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立川談春
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プロの落語家って、普通の感覚の人ではできないのかも知れない…。とこれを読んで、そう信じ込んでしまうほど、本人も含め、登場する人たちが個性豊か過ぎ!立川談志は、生存していたころは、ただただ破天荒な落語家…というイメージを持っていましたが、これを読んで、私が思っていた談志の人物像が変わりました。真剣に落語のことを考えていたんですね。憎めない人柄。でも、ここに弟子入りした人たちは大変だったんですね。それにしても、面白エピソードが満載で、本当に笑いながら一気に読み進んでしまいました。師弟愛もすごい!半端ではない師弟愛を感じました。うん、面白い!落語聞いてみたくなりました!この本も皆さんにお勧めしたい! >> 続きを読む
2016/02/09 by taiaka45
吉川潮 , 立川談志
業の肯定からイリュージョンへ。人間の常識の更に奥深くにある不条理とか非常識へ。彼の落語は彼の人生の体現であり、目指すイリュージョンの先を気狂いとも読んでいる。自分の落語の巧さを削って傷つきながら磨いて挑戦していく。芸術に頭を突っ込んだ人にはその芸事の深奥を極めようとした時に何か自己犠牲になるような考えがもたげるものなのだろうか。巧いとか感動させるとか笑わせるとかそういう芸事につきまとう肯定的な反応の次元を越えたところで勝負しているような気がする。言い方は変かもしれないが強烈で押さえきれない自己満足の世界。こういった強い自分の価値観、規範、美意識を追求する人に憧れる。痛みが伴っても、世間の価値観とはズレがあり逆境を感じていても、それでも止むに止めれない向上心。かっこいい人間になりたい。 >> 続きを読む
2014/10/04 by harubou
太田光 , 立川談志 , ビートたけし
2010初夏、かねてより療養中だった談志さんからたけしさんに、「久しぶりに会おうか」のメッセージ、一人ではもったいないと、太田光を連れだっての三人での座談会、その時の様子。芸談はちょっぴり、あとはアブナイ話、下ネタ、ゴシップのみ。こわいもの無しの、お二人、(太田さんはちょっと控え目)。その中でも、おもしろいマクラになるような笑いのところを、談志さんが石原都知事とあったとき、ご本人に教えたジョーク「これが、都庁ですか。さすが日本の首都・東京を動かしている役所だけあって、立派で大きな建物ですねえ。この中では、どれぐらいの人が働いているんでしょうね。」「さあ、少なくとも半分以下だろう」って・・・・・・いいね。談志師匠が集めた外国の小噺を「ミッシェルさんのお宅はこちらですか?」「ええ、そうですが」「・・・・・嵐の日に外に出るな」「えぇ?」「「嵐の日に外に出るな」「ああ、あなたが尋ねているのはKGBのミッシェルさんですよね。三軒隣ですよ。」これと一緒なん、三喬さんの「月に群雲(小佐田定雄作)にもでてきますが・・・・。警官が休み時間に推理小説読んでるんだよ。先輩が「面白いか?」って訊いたら、「面白くも何ともありませんよ。嘘ばっかりです。最後に犯人が必ず捕まるんですよ」スパイものでもうひとつ「強情な奴だな、あいつは。五ヶ国語で黙秘権を使いやがる」下ネタは、省きますが、三人はあちらこちらへ脱線しながら愉しいトークをこのあと、一年五カ月後、談志師匠はお亡くなりになりました。 >> 続きを読む
2016/04/25 by ごまめ
樋口毅宏
