもなければ焦燥感に駆られるわけでもない。むしろ、この生活を試練のようなものとして受け入れているようなモノローグすらある。だが、これは後付けの自己正当化だろう。フォッグが悪化している経済状況への対策を打たなかったのも、浮浪者としての生活から抜けだそうとしなかったのもつまるところ、それらをするだけの動機を持たなかったにすぎない。伯父を失ったフォッグは世界との唯一の繋がりを断たれて孤独となり、未来を切り開く意志をも失ったのである。

        この作品からは『ガラスの街』と共通するもの、例えば父の存在や著者の言語への興味、あるいは執着――そして、孤独を感じた。孤独といっても『ガラスの街』のそれとは種類が違う。あちらの作品の主人公には恋人や友人はおろか知人と言える人間すらいない、まさにガラスのように冷たく透明な孤独だ。

        一方、フォッグには友人や恋人のキティがおり、愛情をそそいで育ててくれた伯父だっていた。しかし、フォッグには自分と繋がっていると感じることのできた他者は伯父とキティしかおらず、それだけが世界との繋がりだった。そのほかの人間――友人、雇用主、他の使用人――とは繋がっていると感じられなかった。他者がそこにいるのに繋がることのできない寂しさ。無限に思える星々がきらめく空間に浮かぶ月より、むしろ1つ1つの星のほうこそ孤独なのかもしれない。

        「――ちょっと考えてみたまえ。神も見捨てたこの街に何かが大量にあるとしたら、まさしくその、名もない他人というやつじゃないかね。街中にあふれておる。我々のまわりに何百万といる」(p295)。
        >> 続きを読む

        2016/09/14 by けやきー

    • 他3人がレビュー登録、 15人が本棚登録しています
      ティンブクトゥ
      カテゴリー:小説、物語
      3.8
      いいね!
      • 【「ティンブクトゥ」とは遠い楽園の名前】

         ウィリーは、もう持たない。今にも死にそうなんだ。
         ウィリーというのは、僕のご主人様。
         ご主人に名前をつけられた僕のことを、みんなは汚らしい雑種の犬と呼ぶ。
         「ミスター・ボーン」というのは、ご主人が僕につけてくれた僕の名前だ。

         僕は、もう、長いこと、ご主人と一緒に、喰うや喰わずの旅を続けてきた。
         ご主人は、何度も血を吐いた。
         それは、ご主人が、まだ少しはまともだった頃、親の遺産を蕩尽して、酒と麻薬に溺れたどうしようもない日々を過ごしたせいなんだ。
         そのことも、僕は知っている。

         ご主人は、自称「詩人」だ。
         酒と麻薬に溺れていながらも、時々、狂ったように書き続けていた。
         その書きためたノートを持って二人で旅に出たんだ。

         ご主人は多弁だ。
         時々狂ったように話し続ける。
         僕が犬だからといって、人間の言葉が分からないなんて思わないで欲しい。
         全て理解できているんだ。
         ただ、言葉を返そうと思っても、犬の舌では、人間のような発音はできなくて、一生懸命、ウォオ、アゥオとやってみるのだけれど、人間の言葉にならないだけのこと。
         しゃべれないからといって、人間の言葉が分からないとは思って欲しくないよ。
         分かってるんだ、全部。

         ご主人がまだ学生だった頃、主人をただ一人認めてくれた女性の先生がいたんだそうだ。 一時期、文通もしていたそうだ(ご主人はそう話していた)。
         ご主人も、自分がダメになったことはよくわかっているようだ。
         僕のことも気にかけてくれている。
         「この詩と、お前を預けられるのは彼女しかいないからな」って、何度も言ってた。

         どもそんな虫の良いこと言えないだろうにと思う。
         だって、もう十何年も彼女との文通は途絶えたままなんだよ。
         最後に彼女から来た住所に行ったってそこに彼女がいるとは思えない。
         金も無いから、ヒッチハイクや歩きづめの行程だよ。
         それも、ご主人は血を吐きながら。
         他人(ひと)は、それを「自業自得」と言うのだろう。
         でも、ご主人は、僕が、人の言葉を理解しているということをわかってくれた一人だけの人間なんだ。

         ご主人は、何度も僕に言ったよ。
         「中華料理屋は気を付けろ。あそこは犬を捕まえてその肉を料理に出すぞ。俺がくたばったら、お前はそんなところに行っちゃダメだ。つかまって喰われちまうぞ。」ってね。 それから……
         「ティンブクトゥっていう場所があるんだ。そこはとっても遠い所だけれど、良い所だぞ。俺はもうすぐくたばるが、そこに行くぞ。ミスター・ボーン、お前も来いよ。そこに行けば何でも願い事が叶うんだぞ。」って。

         「ティンブクトゥかぁ」って、僕は思った。
         何でも願い事が叶うのなら、僕の人間の言葉にならない声を、どうか人間にわかってもらえる声にしてもらえたらなぁって思った。


