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サン・テグジュペリ , 河野万里子
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いやあ、面白かった!夢中になって一気読みしてしまった・・・!児童文学侮ることなかれ・・・。子供が読んでも大人が読んでも楽しめると思うし大人になってから読むとその背景や色合いなどが全く別のものに変容していくような気さえする。惜しいのは自分はこの作品を子供の頃に読んでいなかったこと。大人になってはじめて読んだのでもし感性や感受性が豊かだった子供の頃に読んでいたら今大人になって読んだ時との対比などがわかったと思うので非常に残念。だけれども今読んで(再読して)わかったことというか感じたことは生涯忘れることはないだろうと思う。王子さまと僕の交流。王子さまと花の恋。王子さまとキツネの友情。王子さまと星々の権力者たちとの問答。そして、王子さまと僕の別れ。それぞれに深くあたたかい、でも、一筋縄ではいかない大人と子供のやり取りが時に激しく時に哀しく描かれていて「ああ、現実も人生もこういうことだよなぁ。。。」と思わせてくれました。実際王子さまのように諦めずに何度も聞き返せればどれだけ良いか、僕のように大事なことをやっている時に何度も聞き返されたら嫌だなぁとか自分の日々の生活に置き換えて考えてみるとなんにも王子さまがやっていることは不思議でも不自然でもなく本来は人間同士がやらなければいけないことで、人間同士がやりたくない、やってほしくないことなんだなぁとも読み終えて思いました。この作品は童話的ですが書いてあることは人間の営み、日々の生活なんですよね。王子さまのようにはできないけれど努力することはできる。だから、もうちょっと図々しくでも尊敬や感謝の気持ちを持っていろんな人達と交流していき、僕のように、王子さまのように豊かな心を持ちたいなとも思いました!今回chaoさんの「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち」のレビューを拝見させていただいてこの「星の王子さま」を読みたい、読もうと思い結果楽しく読めたので改めて機会を与えてくださったchaoさんに感謝致します。ありがとうございました!ちょっと読んでいる最中に心配事があって何度か読むのやめようかと思ったのですが読んでいくうちにその心配事が紛れ気づけば物語の中に耽溺できていたのでやはり読書って凄いなぁ、良いもんだなぁと思いました。これからも、常に本と、読書と共に人生を謳歌していければいいなぁとも強く、強く思います!!今回も良い読書が出来ました! >> 続きを読む
2019/07/16 by 澄美空
カミュ
【総括】アルベール・カミュの小説。1942年刊。著者がノーベル文学賞を受賞した要因ともなった代表作。長年読まれ続けていた名著でもあったので今回初めて読んでみました。殺人を犯してしまう心理は理解ができませんが、母親が死んでしまって泣けない、とか、裁判中の答弁についてしらけてしまい声に出すのをやめてしまうような心境は理解できるような気がします。色々考えた結果、口に出すのが面倒になってしまうことありますよね。この作品のテーマが「不条理」となっていますが、不条理の意味が自分には今一つ理解ができませんでした。みなさん一回目は理解できず複数回読んでいるようなので、自分の成長や心理状態で物語を捉える感覚が変わるのかと思います。また、一番理解ができなかったのが最後の独房で死刑執行を待つ中、自分が幸福であると悟った意味が分かりませんでした。深い、のか、狂気じみているのか、次回読むときにはこの感覚が変わってまた違う理解となることを望みます。物語としては最初情景描写が丁寧でゆっくりペースで話が進んでいき、途中から緊迫感のあるシーンの連続で読みやすく、退屈せず一気に読めました。 >> 続きを読む
2019/03/13 by べるさん
堀茂樹 , アゴタ・クリストフ
【良い子なの? 悪い子なの?】 以前から読みたかった本をようやく読みました。 戦時中、「大きな町」に母親と一緒に住んでいた2人の兄弟が、戦火を逃れるため祖母が住んでいる「小さな町」にやってくるところから物語は始まります。 祖母は、野卑で不潔で吝嗇家で、以前、自分の夫を毒殺した疑いがかけられており、近所の住民からは「魔女」呼ばわりされているような人でした。 母親は、「お金は定期的に送りますからよろしくお願いします。」と頭を下げ、兄弟を残して「大きな町」に帰って行きました。 さて、この2人の兄弟が風変わりで、この年頃の子供達のように遊んだり泣いたりなどしません。 自分たちで計画を立て、「勉強」をし、様々な「訓練」をします(例えば、飢えに耐える訓練、暴行に耐える訓練、動かない訓練などなど)。 