こんにちはゲストさん(ログインはこちら) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト →会員登録(無料)


カテゴリー"政治学、政治思想"の書籍一覧

      これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学

      SandelMichael J. , 鬼澤忍

      3.7
      いいね! mariak1994
      • テレビでこの人の授業(?)をみて興味をもって読んでみました。

        さまざまな事例をあげて解説されているとことなどが取っつきやすいですよね。
        でも読んでるうちになかなか正解が示されないことにモヤモヤ感が湧いてくるのねw
        こういうもんなんだろうね。
        >> 続きを読む

        2018/07/28 by motti

    • 他4人がレビュー登録、 27人が本棚登録しています
      これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学

      SandelMichael J. , 鬼澤忍

      4.1
      いいね! gavin
      • TV見てからだったから理解が深まった。この授業受けたい。

        2013/06/15 by freaks004

      • コメント 1件
    • 他3人がレビュー登録、 24人が本棚登録しています
      君主論

      ニッコロ・マキャヴェッリ , 河島英昭

      3.7
      いいね!
      • 大学で政治学を専攻していた関係で、輪読講義用に数年前に購入。最近久しぶりに本著を耳にするきっかけがあったため、本棚から取りだしてみると改めて発見があったので、記録に残しておきたい。

        まず型式的な話だが、この本が名著と言われる所以として大変構成にすぐれていることがあげられるだろう。君主政体の種類を冒頭で明示し、その内容を当時の世界情勢の具体例を交えながら各章でとりあげて結論付けており、その内容が常に「君主がいかなる行動をとるべきか」に結び付けられているので非常に読みやすく説得力もある。

        また本著が時代を超えて取り上げられるのはその内容の普遍性にある。もちろん記述通りに現代社会に適用することは無理があるし、そもそも執筆当時の"君主"向けの助言をそのまま参考にすることには適していない。しかし民のために好かれる統治を行い、威厳を保ち決して憎まれてはならない、といった記述は国政に留まらず企業経営等で上に立つ者にとっても参考になり、我々の生活に関連するところにも応用が効くだろう。

        最後に、世界史に触れて学ぶという観点でも本著は大変優れている。有能な支配者から国を堕落させてしまった支配者に至るまで深く掘り下げて論述されていることで、恥ずかしながら歴史にあまり明るくない私でもルネサンス期のヨーロッパ情勢について興味を持ち読み進めることができた。引き続き世界史について学んでいきたいと思う。
        >> 続きを読む

        2019/02/09 by *みら

    • 他1人がレビュー登録、 6人が本棚登録しています
      ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業

      SandelMichael J. , 杉田晶子 , 小林正弥 , 日本放送協会

      4.5
      いいね!
      • 実際に行われた講義をそのまま文章化してあるので、読みやすく理解しやすいです。

        ブレーキの効かなくなった電車で、そのまま直進すれば線路で作業している作業員5人をひき殺してしまう。
        違う路線にハンドルを切れば、1人の作業員を死なせることになるが、他の5人は助かる。

        あなたならどうする?
        どっちが正しい?
        その理由は?

        そんな感じでサンデル教授の哲学の講義が進んでいきます。

        今まで考えたこともないことを考えさせられます。
        >> 続きを読む

        2015/01/14 by あさむ

      • コメント 2件
    • 他1人がレビュー登録、 3人が本棚登録しています
      君主論

      ニッコロ・マキャヴェッリ , 河島英昭

      2.0
      いいね!
      • 悪人の読む書物とされる有名な本の一つ、君主論。これを本気で読むためには当時のイタリア半島の情勢を徹底的に知らなければ読み間違えます。つまり、混迷した戦国時代としてのイタリア半島と地続きのヨーロッパの軍事、政治的介入と混迷。それをどうにかしたかった一人の男,マキャベリという立場を理解する必要があります。書かれている内容は容赦なく、しかし合理的です。とてもまねするべきとは思えない事が様々書かれているものの、損害最小に思えてしまったり・・・。
        それでも、時代的にはあの半島ではダメだったのですけれどね。
        正直内容は無視しておけ。人として非道。
        その後の時代も啓蒙思想時代も現代も延々否定され続けていて、否定する事が美徳とされている事が書かれていますから。真似するとハブられた挙句に社会的に抹殺されますよ?
        ただ、この本、岩波文庫版の翻訳文はとても素晴らしいのです。他の翻訳文がどうなのかは読んだことが無いのですが。文章術として、実はとても合理的なのです。
        各章のタイトルで一文で内容を明瞭かつシンプルに正確に説明しています。本文一行目で前提および問いかけを同時に行い、二文目で解としてAもしくはBと回答を収束させています。それ以降はAの場合は過去に置いてはA,A',A''、現在に置いてはA+,A+',A+''、Bに置いては・・・となりAではかくかく云々なのでこうなり、Bではかくかく云々なのでこうなるのでAorBの方が優れていると結論付ける。文章表現のパターンは技術的にはとても秀逸。竹を割ったように分かり易い。
        表現の正確さだけではなく表現方法のパターンも実は大事です。
        結局はどこまで行ってもコミュニケーションは相手への思いやりなのですけれどね(想定して合わせこむのです。多少の瀟洒さを持って・・・)。
        明確な表現様式を持って他人に技術的な何かを伝えたい人には一瞥してみてもいいかなと思います(普通の人は読まない方が身の為です)。内容自体は全面否定する事!が前提ですが・・・。
        >> 続きを読む

        2013/06/07 by Shimada

      • コメント 3件
    • 1人が本棚登録しています
      デモクラシー

      金田耕一 , CrickBernard , 添谷育志

      4.0
      いいね!
      • 本当にビターな味わいのある、すばらしいデモクラシーについての本だと思う。

        著者が言うには、デモクラシー(民主制、民主主義)は、善き統治にとって重要な要素ではあるが、それだけで善き統治になるとは限らない。

        歴史上、デモクラシーと呼ばれてきたものには大きく四つある。

        1、ギリシャのデモクラシー(直接民主主義)
        2、ローマの共和政(混合政体。元老院と民衆の権力の混合。)
        3、ルソーなどの、素朴で無知な庶民が政治参加によって道徳的になりうるし、政治参加すべきであるという思想。
        4、ミルなどの、法的に保障された個人の権利と人民の権力が適度に混合された代議民主制。

