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カテゴリー"先秦思想、諸子百家"の書籍一覧

      英訳つき くまのプーさん 心がふっとラクになる言葉 『老子』『荘子』が教えてくれる人生で大切なこと

      PHP研究所

      4.0
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      • 少ない文字でしたがじっくり読んでしまいました。図書館で借りたのですが手元に置いておきたいのでいつか購入すると思います。道はつかめないものだということですが、あえてつかみにいくことではないなと(笑)全ての存在と一心同体。これが本を読んでて私の感じたことです。 >> 続きを読む

        2015/07/22 by おつまみ

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      孟子
      5.0
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      • 志は気の帥なり
        自分の座右の銘です。

        2015/03/05 by ぽんた

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      老子

      蜂屋邦夫 , 老子

      4.0
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      •  東洋思想の歴史の中ではまず間違いなく学ぶであろう「老子」ですが、実際に呼んだという方はあまり多くないでしょう。それは思想書だからというだけでなく、恐らく他の春秋時代の諸子百家(孔子や韓非など)と比べても少ないのではと個人的には思います。

         なぜなら「老子」はその時代においてすら、統治に関して国や政治家達に直に語りかけることが少なかったためです。統治や国のあり方について考えを示している記述は数多く認められますが、それはあくまで自己完結で終わっているものが多く、また理想主義的です。今流行りの自己啓発本で読書を進める本が多くなってきており、諸子百家や貞観政要が推薦されることも多いですが、その中でも取り上げられることはかなり少ないのではないでしょうか(笑)

         しかし「人としての有り方」についての記述は非常に考えさせられる事が多い本です。周りとの競争に晒されることの多い現代において、自分の心の置きどころを見出すのにはちょうど良い一冊だと思いました。自身の研鑽を怠らずも、決してそれに奢らず、また見せびらかすことをせずというスタンスは大事にしなければなと感じました。

         この「老子」に限らず、古典と言うものはそれを専門にしている人を除けばとてもひっつきにくいものだと思います。この岩波文庫版はそれを考えてか、現代の人にもとても理解しやすい訓訳が行われています。その内容も相まって、思想書と言うよりは詩集のような読みやすさになっています。一見かなりの文量に思えますが、注釈(訳に関する学術的なものが殆どです)や原文を除くとボリュームもそこそこなので、そこまで時間をかけずに読み進められるのではないでしょうか?

         かなり非現実的な理想論(特に統治論に関しては顕著です)も含まれるので、訳文を読んでみて、自分の心に響いた部分に関しては原文や注釈を読みこんでみる、という読み方が個人的にはオススメです。

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        2017/01/23 by aokaze

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      荘子

      荘子

      5.0
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      • 『荘子 第一冊(内篇)』(金谷治訳注)<岩波文庫> 読了。

        荘子は大学時代に出会ってその魅力に取りつかれ、幾度となく読んできた。
        しかし、実際にその考え方を取り入れるとなると難しい。
        難しいというより、どうやっても現実の生活とは相容れないように思われる。
        生兵法は怪我のもととはよく言ったもので、むしろ荘子は私を傷つけてきたようにさえ感じられる。

        この二年ばかりの間非常に困難な時期があり、自分なりにいろいろ考えて実行してきた。
        そんな中でも読みはしなかったものの荘子の思想は常に頭にあり、自分なりにこの時期の生き方の指針の一つともしてきた。
        今ようやくその時期を越え、改めて荘子を読み返して、大学からの読み方とどう変わってきただろうか、今の自分にはどう読めるだろうか、と思った次第である。

        当時は重要視していなかったが、訳者による前段の解説がありがたい。
        荘子とは要は「それをそのままに受け取る」という思想なのだ。
        まずそれを得心してから読むと、非常に理解しやすいように思える。

        「逍遥遊篇」は、物事を自分の小さな物差しではかり、わかったような気になっているのを厳しく戒めている。
        「斉物論編」は、どんな物差しを持ってきたところで、世の中をはかりきれないことを示している。
        自分の物差しを捨て、それをそのままに受け取ることで、無用と思われたものも用いることができ、天籟を聞くことができ、庖丁の超技を身につけることもできるのだ。

        そう思うと、「人間世篇」の櫟社の話は受けがたい。
        無用に務める、と言っている。
        もし自身が無用なら、無用であることそのままであればそれでいいのだが、務めるのは荘子の思想に反するのではないだろうか。
        ところどころそのような受けがたい話も見られるが、それは私の荘子への浅い理解からかもしれない。
        またいろいろ経験した先に、再びどう読めるかを試す機会があるかもしれない。

        まずは内篇を読了したが、引き続き外篇、雑篇を読んでいく予定。
        荘子自身の思想から離れているとも聞くので、受けられるところは受け、受けられないところは考えながら読んでみたい。