聡い子供達であることは間違いありませんが、やることすべてがどうにも子供らしくないのです。 他人の話をこっそり立ち聞きするまでは、まぁ、子供らしいと言えばそうも言えるのですが、2人は、立ち聞きした話をネタにして上品な口調で強請を働いたり、なかば強要のようにして商店から欲しい商品をせしめたり(勉強に使うためのノートや鉛筆なんですけれどね)、「訓練」の一環として身につけた曲芸などを披露して酒場で小銭を稼いだり……。 2人の行動は徐々にエスカレートしていきます。 戦争により、「大きな町」が陥落し、間もなく敵軍が「小さな町」までやってきそうな気配の時、ようやく母親が2人を迎えに来るのですが、母親は男連れで、赤ん坊まで抱いていました。 2人の兄弟は、母親と一緒に行かない、ここに残ると言い出します。 母親は必死に2人を連れて行こうとするのですが……その結果……。 そして、最後には……。 この2人の兄弟が戦争の犠牲であることは間違いないし、こういう子供らしくない、ある意味では歪んだ人間になっていくのもその影響があることはそのとおりなのですが、「だから戦争はダメでしょ?」って言う単純な反戦文学ではないのです。 それはそうかもしれないけれど、それにしたって……ということです。 この兄弟は、良い子なのか悪い子なのか段々分からなくなっていきます。 本作には、「ふたりの証拠」、「第三の嘘」という続編があり、全体で「悪童日記」三部作と呼ばれているそうです。 これは続編も読まなければ。 >> 続きを読む
2019/05/28 by ef177
フランソワーズ・サガン , 河野万里子
【やるせない残酷さ】 久し振りにサガンを読んでみました。 学生時代に読んだきりでしたが、たまにはということで。 17歳のセシルと、彼女の40代の父親であるレイモンは、南仏の別荘に夏のバカンスに出かけました。 父はまだまだ若々しいプレイボーイです。 これまでにも多くの女性と交際してきましたが、今度は20代の(半ば玄人と表現されている)恋人エルザを伴ってのバカンスです。 セシルからすれば、仕方ない父親だとは思うものの、確かに父親には魅力があり、無軌道とも言える生活はセシルも気に入っていました。 しばらくは3人で自由気ままに夏を満喫していたのですが、ある夜、父が「客が来る」と言い出したのです。 その客とは父と同年代ながら、父のように浮ついたところはない、美貌のアンヌという女性でした。 セシルは、女性としてアンヌは大変魅力がある人だと思っており、また、女性としての比較ならばエルザなんかよりもアンヌの方が数段素晴らしい女性だとも思っていました。 父はアンヌなんか別荘に呼んでどうするつもりだろう? エルザのことはどうするの? 案の定、しばらく後にエルザは別荘から出て行ってしまい、あろうことか父とアンヌはバカンスが終わったらパリで結婚すると言い出したのです。 父は、家庭に入って真面目な夫を務めることなんてできないと、セシルは思いました。 また、しっかりしたアンヌが父と自分だけの奔放な生活に立ち入ってくるならば、自分にも大きな影響が及ぶだろうし、これまでのように好き勝手な生活をしていくことは許されないだろうとも思いました。 セシルは、この別荘地で、既に年上のシリルという素敵な男性と知り合っており、シリルは熱烈にセシルを愛するようになっていました。 しかし、アンヌはそんな二人の関係にも良い顔をしません。 「そういう関係は最後は病院で終わることになるの。」と言い、シリルに対してセシルから離れるように言い渡します。 セシルは、自分もシリルを愛していると、その時は思っていました。 勝手に二人の仲を裂くなんて、と。 しばらく後、エルザが別荘に置きっぱなしにしてあった荷物を取りに来ました。 エルザは、既に新しい恋人ができたのだと話します。 セシルは一計を案じます。 このままでは父とアンヌが結婚してしまう。 何とかアンヌを追い出して父と二人だけの生活を取り戻したいと。 そこで、セシルは、エルザとシリルが交際しているふりをして父に見せつけるようにそそのかし始めたのです。 そうすれば父は必ずエルザのところに戻ってくると焚きつけて。 シリルに対しても、アンヌがいる以上、あなたとおつきあいはできないのだから、何としてでも協力してもらってアンヌを追い出すのと迫ります。 さて、セシルの計略はうまく行くのでしょうか? 本作は、ご存知の通りサガンのデビュー作です。 この作品を書いたのはサガンが18歳の時だというのですから恐れ入ります。 壊れやすい感情、まだ若いセシルの不安定な気持ち、南仏の夏の美しい描写。 サガンがいかに早熟だったかがうかがい知れます。 サガンが書いたのは18歳の時だったにせよ、どうやら18歳の私にはあまりよく読み切れていなかった作品だったようです。 >> 続きを読む