自伝・評伝というジャンルのなかで本をいろいろ探していて、この本を見つけた。タモリという人は不思議な人だと思っていたので、どんな話になるのかと楽しみに読んだ。2時間ほどで読了。お笑いの本はたまに読むが、著者の独特な感覚な切り口での話だ。ビートたけしさんや明石家さんまさんの評伝も比較しながらのタモリ論。この本の評価は難しいところだが、こういうファンとしての解説もあるのかもしれない。著者本人がタモリを語るのが困難だとあえて宣言しているのでしかたがないか。 >> 続きを読む
2019/03/03 by KameiKoji
ベッキー
ベッキーって実は前はそんなに好きじゃなかった。「優等生」的な雰囲気が、嫌いではないけど魅力的に感じなくて。だけど志村動物園で動物のために心から笑ったり涙しているところや、他のトーク番組を見て、まっすぐでステキだなーと思った。この本は友達の家にあったから読んだ。読んだら、色々頑張ろう!と思うと同時に素直に感謝の気持ちが生まれた。まっすぐな言葉がベッキーの人柄をよーく表していると思った。周りをぱーっと明るくする太陽のようなベッキー。ベッキーみたいな友達いたら楽しいだろうな~♪ >> 続きを読む
2013/05/27 by sunflower
若林正恭
(図書館で借りた)内向的、自意識過剰、というのは私の本来の性質であるが、「私は若林さんほど重症ではないな」と楽になれた。 >> 続きを読む
2014/09/18 by lilli
田村裕
予想以上に良い本。そりゃ話題にもなるわ。技術や着飾り無く拙いけど、素直な感じで伝わった。 >> 続きを読む
2019/11/05 by hiro2
戸田学
鶴瓶がインタビューする米朝、文枝、春団治などの証言により、六代目松鶴の、芸に寄せる真摯な想いが明らかになる。一言で云うと、豪放磊落でありながら、上方落語の復興に果たした功績は、図り知れぬものがある。その中で、落語の芸と題し、松鶴と越智治雄氏との対談が興味深くおもしろい。「らくだの演出」についてと、松鶴がネタおろしする前のメモ書きがある。枕・・・・千日の火屋時・・・・夏。それも残暑の厳しい頃とする。昼過ぎから夕方。場所・・長屋の造り。豆腐屋(表通り)。大家。月番(コグチから二軒目)遊び人のこしらえから入っていく。・・・・・カスの遊び人だが、なりはしっかりしている。紙屑屋の性格・・・・・酒と博打で身をすったのは嘘。酒だけ。嫌にになっている。・・・・・最初の一声から描き方を変える。今迄の、初め愛想笑いをしていて、最後にやくざのようになるのは演出の謝り。-暗い感じ、重い口、上品なところのある言葉。酒の呑み方・・・・・やけくそになって紙屑屋は呑んでいる。一升徳利三本をうまく空けなければならない。勿論紙屑屋の方が強い。・・・荒い事を言わず凄みをきかせる。一合茶碗、一息で呑める。箸が乱れてくる。おかずはあまり食べない。」・・・・・・・・・箸の置き方まで、最初は小皿、次は左手で受けながら、ぼちぼちじか箸に、きっちり前に置いた箸が、だんだんぞんざいになりお膳の上にポンと落とすようになる・・なんて細かいことまで、留意されているのか、米朝さんならいざ知らず、六代目の口から発せられるのが、驚き。・・豪放磊落に見せながら、いかに細かい計算があったのか、感動。らくだをただ怖がるのはいけない。水滸伝の人間のように大きな事ばかり言ってもいたらくだ。先ず最初の月番の所へ行く。泣き笑いの祝儀。返事を聞かんと困ると言われて、気軽に荷物を預ける。大家の所へらくだを背負って行く。「豚と相撲とった夢見て、らくだ背負う」・・・別のくすぐりに変える(実際は、豚をまめだに変更)。長屋の人間の扱い。びっくりして香奠を持ってくる。家主・・“かんかんのう”・・・死骸を見てすぐ謝る。・・・小文冶さんの演出。“ちっとは嫌がられている家主”やと言った手前、踊らせる迄強がっている。桶・・・八百屋ではいけない。西日の中を歩いていく。(20分位の道)約1時間・・・・。私たちは、舞台の落語を聴いて、単にあははと笑っているだけですが、噺家さんの高座には、演者としての、深く緻密な計算された演出があるんですな。このあと、「市助酒の酔い」、「噺の変幻」、「言葉の深さ」、「呼吸のむずかしさ」と六代目が真正面から語る、芸談は、日頃聴いている噺だけに、読み応えがありまっせ。是非、笑福亭ファンは図書館でも、手にされることをお勧め致します。 >> 続きを読む
