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小林洋一

著者情報
著者名:小林洋一
こばやしよういち
コバヤシヨウイチ
生年~没年:1941~

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      ラビの聖書解釈 ユダヤ教とキリスト教の対話
      カテゴリー:聖書
      5.0
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      • 非常に面白かった。
        目からウロコのことがたくさんあった。

        著者は、進歩主義ユダヤ教の世界的にも代表的な方で、私も二回ほど講演を聴き、質問をさせていただいたことがあるが、本当にすごい知恵で、甚だ驚嘆した。

        それで、この本も読んでみたのだけれど、想像以上に面白かった。

        モーゼの十戒について、その内的関連性を説き明かす箇所は、本当に目からウロコだった。

        また、何よりも衝撃的だったのは、アブラハムがイサクを神に捧げようとした、創世記の有名な箇所についての解説である。
        一般的には、アブラハムは信仰の模範者だとこの箇所をもって後世に受けとめられてきたが、ヘブライ語原文に基づく精緻な解釈により、全く別の解釈がここでは示される。
        つまり、アブラハムは神のテストに不合格だった、本当はこのような無体な命令が出された時に、それを拒否して、神との対話を始めることを神は期待していたのに、アブラハムは何も拒否も対話も始めず、ただ従おうとしてしまった、神はアブラハムほどの人でも人間の良心に限界があることを「知った」、という解釈である。
        詳細は本書を読んで欲しいが、一つの解釈として、非常に衝撃的だった。
        さらに、聖書本文の前後を詳細に考証した結果、長いユダヤ教の伝統では、一般的に少年のようにイメージされがちなこの出来事の時のイサクの年齢を、三十七歳と推定しており、それはとても納得のいく根拠が多数示されていたのだけれど、だいぶこの出来事のイメージが変わるという意味でも衝撃的だった。

        ルツ記に関しても、同様の出来事に対して模範的に振る舞うことにより、過去の過ちを「修復する」ものとして、ルツ記がユダヤ教の伝統では解釈されてきたということが、とても面白かった。

        第二部に収録されている、キリスト教とユダヤ教の対話についてのシンポジウムの記録も興味深かった。

        「宗教間での平和なしに国家間の平和はない。
        宗教間の対話なしに宗教間の平和はない。
        宗教のよって立つものを研究することなしに宗教間の対話はない。」(キュンク)

        「過去において、唯一神信仰の三つの宗教は、お互いの比較の中で自らを定義してきた。
        今は、お互いの関係の中で自らを定義することを学ばなければならない。」(マゴネット)

        「すべての真正の生き方は出会いであり対話である。」(ブーバー)

        「すべての真正な宗教的生き方は危険を冒すものである。」(マゴネット)


        という言葉も、心に残った。

        さらに、パウロの信仰義認説について、創世記十五章六節の、

        「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」

        と訳される箇所が、ヘブライ語原文だと、五節の子孫繁栄の神の約束について、「アブラハムは神を信じ、そしてそれをみなした、彼に対する、彼の義として」という文章になり、アブラハムの神への信頼についての文章であり、主語を神として義認したという文章は、一つの解釈としては成り立つが、ヘブライ語原文は他の解釈にも開かれている、あくまで主語はアブラハムとして語られているのがヘブライ語原文の当該箇所である、という話も、とても衝撃的だった。

        信仰義認説は、一つの解釈としては成り立つが、ヘブライ語原文に即する限り、直接的な根拠は創世記の中に明確にはない、ということになるのかもしれない。
        著者は慎重な言い回しで、礼節をもって寛容に答えているが、私には非常に興味深いことだった。

        聖書に興味のある方は、ぜひ読んでみると良いのではないかと思った。

        それにしても、キリスト教のみでなく、ぜひいつか、ユダヤ教と仏教の高度な対話も実現して欲しいものであると思う。




        (追記:十戒についてのメモ)


        モーゼの十戒は、あまりにも有名で、なんとなく知っているつもりになりがちである。
        あまりその内的な構造はわからなく、なんとなく箇条書きに禁止事項がリストアップされているものと思っていた。

        最近、ジョナサン・マゴネットさんというユダヤ教のラビの方の本の中に、十戒の解説があって、それを読んで、はじめて目からウロコで、十戒の本当の意味と内的な構造がわかった。