        私の軽々しい理解を表して失礼しました。
        そうではない、というところがあれば、ご教授いただけると幸いです。
        >> 続きを読む

        2019/05/26 by IKUNO

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      荘子

      荘子

      5.0
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      • 『荘子 第二冊(外篇)』読了。

        内篇は、自分の小さな物差しを捨てて「それをそのままに見る」ことが主に書かれていると読んだ。
        その中で、儒者のいう仁義のようなものは「それをそのままに見ていない、ことさらなこと」として戒めていた。
        そのような表現は、あくまで荘子の考え方を説明するための一つの手段であると思う。

        しかし外篇になると、手段であったものが話題の中心になり、徹底的に仁義を攻撃する。
        そうかと思うと一転して、仁義のあり方が自然なのでそれに従うべきだ、などと言ったりする。

        さらには「自然のままに任せておいて、何もしない」ことを「無為」と言って、「無為であることですべてがうまくいく」とまで言ってしまう。
        内篇では「それをそのままに見て、ことさらなことをしない」あるいは「自然、運命に無理に逆らわない」ことを「無為」と表現していたと思うのだが。
        それに、うまくいく、という考え方がすでに自分の小さな物差しをあてていることになるのではないか?

        荘子の元来の思想であろう内篇の内容からは、はなはだ離れてしまっている感がある。
        むしろ、内篇で学んだことが自分の中でぶれていないか、という観点で読むべきなのかもしれない。

        それでも、深くうなずける箇所も少なからずあった。
        自身の備忘のためにもいくつか挙げておく。
        特に最後に挙げた「魚の楽しみ」は、内篇の庖丁の逸話を彷彿とさせ、感動的ですらある。
        以前、セミナーの講師が「私の先生だったコンサルタントは、顧客のオフィスに行くだけで話を聞く前にもう課題をピタリと当てた。『なぜ分かるのですか』と聞くと『こうして眺めると分かるのだ』と答えた」という話をしていたことを思い出す。

        ----------
        【天地篇 六】堯と封人の問答
        封人が堯に「寿、富、男子多き」という世俗的な祝福を願い出て、堯は「それを受けると徳を養うことができない」として拒否する。
        封人は「それらを受けてもそれぞれに対応すれば何ら問題ないはずだ」とし、「あなたを聖人と思っていたが、せいぜいのところ君子だ」と言って堯を退ける。

        【天地篇 九】孔子と老子の問答
        人の力ではどうにもならない動止、死生、廃起を人の力でコントロールしようとすることを諌め、物をも自然をも忘れた「忘己」を勧める。

        【天地篇 十一】子貢と丈人(老人)の問答
        苦労して水を汲む丈人に、子貢は楽に水を汲むことができる仕組みを教える。
        丈人は「その仕組みは知っているが、ことさらなことをしないのが師から学んだことだ」と子貢を退ける。
        子貢は恥じ入るが、その話を聞いた孔子は子貢に次のように話す。
        「その丈人は一面だけしか学んでいない。内面はそのようでありながらも、外面は世俗に立ち交じって楽しむものだ」

        【天道篇 十】桓公と輪扁の問答
        古代の聖人の書物をありがたく読んでいる桓公に対し、言葉にして伝えられないことがあると輪扁が諭す。

        【天運篇 四】顔淵と師金の問答
        古代の聖人のやり方をそのまま今に活かそうとする孔子について、時代や人によってそれぞれにやり方があるのだと師金が避難する。

        【秋水篇 七】荘子と恵子の問答
        ゆうゆうと泳ぐ魚を見て、荘子は「これこそ魚の楽しみだ」と言う。
        「あなたは魚ではないのにどうしてそれがわかるのか」と問いかける恵子に対し、荘子は次のように答える。
        「あなたも私ではないのに『魚ではないのだからわからない』と知っているだろう。私もここから魚を見て、魚の楽しみがわかるのだ」
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        2019/06/22 by IKUNO

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      荘子

      荘子

      5.0
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      • 『荘子 第三冊』(金谷治訳注)<岩波文庫> 読了。

        第二冊から引き続き外篇の五篇と、雑篇の三篇が収録されている。

        もちろん意図したわけではなく、単に順番に適切な量を収録しているだけだろうが、第二冊と比べると比較的荘子の思想をそのまま述べたものが多いように感じられた。
        逆に言えば、今まで見てきたものがまた出てきたような印象も受ける。
        (ひとつ、自分の外部の事物に心を取られてしまう、という話が目立つのが特徴といえばいえるかもしれない)

        そういう意味であえてここから取り出さなければならないものも少なく、また、訴えるものが感じられてもその章全体として見ると受け取り難いものもあった。

        そんな中から、印象の強かった章を挙げてみたいと思う。

        ----------

        【田子方篇 四】孔子と老子の会話
        孔子が老子に会いに行くと、枯木のような様子で立っていた。
        老子は孔子に「とても言い表すことはできないが、試しに話してみよう」と、その境地を語る。

