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カテゴリー"その他のスラヴ文学"の書籍一覧

      存在の耐えられない軽さ

      千野栄一 , KunderaMilan

      4.6
      いいね!
      • ミラン・クンデラの代表作「存在の耐えられない軽さ」を再読。
        再読してみて、やはり素晴らしい。

        この作品は、映画化されたので知っている人も多いだろうが、映画を観ても、この小説の真価は全く分からないと言っていい。

        それは、どんな映画化作品にも多少は言えることだが、クンデラの場合は、意味合いが違う。
        この人の小説の主要素は、ストーリーではないのだ。
        では何か? クンデラの小説的思考である。

        小説的思考とは、クンデラがエッセーの中で使っている言葉で、抽象的な形而上学的思考や哲学とは異なり、特定の人物の特定の状況の中からのみ生まれてくる思考であり、テーマであり、問いかけということになる。

        この人は、とにかくクラシック音楽、哲学、そして、もちろん文学の素養を満々とたたえた、明晰かつ陰影に富んだ思索家、多少快楽主義がかったアイロニーと真摯さに満ちた思想家であって、この「小説的思考」というアイデアだけでも、きちんと説明するのは難しいのだが、要するに、小説という形をとってしか、なし得ない思索ということだ。

        基本的に、それは問いかけの形で表現され、絶対的な回答は与えられない。
        与えられたように見えても、それは特定の人物、特定の状況でのみ有効な回答であって、「相対性のカーニバル」たる小説の中では、確信など存在しないということだけが確信される。

        この作品は、ニーチェの永劫回帰についてのエッセーから始まる。
        一度起きたことが、無限に繰り返すという、このわけのわからない神話は、一体何を言おうとしているのだろうか。

        永劫回帰が「もっとも重い荷物」と呼ばれるように「重さ」につながるのならば、一度きりの帰ってこない私達の人生は「軽さ」として現われる、というところから、この作品の最大のテーマである「重さと軽さ」の対立が導かれる。

        これがメインのテーマだ。
        果たして、重さと軽さでは、どちらが肯定的でどちらが否定的なのだろうか。

        クンデラの小説は、実験場に似ている。
        幾つかの、異なるモチーフから生まれた登場人物たちが、ロンドを繰り広げ、私達は、クンデラの明晰な視線をガイドとして、彼らのドラマを見守ることになる。

        トマーシュは「一度は数のうちに入らない」ということわざから生まれ、テレザは「心と身体」の相克から生まれた。
        テレザは、トマーシュのところへやってきて、トマーシュは、彼女を受け入れる。

        チューリッヒでテレザが、トマーシュのもとを去った時、トマーシュの頭の中には、ベートーベンの「そうでなければならない!」という運命的な旋律が鳴り響き、彼はテレザを追ってプラハに来る。

        人々は、自分の愛を「軽い」ものだとは考えない。
        それを何かしら運命的な「重い」ものだと考えたがる。
        トマーシュのように。

        そして、トマーシュはある時、テレザと自分が会ったのは、たまたま上司が病気になり、たまたまトマーシュが代わりに派遣され、たまたまそのホテルにとまり、たまたまテレザの働くレストランに入った、という風に六つの「たまたま」が自分達を引き合わせたに過ぎないと悟り、絶望する。

        ここには「そうでなければならない!」ものなど何も存在しない。
        「いくらでも違った風であり得た」軽さがあるばかりである。
        トマーシュは、この愛の軽さに打ちひしがれる。

        しかし、ここでマジカルな価値の反転が起きる。
        実は必然的なもの、必ず起きることに大した意味はないのだ。
        偶然起きたこと、他のようでもあり得たにもかかわらず、起きたことこそ、重要なメッセージとして私達の前に現れるのではないだろうか。

        私達は、あり得ないような偶然の中にこそ、運命的なものを見る。
        クンデラは書く、「必然性ではなしに、偶然性に不思議な力が満ち満ちているのである。
        恋が忘れがたいものであるなら、その最初の瞬間から偶然というものが、アッシジのフランチェスコの肩に鳥が飛んでくるように、つぎつぎと舞い下りてこなければならないのである」と。
        このクンデラの思考が、ポエジーになる瞬間である。