        それぞれかなり違うものであり、実際にどのような歴史的経緯があったかを、該博な知識とユーモアに富んだ深みのある筆致で描いている。

        そして、トクヴィルを引きながら、デモクラシーにおける多数者の暴政の危険(画一性、凡庸さ、多様性・卓越性への不信など)を指揮しつつ、

        中間団体・国家・個人的な権利の三者の継続的な相互作用としてデモクラシーをとらえ、中間団体の重要性を指摘し、単に個人と強力な中央集権とではデモクラシーはきちんと機能しないと述べているのは共感させられた。

        さらに、本書ではなかなか辛辣にポピュリズムの危険性を指摘している。

        決してデモクラシーとは、それ自体で必ずしも理想的とも善い統治になるとも言いきれず、さまざまな留保が必要な、ともすれば堕落や危険を伴いやすいものであるというわけである。

        にもかかわらず、デモクラシーは専制政治や全体主義よりはるかに良いと筆者は述べる。

        一、デモクラシーより、専制の方が、真実を暴かれた時のリスクが大きい。
        二、政府が開かれていて透明性が高いこと、情報の自由があるだけでなく、実際に情報を手に入れ流布できること。

        この二つは、実際に政治に参加することと同じぐらい重要だと、筆者は述べる。

        そして、末尾で、西欧における二つの大きな政治思想の流れ、つまりデモクラシーと共和主義の二つは、ある意味摩擦のあるものだが、近代デモクラシーを前提とした上で、教育によって公民的共和主義の能力を涵養し、身近な多元的な中間集団において参加の機会を得て行く道筋が語られている。

        決して民主主義を理想視もせず、かといって見捨てもせず、ビターなユーモラスな、そして深みある筆致で、目指すべき善き統治とは何かを読者に道案内し、歴史の多様な要素の中から選ばせる本書は、決して初心者向けの入門書というよりは、デモクラシーについて深く考えたい人のための、かなり玄人向けの、さらなる深いデモクラシーや政治への思索の「入門書」として最適だと思う。
        >> 続きを読む

        2012/12/22 by atsushi

    • 1人が本棚登録しています
      リヴァイアサン

      HobbesThomas , 水田洋

      4.0
      いいね!
      • 「人は人に対して狼である」「万人の万人に対する闘争」という言葉で知られるイギリスの政治哲学者・トマス・ホッブズの「リヴァイアサン」には昔から関心がありましたが、今回・注釈書ですが読んでみました。(原典は長大なので敬遠しました。)なお、リヴァイアサン(Leviathan)というのは旧約聖書・ヨブ記に出てくる海獣のことです。(キリスト教に詳しい人によると聖書全体では5箇所くらいこの海獣は出てくるそうです。)

         今回、「ホッブズ リヴァイアサン 藤原保信・佐藤正志 著:有斐閣選書1978年初版」を参考にしました。入門書としては、もっとも優れているようです。

         彼ホッブズは、社会を考察する時、自然科学的な視点をとります。物体の運動を観察し、そこから得られた物性論を社会科学に応用します。実験を重んじないアリストテレスの自然観およびそれに従がって構築されたスコラ哲学には真っ向から反対しています。

        ホッブズ(1588-1679)はガリレオ・ガリレイ(1569-1642)と親交があったそうですから、ガリレオが「落体の法則・・・空気抵抗がなければ、どんな物体も同じ加速度で落ちる」を発見した功績に鑑み、アリストテレスの「重いものほど早く落ちる」という実験精神もない愚論には加担しないというわけです。このように見ると、ホッブズは唯物論の立場に近い立ち位置にいるのです。

         ホッブズにとって人生とは欲求を追及し嫌悪を回避しながら、それによって生命活動を維持していく絶えざる運動の過程であるとも言えます。(この部分、語尾を除き、そのままの文言で本書中にあります。)

        さて、人はだれでも「自然権」というものを持っています。生まれながらに保障された権利。でも、それを濫用すると、社会は崩壊してしまうので(万人の万人に対する闘争)、道徳法則として「自然法」が要請されます。そしてこの法により国家(コモンウェルス)が必然化されるのです。そして、この国家は、臣民(国民)を服従させると同時に、臣民を保護するという役割を果たすということらしいです。

         その国家そのものを、ホッブズは「リヴァイアサン」と呼ぶのです。国家は3権:立法・司法・行政を掌握し、ある意味絶対王政を彷彿させます。一回国家に預けた力は、以後国家が独占します。そんな帰結になるなら、絶対王政を到着点とするのも同じことで、それも道理で、清教徒革命において、その指導者のオリバー・クロムウェル(1599-1658)に当然に睨まれ、ホッブズは一時大陸に亡命しています。

        この不可逆的な論理を批判する学者も現れます。「統治二論」の著者・ジョン・ロック(1632-1704)で、必要なら市民革命を起し、現政府(リヴァイアサン)を倒すのも可としています。まあ、この点ホッブズは、たとえ悪い政府でも、混乱した自然状態のままであるよりマシ、といった判断だったのですね。

        なお、キリスト教の論理については、「自然による神の王国」と「預言による神の王国」との二つがあり、どちらも「神に基礎をおけば矛盾はない」としていて、キリスト教が論理に矛盾が起さぬよう考えられているなら、問題はない、と折れ合っています。唯物論者であるホッブズを思い出すと、面白い主張です。

         彼は近代政治哲学者の草分けですが、その論には歴史的な限界があります。まあ、過渡期的な著作なのですね。まあ、逆に言えば歴史的価値のある文献であるというのは、間違いないことです。

