こんにちはゲストさん(ログインはこちら) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト →会員登録(無料)


AusterPaul

著者情報
著者名:AusterPaul
AusterPaul
AusterPaul
生年~没年:1947~

この著者の本を読んでいる会員ランキング

このランキングは1日1回更新されます。
      ムーン・パレス
      カテゴリー:小説、物語
      4.8
      いいね!
      • 【あらすじ】
        この小説の主人公マーコ・スタンリー・フォッグは生まれた時から父親はおらず、母は少年時代に他界している。その後、母方の兄である伯父のビクター・フォッグに育てられる。フォッグは学業のほうは優秀だったらしく、やがてコロンビア大学に進学し周囲から変わり者とみられながらも大学生活を謳歌していた。

        在学中に伯父が亡くなると、フォッグは絶望する。悲しみを紛らわせるために金遣いが荒くなり経済状況が逼迫するが、そのことを分かっていながらフォッグはなんら手を打たない。やがて家賃すら払えなくなり、アパートを追い出され浮浪者になってしまう。放浪生活の果てに友人のジンマーと放浪生活中に一度会っただけのキティに救いだされる。フォッグはキティと結ばれて、再び世界との繋がりを取り戻す。


        【感想】
        人が生きる理由は生存本能に過ぎないのかもしれないが、人がよりよく生きようとするのは他者が存在するからだろう。他人からよく見られたいがために、あるいは役立ちたいがために知識を蓄え、礼儀作法や技能を身につけ、身だしなみに気を遣う。ジャック・ラカンは「人間の欲望は他者の欲望である」と言った。人は他者の存在によって向上しようとする意志――よりよい未来を目指すことができるのだ。わが身ひとりのためだけに、毎日気合をいれて料理を作ることのできる人間がどれだけいるだろう。

        フォッグは浮浪者になったことで、絶望するわけでもなければ焦燥感に駆られるわけでもない。むしろ、この生活を試練のようなものとして受け入れているようなモノローグすらある。だが、これは後付けの自己正当化だろう。フォッグが悪化している経済状況への対策を打たなかったのも、浮浪者としての生活から抜けだそうとしなかったのもつまるところ、それらをするだけの動機を持たなかったにすぎない。伯父を失ったフォッグは世界との唯一の繋がりを断たれて孤独となり、未来を切り開く意志をも失ったのである。

        この作品からは『ガラスの街』と共通するもの、例えば父の存在や著者の言語への興味、あるいは執着――そして、孤独を感じた。孤独といっても『ガラスの街』のそれとは種類が違う。あちらの作品の主人公には恋人や友人はおろか知人と言える人間すらいない、まさにガラスのように冷たく透明な孤独だ。

        一方、フォッグには友人や恋人のキティがおり、愛情をそそいで育ててくれた伯父だっていた。しかし、フォッグには自分と繋がっていると感じることのできた他者は伯父とキティしかおらず、それだけが世界との繋がりだった。そのほかの人間――友人、雇用主、他の使用人――とは繋がっていると感じられなかった。他者がそこにいるのに繋がることのできない寂しさ。無限に思える星々がきらめく空間に浮かぶ月より、むしろ1つ1つの星のほうこそ孤独なのかもしれない。

        「――ちょっと考えてみたまえ。神も見捨てたこの街に何かが大量にあるとしたら、まさしくその、名もない他人というやつじゃないかね。街中にあふれておる。我々のまわりに何百万といる」(p295)。
        >> 続きを読む

        2016/09/14 by けやきー

    • 他3人がレビュー登録、 13人が本棚登録しています
      幽霊たち
      4.3
      いいね!

      • オースターの著作を発見したのは「孤独の発明」だった、それからは底に流れるテーマを読み続けてきたが、著作順でなく、この「幽霊たち」を自分なりに初期作品の区切りとして最後に持ってきたことを、自分で誉めたい気分になった。これはどの作品にも流れている「孤独」というテーマの究極の姿を著したものだと感じたからで。

        解説で伊井直行さんは、

        三部作はそれぞれ単独で読んでもなんら支障のない作品群なのだが、他の二編をあわせて読むと、一作だけ読んだときとは随分印象が違ってくる「幽霊たち」は特にそうだろう。だから却って、真っ先のこれを読んで、奇妙な小説世界を堪能してみる手がある ---といっては強引に過ぎるだろうか。
        全く、私と同じ読後感をもつ人ではないかと、僭越ながらひそかに喜んだ、先に読んで、スタイルのヒントにするのは勿論いい、そして「幽霊たち」を最後に読んで、初期からの作品と三部作はこうしたテーマで繋がっている、と感じることも、オースターの作品を読む楽しみ方のひとつであってもいいのではないだろうか。

        「幽霊たち」は奇妙な話で、世界がごく狭い。色の名前のついた人物たちが登場する。まず探偵のブルー、その師匠のブラウン。仕事として見張るように言われた対象のブラック、最初は謎の人物として現れるホワイト。脇役のレッドとゴールドもちょっとした彩を添えている。

        ブルーはブラックを見張り続けている。定期的に報告書を送ればいい楽な仕事で、真向かいのマンションの部屋から見ていると、ブラックは一日机の前で何か書いている、作家らしい。

        ブラックの生活パターンは見張る必要もない単調なもので、ブルーは変化のない時間に倦んで疲れて、次第に見張っている自分について考えるようになる。そしてついにたまりかねてブラックに接触を試みる。

        彼と四方山話をするが、なかでも彼の作家の緒孤独についての話に心を引かれる。
        会うことが重なってくると、ブルーはブラックの窓越しに感じる孤独が自分のものと同化してくるのを感じる。