2013/06/07 by ごまめ
上方落語の四天王と表紙には、松鶴、米朝、文枝、春団治の順だが、中身では、最初で一番多くのページを割かれているのが米朝さん。松鶴さんの本は読む機会も多いので、今日は米朝さんと文枝さんを中心に紹介。米朝さんでは、大ネタとして、それぞれ「地獄八景亡者戯」、「たちぎれ線香」、「百年目」を紹介しているが、それに続いて品格と格調という項では、「はてなの茶碗」、「鹿政談」、「天狗裁き」の三つをあげられている。この三つとも大なり小なり米朝さんが復活された噺とか、当り前のように上方落語の定番ネタと思いきや、茶金さんや奉行ものがでてきて、米朝さんならではの品格と格調を備えたものになったんですな。・・・・さすが、人間国宝でおますな。一方、皮肉な笑いとして、「算段の平兵衛」、「けんげんしゃ茶屋」など、辛辣な風刺を利かせた皮肉な笑いも得意にしていたと・・。そして、戦前戦後の名作新作としては有名な「一文笛」。そして師匠の米団治作である「代書屋」を今の三代目に伝えたのは米朝とか・・・。こうした噺が語り継がれるようにストーリー性のある噺へと成熟させるのもおてのもんなんでしょうな。そして、意外なのが、米朝十八番としてあがっている「阿弥陀池」、「つぼ算」がある。仁鶴さんにつけたのも米朝さんとか。ほんま、生で聴いたことがないだけにどんな噺っぷりなのか興味あるとこですな。又、米朝さんの落語の特徴としてかぶせるような突っ込み、セリフの呼吸だと筆者はいう。そのかぶせかたは、つっ込みを入れるときだけではなく、全般に笑いをとる為の強調、メリハリとしてセリフをかぶせてゆくところ(それも高い声で)にも特徴があったと。早速、米朝さんCDをひっぱり出して聴いてみよう・・・。そして、文枝(小文枝)さんについては、謡い調のリズミカル落語だと、非常にリズミカルに言葉を言い立てていく。言葉の語尾も、ちょっと謡いのように伸びるのであると・・・「天王寺詣り」の速記が記してあるので、少し紹介すると「さあ、こっちへ入りィなあ~ッ」「や~、おおきにィ。あんたァ~、珍しいもの好きやというてなはるやろ~ォ、珍しいもん見せてあげまひょか~ッ。」「珍しいもんて、いったいなんえいッ?」「あんた、あのね、あの、ヒガンていうもん見たことおまっかァ・・・」「ヒガンッ・・・・ヒガンて、なんえいッ?」読んでいるいるだけで、ほんまあの鼻にかかった文枝さんの声がリズミカルに蘇る。そんな、各々の特徴を、演目紹介とともに、的確に分析しつつ解り易く紹介してくれる。なかなかの力作、それと巻末には志ん朝さんも大阪ゆかりと、TORIIを中心に紹介されている。落語の随筆を書く方、結構お年を召した方が多い中著者の戸田学さん、1963年生まれの御年、50才のお若さ。(米朝さん曰く、落語家も50才~65才が旬で、一番良い時と)まだまだ、これからも色んな落語本が出版されそうで楽しみでおます。上方落語のファンの方、必読の本でおますで。 >> 続きを読む
2013/06/18 by ごまめ