        最後に:今回挙げた本、2ヶ月がかりでやっと読めました。読書のスピードが遅いです。半分読むのに時間がかかり、読むのをあきらめようかと何度も思いましたが、あと半分は、案外早く読めました。


        (注:この本は、読書ログのリストにありませんでしたので、原典を表題にしました。)
        >> 続きを読む

        2014/02/10 by iirei

      • コメント 8件
    • 3人が本棚登録しています
      職業としての政治 (岩波文庫)

      マックス ヴェーバー

      5.0
      いいね!
      • 今あらためて読まれるべき名著中の名著だと思う。

        指導者としての資質や意識や責任を欠いた、官僚による無責任な政治、「官僚政治」の問題を、アイロニーとペーソスをこめてヴェーバーが述べている箇所。

        本当は社会構造の問題であり、勝敗と倫理は別のはずなのに、戦争責任のことをあげつらうことをシニカルに批判している箇所。

        資産家でもない限り、政治のために純粋に生きることは難しく、政治によって生きることが余儀なくされ、金権政治にもなりやすいと指摘している箇所。

        どれも、ヴェーバーの時代のドイツだけでなく、今に至る戦後の日本のことを述べているようなリアルさをあらためて感じる。

        また、「マシーンを伴った指導者民主制」しか、もはや近代の議会制民主主義には十分な活路はなく、無責任な官僚政治よりはその方がまだしも良いことへの指摘は、今の日本の現状にあてはめてもとても考えさせられる指摘と思う。

        神義論への痛切な認識も、あらためて瞠目させられた。

        あまりにも有名な、政治指導者に必要な資質としての「情熱・責任感・判断力」の三つについて述べられている箇所や、心情倫理と責任倫理の話も、あらためてじっくり読むととても考えさせられ、面白かった。

        問題・現実に即して考えること、
        問題・現実への情熱的献身。

        精神を集中して冷静に、現実をあるがままに受けいれる能力。

        予見しうる結果の責任を負うという責任感。

        生の現実を直視する目を養う訓練。

        こうした資質こそ、今の日本の政治家および国民に、大なり小なりそれぞれ可能な形で、できるだけより多く持つことが求められている資質なのかもしれない。

        「にもかかわらず!」この現実に立ち向かい、少しでもマシな世の中を目指す精神こそ、今の日本や世界にも最も大事な精神なのかもしれない。

        第一次世界大戦後の深刻な危機的状況の中で、渾身の力をこめて述べたヴェーバーのメッセージを、いささかよく似た状況にある今の日本人は、本当に真摯に受けとめた方が、歴史の愚かな繰り返しを避けるためには、大切なのかもしれない。
        >> 続きを読む

        2012/12/22 by atsushi

    • 3人が本棚登録しています
      近代の政治思想 その現実的・理論的諸前提

      福田 歓一

      5.0
      いいね!
      • ひさしぶりに読み直してみたら、とても面白かった。

        「暴力装置」という言葉は最近、菅政権当時の仙谷官房長官の発言でとみに注目を浴びていたけれど、本書はその分析から叙述を説き起こしていて、四十年前に出された本にもかかわらず、あらためてとても新鮮だった。

        著者が言うには、軍隊と言うのは結局は思想によって構成されている。
        なぜならば、どんなに下っ端の兵隊も、年寄りの司令官よりは腕力に強い若者であれば、物理的には十分に対抗できるわけであり、どんなに「暴力装置」などと物理的手段のように思われていても、実際は要員が組織としての規律に服するかどうか、受領したメッセージ通り行動するかどうか、その軍隊を一つの組織として成り立たせている思想がなければ成り立たないからである。

        そのように、国家というものも、実は自然に与えられたものではなく、人間が構成しているもの、なんらかの思想的契機によって、人間の能力によって構成されているのが国家であり政治社会である。

        そのように説き起こし、その政治社会が人間による構成の産物だということについて最も徹底した自覚が行われたのが近代ヨーロッパの政治思想だったことを指摘し、国家や社会が「自然」としてなんら疑いも自覚もなく考えられて人々がその中に埋没していた中世から、いかにして自覚的に人間や社会が認識され、理論的に構成する営みが行われたかを歴史を辿ってとてもわかりやすく説き明かしてある。

        さらに、その理論的な到達点として、ホッブズ・ロック・ルソーの三名についてスポットを当ててある。

        「社会が自然のように人間に与えられたものではなくて、人間のつくりあげた組織であり、したがって人間の必要をみたすようにつくることができる。」
        (149頁)

        「社会を与えられたものと見ないで、人間のつくりあげる一つの文化としてとらえ」る。
        (152頁)

        「権力の物理性の分解 …(略)… 権力の暴力的契機がどんなに物理的に見えても、なお思想に依存する」
        (169頁)

        「政治社会を人間にまで還元すること、人間のどのような能力が政治社会を可能にするかを問うこと」
        (173頁)

        などなどのメッセージは、四十年の時を超えて、今もとても新鮮な問題意識だと思う。

        民主党がせっかく政権交代を果たしたのに、いまいち政治力に乏しかったは、政治における思想的契機の重要性をあまり理解せず、言葉を発信する作業を怠り、十分な論理や思想を持たず深めないできたことにも一因があるように、この本を読むほどに思えた。

        また、庶民の側も、ともすれば政治をあまり自分に関係のない現象ととらえ、自分たちが構成するものだという意識が乏しかったことが、かつて全く政権交代がない時代にもあったかもしれないし、政権交代実現後の今もいまもって根強く持っているのかもしれない。

        政治における思想的契機の重要性と、人間がいかに自覚的に社会をとらえ、社会を自覚的に構成するかということを政治思想史の流れの中で明晰にわかりやすく説き明かした本書は、今も本当に鮮烈な、できれば繰り返し多くの人に読まれるべき名著だと思う。
        >> 続きを読む

