こんにちはゲストさん(ログインはこちら) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト →会員登録(無料)

三四郎

コミック版
カテゴリー: 漫画、挿絵、童画
定価: 550 円

大学入学のため九州から上京した三四郎は、新たな発見に満ちた東京に驚く。そんな中一人の女性と出会った彼は、次第に心魅かれていき―。

いいね!

    「三四郎」 の読書レビュー

    レビューはまだありません。
    最初のレビューを書いて下さい!

    関連したレビュー

      集英社 (1991/02)

      著者: 夏目漱石

      • 評価: 5.0

        "人間として真の自我に目覚め、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するという生き方を説く夏目漱石の「三四郎」と「私の個人主義」"

        夏目漱石の中期の写実主義的な小説「三四郎」を久しぶりに再読し、「三四郎」だけでは何か消化不良の感が否めず、講演録の「私の個人主義」へと読み進めました。

        この小説「三四郎」のテーマは青年の自我意識の問題を取り上げて、漱石が言うところの"他本位"と"自己本位"への時代の繰り返しがあって初めて世の中が進歩するという立場からの、一つの時代にとどまらず、長い時代を見通した上での文明批判を述べた小説だと思います。

        この漱石の思想が最も色濃く描かれている場面の、『すると広田先生がまた話し出した。-----「近ごろの青年はわれわれの時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。われわれの書生をしているころには、する事なす事ひとつとして他を離れた事はなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果漸々自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。----君、露悪家ということばを聞いた事がありますか。」「いいえ」』

        小説「三四郎」は、1908年9月から12月にかけて、朝日新聞に連載されたもので、主人公は三四郎であり、広田先生は三四郎に思想的な影響を与える人物として描かれていますが、当然の事ながら、広田先生というのは漱石自身の分身で、広田先生を通して漱石自身の思想を語らせている訳ですが、この小説の中に、『「お互い憐れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。----」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢うとは思いもよらなかった。』といった場面が出てきますが、この内容からすると、少なくとも作品の中の時代は日露戦争に勝利をおさめた1906年直後の年代であるように思われます。

        そして、この小説が1908年に書かれていますので、作品の時代は1907年(明治40年)前後だと考えられます。つまり、漱石はこの小説を現代小説として書いていて、"近ごろの青年"というのは、明治40年頃の青年であるといえます。

        一方、漱石自身の思想的な分身である広田先生は、"男はもう四十だろう"と書かれているので、広田先生がいう"われわれの書生をしているころ"の昔とは、恐らく明治20年前後の頃ではないかと推定されます。

        因みに、漱石研究家により、小説中の人物のモデルは三四郎が小宮豊隆、与次郎が正岡子規、野々宮が寺田寅彦、美彌子が平塚らいちょうと推定されていますが、広田先生は漱石自身の思想的な分身として、この時期の漱石の思想的立場を語っているのです。

        つまり、「三四郎」という小説は、夏目漱石が自分の体験して来た明治20年前後の青年と、現在(明治40年前後)の青年の考え方を対比して、そこに明治維新以後、展開して来た"日本近代の思想的な推移"を語っているものと思われます。

        「近ごろの青年はわれわれの時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない」----という表現がありますが、これは、恐らく、明治の日本人が、これまで40年間の歴史を積み重ねる事によって、近代人としての人間的な自覚、つまり自意識を育てて来たという事を言い表していると思われます。

        しかし、広田先生、つまり漱石は、それを強すぎていけないというように批判しています。当時の日本は、江戸時代から近代へ脱皮する事によって、「君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった」封建的な人間意識というものから脱皮し、徐々に"自己本位"な"自我の意識"を個々人の内部に確立していきつつあったのだと思います。

        しかし、漱石の青年時代には他本位な自己を軽んじた考え方が、まだ青年の心を根強く支配していて、それに引きずられていたというのが、当時の実情でしたが、いまや、そのような封建意識を粉砕出来たのは良かったのだが、その自我意識が極端に走って、いわば利己に偏り、それをむき出しにする"露悪家"ばかりを生み出していると表現されています。

        ここから読み取れるのは、明治20年前後の漱石の青年時代は、明治維新から20年経過して、社会のしくみが新しくなっても、その中で生きている人間の内面は、漱石のような当時のインテリ中のインテリですら近代的な"自我の意識"は、持ち得ていなかったというのがわかります。

        漱石が真に自我に目覚め、"他本位"から"自己本位"な生き方へと人生を転換出来たのは、彼の英国留学時代であっただろうと推察出来ます。この漱石における留学時代の"自我の目覚め"の体験を、如実に物語っているのが、漱石が学習院の生徒に話した1914年の講演録「私の個人主義」です。

