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金谷治
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2000年の超ロングセラー。これだけ長い間残っているものなら、きっと刺さることが書いてあるに違いない。学生の頃、音読したことはあるのですが、あまり覚えていなかったので読んでみました。まさか『論語』がこんなに長いものだとは思っておらず、十巻まであって読み終えるのにかなり時間がかかりました。ちらほら良い事言っている箇所もありつつ、少し説教臭いものもあり、孔子の人柄や出来事が書かれていたりしました。それと、当時の文化や歴史がさっぱりわかっていなかったので、読んでいてあまり理解が出来なかったところもありました。紀元前の人達も、考えていたことは今の人とそう変わらないですね。 >> 続きを読む
2019/06/13 by May
宮崎市定
現在の論語の現代語訳は後世の儒教や朱子学の考え方がフィードバックされており、無理やりそれらに沿うよう訳されているとのこと。それらを極力排し、当時の書き方、読み方に基づいて訳したものが本書である。そのため知ってる内容とちょっと違うところもあった。もちろん単純な翻訳ではなく、孔子の考え方を別の資料、あるいは論語自体から比較検証した結果、妥当と思われる訳し方をしており、よくある訳と大きく異なるような場合には解説を付け加えている。そういう意味では正確な現代語訳なのかもしれない。また、翻訳の意図の解説はあっても内容の解説はなく、著者の考え方の押しつけがないので読みやすい。反面、解釈を他人に委ねることができないので、何を説こうとしているのかを自身で考える必要がある。ただ、こういった思想に関する書物の読み方としてはこれがあるべき読み方だろうと思う。 >> 続きを読む
2018/05/12 by 夏白狐舞
加地伸行
『論語』。小学校や中学校、あるいは高校、もしかしたら大学で折に触れて読んだ(読まされた)人は多いはずです。教科書で読んだことのあるだけではなく、ことわざや格言を通して『論語』に触れてきた人も多いと思います。 さて、中国文化の影響を抜きに考えられない日本文化の中で生きる僕たちにとって、『論語』は古典中の古典といえます。ですが、本書を読む前まで、僕個人としては『論語』や孔子に良い印象を持っていませんでした。「目上の人に従いましょう」、「親に従いなさい」などと主張するどこか堅苦しい書物(人)だと勘違いしていたんですね。 しかし、本書を読めば上記の偏見は消えてなくなりました。誰もが知っているがゆえに、文脈や全体像を考慮せずに断片だけが1人歩きしてしまうのが古典の宿命なのかもしれませんが、敬体で語られる丁寧な解説と現代語訳のある本書は、一般に抱きがちな偏った『論語』(孔子)イメージを打ち砕いてくれました。 まずは本書の内容を要約したいと思います。第1部では、孔子の生涯を少年期、学校開設、不遇の時期、国内政治の混乱と危機、政治家としての孔子、祖国からの脱出と放浪、祖国への帰還、教育と研究に没頭する晩年、愛する者たちの死と整理し、『論語』の各箇所を引用しながら振り返っています。また、孔子の生涯から、1人の人間としての孔子、孔子の弟子たちの諸相、孔子が生きた時代の様相などを浮かび上がらせて、紀元前6世紀の古代中国に孔子を位置づけてもいます。 第2部では『論語』という書物そのものに焦点を移していきます。『論語』は孔子の死後30~50年あたりに、孔子の孫弟子にあたる者達が編纂したものとされています。その『論語』を、家族、友情、学問、教養人と知識人、弟子との交流、いかに生きるべきか、個人としての幸福、政治を通じた全体の幸福、死や別れという運命などの視点で整序しています。 本書の大まかな内容は以上のようになります。もう少し説明が必要な点については、僕の所感を交えながら以下に述べていきたいと思います。①受け継がれる『論語』 孔子の孫弟子たちによって編纂されたとされる『論語』は、後世の者たちに注釈という名の「解釈」をされながら受け継がれていきました。また、中国だけではなく、朝鮮や日本にも伝わり研究されていくことで、東アジアに共通する文化的基盤として『論語』(儒教/儒学)が機能していきました。もちろん注釈者によって解釈は様々でしたし、地域や時代でも『論語』に始まる儒学は複雑な変遷をたどりました。 後代の有名な注釈者としては朱熹(朱子)があげられるでしょうか。13世紀に活動した彼は、儒学を発展的に継承し朱子学を確立しました。中世、特に近世の日本でこの朱子学は影響力をもっていきます。