         これが、「ティンブクトゥ」の、ほんの出だしの感じです。
         主人公のダメ人間ウィリーと、汚らしい雑種犬のミスター・ボーンとのやりとりの一部だけご紹介しました。
         書いたとおり、ミスター・ボーンは、人間の言葉を完全に理解できます。
         ただ、悲しいことに、犬は、人間の言葉を理解できても、自分の感情を人間に伝えるすべがありません。
         もちろん、それを分かることができる人間もいます。
         ですが、全ての人間がそうできるわけではないのですよね。
         それでも、犬は健気に人間に尽くすのですね(涙)。

         タイトルの「ティンブクトゥ」という言葉はご存じでしたか?
         私は、全く知りませんでした。
         ええ、この小説を読了してさらに相当の時間が経った後でも知りませんでした。
         主人公の、ウィリーが勝手に作った言葉とばかり思っていたのですが、そうではありませんでした。
         以前からある英語の言葉でした。「遠い場所、楽園」みたいな意味で良いのかな?

         ポール・オースターは、どうしても、喉に小骨がひっかかるような感じがして、必ずしも全面的に好きな作家さんではないのですが、でも、わんこが出てくるのなら話は別です。
         とても短い小説です。
         すぐに読み切れるので、わんこ好きな方は読んでごらん。
        >> 続きを読む

        2019/03/27 by ef177

      • コメント 2件
    • 他3人がレビュー登録、 6人が本棚登録しています
      幽霊たち
      4.2
      いいね!

      • オースターの著作を発見したのは「孤独の発明」だった、それからは底に流れるテーマを読み続けてきたが、著作順でなく、この「幽霊たち」を自分なりに初期作品の区切りとして最後に持ってきたことを、自分で誉めたい気分になった。これはどの作品にも流れている「孤独」というテーマの究極の姿を著したものだと感じたからで。

        解説で伊井直行さんは、

        三部作はそれぞれ単独で読んでもなんら支障のない作品群なのだが、他の二編をあわせて読むと、一作だけ読んだときとは随分印象が違ってくる「幽霊たち」は特にそうだろう。だから却って、真っ先のこれを読んで、奇妙な小説世界を堪能してみる手がある ---といっては強引に過ぎるだろうか。
        全く、私と同じ読後感をもつ人ではないかと、僭越ながらひそかに喜んだ、先に読んで、スタイルのヒントにするのは勿論いい、そして「幽霊たち」を最後に読んで、初期からの作品と三部作はこうしたテーマで繋がっている、と感じることも、オースターの作品を読む楽しみ方のひとつであってもいいのではないだろうか。

        「幽霊たち」は奇妙な話で、世界がごく狭い。色の名前のついた人物たちが登場する。まず探偵のブルー、その師匠のブラウン。仕事として見張るように言われた対象のブラック、最初は謎の人物として現れるホワイト。脇役のレッドとゴールドもちょっとした彩を添えている。

        ブルーはブラックを見張り続けている。定期的に報告書を送ればいい楽な仕事で、真向かいのマンションの部屋から見ていると、ブラックは一日机の前で何か書いている、作家らしい。

        ブラックの生活パターンは見張る必要もない単調なもので、ブルーは変化のない時間に倦んで疲れて、次第に見張っている自分について考えるようになる。そしてついにたまりかねてブラックに接触を試みる。

        彼と四方山話をするが、なかでも彼の作家の緒孤独についての話に心を引かれる。
        会うことが重なってくると、ブルーはブラックの窓越しに感じる孤独が自分のものと同化してくるのを感じる。

        お互いに身分が同化しお互いが裏返しのように分かちがたくなったと感じ始めた朝、彼はブラックの部屋に入っていく。

        長く見張るだけの生活はブルーの精神を現実生活から遠ざけ、存在の曖昧な時間を作り出していた。

        こうして、奇妙な二人の人間が出会って別れる。ブルーはブラックを打ち倒し、現実であって非現実な感じのまま生活の中に戻ったが、いつか彼はブラックの世界に入ってしまっている。



        色の名前のついた人たちは、ある意味人間の最大公約数であって裏返せば最小公倍数でもある。数字というものの意味を生物に置き替えれば、目にする複雑な色は突き詰めれば単純ないくつかの混色であり、違ったように見えても非現実的な世界でそれを見たり感じるとすれば、共通する感情や数字に変換されたものが絡み合っていることに過ぎず、いつか全ての根はゼロが虚数になるかも知れない、などと思いながらこの三部作を締める自分なりの感想にした。
        >> 続きを読む

        2016/08/01 by 空耳よ

      • コメント 6件
    • 他1人がレビュー登録、 9人が本棚登録しています
      偶然の音楽
      カテゴリー:小説、物語
      4.3
      いいね!
      • 【ポール・オースター作品の主人公は破滅型が多いの?】
         これまでに読んだポール・オースターの作品は、『ムーン・パレス』と『ティンブクトゥ』の2冊だけなんですが、どうも両作の主人公には破滅型の要素があるように思えます。
         そして、今回読んだこの作品の主人公もそうなんですね。
         ポール・オースターの作品の主人公は破滅型が多いのでしょうか?