        お互いに身分が同化しお互いが裏返しのように分かちがたくなったと感じ始めた朝、彼はブラックの部屋に入っていく。

        長く見張るだけの生活はブルーの精神を現実生活から遠ざけ、存在の曖昧な時間を作り出していた。

        こうして、奇妙な二人の人間が出会って別れる。ブルーはブラックを打ち倒し、現実であって非現実な感じのまま生活の中に戻ったが、いつか彼はブラックの世界に入ってしまっている。



        色の名前のついた人たちは、ある意味人間の最大公約数であって裏返せば最小公倍数でもある。数字というものの意味を生物に置き替えれば、目にする複雑な色は突き詰めれば単純ないくつかの混色であり、違ったように見えても非現実的な世界でそれを見たり感じるとすれば、共通する感情や数字に変換されたものが絡み合っていることに過ぎず、いつか全ての根はゼロが虚数になるかも知れない、などと思いながらこの三部作を締める自分なりの感想にした。
        >> 続きを読む

        2016/08/01 by 空耳よ

      • コメント 6件
    • 他1人がレビュー登録、 8人が本棚登録しています
      ティンブクトゥ
      カテゴリー:小説、物語
      3.7
      いいね!
      • ミスター・ボーンズは知っていた。ウィリーはもはや、先行き長くない。

        書き出しからウィリーは病んでいる。精神と肉体が究極まで侵され生きていく見込みがない。犬のミスター・ボーンズはウィリーがそうして次第に消滅していくことをどうすることも出来ず、恐怖と絶望の中でじりじりしている。

        犬と人の愛情交換物語のようだが、そこには、人間の言葉が理解できるようになった犬と、放浪の果てに死んでいく人間の、別れを前にして深い哀惜と、どうしようもない孤独感が書かれている。ウィリーの病的な饒舌と長広舌を聞きながら、ミスター・ボーンズは深くウイリーを理解する。長い過去も未来も同じように短く感じられ、わずかしか残っていないことをお互いに知っている。

        オースターの定番のような放浪する詩人の人生に今回は連れ添う犬がいる。

        父は死に敵の様な関係の母親から逃れて、薬や酒におぼれ自分を見失っていたとき、夜中にTVで見たサンタクロースから啓示を受け、クリスマスという名前を付け加えた善意の人に代わろうとする。しかし、時の流れは彼を蝕み、父親の遺産も、母の保険金も瞬く間に善行の陰に消える。

        彼はボディーガードの必要を感じ仔犬のボーンズを相棒にする。

        かって彼の書いたものを誉めてくれた先生のいるボルチモアに向かう旅に出る。極貧生活でも、ボーンズは頭を撫でてくれ温かい腕の中で丸まって眠る生活はこの上ない幸せだった。

        ウイリーは絶え間なく話しボーンズはそれを聞きながら、歩き続ける。
        ティンブクトゥ。 来世。それは人が死んだら行く場所だ。この世界の地図が終わるところでティンブクトゥの地図は始まる。砂と熱からなる巨大な王国永遠の無我広がる地を越えていかねばならないらしい。ウィリーの話をミスター・ボーンズは疑わなかった。

        死ねば一瞬にしてあっちに行きついてしまうのさとウイリーはいった。宇宙と一体になって神の脳内におさまった反物質のかけらになるのさ。
        ミスター・ボーンズは一言も疑わず、ウィリーの息が絶えそうになった時夢で彼に付き添う、目覚めてまだ彼のからだが暖かいことを知っても、もう夢で見たことが現実であることを疑わない。
        このあたり、ミスター・ボーンズの見た夢と現実がどう重なっているのか、犬と設定したことで、その境界が明瞭でないのも何か筋が通る気がする。

        それよりも死を前にしてのウイリーの絶え間ない話がオースターの真骨頂といえる。比喩はもとより、同義語、同音異語、言い伝え、引用、様々な言葉の奔流がミスター・ボーンズの上に降ってくる。彼はじっとその狂想曲を聞いている。
        それは読者にとっても興味深い話で、例え脈絡が乱れたり意味が飛んだり刎ねたりしながらであっても、その意味するところは、ウイリーが死ぬまでまで詩人であろうとした、作家になろうとして迷い込んだ言葉に茂みの中から、最後にふりしぼって語りかける一言一言の持つ深さが感じられる。
        もしその語らない言葉の底や裏にある思いを感じることが出来る聞き手であれば、それは聞くことの極意でありミスター・ボーンズが、理解できても話すことが出来ない設定もうなずける、愛情に溢れた聞き手であってこそ、空虚な言葉を吐き散らす現代人とは違う重さを感じ取っているのではないかと思われる。


        ウイリーと別れて旅する後の話は、ややありきたりの犬らしい体験で、ついに犬以外の何者でもない境遇から逃げ出す。
        求められていると感じるだけでは犬の幸福はなりたたない。自分は欠かせないと言う気持が必要なのだ。とミスターボーンズは思う。

        ウイリーの元に向かって走るミスター・ボーンズの姿は鮮やかだ。

        こうしてオースターを読むことがやめられない。

        >> 続きを読む

        2016/09/17 by 空耳よ

      • コメント 2件
    • 他1人がレビュー登録、 4人が本棚登録しています
      ガラスの街
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
      いいね!
      • ある夜、元ミステリー作家のクインの元に間違い電話がかかっている。電話の相手はクインをポール・オースターと勘違いしており、命を狙われている私を守ってほしいと依頼する。クインはその間違い電話を面白がって、相手に話を合わせてポール・オースターになりすまして依頼を受ける。依頼主の元へ出向いてみるとピーター・スティルマンという男が、父ピーター・スティルマンに命を狙われているので助けて欲しいという少し奇妙な依頼を受ける。