        2012/12/22 by atsushi

    • 1人が本棚登録しています
      わが闘争 完訳

      平野一郎 , HitlerAdolf , 将積茂

      いいね!
      • アドルフ・ヒトラーの『わが闘争』が70年ぶりにドイツで再版され、当初予定の4000部をはるかに超える予約で16,000部印刷されたが、ドイツamazonでは数時間で完売したという。
        背景にあるのは、難民問題で異民族排斥ムードが高まっているからと聞く。ユダヤ人社会を中心に出版禁止が求められてきたにもかかわらず、ヒトラー礼賛の声が蠢きはじめているのだとしたら、……。

        まずは読むべし、との思いから昭和48年の邦訳を手にした。
        本書(上巻)はヒトラーが政治的に独裁者としての頭角をあらわしつつあった時期の執筆である。前半はかれの異常なまでのドイツ愛国心がいかに育まれたかを語るための、半生の記録となっている。

        血統はバイエルン人、国籍はオーストリア人であった両親のもとで育つ。ガキ大将であったヒトラーは、父の蔵書を渉猟しているうちに普仏戦争の普及版(雑誌)を愛読書とした。戦争、軍制にかかわるものに熱中し英雄を内面的に体験していたのである。
        そして多民族国家における、現実の労働者の貧困とブルジョアジーの社会的罪に対峙し、改革の意思を高めていく。そんななかで、はじめは十分な認識の無かったユダヤ人に対して嫌悪を抱いていく。それは、社会民主党の新聞が、ユダヤ人によって指導されていると感受した事、その内容がことごとく詭弁であると感知した事。最終的にはユダヤ人は寄生虫民族で、その社会を腐敗させていくと断じていく。

        文章は、さまざまな分析を進めていったかの如く綴られているが、節目節目できわめて熱情的、断定的な表現で結論を述べ、執拗にユダヤ人を貶めていく。ぼくの場合は、端から批判的な読みをするから
        そう読めるのであろう。

        ヒトラー自身も述べている。著述によって人心を掌握したのではない。演説、生の声こそが人を惹きつけ導いていったのだと。その「声」に普遍性を与えるのが著述なのだ。つまり、ヒトラー信奉者のための思想的ガイドブックなのだ。

        読書のあるべき姿について考えさせられてしまった。

        善であれ悪であれ、(世の中にそんな単純なモノは少ないが)ひとたび誰かの思想信条にはまってしまった人間は、冷静な眼差しでその著述を読む事が難しくなってしまうということだ。

        本書は、わが日本でも戦時下で引用されて、普及したという。しかし、その時、本書のなかの「日本侮辱」のくだりは削除されていたらしい。つまり、政治的、思想的に「読まされた」日本人が多くあったといえるのだろう。

        今、難民騒動でゆれるドイツで、本書がいかに読まれるのか、すこぶる気になるし、注視していかねばならないと感じた。

        第二次世界大戦のときよりも、世界は狭くなった。
        だから、ぼくたちも一度は読んでおきたい。おかしな平和主義が台頭せぬように。







        >> 続きを読む

        2016/01/27 by junyo

      • コメント 9件
    • 4人が本棚登録しています
      政治学への道案内

      高畠通敏

      3.0
      いいね!
      • 面白くない。

        2013/05/06 by togusa

      • コメント 2件
    • 1人が本棚登録しています
      「独裁」入門

      香山リカ

      5.0
      いいね!
      • 最近、著者の診察室を訪れる初診患者の多くが漠然とした不安感とイライラを訴えているらしい。

        言われてみれば、「不寛容さ」が幅を利かせているような気がする。
        ウラも取らずに公の場で人を名指しで批判する人(それも一般人でなく政治家)、過激な物言いや言葉尻を捉えて非難するなど。

        本(特に新書)ではタイトルで「バカ」「アホ」(本来の悪口の意味で)を使う本が多くなってきたのも、その流れの一つなのか・・・。
        (ちなみに、例外はあるが、そういう本は基本的にスルーすることにしている。)

        歴史上、独裁者が使う手口は
        ・「敵」を作る。
        ・問題を単純化する。
         例)悪い事は、すべて「敵」のせい。
           ○○さえすれば、万事解決
        ・Yes と No の2つしか選択肢がないと思わせる。
        などが挙げられる。
        (これが全てではないだろうが、代表的な手口としてはこれくらいだろう)

        かつて大人気だった首相や、今、話題になっている一部の政治家がこれにピッタリ当てはまるのに不気味さを感じる。

        著者も思いがけず某市長に名指しで非難されてしまったが、この本の半分は、その非難に対する反論のよう。
        非難した方の某市長の主張には、かなり前から「危うさ」を感じていたので、著者の主張の方に共感を覚える。
        (以前から著者の本が好きだったというのもあるが)

        たぶん、民主主義というのは、関係者間の調整を行ったりして、物事一つ決めるのにも時間がかかってカッコ悪く、面倒くさいプロセスなのだろう。

        「それじゃダメだから、オレに任せろ。」
        と言い出す人が出てくるのは仕方ない事だと思う。

        おそらく1つや2つの問題なら、颯爽とあっという間に解決するだろう。

        そして、
        「ほら見たろ。お前ら、ウダウダ言わず、黙って見てろ」
        というセリフが加わるのは時間の問題。

        だが、次の問題で間違えるかもしれないし、間違えないかもしれない。
        要するに未来永劫、間違える事はない、とは誰も言えない。

        間違えた時(もしくは間違えそうな時)誰も何も言えない状況だったりすると・・・。

        問題をたちどころに解決する「特効薬」は、そうそう転がっているわけではない。
        威勢のいい事ばかり言っている人や、それにすぐ乗っかる人は放っておいて、ちょっと一歩引いて、問題を見直してみる態度を忘れないでいたい。