あるいは、現代日本に生きる僕たちは『論語』を原文で読むのではなく、ときに現代語訳を交えて読みますから、そこには「翻訳」という翻訳者の解釈が入っています。いくつかの現代語訳を読み比べるのも面白いかもしれません。 それと後の中国文学や日本文学などに与えた影響もありますよね、きっと。これは『論語』以外の書物も含めての影響でしょうが。日本や中国の文学史は詳しくないので、そこについては触れません~。知っているのは中島敦と、エリートにとって漢文が必須教養だったことくらい……。②「軸の時代」に生きた孔子 孔子は紀元前6世紀の古代中国で活動したとされています。ドイツの哲学者であったカール・ヤスパース(1883-1969)は、紀元前6世紀ごろ(広くとると紀元前9世紀から紀元前3世紀ごろ)に世界規模での思想史的な画期を見出しました。それを彼は「軸の時代(Axial Age)」と定義したのです。中国では孔子を始めとする諸子百家が活動し、インドでは釈迦が、イランではゾロアスターが、パレスチナでは古代ユダヤ教の預言者たちが、ギリシアではソクラテス・プラトン・アリストテレスが活動していました(歴史学の見地からは実在を疑われている人もいますし、活動時期がずれているとされる人もいます。でもまぁ、ここでは詳しく触れません)。 同時代に生きたとされる彼らに直接、間接の交流がどれだけあったのかについては、諸説ありわかっていません。ただ、過去のある時期にこんなにも思想が花開いたのだということを知っておきたいところ。ヤスパースは「軸の時代」について様々なことを論じているのですが、煩雑になりますから割愛いたします。詳しくはWikipedia先生やグーグル先生に聴いて下さいね。③「孝」をめぐって 本書を読むと「孝」は単純に目上の人に従えという意味ではないことがわかります。今生きている両親を大切に扱い、過去に生きた祖先の鬼神(霊魂)を敬い、未来に生きる子ども(自分の子ども以外も含めて)のことを考えないといけない。換言すれば、連綿たる生命の繋がりを自覚しそれに畏敬の念を抱こうではありませんかということ。「孝」とは「大いなる生命の連鎖」を自覚して生きなさいというとても優しい思想なのですね。④「仁」について 他者を愛する心。でも、キリスト教的な愛とはちょっと違うみたいですね。まずは家族を愛してみよう、次は友達、学校の仲間、地域の人々を……というように、身近なところから遠いところへと徐々に広がる愛を想定しているようです。儒学/儒教が宗教かどうかはいろいろ議論があるようですが、地に足の着いた次元を前提にしているところから「宗教」とはちょっと距離を置いているような感じがします。『論語』の各箇所で、政治や物質的な事柄についても重要視していることも伺えますし。とはいえ同時代の宗教に影響をうけながら、鬼神(霊魂)や死についても語っていますから、宗教か否かはそんな明確に区切れるものでもないのかもしれません。⑤「君子」と「小人」とは何か 学校では「立派な人」と「つまらない人」、「君主」と「庶民」というように習った記憶があります。本書では「教養人」と「知識人」と訳語があてられていました。解説者によれば、「君子」や「小人」という言葉は、基本的に為政者(官僚/政治家)に対して用いられた言葉なのだそうな。為政者たるもの知識と道徳を備えた「教養人」=「君子」であるべきで、知識だけのつまらない存在=「小人」ではいけないと孔子は言ったんですね。自身も政務に携わり、第一線を退いたあとも政治に高い関心を示し続けた孔子らしい考えだと思います。⑥『論語』を語るということ ここまで述べてきたように、聞いたことのあるフレーズでも通常思っているのとは結構意味が異なります。また、本レビューでは触れませんが、現在ことわざや格言として使われているものも、本来の文脈では意味に差異がある場合のほうが多いのです。言葉(文化)が、時の経過の中で意味や用法が変わるのは当たり前です。でも、ときには原典に立ち返ることで、1つの言葉がもつ意味の豊穣さを実感できたら素敵かなあと思います。 それに、1つの文字や言葉に歴史的想像力(遠近感ともいえるかも)を持っておけば、『論語』を歪曲し、矮小化するような事態にも冷静に対処できます。権力をもつ者(現代社会では権力は遍在していることに留意、格好つけるとフーコー的な意味での「権力」)にとっては、『論語』にかかれている内容はよくも悪くも利用しやすいものです。為政者(権力者)に「君子」たること望んた孔子は、もし生きていたらどう思うのでしょう。『論語』が後世でどのように受容され利用されていったか、いや、儒学が東アジアにおいて持った歴史的意味について冷静に振り返るべき時がきているのかもしれないですね。多分そういった研究はあると思うので、このテーマについては今後の課題とすることにします。 