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井上ひさし
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仲良しの友人が亡くなって自分は生き残った。友人のお母さんに、「うちの子じゃのうて、あんたが生きとるんはなんでですか」…と言われ…。目の前の父を助けられずに、自分は生き延びてしまった。私は父を見捨てたんじゃないのか。つい、そう思ってしまう。自責の念・・・。何の罪もない普通の人々。>あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりではなく、人間の存在全体に落とされたと考えるから・・・・あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。(前口上より)太陽の温度は6000℃。原子爆弾は12000℃。すべてを一瞬にして焼き尽くす。その後もずっと生命を傷めつづける。原爆は人間の意志が落としたのです。飛行機に積み込んで、運んで、落としたのです。爆弾は落とさなければ落ちません。諸悪の根源は人間の意志、心。人間の心が、人間(すべての生命)の命を奪った。すべての生命は、命として平等です。奪う権利は、誰にもありません。奪えば自分の生きる権利もなくすことになる。原爆(すべての”殺すため”の道具)は人間の愚かさの象徴、愚の骨頂でしょう。なぜ、人間は学ばないのでしょうね。人間だから、学ばないのかも知れないですね。頭が悪すぎて、学ぼうとしない。その自覚もなかったりする?・・・(←無明)まずは、人間は愚かでどうしようもないあほな存在であるという自覚(←否定できない)をもつことだね。だから、この世は苦なんだと自覚しよう。人は幸せになるために、人を幸せにするため、心を磨くため、賢くなるために、、、少しでも楽になるために生きているのです。苦を楽に変えて生きていこう。もっともっと学ばなくちゃ。・・・と思います。(こんな感想しか書けません^^;) >> 続きを読む
2017/10/01 by バカボン
倉田百三
浄土真宗の宗祖 親鸞聖人と その弟子達とのやりとりを題材にした戯曲です。 戯曲ですから台本形式なのですが、 特に違和感なくスラスラ読めます。 時代の古さも気になりません。 親鸞聖人の弟子 唯円が書いたとされる 歎異抄を下敷きにしているそうですが、 小難しいことは一切かかれていません。 浄土真宗のことは詳しく知りませんが、 「人を憎むな、自分を責めるな、すべて許して受け入れろ、 全部を仏様にゆだねるのだ」 といったことが ひたすら繰り返し平易に述べられています。 そんな親鸞聖人の教えを上手に受け止められず、 聖人の実の息子や とてもかわいがっている弟子が 生きていく悩みに打ちのめされているエピソードが物語の中心であり、 親鸞聖人自身も往生を迎える最後の場面まで 葛藤をもっていたことが描かれています。 発表当時(大正のころ)には大ベストセラーになったそうですが、 今読んでも考えさせられるところのある作品です。 >> 続きを読む
2018/08/29 by kengo
井上ひさし氏の父が特攻に3度検挙され拷問を受けたことで脊髄を痛めそれがきっかけでカリエスになって亡くなった。同じ拷問を受けて亡くなった小林多喜二を書いた流れも分かるような気がする。ひさし氏のユーモアあふれる作風で悲惨な感じはほとんど無い。特攻の人まで多喜二に思い入れがあるように書かれててたぶんところどころ笑いが聞こえてくる舞台だろう。舞台役者も今の役者さんばかり勢ぞろい。多喜二の姉のチマが高畑淳子で酌婦から救い出された瀧子役が石原さとみ。多喜二役は井上芳雄。舞台も見てみたい。 >> 続きを読む
2019/04/14 by miko
湊かなえ
【図書館】 『告白』を読んでから、この作品を読みたいと思っていた。人気なので、やっと手に取ることができた。『告白』同様、学校が舞台。「一高に行くことは高いステータス」とされている。誇りに思う人もいるが、中にはそうは思わない人も。それぞれが様々な想い。 >> 続きを読む
2014/12/03 by おれんじ
柳美里
台本調にセリフ書きの形で展開される家族/友人関係。感性が合わず、何を伝えたいのかが全く把握できない。かといってとくに主張もなく、ごく普通の日常風景を切り取るというアプローチでも無い。登場人物が死ぬという非日常が展開されるが、その意図が掴めない。全体を通しての印象としては、偉そうな評論家が使う、「19歳女流作者がみずみずしい感性で描くなんとかかんとか」というよく有る宣伝文句がピタリとはまる気がする。芥川賞受賞「家族シネマ」など、文壇からは高い評価を受ける著者なので、きっと楽しめる作品も有るのだろうとは思うが、本書を読み勧めるのは辛かったというのは事実。台本調でない他の作品に触れてみたい。 >> 続きを読む
2011/01/04 by ice