        たとえ「ドジでノロマなカメ」と言われても。
        いや、昔のドラマのセリフではないから「ドジ」はいらないか・・・。
        >> 続きを読む

        2012/11/03 by Tucker

      • コメント 5件
    • 2人が本棚登録しています
      マキアヴェッリ語録

      塩野七生 , ニッコロ・マキャヴェッリ

      5.0
      いいね!
      •  一言で述べてしまうのならば「タイトルの如く」です。マキャヴェリの言に関して著者が解説を加えて行くのかと思いきや、語録しか載っていません。「君主論」「政略論」をはじめとしたマキャヴェリの記述をそのまま載せているだけです。ダイジェスト版とでも言えば良いのでしょうか。

         勿論、著者は巻頭の「読者へ」と言う部分でなぜこのような形になったのかという説明がなされています。要約すると、マキャヴェリの政治論に対しては賛否両論様々な意見が過去に述べられていますが、著者はその両者ともに納得しがたい部分がある。故にマキャヴェリの言のうち、本質的な部分をそのまま載せてしまったというものです。

         結果的にその選択は非常に正しいものと言えるでしょう。まず、マキャヴェリに対する賛否は、それを専門的に研究する人を除けばあまり必要のないものだからです。私なんかは「マキャヴェリはこういう事を言っている」と言う事が分かれば良く、それに対して自分がどう考えるかが重要なのですから。

         また、この語録は他にもマキャヴェリを知らない人に恩恵をもたらしています。以前に『君主論』を読みましたが、中世イタリア史への深い理解が無ければ分かりにくい部分も多い本でした。注釈と本文を右往左往する事が多かったのです。この本はそれを考慮する事でマキャヴェリの思考をよりとっつきやすいものに昇華させています。

         私は結果的にこの本が以前読んだ「君主論」のおさらいというか、より理解を強めるための道具となりましたが、入門書としても活用できるのではないでしょうか。もちろん「君主論」や「政略論」の本編も合わせて読んでみることもオススメしますが。(といいつつ『政略論』はまだ読めていないんですけどね(笑))
        >> 続きを読む

        2017/02/11 by aokaze

    • 3人が本棚登録しています
      マキアヴェッリ語録

      塩野七生 , ニッコロ・マキャヴェッリ

      4.0
      いいね!
      • マキャヴェリのいろんな著作からの名句の抜粋集で、君主論などのよく知っている語句もあれば、手紙などのあんまり私は知らない語句もあって、とても面白かった。


        ところどころ、とても胸打たれ、あらためて時空を超えて、マキャヴェリの心に深く感じ入った。


        マキャヴェリは誤解が多い人物だが、通俗的マキャヴェリズムとは全然違う、本当に崇高な、深い深い祖国愛に満ちた人物だったと、これらの言葉を読んでいてあらためて思った。


        運命の猛威に対して、なんとか愛する祖国を自らの足で立つ独立国にしたいという、燃えるような思いから、これほどの思索と言葉を紡ぎ続けたのだろう。


        韓非子もそうだけれど、マキャヴェリほど高潔で深い正義感と人間愛があった人物は、甚だ逆説的ではあるようだけれど、めったにいないと思う。
        そうであればこそ、これほど現実に深い責任感を持ったのだろう。


        この「マキアヴェッリ語録」でマキャヴェリの言葉に直接触れる日本人が増えれば、今の日本の政治的混迷の脱却もきっと進むかもしれない。


        読みながら、「あぁ、このアドヴァイスを菅さんが活かしてくれていたら…」とか、「あぁ、この言葉を鳩山さんが知っていたならば…」とか思われることがたびたびあったが、吾々国民こそが、まずはしっかりと、この本などから、マキャヴェリを学びなおす方が良いのかもしれないなぁ。。





        なにかを為しとげたいと望む者は、それが大事業であればあるほど、自分の生きている時代と、自分がその中で働かねばならない情況を熟知し、それに合わせるようにしなければならない。
        時代と情況に合致することを怠ったり、また、生来の性格からしてどうしてもそういうことが不得手な人間は、生涯を不幸のうちにおくらなくてはならないし、為そうと望んだことを達成できないで終るものである。
        これとは反対に、情況を知りつくし、時代の流れに乗ることのできた人は、望むことも達成できるのだ。
        (112頁 政略論)


        君主は、民衆がなにか誤りを犯したとしても苦情を言うことはできない。
        なぜなら民衆の犯した誤りは、統治者側の怠慢からか、そうでなくとも、統治者が犯したことを、彼らもまた踏襲しているにすぎないからである。
        リヴィウスは言っている。
        「大衆は常に、政治を行なう者を模倣する」
        ロレンツォ・デ・メディチも、これに同意見だったらしく、次のような 言葉を残している。 「君主が行うことを、大衆もまた行う。なぜなら、彼らの視線は、常に、 統治者に向けられているからだ」
        (122頁 政略論)


        わたしが、共和国ですらもともと個々の偉大な君主的器量(ヴィルトゥ)の持主や組織者の力がなくてはつくり出せないと考えている以上、私の共和主義的理想は、そのことによって最初から、君主主義的色合いを持っているのかもしれない。
        (123頁 手紙)


        歴史は、われわれの行為の導き手(マエストロ)である。
        だが、とくに指導者にとっては師匠(マエストロ)である。
        人間社会には、相も変わらず同じことを考え、同じことを望む人間が棲んできたのだ。
        社会構造が変わっても、誰かが支配し、誰かが支配され、ある者は喜んで支配され、他の者は不満たらたらで支配されるということならば、なにひとつ変化はなかったのである。
        そして、それに反逆した者も結局はもとのさやにもどるということでも、同じなのだ。
        (124頁 ヴァルディキアーナ地方の住民の統治方法について)