以上で個人的に述べておきたいことは、おおよそ言い尽くしました。名前は知っているし、一部は読んだことのある人も多い『論語』。ですが改めて読むと、「中庸が大切」とか「若い人から学ぶことも多い、他者はみな先生だ」とかバランスのとれた発言をしていることが印象的です。教条的じゃないんですね、全然。それに孔子自身も「いまいったことは冗談よ、冗談」と茶目っ気のある側面が垣間見えますし、間口の広いテキストだと感じました。 でもときに「年功序列」、「厳しい上下関係」などに対して「儒教的伝統」といわれるのも事実なんですよね。それが『論語』から始まる儒教の伝統(2500年にもなる)とどこまで実際に関係しているのか、関係していたとしたらいつごろから「利用」されていたのか、関係していなかったとしても何故「儒教的伝統」という言葉が説明のために使われてきてしまったのか。そこらへんを実証的に分析した本にあたってお勉強しないといけません。儒学に関わるテキストは『論語』に限らず膨大だし、東アジアに広まっから範囲も広い、それに人々の思考や価値観は何も儒教だけによって規定されるわけじゃないことを踏まえると、考察すべきことはいろいろありそうです。 とまあ、長々と書いてきてしまいましたが、漢文の持つ語呂の良さや余韻を味わいながら、好きな文言を音読するだけでも楽しいもの。気軽にお手にとってみてくださいね。最後に僕が気に入った一節を引用しておきます。 「子曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(p.p.207) 解説者はこの一節だけ直訳をつけるのみで、詳しい現代語訳をつけてはいません。「先生はおっしゃった。朝のうちに道がわかれば、夕方に死んだとしてもよい」、「道」とは何を意味しているのでしょう。解説者は読者それぞれが自由に考えて良いとしています。僕にとっての「道」は「仁」でしょうか、なーんてちょっとカッコつけ過ぎかな(笑) >> 続きを読む
2015/04/01 by ゆうぁ
竹村亞希子
わかりやすくて面白かった。 変化を受け容れて生きることの大切さ。 人生には時期というものがあること。 などなど、易経はなかなか面白いと思った。 >> 続きを読む
2014/12/28 by atsushi
田口佳史
スミスの本棚より。森本さんも紹介してたけど、「人の生くるや直し。」という言葉、自分にだいぶ足りないのかかなり印象に残る。 >> 続きを読む
2013/06/15 by freaks004
齋藤孝
齋藤さんが書いている「学ぶことを中心として人生を作り上げていること」、これは読んでいてよく分かるし実践していかなくてはと思う。少しは論語の影響を受け始めたかな? >> 続きを読む
守屋淳
う〜ん、なんか無理矢理ビジネスにリンクさせてる感があるんだよなぁ。まぁ全く関係ない訳じゃないんだけど。ちょっと一度論語から離れてみようかと。 >> 続きを読む
守屋洋
秀逸な一冊【逸冊】2号となった書籍です。会社の研修の講師から頂いてプレゼンした本です。四書五経の大学・中庸・易経・礼記・書経・左伝が纏められた本となってます。特に大学の「修身・斉家・治国」が好きな教えです。天下を明らかにせんと欲するものは、まずその国を治む。その国を治めんと欲するものは、先ずその家を斉う。その家を斉えんと欲するものは、先ずその身を修む。生き方を学べる本として仕事が上手く行ってない時に読んでる本の1つです。取っ付き難い本でしたが、出逢えて良かった【逸冊】です。 >> 続きを読む
2013/08/05 by naotarou
竹内照夫
四書五経の全体像を俯瞰できるところが良かった。『論語』ばかりが取り上げられることが多いが、それぞれ役割をもっており、全体で一つということがよく分かる。そもそも『大学』『中庸』は『礼記』の一篇だったことからもそれが分かる。 四書五経が日本、中国の思想史に与えた影響の章はなかなかの読み応えがあり、これだけで十分一冊の本にできるぐらいの内容があった。日中共にかなりの影響を受けているが、日本においては既に日本的な考え方がほぼ固まっているところに、朱子学、陽明学として四書五経の考え方が入ってきたこともあって、相当の影響は受けているものの、上手く受け流している印象がある。一方で中国は染まっているといっても過言ではない。殷、周のころから儒者が普及に努め、隋で科挙となり、それが清まで続いたのだから染まっていないはずがない。また、四書五経が絶対視されそれ以外の考え方を拒絶する態度が近代化を遅らせたという指摘は、日本の明治維新と対比させてみるとそれなりの説得力がある。 四書五経をどう読むか。それは成立についてのかなり面倒な状況を見れば明らか。散逸、紛失、焚書を経て記憶を元に再編集され、『論語』の朱註のように註釈が重要視され、その註釈に註釈が付くような状況。さらにその註釈もあらゆる文に解説を付け意味をもたせてしまっている厄介さを併せ持っている。そして科挙に組み込まれるに至り為政者の思惑も入り込んでいるであろう。そのため現在読むことのできるこれら文献は書いた本人の意図をどれだけ伝えているか定かではない。元の文が失われている以上は目の前にある文を読むしかない。四書五経をどう読むか。まずは感じたままを受け入れるのがいいだろう。どうしても分からなければ註釈を読むのもいいが、そういう考え方もある、という程度に留めておくべきだろう。 >> 続きを読む