上方落語四天王の継承者たちと、興味あるタイトルで今年の6月発売のの新刊ながら、十五年前からの過去の随筆をまとめたもので、選ばれた落語家さんは、枝雀、仁鶴、春蝶、ざこば、小米、南光、松葉、千朝、吉朝、喜丸の十名。ただ、既に半数の方が他界、四天王の継承者たちと言いながら生の高座が聴けないのが残念。この中で、松葉さん、吉朝さん、喜丸さんのご三人は、私が丁度落語から離れていた時代の方で、本を読めば読むほど、生の落語に接してないのが悔やまれる。仁鶴と枝雀の落語は、初代春団治につながると、「うまさ」と「面白さ」を兼ね備え、仁鶴さんのスピードと合間のツッコミは、春団治似であると。興味深いところでは、「池田の猪買い」は、米朝から、仁鶴、枝雀が一緒に並んで教わった演目であると。米朝は、五代目松鶴よりただ一人この噺を伝承されたもので、名作でありながら、案外広がっていないのは、こういうところにもと・・・・・納得。今、枝雀さんや松葉さん、吉朝さんらが居られたら、この上方落語もどのようになっていたのか・・・・・・・・・・・。上方の落語家さんも現在250名を超え、次の時代の継承者たちへと。枝雀は雀々、仁鶴は文華、南光は南天、松葉は鶴二、吉朝は吉坊、遊喬、文三、宗助、千朝、梅団治さんと、一門も年代もバラバラの、私が今お気に入りの噺家さん達なんですが。次の名人に出会う為のは、落語というのが生の空気の共有化が基本にある限り、その時代、そのときに会う、一期一会の出会いに期待して、多くの落語家さんの落語会に足を運び、多くのの噺を聴くことでおますな。 >> 続きを読む
2013/08/25 by ごまめ
桂米朝 3世
桂米朝さんが、朝日新聞に、「よもやま噺」として夕刊に掲載されていた分。その対談相手であったり、ハナシは落語だけではなく、歌舞伎、上方舞、漫才、浪曲、講釈、邦楽、狂言、演劇評論、芸妓、まで多種多彩に、ハナシは拡がる、まさに生き字引。昔を語る、芸の伝承・・・・・貴重なハナシ、ばっかりでっせ。 >> 続きを読む
2016/12/21 by ごまめ
大谷由里子
この前の、吉野伊佐男さんに続いての、吉本の本。女子大出で吉本興業に就職、そしてよりにもよって横山やすしさんのマネージャーに。ミーハー気分の抜けきらない女の子が、癖のある芸人さんに鍛えられれ成長していく。会社の吉本も、まだ東西合わせても30名ほどの小さな会社、その後に会社のトップにのぼりつめた、大崎さんらがマネジャーとして飛び跳ねているときに、何も解らず失敗続きの新人さん。でも、持ち前の明るさとガッツで、芸人さんの信頼を得ていく“まっちゃん”。その“まっちゃん”と共に、いくよくるよ、大助花子、こずえみどりらが売れていく。その漫才ブームのさなか、各プロデューサーとしての芸人さんのあり方を書いたところがおもしろいので紹介してみると・・・・。フジテレビの横澤さんは、若い子の感性に合わせて古いものを切っていける人。それに対し澤田隆治さんは、若いものにばっかり合わせず、昔からの芸も守らなければいけないという考え。そして木村さんは昔からの芸人が好きなくせに、、新しいものも作ろうと努力をしていた・・・と。そういう中で、やすきよの漫才もダウンタウン、ウッチャン・ナンチャンなどの新しい笑いの流れに、戸惑いをみせ始める・・・芸人とタレント。一人の女の子が一人前の仕事人への成長期と、楽屋裏からみたちょっとした上方の漫才史でもおます・・・・お笑い好きの方にお薦めの一冊。 >> 続きを読む
2014/10/13 by ごまめ