        ここでは、民衆(ポポロ)に関して、次の二つのことに注目してほしいのだ。
        第一は、民衆というものはしばしば表面上の利益に幻惑されて、自分たちの破滅につながることさえ、望むものだということである。
        第二は、そしてもしも、彼らから信頼されている人物が彼らに事の真相を告げ、道を誤らないよう説得でもしなければ、この民衆の性向は、国家に害を与え、重大な危険をもたらす源となる、ということだ。
        (154頁 政略論)


        古代ローマの歴史家ティトウス・リヴァイスはこう言っている。
        「運命は、自分の考えが中絶されるのを望まない場合、その人を盲にしてしまう」と。
        これほど真実を射た意見はない。
        だからこそ、好調を謳歌する者も逆境に泣く者も、賞賛されたりけなされたりすることはないのである。
        なぜなら、好調も逆境も、ある人には好機を恵み、あるひとからは取りあげるというふうに、天が与えた境遇にひたっているにすぎないからだ。
        運命はなにか偉大なことを為そうとするとき、運命の好機に気づき、それを活用する気概にあふれ、才能にも恵まれた人物を選ぶものである。
        反対に、破滅を呼びたいと望むときは、それに適した人物を選ぶ。
        そして、もし誰かがこの運命の意思に反旗をひるがえそうものなら、殺してしまうか、それとも運命に逆らうことなどできないように、その人のすべての力を奪ってしまうかするのである。
        人間は、運命に乗ることはできても逆らうことはできないというこのことは、歴史全体を眺めても、真理であると断言できる。
        人間は、運命という糸を織りなしていくことはできても、その糸をひきちぎることはできないのである。
        ならば、絶望するしかすべはないかとなると、そうでもないのだ。
        運命がなにを考えているかは誰にもわからないのだし、どういうときに顔を出すかもわからないのだから、運命が微笑むのは誰にだって期待できることだからである。それゆえに、いかに逆境におちいろうとも、希望は捨ててはならないのである。
        (181頁 政略論)


        力量(ヴィルトゥ)に欠ける人の場合、運命(フォルトゥーナ)は、より強くその力を発揮する。
        なぜなら、運命は変転する。国家といえども、運命の気まぐれから自由であることはむずかしい。
        だから、誰か古代の実例に深く思いを馳せる人物があらわれて、古代のローマ人をまね、つまり頼れるのは自力のみということに目覚め、運命が自由勝手にふるまうのを牽制する必要があるのだ。
        でなければわれわれ人間は、いつまでも運命の命ずるままに流されてしまうことになるだろう。
        (183頁 政略論)


        なにかを為したいと思う者は、まずなによりも先に、準備に専念することが必要だ。
        機会の訪れを待っての準備開始では、もう遅い。幸運に微笑まれるより前に、準備は整えておかねばならない。
        そのことさえ怠りなくやっておけば、好機が訪れるやただちに、それをひっ捕らえてしまうこともできる。
        好機というものは、すぐさま捕まえないと、逃げ去ってしまうものである。
        (186頁 戦略論)


        過去や現在のことに想いをめぐらせる人は、たとえ国家や民族が違っても、人間というものは同じような欲望に駆られ、同じような性向をもって生きてきたことが分かるだろう。
        だからこそ、過去の状態を詳しく学ぶものは、現在のことも容易に判断がつき、古の人々の行為を参考にして、対策を立てることもできるのである。
        また、仮に完全に同じ状態が過去に見出せなかったとしても、本質的には同じなのだから、現在のことへの対し方も、容易に見通しがつくというものである。
        しかしこの教訓は、往々にして無視されるか、たとえ読んだとしても理解されないか、でなければ為政者に通じないかして、活かされない場合が多い。
        それゆえ、人類はいつになってもあいも変わらず、同じ醜態を繰り返している訳である。
        (186頁 政略論)


        人は、ほとんど常に、誰かが前に踏みしめていった道を歩むものである。先人が行ったことをまねしながら、自らの道を進もうとするものだ。
        それでいながら、先人の道を完璧にたどることも、先人の力量に達することも、大変にむずかしい。それで賢明な人は、踏みしめる道にしても誰のものでもよいとせず、衆に優れた人物の踏みしめた道をたどろうと努め、そのような人の行動を範とすべきなのである。たとえ力量が及ばなくても、余韻ぐらいにはあずかれるからだ。
        言ってみれば、これは慎重な射手のやり方である。的があまりにも遠すぎ、自分の力ではそれに達するのが不可能と思った場合、射手は的を、ずっと高いところに定める。狙いを高く定めることによって、せめては的により迫ろうとするからである。
        (192頁 君主論)


        人は、古代の彫刻のかけらを巨額の金を出して購入し、身近に置き、他人に見せびらかし、果ては模造品をつくらせたりすることには熱心だが、歴史がわれわれに知らせてくれる故人の気高い行為についてとなると、同じような敬意を払ってきたであろうか。
        人々は、歴史上の人物が祖国のためにつくした行為に対して、賞めたたえ感心するが、まねしようとしないのが一般的である。
        わたしには、この種の傾向は、それらをまねした場合の利益を考えると、残念でならない。
        この傾向は、キリスト教の悪影響によると思う。なぜなら、古代人は、それが良くても悪くても野望というものに相当の敬意を払ったが、キリスト教では、野望をいだくこと自体が悪だったからである。
        (194頁 政略論)


        人間にとって最高に名誉ある行為は、祖国のために役立つことである。
        具体的には、法律を制定し、制度を整備することによって、国の改革に力をつくす人々のことである。 彼らこそ、誰よりも賞賛されてしかるべきであろう。
        なにしろ、少数の人々だけがそれをやる機会に恵まれ、その中でもさらに少ない数の人間が、その機会を活用できるのであり、そのうえこの中でもほんの数人が、実現させる人になるのだ。
        だからこそ、人の望みうる栄光のうちでも最高の栄誉が与えられるべきである。
        また、国家を動かす機会に恵まれなかったが、ペンによってその方策を人類に示した人々、プラトンやアリストテレス、その他の同類の人々も、人類からの尊敬を受けるに十分だと信ずる。
        この種の人々は、ソロンやリュクルゴスのように、現実の国家は動かせなかったが、 それは、彼らが無知であったからではない。ただ単に、当時の情況が、彼らにそれを許さなかったのである。
        (195頁 フィレンツェ共和国の今後について、メディチ家の質問に答えて)