        この本は200ページくらいしかないのだが、僕がまず疑問に思ったのは本当に事件が解決するのか?ということだ。元作家が探偵のふりをして事件に挑むというところからして異色な感じがするし、100ページくらいまでページを手繰っても、進展ぶりからしてどう考えてもストレートに事件を解決してめでたしめでたしで終わりそうにない雰囲気なのだ。
         
        ドン・キホーテの作品論がでてきた時には、あぁなるほどそういう話かと思ったのだが、全てクインの妄想でしたという安易な帰結はしない。ただ、きっかり終わるわけではなく尻切れトンボというか、謎を残したまま物語は終わりを告げるのだ。

        この作品の着目するべき点はクインのアイデンティティが極めて不安定なところだろう。クインは作家ウィリアム・ウィルソンとして活動していたが、ウィリアム・ウィルソンを自分自身のことだとは考えていなかった。クインはウィリアム・ウィルソンの書いた作品を自分の書いたものだとは思わなかったし、彼に敬意すら抱いていたのだ。

        「クイン自身はとっくの昔に、自分をリアルだと考えることはやめていた」(p12)、クインは本を書いているあいだだけは自身のつくりだした、知性にあふれ波乱万丈の冒険も冷静に切り抜けるワークになったふりをすること、そして自分自身もその気になればワークになる力があるのだと思えることがクインの励ましだったとある。

        そんなクインがスティルマンを追跡し彼の思考をなぞり、行動を共にするうちにクイン自身が段々スティルマンへと近づいていく。徐々に自己を侵されていく不気味さが漂ってくるのである。

        抑制的な文章であることもあり、クインは無感情かつここに存在していない(Nobody)ようにも感じられる。しかし、クインはミセス・スティルマンに肉欲を感じて都合のいい妄想をしたり、幸せな家庭を見ることで嫉妬したり、かつてそれを失った自分に虚しさを感じたりと決して無感情ではないことがわかる。どちらかというと、現状の自分を受けいれられないがゆえに、自身をリアルだと考えないようにしているのではないだろうか。

        この小説は自己とは何かというテーマが重要なものだと思う。読者は否が応でも自己というものの不安定さを感じさせられる。同時に他者の存在も重要なものである。自己の形成に他者が重要な存在であるからだ。クインと実際に出会ったと言えるのはポール・オースターだけだ(ここはメタフィクション的な構造になっているのかもしれない)。また、この小説はクインによって書かれたものではなく、本物のポール・オースターの友人が書いたものである。クインという男が確かに存在したということは他者によって証明されるのだ。

        最も事件そのものにはポール・オースターもその友人も関わっておらず、事件の経過はクイン自身の赤いノートによる記録によってのみ知ることになる。だから読者はどこまでがクインの身に本当に起こったことで、どこから妄想だったのかを知ることができないのだ。しかし、現実と妄想の境界などは自己というものがそうであるように、案外曖昧なものなのかもしれない。気になるあの子も僕のことを好きだと思っていたのに実際にはそうではなかった、なんて珍しい話ではない。

        物語はきれいに終わるわけではないので、スティルマンの分裂はなんだったのか、ラスト付近でなぜわざわざオースターの友人が登場したのか、そもそも事件の依頼自体が本当にあったことなのかなど疑問が多く残る。しかし、謎を多く残す終わり方でありながら心地よい読後感なのは、その謎自体が興味深いものであり考えることが楽しいからだろう。この作品の持つ無機質さ、不気味さ、冷たさ、そしてそれらの美しさに多くの人に触れてほしいと思う。
        >> 続きを読む

        2016/09/03 by けやきー

      • コメント 3件
    • 他1人がレビュー登録、 3人が本棚登録しています
      鍵のかかった部屋
      4.8
      いいね!
      • 「突然の音楽」に続いて読んだが、これは初期の三部作の中の一冊で、発行順にいけば「ガラスの街」「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」となるようだ。

        順不同でも十分読み応えがあった。彼の作品は自分にあっているようで、抵抗無く世界の中に入っていける。
        簡単に言えば今時の言葉で、自分探しの話になるだろうが、彼の思索は心の深い部分に下りていく。物語で変化するシーンを語る言葉の部分が特に興味深い。

        作品ごとに舞台は変わっても、自分の中の自己(他者)というテーマが繰り返されて、そこには生きていく中にあるひとつのあり方を見つめ続けている。


        その自己という言葉で一方の自分というもののどちらかを他者にした、今ある時間。
        人生という長い時のなかの今という時間の中にあるのは、自己と他者を自覚したものが持つ深い孤独感と、それに気づいた戸惑いと、自分の中で自己というものの神秘な働きが、より孤独感を深めていくことについて、主人公とともに、時には混沌の中で疲れ、時には楽天的な時間の中で現在を放棄し、様々に生きる形を変えて語られている。

        この時期のポール・オースターの、他者と共有できる部分を持つ自己と、他者の介入を許さない孤立した自己意識の間で揺れ動く「僕」と「親友だった彼」のよく似た感性と全く違った行動力に、それぞれの生き方を見つめていく、そんな作風に共感を覚える。


        ぼくと彼ファンショーは隣同士で前庭の芝生に垣根が無く、親たちも親しいと言う環境でオムツの頃から一緒に離れずに育ってきた。だがそういったことが成長した今、遠い過去になり、お互いにニューヨークに住んでいたが連絡もしなくて疎遠になっていた。

