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末裔 (新潮文庫)

3.0 3.0 (レビュー1件)
著者: 絲山 秋子
定価: 594 円
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    「末裔 (新潮文庫)」 の読書レビュー (最新順)

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    • 評価: 4.0

      今日はクリスマス。
      今年も残りわずかという日に、とても面白い小説に出会いました。
      大好きな絲山秋子さんの長編です。
      初出は『群像』誌で、2009年9月号から2010年8月号に亘って、連載されていたものです。
      それを2011年2月に講談社さんから単行本化し、さらに、2014年4月に新潮社さんが文庫化したものです。

      鍵はあるのに鍵穴が見当たらなくなってしまった自宅玄関。
      58歳、公務員・富井省三は、ある夕刻、帰宅したところ自宅から閉めだされた格好になり、戸惑いを隠せません。
      玄関脇から庭へ抜ける隣家との境界には、長い時間をかけて溜ってしまった粗大ごみの山が。
      途方に暮れる省三は、息子の朔矢に電話し相談を持ちかけるのですが、息子にしたところで既に家庭もち、鍵穴が無くなって悄然としている父親に親身になってあげられるほどの余裕はないのです。
      省三には梢枝という娘もいますが、4年前に妻の靖子が膵臓癌で他界した後、腑抜けのようになった父親を見限ったものか、ある日、メモ一枚を書置きに行方知れずになっていました。
      省三は、それ以来ひとり暮らしです。
      定年を間近にした役所と、自宅の往復の繰り返しの毎日。
      何をやるにも熱意がなく、掃除もしない家は汚れてゆくばかり。
      無意識に帰宅を拒んでいる自分がいたのかもしれません。
      省三は、仕方なく夜の新宿を彷徨います。
      薄暗いカウンターだけの呑み屋で日付が変わるまでをやり過ごし、ラストオーダーの声に店を追い出された省三は、自ら占い師と名乗る健康的な若い男性に声を掛けられます。
      変態じゃないのか?と訝しむ省三でしたが、結局、彼の善意で紹介してくれたビジネスホテルにチェックイン。
      とりあえず、その日の寝床を確保するのですが…。

      このあたりまでの序盤、結構、ファンタジックな出来事や描写が続きます。
      僕は、村上春樹さんを受け付けないので、似たような雰囲気のこの序盤で、本書を読み進めるにあたっての不穏な空気を感じていました。
      しゃべる犬だの、時空のねじれだの、鍵穴が消えたドアだの、深更の新宿で登山から帰ったばかりのような肉感的な若い男性と出会い、彼が閉まったシャッターの前でハンディタイプのコンロで沸かしたお湯で作ったインスタントコーヒーを呑む…なんて、どうしたって僕の好みじゃない。

      物語が、俄然、面白くなるのは、省三が大好きだった亡き伯父のことをふと思い出し、その住まいである由比ヶ浜をあても無く尋ねる中盤以降です。
      タイトル『末裔』に込められた意味、著者の思索の展開、日本人であれば誰しもが持つノスタルジーを喚起させてくれるような優しく滑稽味溢れた物語が、小説の名手の腕によって紡がれます。

      省三がなぜ突然自宅に入ることができなくなったのか、伯父のいない伯父宅の暗がりの中で物思いにふける省三がいます。

      …教養というのは理念さえあれば気取ったものでもなんでもない。
      外国語はコミュニケーションのをとるために使うものというよりも、その国で長い年月の間に培われた考え方、哲学を発見するためのものだった。ましてや外国旅行のためのツールや、出世の道具なんかじゃなかった。だからあんなに苦労して、物のない時代から洋書を手に入れて読んでいた。
      物理だって歴史だって漢文だってそうだった。文系とか理系とかではなく、上の世代は学問全体が好きだった。分野を超えて広がっていく知識は伯父という人間、祖父という人間の根本と結びついていた。
      俺にはそんな根本はない。そんな能力もない。努力もしなかった。
      大人になってわかった。
      自分はインテリではなかったということだ。知識の量なんかでは計れないがやっぱり絶対量も足りない。そして俺には哲学がない。話題の選択における独特のセンスも持っていない。
      姉や弟は、俺より確かに頭はいいかもしれないが、決して父や伯父、祖父のようにはなれない。あんなふうには喋れない。
      富井家の末裔は堕落した。
      俺だけじゃない、日本中の知識人の末裔が堕落したのだ。
      だが、それはなぜなんだろう。
      無責任なようだが、不思議に思う。

      ここで言われる省三の上の世代というのは、太平洋戦争の最中に青春を送っていた世代と、それ以前のすべての世代をさしているようです。
      ですから、僕から言わしてもらうと、僕の祖父世代のこと。
      省三の述懐は、僕の父世代の述懐です。

      省三は伯父宅で図らずも、音信不通だった娘・梢枝と再会します。
      彼女との会話の中で、更には事ある毎に書き連ねる亡き妻への届かぬ手紙の中で、省三はまた“世代の繋がり”について考えます。

