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森達也

著者情報
著者名:森達也
もりたつや
モリタツヤ
生年~没年:1956~

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      職業欄はエスパー
      カテゴリー:超心理学、心霊研究
      3.5
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      • かつて「超能力」がブームとなった時代にマスコミにもてはやされた「超能力少年」たちのその後の人生と人間的すぎる素顔。子供の頃は映画やマンガの影響で「超能力」に憧れたこともあったけど、いいことばかりじゃないんだね。 >> 続きを読む

        2012/08/06 by emily

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      下山事件
      カテゴリー:刑法、刑事法
      5.0
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      • 一時期下山事件にはまっていた時に読んだ一冊。下山事件自体よりもそれを追ったドキュメンタリーを制作している著者らの気持ちの移りが描かれている。 >> 続きを読む

        2011/02/22 by hirokoshi

      • コメント 1件
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      放送禁止歌
      カテゴリー:声楽
      3.5
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      • 【一体どこがいけないと言うのだろう?】
         本書は、著者がフジテレビで『放送禁止歌』についてのドキュメンタリー番組を制作した際の様々な事柄を綴った一冊です。
         『放送禁止歌』というものがあることは事実です。
         ですが、誰が、どのようにして、どんな基準で決めているのでしょうか?

         著者は、当初は、民放連が規制しているのではないかと考え、民放連に取材を申し込みました。
         確かに、それらしい物はあるそうなのですが、それは正確には『要注意歌謡曲指定制度』というもので、しかも1983年に最後の指定が行われて以降、現在は指定していないのだとか。
         また、指定されても5年を経過すると指定から外されることになっているそうなのです。
         ということは、現在指定されている曲は一曲もないということになります。
         また、この指定には強制力はなく、あくまでも各放送局が放送するかどうかを検討する際の参考、ガイドラインとしての意味しかないというのです。

         ところが、著者も含めて、マス・メディア側は当然のように『放送禁止歌』というものがあるのだと頭から決め込んでおり、一体どの曲が禁止されているのかという明確な意識も持たないまま、何となく多くの曲を放送禁止扱いにしているというのが実態らしいのです。

         放送禁止とされてきた曲は、例えば反体制的な歌詞を含んでいたり、被差別部落に関する歌詞だと解されたり、わいせつな歌詞と判断された曲のようなのですが、これも十分検討された上で規制しているわけでもなさそうなのです。
         例えば、高田渡の『自衛隊に入ろう』という曲が放送禁止指定を受けていると思われていたそうなのですが、その理由がよく分かりません。
         自衛隊側からの抗議があったのかと思えばそういうこともなく、むしろ自衛隊側からは自分たちの歌として正式に採用したいとのオファーがあったというのです(実際には自衛隊をおちょくっている歌なんですけれどね)。
         そして、先ほどの『要注意歌謡曲指定』にはこの『自衛隊に入ろう」は指定されていないんです。
         じゃあ、誰が、いつ、何の理由でこの曲を放送禁止にしたのでしょう?

         さらに、この『要注意歌謡曲指定制度』は、注意の度合いによってA~Cまで3ランクに分けて指定しているんです(A:放送しない、B:メロディは使用しても良い、C:不適当なか所を削除または改訂すれば使用して良い)。
         ところが、何故指定されているのかその理由がよく分からない曲も見られます。
         例えば、101ストリングスというポップス・オーケストラが演奏する『恋はみずいろ』が指定されているのですが、これってあのポール・モーリアの曲のことですよね?
         しかもB指定なんだけれど、そもそもこの曲に歌詞ってあるんですかね?
         あるいは別の曲のことなんでしょうか?

         また、さだまさしの『聖野菜祭』(セント・ベジタブル・デイ)と『朝刊』も指定されています。
         『朝刊』は、おそらく、「ねえまた巨人が負けたってさって。高田の背番号も知らないくせに。」の歌詞が引っかかったんですかね?
         でも、『聖野菜祭』は何故駄目なんだろう?
         「人に野菜持ちって言われたいね」辺りの歌詞が貧富の差を歌っているとでも解釈されたのでしょうか?
         はたまた、山下達郎の『Yellow Cab』も指定されているのですが、理由が分かりません。
         まさか人種差別の歌だとでも考えているのでしょうか?

         冒頭に書いたドキュメンタリー番組が完成した後、著者はさらに調査を続けます。
         ここで取り上げられるのは赤い鳥の『竹田の子守歌』です。
         この曲、音楽の教科書に載っていましたよね。
         ところが、ある時期から放送禁止扱いになっているんだそうです(先ほどのリストには指定されていないのにですよ)。
         何故放送禁止扱いになっているのか、当時の資料を調べたところ、歌詞に出てくる『在所』という言葉が被差別部落を指す言葉だと解釈され、そんな曲を放送すると同和側から糾弾されるのではないかとおそれて自主規制したようなのです。
         でも、同和側からは何も抗議等はされていなかったようなんですね。
         放送局が自分たちで勝手に禁止扱いにしたわけです。