        突然、彼の妻から、ファンショーが失踪したと知らせが来る。
        7年前だった。
        訪ねていくと魅力的な妻は赤ん坊を抱いて、ファンショーがふっと消えた話をする。待ったがもう帰ってこないことを覚悟したとき、親友だったと言っていた僕を想い出して連絡をしてきた。

        僕にとって、会わなくなったときは彼が死んだも同じだったが、今、生死が定かでない形で僕の前に再登場したのだ。
        子供の頃から書いていた詩や評論や三作の小説を残して。
        そして一応遺稿と呼ぶこれらの処理を任された。その後すぐ、突然来た彼からの便りで、「書くという病から回復した、原稿の処理や金は任せる、探すな見つけると殺す」という覚悟が知らされた。彼は失踪という形で出て行って、もう帰る意志はないことが分かった。

        原稿を整理して見ると確かに才能があり、ツテで編集出版する。好評で本が売れ、生活が豊かになった。
        カツカツの記者生活にも余裕が出来、彼の妻とは愛情が湧いて結婚した。自分の子供も生まれた。

        しかし、彼の原稿を読みそれに没頭して過ごすうちに、彼と自分の境があいまいになることがあった。彼の世界は常に自分の背後にあって、同じ物書き(僕は記者だったが)であり、彼の才能は彼の失踪後に花開いたが彼はその恩恵を一切うけず関係を絶ってしまった。
        僕は、いつしか彼と自分のの境界が薄く透明になっていくことに気づいた。

        ---
        考えるという言葉はそもそも、考えていることを自分が意識している場合にのみ用いられる。僕はどうだろう。たしかにファンショーは僕の頭から一時も離れなかった。何ヶ月もの間、昼も夜も、彼は僕の中にいた。でもそのことは僕にはわからなかった。とすれば自分が考えていることを意識していなかったわけだから、これは「考えていた」とは言えないのではあるまいか?むしろ僕は憑かれていた、と言うべきかもしれない。悪霊のごときなにものかに僕は取りつかれ憑かれていたのだ。だが表面的にはそんな徴候は何一つなかった
        ---

        僕は自分と言うものを考えてみる。そして死んだと決まっていいないファンショーの手がかりを探して歩く。
        ファンショーを探すことは彼から自分を解放するだろう。


        作品は、多分にミステリだ。私は様々にファンショーの行き先(生き先)を推理しながら読んだ。僕の作り出した分身ではないだろうか。ファンショーはもう自分を見失った神経病患者ではないだろうか。

        僕はついに家族を捨てファンショーに取り込まれてしまうのではないだろうか。

        しかし作者はそんなやすやすと手の内を見せてくれなかった。

        最後まで面白く好奇心も十分満足した作品だった。
        >> 続きを読む

        2016/06/18 by 空耳よ

      • コメント 4件
    • 他1人がレビュー登録、 5人が本棚登録しています
      孤独の発明
      カテゴリー:小説、物語
      3.0
      いいね!
      • ポール・オースターの自伝的小説
        「見えない人間の肖像」「記憶の書」の二篇。

        「見えない人間の肖像」はオースターの父親のことを主に記したもので、読みやすく内容としても面白い。

        父はいわば恒久的な部外者、自分自身の旅行者になっていた(p16)

        こうあるようにオースターの父親は積極的に人生を生きるというより一歩離れたところに佇むような、家族との関わり方も心の通い合わないようなものだったらしい。
        こういうひと、いるなあと自分の周りにいるひとに重ねて読めたためオースターの気持ちも父親の気持ちにも添いやすかった。

        「記憶の書」は、オースターに言わせればこちらこそ書きたいことで重要らしいのだが、読みにくい。
        どこまでが事実でどこからが空想なのかなど曖昧でわかりにくい。

        一度読むだけでは何を伝えたいのか正直言ってわからなかったことが残念だった。
        翻訳ものでは読み返すと見えてくるものもよくあるので、また時間を置いて読んでみたいと思う。
        >> 続きを読む

        2016/05/12 by jhm

    • 2人が本棚登録しています
      偶然の音楽
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
      いいね!
      • 主人公ナッシュは、大学を中退して転々と職を変え、ひょんなことで消防士の試験に受かりそれからは地道に務めていた。二歳の時、父は家を出て、現在は母親と妻と娘の三人家族あった。しかし母が脳卒中で倒れホームに預けてからは入院費用のために生活は逼迫し、妻は子供を置いて出て行ってしまった。
        突然訪ねてきた弁護士から父親の遺産20万ドルを受け継ぐことを知らされる。父の死よりも大金が転がり込んだことは晴天の霹靂、彼に無常の喜びをもたらした。
        入院費の滞りを払い娘は仕事柄ナッシュにはなついていなかったので、堅実で子煩悩な夫を持つ姉の元に預けた。

        ナッシュは、残りの金で赤いサーブ900を買う。

        彼は車に乗って目的も無く走りたかった。職場にある有給の残り三ヶ月分を消化すればこの気持ちも収まるかと思ったが、一旦帰ってみるとまだ虫は治まらず、とうとう引っ越すことして退職する。
        そして銀行に残った6万ドルで、彼は今まで縛られていた様々なしがらみから開放されフリーウェイに乗る。
        窓外を流れていく異郷の景色の中では、自分の体から自分が離れていくような気になれた。

        好きな音楽とともにアメリカ大陸を横断し名所見物をし父親がいたというカリフォルニアにも行ってみた。そしてついに残りの金を数え、こういう生活も永遠には続かないことに気がつく、切り詰めてはみたがそんな習慣はとっくに無くなり、出発してから1年と2日、残りは1万4千ドルになっていた。絶望の一歩手前、ニューヨークに向かった。

