こんにちはゲストさん(ログインはこちら) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト →会員登録(無料)

鹹湖―彼女が殺された街

4.0 4.0 (レビュー1件)
著者: 鳴海 章
定価: 2,160 円
いいね!

    「鹹湖―彼女が殺された街」 の読書レビュー (最新順)

    最新のレビュー順 | 人気のレビュー順
    すべてのレビューとコメントを開く
    • 評価: 4.0

      東京の春は寒い。
      大久保のホテル街、雑居ビルで女の死体が発見された。
      管理職を務める身でありながら、ホテトル嬢をしていたという。
      妻との関係や職場の問題など、中年の悲哀にみちた日々を過ごしていた新聞記者・上沢広之は、事件に興味をひかれてゆくが…。

      東電OL殺人事件をモチーフにした、社会派小説です。
      謳い文句は「社会派ミステリ」なので、期待したものと違うと感じた方の評価は低いようです。
      読んでみると、本作は「ミステリ」ではありません。
      東京という街で、エリートととして生き、そして娼婦として死んでいった女性の悲哀を、新聞記者・上沢の視点を借りつつ、著者なりに丁寧な筆致で描いた純然たる社会小説です。
      また、非常に良作です。

      著者の作品を過去に『鬼灯』のみ読んだことがありますが、作風や文章が僕の肌に馴染むようで、しばらくぶりにそういう作家さんに出会えたことで少し興奮気味です。嬉しくて。

      東電OLの代わりに都市銀行管理職OLが、アパートの一室の代わりにホテル街の空き事務所の一室で、扼殺され、一報を発信する記者会見の場面から物語は始まります。
      事件を通して、一貫して無味乾燥な都会の現実が淡々と綴られます。
      上沢は事件に強い興味を持ちますが、同時に同僚記者たちの事件をスキャンダラスに仕立てようという報道姿勢に反感を持ちます。
      被害者の過去を面白おかしく暴露するような記事を否定するあまり、社内で孤立し、担当を外されます。
      一方で上沢は家庭生活もうまくいっておらず、妻の不貞を知りつつ、仕事にかまけて帰宅もまちまち。
      仕事も家庭も、順調と言えない状況の中、上沢の中にはいつしか
      「ジブンノジンセイガマチガッテイタ」
      という自問とも、女性の心境ともわからない言葉が木霊のようにくりかえし聞こえるようになるのでした。
      そして上沢は、自分と同年代だった殺された女性に強烈に感情移入していきます。
      独自に事件を調べた、上沢は、最後に殺害現場に立ち、殺された女性の慟哭と、東京と自分の人生に抗い続けたその生き方に呆然と立ち尽くすのでした。

      なぜ上沢がこんなにも事件に没入してゆくのかを、上沢自身「被害者のOLが同年代だったから、同じように同じ時代を同じ街ですごしただろうから」という曖昧な理由で語ります。
      上沢自身もその理由がほんとうなのか自問自答を繰り返すのですが、被害者の夜の顔を調べるために、実際にホテトル譲を呼び、取材をする過程で逆に指摘されることになります。
      上沢(=著者)は赤裸々に本心をぶちまけます。

      「どうしてキミカさんにそんなに興味があるんですか」
      「一つには、殺された彼女とぼくと年齢が近かったてことかな。それに彼女もぼくも地方出身者でね、ほとんど同じ時期に東京に出てきて、たぶん同じように都会に打ちのめされたと思うんだ。その彼女がどうして…」
      上沢は眉間にしわを刻んだ。語尾が力なく消えていく。
      「売春に走ったか」アイカが引き取ってうなずく。
      「私みたいに学校もまともに出てない女なら、水商売で働いたり、躰を売ってても不思議はない。だけどキミカさんみたいにちゃんとした大学を出ている人がこんな商売をしているのは不思議。そういうことでしょ」
      「いや」
      否定しかけたが、結局、言葉に詰まってしまった。アイカの言うとおりだった。キミカとアイカの生い立ちを並べたとき、知らず知らずのうちに、どちらが上、どちらが下とみている。上沢の内側には、人の優劣を出身校や偏差値で決めつける価値観があった。
      職業に貴賤なし、法の下の平等、基本的人権の尊重といくらでも言葉は浮かぶが、言葉はしょせん言葉に過ぎず、実体をともなった、血肉となった感覚にはほど遠い。
      もし今回の事件で殺されたのが、中学しか出ておらず、故郷を飛び出して水商売、風俗産業と流れ流れたアイカだったら、上沢の関心を引くことはなかったかもしれない。

      また、上沢は取材中に殺された女性の写真を持っているという男にあたります。
      この男の登場は、現実社会の厭らしさや醜さを端的に表現しています。

      上沢と名刺交換をすませるなり、蒲生は上沢の社にいる新聞記者たちの名前を挙げはじめた。中にはすでに定年退職した者もいれば、取締役や経済部長、社会部長、デスクの名前も次々に出てきた。
      彼らと昵懇だといいたいらしい。