今さらと思いながら、35年前に買って、事典替わりに活用している、「米朝ばなし・上方落語地図」を、ご紹介致します。上方落語にまつわる、馴染の場所が落語の内容と地名の由来、そしてその地にちなんだハナシは、講談、歌舞伎など多岐にわたり、まさに地名からと、落語の内容からと、縦横無尽に活躍できる。・・・・実は、私の、座右の書である。「堂島」、「米揚げ笊」の舞台、「住吉駕籠」の相乗りの行先も、堂島。「大川町」は、言わずと知れた、「高津の富」がはじまる宿屋町。「高津」は「高津の富」ですが「崇徳院」にもでてきて、前の黒焼き屋は、「親子茶屋」にも・・・。そして裏手では「高倉狐」、「稲荷俥」のはじまりはここから。「天満」には、「初天神」の天満の天神さん、「米揚げ笊」の笊屋があり、「千両みかん」の青物市場もある。「桜宮」は、「百年目」と「桜宮」。「浪速橋」では、「遊山船」、「船弁慶」の夕涼み。「船場」は、お店ものの宝庫、「百年目」、「鬼の面」、「月並丁稚」、「七段目」などなど。「今橋」は、言わずと知れた、「鴻池の犬」。「鰻谷」は、「欲の熊鷹」。「住友の浜」は「次の御用日」と、「佐々木裁き」、といまだに共に碑がある。「東横掘」は「帯久」。「四ツ橋」は「辻占茶屋」。「瀬戸物町」は「壺算」と続く。「日本橋」は、「宿屋仇」であり、「代書」のトメの本籍地も日本橋。「天王寺」は、「天王寺詣り」、「鷺取り」では主人公が運ばれてくるのも天王寺さん。「逢阪」は、一心寺の裏手の安居の天神さん、「天神山」の狐と出会う処。「三津寺」の前には、「まめだ」のびっくり膏の店がある。「道頓堀」は、「蔵丁稚」で芝居に夢中になる、今はない五座の小屋があった。「堀江」には「阿弥陀池」があり、「玉造」は、「東の旅」の二軒茶屋がある。これから、「旅ネタ」中心に北摂、播州、京都、奈良へと移っていく。米朝さんらしく、メモ参考文献の豊富さ、大阪を知る、学術書の感もある。どこを開けても、落語ファンの馴染の場所が続々登場、落語で行ったあの場所が再び蘇る。上方落語ファン、必買い、必読でおます。今は、文庫本が出ているので、是非手元に置かれることをお勧めしますで。 >> 続きを読む
2013/06/03 by ごまめ
古今亭志ん輔
「師匠は針、弟子は糸」師匠の突進んでいったところは、弟子は有無を言わずついて行くだけということか。前座名「朝助」、二つ目「朝太」、そして真打ちで襲名した「古今亭志ん輔」さんのエッセイ本。大師匠の志ん生のこと、馬生のこと、そして師匠志ん朝のこと・が語られる。でも、今ある自分は、師匠があってこそ・・「針と糸」。例えば・・・バーのカウンターに座った二人、明治座の「文七元結」の舞台を話題に、「懐から紙入れを出すでしょう。あん時、身体の外に出した方がようござんすよ」「身体の外に」・・・のり平は水割りのグラスを自分と志ん朝の前に構え、「シルエットとして見なさいね。私のシルエットの中にグラスは入っちゃったでしょ」「テレビや映画ならグラスをアップで抜くとこなんでしょうが、舞台では、小道具を際立たせたい時には身体の外に出すんだな。・・こんなふうにさ」と実演するのり平さん。そしてそれを聞くなり、すぐ稽古がしたくなりソワソワしだした志ん朝さんに、「帰ってもいいよ。」・・のり平さん。奥深い、志ん朝師匠とのり平さんの芸談。志ん朝の志ん生襲名にまつわる噺も凄い・・・、ある日志ん生師匠は馬生師匠を目の前に鎮痛な面持ちで「あの、あの」を繰り返す志ん生を見かねて馬生師匠が「大丈夫だよ、志ん生は志ん朝に継がせるから」・・・あの静かな馬生師匠が穀然としかも自分の親に、それも天下の志ん生を諭すように言った。言われた志ん生は滂沱の涙を流しながら「すまねえな」を繰り返したと・・・惨い。馬生さんのダメージは、思いは、いかほどだったのか、高座さながらの人間味が述べられている。話は、ガラリと変わって、志ん輔さんのケータイ日記。これが、単に、スケジュール替わりの日記であるが、毎日、浅草や池袋、新宿の高座へと忙しく動き回り、その日のネタと、食事の様子が述べられている。でも、凄いのは、その合間をぬってカラオケで行われる稽古・・・・時間があれば稽古、調子が悪ければ稽古、まさにウォーミングアップ替わりに行われる。この、裏で行われる、素振りの凄さに、どの世界でも真のプロの真摯さを感じる。芸を究める、噺家の、日常が垣間見れますよ・・・・。 >> 続きを読む