        途中で満足に歩けない若者を拾った。
        「そのようにしてジャック・ポッツィはナッシュの人生に入ってきた」
        少年のように小さく細身で、殴られた傷のせいで満足に歩けない、服は引きちぎられたようにぼろぼろの姿で、彼は助手席に倒れこんできた。
        ジャックはカードを使ったギャンブラーだった、自分は腕がよくいつか無敵になり、ワールドカップにも出られると自信たっぷりだった。
        生死の境をさまよう子供を助けたようで目が離せず、ナッシュは残りの金で何くれと世話を焼く。彼は自由と引き換えに、忍び寄ってきたささやかな孤独感に気づいていた。

        ジャックのカードの腕を試してみると、ただのホラではない、相当の実力があった。彼は、当たった高額の宝籤から投資をはじめ、今では富豪になり深い森にすむ二人から、カードの招待を受けていた。資金は最低一万ドルはいるという。ナッシュは残りをジャックに賭けてみることにした。どうせ素人の成り上がり者で、いいカモになるだろう、もはや二人の将来の夢はどこまでも膨らんでいった。

        そして息詰る様な攻防の末、ジャックはナッシュの起死回生の追加金をすってしまい、1万ドルの借金まで出来る。
        生活資金まですっかり無くしたところに、抜け目の無い二人から時給10ドルで、城を解体した石で塀を作ることを提案される。金が無くては出て行くことも出来ない、石を積んである山から一つずつ運んで長い塀を作っていく。

        しかしこの仕事に慣れてくるとナッシュは徐々に心の底に平安を覚えるようになる。
        一方ジャックは、相手の二人をいかさまだとののしり、憤怒の言葉を吐き散らし、ツキが逃げたのはナッシュのせいだとまで言った。
        だが彼も金がなくては行き場も無い、金網で囲われた広い敷地の中で囚人のような待遇に慣れかけてきた。しかし彼一流の処世術でそのときはそういう風に自分をだましてしか生きることができなかったのだ。

        見張りのマークスは一日中脇で突っ立ったまま監視する、雨のぬかるんだ日も雪の日も、ただ突っ立って時々あれこれと指図する、二人は無視することを覚えた。
        そしてとうとう借金を返した日、ジャックはお祭り騒ぎをする。ささやかな生活費は出来た。金網の下を掘り小柄なジャックなら外に逃げられるのではないか。
        しかしその穴を抜けた先には幸せな生活は無かった。
        ナッシュのサーブは富豪の二人からマークスがもらっていた。一人残ったナッシュは少しずつマークスや息子や孫にも馴染んでいく。ついにその仕事からも放たれる日が来たとき、かって自分の物であった赤いサーブを運転をして町に出かける。


        あらすじでも長いが、実に現代のストーリーテラーといわれるように面白い。
        ナッシュという人物。しがらみから逃げて走り回った月日が終わった頃は、帰着する場所を失って、思いもしなかった孤独感を感じるようになる。自由を得たと思ったところが、やはりそれは帰属するものがどこかにあってこその自由であり、糸が切れてしまっては、自立していく強く新しい精神を育てなくてはならない。彼はその手段をジャックという青年の中に見つける。少しの愛着と近親感は生きていけるだけの心のよりどころではあった。
        人をひきつける話術と巧みな生き方を見につけたジャックは彼もナッシュに馴染んではいたがまだ若く、ナッシュの誤算は、ジャックは天才でありナッシュは凡人であったことだろう。

        息詰るゲームの折、ナッシュはジャックの邪魔にならない位置で見守っていたつもりが、トイレに立ち、ついでに屋敷の中を歩いて住人の持ち物を盗んだ、それはジャックの命がけの気迫と集中力そぎ、負けという運命に落とし込んでしまった出来事だったのだ。ジャックは酔った勢いでそのことに怒り狂っても、ナッシュは一向に理解できなかった。

        ナッシュは環境の中から次第に生活のなかにささやかな安寧の芽を見つけていく。だがジャックはそうは行かなかった。
        遺産が手にいる時期がもっと早かったらナッシュの生き方はもっと違ったものになっていただろうし、ジャックに関わることもなくそれぞれの人生を生きただろう。


        いや、なんと言ってもポール・オースターという作家の掌のうちで感じ思うこと。
        それが多くて溢れるほど、実に面白く意味深い作品だった。
        >> 続きを読む

        2016/06/15 by 空耳よ

    • 5人が本棚登録しています
      トゥルー・ストーリーズ
      4.5
      いいね!
      • ありえないような本当の話をまとめたポール・オースターのエッセイ集。読みながら仰天(^^♪ 彼は偶然の一致に遭遇しやすいのかな? でも、日々のニュースや私たちのまわりには、えっ~~なにそれ!? というようなことがけっこう起こっていますね。そんな<事実は小説より奇なり>というオースター体験を、軽やかなタッチで描いています。

        もちろん、屈指のストーリーテラーは、そんな数々の偶然をしっかりとらえて作品に取り込んでいます。ある日、オースターの叔父は高所から落ちてしまうのですが、なんとか一命をとりとめたのは偶然にも落ちた場所に張り巡らせていた洗濯ロープのおかげ。そんな出来事を、彼は「リヴァイアサン」の準主人公サックスに担わせています。
        また、無名時代のオースターは金がなくて食べる物にもことかいていたよう。自ら命を絶つことなく、なんとか生き延びてこられたのは、いろんな人の助けと偶然の連続……そんな塗炭の苦しみを、彼は「ムーン・パレス」の主人公マーコに担わせました。