2019/09/14 by ef177
【誰もが悲しみを抱えている】 「悪童日記」の続編です。 読もう、読もうと思いながら先延ばしになっていたのですが、ようやく読めました。 大変衝撃的な内容でした。 一つひとつのエピソードもさることながら、全体の構成に打ちのめされました。 本作は、「悪童日記」の主人公であった、「ぼくら」と表記されていた二人の幼い兄弟のうちの一人の「その後」を描いたものです。 「悪童日記」をまだお読みになっていない方のために、詳しいことははしょりますが、兄弟のうち一人は外国に行ってしまい、もう一人はそれまで住み続けた家に残りました。 その残った方の名前は「リュカ」。 本作は、基本的に「リュカ」のその後を描いています。 「リュカ」は周囲の人々から「白痴」と呼ばれていましたが、実は大変聡く、やさしい男性なのです。 彼のまわりには様々な人々が現れ、彼と関わりをもっていきます。 本作は、第二次世界大戦終結間もない、混沌とした世界を舞台にしていますが、戦争の傷跡は深く、様々な形で、すべての人が傷を負い、悲しみを抱えているのでした。 それはもちろん、「リュカ」だって同じ事なのですが。 「リュカ」は、しばらくはこれまで兄弟、そしてその前は祖母とも一緒に暮らしていた国境近くの小屋のような家で一人で生活していました。 自給自足の生活で、夜になると酒場に出かけ、ハーモニカを演奏し、酒をおごってもらい(12歳の頃から酒を覚えたと言っています)、いくばくかのお金を稼いでいました。 「リュカ」は、いつか帰ってくると信じている兄弟に宛てて、日記のような文章をノートに書いては削りを繰り返し、書きためていました。 そんな「リュカ」は、ある日、川に赤ん坊を投げ捨てようとしているヤスミーヌという女性を見かけます。 「リュカ」は、ヤスミーヌと赤ん坊を家に連れて帰り、以後、二人の面倒を見ることにしました。 ヤスミーヌは、赤ん坊を川に投げ捨てた後、国境を越えてどこかへ行ってしまおうと考えていたというのですが、国境付近は地雷原であり、そんなことをすれば確実に爆死したことでしょう。 それでも構わないのだと言うのです。 何故そうなのかは……ご自身でお読み下さい。 その他にも、「悪童日記」にも登場した、「ぼくら」がノートや鉛筆を手に入れていた書店兼文具店の店主、この店の向かいの家に住む不眠症の男、一時は「ぼくら」に強請られていた神父、終戦後この町を支配することになった共産党の幹部などの登場人物が「リュカ」との関わりの中で描かれていくのですが、あぁ、何てみんな悲しいのでしょう。 「悪童日記」のシリーズは三部作です。 最終巻の「第三の嘘」も近いうちに読んでレビューしたいと思います。 >> 続きを読む
池沢夏樹 , サン・テグジュペリ
大人の僕には難しかった。
2019/12/07 by kenpi
【これは一体どう解釈すればいいのだろうか……】 「悪童日記」三部作の最終巻です。 第一部「悪童日記」では、「ぼくら」と表記されている双子の兄弟の物語だったのですが、弟二部「ふたりの証拠」では、主としてその兄弟の片方、「リュカ」のその後の生活が描かれました。 ですが……。もしかしたらもう一人の兄弟の「クラウス」などという者は存在せず、ただ一人の頭の中だけで生み出されたものではないのかという強烈な疑いが色濃く描かれていました。 ところが、第三部の本作に入り、またもや大きくひっくり返されてしまうのです。 これまで語られてきた「リュカ」と「クラウス」の物語は一体何だったのでしょう? 双子の兄弟は、それぞれがノートに日記風(?)の文章を大量に綴っていたわけですが、それは事実なのか虚構なのかと問われると、「事実を書いているのだけれど、ある程度のところまで行くと、事実を書いているだけに書き続けられなくなり、話に変更を加えざるを得ないのだ」と答えます。 では、どこまでが事実でどこからが虚構なのでしょうか? いやいや、そんなレベルの話ではないのです。 弟二部までは、辻褄が合わない点が多々見られ、あるいは「リュカ」と「クラウス」は結局同一人物(というかそもそも一人しかいない)のではないかという「虚構」だったわけですが、それでも根本的なところではそれほど大きくは食い違っていなかったのです。 ところが、本作に入り、根底からこれまでとは全く違う話になっているではありませんか。 しかも、ところどころ、「リュカ」と「クラウス」が入れ替わっているのではないのか?と思わせるようなところもあったりします。 これは一体どう解釈すれば良いのでしょうか? いずれにしても、この作品は三部作全てを順番に読む必要があります。 そして、その混沌の中から何をくみ出すかは、それはおそらく読者それぞれに委ねられていることではないだろうかと感じました。 おそらく、「正解」というものは無いのではないでしょうか? 読む前にはこんな作品だとは思ってもみませんでした。 意表を突かれただけに、大変強いインパクトを受けました。 恐れ入りました。 >> 続きを読む