2013/06/12 by ごまめ
京須偕充
いたって難解、京須偕充が云う、「名人」とは、誰とは一切明言していない。ただ、始祖、三遊亭圓朝であり、四代目橘家圓喬、初代三遊亭圓右とかが紹介されているが、音源もなく、いたって過去の「名人」をロマンとして、あげている。昭和の名人として、「文楽、志ん生、圓生」そして、更に範囲を拡大して、三木助、小さんを含めるでも、それも、ご自分のことばではなく、小島政二郎氏のことばとして述べている。昭和に活躍した、その他多くの噺家をあげながら、「名人」とは、ほど遠いことのみをクドクドと述べている、そこには「名人」とは現存の人材に対する称号であるよりも、いささかの、あるいはそれ以上に過去の人材に捧げる尊称になっている。「名人」を語るという作業は、過去を懐かしみ、その時代を知っている年寄りの特権なのか。私にとっては、あまりににも古すぎて、難解の一言でおます。著者も、最後に自省なのか、名人談義に疲れたので、あと少々お付き合いとして、「私が見てきた亡き十人の噺家」を追加しているが、ほとんどが世間の名人談義の立役者ではあるが、これは私のの選んだ「昭和の名人」ではないと断っている。年代順に、一、五代目古今亭志ん生・ 二、八代目桂文楽・ 三、三代目三遊亭金馬・ 四、八代目林家正蔵五、八代目三笑亭可楽・ 六、三遊亭圓生・ 七、三代目桂三木助・ 八、五代目柳家小さん・九、十代目金原亭馬生・十、三代目古今亭志ん朝であるが、誰もが、著者にとっては名人ではないらしい。読んで感じるのは、落語「百年の名人」論とあるが、生の落語が最高なように、落語家の好みを語るのも、落語という芸が、聴き手の頭の中での想像に委ねる芸だけに、同時代に生きなければ、語る資格はないようですな。 >> 続きを読む
2013/06/09 by ごまめ
木下優樹菜
大ヒットした「ユキナ婚。」の続編。マタニティライフもなかなか楽しそう♪と思える本。初めての妊娠で不安な日々を過ごしている人ならオススメ。もちろんマジメな知識本ではなく、エンターテイメントとして読める雑誌感覚。でも既に子供がいる方は、読む必要はありませーん。 >> 続きを読む
2012/11/27 by アスラン
立川志らく
落語の名人芸「ネタ」の裏側と、立川志らが、三越落語会+十一名人の「感どころ」と各噺家が当日のプログラムに書いた「感どころ」と、志らく自身の解説を加えたもの、各噺家の自筆の原稿も掲載されており、書体と推敲ぶりが窺えて、興味がそそられる。その十一名人とは、五代目志ん生、八代目文楽、六代目圓生、三代目金馬、三代目三木助、八代目可楽、八代目正蔵、五代目小さん、十代目馬生、五代目圓楽、五代目談志・・・・・の十一人。 実際に高座を見た小さん師匠、憧れだった馬生師匠、そして圓楽師匠、志らくさんの師匠である、談志師匠と後半になればなるほど、志らくさんが、実際噺家になってから、自分の落語を究めるのに、芸のサンプルとして細やかに分析しているので、おもしろい。ただ、すべてが、師匠との比較論であり、離れようとすればするほど近づいてしまう。、例えば、一門の志の輔、談春、志らく、の談志十八番への接し方は、三者三様である。全く触れない志の輔、オマージュとコピーの談春、否定しても元に戻る志らく、と自己分析している。前半は「三越落語会」の正しい芸の継承との形を取りながら、後半は「三越落語会」を通じて、志らくの落語論を遠まわしに披露。何れにしても、一つの噺をものにする為の、各噺家の思い、「感どころ」が知れる。同時代の噺家を意識しながら、如何に自分の十八番とするか、「ネタ」の裏側の、工夫と悩み、そして芸人としての自己肯定。「感どころ」、一つにしても、各人各様の思いが伝わってくる。でも、この名人さん達の生の高座を見たのは談志さんだけに・・・・・残念です。 >> 続きを読む