        人間というものは、必要に迫られなければ善を行わないようにできている。
        それゆえ、全てが自由放任であると誰もが勝手気ままに行動してしまい、世の中は混乱と無秩序のみが横行することになる。
        もしも、法律など存在していなくてもすべてが良き方向に進むような世の中ならば、法律は不要になるであろう。だが、このような良き風習が支配的でない場合は、法律で規制することが必要になってくる。
        (208頁 政略論)


        いかに多くの人のためになることでも、新たな大事業を提唱するのは、提唱者にとって大変な危険を伴わずにはすまない。
        しかも、この種の危険は、提唱した時点で終わりにならないのだ。計画を推し進め、完成させ、その後でも支障なく運営していく段階でも、危険は少しも減らないときている。
        この種の危険は、なぜ生ずるのか。
        それは、人間というものは結果を見て評価をくだすものだし、もしもその事業の成果が充分でなければ、責任はすべて、提唱者であるあなたに押しつけるからだ。
        反対に結果がよければあなたは賞賛されるが、大事業とて勝負は長期にわたるので、あなたが受けるのは賞賛よりも非難のほうが多いと覚悟していたほうがよい。
        それで、このともなわずにはすまない危険をどうしたらいささかでも避けることができるかだが、それはもう、事を進めるのに可能なかぎり控え目にやる、をモットーとするしかない。
        つまり提唱者は自分であるということを明示してはならず、そのうえ、提唱する際にも、やたらと熱意をこめてやってはならない。
        この種の配慮は、たとえあなたの考えが実行に移されても、それは彼らが自身で望んだからであって、あなたの執拗な説得に屈服したからではないと、思わせるためなのである。
        このやり方で貫けば、あなたの提唱による事業は人々の反対を押し切って強行されたことにならないから、たとえ経過や結果が良と出なくても、あなた一人に責任をかぶせるわけにいかなくなる。
        しかしこのやり方だと、結果は上々でもあなたの得る名誉や賞賛は、周囲の反対を押し切ってやった場合に比べて、ひどく少ないだろう。だが次の二つの利点が、この欠点をつぐなってくれるにちがいない。
        利点の第一は、危険を一身で負わなくてよいということである。
        第二は、もしもあなたの提唱する考えが容れられず、代わりに他の人の案がとりあげられ、それが失敗に終わった場合、今度はあなたが先見の明があったということで賞賛される、という利点だ。
        もちろん、あなた個人は賞賛されても、国が痛手をこうむるのでは困った事態だが、それもなお、このことはこころしておいてよいと思う。
        (212頁 政略論)


        中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。
        反対に、圧勝することしか考えない者は、しばしば、陥し穴にはまってしまうことになる。
        (214頁 フィレンツェ史)


        きみには、次のことしか言えない。
        ボッカッチョが『デカメロン』の中で言っているように、
        「やった後で後悔するほうが、やらないことで後悔するよりもずっとましだ」
        という一句だ。
        今日きみが享受している、恋することによって得る喜びは、明日になればもう受けられないものなのだよ。それを受けているきみは、わたしにすればイギリスの王よりもうらやましい。
        (217頁 手紙)


        われわれが常に心しておかねばならないことは、どうすればより実害が少なくてすむか、ということである。
        そして、とりうる方策のうち、より害の少ない方策を選んで実行すべきなのだ。
        なぜなら、この世の中に、完全無欠なことなど一つとしてありえないからである。
        (218頁 政略論)


        天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである。
        (218頁 手紙)
        >> 続きを読む

        2012/12/22 by atsushi

      • コメント 3件
    • 2人が本棚登録しています
      君主論 新訳

      ニッコロ・マキャヴェッリ , 池田廉

      5.0
      いいね!
      • 毎回マキャヴェリの「君主論」を読む時に感動させられ、何度となく今までにも読み返し、そのつど胸を打たれる箇所、「君主論」の中で一番好きなのは、以下の第二十五章の文章だ。


        もともとこの世のことは、運命と神の支配にまかされているのであって、たとえ人間がどんなに思慮を働かせても、この世の進路をなおすことはできない。いや、対策さえも立てようがない。と、こんなことを、昔も今も、多くの人が考えてきたので、わたしもそれを知らないわけではない。この見方によると、なにごとにつけて、汗水たらして苦労するほどのことはなく、宿命(さだめ)のままに、身をまかすのがよいことになる。
         とりわけ現代は、人間の思惑のまったくはずれる世相の激変を、日夜、見せつけられているから、この見解はいっそう受け入れやすい。そして、激動に思いをいたせば、ときには、わたしも彼らの意見にかなり傾く。
         しかしながら、われわれ人間の自由意思は奪われてはならないもので、かりに運命が人間活動の半分を、思いのままに裁定しえたとしても、少なくともあとの半分か、半分近くは、運命がわれわれの支配にまかせてくれているとみるのが本当だと、私は考えている。 
        運命の女神を、ひとつの破壊的な河川にたとえてみよう。川は怒り出すと、岸辺に氾濫し、樹木や建物をなぎ倒し、こちらの土を掘り返して、向こう側におく。だれもが奔流を見て逃げまどい、みなが抵抗のすべもなく、猛威に屈してしまう。河川とはこうした性質のものだが、それでも、平穏なときに、あらかじめ堰や堤防を築いて、備えておくことはできる。やがて増水しても、こんどは運河を通して流すようにする、いいかえれば激流のわがままかってをなだめて、被害を少なくすることができないわけではない。
         同じことは運命についてもいえる。運命は、まだ抵抗力がついていないところで、猛威をふるうもので、堤防や堰ができていない、阻止されないと見るところに、その矛先を向けてくる。
         こんにち、イタリアは世情の激変の拠点、ないし震源地であるが、このイタリアをあなたがたがよく観察すれば、ここは堤防もなければ堰もない野辺でしかないのに気づくだろう。つまり、イタリアに、ドイツやスペインやフランスのような、適切な力の備えがあったとしたら、この激流も、いま見るような大きな激変を引き起こしはしなかったろう。あるいは、そんな洪水にあわずにすんだかもしれない。