ジュール・ヴェルヌ
こんにちは。全国的酷暑!自分もクーラー病?!やら熱中症初期やらてんやわんやな日々ですが、こちらちびちびと読んでおりました!ネタバレもあるかもです。とにかく面白かった!!!!!!!!!冒険ロマン!男性はスキだろうし、夏に読む方が真冬よりより良いと個人的には思い、また読書感想文にも使えるし、また沈んな気持ちの方にも良い薬にもなるし、おススメだな~名前は聞いた事あったけど、意外に読んだ事なくて・・・で、読んだ訳です。登場人物の個性とか描写からの人格などをメモに書き留めていた方が、これだれだったか?と迷わず混乱せずに良いかも!地図は本についているのでかなり役にたつと思います。私は新潮文庫で読んでます。かなり脳裏に自分の描く景色が広大に広がり、紙に鉛筆で軽くイメージをイラストにしたりもしましたよ!再読もありだし、とにかく希望というか勇気をいただく書物!大好きです。自分もこの16人目の仲間でいられるように日々をすごしていきたいと読書後思いました!とても良い読書が出来ました!笑顔! >> 続きを読む
2019/08/17 by ジュディス
アルベール・カミュ , 宮崎嶺雄
ひとつひとつの文章がきめ細かくて、文学だなあと思いました。自分には正直いって、難解でした。この本は実話ではなく、メタファーとしての感染症という解説を見たこともありますが、いま感染症を生きている身としてはとてもリアルで、お店が閉まったり、当局が世論を不安にさせないように不正確な情報しか出さない、など、あるあるという感じでした。いま、世界的に人心が不安定になっているのも、身をもって感じることですね。主人公(?)の医師リウーを中心に、判事や司祭、新聞記者や役人など、いろいろな登場人物が現れ、それぞれのペストとの格闘が描かれています。序盤の、ネズミがどんどん増えてゆく描写、すごみがありました。印象に残ったのは、子供の死という不条理にふれたバヌルー神父の「神への愛は困難な愛であります」「(神も)極度の不幸のなかではその魂が激越ならんことを望むのである」という言葉でした。すべてを信仰に向けるキリスト教の厳しい教えをみました。今のコロナウィルスもやがて収まるのだろうと思いますが、この小説にあるように、収まってくればお祭り騒ぎで、その陰にあった多くの死のことを忘れてしまうのかもしれません。ひとつひとつの死に悲しみが宿っていることを忘れてはいけないと思いました。 >> 続きを読む
2020/10/08 by みやま
内藤濯 , サン・テグジュペリ
久しぶりに読みたくなったのでてにとってみました。こんな内容だったかと驚いたのですがすごく心が洗われ考え込んでしまいました。薔薇の部分を忘れていたのでふわふわしていたけどこれはれっきとした純愛の物語。純愛と友情とこどものきれいな心の物語。離れて分かる愛、王子様が色んな人に聞いたからこそ知る事ができた愛に少し薔薇がうらやましくなったり。大人というのは皆見にくい。自分がきれいな心を見失わないように常に手元に置いておきたいと思いました。飼います。 >> 続きを読む
2018/02/28 by kaoru-yuzu
サン・テグジュペリ , 野崎歓
再読。「ちいさな王子」というより「星の王子さま」というタイトルの方がピンとくるだろう。「星の王子さま」の新訳であるが、原題は「Le Petit Prince」であるため「ちいさな王子」の方が明らかに言語的には正しい。これは子どもが読んでもいいのだが、大人が読んだ方が感銘の度合いが大きい作品である。砂漠に不時着した飛行士とちいさな星からやってきた王子との対話が主な作品であるが、もう名言のオンパレードである。大人になって摩滅した感性にビンビン刺激を与えてくれる作品であろう。王子は7つの星を訪れるが、「虚勢を張る王」「うぬぼれや」「のんべえ」「ビジネスマン」「点灯夫」「地理学者」「地球」という様々なタイプの人たちがいる星である。僕は、もうこの中のクラスタでは完全に「のんべえ」である。酒を飲むことを恥ずかしく思いつつ、ひたすら酒を飲み続けている、という感じである。この本は今まで200カ国以上の国で翻訳され、総販売部数1億5千万冊を突破したらしいが、世界中の人口70億人に読んでもらうのにふさわしい傑作である。このように数字の事ばかり書くのも「ちいさな王子」の中で人間の不思議な習性として指摘されている。 >> 続きを読む
2019/09/18 by tygkun
綺麗なカバーに見とれて別の訳もと購入。私は河野万里子さんのかわいい王子さまのほうが好きでした。 >> 続きを読む
2015/03/09 by 405.