        「遊」という荘子の思想を表した章。
        内篇にはよく出てくるが、外篇や雑篇ではあまり見かけない話で、新鮮な感じがする。

        【知北遊篇 一】知と黄帝の問答
        道について「答える」ということすら知らなかった無為謂、答えようとしてそれを忘れてしまった狂屈、答えた黄帝のいずれが道を知っていたことになるのか。

        再三「言葉で言い表せない」と言われているが、書物という特性上、やはりどうしても言葉でしか伝えることができない。
        読んでいるとそういうことを忘れてしまうが、大事なのは言葉ではなく「それ」であることを思い出させてくれる。

        【徐無鬼篇 十一】子棊の子どもへの予言
        子棊の子どもの一人が「一国の王とおなじ料理を食べて一生を終える」と予言され、子棊は悲しむ。
        王と同じ待遇を受けるという予言なのにと訝しく思われるが、このような奇怪な予言は運命だろうと答える。
        果たして、その子どもは誘拐されて足を切られて売り飛ばされ、肉屋の親方の元で王と同じように肉を食って一生を終えた。

        好ましいように思える前兆も結果どうなるかはわからない。
        それを運命と受け取るしかない。

        【則陽篇 八】霊公という諡の所以
        孔子の「なぜ霊公は霊公という諡を受けたのか」との問いかけに、三人がぞれぞれに答える。
        一般世間に通じる答えを出すことはできるが、なぜ「そう」なのかは誰にもわからない。

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        2019/08/03 by IKUNO

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      荘子 第4冊 雑篇 (岩波文庫 青 206-4)

      荘子

      5.0
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      • 『荘子 第四冊』(金谷治訳注)<岩波文庫> 読了。

        今年のゴールデンウィークから読み始めた荘子も、ようやく読了となった。
        二年前の春以降、いろんなことが起こり、いろんなことを考えて試してきて、ある程度「これでいけるかもしれない」と思えるようになった。
        そんな今、私の人生の中で良くも悪くも心の拠り所であった荘子を読むとどんなことを感じられるだろう、という思いから読み始めたものだ。
        結果的に、今読んで良かったと思った。
        私の今の立ち位置の支えと思えただけでなく、ぼんやり思っていたことを明らかにしてもらったり、新たな気づきを与えてくれたりしたように思う。
        また、中に含まれる危険な意見にも気づくことができた。もちろん、私の成長や考えが足りないだけかもしれないが。

        今後の人生を通して、荘子は私の拠り所となるのだろうと思う。

        第四冊は外篇の八篇を収録している。
        第三巻に引き続いて数は少ないが、いつものように「これは」と思う章を挙げたい。

        ----------

        【外物篇 八】荘子、遊を語る
        荘子は言う。
        遊ぶことができる人は、どんな境遇にいても遊べる。
        古い考えに固執する人は、世俗を批判的に見てしまうものだ。
        世俗に立ち交じって遊び、人に従順でありながらも自分を失わず、特定の考えに固執しないし対立もしない、という立場が理想なのだ。

        【外物篇 十二】世間の価値観に従う愚かさ
        親に死なれ喪中の礼を守ってすっかり痩せ衰えた男が称賛され、その後街にはそれを真似て親に死なれて命を落とすものが増えた。
        許由や務光の故事に倣って請われもしないのに世間を避けた男を賢人だと考え、諸侯は彼を慰問した。
        バカバカしいことではないか。

        【外物篇 十三】言葉というもの
        魚を捕える罠は、魚を捕えたら忘れてしまってよい。
        兎を捕える罠は、兎を捕えたら忘れてしまってよい。
        同じように、言葉は「それ」を捉えるものである。「それ」を捉えることができれば、言葉は忘れてしまってよい。

        【寓言篇 三】曾参への批判
        曾参は仕官して多くの俸禄がもらえるようになったが、もう親が亡くなり孝行できないことを悲しんだ。
        俸禄が多くても喜ばないことを「外物に惑わされない境地」と考える弟子に、孔子は「本当に外物に惑わされない人物は悲しむこともないし、俸禄が多かろうが少なかろうが構おうとしない」と批判した。

        【寓言篇 四】顔成子游の言葉
        いったいどこに目指していくところがあるのか。
        いったいどこにいかないように避けるところがあるのか。
        人間にはどこに「自然なあり方」というものがあるのか。
        主宰者の命令というものがあるとも言えるしあるとは言えないとも言える。
        鬼神がいるとも言えるしいないとも言える。

