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世阿弥
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能の世界にはまったく無縁のわたしであるが、この世阿弥の芸人道の書には深い感動をおぼえた。道を極めるという意味ではわれわれサラリーマンの仕事もまた同じである。「花」というものは人を惹きつける力ということ。仕事をしていくうえでもこの「花」というのは必要である。ではこの「花」というのはどうすれば身につくものなのか。若者には「花」というのは備わっている。だがその「花」は「真(まこと)の花」ではなく、歳をとれば自然になくなってしまう「花」である。だから「真の花」を身につけろ。世阿弥は、ただひたすらに稽古に打ち込め、と説く。理屈ではなく、理念でもなく、体で技で「花」のなんたるかを会得するしかないのだ。社会に出てからただ愚直にひとつの仕事をこなしてきたわたしにはこの書に共感ができる。【このひと言】〇秘すれば花なり〇初心忘るべからず >> 続きを読む
2017/02/11 by シュラフ
野村萬斎 2代目
まず題名から驚いてしまう。劇という『演じる行為』をサイボーグが出来るのか?そこに生命はあり、感じることはできるのか?等々余計なことを考えてしまう。そもそも演じることに注力している人間は演じない自分を見失わないのか?嘘で塗り固めた自分自身がだんだん自分自身の本心が分からなくなってしまうように。あるいは、嘘が真になっているのかもしれない。嘘が真でまことが嘘か…ややこしやぁ~伝統という概念を伝統を担っている方からの解説。もっと堅苦しいものかとおもっていた狂言に、新らたしさを感じさせる。伝統を権威化させる必要はないと萬斎は言うが、それはかなりの挑戦的な発言ではないだろうか。兎角、既存の権威にしがみつくことで、ある種の安楽もあるだろうに。野村萬斎の若さあふれる心意気を感じ取れ、非常にすがすがしい気持ちになった。 >> 続きを読む
2013/02/17 by Ponta
水野聡 , 世阿弥
古い本にもかかわらず、一問一答のような形で記載されている事に感動した。内容を伝えようとする力を感じた。素晴らしい内容だった。 >> 続きを読む
2011/04/19 by nonn
山本東次郎 4世 , 近藤ようこ
狂言というと、古典芸能の中でも比較的わかりやすく、滑稽で親しみやすい印象がある。能・狂言と並び称されるように、能と組み合わせて演じられることも多く、重厚な能の間の「息抜き」のようなイメージもある。「軽い」「おもしろおかしい」「添え物の」「笑劇」。だが、本当にそうした理解でよいのだろうか。本書は、中世を舞台とした作品を多く描き、古典芸能にも造詣が深い漫画家・近藤ようこが聞き手となって、大蔵流狂言方の四世・山本東次郎に、狂言の歴史や背景、込められた意味を聞く、対談形式の入門書である。中高生向きとされているように、語り口は平易だが、非常に奥深い世界が感じられる。能も狂言も、おそらくは、民衆の中に自然に興ってきた猿楽を起源とする。足利時代に大和四座(結崎(観世)座、外山(宝生)座、円満井(金春)座、坂戸(金剛)座)が公的に認められた座組となり、能は高貴な人々にも鑑賞される芸能として発展していく。この際、ある意味、「都会的」な芸能へと能が洗練されていく一方で、リアルでコミカルな味付けも必要とされたのだろう。狂言役者は、こうした役割に適任だった。だが能が主体の公演では端役に過ぎないため、狂言方は満足が得られない。そうした経緯で、能の合間に狂言を挟み、抱き合わせで演じられるようになっていったようである。少々異質で、互いの領分を脅かさない2つの芸能にとって、それが収まりのよい形だったということになる。身体の使い方、面の話、舞台の距離感、シンプルな台詞の奥にある意味、能における狂言方の役割、昔と今の照明の相違など、さまざま興味深い話があるが、最も印象的だったのはフィクション=虚構のお話に対する狂言の姿勢である。古来、仏教ではきらきらしく飾った言説を戒めていたという。これに対し、白楽天は、フィクションによって人のあるべき姿を描き、我が身を顧みる手立てとするならば、創作も悪いことではないとした。この際、「狂言綺語」という言葉を使う。狂言はこの精神に則ったものであるという。やたらと暴力的であったり、センセーショナルであったり、感情に訴えすぎるような題材は狂言では扱わない。現代ならば「ツッコミがあまい」といわれるような話も多いが、元来、目するところは「中庸」なのだ。妻が夫に裏切られても、妻は鬼と化して祟ったりしない。主人にねちねち叱られても、太郎冠者が激怒して主人を惨殺したりしない。生きていくのがつらくて「死にたい」と思っても、主役が本当に自殺したりはしない。血しぶきが飛び散る凄惨な場面や、おどろおどろしい怨念は存在しないのだ。過激なフィクションで手に汗を握るとき、人は実は「野次馬」になる。