         しかも、『在所』という言葉が本当に被差別部落を指しているかどうかも、実はあまり確かな話でもないようなのです。
         確かに、竹田地区では被差別部落を指す言葉として『在所』という言葉を使っているようなのですが、この曲は竹田地区以外でも広く歌われていたそうで、大阪では『在所』という言葉にそのような意味は無いというのです。
         さらに、歌詞をよく読んでみると、被差別部落という意味だとするとちょっとおかしな歌詞になるようにも読めます。
         この曲は、確かに被差別部落をテーマにした曲ではあるものの、直接の規制の引き金になった理由は、どうやらあんまり確実な理由でもなかったようです。

         その他にも、放送局の人たちが『網走番外地』の歌詞をじっくり見たところ、何故この曲が放送禁止扱いになっているのか分からなかったなんていう話も出てきます。

         著者は、マス・メディアに関わる者が、明かな理由もなく、無批判に、ただ保身のために様々な曲を自主規制してきたのではないか、それは大変恥ずべきことであると主張していますが、同感です。
        >> 続きを読む

        2019/08/27 by ef177

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      A(エー)3
      カテゴリー:刑法、刑事法
      4.0
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      • 先月実家の近くでオウムの指名手配犯が見つかった。
        けれど、特に恐怖を感じるでもなく、家族の間でもワイドショー的な消費をしただけで次第に興味が失せていった。それはそれらの報道が自分にとって既に処理されていた情報の繰り返しに過ぎなかったから。


        著者の森達也は、地下鉄サリン前、オウム真理教が危険な組織だと社会で取り沙汰されていた時期にTVディレクターとして実像を探るため潜入取材を行い、会社側から取材内容がオウム寄りと見做されたために番組化を断念して映画にした。
        その作品「A」は当時それなりに話題を集め、自分なりに関心はあったものの、「社会からドロップアウトしたエリートの肥大化した自我の暴走」というマスコミの落ち着け方に同意したことで徐々に興味が薄れ、結局観ることはなかった(もちろん、その続編の「A2」も)。


        という訳で、今回多少の感慨を抱きながら「A3」を読んでみたのだけれど、恣意的だったり強引な読みだと感じたりするところはあったものの、客観を装わず、事実と主観を区別した情報提供を誠実に行おうとしているように感じて好感が持てた。

        そんな著者の本書を通じた主張は以下のようなもの。
        ・オウムの犯罪は犯罪としてしっかり裁かなければならない。
        ・ただし、オウムを正面から消化しないことはオウムを産んだ社会の毒を拡散させることになるので、何故それが起きてしまったのかをできる限り検証し社会に還元すべき(信者の入信動機自体は毒どころか、とてもピュアなケースが多いようだが、何故それが毒に変化したのか。。)。
        ・ところが司法やマスコミの対応はこの事件を矮小化し、ステレオタイプなスティグマ化させることに終始している(著者からすると、普遍性を導き出すための位相が低すぎるようだが)。そして、そうなっている原因の一つは民意がそれを求めているから。
        ・しかし、オウムをただ異物化したことで社会の構造は確実に変わっており、速度を増してマイノリティが生きにくい日本になってしまっている。


        著者は自己陶酔を合間に覗かせながら(お蔭で主観的に語られている可能性を念頭に置きながら読むことができた(笑))、知られざる様々なエピソードをもってオウムの中のまさに日本的だといえる部分や、人間の普遍的な要素を見出し、日本社会の合わせ鏡としてのオウムを静かに提示していく。そして、オウムを見つめないで済ますことで無自覚的に自壊していく日本の善なる意識やシステムと、そこに新たに構築されている世界を対比して、そうなることが望ましいことだったのか自問させる。

        読み進める中で、健全な民主主義を成り立たせるため(というと大上段に構えたような感じになるけれど)に必要な要素として、マジョリティがマイノリティの意見を汲む体制を持ち、一定の権利を保障することが挙げられることが思い出された。
        そういう意味では、マジョリティ=社会としてマイノリティを埒外に置くのではなく、マイノリティ、そして悪をなしたストレンジャーをも含めて一つの社会と見なせる視座を個人と社会が持ち続ける努力が必要なのだと思う。

        個人的には著者の視点に同意していて、社会が毒を生み出したのならばどんな毒なのかをしっかり分析し、それを生み出した原因を改善すべきなのだと思う。
        ただし、社会の構造自体が必然的に毒を生む仕組みになっており、その構造で利益を得ている立場を想定すると、毒が自らに向かう可能性があるならともかく、上手く処理できる手法が見つかれば従来の構造を強化することはあれど変化させる理由はない。
        また、マイナスや悪や弱を切り捨ててポジティブに生きることがこの社会のトレンドだと想定し、それはそれで幸せであると認めると、本質的にストレンジャーは存在する価値がなくなる。もしその立場で「共生」が実現したとして、虚栄心に基づいた道徳による「施し」的要素が発生することは免れない。


        と、読み進めてどんどん青臭い気持ちになってきたせいか、末端信者に全く責任がないとは言えないけれど、マジョリティがストレンジャーを組み込むことの本質的にポジティブな意味を提示、発信できていたならオウムも本当に優れた宗教とみなされていたのだろうし、そういうことをこそ探究したかった人がいたのではと夢想して悲しみを覚えた。
        そして、人間も集団も憎む相手に同化していくことがあるのだと強く思わされた。
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        2012/07/12 by Pettonton

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