         主人公のジムは消防士でした。
         結婚して女の子も生まれたのですが、仕事柄なかなか家庭のことまで十分に手が回らず、加えて母親が病気になってしまったことから、収入のかなりの部分をその治療費に費やさなければならなくなりました。
         そんなこんなで奥さんが愛想を尽かしてしまい、他の男と家を出てしまったのです。
         ジムは、仕方なくまだ小さい娘を姉夫婦にあずけて仕事を続けていました。

         そんなジムの人生が一変してしまう出来事が起きたのです。
         それは、ジムがまだ2歳の頃に家を出てしまった父親が、かなりの金を貯めて亡くなったということで、その遺産がジムに転がり込んできたのでした。
         ジムは、それをきっかけに溜まりに溜まった有給休暇をまとめて取り、新車を購入すると目的もないドライブ旅行に出かけたのです。
         どこへ行くでもなく、とにかく走ること自体が目的のような強行軍のドライブ旅行で、疲れ果てるまでひたすら運転を続け、モーテルに泊まってはまた走り出すという具合です。
         ジムはクラシック音楽が好きなのですが、車の中で音楽を聴きながら、ただ走り続けることによって得も言われぬ開放感が得られることに気付きました。

         休暇を終えたジムは仕事に復帰するのですが、あのあてもないドライブ旅行のことがどうしても忘れられません。
         まだ十分な遺産があることを良いことにして、ジムは遂に仕事を辞めてしまい、再びあてのないドライブ旅行に出かけてしまうのです。
         この辺り、もう本当に破滅型としか言いようがありません。

         そんな旅行の途中で、道ばたをふらふら歩いていたジャック・ポッツィ(通称ジャックポット)という若い男に出会います。
         ジャックはアマチュアのギャンブラーだと言うことなのですが、ある所でポーカーをやり、かなり勝っていたところ、突然強盗団が押し入り、テーブルの上に出されていた賭け金をごっそり取られてしまったと言います。
         加えて、一緒にポーカーをやっていた連中からは「お前が手引きしたんだろう」と言いがかりをつけられ、半殺しの目に遭わされた上、持ち金全部を奪われてしまったと言います。

         ジムは、そんなジャックを見捨てておけず、車に乗せると面倒を見てやり始めました。
         ジャックは、数日後にある金持ち2人組からその屋敷で行うポーカーに招待されていたというのについていないと言います。
         その金持ち2人組は下手くそなポーカー・プレイヤーで絶好のカモであり、軍資金1万ドルさえあればごっそり勝ってやるつもりだったと言うのです。

         ジムは、よせばいいのにジャックに投資してみる気になります。
         というのは遺産も大分減ってきて、いつまでもこんなあてのないドライブ旅行を続けてはいけない状態になってきていたこともあり、手元にある1万ドルを投資してみようというのです。
         投資した1万ドルを返してもらう他、勝った金の半分をもらうという条件で二人は合意します。

         念のため、ジムはジャックとポーカーをやってみて、ジャックの腕前を試すのですが、ジムも腕に覚えがあったのに、ジャックは明らかにジムよりも強いことが分かり、これなら大丈夫だと納得したのでした。
         この辺りも破滅型ならではの行動だと思いませんか?

         招待の日、二人は富豪の屋敷に行き、金に飽かせておかしな生活をしている金持ち二人組と顔を合わせます。
         この辺りから段々話が非現実的な様相を帯びてきます。
         金持ち二人組は、前回ジャックとポーカーをしてこてんぱんに負けていたこともあり、その後プロのギャンブラーから手ほどきを受けたので、今回は前のようにはやられはしないと自信たっぷりの様子です。
         ジムは、嫌な予感はするものの、もう乗りかかった船です。
         今さら後にも引けず、じっとジャックのプレイを見つめていました。

         最初の内は勝ったり負けたりで、ゲームは大きく動きませんでした。
         しかし、ジャックは徐々に実力を発揮していき、だんだん勝ちを重ねるようになっていきました。
         これなら富豪達から金を巻き上げるのはほぼ間違いないと確信したジムは、金が手に入ったら娘を預けている姉夫婦の家の近くに家を買い、再び消防署に勤めるのも悪くないなどと考え始めます。
         安心しきってトイレに立ったジムなのですが……。

         この後の展開はまったく予想のつかないものになっていきます。
         到底普通ではあり得ないような話になっていくんですね。

         しかし、ポール・オースターはどうしてこうも破滅型の主人公を何度も描くのでしょう?
         そんなことをしても何の解決にもならないし、一層状況を悪くするだけなのに、まるで自分から進んで泥沼に足を踏み入れていくようです。
         確かに、人間の気持ちの中には、そういう破滅願望というか、もうどうにでもなれというような気持ちがあることも分かりますし、また、時としてそういう気持ちがとても抵抗できないほどに強くなることもあるのかもしれませんが、それにしても……。
         物語は結構救いのない展開になっていきますが、ストーリーとしては面白く読めましたよ。