久しぶりの小説は読書ログの課題図書(1月)。映画化もされたらしいですね。これは、、、おそろしい、、、。たしかに、衝撃でしょうね。でも、やっぱり、人間には本来慈悲の心というのは備わってない(育てるしかない)、ということかな、と思いました。生存欲だけで生きれば、こうなるということでしょうね。したたかに生き抜く、とはそういうことなのでしょう。戦時下、無慈悲な?祖母、偏見、などの環境で双子だけで生きる術を見つけていけば、こうなることはありうるでしょう。いくら”知能”が優れていようが、聖書を暗記していようが、双子の目に映る現実と生存欲の前ではどうしようもない。慈悲の心は育てられず、・・・それが自分に悪果となって返ってくるなどとは知らない。自分たちだけの世界に心を閉ざす二人には信じられるものはなにもない。現実の世界を見れば神様など信じられないし(何もしてくれない)、大人たちは汚いし。生き抜くには、自分たちの目と頭だけが頼りなんだから、この世の真理はいつまでも見えないし、慈悲の心も生まれない。幼い子どもがテロリストに洗脳されて、テロ要員として使われているらしいけど、この双子の場合は自分たちだけで学んだ結果、、、慈悲の心が学べなかったということかな。これは二人が書いた日記(作文)という形になっています。彼らは、>作文の内容は真実でなければならない。感情を定義する言葉は非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。と、感情(主観)はあてにならないのだから、事実だけしか書いてはいけない、というきまりで書いているのです(知能の高さが伺えるね)。それはそのとおりかも知れないけど、ありのままの人間の世界には慈悲の心はないとも言える(彼らの場合は慈悲の心の存在価値がわからない?)。だからこそ、どうにかして慈悲の心は育てなければいけないのだけど・・・。まだ二人の人生は終わっていないんだから、これからどうなるかはわかりません。「ふたりの証拠」「第三の嘘」と三部作になってるみたいなので、続きも読んでみたいと思います。ドキドキしながら、1日で読めます。 >> 続きを読む
2017/02/21 by バカボン
7月の課題図書。古本のあいだから一片の羊皮紙が出てきて、床に滑り落ちた。そこに書かれていたのはルーン文字。これらの文字に導かれ、鉱物学の世界的権威リデンブロック教授と甥のアクセル、アイスランドの漁師ハンスは、十九世紀におけるもっとも奇妙な遠征をおこなうことになった。アイスランドの死火山の噴火口から地球の中心部に達する道を降りていく。蛇頸竜、マストドンの群れ、地底人・・・想像力のない私には辛い旅行でした。現実感のないお話が、「大発見だ!」と進んでいくことに違和感を感じてしまって。アクセルが叔父さんたちとはぐれてしまったところが一番盛り上がったかもしれません。暗い回廊が続く中、4日間もひとりでさまよう心細さ。叔父さんの愛情を感じるシーンもありました。キャラクター的にも、ちょっと感情移入しにくい。熱中したら食事や睡眠を忘れるくらい変人の叔父と、危険な旅にも関わらず、叔父に引きずられてしまう甥。ハンスのような、原因や結果などはあれこれ詮索しないで運命に従う人はかっこいいと思うけど、感情を入れる隙がない。久々に辛い読書となってしまいました。訳が違えば変わってくるのでしょうか。有名作品に☆2はちょっと勇気を出しましたが、私が上手くイメージできなかっただけということで。 >> 続きを読む
2016/08/08 by あすか
新庄嘉章 , アレクサンドル・デュマ・フィス