殺されてしまったり、自殺してしまったり、絶対的な破滅に陥る創作を鑑賞する際、観客は、それを自分の身に起こることと考えるより、第三者的な目から、ある意味、「楽しんで」いるわけである。仏教が戒めたフィクションはおそらくこうした形のものなのではないかと東次郎は語る。世の中、善人や賢人ばかりではない。人間などしょうもないものだ。狂言はそれを描く。しかしそれを「事件」にはしない。ぎりぎりのところで正気に戻る「ヤジロベエ」の感覚がそこにはある。観客をいたずらにはらはらさせず、驚かせない。身分の高い低いに関わらず、人間て困ったものですね、でもまぁそんなもんですよね、ははは、と共に笑う。笑うことで少し心が軽くなる。そして出来うることならば、少しずつよい「自分」を目指していきましょうかね、という影の意味もそっと忍ばせる。大抵の人は腹が立ってもいきなり「事件」にはしない。何とか和やかに丸く収めて明日もやっていく。そんな「当たり前」は、ときにつまらなく見えても、実は尊い。人の日常を言祝ぐのが狂言なのかもしれない。いささか別格なのが、能の「翁」の一部として演じられる「三番三」(一般には三番叟と書くが、大蔵流では三番三の文字を当てる)である。これは儀式であり、型や秘伝が大切に継承されている。神に捧げる太古の人々の祈りが伝わるようで、非常に興味深い。現在演じられる狂言の演目は二百番という。軽いものからいささか重厚なものまで多岐に渡る。加えて、能の中で狂言方が登場する演目がやはり二百番ほど。機会があれば多くの演目に触れていきたいと思う。 >> 続きを読む
2016/05/25 by ぽんきち
小西甚一 , 世阿弥
「風姿花伝・花鏡」 世阿弥著 小西甚一編訳 タチバナ教養文庫私が能楽に初めて興味を持ったのは、16、7歳くらいの頃に見た、小津安二郎監督の「晩春」での、笠智衆演ずる父、「周吉」と、原節子演ずるその娘、「紀子」が、親子水入らずで能楽を見ているシーンでした。今は昔、曖昧な記憶ですが、ちょうど、プログレッシブ・ロックなどの前衛的音楽に傾倒し始めていたその頃の私は、能楽のもつ、「音楽的な面白さ」に着目していたように思います。そして、数年前、TVで放送されていた「羽衣」を見て、すっかり感動してしまった私は、能楽のもつ音楽的な魅力を知るべく、純邦楽などを聴きに行ったり、仙台で公演されていた「能への誘い」に2回ほど行きました。ともすれば奇矯とも思える声で、謡がせられ、それに合わせて、いかにも東洋的な響きの大鼓・小鼓の音が跳躍し、能管の音や、シテの舞う足音は会場に馳駆する……私は感銘を受けずにはいられませんでした。しかし、「能への誘い」で見た「羽衣」は、ダイジェスト版であり、いわゆる「序・破・急」通して見れず、その演目の見どころだけを見る形の公演でした。今回、私がこの著書を読んだのは、近日中にまとまったお金が手に入るので、どこかの能楽堂で「序・破・急」揃った公演を、つまりは「通し」で能楽を堪能するべく、本書を読んだ次第です。「風姿花伝」「能作書」「花鏡」の三巻からなる、世阿弥の能楽・芸能論です。そもそも世阿弥一族以外には門外不出の書だったらしく、かなり専門的な内容ですが、「一切は、陰陽の和(か)する所の境を成就とは知るべし。」、「花は心、種はわざ」、「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず。」などの警句は、さながら幽玄な余情美を体現するかのようです。その警句の中でも、今となっては聞かれることが多すぎて誰の言葉か分からなくなってしまっている「初心忘るべからず。」、これは実は世阿弥が「花鏡 奥の段」にて、初めて唱えた「金言」であったみたいです。「どこまでも、『初心を忘れるならば、再び初心へ逆戻りするものだ』という道理を、よくよく反省すべきである。」この他にも、世阿弥の説くストイックな「能楽・芸能論」のあちこちに、人生において役立つであろう警句が散りばめられており、それは、「能楽師・世阿弥」の能楽に対する姿勢に、さながら世阿弥その人の人生観を見るようです。ちなみに、世阿弥は「非道(能楽以外のこと)」に没頭することを非難していますが、ことに歌道だけは「猿楽(能楽)に芸術性をもたせる」として、学ぶことを奨励している辺り、しがない歌詠みの私としては、この段に親和性を感じています。こちらの「タチバナ教養文庫」版は、現代語訳・原文併せて書かれており、その意味でもとても良い日本語の勉強の時を持てました。能楽堂や神社に足を運んで能楽を観る際には、この本は必携ですね。 >> 続きを読む
2018/08/31 by KAZZ
土屋恵一郎
白洲正子
内田樹 , 観世清和
多田富雄
橘蓮二 , 立川志の輔 , 小佐田定雄
安田登
白洲正子 , 笠井賢一 , 多田富雄
森田拾史郎 , 多田富雄
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