        大都会ニューヨークの公園、ホームレスに陥ってしまった孤独な学生マーコ。現実社会の中で無情に降りそそぐ不条理の雨あられ。この物語ではあまりの滑稽さに笑えるのですが(この笑いというものに昇華させたところが凄いのですけどね)、そこへ出くわした一文に絶句。だいぶ前、ふっと人生の崖から飛び降りてしまった友人を空中でつかまえられなかった私は思わず涙してしまったのですが、この一文には、間違いなくオースターが塗りこめた言葉の力というものがあるのです。

        「……僕を愛してくれる人たちがいることを、僕は知ったのだ。そんな風に愛されることで、すべてはいっぺんに変わってくる。落下の恐ろしさが減るわけではない。でもその恐ろしさの意味を新しい視点から見ることはできるようになる。僕は崖から飛び降りた。そして最後の最後の瞬間に、何かの手がすっと伸びて、僕を空中でつかまえてくれた。その何かを、僕はいま、愛と定義する。それだけが唯一、人の落下を止めてくれるのだ。それだけが唯一、引力の法則を無化する力を持っているのだ」(「ムーン・パレス」)

        彼の作品群を通して眺めていると、人は迷宮のようなハチャメチャな現実世界に屈服して千々に漂いながら、それでもイカロスのように大空に飛び出して底なしの虚無と対峙しようとする、ある種の静かな力というものを感じることができます。この軽やかなエッセイにもそこここに散りばめられていて、オースターの精神性を垣間見ることができます。

        「あなたに世界を再創造してくれとは言わない。単に世界に目を向けて欲しいだけであり、自分のことを考える以上に自分の周りのことを考えて欲しいだけである。少なくとも街に出て、どこかからどこかへ向かって歩いているあいだは。
        ……みじめな人たちを無視しないでほしい。彼らはいたるところにいるから、つい見慣れてしまって、そこにいることを忘れてしまいがちだ……」(「トゥルー・ストーリーズ」)

        繊細な感受性と想像。オースターという人は、物語をとおして厳しい現実や金が人におよぼす栄枯盛衰を、じつに淡々とクールな目で見つめています。そして、ときに迷宮世界に屈服しながらも、秘めた宇宙と静かに対話を続けるしなやかさ。思えば、豊かな想像力と感情移入(共感)の力は、それぞれ愛の変形でもあります。それを見事な物語で紡いでくれるオースターの才気にほとほと感心し、世界で次々に起こる惨事や、この時代、この国、この場所に自分が存在している偶然につらつら想いを馳せながら街を歩いていると、いきおいマンホール蓋の小さな穴にヒールがハマって抜けない。う~ん、現実は油断ならない(-_-;)

        素敵な青春時代のオースター作品はもとより、しだいに円熟味を増していく数々のそれにも注目したい作家です。このエッセイ集は上手い文章でさくさくと読めますので、オースターファンもそうでない方も図書館あたりでちょっとのぞいてみてください♪

        「物語は魂に欠かせない糧だと思う。我々は物語なしでは生きられない。……我々は物語を通して世界を理解しようと努める。そう思えるから、私も書きつづけられる……私がこの先一冊も書かなくたって世界は崩れやしない。だが最終的に、まったくの無駄骨とも思っていない。我々が世界でしていることの意味をつかもうと努める、人類の大仕事の一翼を私も担っているんだ」          
                              (「空腹の技法」インタビュー・書評集)
        >> 続きを読む

        2016/09/28 by アテナイエ

      • コメント 3件
    • 6人が本棚登録しています
      幻影の書
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
      いいね!
      • 初期の「ニューヨーク三部作」がまだ二冊残っているが、これが図書館に来たので先に読むことにした。
        「孤独の発明」「鍵のかかった部屋」「偶然の音楽」は若者が辿った運命の陰が色濃くにじんだ、思索的な作品だった。と、ひとからげには出来ない。それぞれに印象的な部分が多いが、それは先に残したレビューに託すとして、その後何作かの後にこの「幻影の書」が書かれている。

        四冊目に読了した「ムーン・パレス」は、詩を散ちばめような文章が、物語を語っている。
        そしてここにも、主人公のストーリーの中に、彼の運命に交わる新たな人生の物語りが入り込んでくる形になっている。
        中にはめ込まれた第二、第三の人物の物語がいつか彼に反映して、より自分をくっきりと見ることができる。という方法を取り入れてくる。 その作中にはめ込まれた人物の物語が、主人公の人生と周辺の人々の現在の時間に、じわじわと入り込んで、運命まで(良くも悪くも)狂わせてしまうことになる。
        そういった形式が、顕著になっている。

        この「幻影の書」では、彼(ジンマー)のストーリーであったもの彼の運命であったものの中に、ここではヘクター・マンといういう喜劇俳優の話がジンマーの生活に否応なしに入り込んて、彼の運命に重なる様子が、実に重く苦しい。ジンマーの苦悩は消化できずますます重みを増してくる、そしてヘクターとジンマーが生きていく(または生きてきた)悲しさが交わりついには取り返しのつかない狂気にまでつながっていく。
        暗い世界だったが、オースターのストーリー性が見事に発揮され、読まなくてはいられなかった。
        ヘクター・マンが撮った映画も、内容が詳細に書き込まれていて面白い。カメラアングルや照明技術その他細かい描写が作者の映画通を感じさせる。


        主人公はデイヴィット・ジンマーという。「ムーンパレス」で瀕死のマーコを探し出す友人の名前と同じだ。敢えてそうしたのか説明はない。
        彼とマーコは別れた後、時がたってウォールストリートですれ違い軽く挨拶をして、その後二度と会わなかった。