        読了時間メーター
        □□□     普通(1~2日あれば読める)
        >> 続きを読む

        2020/06/01 by ef177

    • 他1人がレビュー登録、 6人が本棚登録しています
      鍵のかかった部屋
      4.8
      いいね!
      • 「突然の音楽」に続いて読んだが、これは初期の三部作の中の一冊で、発行順にいけば「ガラスの街」「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」となるようだ。

        順不同でも十分読み応えがあった。彼の作品は自分にあっているようで、抵抗無く世界の中に入っていける。
        簡単に言えば今時の言葉で、自分探しの話になるだろうが、彼の思索は心の深い部分に下りていく。物語で変化するシーンを語る言葉の部分が特に興味深い。

        作品ごとに舞台は変わっても、自分の中の自己(他者)というテーマが繰り返されて、そこには生きていく中にあるひとつのあり方を見つめ続けている。


        その自己という言葉で一方の自分というもののどちらかを他者にした、今ある時間。
        人生という長い時のなかの今という時間の中にあるのは、自己と他者を自覚したものが持つ深い孤独感と、それに気づいた戸惑いと、自分の中で自己というものの神秘な働きが、より孤独感を深めていくことについて、主人公とともに、時には混沌の中で疲れ、時には楽天的な時間の中で現在を放棄し、様々に生きる形を変えて語られている。

        この時期のポール・オースターの、他者と共有できる部分を持つ自己と、他者の介入を許さない孤立した自己意識の間で揺れ動く「僕」と「親友だった彼」のよく似た感性と全く違った行動力に、それぞれの生き方を見つめていく、そんな作風に共感を覚える。


        ぼくと彼ファンショーは隣同士で前庭の芝生に垣根が無く、親たちも親しいと言う環境でオムツの頃から一緒に離れずに育ってきた。だがそういったことが成長した今、遠い過去になり、お互いにニューヨークに住んでいたが連絡もしなくて疎遠になっていた。

        突然、彼の妻から、ファンショーが失踪したと知らせが来る。
        7年前だった。
        訪ねていくと魅力的な妻は赤ん坊を抱いて、ファンショーがふっと消えた話をする。待ったがもう帰ってこないことを覚悟したとき、親友だったと言っていた僕を想い出して連絡をしてきた。

        僕にとって、会わなくなったときは彼が死んだも同じだったが、今、生死が定かでない形で僕の前に再登場したのだ。
        子供の頃から書いていた詩や評論や三作の小説を残して。
        そして一応遺稿と呼ぶこれらの処理を任された。その後すぐ、突然来た彼からの便りで、「書くという病から回復した、原稿の処理や金は任せる、探すな見つけると殺す」という覚悟が知らされた。彼は失踪という形で出て行って、もう帰る意志はないことが分かった。

        原稿を整理して見ると確かに才能があり、ツテで編集出版する。好評で本が売れ、生活が豊かになった。
        カツカツの記者生活にも余裕が出来、彼の妻とは愛情が湧いて結婚した。自分の子供も生まれた。

        しかし、彼の原稿を読みそれに没頭して過ごすうちに、彼と自分の境があいまいになることがあった。彼の世界は常に自分の背後にあって、同じ物書き(僕は記者だったが)であり、彼の才能は彼の失踪後に花開いたが彼はその恩恵を一切うけず関係を絶ってしまった。
        僕は、いつしか彼と自分のの境界が薄く透明になっていくことに気づいた。

        ---
        考えるという言葉はそもそも、考えていることを自分が意識している場合にのみ用いられる。僕はどうだろう。たしかにファンショーは僕の頭から一時も離れなかった。何ヶ月もの間、昼も夜も、彼は僕の中にいた。でもそのことは僕にはわからなかった。とすれば自分が考えていることを意識していなかったわけだから、これは「考えていた」とは言えないのではあるまいか?むしろ僕は憑かれていた、と言うべきかもしれない。悪霊のごときなにものかに僕は取りつかれ憑かれていたのだ。だが表面的にはそんな徴候は何一つなかった
        ---

        僕は自分と言うものを考えてみる。そして死んだと決まっていいないファンショーの手がかりを探して歩く。
        ファンショーを探すことは彼から自分を解放するだろう。


        作品は、多分にミステリだ。私は様々にファンショーの行き先(生き先)を推理しながら読んだ。僕の作り出した分身ではないだろうか。ファンショーはもう自分を見失った神経病患者ではないだろうか。

        僕はついに家族を捨てファンショーに取り込まれてしまうのではないだろうか。

        しかし作者はそんなやすやすと手の内を見せてくれなかった。

        最後まで面白く好奇心も十分満足した作品だった。
        >> 続きを読む

        2016/06/18 by 空耳よ

      • コメント 4件
    • 他1人がレビュー登録、 5人が本棚登録しています
      孤独の発明
      カテゴリー:小説、物語
      3.0
      いいね!
      • ポール・オースターの自伝的小説
        「見えない人間の肖像」「記憶の書」の二篇。