        【譲王篇 六】列子、宰相の贈り物を断る
        列子は貧乏のどん底にあったが、その人となりを聞いた宰相が列子に食べ物を贈った。
        しかし列子は贈り物を断った。
        妻がその仕打ちを問い詰めると、列子はこのように答えた。
        「彼は自分で判断したのではなく、世間の噂で判断したのだ。私を罪に落とすときも、自分で判断せず、世間の噂で判断するだろう」

        ----------

        最後に、天下篇は古代中国の様々な思想を評価した篇で、荘子のことを「まだ十分に極め尽くしていない」と評価している。
        他の思想への評価を読むと、天下編の著者はどうやら「外には他者に寛大、内には自身の充足」という観点で評価しているようだ。
        ここで充足というのは、生きることに満ち足りている、ということだ。
        そういう意味で、実は老子の評価が最も高い。
        そして荘子の足りないところとしては「外からの患いを避けることができない」と指摘している。
        しかし、荘子の思想では、患いと患いでないものとの間に区別はないのではないか。
        外からそれがくるのであれば、それを避けずに受けるのが荘子の思想のあり方で、それを「極め尽くしていない」と評価するのは的を外しているように思う。
        私の荘子への身贔屓かもしれない。
        >> 続きを読む

        2019/08/24 by IKUNO

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      自由訳老子

      老子 , 新井満

      1.0
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      • 新井満(あらい・まん)さんといえば、大ヒットした「千の風になって」の原詩であるメアリー・フライの歌詞の的確な訳をし、その上、曲も付けたというマルチ人間で、芥川賞受賞作家でもあり、写真家、環境映像プロデューサー、長野冬季オリンピック開・閉会式イメージ監督など、多彩な活動をしています。

         
         彼は幼少より虚弱体質であり、読書として、「論語」(孔子の言行録)や「老子」になじんできましたが、歳をとるに連れ、「老子」のほうがしっくりくるようになったそうです。そこで執筆したのがこの本「自由訳 老子」(2007年 朝日新聞社)です。


         この本の中で、新井さんは「老子」の無駄な部分を端折り、全81章(9*9)を18章(2*9)に再構成したとしていて、元々のテキストが短いのに輪をかけて短くまとめていて、一冊30分もあれば読み終わってしまいます。まあ、それだけ無駄な(!!)部分を削れば、そのような分量になるのですが。


         一読、「きれいごと過ぎるな」と思いました。老子の言葉をそのまま日本語に訳す場合にはそれは正確な訳ですが、「はしょってしまう」ことで、「老子」の持つ「多様性」がなりを潜め、新井さんが「こうあって欲しい」という老子像が増幅されるのです。


         特に例を挙げれば「老子36章」。この章は新井訳では完全にオミットされています。


        「(あるものを)収縮させようと思えば、まず張りつめておかなければならない。弱めようと思えば、まず強めておかなければならない。衰えさせようと思えば、まず勢いよくさせておかなければならない。奪いとろうと思えば、まず与えておかなければならない。これが「明を微かにすること」とよばれる。こうして柔らかなものが剛いものに、弱いものが強いものに勝つのだ。「魚は深い水の底から離れぬがよい。国家の最も鋭い武器は、何人にも見せぬがよい。」」(小川環樹訳注:中公文庫)


         この章は、戦争に決して負けない心得を書いたものであり、陰謀の書(周書)から「老子」本文に紛れ込んだという説があります。でも、古来「老子」の一部とされてきた章ですから、この章をオミットしてしまうのもどうか、と思います。そして、新井さんは老子のいう「不争の徳」の話は取り上げますが、36章のような「戦い方の奥義」を書いた章は「不要」とばかりオミットしちゃうんですね。


         元祖中国では、兵家の孫子と並び、戦争の際知っておくべき教養が老子だったという具合で、両者を合わせて祭る廟もあるくらいです。老子は「きれいごと」では片付かないのです。


         また、老子の文章を貫いて何回も出てくる「樸(ぼく:あらき)」という表現が一度表われたきり、しかも重要ではない扱いであったのが気になりました。


         それから、新井訳のなかに、はっきり誤りというべき記述を見つけました。それは28Pの「水は方円の器に従う」という表現ですが、これはいかにもありそうだとは言え、「老子」には出てこない表現で、これは儒家が主に由来の表現であり、日本ではながらく修身の教科書として用いられた「実語経」に収められたものです。この言葉は、「悪い者を友人にすると、本人も悪くなる」といった意味の言葉です。出所がまったく違い、意味も正反対です。「老子」本文にないことをあたかも彼が言ったように書くのは不勉強であり、また老子を冒涜することになるでしょう。