娼婦の遺品競売シーンで幕を開ける本作は冒頭でヒロインの不幸な結末を明示しており、読者の関心はその過程へと注がれます。堅実な家庭に育った若いアルマンはパリの街で、高級娼婦として夜ごと放蕩に明け暮れる絶世の美女である椿姫ことマルグリットに出会い、彼女を強く欲するようになります。パトロンに囲われ優雅に暮らすマルグリットは、はじめ若いアルマンの情熱を問題にしませんが、彼の強い気持ちはやがて贅沢に倦みきっていた椿姫の無垢な一面を動かします。周囲を巻き込み、または翻弄されながらも恋に身をやつし次第に彼らの置かれた状況を見失う若い二人を通し、それにともなう多幸感や嫉妬を含む振れ幅の大きい悲喜こもごもの感情を巧みに表現する本作は、ややもすると「ベタ」だと両断されかねない、ストレートに「愛と死」を描ききる高純度な恋愛・悲恋の物語です。通読してマルグリットの終盤の心境と振る舞いには、フランスの恋愛小説とは不似合いなはずの、演歌の世界観が重なって見えました。 >> 続きを読む
2020/08/25 by ikawaArise
ジッド
【内容紹介】早く父を失ったジェロームは少年時代から夏を叔父のもとで過すが、そこで従姉のアリサを知り密かな愛を覚える。しかし、母親の不倫等の不幸な環境のために天上の愛を求めて生きるアリサは、ジェロームへの思慕を絶ち切れず彼を愛しながらも、地上的な愛を拒み人知れず死んでゆく。残された日記には彼を思う気持ちと〝狭き門〟を通って神へ進む戦いとの苦悩が記されていた……。(裏表紙より)【著者紹介】アンドレ・ジッド Andre Gideフランスの作家。厳格なプロテスタントの家庭に生れる。1891年、従姉マドレーヌと恋に落ち、結婚するが、この恋愛体験と結婚生活が後に創作のテーマとなる。道徳の遵守、反逆などを悲劇的に描いた『背徳者』『狭き門』『田園交響楽』、喜劇的に扱った『法王庁の抜け穴』、視点や構成を複雑化した大作『贋金つかい』等、多数の著書がある。1947年ノーベル賞受賞。【感想】星評価5の名作評価ではありますが、おすすめはしないです……。おそらく、翻訳が私には合わなかったのだろう。岩波文庫版を読んでリベンジを計りたい。 >> 続きを読む
2018/09/17 by 日陰者
古賀照一 , エミール・ゾラ , 川口篤
【腐乱する肉体】 ゾラのルーゴン・マッカール叢書の一冊。前回「ナナ」と間違えて「居酒屋」を読んでしまいましたが(それはそれで良かった)、「ナナ」はその後のお話に当たります(居酒屋が第7巻、ナナは第9巻)。 「居酒屋」では、ナナは造花工場で働き、時には酒場で踊りを披露していたちょっとはすっぱな大柄の女の子でしたが、その後の本作では舞台女優となって登場します。 とは言え、演技力もなければ歌も駄目(噴霧器の様な声と描写されています)。だけど、女性的な魅力は抜群で、ただただその肉体的魅力のみでのし上がっていきます。 官僚の偉いさんや伯爵などのパトロンもつき、彼女の家には男性がひっきりなしに訪れるという有様。 でも、やはりルーゴン・マッカールの血を引いているのでしょうか。 生活力がゼロに近く、パトロンから大金をもらっているはずなのに、湯水の様に使い果たしてしまい、何故か借金取りも押しかけるのです。 そんな生活に自分でも嫌気がさしたナナは、何故か同じ劇場の冴えない俳優と逐電してしまいます。 有り金全部持って、家を放り出して逃げ出すのです。 二人の生活は、最初は幸せそうではありましたが、徐々に様子がおかしくなってきます。 ナナは相変わらず生活力はなく、また、男優の方もDV常習者。 ナナを殴る、蹴るするのですが、何故かナナはそんなダメ男から離れられません。 だって愛しているのよと。 殴られればしばらくは泣きはらすのですが、すぐにケロリと治ってまたいちゃいちゃし始めるわけです。 こういうダメ男から逃げられない女性っていつの世にもいるわけでしょうかね。 ついに、その男優は残っていた有り金全部を独り占めしてしまい、家に入れると約束した生活費すら入れなくなります。 いえ、たまに生活費を渡そうともするのですが、何故かナナの方が「昨日もらったお金がまだあるから(昨日、お金なんてもらってはいません!)いいのよ」などと言って受け取ろうとしません。 じゃあ、どうやって生活費を得ているかと言えば売春です。 ナナは昔の仲間と共に街娼となって金を稼ぐようになるのです。警察の取り締まりの目を恐れながらね。 どうして一線の女優からここまでたやすく墜ちるかなぁ……。 ですが、それでもナナには魅力がありました。