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カテゴリー"音楽の一般理論、音楽学"の書籍一覧

      音律と音階の科学 ドレミ…はどのようにして生まれたか

      小方厚

      5.0
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      • 申し訳ありません。図書館で借り、期限内に読めなかったため訳の分からないメモみたいなレビューとなっております。


        1章まで読みました。
        1章では、ピアノの鍵盤が等差数列ではなく等比数列であること、
        音程の区切りを音律と音階で示している。
        2章
        音律の始まりはピタゴラス音律
        3
        音律の変遷 音律の移り変わり
        ピタゴラス音律→純正律→ミーントーン→平均律
        4
        2重音の心理的影響
        5
        3重音(和音)の心地良さと複雑さ、それと心理の関係
        6
        民族音楽を数学をとおして見てみる
        7
        打楽器の音律
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        2018/07/15 by 月岩水

    • 2人が本棚登録しています
      倍音 音・ことば・身体の文化誌

      中村明一

      4.0
      いいね!
      • 尺八奏者としての中村明一氏の「倍音」に対する考察にはじまり、西欧の「音・音楽・言語」などに対する捉え方の差異から生じる、相対的な「日本文化論」的著書。

        調べてみると、その主張や、出典した情報についても「トンデモ」など、賛否両論あるようですが、個人的にはとても興味深い考察がなされていると思います。

        まず、「整数次倍音(基音の整数倍の、波形として規則正しい倍音)」と「非整数次倍音(基音の非整数倍の、波形として不規則な倍音)」の特徴を挙げ、日本の伝統音楽が「非整数次倍音」を重んじ、尺八をはじめとする邦楽器は、この「非整数次倍音」が強く出る楽器である、と主張しています。
        「非整数次倍音」は熱帯雨林などの自然界で多く発される倍音らしく、この非整数次倍音の多い「尺八」は、それだけ「自然界の音」に近い音を出す、楽器であると言えます。

        そして、角田忠信氏の著書「脳の発見」の情報を出典しながら、大きく二つに分けて西欧人は、「子音を含む音節」は言語として左脳で捉え、その他の音、楽器音や、自然界の音は右脳で「音楽」として捉えており、ひるがえって日本人は西洋楽器音や雑音(何が雑音かの定義は難しいですが)を除いて、子音や母音で構成される「ことば」や、邦楽器音、自然界の音すべてを左脳で、「言語」として処理しているらしいです(あくまで、ひとつの研究結果に基づくひとつの論説ですが)。

        私が思ったのは、日本人が春にはうぐいすの「ホーホケキョ」、夏には蝉の「ツクツクボウシ」や「ジリジリ、ミーンミーン」という鳴き声、秋の夜長には鈴虫の大合唱などを聞いて「季節の情緒」を感じるのは、上記の論説をもとにすると、それらを聞いて、日本人は「音」である以上に、「非整数次倍音」を多く含む「自然の音響」という非言語性のコミュニケーションに「非言語という言語の潜在性」をそこに見て取り、桜と同様、「もののあはれ」として尊び、慈しむ心が、四季折々の、自然豊かな日本において幼少時から育まれるのではないかと思いました。

        また、和歌において「ツクツクボウシ」から着想を得て「つくづく惜し」「つくづく憂し」などに変化する「掛詞」を生む土壌を作ったのも、日本語の擬態語・擬声語・擬音語などのオノマトペの豊かさに起因し、それは母音主体の日本語の持つ、日本語の「論理性」よりも「音響面」が強調された、ひとつの側面であることも考えられます(私の教会に、日本語のダジャレが好きな外国人宣教師の方がいます。私もダジャレが好きで、ダジャレ好きを「同音異義語過敏症」と呼んでいますが、ダジャレが多い人は子音のあとに母音が必ず来るという制約があり、音の組み合わせの少ない日本語の中で「いかに遊んでやろうか」という、隠れた目論見や野望をひそかに抱いていると分析しておりますが、、、)。

        そして、著者は「密息」という独特な呼吸法とも関連させ、日本の国土の環境(高温多湿で音が反射しにくいため、高次の倍音が常に鳴り、倍音と共に暮らしていた)と、西欧の、石やレンガ造りの国土(音が反射しやすい、響きやすいため、高次の倍音が吸収されてしまう)を対比させながら、西欧の音・言語・音響(自然音含む)、基音と倍音がそれぞれ独立した形で発展してきた西洋音楽と、西洋音楽では雑音となり得る「倍音」や、時間に付随する要素として「拍」よりも、「間」といった概念が重視され、音・言語・音響、それぞれ渾然一体となって、あるがまますべての「音」を包含させて発展してきた、非西洋音楽、インドネシアのガムランや、いわゆる「純邦楽」、とりわけ「尺八」のもつ可能性に言及しながら、20世紀末の、現代音楽の潮流にある、音・言語・音響、すべてが渾然一体となった「音響重視」の「言語」を超えた「非言語性のコミュニケーション」である「新時代の”音楽”」についての希望を表明すると同時に、著者は現代音楽、現代音楽と密接なフリージャズやロック、ヒップホップ(おそらく、ノイズミュージック、ポエトリー・リーディングなどの曲も含め)といった「音響重視」の音楽が生まれたのも、「西洋的な音楽の枠組みから日本的な音楽の枠組みへと歩み寄ってきた」と、主張しています。

        少々、強引な物言いが見受けられますが、「音響を楽しむ」という「言語を超えた非言語性のコミュニケーション」の「音楽」の一形態の面白さ、そして、本書で語られる「尺八」という楽器のもつユニークさ、そして改めて非西洋音楽、純邦楽への関心を湧き起こさせてくれた一冊でした。
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        2018/02/21 by KAZZ

    • 2人が本棚登録しています

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