        この講演録中の『私の手にただ一本の錐さえあればどこか一か所突き破って見せるのだがと、あせり抜いた』と語り、東大生としての若き日の漱石の"人知れず陰鬱な日々"の体験がまず語られ、その"一本の錐"、すなわち、留学前の日本にいる時代には結局、発見出来なかった"自我の目覚め"を、ロンドンの下宿で捉える事の出来た喜びを振り返っています。

        『今まではまったく他人本位で、根のないうきぐさのように、そこいらをでたらめに漂っていたから、だめであったという事にようやく気がついたのです。----』と語り、続けて、『私はこの自己本位ということばを自分の手に握ってからたいへん強くなりました。彼ら(英国人たち)何者ぞやと気概が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指摘してくれたものは実はこの自我本位の四字なのであります』と語っています。

        それでは漱石は、この講演で1914年当時の日本の青年達に何を訴えたかったのだろうという事を考えてみると、漱石は"自己本位"主義を"私の個人主義"と呼んでいて、それを青年達に持てと訴えているのですが、恐らく漱石が一番言いたかった事は、その"自己本位"を勝手気ままな、独りよがりの"利己主義"と勘違いしてはいけないという事だと思います。

        この事を裏付ける内容として、この講演録の核心部分の言葉として、『個人主義、私のここに述べる個人主義というものは、----他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのです』と漱石は語っています。

        かつて、小説「三四郎」の中で広田先生が三四郎に説いたように、この講演録「私の個人主義」では、漱石が同じ命題のテーマを学習院の生徒に語っているのです。

        後進国として、先進西洋諸国に追随する道を歩むしかなかったため、表面的で上滑りな近代日本の不幸な運命、暗さといったものを漱石は、当時の青年達の"自我意識"の内面にも訴えかけ、西洋追随ではない、日本固有の近代と近代人というものは、いかにしてあり得るのか、東洋と西洋という全く異質の文明が混在している中に、いかにして日本独自の近代というものを開花させるべきかを、漱石は沈思黙考しながらじっと考え、時代と社会と対峙して、悩み続けた文学者であり、思想家であったのだと思います。

        この小説「三四郎」と講演録「私の個人主義」を再読して、難解だった漱石という人間が少し見えて来たというのか、私の近くまで下りて来てくれて、漱石のような人でも人間としての個人の自我のあり方を、時代と社会との対峙の中で、このように真剣に突き詰めて、悩んで悩んで、考え続けたという、この事自体が新鮮な驚きであり、漱石さんをより身近な存在として、また等身大の人間として感じる事が出来るようになったというのが、この二作品を読了しての収穫でした。

        今後も折にふれて、漱石さんの作品を繰り返し、読んでいきたいと思っています。
        >> 続きを読む

        2016/04/09 by

        三四郎」のレビュー

      • 以前「三四郎」というと明治の若々しい青春小説だというイメージでもって
        なんとなく恋愛の話としてスルーしていた気がします。
        描かれている女性の性格だとか行動だとかに気を取られがちですが、ここにも「漱石さんの自我との対決」が見られるのですね。
        ますます漱石さんは読み直さねばと思いました。
        >> 続きを読む

        2016/04/09 by 月うさぎ

      • 月うさぎ様

        「三四郎」は確かに、明治期の若々しい青春小説という読み方も読書を楽しむという観点から考えれば、自然だと思いますが、私の場合はどうしても、その小説の作者へのアプローチから挑んでいく読書が好きなので、このように夏目漱石の初期の作品から順を追って、彼の作家、あるいは思想家としての作家的立場、思想的立場、精神の在り様などの変遷というものを考慮し、その作品が書かれた時の時代背景、社会状況も視野に入れて作品を深読みし、読み解くという方法になってしまいます。

        自我意識というものが、特に明治時代以降の作家において、近代人という意識の変革期に、近代人を他の時代の人と区別する根本である事、それこそが近代社会を成り立たせ、近代文明を生み出す支えになっていた事は、例えば、森鷗外が「舞姫」で自己を太田豊太郎に仮託して自我との対決をしていましたし、志賀直哉も「暗夜行路」で自己を時任謙作に仮託して、周囲から隔絶した"孤独な生"を強く生き抜く姿に、自我との対決を描いていたのではないかと思います。

        特に漱石は英国留学時代に、鷗外はドイツ留学時代にそれぞれが、西洋文明という日本の文化とは全く異質の文明と対峙し、格闘していく中で、"まことの自我"、すなわち近代人としての"自我の目覚め"、そこから"自己本位"、漱石の言う"個人主義"に生きようとする近代人としての人生を、初めて出発させているのだと思います。

        いづれにしても、夏目漱石、森鷗外という作家は、格闘しがいのある、優れて知的なインパクトと自己洞察を与えてくれるので、今後も折にふれて、繰り返し読み直して、その都度、新しい発見をしたいと考えています。
        >> 続きを読む