         さて、新井さんは、道家独特の概念「道」を「Dao」と呼び、彼独自の解釈をしています。「風のように自由で、水のようにおおらかで」とか「銀河系宇宙」とかいう言葉で「Dao」を語っていますが、私は老子について、そのようなのんびりした境地に果たして彼がいたのか、懐疑的なのです。私は、「老子」の中にこの種の感想を感じさせる表現は読み取ってこなかったのです。これって、「老子」によって触発された、新井さんのみの境地を書き述べたようにも思えます。



        最後に:総じて、偏った内容の本であり、特に読む必要のない本だと思いますが、それでも、「誰かを深く愛せば、力が生まれる」などと言う、老子が言うはずもない言葉を連ねたアンソロジーよりは、まだしもましかも知れないと考えます。


        この本、底本は「王注老子道徳経」、参考図書「中国古典選10 老子」(上・下)朝日文庫です。王とは王弼(おうひつ)のことかと思います。
        >> 続きを読む

        2012/08/14 by iirei

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      荀子

      内山俊彦

      5.0
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      •  儒者の中でも孔子、孟子に比べて扱われる機会の少ない荀子。その弟子である韓非子や李斯のよほど有名です。孟子の「性善説」を説明する時に「性悪説」が取り上げられるくらいで、どちらかというと異端扱いです。思想家を紹介する時にその人の主な著書や弟子のまとめた言行録が重要な手がかりになるのは当然ですが、どういう時代に生きたのかということも同じように重要だということがこの本を読んでよくわかりました。特に春秋戦国時代の遊説家たちは、今でいう思想家や哲学者のイメージとは違い、どちらかというと訪問販売をしている営業マンに近いような気がします。モノを売るのではなく自分の思想を売り込み、国政に携わろうという目的があるところが違うところではありますが。諸子百家という言葉は漢の時代になってから春秋戦国時代の生きのいい思想家たちがいなくなってから、きれいに分類されてしまった名称で、同時代の人たちが自らを規定した言葉ではありません。ですからある思想家の思想も後代から見れば先行するさまざまな思想を自らの思想に組み入れて成り立っています。本書で何度も強調していることは、荀子の思想史的な位置づけです。筆者は春秋戦国時代の儒者を権力に近づいて国政に携わろうとしながら、果たせない存在として描きます。そして果たせなかったからこそ、鋭い批判者の位置でいることができたと。孔子は国政に携わっている時期もありましたからそういう意味で面白いのですが、孟子になるとかなり理想論を前面に出して君主を鋭く批判しています。では荀子はどうかと言いますと、もはや秦の統一は近いというところまで来ています。弟子の李斯が宰相になり、韓非子を読んで感動した秦王政が中国を統一して始皇帝と名乗るまであと少しの時代に来ているのです。群雄が割拠してどこが統一者になるかわからないという時期ではなく、そういう意味ではまだ理想を語ることができた時代と言えるかもしれません。孔子は自分に小さな国でも任せてくれれば三年で周のような国を作ってみせると言っていましたが、荀子の時代には超大国秦に対して儒者がどういう立ち位置をとる必要があるかを考えなければならない時代になっていたのです。

         孔子や孟子は堯・舜・禹のようないにしえの聖王を理想化してその治世を現代の王も見習えば理想的な政治ができると説きました。荀子は、古代の聖王たちが作った法や慣習をそのまま当今に使うのではなく、それらを基としながら、その時々の王が時代に合わせて改変していくべきだといました。しかし君主が恣意的に改変するのではなく、あくまで礼に従ってという条件付きです。荀子は現実には殺戮に殺戮を重ねて天下を統一しつつある君主を無視して理想論を語るわけにはいかない時代に生きていました。現実の王を認めつつ、儒者としての理想を語る仕組みが、君主の権威を礼の下に置くという考えでした。荀子は王になれない君主を「覇」として容認しました。韓非子や李斯は師の思想を受け継ぎながら、礼を君主の上におかず、法を君主が作りそれが規範となるという考えだけを発展させ、臣下を君主の下に秩序立ててピラミッド型の統治体制を作り上げました。この秩序自体は儒者の思想を受け継いでいます。法家と後に呼ばれる彼らとは違う系統の弟子達は秦の下でどのような儒者となっていったか、こちらも礼を君主の上に置きつつ現実と理想に折り合いをつける(現実の君主を認めつつ認めない)荀子の思想を受け継げず、君主を絶対化する方向に流れていきます。覇王である君主を聖王に近づけるために礼による矯正をかけていくのが荀子の思想でしたが(これはそのまま「性悪説」にあてはまる)、荀子の弟子たちは君主をそのままの状態で聖王として扱ってしまうということでしょう。

         儒者が権力の内部に取り込まれていった結果、儒教は国教になり儒者は王を支える官僚として国家機構を強化していくこととなります。荀子は『荀子』の中で「非十二子篇」という部分で他の思想家を排撃しています。筆者は結果として荀子は諸子百家の思想の最後に位置する思想家としてその時代を終わらせる役割も持ったのではないかと言っています。荀子の後の儒者たちはこの「非十二子篇」を引いて他の思想家を排除し、儒教は正統な思想として国家を支えていくことになるのです。
        >> 続きを読む