        (引用以上)

        これほどに胸を打つ、人間の尊厳と現実への闘いと責任感とを学ばされる文章も、めったにないと思う。

        また、マキャヴェリが、マルクス・アウレリウスとセプティミウス・セウェルスという二人の対照的なローマ皇帝の資質を、二つとも併せ持つことを勧めているということも印象深い。
        この二人の資質を併せ持つことが、この世のリーダーには求められるのかもしれない。

        また、チェーザレ・ボルジアに対するマキャヴェリの深い愛惜や哀悼も胸を打つ。
        特に、「君主論」のラストの章で、チェーザレについて、かつてイタリアに差した「一条の光」だったとマキャヴェリが述べているところは、深く胸を揺さぶられる。
        「君主論」は、見ようによっては、マキャヴェリがチェーザレの「一条の光」を無にしないため、忘却に任せないため、永遠に記憶にとどめ、生かすために書いたオマージュだったのかもしれない。

        世の中に、マルクス・アウレリウスとセウェルスの二人の資質を兼ね備えた人などいるのかと疑問にもなるけれど、ひょっとしたらチェーザレ・ボルジアはそうだったのかもしれない。

        いろんな細部に、読むたびにはっとさせられるところがある、本当に名著と思う。
        民主主義国家においては、有権者は皆それなりに本当は主権者としての力量や構えが要求されるのであれば、やはり「君主論」は全国民必読の書なのだと思う。
        >> 続きを読む

        2012/12/22 by atsushi

      • コメント 4件
    • 2人が本棚登録しています
      ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業

      SandelMichael J. , 杉田晶子 , 小林正弥 , 日本放送協会

      4.0
      いいね!
      • 難しい本だったので、読むのに時間がかかった。
        後々、また読んでみたい。

        2016/03/20 by kanetaku

    • 2人が本棚登録しています
      よいこの君主論

      辰巳一世 , 架神恭介

      5.0
      いいね!
      • 群雄割拠の5年3組。
        クラス統一を目指し、小学生のひろしくんが懐にマキャベリの「君主論」をしのばせ、覇道を突き進む。

        ひろしくんの前に立ちはだかるのは「女帝」りょうこちゃん、計算高い学級代表のまなぶくん、「極悪非道」まあやちゃん等、一癖も二癖もある「小君主」たち。
        彼ら、彼女らを相手にひろしくんは、如何にしてクラス統一を成し遂げるのか。

        5年3組で起こったクラスの覇権争いを題材にして、たろうくん、はなこちゃん(同じくそれぞれクラス統一を目指す小学生)にふくろう先生が「君主論」を解説していく。

        「君主論」の解説、という点からして察しがつくと思うが、5年3組の生徒達は皆、大人顔負けの政略、策略、姦計を駆使して、自陣営の勢力拡大にいそしむ。
        たろうくん、はなこちゃん、ふくろう先生にしても、普通に
        「クラスで覇道を唱えるため、夏休みもがんばるぞ!」
        「愚民どもの悪評など気にもとめず頑張ります」
        「信義なんて守る必要がないんだ」
        など、高飛車な(そして笑える)セリフが飛び出してくる。

        こういうセリフをまじめに受け取り、怒る人はいないと思うが、このような形で”●●●を仕事に応用する”という類のビジネス書を揶揄しているようにも思える。
        (●●●は「君主論」だったり、「孫子」だったり、歴史上の人物だったりする)

        「君主論」に限って言えば、基本的に「他人を信用するな」と唱えている、と解釈しているので、仕事に役立つのかは疑問と思っている。
        が、「理屈と膏薬は、どこにでも付く」という言葉もあるので、このようなビジネス書は絶える事はないのだろう。

        本書の場合、「単に悪ノリしているだけ」かもしれないが・・・。
        >> 続きを読む

        2012/07/21 by Tucker

      • コメント 3件
    • 5人が本棚登録しています
      反「暴君」の思想史

      将基面貴巳

      5.0
      いいね!
      • 反「暴君」の思想史。将基面貴巳先生の著書。暴君による暴政に対して原理原則を持って立ち向かう社会であることが必要。言うは易く行うは難しだけれど。暴君のような政治家が増えている現代だからこそ反「暴君」の重要性が高まっているはず。 >> 続きを読む

        2018/08/16 by 香菜子

    • 1人が本棚登録しています
      わたしが国家について語るなら

      松本健一

      4.0
      いいね!
      • シリーズ2冊目。
        改めて国家とは何かを考えるいいきっかけになる。
        胡散臭ささが蔓延り始めている今、ピッタリな1冊。
        よく言われる愛国心とナショナリズムの違いを平易な言葉で綴っているのがいい。
        そこから、各国の歴史や経緯、文化などが織り交ぜられていく。
        だからこそ、納得感もあるのかな。
        すべての意見に賛成ではないが、いろんな人に読んで欲しいと素直に思う。
        この国に成り立ち、有り様にも想いは飛ぶ。国境が直線的なところがあるが、その経緯を知って納得。
        酷い話だと思う。
        >> 続きを読む

        2014/07/22 by けんとまん

    • 1人が本棚登録しています

カテゴリー"政治学、政治思想"の書籍一覧 | 読書ログ

会員登録(無料)

今月の課題図書
読書ログってこんなサービス
映画ログはこちら
読書ログさんの本棚

レビューのある本