        2016/04/09 by dreamer

      岩波書店 (1990/04)

      著者: 夏目漱石

      • 評価: 4.0

        日本の文豪、夏目漱石の有名な作品。(昔オーディオブックで寝る前に聞いてて、完全に子守歌になってたけど、kindleでやあっっと読んだぞ!)
        最近のジェットコースター小説?もいいけど、大きな事件はないが日常の中に面白さがある。
        こういう味わい深いゆったりした小説を楽しむのもいいね。


        地方から東京に出て来て大学生になった三四郎が、個性的な先生(高校の)や先輩や友達に出会い、ある女性(みね子)に惹かれながらも気が小さいというか臆病な性格なもんで、僕のことどう思ってんのかな、もしかして野々宮君が好きなの?とか気になりながら何となくグループ交際のようなことしていたけど、結局うまく伝えられないまま失恋(彼女が結婚)してしまう、みたいな話。
        学生生活の様子が(時代は違うけど)なんとなく懐かしかった。青春だ~。

        同じ恋愛ものでも、この間読んだツルゲーネフの「はつ恋」よりずっと親しみやすい。日本人だからかな。
        夏目漱石先生はなかなかユーモアがあって、時々クスッと笑える。

        笑えるといえば、与次郎。明るいというか、軽いというか、いい加減というか、いいキャラだ。
        勝手に広田先生を大学教授に推す論文を書いてかえって不評を買ったり、借金をした次の日に全部競馬でスって三四郎に借りに来たり、でもあっけらかんとしてて・・・にくめない

        広田先生(不思議な存在…)も独身で生活感がないというか達観しているというか、大人なのか、話すことはもっともだなあって思うし与次郎やみんなが慕うのもわかる。(先生の言葉を通して、漱石の社会への思想が伺える。共感^^)

        みね子は「無意識の偽善家」?とあるけど、別に普通に接してるだけで私は何の罪もないと思う。
        三四郎が勝手にあれこれ考えてるだけで、みね子は知ったこっちゃない。(いや、知ってたりする?
        で、三四郎のことが本当はちょっと気になってたりする?でも、みね子の方が大人なんだなあ)
        気になるなら素直に聞けばいいじゃん。思うことがあれば言えばいいじゃん。
        まあ、三四郎にはそれがなかなかできない、「迷える羊ストレイ・シープ」なんだなあ。

        「それから」「門」も読んでみたい。
        >> 続きを読む

        2014/05/19 by

        三四郎」のレビュー

      • 〉日常の中に面白さがある。
        こういう味わい深いゆったりした小説を楽しむのもいいね。

        三四郎は青春小説ですものね。今読めば、かなり若い子の話として別の目線で読めそうです。

        〉夏目漱石先生はなかなかユーモアがあって、時々クスッと笑える。
        初期作品はそうですよね。漱石さんってユーモアのセンスありますね。
        >> 続きを読む

        2014/05/19 by 月うさぎ

      • 少し昔の本はとっつきにくいイメージでしたが、レビューを読むととても面白そうなので、読んでみようと思います! >> 続きを読む

        2014/05/19 by FIre

      新潮社 (1948/10)

      著者: 夏目 漱石

      他のレビューもみる (全2件)

      • 評価: 5.0

        熊本の高等学校を卒業して東京の大学に入った青年三四郎が、女性への好奇心と恐怖心を持ちつつ、美禰子への気持ちに向き合って行く姿が純粋で、甘酸っぱくて、素敵でした。stray sheepは、美禰子が三四郎に言った言葉ですが、彼女自身も三四郎と同じように将来の生活や結婚に戸惑うstray sheepなのでしょう。三四郎の恋は、stray sheep、分からないことだらけで、終わってしまいましたが、じれったくて、甘酸っぱくて、共感できるところがあって、心に響きました。

        2015/07/01 by

        三四郎」のレビュー

      • > stray sheep

        恥ずかしながら意味がわからずググってしまいました。
        そんな自分こそstray sheepだったかも知れません(笑) >> 続きを読む

        2015/07/01 by ice

      • 美禰子さんと二人になって歩いていても、三四郎って朴訥で不器用なんですね。
        そんな所しか覚えてないのでまた読もうと買ってあります。

        >> 続きを読む

        2015/07/01 by 空耳よ


    この本に関連したオススメの本

    取得中です。しばらくお待ちください。

    サンシロウ コミックバン
    さんしろう こみっくばん

    三四郎 - コミック版 | 読書ログ

    会員登録(無料)

    今月の課題図書
    読書ログってこんなサービス
    映画ログはこちら
    読書ログさんの本棚

    レビューのある本

    最近チェックした本