2016/01/03 by ごまめ
郡山和世
旦那の小三治さんの「まくら」シリーズの本も楽しめるが、それ以上に、気丈夫なカミサンの日常がおもしろい。弟子は、小三治さんが師匠であるが、そのカミサンの弟子ではないとの、思いがあるが、そんなことには、おかまいなしに、弟子を肉体的にも、精神的にも、鍛えあげる。本来は、落語家と弟子は、父と子であれば、そのオカミサンは母と子であるのか・・・・・。その熱き思いがなければ、3年の内弟子時代のごんたくれの者と落語家志望といいながら、開き直りもなければ、一緒に暮らす事など、到底できない、。やんちゃな落語家、夫の小三治に、惚れた子供(弟子)たちが、そのDNAをどんどん、引継ぎ、膨らましていく。でも、オカミサン、「師匠は怖いけど、おかみさんはもっと怖い」と、疎んじられるながも、弟子たちを、可愛く感じ、日々共に暮らせるのは、その父、夫の小三治さんに、惚れているからだろう。落語家さんが、弟子をとるというのは、その奥さんがオカミサンになるという事、弟子をとるという気がある落語家さんは、まずは奥さんに、事前に読んでもらうと便利な本ですな・・・。(でも、対象の人少ないですな)落語の世界は、舞台も、楽屋も、日常も、おもしろいですな・・・・。 >> 続きを読む
2013/05/24 by ごまめ
平岡正明
二ヶ月、経っても、完読できず、自分自身いやになる。落語論ではあるが、作者の平岡正明さんの視点が高尚すぎて、いかんせん、江戸落語で、生で聴いた事の無い、志ん生さんと、文楽さんで、ましてや内容が学術的で馴染めない。三木助の「芝浜」を、朝の芝浜の朝明けの清清しい描写が有名だが、あれだけ、磯の匂いが沸き立つぐらい事細かに演じると、「あれじゃ、夢だと、思えねえ」と、五代目志ん生が切り捨てていた。とこの様に、CDもあり、確かめるできるところは興味深く読む事ができるが音源として、我耳に残らないのは、辛いことですな。江戸落語に出合うた時には、再度、ページをめくる事もあるでしょうが・・。ひとまず、書棚にいれときます・・・・。上方ファンの方、平岡正明さんの本では、まずは、桂枝雀さんを書いた「哲学的落語家」から、お読みなさるのをお勧めしますな・・・。 >> 続きを読む
林家彦いち
林家彦いちさんが高座の裏側の写真集。1990~2004年まで撮り溜めた「楽写」(楽屋写真)好きな先輩、仲間がいっぱい。一番印象に残るのは、高座袖から仲間の高座をみる噺家の顔の写真。じっくり聴くもの。ゲラゲラ笑うもの。「うれしい」、「楽しい」、「なるほど」、「チクショー」、憧れと嫉妬、ライバル心が渦巻く。そして、四代目の桂三木助のそれぞれの写真。冗談を云う、ご機嫌の表情。小朝さんとくつろぎ語らう三木助さん。出番直前、目をつぶりながら、何か言葉を繰り返す三木助さん。亡くなられた本人に替って、自宅へ写真掲載の承諾を得るために自宅へお伺いする。おられた、三木助師のおねぇさんとおかぁさまにお願いすると、「是非お仲間に入れてあげてください。・・あの子も喜ぶと思いますよ。」と喜び、涙ぐまれる。今、元気な噺家さんたちの前座、二つ目の若き時の写真も多く、真打になる日を目指す輝ける若き楽屋、苦しい修行中でありながら、カメラを向けられれば、誰もが笑顔で返す。笑顔、笑顔、満載の一冊でおます。 >> 続きを読む
2013/06/19 by ごまめ
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