        2014/02/11 by nekotaka

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      マンガ孔子の思想

      和田武司 , 蔡志忠

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      • ページ抜粋: 学びて思わざれば罔し。思いて学ばざれば殆うし。為政第二

        2015/03/19 by Neo*

    • 1人が本棚登録しています
      中国の思想

      杉本達夫

      4.0
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      • この本は、「荀子」を達意の現代語訳でよみがえらせてあり、とても面白い。

        人の天性は悪。
        善なる性質は人為の所産。
        そのまま成長するとろくなことにならない。
        ゆえに、指導者と法による指導、礼・義による教化が必要。

        荀子の主張は極めて明快で、リアルだ。

        荀子は、「天」を意志のない法則だと理解し、人はその法則に従って努力すれば成功し、法則に外れて行えば失敗すると説き(「天論」篇)、客観的法則の把握と人為の努力の大事さを説いた。
        その発想はとてもリアルで、なんだか西欧思想を聞くようである。

        偽善や呪術を痛烈に批判し、リアルな認識の上に立った「礼」(マナー)と「法」の重視、それによる秩序の樹立、人間の人為的努力によって生産力を挙げて国家を富ませよく治めようとする荀子の思想は、戦国時代の中国の混乱や庶民の塗炭の苦しみをなんとかしたいという痛切な思いに駆られて説かれたものだったのだろう。

        荀子は性悪説として有名だが、荀子もべつに人の性質は悪だからどうしようもないと言っているわけではない。
        むしろ、そうだからこそしっかり努力して学ぶことが必要だと述べているわけで、学び修養した人が自律的な倫理を確立して自由な状態に達する「徳操」の状態こそが人間の理想だと説いていた。

        「塗(みち)の人ももって禹たるべし」

        つまり、どんな凡夫でも努力すれば聖人になれる、というのが荀子のスタンスだった。

        「ゆえに蹞歩を積まずば、以って千里に至るなく、小流を積まずば、以て江海を成すことなし。
        騏驥も一躍にして、十歩なること能わず、駑馬も十駕せば、またこれに及ぶ。
        功は舎めざるに在り。」
        (「勧学」篇)

        絶えざる努力によって、人間は何事もなせるという認識と思想だった。

        天を怨むのは筋違いであり、天は法則性をもって運行している。
        その法則に従うか否かが人間の吉凶を決める。

        君子は人間の能力を信頼し、天に頼ろうとしない。
        小人は人間の能力を信頼せず、天に頼ろうとする。

        そう言い切る荀子ほど、人間の能力を信頼した人は古代においてもあんまりいなかったのかもしれない。

        そのために、人間は言語を正しく使い、詭弁に惑わされないように言語を正しく認識すべきだという「正名」篇や、

        人間は物事の一面に惑わされ、全体を把握することができず、好悪や広狭の一方・一面にとらわれるので迷う、ゆえになるべくそうしたとらわれから自由に物事を正しく認識する努力をしなければならないという「解蔽」篇の思想が説かれた。

        「解蔽」篇は、ベーコンのイドラ論を彷彿とさせる、東洋には珍しい議論だと思う。

        「正名」篇の後半に論じられる欲望についての議論も面白かった。
        荀子が言うには、欲望は決してなくならず、欲望をなくすことを目指す思想は無駄であり、人が欲望を抑えるのは条理・道にかなった判断(理性を持った心の働き)による、したがって、道にかなった欲望はどんどん伸ばせばいい、それは決して自分や社会を害さない、また、道にそむいた欲望なら、きっぱりと捨てるのが良い、それは自分も社会も害す、と説く。
        アダム・スミスを彷彿とさせる議論で、とても興味深い。

        非十二子篇の、

        「君子は能く貴ぶべきを為すも、人をして必ずおのれを貴ばしむること能わず。
        よく信ずべきをなすも、人をして必ずおのれを信ぜしむること能わず。
        よく用うべきを為すも、人をして必ずおのれを用いしむること能わず。
        故に君主は修まらざるを恥じて、汙さるるを恥じず。
        信ならざるを恥じて、信ぜられざるを恥じず。
        よくせざるを恥じて、用いられざるを恥じず。
        ここをもって誉れに誘われず、誹りに恐れず、道にしたがいて行い、端然とおのれを正し、者に傾側せられず。
        それこれをまことの君子と謂う。」

        という言葉や、

        儒効篇の、

        「その言、類あり、その行、礼あり、その事を挙げて悔いなく、その険を持し変に応じてつぶさに当たる。
        時とともに遷徙し、世とともに偃仰し、千挙万変するも、その道一なり。
        これ大儒の稽なり。」