      こういう類の男が、まだ僕ら現役世代の上に君臨しているのを実感として感じています。
      唾棄すべきこの類の男たちの常套文句はいつも同じです。
      凄いことを成し遂げたあの人は俺の友人だから…
      だからなんだというのでしょう。
      糞みたいな世代の代名詞のような、この類の男たち。
      この世代のとりわけ男たちが日本をおかしくしたと思っています。

      日刊紙が書かずとも、テレビや週刊誌は、格好のネタとばかりに事件を書きたてます。
      ひとりの女性の光と影。
      凋落したエリートを社会は妬みと嫉みに塗れた喝采で囃し立てます。
      上沢はただどうしようもなくやるせなく、途方に暮れます。

      立ち止まった上沢は、武道館を取り囲む木々に目をやった。
      かすかな風にそよぐ葉は陽の光につらぬかれ、葉脈を透かしている。桜はいつの間にか咲いて、気づかないうちに散り、今年もまた花見にいく機会もないままに終わった。
      ビールだけでしたたか酔い、散る桜花のはかなさにふと涙ぐみそうになったのは、もう何年前のことか。酒宴にひとり、まるで別世界でただよっていたことを思いだす。
      それほどまでに思い入れしていた桜なのに、今年の春は、ついに一片の桜に気づくことすらなかった。
      ふだんならどうといって気にかけないくせに腹立たしかった。
      ひとりの女が死んだ。ただそれだけのことだ。それでも桜は咲いて、散っていく。

      あまりに騒がしすぎるのです。
      現実の壮年期の人生は。
      情緒を感じる感性を失うことを、強くなることと混同してしまうことに嫌気がさすことができるだけ、まだいいのかもしれません。
      僕などは混同したままで、それを受け入れることで現実に適応した気になっています。
      たとえば、ふとした涙を尊いものと、気恥ずかしくなく思える生き方を、選ぼうと思えば選べたはずでした。
      これから選びなおすには、それだけの勇気も体力も、実際には無いのです。

      上沢は物語の終盤にきてもなお、自分の中に、事件への執着の理由を探します。
      きっと本作を流れるテーマはそこにこそあるのだと思いました。

      「なぜ上沢は、ありきたりな、悲しい女性の死を思いつめるのだ」

      上沢は、ひとりの女性の死を通じ、現代社会が日々生産している歪みや矛盾に、とうとう我慢ならなくなったんだと思いました。
      センチメンタルな感傷を気取るのは、それが簡単だから。
      上沢という人間の底流に、確かに怒りがあることを感じます。

      「ひょっとしたら、お姉さんと自分の人生を重ねていたのかもしれません。高校を卒業して東京に出てきて、何かを求めていた。でも、気がついたら歳を取っていただけで、自分が求めていたものからは遠ざかる一方、自分の人生が間違っていたんじゃないか、と焦燥に駆られる始末です。だから、お姉さんが求めようとしていたものがわかれば、大げさにいうと、自分の人生を取り戻せるかも知れない、あるいはそこまでいかなくとも、自分の人生を考え直す手がかりが得られるかも知れないと思うようになったんです」

      確かにミステリ要素は無いに等しく、物語の展開も遅々として進まず、奇想天外や驚天動地は望むべくもありません。
      僕は本作を、その方向から評価してはいけないと思います。

      仕事と私生活、両方で抱えるだけ抱えて、背負って、日々の自分に疑問を抱きつつも、来し方を戻れない。
      著者は本作を通じて、どうにもならない人間の寂寥を捉え、見事に小説として昇華させています。
      自分の心中の葛藤と相まって心地よい余韻とはいきませんが、漠々たる胸騒ぎにも似たざらついた手応えを残します。

      非常に良い読書になりました。
      素晴らしい。
      >> 続きを読む

      2014/09/18 by

      鹹湖―彼女が殺された街」のレビュー

    • >chaoさん

      いつもコメント、ありがとうございます。

      読んだ勢いに任せてレビューを書きましたが、30分くらいかかってしまいました(笑)。
      仕事せえよって感じです。
      確かに若いうちに読んでも?という感想しか浮かばないかも。
      中年男のもがきとか硬派っていうのは、滲んでくるものですからね。
      なんちゃってですね。
      >> 続きを読む

      2014/09/19 by 課長代理

    • >hiyokoさん

      hiyokoさんに「読んでみたい」と感じてもらえたのだとしたら、嬉しいです。
      お読みになられた後、男の人のみっともない姿にどういう感想をお持ちになるか、楽しみでもあり怖くもあります…
      >> 続きを読む

      2014/09/19 by 課長代理


    最近この本を本棚に追加した会員

    この本に関連したオススメの本

    取得中です。しばらくお待ちください。

    鹹湖―彼女が殺された街 | 読書ログ

    会員登録(無料)

    今月の課題図書
    読書ログってこんなサービス
    映画ログはこちら
    読書ログさんの本棚

    レビューのある本

    最近チェックした本