        「見えない人間の肖像」はオースターの父親のことを主に記したもので、読みやすく内容としても面白い。

        父はいわば恒久的な部外者、自分自身の旅行者になっていた(p16)

        こうあるようにオースターの父親は積極的に人生を生きるというより一歩離れたところに佇むような、家族との関わり方も心の通い合わないようなものだったらしい。
        こういうひと、いるなあと自分の周りにいるひとに重ねて読めたためオースターの気持ちも父親の気持ちにも添いやすかった。

        「記憶の書」は、オースターに言わせればこちらこそ書きたいことで重要らしいのだが、読みにくい。
        どこまでが事実でどこからが空想なのかなど曖昧でわかりにくい。

        一度読むだけでは何を伝えたいのか正直言ってわからなかったことが残念だった。
        翻訳ものでは読み返すと見えてくるものもよくあるので、また時間を置いて読んでみたいと思う。
        >> 続きを読む

        2016/05/12 by jhm

    • 2人が本棚登録しています
      リヴァイアサン
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
      いいね!

      • ポール・オースターの「リヴァイアサン」は、一人の男が道端で爆死した-------

        そんな記述から始まるこの作品は、オースターらしい小説の企みが、随所に施されているにもかかわらず、読み物としても読ませるリーダビリティの高い逸品だと思う。

        男がなぜ爆死するに至ったのかを、作家である親友が語るという体裁になっているのですが、ことはそう簡単にはいかない。

        実人生では、個人の人生は様々な人間の人生と複雑に絡み合っている。
        ひとつの謎は別の謎を呼び、その謎がまた-----というように「?」の連鎖が途切れることはない。

        オースターは、この作品で、そうした人間の営みがもたらす"偶然と必然の交差点"を描いているのだと思う。

        この作品には、確かに、"現実と理想の相克"という大きなテーマはあると思う。
        でも、それを大所高所からではなく、個々人のリアルな生活レベルから描いた点に、この作品の美点があると思う。

        >> 続きを読む

        2018/11/15 by dreamer

    • 3人が本棚登録しています
      幻影の書
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
      いいね!
      • 初期の「ニューヨーク三部作」がまだ二冊残っているが、これが図書館に来たので先に読むことにした。
        「孤独の発明」「鍵のかかった部屋」「偶然の音楽」は若者が辿った運命の陰が色濃くにじんだ、思索的な作品だった。と、ひとからげには出来ない。それぞれに印象的な部分が多いが、それは先に残したレビューに託すとして、その後何作かの後にこの「幻影の書」が書かれている。

        四冊目に読了した「ムーン・パレス」は、詩を散ちばめような文章が、物語を語っている。
        そしてここにも、主人公のストーリーの中に、彼の運命に交わる新たな人生の物語りが入り込んでくる形になっている。
        中にはめ込まれた第二、第三の人物の物語がいつか彼に反映して、より自分をくっきりと見ることができる。という方法を取り入れてくる。 その作中にはめ込まれた人物の物語が、主人公の人生と周辺の人々の現在の時間に、じわじわと入り込んで、運命まで(良くも悪くも)狂わせてしまうことになる。
        そういった形式が、顕著になっている。

        この「幻影の書」では、彼(ジンマー)のストーリーであったもの彼の運命であったものの中に、ここではヘクター・マンといういう喜劇俳優の話がジンマーの生活に否応なしに入り込んて、彼の運命に重なる様子が、実に重く苦しい。ジンマーの苦悩は消化できずますます重みを増してくる、そしてヘクターとジンマーが生きていく(または生きてきた)悲しさが交わりついには取り返しのつかない狂気にまでつながっていく。
        暗い世界だったが、オースターのストーリー性が見事に発揮され、読まなくてはいられなかった。
        ヘクター・マンが撮った映画も、内容が詳細に書き込まれていて面白い。カメラアングルや照明技術その他細かい描写が作者の映画通を感じさせる。


        主人公はデイヴィット・ジンマーという。「ムーンパレス」で瀕死のマーコを探し出す友人の名前と同じだ。敢えてそうしたのか説明はない。
        彼とマーコは別れた後、時がたってウォールストリートですれ違い軽く挨拶をして、その後二度と会わなかった。

        暫くしてジンマーは教授になり愛する妻と息子か出来る。だが妻が両親に会いに行くので送った朝、二人が乗った飛行機が落ちて二人とも亡くなってしまった。どん底のジンマーは自殺を試みたが果たせず、光のない世界をさまよっていた。時が過ぎ、ふと夜につけたテレビで、サイレント映画の中でヘクター・マンという、喜劇俳優にはほど遠い、美青年が懸命に演技するのを見た、そのナンセンスな俳優とギャクの構成に思わず笑っていた。これが彼の苦悩の消滅のきざしを感じる前触れだった。
        へクター・マンが作った古いサイレント映画のフィルムはもう少ししか残っていなかったが、彼は寄贈されたと言う12巻を追って海を渡り「ヘクター・マンの音のない世界」という本を書いた。