        (その言葉は法にかない、その行動は礼にかなっている。後で悔やむような行為はしない。危機や事変に直面すれば、つぎつぎに適切な手をうつ。時の流れ、世の移り変わりに従って、さまざまな対応を見せるが、原則をはずれることはない。これが大学者というものだ。)

        という言葉も、とても感銘深いものだった。

        後世の中国では、孟子の方が主流になり、荀子はあまり顧みられなかったようだが、思うに孟子よりは荀子の方がよほど現実に即していて、参考になり触発されるところが多いように思う。
        日本の思想家では、荻生徂徠や福沢諭吉がとても荀子の思想に似ていると思う。
        荀子こそ、近代においても生きうる、生かしうる、東洋古代の最も偉大な先駆的思想家かもしれない。
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        2012/12/22 by atsushi

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      中国の思想

      和田武司

      4.0
      いいね!
      • 本書は、墨子のエッセンスを達意の現代語訳とともにわかりやすく紹介してくれている。
        時空を超えた墨子の思想の新鮮さには、本当に鮮烈な感動を覚える。

        私が特に感動したのは、墨家の士は、困難を進んで引き受け、志を貫き、人が知らなくてもなんとも思わない、それは「彼に自信あればなり」(彼有自信也)だからだと言い切る、「親士」篇のことばだった。

        「彼に自信あればなり」、
        いいことばだと思う。

        墨子は、自らの道に絶対の自信があり、自分の人生と生き方に安んじていたのだろう。

        その理由は、「万事、義より貴きはなし」と「義」を常に重んじて貫いて生きた、その生きざまから生まれるものだったと思う。

        墨子の掲げる義の中心である「兼愛」説は、字面の知識としては誰でも知っている博愛の教えだけれど、墨子を直接読むと、決して単なる理想論ではない、すごい迫力を感じる。

        墨子は、兼愛の反対として、ふだん人が持っている差別相対的な愛を「別愛」と呼ぶ。
        墨子には、別愛では結局人間には救いはなく、問題しか生じない、別愛は自我執着に汚れたものだという徹底した認識がある。
        そうであればこそ、墨子は兼愛を説いた。
        また、人が心の底では兼愛をこそ求めていることを、巧みな説き方で論じた。

        儒教のような、身近な人間から出発する愛情や倫理の方が、一見現実的にも見えるが、墨子には儒家にはない、人間の根源への凝視と、それを突破する迫力があると思う。

        また、墨子の兼愛は、決して空理空論ではなく、国家公共の利益を積極的に求める、実際的で活気ある思想だった。

        「仁人の事は、必ず務めて天下の利を起し、天下の害を除かんことを求め、まさにもって天下に法たらんとす。」

        そして、墨子は天下の利として、国家社会を豊かにすること(国家之富)、人口を増やすこと(人民之衆)、秩序や治安を正し維持すること(刑政之治)を求め図ることを説いた。

        そのために、縁故よりも能力による人材登用や、勤倹節約の大事さ、そのほかのさまざまな方策を説いている。
        科学技術にも精通していたようで、ずいぶんと科学技術についても論じているようだ。

        そして、人の生き方として、宿命論こそが諸悪の根源だと指摘し、宿命論を排して、人の人生も国家社会の良し悪しも、人間の努力や行為によるということを力説している。(非命論)

        こうしてみると、とても古代中国とは思えない、現代人にも新鮮な感動を呼び起こす思想と思う。

        さらに、墨子の特徴としては、このような兼愛や天下の利のために、あらゆる侵略戦争に反対する「非攻」の思想がある。

        墨子の「非攻」論の面白いところは、決して空想的な平和主義ではなく、侵略戦争に反対するために非常にリアルな戦術論や軍事論を具備していたところで、実際に当時いろんな小国のために、弟子を引き連れて戦術や科学技術や外交を駆使して、大国の侵略を打ち破り、侵略戦争を打倒するためのあらゆる努力を墨家集団が行っていたことが、この墨子の記述からも窺われる。

        日本の戦後の平和主義の多くは、墨子にはあまり似ておらず、諸子百家でいえば尹文子にむしろ似ているものかもしれない。
        本当に侵略戦争に反対しようとすれば、墨子のような自主防衛や反暴力戦闘論が必要なような気もする。
        その点で、墨子こそ現代日本に最も読まれるべきものかもしれない。

        そういえば、小泉元首相が以前イラクの問題に関連して墨子を引用していたが、その他の基準や立場に立てばともかくとして、小泉元首相はあんまり墨子の見地からは、特にイラク戦争への言動では、良くは言われないのではないか。
        墨子が今の世にいれば、墨子の中に登場する弟子の勝綽と同じように小泉さんを見たような気がする。

