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反人生

4.0 4.0 (レビュー1件)
著者: 山崎 ナオコーラ
定価: 1,512 円
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    「反人生」 の読書レビュー (最新順)

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    • 評価: 4.0

      「人生作り」には興味がない。
      流れる季節を感じるだけで、世界は十分面白い。

      夫を亡くしてひとり暮らしの荻原萩子・五十五歳が抱く、バイト仲間の年下女子・早蕨へのときめきと憧れ『反人生』。
      世界を旅する寅次郎、ユーモアのセンスあふれる桃男と、そんな男友だちから新たな感覚を学ぼうとする大沼の行く末は『越境と逸脱』など、男と女、親と子、先輩と後輩、夫と妻。
      無意識に人々のイメージに染み付いている役割や常識を超えて、自由でゆるやかな連帯のかたちを見つける作品集。

      中編1本、短編3本。
      表題作『反人生』が2013年12月号の「すばる」誌に、他3編も同じく「すばる」誌に掲載されたものですが、後半の2編はいずれも今年に入ってからの掲載ということで、表題作とは1年以上創作の時期的な差があります。
      単行本としたときにタイトルに採ったほどですから『反人生』には、近著よりも著者なりの思い入れがあったのでしょう。
      当時の山崎さんの人間関係に対する不信さを表した作品と、最近は少し落ち着いてこられたかデビュー当初の柔らかみが復活してきている近著と、比較できる楽しみもあり、読後感も実に山崎ナオコーラさんらしい小説を読んだと実感できたものですから、評価を高めにさせていただきました。

      表題作はともかく(こちらはナオコーラ作品を複数作品読んだことがある方は大丈夫かと思います)、今年書かれた後半2編(『越境と逸脱』、『社会に出ない』)は、ナオコーラ未読の方にもおすすめできる秀作です。

      とにかく山崎ナオコーラという作家さんは、人間関係の機微、自己と他との距離感といったものに敏感すぎる触覚をお持ちの方です。
      歳を重ねるごとにそういった人間関係に対する自分なりの尺度というものに社会的正当性を与えたくて、結局、社会に馴染まない自己というものの在り方が現行社会のどの位置にいるのかを、何とかして言葉を必死に連ねて叫んでいます。
      特に表題作など、もう、僕には叫びにしか聞こえません。

      55歳の寡婦・荻原萩子はひとり暮らしのマンションで呟きます。

      「人生作りには、興味がない」
      人生などとという下卑たものは五十五年間一切織り上げてこなかったし、これからも決して制作しない。一歩だって進むものか。かといって、立ち止まって自分というものを深く知っていこうという野心もない。内面を掘り下げるなんてばかのやることだ。
      ぱっと目を見開く。
      「むしろ世界を作りたい」
      どうせ頭の外には出られないし、他人と世界を共有することはできない。だったら自分の頭がどう認識するかに集中するしかない。そして頭の中の世界は作れる。
      「外界があることを証明できるものは、頭の中には作れない」

      萩子は、夫の遺してくれたもので生活には何の苦労もないのですが、レストランのホールスタッフとしてアルバイトをしています。
      そして、そのアルバイトの先輩にあたる早蕨(さわらび・女性)に恋しています。
      萩子は上記のような人生観をもっているものですから、早蕨に対する恋心を具体化しようとか、どういう形にせよ生き方に反映させるというようなことを決して思っていません。
      素敵だな、とか、綺麗だなとかいう恋慕だけで充分というわけです。
      萩子は、人生に対しては全く興味が無いのですが、長生きには拘泥しています。
      少しでもたくさんのものを、その目で見るために生きるということをやり続けてやると、強く願望しています。
      物語は、そんな萩子の内面の吐露に終始し、その間に早蕨の結婚があり絶望し、早蕨の結婚式をめちゃくちゃにしてしまい(そのくだりの詳細は作品中には出てこないのですが)、ふたりしてアルバイトをやめいちどはわかれわかれになるのですが、再びの邂逅、神戸への旅行と続きます。