2018/05/20 by 夏白狐舞
安岡定子 , 田部井文雄
子どもやその保護者に、「論語」の魅力を伝える1冊。①書き下し文②原文③現代日本語訳④章句に関したメッセージの4部構成になっていて、非常にわかりやすい。そもそも「論語」は、名文・名句の宝庫で、読めば読むほど味わい深い。大人だからこそ感じることが出来る「論語」を、子供向けの本で学ぶことが出来た。手元に置いておきたい1冊。 >> 続きを読む
2015/11/29 by shizuka8
吉田賢抗 , 加藤道理
久しぶりに論語に触れたが、改めて読んでみるとやはり良いことを言っているという印象は変わらない。本書では書き下し文と意味、必要に応じて背景が解説されている。解説がちょっと曲者で、著者の思想が紛れ込んでいるため注意して読む必要がある。しかも一般化してあるので少々タチが悪い。それにさえ気をつけて読めば歴史的な背景や朱熹など後世の人達がどのように解釈したかなど理解の助けになる。とはいえ他人の解説はあくまでその解説者の考え方として置いておいて、自分がどう感じたか、どう理解したかが重要だろう。そもそも論語には、他人の意見をさも自分の意見のようにして人に伝えるのは良くない、とある。従って掲載されている解説と対立するようなものであっても自分で考えた結果であればそれは間違ったものではなく、また、それは論語をきちんと読んだといえるということでもある。 >> 続きを読む
2018/04/14 by 夏白狐舞
30代は仕事に生きるべし!という著者の信念が詰まったビジネス書。論語の言葉を、ビジネスの場に引き寄せて解釈している。君子=良きビジネスパーソン、良きリーダー 文章からあふれる仕事熱に閉口させられる部分が多かった。前職で精神を病み、仕事は必要最低限の生活費を稼ぐための手段として割り切りたいという自分の個人的な感情のせいだろう。そういう個人的な感情を脇に押しやった感想を述べるならば、この本はビジネス書としても論語の入門書としても良書であると思う。非常に分かりやすく論語を身近なものとして感じることができる。以前に別の論語入門書では挫折したが、本書はなんなく読み通すことができた。よくよく考えてみれば、仕事や結婚子育て以上に大きく人間を成長させるものなど無いのかもしれない。自分の好きなことだけやっているのではどこかに甘えが残る。そろそろ自分も、何かやらねばならない。「知」も「仁」も「勇」も無い、からっぽの老人になるのは怖いことだ。 >> 続きを読む
2015/01/19 by seimiya
安富歩
論語の基本概念が「学習という概念を人間社会の秩序の基礎とする考え」だと初めて知った。学ぶことは自分の感覚を渡してしまう事につながるので危険だが、学んだ事を自分のものにしていく事を「習う」と言うらしい。学習回路が開いているか閉じているかで人生が大きく変わってくるのだと学んだ。以下、備忘録・学習回路が開いている状態を仁という、その状態にある人を君子という、学習回路が閉じている状態を悪という、その他、義、孝、和、信、徳、礼にもしっかりした意味がある。・ありのままの自分を大切にする、自分の思い込みを打破して自分を新しくする、・学ぶ事と考えること、異端を排除しない、知っている事と知らない事の区分が出来る、大切なのは自ら改めること、進むべき道を知ることが生きる目的、口は重く腰は軽く。 人がどう思うか気にする事は自分の感覚を譲り渡す事?・弁がたつ必要は無い、語り得ぬものを語らない、良からぬことが無ければ成長しない、急がない、小さな利益を追わない、中庸を心掛ける、調和と同調の違い、君子は威張らない、考えない者を教えられない、過ちを改めないのが過ち、等々。 >> 続きを読む
2018/06/12 by aka1965
下村湖人
ページ抜粋: 天行健君子以自彊不息
2015/03/19 by Neo*
後藤基巳 , 高田真治
小林勝人
下村 湖人
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