男に暴力を振るわれれば振るわれるほど、怪しい魅力が出てくるようです。 以前、ヒドイ目に遭わせて袖にした伯爵などもナナに未練があり、ナナと再会するや豪奢な生活を与えることと引き替えに囲い者にします。 とは言え、ナナだっておとなしく囲われているわけもなく、他にも男を作って伯爵の目を盗んでは家に引き入れます。 そんな男達もナナに搾り取られていくのですよ。資産を食い潰しながらもナナから離れられない馬鹿な男達。 また、以前の売春婦仲間ともつき合いだし、同性愛的な様相も呈してきます。 もう、本当にとんでもない程の巨額を貢がせ、それを蕩尽し尽くすナナです。 ナナの前に零落していく男達は数知れず。 パリの女性達の間で、君臨すらするナナなのです。モードを作るし(女性達はみんな真似をします)、どんな贅沢でも思いのままです。 どうしてこんな生活が成り立つのだろうという位の狂気が描かれます。 終盤に、競馬場のくだりがあります。 破産寸前の名士が最後の勝負を賭けていたりもするのです。 その出馬する馬の中にナナという名前をつけられた馬がいます(ここにちょっとしたからくりがあるんですけれどね)。 放蕩の限りを尽くす競馬場での騒ぎがまるで絵画のように描き出されます。 ……そして、ナナの最後を迎えます。 もう、古典なのでネタばれしても良いですよね。 ナナは、突然そんな社会から姿を消し、外国に行ってしまいます。 どこぞの王侯をたぶらかしているとか、そんな噂も絶えなかったのですが、ある日、パリに戻ってくるのです。 とあるホテルの一室。 もう、ナナは瀕死です。 ええ、どこかで天然痘にかかってしまったらしいのです。 巨大なダイヤを持ち帰ったとか、いくつもの輿にお宝を満載して帰ってきたとかいう噂もあるのですけれど、当のナナはもう、膿にまみれ、肉が崩れた、見るも無惨な腐乱した身体になっていたのです。 天然痘ってそんなだっけ?と思って、以前あかつき先生から勧められて読んだ「Disease」をめくってしまいましたよ。 ああ……。 そうなんだ。 そう。ナナは、それまでの全ての醜悪を一身に抱いて、今は、腐る身体のまま死んでいくのですね。 やや、冗漫な部分もありますが、非常にインパクトのある作品です。 ゾラの、ルーゴン・マッカール叢書は、今一度読み直してみるべき作品かもしれないと強く感じています。 ですが、日本では、先の「居酒屋」、この「ナナ」は比較的良く読まれますが、それ以外の所はほとんどメジャーになっていないのですね(そもそもちゃんとした邦訳が揃っているんだろうか?)。 これはもうちょっと読むべき作品ではないかと思っている次第です。 >> 続きを読む
2020/05/12 by ef177
朝吹 登水子フランソワーズ サガンFrancoise Sagan
思春期の少女の心境が繊細に描かれていて、ああ10代の若い子ってこういう残酷なこと平気でしてしまう節があるなあと考えさせられました。良心の呵責や、間違った愛の解釈による困惑や悩み、気まぐれな心情の変化…決定的にこの小説の親子には人としてのモラル?常識のようなものが足りないような気がします。日本人の感性とあまりに違いすぎて、読んでいるうちに少し戸惑ってしまいましたがそれでも読み応えはありました。とても女性的な小説です。しかし当時18歳の一少女が書いたものとは思えないほどの完成度の高さ。私はあまり心打たれるような場面はありませんでしたが、とても読みやすいので軽い気持ちで短時間で読める小説ではあると思います。 >> 続きを読む
2015/04/22 by mokoko
西永良成 , アレクサンドル・デュマ・フィス