        この作品には、このような深くて面白くて詩的で、そして感動的な思索が詰まっている。
        重さと軽さの他にも心と身体、人間と動物、大行進など、様々なモチーフが現われて、小説的思考のシンフォニーを奏でるのだ。

        私が、個人的にとても感銘を受けたのは「キッチュ」に関する思考である。
        キッチュ=俗悪なものだが、では俗悪とは何だろうか。
        クンデラは、キッチュ=存在との絶対的同意=糞の絶対的否定であるとする。

        糞、要するにうんこである。これほど分かりやすい定義が他にあるだろうか。
        つまり、その美的な理想は、全ての人がまるで糞など存在しないかのように振舞っている世界であり、キッチュは、人間の存在において、受け入れがたいものを全て除外する。

        この作品の第三の主人公である、サビナによれば、キッチュは、イデオロギーの相違を越えて、その背後に存在する悪である。

        芝生の上で戯れる子供を指差し「これが幸福というものです」と微笑むアメリカ上院議員の微笑みと、共産主義の高官が眼下に行進する市民を見て浮かべる微笑みは同じものなのだ。

        イデオロギーこそ違え、二人は同じキッチュの帝国に住んでいる。
        そして、クンデラの思索は、驚くべき展開を見せる。
        キッチュは、大勢と共有できるものでなければならず、大勢と共有しているという感激こそが、キッチュをキッチュたらしめる。

        つまり、世界の人々の兄弟愛は、ただキッチュなものの上にのみ形成できることになる。
        なんというシニカルな認識だろうか。

        しかし、クンデラの素晴らしさは、シニカルなだけで終わらないことだ。
        サビナのエピソードの中で「キッチュ」のモチーフは、さらにスリリングに掘り下げられるが、クンデラの透徹した視線は、サビナの中にも避けがたいキッチュを発見する。

        「たとえわれわれが出来る限り軽蔑しようとも、キッチュなものは人間の性に属するものなのである」

        終盤、「カレーニンの微笑み」と題された最終章の中で、トマーシュとテレザの犬、カレーニンが死ぬ。
        トマーシュとテレザは、村のダンスホールへ踊りに行く。

        私達は、それまでの物語ですでに、トマーシュとテレザが帰り道にトラック事故で一緒に死ぬことを知っている。
        そのせいで、この最終章は、ひときわ哀切でリリカルな調べを奏でる。

        クンデラの小説の中で、この作品は、恐らく一番静謐で美しいエンディングを持つ小説だろう。
        テレザとトマーシュは、重さの印の下で死に、サビナは、軽さの印の下で死ぬことになると暗示される。
        重さと軽さ。最もミステリアスな対立。

        クンデラの小説的思考のことばかり書いてしまったが、クンデラの小説には、ユニークな点が他にもたくさんある。

        軽々とリアリズムを乗り越えていくような、マジカルな虚構力、極めて音楽的な構成、エレガンス、上質なユーモア、平気で作者がストーリーに介入すること。
        そして、詩的な比喩に満ちた独特の文体。

        この作品は、知的な饗宴、あるいは祝祭と呼ぶに相応しい小説であると思う。

         
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        2021/09/06 by dreamer

    • 他4人がレビュー登録、 18人が本棚登録しています
      ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)

      スタニスワフ・レム

      3.8
      いいね!
      • 【薔薇と真珠の海】
         もしも、二度と会えない人、二度と会わないと決めた人が、あなたの心の奥底に眠っていた人が、あなたの目の前に現れたらどうしますか?

         本作は、スタニスワフ・レム作のSFの古典的名作です。
         それは、時に、難解、哲学的と評されることもある作品ですが、決して読みにくい作品ではありません。

         惑星ソラリス。
         その地表の大部分は「海」に覆われていました。
         「海」と言っても、地球の海のように青い海ではなく、赤く、時に薔薇色や真珠色に輝く不思議な「海」でした。

         ソラリスの研究が進むに連れて、その「海」は液体ではなく、粘着性のあるゼリーの様な物質からできていることが分かります。
         さらに研究が進んで、その「海」は生物であり、知性を備えているという考え方が主流になってきます。
         そう。まるで惑星ソラリスを覆い尽くす脳のようなものだと。

         ソラリスの「海」の上空400メートルの地点には、人類のソラリスを観測するためのステーションが浮遊していました。
         ステーションには現在3人の科学者がおり、日々ソラリスの観測、研究を続けていました。
         そこへ地球から4人目の科学者であるケルビンがやって来たのです。