        そこに美しい客が来る。死の床にあるあるヘクター・マンの招待だった。彼は何度も断り拳銃で脅され、ついに心の声に従ってヘクターに会いに行く。

        最後の作品を残して失踪したといわれるへクターは生きていて、まさにその生の灯火が消えようとしていた。
        ジンマーを迎えに来た女は、ヘクターの使用人兼当時のカメラマンの娘だった。
        彼女はヘクターの自伝を書こうとしていた。
        遠い道のりは女からヘクターの話を聞くのに十分だった。

        彼は、また映画を撮っていた。だが死後24時間以内に彼に関する全てを燃やしてしまうように遺言した。彼は今までの人生で償なわなければならない重いものを抱えていた。ジンマーはその映画が見たかった。しかしそれにまつわる話が様々に入り組み、ジンマーや周りの人々まで巻き込み。やがてそれは炎になる。
        ミステリならネタバレになる所だが、驚くような結末が用意されていた。




        随分前にDVDで「King of Kings」という、モノクロ、サイレント映画を見たことがあるのを思い出した。
        >> 続きを読む

        2016/07/18 by 空耳よ

      • コメント 4件
    • 4人が本棚登録しています
      ガラスの街
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
      いいね!
      • 今「ガラスの街」はニューヨーク三部作の第一作ということで記録されている。
        「孤独の発明」「鍵のかかった部屋」「ムーン・パレス」「偶然の音楽」「幻影の書」と読んできて初期の作品を二冊残していたのは、中篇であり初期に書かれたもので、先に読んだ作品で感じた、私の中の名作「孤独の発明」が次の作品がどういう形で受け継がれたかに興味があった。
        ただ既読の5冊の中には、共通する実態の掴みにくい孤独感が相変わらず座り込んで在り、それを包むように明晰で分かりやすい言葉が連なっている。
        次第にストーリー性は増し、明確な風景の中から物語が立ち上がってきている。そういう傾向に移行したのかと感じたのだが。
        ニューヨーク三部作の頃にはまだ主人公の回りは常に現実との境が曖昧で、存在自体も、本人にさえも見えない部分がある。
        主人公たちは、その見えない部分を自分や知り合った人たちの中に見たり触れたりしてして、鏡に写したように実感を得ようとしている。だがそれが次第に薄れていく。

        ストーリーは、夜中に間違い電話が何度も懸かるので、「ポール・オースター?」ときかれ「そうだ」と答えてしまう。
        実はダニエル・クインという探偵作家である、ペンネームはウィリアム・ウィルソンでありその陰に隠れていれば、エージェントとは私書箱を通しての付き合いで、顔を出すことがなかった。彼は半年間書き、余った時間を自由に暮らしてきた。
        間違い電話の主ピーター・スティルマンは子供のころ幽閉されていた過去がある障害者だった、世界に散見する研究対象で、誘拐されて見つかった子供のように、9年間、言葉や光のない部屋で育ち、父親に実験的暴行を受けていた、父が捕まっていた13年間は、今結婚している妻が教育してきた。父親が釈放される日が近いので殺されないように保護して欲しいと言う。
        彼は満足に話せない。

        --- これはいわゆる話すという行為です。そういう呼び方だと思います。言葉が出て宙に飛んでいって、束の間生きて、死ぬ。不思議じゃありませんか ---

        彼は電話を受けた手前会いに行く、j自作中の探偵ワークはもう架空の者ではなく、いつの間にか一体感を持っていたし、現在の状況は三人の人格が合体したものに感じられた。

        --- 探偵とは、全てを見て、全てを聞き、物事や出来事がつくりだす混沌の中を動き回って、これらいっさいをひとつにまとめ意味を与える原理を探し出す存在にほかならない。実際、作家と探偵は入れ替え可能である。---

        出所した父親らしい人物を見張り始める。安ホテルに泊まった老人はニューヨークを徘徊する。彼も後ろから歩いていく。何も怪しいそぶりもなく日が過ぎ。ついに彼は接触を試みる。老人は新しい言葉を作り出そうとしていた。彼は老人の意識を確かめるために話しかけるがもう既に過去のハーバードの秀才教授ではなかった。だが彼の知識の片片から生まれる物語は魅力的で、その奇妙な世界を聞きに何度も出会うようになる。

        --- ポー作品でデュパンはなんと言っているか?「推論者の知性を、相手のそれに同一化させる」ここではそれは、スティルマン父に当てはまる。おそらくその方がもっとおぞましい。---

        父親はかってヘンリー・ダークという名前で、過去にあったという楽園を作るために、乱れた言葉を元に戻すことを説いた「新バベル論」を書いていた。その小冊子を見つけて読んだ。