あなたがじぶんのためではなく、あたしのためにあたしを愛してくれるから久々に、時間を忘れて一気読み。あとがきまで入れると500頁弱ありましたが、集中すると短時間で読めてしまうのですね。合間に自分の感想をメモする余裕もありませんでした。それほどおもしろかったです!作者はアレクサンドル・デュマの息子(フィス)さんで、自身の経験に基づいた作品。「体験の辛さをそのまま語ればいい」と言っていますが、二十四歳で、しかも1ヶ月でこんな素敵な作品を完成させるってすごい。やはり才能ですね。マルグリット・ゴーティエは、パリの社交界で金持ち貴族を相手にする高級娼婦。奔放で、豪遊しながら生きていたのは、病気で自分は長くないことを確信していたから。自分は商品であることをわかっていたから。人を愛することができなかったマルグリットを、アルマンは娼婦としてではなく、一人の女性として誠実に愛します。マルグリットは気高く美しい。同性として、彼女は理想の女性像でした。愛する人のためにいさぎよく身を引き、病苦の末に亡くなります。彼女は日記や手紙をアルマンに残しましたが、私なら真実を胸に秘めたまま、愛情があることを伝えないままひっそり終わらすと思います。伝える勇気がない、と言った方が正しいかも。そんなところも含めて、彼女に女性としての魅力を感じます。アルマンのひどい行動も、マルグリットの美しさをより高めているの私はOKです。実際あんなことをされると辛いけれど、何も反応がないより遥かに嬉しいと思う。後半は涙ボロボロでした。二人の愛に、ではないです。マルグリットの誇り高い生き方に感動しました。「ムーラン・ルージュ」に似ているなぁと思っていたら、「ムーラン・ルージュ」は「椿姫」と「ラ・ボエーム」を元に創作した、と書かれていました。この手のストーリーが好きなのかも。私も清らかな誇りを持って、強く生きていきたい。 >> 続きを読む
2017/05/07 by あすか
ジャン=ポール・サルトル , 鈴木道彦
あれはたしか、今から7年ほど前のことです。芸術(音楽や絵など)にアイデンティティを見出し、「表現すること」に「私」という存在を垣間見て、喜びを得ていた私は、強迫性障害の悪化、また社会活動が皆無だったことにより、ある精神病院附属のデイケアに通うことになります。不安定で、独りよがりで、購買力のない、職歴も学歴も無い上、強迫性障害に悩まされていた私は、自分が「在ること」とはどういうことなのか、考えるようになりました。「ぼやけた真理」を探し求めて、書店をさまよっては、画集だの、心理学の本だの、アダム・スミスの「国富論」だのを買っては開きますが、どれもろくに読まずに挫折してしまいます。その折、サルトルの「存在と無」と出くわし、その題を見て、「俺が考えているのはこのことだ、確信を得た!」と思い読み始めますが、「“あらわれ”があらわれる”ことにより、”あらわれ”は、、、」という様な文章に、案の定敗れ去ります。それから1年くらいして、このカバー絵の、デューラー「メランコリア」に惹かれたのか、「嘔吐」という魅惑的なタイトルと、「サルトル」ということで、人文書院から出版されている本書「嘔吐」を手に取りますが、またもや読まずに放置していました。そして7年経った最近になって、やっとのこと読破しました。私はサルトルが影響を受けたフッサールや哲学についての体系的知識はないので定かではありませんが、主人公、ロカンタンの「嘔吐感」とは、彼の孤独で厭世的な生涯や思想の内に走る「吐き気」とは、私が折に感じる「あの心情」なのでしょうか。ただただ己も含めた「対象」が「在ること」、「在ることを嘆く」先に、その「考え、思考」が「在ること」を思って、また嘆き、、、さながら「合わせ鏡」のように「存在」は「存在」を反芻し、螺旋状に連なった諸々の「存在」が、ただの「存在」に過ぎぬ事を、ロカンタンは嘆いているように思います。しかし、最後の1、2ページで、彼は「自己」という「嘆かわしい存在」を、「小説」という「作品」に託して、明るい希望を見出す「決意表明」をしているようにも取れます。難解な小説なので、間違った読み方をしているかもしれませんし、読後感は混濁した思いが渦巻いていますが、私にとってはこの本の質感も含めた「存在」自体が、「思想・哲学」への興味・関心の萌芽の時分を思わせる作品のひとつであります。 >> 続きを読む
2018/02/22 by KAZZ
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