        暫くしてジンマーは教授になり愛する妻と息子か出来る。だが妻が両親に会いに行くので送った朝、二人が乗った飛行機が落ちて二人とも亡くなってしまった。どん底のジンマーは自殺を試みたが果たせず、光のない世界をさまよっていた。時が過ぎ、ふと夜につけたテレビで、サイレント映画の中でヘクター・マンという、喜劇俳優にはほど遠い、美青年が懸命に演技するのを見た、そのナンセンスな俳優とギャクの構成に思わず笑っていた。これが彼の苦悩の消滅のきざしを感じる前触れだった。
        へクター・マンが作った古いサイレント映画のフィルムはもう少ししか残っていなかったが、彼は寄贈されたと言う12巻を追って海を渡り「ヘクター・マンの音のない世界」という本を書いた。

        そこに美しい客が来る。死の床にあるあるヘクター・マンの招待だった。彼は何度も断り拳銃で脅され、ついに心の声に従ってヘクターに会いに行く。

        最後の作品を残して失踪したといわれるへクターは生きていて、まさにその生の灯火が消えようとしていた。
        ジンマーを迎えに来た女は、ヘクターの使用人兼当時のカメラマンの娘だった。
        彼女はヘクターの自伝を書こうとしていた。
        遠い道のりは女からヘクターの話を聞くのに十分だった。

        彼は、また映画を撮っていた。だが死後24時間以内に彼に関する全てを燃やしてしまうように遺言した。彼は今までの人生で償なわなければならない重いものを抱えていた。ジンマーはその映画が見たかった。しかしそれにまつわる話が様々に入り組み、ジンマーや周りの人々まで巻き込み。やがてそれは炎になる。
        ミステリならネタバレになる所だが、驚くような結末が用意されていた。




        随分前にDVDで「King of Kings」という、モノクロ、サイレント映画を見たことがあるのを思い出した。
        >> 続きを読む

        2016/07/18 by 空耳よ

      • コメント 4件
    • 4人が本棚登録しています
      ガラスの街
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
      いいね!
      • 今「ガラスの街」はニューヨーク三部作の第一作ということで記録されている。
        「孤独の発明」「鍵のかかった部屋」「ムーン・パレス」「偶然の音楽」「幻影の書」と読んできて初期の作品を二冊残していたのは、中篇であり初期に書かれたもので、先に読んだ作品で感じた、私の中の名作「孤独の発明」が次の作品がどういう形で受け継がれたかに興味があった。
        ただ既読の5冊の中には、共通する実態の掴みにくい孤独感が相変わらず座り込んで在り、それを包むように明晰で分かりやすい言葉が連なっている。
        次第にストーリー性は増し、明確な風景の中から物語が立ち上がってきている。そういう傾向に移行したのかと感じたのだが。
        ニューヨーク三部作の頃にはまだ主人公の回りは常に現実との境が曖昧で、存在自体も、本人にさえも見えない部分がある。
        主人公たちは、その見えない部分を自分や知り合った人たちの中に見たり触れたりしてして、鏡に写したように実感を得ようとしている。だがそれが次第に薄れていく。

        ストーリーは、夜中に間違い電話が何度も懸かるので、「ポール・オースター?」ときかれ「そうだ」と答えてしまう。
        実はダニエル・クインという探偵作家である、ペンネームはウィリアム・ウィルソンでありその陰に隠れていれば、エージェントとは私書箱を通しての付き合いで、顔を出すことがなかった。彼は半年間書き、余った時間を自由に暮らしてきた。
        間違い電話の主ピーター・スティルマンは子供のころ幽閉されていた過去がある障害者だった、世界に散見する研究対象で、誘拐されて見つかった子供のように、9年間、言葉や光のない部屋で育ち、父親に実験的暴行を受けていた、父が捕まっていた13年間は、今結婚している妻が教育してきた。父親が釈放される日が近いので殺されないように保護して欲しいと言う。
        彼は満足に話せない。

        --- これはいわゆる話すという行為です。そういう呼び方だと思います。言葉が出て宙に飛んでいって、束の間生きて、死ぬ。不思議じゃありませんか ---

        彼は電話を受けた手前会いに行く、j自作中の探偵ワークはもう架空の者ではなく、いつの間にか一体感を持っていたし、現在の状況は三人の人格が合体したものに感じられた。

        --- 探偵とは、全てを見て、全てを聞き、物事や出来事がつくりだす混沌の中を動き回って、これらいっさいをひとつにまとめ意味を与える原理を探し出す存在にほかならない。実際、作家と探偵は入れ替え可能である。---

        出所した父親らしい人物を見張り始める。安ホテルに泊まった老人はニューヨークを徘徊する。彼も後ろから歩いていく。何も怪しいそぶりもなく日が過ぎ。ついに彼は接触を試みる。老人は新しい言葉を作り出そうとしていた。彼は老人の意識を確かめるために話しかけるがもう既に過去のハーバードの秀才教授ではなかった。だが彼の知識の片片から生まれる物語は魅力的で、その奇妙な世界を聞きに何度も出会うようになる。

        --- ポー作品でデュパンはなんと言っているか?「推論者の知性を、相手のそれに同一化させる」ここではそれは、スティルマン父に当てはまる。おそらくその方がもっとおぞましい。---

        父親はかってヘンリー・ダークという名前で、過去にあったという楽園を作るために、乱れた言葉を元に戻すことを説いた「新バベル論」を書いていた。その小冊子を見つけて読んだ。