        赤いノートに日々記録しながらクインの尾行は続いた。
        赤い手帳に細々とした出来事まで書きながら見張っていたが老人が消えた。不審に思いホテルで聞くと投身自殺をしたそうだ。
        くクイン報告のため依頼者のスティルマン夫婦のところに行くと、マンションは誰もいない空室になっていた。
        クインはついに、ポール・オースターを訪ねる。彼は全く何も知らなかった。
        そして今書いているのは何かという問いに答えて、「ドン・キホーテ」論だという。
        これはセルバンテスの作ではなく元はアラビアで書かれ、セルバンテスは翻訳されたものを編集したので、そういうことは事実を語るのに疑いを挟ませない理由だと言った。そしてそれを読んだドンキ・ホーテは物語に魅せられた。しかし原作者のアラビア人というのは登場する四人の組み合わさったものではないか。m

        クインの部屋は他人が入っていた。彼は依頼者のスティルマンがいた狭い窓にない部屋で眠る。次第に彼が何もかも億劫になり、ついには消えた。

        オースターは友人にこの話をすると、友人はクインを心配して探してみたが、彼のいた部屋は赤いノートだけが残っていた。

        一人でいることは自由だと言うことだが、それが続くとクインはソローの本を探して読んでみたりするがソロー自由とは 違うと感じる。
        それでも過去にはウィリアム・ウィルソンであり、創作した探偵ワ-クであり、ミステリ作家のダニエル・クインであった。その頃は快い孤独感とともにニューヨークの町を歩いて楽しむことが出来た。
        だが、ふと電話に出て見知らないポール・オースターになり、書く事をやめウィリアム・ウィルソンからも離れてしまった、そのとき自分と一体であったものを切り離したあとの独り、孤独感、このクインとは一体何者だろうか。
        仕事だと思った老人の追跡が意味のないものになり、町は次第に陰をなくし、それに連れて存在も希薄になる。孤独というものの実感さえ浮かばなくなり生存するというkことが抜け堕ちてしまう。それがどんな意味があるのかとさえ考えることのないところに入ってしまう。究極の言葉によって形作られる見えない深い悲しみや空虚感が作品になっている。珍しい文学的な前衛だという言葉が分かる、初期ポール・オースターの作品だった。


        この形式とセルバンテスの部分は少し共通の部分もあるように思うがここまでにする。
        ポーとウィリアム・ウィルソンについても最後のほうに面白い記述があるのでオースターはそのことの意識もあったようだ。
        >> 続きを読む

        2016/07/25 by 空耳よ

      • コメント 2件
    • 5人が本棚登録しています
      ガラスの街
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
      いいね!
      • ある夜、元ミステリー作家のクインの元に間違い電話がかかっている。電話の相手はクインをポール・オースターと勘違いしており、命を狙われている私を守ってほしいと依頼する。クインはその間違い電話を面白がって、相手に話を合わせてポール・オースターになりすまして依頼を受ける。依頼主の元へ出向いてみるとピーター・スティルマンという男が、父ピーター・スティルマンに命を狙われているので助けて欲しいという少し奇妙な依頼を受ける。

        この本は200ページくらいしかないのだが、僕がまず疑問に思ったのは本当に事件が解決するのか?ということだ。元作家が探偵のふりをして事件に挑むというところからして異色な感じがするし、100ページくらいまでページを手繰っても、進展ぶりからしてどう考えてもストレートに事件を解決してめでたしめでたしで終わりそうにない雰囲気なのだ。
         
        ドン・キホーテの作品論がでてきた時には、あぁなるほどそういう話かと思ったのだが、全てクインの妄想でしたという安易な帰結はしない。ただ、きっかり終わるわけではなく尻切れトンボというか、謎を残したまま物語は終わりを告げるのだ。

        この作品の着目するべき点はクインのアイデンティティが極めて不安定なところだろう。クインは作家ウィリアム・ウィルソンとして活動していたが、ウィリアム・ウィルソンを自分自身のことだとは考えていなかった。クインはウィリアム・ウィルソンの書いた作品を自分の書いたものだとは思わなかったし、彼に敬意すら抱いていたのだ。

        「クイン自身はとっくの昔に、自分をリアルだと考えることはやめていた」(p12)、クインは本を書いているあいだだけは自身のつくりだした、知性にあふれ波乱万丈の冒険も冷静に切り抜けるワークになったふりをすること、そして自分自身もその気になればワークになる力があるのだと思えることがクインの励ましだったとある。

        そんなクインがスティルマンを追跡し彼の思考をなぞり、行動を共にするうちにクイン自身が段々スティルマンへと近づいていく。徐々に自己を侵されていく不気味さが漂ってくるのである。

        抑制的な文章であることもあり、クインは無感情かつここに存在していない(Nobody)ようにも感じられる。しかし、クインはミセス・スティルマンに肉欲を感じて都合のいい妄想をしたり、幸せな家庭を見ることで嫉妬したり、かつてそれを失った自分に虚しさを感じたりと決して無感情ではないことがわかる。どちらかというと、現状の自分を受けいれられないがゆえに、自身をリアルだと考えないようにしているのではないだろうか。