有川浩
シアター!2にちらっとお話が出てましたが、"地方の高校から公演の依頼が来た"時のこと。実際に公演が決まり、"学校に着いてから公演が終わるまで"を脚本で描かれています。思えば脚本を読んだのは初めてで、ほぼ台詞で埋め尽くされたページと、ところどころ入る注釈が新鮮で面白かった。作者が思いもよらないところで笑いがおこったり、一つの台詞に対してこんな動きがあって、こんな思いが込められているのかと想像していると、実際に舞台を見ているような感覚で楽しめた。舞台に限らず映画やアニメ、ドラマとか映像作品って、多分本当に些細なところまでこだわりがあって、普通に見ているだけじゃ気付けないようなところもたくさんあるんだと思う。この動きにはそのキャラクターなりの思いがあってこういう行動をしているんだなぁとか、小道具や背景、衣装、全部がうまく調和してるからこそ違和感なく見ることができるのかもしれないなぁと思いました。さて、この本が出てすでに5年経っていますが、3巻がいつ出るのか?!首をながーくして待ちたいと思います(^^* >> 続きを読む
2016/10/28 by starryeyed
白洲正子
▶「BOOK」データベースより)紀有常の娘が業平との永久の愛を語り清絶に舞う「井筒」、一ノ谷の合戦で討たれた平敦盛と今は僧となり弔う直実が夢のごとき人生と無常を語る「敦盛」、ほか「隅田川」等。最大限に省略された舞台空間で無限の表現を可能にした能、視覚聴覚に訴えるその“間”と、幽玄と美を文章に写す。創造的な独自の解釈を加え物語る能の名作二十一篇。 >> 続きを読む
2018/05/29 by rikugyo33
「やられたら、やり返す」。報復の連鎖は、国際紛争であれ、テロをめぐる戦いであれ、その基本原理だ。「報復の連鎖は断ち切れるのか」-------。9.11テロ以降、私たちの頭上には常にこの問いかけがある。今は亡き蜷川幸雄の演出で、藤原竜也、小栗旬という人気俳優が、宮本武蔵と佐々木小次郎として激突するぜいたくな舞台となった、井上ひさしの戯曲「ムサシ」は、この問いに真摯に答えていると思う。国民的な文学となった吉川英治の「宮本武蔵」の最後の場面、巌流島(船島)で小次郎を倒した武蔵は、小次郎にまだ息があることを知り、手当によっては助かるかもしれないと思う。戯曲は「お手当を---早くお手当てを!」と武蔵が呼びかけて去るところから始まる。息を吹き返した小次郎は六年後、鎌倉の禅寺でようやく武蔵にめぐりあい、再度の決闘を挑むのだった。一触即発の二人をなだめ、戦いをやめさせようと、あの手この手を考える柳生宗矩と沢庵。偶発的な斬り合いを避けるため、武蔵と小次郎は宗矩らと足を麻縄で結ばれ、二人三脚、三人四脚から、果ては五人六脚にまでなる。抱腹絶倒のこの喜劇は、そのまま現代の大きなテーマを浮かび上がらせていく。武蔵と小次郎に出会った若い娘の筆屋乙女は、二人の助力で父の敵を倒すが、とどめは刺さない。「恨みから恨みへとつなぐこの鎖がこの世を雁字搦めに縛り上げてしまう前に、たとえ、いまはどんなに口惜しくとも、わたくしはこの鎖を断ち切ります」と復讐を断念して二人を茫然とさせる。剣の修行で人格を磨こうとする求道者・武蔵と、栄光を求める天才・小次郎。剣によって生きてきた二人にとって、戦いや報復を捨て去ることは、実は自分の生き甲斐を捨てることでもあるのだ。これは、困難な選択だ。しかし、平和にはそれほどの価値があると、この戯曲は教えてくれる。 >> 続きを読む
2019/04/11 by dreamer
三島由紀夫
ゼミで読んだ本の一つ。明治の鹿鳴館の社交界で少女と西洋人の出会いについてだ。他の授業で六名とは、美しい物の象徴で(私は不気味なものとしか感じなかった)そこで一生懸命西洋のまねごとをする日本人を見たあわれみ。私はレポートで、菊が象徴する日本文化の死について考えた。歳月を経て、老婆が夢見心地で懐かしむものは美化された記憶なのであろうか。 >> 続きを読む
2015/03/01 by 匿名
親鸞と周囲の人間との会話から仏教の心を知る。心に平安が欲しい時などにヒントをもらえる。自分の中で評価が2つに割れた。評価が高かった部分は、本作品のコンセプト。一般人にはわかり難い概念を平易に解説することで世の中に知らしめる作品は存在価値が高いと常々思っているが、本作品は仏教という概念を親鸞の口を借りることで説明している。更に脚本形式のような形態であるのも、平易度を増すのに貢献しているのだと思われる。評価が低かった部分は、「それでは解決にならない」解決策に終始している点。・問題が発生した→祈りなさい。・心が乱れる→祈りなさい。・悔い改めたい→祈りなさい。宗教というものが「祈りなさい」「許しなさい」というものなのだと思うので著者を攻めるのは酷な気もするが、現代社会でこれを履行していては能動性に欠けるダメ社員になってしまいそうな気がする。とはいえ、うつ病で苦しむ方も多い社会では、むしろ、これくらいの概念の方が受け入れられるのかもしれない。現代社会では信仰と言動を使い分ける必要が有るように思う。 >> 続きを読む