        やや不正確かもしれないが、以下にその内容をまとめる。

        十戒は、簡単に言えば、前から四番目と五番目の、安息日と父母を敬う規定を中軸にして、前三つが神について、後五つが人間についての規定となっている。

        神の世界創造の七日間をそのつど想起する安息日と、自分をこの世に産んでくれた親の恩を思う父母を敬う規定は、「時」と「場所」の恵みを思い出して生きることを示している。
        その二つを中軸にして、前三つと後五つの規定で、神と自分以外の人間を自分の道具にしてしまうことを禁じている。

        つまり、十戒は、自分の命の出所に感謝し、神や人間を尊重しながら生きていく生き方を勧めている。

        最初の三つが神について、最後から五つのものが人間についての禁止事項で、対照をなしている。
        その間の二つが、両者をつなぎ、時と場所の恵みを現わしている。

        後半の五つの人間に関する禁止事項は、一見、箇条書きで関連もなく、殺人と姦淫と盗みと偽証と他人の所有を欲することを禁止しているように見える。

        しかし、なぜこの五つの戒めが挙げられているのかというと、聖書においては、結婚した男女はひとつの存在とみなされる。したがって、一方への侵害はもう一方の人格への攻撃とみなされる。
        また、十戒における「盗み」(ガナヴ)というヘブライ語は、聖書の中で、人身を誘拐し売買する際にも用いられる言葉であり、ここは盗み一般というよりも、奴隷売買のようなことを禁じているとも読める。
        偽証は、その人の信望や名への攻撃であり、侵害である。
        さらに、聖書では、所有は単なる物というより、その人の人格の延長とみなされる。
        したがって、この五つは、どれも、「神の似姿」としての人間の人格と尊厳を尊重することを命じ、自分の道具とするために攻撃したり侵害することを禁じているという意味で、深く関連している。

        さらに、最初の三つの、神が唯一の神であることと、偶像崇拝の禁止と、みだりに名を呼ぶことの禁止も、一見ばらばらに箇条書きが列挙されているように見えるが、そうではない。
        偶像崇拝は、神の権威と力の否定であり、その意味で、唯一の神の尊厳や人格への攻撃とみなされる。
        みだりに名を呼ぶことは、何か自分の目的や願望を達成するために呪術的に神の名前を繰り返す、いわば神を人間の目的とするための道具化であり、したがってこれも神の尊厳や人格の否定やそれへの攻撃とみなされる。
        つまり、この最初の三つは、どれも、最後の五つが人間に対してそうであるように、神の尊厳や人格を尊重することを命じ、侵害しないことを命じている。

        真ん中の二つは、安息日は、かつてのエジプトにおける奴隷の単調な時間のパターンを破り、自由な時間のパターンとすることであるし、さらには神が世界を創造した七日間をいつも思いだし、記念することである。
        父母を敬うことは、自分の命の出所を覚え、感謝し、大切にすることである。
        この二つを軸にして、前三つと後五つの、神と人への尊重義務が展開している。

        さらに言えば、本当は、ヘブライ語の原語では、「十戒」は「アセレトハ・デブロト」であり、「十の言葉」と訳すのが正しいそうである。
        「戒」、つまり「何々をすべきではない」という命令ではなく、「神との関係に入っているのだから、これらのことをもはやしようとは思わないでしょう」という語りかけのようなもので、「きっと、あなたは殺人はしないでしょう。」「きっと、あなたは姦淫はしないでしょう。」といったニュアンスのものだそうである。

        なんとも、箇条書きの厳しい律法と思っていた文章の背後には、なんと深い精神と慈悲が湛えられているものかと、読みながら、甚だ驚嘆した。
        ユダヤ教の深い解釈の伝統は本当にすごいものである。

        イエス・キリストは、律法において最も大切な箇所は、心を尽くして神を愛することと、隣人を愛することだと述べた。
        まさに、十戒の深い解釈と一致している。

        結局のところ、人生は、この二つに至極するのだと思う。


        参考:ジョナサン・マゴネット『ラビの聖書解釈』(新教出版社)第一章


        なお、十戒の本文は以下のとおり(新共同訳)。

        「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
        あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
        あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
        あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
        わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
        あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
        安息日を心に留め、これを聖別せよ。
        六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
        七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
        六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
        あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
        殺してはならない。
        姦淫してはならない。
        盗んではならない。
        隣人に関して偽証してはならない。
        隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」
        (出エジプト記 第二十章より)


        「イエスはお答えになった。
        「第一の掟は、これである。
        『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
        心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
        第二の掟は、これである。
        『隣人を自分のように愛しなさい。』
        この二つにまさる掟はほかにない。」
        (マルコによる福音書 第十二章)
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        2013/06/29 by atsushi

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