        この小説は自己とは何かというテーマが重要なものだと思う。読者は否が応でも自己というものの不安定さを感じさせられる。同時に他者の存在も重要なものである。自己の形成に他者が重要な存在であるからだ。クインと実際に出会ったと言えるのはポール・オースターだけだ(ここはメタフィクション的な構造になっているのかもしれない)。また、この小説はクインによって書かれたものではなく、本物のポール・オースターの友人が書いたものである。クインという男が確かに存在したということは他者によって証明されるのだ。

        最も事件そのものにはポール・オースターもその友人も関わっておらず、事件の経過はクイン自身の赤いノートによる記録によってのみ知ることになる。だから読者はどこまでがクインの身に本当に起こったことで、どこから妄想だったのかを知ることができないのだ。しかし、現実と妄想の境界などは自己というものがそうであるように、案外曖昧なものなのかもしれない。気になるあの子も僕のことを好きだと思っていたのに実際にはそうではなかった、なんて珍しい話ではない。

        物語はきれいに終わるわけではないので、スティルマンの分裂はなんだったのか、ラスト付近でなぜわざわざオースターの友人が登場したのか、そもそも事件の依頼自体が本当にあったことなのかなど疑問が多く残る。しかし、謎を多く残す終わり方でありながら心地よい読後感なのは、その謎自体が興味深いものであり考えることが楽しいからだろう。この作品の持つ無機質さ、不気味さ、冷たさ、そしてそれらの美しさに多くの人に触れてほしいと思う。
        >> 続きを読む

        2016/09/03 by けやきー

      • コメント 3件
    • 2人が本棚登録しています
      最後の物たちの国で
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
      いいね!
      • ニューヨークが舞台になっている三部作の後、1987年、「ムーンパレス」の前に書かれた作品だが、少し趣が違っている。

        行方が分からない兄を探して船に乗った、アンナ・ブルームという女性が、瓦礫ばかりの荒廃した土地に降り立ちそこで暮らし、それを知人に書き残したと言う形になっている。手がかりは兄を知っていると言う男の一枚の写真だけだった。

        ここは、存在したものが絶え間なく消えて行くところ。「常に消滅していく、最後の物たちの国」だった。
        そこに入ると、気候までが定まらない、まるで生きた記憶が朧になり霞んでついに消えて行くような、思い出す過去もなく思い描く未来も忘れ去って、数少ない生きる選択肢のなかから、何としても生命を繋いでいかなければならないところだった。

        「アイアム・レジェント」という全てが崩壊した世界から始まる映画がある。それを見たとしても振り返れば何も変化していない日常がある。しかし、この非情な生き方を読んで、映画が作り物だと信じられるだけ、今と対比させて、なお。この小説には、何かが身近に起こりそうな嫌な予感を持たせる力がある。

        アンナの現実は食料を奪い合い、食べられるものは全て食べつくす、極寒の日も酷暑の中も、生きぬかなければならない。「飛び人」(自殺者)「這う人」「走る人」人は群れ、死さえ生きる源になり、金を持っているものは安楽死も出来るコースがある。様々に壊れた世界では人は狂っていく。わずかに残った秩序をわずかな人たちが管理し、政治体制は都合に合わせてコロコロと変わり、人を苛んでいる。

        アンナも、食べられるものは何でも食べ、拾った靴を履きぼろを身にまとう。老女と知り合って瓦解寸前にあるような建物に同居し、彼女の死を看取ったり、訪ね当てた写真の男と暮らしたり、妊娠中に襲われて高い窓から飛び降り一命を取り留めたりする。彼女の辿った日々が、最後に高価な(ぜいたく品は高騰している)ノートに書かれて 彼女の声が残される。

        行きぬくために汚物にまみれ地面を這うような生活の中で、一握りの最後の者たちを救うために、遺産を使い果たしつつ善行を施す人も、ついに資源が突き、破綻して消えて行く。

        町の中の石だらけの錯綜した道を彷徨するうち、足の裏に当たる尖った石までも気にならなくなるほどの心の痛み。飢餓、欲望、繰り返される暑さ寒さの中の人の脆さが、絶望感が、これでもかと書かれている。
        オースターの幻想的な世界にあった、自己と他者の醸し出す曖昧な境界線。交じり合った独特の孤独な世界はいつかこの土地に蔓延する孤独感、絶望感、危機感に、姿を変えて、実に鮮明に、感覚的に表されている。救いのないこんな世界を、体験しないまでもまだ近い過去に見たことがある。
        こうした、ひとりの育ちのいい女が踏み込んだ現実が、寓話的な迫力を持って迫ってくる。彼女の運命とともに、印象的な終末の世界がいつまでも心に残る。
        >> 続きを読む

        2016/09/07 by 空耳よ

      • コメント 4件
    • 1人が本棚登録しています

【AusterPaul】(AusterPaul) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)

会員登録(無料)

今月の課題図書
読書ログってこんなサービス
映画ログはこちら
読書ログさんの本棚

レビューのある本