        そうこう考えると、墨子は非常に現代性のある、現代を生きる上でいろんな示唆やインパクトに富む本かもしれない。

        秦の天下統一後、おそらく過酷な弾圧を受けたらしく、墨家集団は忽然と歴史から姿を消し、墨子は長い間忘れられた思想家で、やっと清代に二千年以上経ってから再び読まれるようになったという。

        日本でも、石川三四郎などが自分の思想の系譜上の源流と仰いだ例はあるものの、墨子はいまもってまだまだこれから読まれるべき、これからこそ読まれるべき思想家なのかもしれない。

        「力ある者は疾くもって人を助け、財ある者は勉めてもって人に分かち、道ある者は勧めてもって人に教えよ。」

        この墨子の言葉は、現代の我々の胸にも、とても響くもののある、これからこそ大事な響きがあるように思う。
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        2012/12/22 by atsushi

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      タオ 老子

      加島祥造 , 老子

      5.0
      いいね!
      • どの章も、みなじわじわと心に染み入るように思う。
        おそらく、何度も読み返すことによって、ますますそうなるのだろう。
        加島さんの口語訳のおかげで、随分、わかりやすくなっていて、ありがたい。
        落ち着ける本だ。
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        2015/07/03 by けんとまん

      • コメント 1件
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      荀子

      藤井専英 , 井ノ口哲也

      3.0
      いいね!
      •  荀子が礼法をかなり重んじているということがわかる。礼法を軽視してはいけないという主張が直接的、間接的に、具体例とともに説かれている。また、人というものは怠けたりズルをしがちだから礼法を重んじるよう教育すべきである、という主張により教育の在り方などはかなり実践的な内容となっていた。このあたりから荀子が性悪説の立場をとっているということにつながっているのだと思うが、本書でピックアップされた範囲では少々強引な主張にも感じられた。本書の編集は荀子の考え方の全体像が簡潔にまとめられており良いものだと思うが、なぜ荀子が性悪説の代表となっているのかをしっかりと理解しようとするなら全編を読まなければならなそうだ。
        >> 続きを読む

        2018/06/22 by 夏白狐舞

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      タオのプーさん

      HoffBenjamin , 松下みさを , 吉福伸逸 , ShepardErnest Howard

      4.0
      いいね! Tsukiusagi
      • 日々の生活において、社会的な常識や自分で作った枠組みに囚われて苦しむといったことは往々にして起こりうる。そんな時には一旦そのフレームを手放してしまえばいいのだが、どうしても執着してしまったり、どの思考が原因なのかに気づくこと自体が難しかったりする。

        スポーツをしたり芸術に触れたり旅に出たり本を読んだり。。
        囚われから離れフラットな状態に戻るための手がかりになることは色々あるが、自分の中では「常識」へのアンチという機能を持つ対処法として老荘思想を拠り所にしていた。
        ただ、劇薬に近い効果があって、妙に達観したつもりになってしまったり厭世観が強くなってしまったりと「現実的」生活に悪影響を及ぼしかねないため、深入りしないようにしていたが、以前少し禅に興味を持った時に、禅と道教の言わんとしていることが同じだという和尚ラジニーシの言葉に出会い、だとすれば道教を「現実」に活かすこともできるのだろうという感じを漠然と持った。

        今回、キャッチーなタイトルに惹かれ本書を購入してみたが、期待通り、クマのプーさんのキャラクターやエピソードからタオのエッセンスを抽出し、タオイズムを教義的な語りではなく雰囲気として感じられるような内容になっている。
        本書のようにプーさんを無為自然の象徴とみなして読んでみると、そのトンチンカンな受け答えが柔らかい禅問答のように感じられ笑ってしまうが、神話のトリックスターをタオイズム的に解釈すると理解が深まるだろうとか、その現実肯定の在り方に親鸞の絶対他力との共通点があるのではないかとか、プーさんの要素を道化的に表現したら現実に活かせるのではとか、興味の広がりがあって楽しい読書になった。
        また、「樸」という概念を思い出せたのは大きくて、自分や人を評価する基準をどこに据えるのかが見えたことは嬉しい限り。

        宇宙の法であるタオと人間の頭が作り出した法の乖離が問題を生むという老荘の教えを踏襲していると受け止めたため、両者を肯定したような道教的な掘り下げ方もして欲しかったという思いもあるが、対立ではなく包括という視座で書いていたとしたら感じ取れることは違うかもしれないので、時間をおいてまた読んでみようと思う。

        また、『バカボンのパパと読む「老子」』という本が出ているようで(著者はドリアン助川!!)、「これでいいのだ!」を通して見えるタオというのもまた興味深いので読んでみたい。
        >> 続きを読む

        2012/04/11 by Pettonton

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