         ケルビンがステーションに到着してみると、一目で何か異変があったことに気付きます。
         本来なら忙しく働いているはずのロボットの姿は見えず、資材も乱雑に散らかされたままになっています。
         スナウト教授を見つけたので事情を聞いたのですが、酔っているのかまともに答えてはくれません。
         そして、ケルビンと知己のギバリャン教授は、今朝方亡くなったと言うのです。
         何故?
         詳しい説明は一切拒まれてしまいます。

         一体何が起きているんだ?
         その後、ケルビンは、ステーション内にいるはずのない黒人女性とすれ違います。
         一体誰なんだ?

         そして、ケルビンのもとにも、一人の女性が訪れます。
         それは、かつてケルビンが愛した女性でしたが、ケルビンがひどい仕打ちをしたため、自殺してしまった女性なのでした。
         君は……一体誰なんだ?

         その後、スナウト教授から、「君のところにもお客が来たかい?」と尋ねられます。
         どうやら、スナウト教授のところにも、もう一人のサルトリウス教授のところにも「お客」が来ているようなのです。
         「どうして説明してくれなかったんだ!」と迫るケルビンに対して、「そんなこと話したって、自分の目で見るまで信じやしなかっただろう!」と言い返すスナウト。
         これは間違いなく「海」がやっていることと思われますが、一体何のために?

         レムは、この作品を書いた意図について、大要以下のように説明しています。
         それは、人類と異星人とのコンタクトを描いたSFは沢山書かれているが、概ね3つのスタイルに集約されるように思われる。
         その3つとは、①人類と異星人が共生する、共生はできず戦いになり②人類が勝利する、③異星人が勝利する。
         しかし、必ずしもその3つのパターンになるとは思われない。
         人類と異星人が互いに共通の理解が可能であればそうかもしれないが、お互いの思惑、思考、意図が全く食い違っていたとしたら果たしてそうなるだろうか?
         その場合には、3つのパターンでは描けないコンタクトだってあるのだ、と。

         本作は、1961年に書かれた古い作品ですが、今でこそそれほど目新しいテーマではないものの、当時としては画期的な作品だったことが推察されます。
         もちろん、登場するギミックは古びてはいますが、でも、作品のコアなところは、今でも古くさくもないし、陳腐でもないと思いますよ。
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        2019/07/30 by ef177

    • 他1人がレビュー登録、 5人が本棚登録しています
      長い長いお医者さんの話

      CapekKarel , 中野好夫

      3.0
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      • いぬいとみこさんの「ながいながいペンギンの話」のタイトルが
        「長い長いお医者さんの話」からとられたというエピソードを知り、
        子供のころに読んで両方とも好きだったことを思い出しました。
        当時から、そっくりなタイトルだなあとは思っていたのですが、
        本が書かれる背景なんて、子どもの興味を惹くものではなかったんですね。

        それで、この度再読してみました。

        ほぼ全編ホラ話。そういえばそうだったっけ。こどもって、ホラ話が好きなんですよね。
        起承転結なんかなくてもお話しそのものが面白ければいい。

        だからお話しの方はもう全然覚えていなかったけれども。
        現実世界へのアイロニーは、官吏が不親切で不調法だなどの当てこすりなどが
        時々チラリと出てきますが、おおむね楽しいお話しに徹していると言ってよいでしょう。

        魔法使い、妖精、王様と王女様、木こり、御者、おまわりさん、
        なかでもカッパの登場にはびっくり。
        チェコスロバキアにもカッパがいて、彼らはきちんとお仕事もしています。
        チェコの温泉はカッパが汲み上げているらしいですよ。(^^)


        「長い長いお医者さんの話」  ヘイショヴィナ山に住む魔法使いのマジャーシュは、
         ある日ノドに梅の種を詰まらせてしまって、お医者さんを呼びますが…

        「郵便屋さんの話」  夜中の郵便局では郵便局員の妖精が現れてお仕事をしているんです。
          彼らは封書を開けなくても中身を知ることができるのです。

        「カッパの話」  チェコのカッパはすごいんですよ。
          洪水を起したり止めたり、温泉を汲み上げたり!