        赤いノートに日々記録しながらクインの尾行は続いた。
        赤い手帳に細々とした出来事まで書きながら見張っていたが老人が消えた。不審に思いホテルで聞くと投身自殺をしたそうだ。
        くクイン報告のため依頼者のスティルマン夫婦のところに行くと、マンションは誰もいない空室になっていた。
        クインはついに、ポール・オースターを訪ねる。彼は全く何も知らなかった。
        そして今書いているのは何かという問いに答えて、「ドン・キホーテ」論だという。
        これはセルバンテスの作ではなく元はアラビアで書かれ、セルバンテスは翻訳されたものを編集したので、そういうことは事実を語るのに疑いを挟ませない理由だと言った。そしてそれを読んだドンキ・ホーテは物語に魅せられた。しかし原作者のアラビア人というのは登場する四人の組み合わさったものではないか。m

        クインの部屋は他人が入っていた。彼は依頼者のスティルマンがいた狭い窓にない部屋で眠る。次第に彼が何もかも億劫になり、ついには消えた。

        オースターは友人にこの話をすると、友人はクインを心配して探してみたが、彼のいた部屋は赤いノートだけが残っていた。

        一人でいることは自由だと言うことだが、それが続くとクインはソローの本を探して読んでみたりするがソロー自由とは 違うと感じる。
        それでも過去にはウィリアム・ウィルソンであり、創作した探偵ワ-クであり、ミステリ作家のダニエル・クインであった。その頃は快い孤独感とともにニューヨークの町を歩いて楽しむことが出来た。
        だが、ふと電話に出て見知らないポール・オースターになり、書く事をやめウィリアム・ウィルソンからも離れてしまった、そのとき自分と一体であったものを切り離したあとの独り、孤独感、このクインとは一体何者だろうか。
        仕事だと思った老人の追跡が意味のないものになり、町は次第に陰をなくし、それに連れて存在も希薄になる。孤独というものの実感さえ浮かばなくなり生存するというkことが抜け堕ちてしまう。それがどんな意味があるのかとさえ考えることのないところに入ってしまう。究極の言葉によって形作られる見えない深い悲しみや空虚感が作品になっている。珍しい文学的な前衛だという言葉が分かる、初期ポール・オースターの作品だった。


        この形式とセルバンテスの部分は少し共通の部分もあるように思うがここまでにする。
        ポーとウィリアム・ウィルソンについても最後のほうに面白い記述があるのでオースターはそのことの意識もあったようだ。
        >> 続きを読む

        2016/07/25 by 空耳よ

      • コメント 2件
    • 5人が本棚登録しています
      最後の物たちの国で
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
      いいね!
      • ニューヨークが舞台になっている三部作の後、1987年、「ムーンパレス」の前に書かれた作品だが、少し趣が違っている。

        行方が分からない兄を探して船に乗った、アンナ・ブルームという女性が、瓦礫ばかりの荒廃した土地に降り立ちそこで暮らし、それを知人に書き残したと言う形になっている。手がかりは兄を知っていると言う男の一枚の写真だけだった。

        ここは、存在したものが絶え間なく消えて行くところ。「常に消滅していく、最後の物たちの国」だった。
        そこに入ると、気候までが定まらない、まるで生きた記憶が朧になり霞んでついに消えて行くような、思い出す過去もなく思い描く未来も忘れ去って、数少ない生きる選択肢のなかから、何としても生命を繋いでいかなければならないところだった。

        「アイアム・レジェント」という全てが崩壊した世界から始まる映画がある。それを見たとしても振り返れば何も変化していない日常がある。しかし、この非情な生き方を読んで、映画が作り物だと信じられるだけ、今と対比させて、なお。この小説には、何かが身近に起こりそうな嫌な予感を持たせる力がある。

        アンナの現実は食料を奪い合い、食べられるものは全て食べつくす、極寒の日も酷暑の中も、生きぬかなければならない。「飛び人」(自殺者)「這う人」「走る人」人は群れ、死さえ生きる源になり、金を持っているものは安楽死も出来るコースがある。様々に壊れた世界では人は狂っていく。わずかに残った秩序をわずかな人たちが管理し、政治体制は都合に合わせてコロコロと変わり、人を苛んでいる。

        アンナも、食べられるものは何でも食べ、拾った靴を履きぼろを身にまとう。老女と知り合って瓦解寸前にあるような建物に同居し、彼女の死を看取ったり、訪ね当てた写真の男と暮らしたり、妊娠中に襲われて高い窓から飛び降り一命を取り留めたりする。彼女の辿った日々が、最後に高価な(ぜいたく品は高騰している)ノートに書かれて 彼女の声が残される。

        行きぬくために汚物にまみれ地面を這うような生活の中で、一握りの最後の者たちを救うために、遺産を使い果たしつつ善行を施す人も、ついに資源が突き、破綻して消えて行く。

        町の中の石だらけの錯綜した道を彷徨するうち、足の裏に当たる尖った石までも気にならなくなるほどの心の痛み。飢餓、欲望、繰り返される暑さ寒さの中の人の脆さが、絶望感が、これでもかと書かれている。
        オースターの幻想的な世界にあった、自己と他者の醸し出す曖昧な境界線。交じり合った独特の孤独な世界はいつかこの土地に蔓延する孤独感、絶望感、危機感に、姿を変えて、実に鮮明に、感覚的に表されている。救いのないこんな世界を、体験しないまでもまだ近い過去に見たことがある。
        こうした、ひとりの育ちのいい女が踏み込んだ現実が、寓話的な迫力を持って迫ってくる。彼女の運命とともに、印象的な終末の世界がいつまでも心に残る。
        >> 続きを読む

        2016/09/07 by 空耳よ

      • コメント 4件
    • 1人が本棚登録しています

【AusterPaul】(AusterPaul) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(著者,作家,作者)

会員登録(無料)

今月の課題図書
読書ログってこんなサービス
映画ログはこちら
読書ログさんの本棚

レビューのある本