      …午後の遅い時間、省三は材木座海岸にいた。
      あれこれ、一人で考えたくなったのだ。
      サーファーたちも、親子連れも、黄色っぽい太陽も、とんびも、何もかもが遠のいていくように感じる時間だった。長くのびた影だけが省三とともにあった。
      靖子が「あの子は自分のことしか興味がないんだから」と言っていたのを思い出す。
      しかし、梢枝の世代はみんなそうなのではないだろうか。
      役所の若いやつと飲みに行って、なにか釈然としないものを感じていたのはそれだったのかもしれない。自分自身のためにタテの繋がりを求めている。話すのも自分のことばかりだ。話を聞いて相槌を打ってくれる年上の人間を求めているのだろう。公共性はないが計算高いところはある。それは利己的というのとも違うのだ。違和感を感じるにしても、省三は若い者に声をかけられるのが嬉しかった。やはり、俺はさびしいのだろうか、いや総じてオヤジというものはさびしいものなのだ。
      自分たちの世代は、若い頃もっと、社会と密接に繋がっていたと思う。繋がるもなにも、あの学生運動に翻弄されたのだ。事の本質がどうかということではなく、ノンポリを決め込んだ自分だってあの現象の尻馬に乗ったわけだ。あのときは関わらざるを得なかった。あの激しさを拒否するやりかたなんてなかった。俺の時代は学生運動が、戦争の代わりだったのかもしれない。

      絲山さんの別作で、僕がとても好きな小説に『海の仙人』というのがあります。
      これも、現代社会の喧騒に嫌気がさした男が、日本海側の海岸に棲みつき、そこで幻のような、妖精のような妙な男に憑りつかれる物語。本作も同様の系譜をたどる、同じ著者の作品なのですが、完成度が全然違います。
      著者の伝えたい思い、絲山さんならではの男性視点で語られる一人称の問わず語りのような物語は、突飛な出来事を孕みながら大きく、雄大な広がりをみせます。
      省三は過去へ、先祖へとその思いを深くしてゆきます。
      一族の“末裔”としての自覚に目覚め、自分自身の存在意義に自堕落であった自分に気づき、唖然と立ちすくむのです。

      解説で永岡杜人さんという方が、絲山文学における死の問題について、ぜひとも触れたいと数行を割いておられます。
      絲山さんの作品に死の影がさしていることはよくしられているとありますが、僕はそれほどまでに意識はしていませんでした。
      そうして読み返してみると、省三が死について悟ったくだりが、目に飛び込んできました。

      …「でもさ、なんで戦争のときにつらかったのに、戦後になってから自殺したの?」
      「戦後はなあ、誰だって生きるのに必死だっただろ。でも、必死で生きててふと我に返ったときに価値観ってやつが大変わりしていたらどう思うか?結構それはそれでたまらないかもしれないぞ」
      「生きるのに必死」と「死」はぞっとするほど近い、境界線が複雑に入り組んだ場所にある。あるときは生きる方に傾き、あるときは一瞬にして死に傾いてしまう。靖子を看取って省三が悟ったことはそれだった。
      だったら、必死にならない方がいい。
      どうせ死ぬのなら、すみやかに死にたい。
      こんな我が儘な話はないが、希望としてはそう思う。
      なるほどこの病気が俺の死因か、俺の人生も終わりか、と、思ったあとはできるだけ早い方がいい。もちろんそのときに納得するかどうかはわからない。しないだろう。じたばたしたり、泣いたりするかもしれない。

      ごく一般的な日本人なら思い当りそうな現代を生きる苦悩や、血筋に馳せる郷愁を、無駄のない硬軟合わせた筆致で実に読ませる佳作です。
      本を閉じた後、しばらく余韻に浸ることができたのは、しばらくぶりなような気がしました。
      脈絡のないレビューになってしまいましたが、実によかった。
      素晴らしい小説でした。
      >> 続きを読む

      2015/12/25 by

      末裔 (新潮文庫)」のレビュー

    • >月うさぎさん
      いつも、コメントありがとうございます。
      そうですね。クリスマスには関係なかったですね(苦笑)。
      主人公の省三は、結局は自分のルーツを求めて、一族の発祥の地と聞いていた信州・佐久を目指すのですが、そこで思いもよらぬものを発見します。
      そして、自分が受けた“生”について、改めて深く見つめ直すのです。
      僕らの世代は、“さとり世代”だそうです。
      確かに、何かに熱狂した青春ではありませんでしたし、僕らを外から揺るがしてくれるような社会現象もありませんでした。
      40になって思うのは、大過なく人生を終えたいという思い。
      つまらんことですが、そもそもつまらんものですから、最後までつまらんのです。
      >> 続きを読む

      2015/12/26 by 課長代理

    • >jhmさん
      いつも、コメントありがとうございます。
      絲山ファンは結構多いみたいですよ。ぜひ一作どうぞ。『ばかもの』あたりから。

      年末は、仕事納めの日に、同僚と飲みにゆくと家内に嘘をついて、毎年、お蕎麦屋さんで一人酒で、自分の一年の労をねぎらっています。
      翌日は、大掃除でこまねずみの様に働かされます。
      カーテンを洗え、網戸は終わったか、着ない洋服を整理しろ…。
      クリーニング屋さんにいったり、一日中、ばたばたします(苦笑)。
      僕の家の近くには『角上魚類』という新鮮なお魚を売るお魚屋さんがあります。
      年末ともなれば、凄い人出になるのですが(アメ横みたいです)、そこでの買い物が、年末最後の大仕事ですね。人に酔います。
      >> 続きを読む

      2015/12/26 by 課長代理


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