        「小鳥と天使のたまごの話」 にわとり以外の鳥がなぜ空を飛べるようになったのか?

        「長い長いおまわりさんの話」  町を巡回するお巡りさんはいろいろな事件に出会います。
          ある時、お巡りさんが拾った卵から生まれたのはなんと9つの頭をもったヒドラの赤ちゃんでした。 
          トゥルティナさんは、ヒドラを引き取り、アミナと名付けて可愛がりますが、
          口うるさい世間がそれを許そうとしません。
          窮地に立たされたトゥルティナさんは?!

        「犬と妖精の話」  粉屋で働く犬のヴォジーシェク君。 ある時置いてけぼりにあい、一人でおうちにかえるハメになりました。
         森を通りぬけようとしたとき、犬の妖精たちに出会い、
         犬の妖精の長老の面白い話に心を奪われます。
         
         なんと犬のお願いを聞いて、神様が、犬以外の動物の骨を集めさせて作ったのが人間なんですって。
         だから人間にはあらゆる動物の特徴が混ざっています。
         ただ一つ犬の「忠実さ」だけを除いて。

        「宿なしルンペンくんの話」  無欲で正直者のルンペンくん。見知らぬ人からカバンを預かったら…
          大金を盗んだ罪で死刑を求刑されてしまいます!

        「山賊の話」  残虐非道の山賊の親玉が自分の愛息に教育をあたえたところ…
          オチが気の毒です。適材適所って大事ですね。

        「王女さまと小ネコの話」  王女さまのところに届けられた謎の生き物とは?
          おばあさんが謎かけをしたその動物は、皇太后の夢のお告げでも重大なカギを握っていることがわかりました。 
          ところがある日このネコが連れ去られ、その男(どうらやら魔法使い)を探し出すために探偵が動員されます。
          この事件と探偵たちの失敗を知りアメリカの名高い探偵シドニー・ホール君が、ついに立ち上がります。
          世界一周をする、という彼の計略とはいったい?

        「訳者のことば」 
          イギリス文学の翻訳で有名な中野好夫氏のは言葉のチョイスも渋いです。
          お子様ことばを使わずに漢字も多様せず、それでいて語彙が増えるようなそんな言葉使いを選んでおり、巧い翻訳だと思います。

        「チャペック童話に学ぶ」  
         「おうさまシリーズ」の寺村輝夫さんは童話の描き方をチャペックから学んだと語っています。
          確かに「ぼくは王さま」のほら吹き加減とか、影響があったといえばその通りかも。

        挿絵はヨセフ・チャペック、カレルのお兄さんです。
        ヘタウマの元祖のような子供っぽく、愉快な絵です。
        悲しいことにヨゼフはナチスドイツの強制収容所で命を落としました。

        カレルチャペックは、チェコスロバキアの国民的作家です。
        第一次大戦と第二次大戦の間の時代に、鋭い時代認識に巧みなユーモアを織り交ぜた幅広いジャンルでに活躍した作家です。
        ヒトラーとナチズムを痛烈に批判し危険人物と目されていたといいます。

        実は私がカレル・チャペックという名前を意識したのはこの本の作家としてではなくて、
        「カレルチャペック紅茶店」の店名からでした。
        この時のチャペックは「園芸家」の顔をしていました。

        童話や園芸のような暖かな顔のほかに辛い時代に生きた純粋な魂の作家の横顔を知って、
        彼の物語を読む目線も変わるでしょう。

        しかし、この童話は純粋に楽しくお読みください。
        子どもの本ですから。
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        2013/10/08 by 月うさぎ

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      クォヴァディス ネロの時代の物語

      木村彰一 , SienkiewiczHenryk

      4.0
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      • 【ゆるゆると幕を開けるローマの物語】
         時は、ローマの絶対皇帝、暴君ネロの治世。
         ローマの軍団将校であるウィニキウスは、戦いを終えてローマに戻って来ました。
         彼は、戦傷を癒すために逗留していた老将軍アウルスの家でリギアという娘に出会い、一目惚れしてしまったのです。
         それはもう身を焦がすような想いで、どうあってもリギアを我が物にしたいという一念に取り憑かれてしまいました。