      どこからどこまでが「友達」なの?
      どの関係からが「恋愛」という関係性で、「結婚」っていう契約には、「恋愛」を終わりにさせる儀式や決まりはあるの?
      あなたと私の関係というのは社会でいうところの、どういうくくりにまとめられるの?
      鬱陶しいくらいにナオコーラさんは人間関係について考えます。
      表層の部分と内面のギャップを埋めようともがいているのか、人恋しい、なにものかに属したいという欲求を持つことが普通だというのに、自分にはそれが無いから恐ろしいのか。
      逆に、持ちすぎるが故に気恥ずかしいのか。
      そんな俗っぽいものをたいそう大事にしている自分を、無意識に隠そうとしてしまっているのか。
      ここらあたりのナオコーラさんの中の逡巡を楽しみつつ、共感しつつ読めれば楽しい作品であると思います。

      登場人物のうち、女性のネーミングをわざと滑稽なものしているのにも何か拘りがありそう。
      木綿さん(『T感覚』)、縫子と海苔世(『社会に出ない』)。
      きちんとした人格を持った登場人物は、わざと苗字だけで登場させます。
      だから、最初は男性なのか女性なのか判らず、混乱することもあります。

      人間関係といえば、本作のなかで“3人いる楽さ”について言及している部分が2カ所ほどあったので紹介します。

      「二人でお手洗いに席に立って、ひとりを長く放っておくなんて、ちょっと失礼よね」
      歩きながら、萩子も首を傾げた。
      六十代、七十代のご婦人方の集いに出くわすことは、街中でも旅先でもよくあるが、萩子が見てきた限りでは、そのほとんどが三人組だ。
      どうしてそうなるのか。想像するに、二人で出かけると相手に気を遣って大変だが、三人だとひとりに対する接客を二人がかりで行うことができるから楽なのではないか。それと、二人だと意見が対立することがあるが、三人だと平均的な意見をなんとなく定めての行動となり、調和が保ちやすいのではないか。四人になると、意見が多すぎて纏まり難いし、自然と二人組に分かれてしまうこともある。「三」という数字が、年配女性の食事や旅行などにぴったりなのではないか。
      (『反人生』)

      人間関係の基本は、一対一だ。
      だからこそ、一対一で人と向き合わなければならないとき、とても緊張する。そして二対一で話すシーンでは、リラックスできる。自分の持つべき負担が半分になったように感じる。もしも相手のことを楽しい気分にさせることができなかったとしても責任をひとりでしょい込まないで済む。友だちと二分の一ずつ持てば良い。「対話」と「わいわい」はまったく違う。
      もちろん、がっつりと深く仲良くなりたいとき、しっかりとした絆を結びたいときは、二対一で臨むのは得策でない。がっぷりと、ひとりひとりとして、組み合わないとならない。
      (『越境と逸脱』)

      一対一と、二対一の人間関係をここまで深く考えながらつき合っているのなら、もう面倒でひとりでいいや、とならないのがナオコーラ。
      結局、孤独が怖くて、でもどちらかというと孤独を欲している自分を、一生懸命に矯正しようと努力しているのです。
      その手段の一として、三人という数字であれば円滑な人間関係を築きやすいと気付いたものと思われます。
      こういう体裁を気にしつつ真実の関係を求めてゆき、相手としてはナオコーラの(主人公の)心根は実は見えていて、指摘されて愕然とする…というパターンは、ナオコーラさんらしい形式です。

      とにかくメンドクサイ人間の思考回路を文章にして、作品を成立されていらっしゃっているので、何の感慨も湧かない方はいらっしゃると思います。
      同じようにメンドクサク考えつつ青春を送ってきた方、今まさに送っておられる方には、圧倒的な支持を受けるものと思われます。
      かくいう僕もそのひとりです。
      ただ、僕の場合、もう面倒でひとりでいいや、という人です。
      二人だろうが、三人だろうが、気を遣うくらいならひとりがいちばん。
      早々に社会や、人生から、他を排して、ひとりの世界を愛するものです。
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      2015/11/26 by

      反人生」のレビュー


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