2007/02/03 by ice
恩田陸
恩田陸さんの戯曲が文庫化。高校の同級生5人が喪服姿で椅子に腰掛けて繰り広げられるサスペンス調の物語。友人の葬式帰りからドキュメンタリーの映画の撮影へ、そして話は高校時代のとある事件へと推移していく。場所ひとつにも関わらず、話がどんどん移り変わる面白さ。どの登場人物も裏の顔を持っていそうで、常に薄ら寒い雰囲気がただよう。久々に恩田作品を読んだけど、この独自の空気感が好きだな〜。 >> 続きを読む
2016/08/10 by botan
木皿泉
同僚が貸してくれたテレビドラマの脚本。そのドラマは見たことなくて、その存在も覚えているようないないような感じ。キャストを想像しながら読むと、第一話で主人公が小林聡美のイメージから抜けなくなり、その他の配役がこれまで見たことのある彼女の出ていた作品の共演者でパズルのように埋まっていく。読み終わってからWikipediaで調べたら、ほぼ合ってた。脚本を読むというのは小説と違ってスラスラ流れていく印象で、正直あんまり頭に残らない。読み終えてドラマの方が見たかったなぁとは思ったが、多分DVD借りてまでは見ないだろうなぁ。 >> 続きを読む
2013/10/28 by freaks004
ケラリーノ・サンドロヴィッチ , 岸田国士
先週の出来事です。今日も今日のうちに帰れないと嘆きながら、ペットボトルのペプシコーラを一口、そして思わず「モスバーガーの味だ」と漏らしたのはいいものの、やはり帰宅する目途はたたない。ふわっと意識が宙を浮き、左手をスラックスの後ろのほう、要するに臀部に伸ばすと昼休憩での惨事、あの事件の痕跡と逢着した。あのバカ犬め、バカ犬め……。 お昼ごはんを食べたあとの、オフィスへもどる抜け道がちょっとした住宅街に近いせいか、犬の散歩に精をだす婦人がやたら多い。ここにも犬を連れた奥さんはいるのだ。しかもこの辺りの奥さんには(にも?)不文律に縛られない人もいて、つなぎをしないでゆうゆう散歩しておられる。はじめて見たときはそれは目を疑いましたが、郷に入っては郷に従えとあるように、もしくは、じぶんも犬を連れた気分で平然とやり過ごしていました。ところが、じゃなくて案の定、うしろからガブッとやられましてね、いいえ体はまったくの無傷で、うまい具合に布地のみ痕が残りました。なにか知りませんけれど弁償するとか言ってくるもんですから、「それがこれは安物ではないんです」と返せば、ほのかに申し訳なさそうな表情を浮かべたので、「いえいえ、19,800円です」とその場をあとにしました。 それでも私は声高らかに訴えたい。犬は鎖につなぐべからず。そういえば、このごろ駅から歩いて帰路に着くあいだに必ず吠えてくるあの犬を見かけていない。私が通り過ぎる手前、一目散に駆けつけてくるのだが、鎖のせいでどうしても飛びつけず、透明な壁にぶつかるように頓挫してしまう。それを見るたびに可哀想になったり、嬉しくなったり、家に帰った心地がしたりするのだ。こんなに私の帰りを待ってくれる人はついにいなかったのではないか? だからもう一度訴えたい、犬は鎖につなぐべからず。 それでは本のご紹介。表紙に目をやると、なんだかクラリーノ・サンドロヴィッチさんの戯曲を岸田國士が訳した古い本の復刻版に見えるが、その反対で、岸田國士の原作の戯曲を、日本生まれのクラリーノ・サンドロヴィッチが読みやすく編纂した本なんですね。この劇作家の奥さんは緒川たまきさんらしいですぞ。羨ましいですね。わりとぼくのタイプです(最近の一押しはNHKの桑子アナ)。いろいろな短篇の芝居がコラージュされており、これを読めばおよそ名前しか聞く機会のない岸田國士の世界を垣間見ることができるのです。もちろん岩波書店や新潮社から全集も刊行されています。しかし、あたらしい岩波の全集は旧かな表記なので、それに慣れていない人は取っつきにくくて仕方がない。そこで奥さん、じゃなくて皆さんに岸田國士のおもしろさに触れてほしくてレヴューしました。さり気ない人間の機微がつまった澱みなく交わされる会話文には、それでいて余白もあって、読者各々のイメージがうまくテキストに投影される。たとえば「驟雨」に出てくる、新婚旅行早々に愛想を尽かされる男なんて定めし身近にいるだろう。そうやって手繰り寄せたあとに遠目からも眺められるのが岸田國士のほんとうの魅力であり、頭のなかに特設された劇場まで読者を手びきするテキストのみが本として読まれる。シェイクスピアにしてもブレヒトにしても。言うまでもなく、この劇場はペット持ち込み可。シェイクスピアの戯曲でなくても、鎖なしの犬が、何食わぬ顔して見知らぬものを拾ってくる。 >> 続きを読む
2016/11/13 by 素頓狂
寺山修司
江戸川乱歩 , 三島由紀夫
安部公房
泉 鏡花
宮藤官九郎
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