         ウィニキウスは、知恵者として名高く、ネロの覚えもめでたい叔父のペトロニウスにリギアに対する思いを打ち明け、何とか力になって欲しいと相談を持ちかけたのでした。
         ペトロニウスも甥っ子を可愛く思っていたこともあり、ここは一肌脱いでやることとし、ウィニキウスには安心して待っていろと言うと密かに手を回したのでした。

         その後、ウィニキウスがアウルスの家を訪れたところ、何と、リギアが皇帝の命により宮殿に連れ去られたというのです。
         リギアは、そもそもローマの周辺蛮族であるリギ族の王女でした。
         リギ族が蛮族同士の戦いに臨んだ際、その戦火がローマに広がらないことの保障として、リギアが人質としてローマの将軍に預けられたのです。
         その後、リギアの身柄は老将軍アウルスに委ねられたのですが、アウルスもリギアを実の娘のように可愛がり、リギアも幸せに暮らしていたのです。

         ところが、ネロは突然アウルスの家に百人隊長を送り、「これまでリギアの面倒を見てもらって苦労をかけたが、これ以上負担をかけるわけにはいかない。そもそもリギアはローマ帝国に差し出された人質なのだから皇帝直々に庇護するのが筋である」などという都合の良い口実をつけてリギアを連れ去ったというのですね。

         これを聞いて怒り心頭に達したウィニキウス(短気なのですよ)は、「約束が違う!」と激怒してペトロニウスの家に怒鳴り込んだのです。
         しかし、これはすべてペトロニウスの策略だったのですね。
         ペトロニウスは、先ほどのような口実を設けてリギアをアウルスの家から連れ出し、一旦は宮殿に置いた後、翌日には囲い者としてウィニキウスに与えることをネロに約束させていたのでした。
         今夜の宴会にはリギアも出席することになっているから、その隣にお前も座れとペトロニウスに諭され、ウィニキウスは天にも昇る気持ちになったのでした。

         さて、その夜の宴会でウィニキウスはリギアの隣に席を占め、熱烈に口説き始めたのです。
         実はリギアも美貌の将校であるウィニキウスに惹かれるところもあり、ウィニキウスが真摯にその想いを語っている内はその熱意にもほだされかかっていたのですが、酒が回って来るにつれてウィニキウスは単なる酔っ払いの助平おやじと化してしまったのです。
         強引にリギアの唇を奪おうとするなどしたため、リギアの熱は一気に醒めてしまいます。
         まあ、当時のローマ貴族にとってはそんなのは当たり前のことだったのでしょうけれど。
         しかも、悪いことに、自分とペトロニウスの計略によりリギアをアウルスの家から連れ出したこと、明日の夜には自分の家に来ることになっていることなどをペラペラとしゃべってしまうのです。

         事の真相を知ったリギアは、ウィニキウスにすっかり愛想を尽かしてしまい、王宮に伴った巨漢の配下の手助けによって宴席から抜け出してしまったのです。
         そしてその夜、リギアは決意したのです。
         このままではあの嫌らしいウィニキウスの囲い者にされてしまう、そんな目に遭うのなら逃げてやると。

         王宮でリギアの面倒を見ていたアクテ(かつてネロの寵愛を受けた女性です)は、リギアに対してもっと冷静になりなさいと諭します。
         もし、リギアが逃亡してもすぐに見つけ出されてしまうでしょうし、逃げてしまえば間違いなくアウルスが疑われ、アウルス一家は皇帝によって滅ぼされてしまうでしょうと言うのです。
         それならとにかくウィニキウスの下へ行き、自分を正妻に娶ることを要求しなさい、そうすれば堂々とアウルスと会うこともできるし裕福な生活も保障されるじゃないですかと。

         アクテの言うことはごもっともなのですが、リギアは聞く耳を持ちません。
         実は、リギアはキリスト教に帰依しており、その教えのこともあり、ローマの放蕩貴族のような生活は耐えられないとも考えていたのです。
         キリスト教は徐々にローマにも浸透し始めてはいたものの、まだよく知られていませんでした。
         何だか分からない淫祠邪教ではないかと誤解もされていたのです。
         しかし、ローマにも着実に信者を増やしていたので、リギアはキリスト教徒達に頼めば自分を救い出してくれるだろうと考えたのです。
         その後、貧しい生活を送らなければならなくなっても神への信仰に生きる分には何ほどの苦労だろうかというのですね。
         そして、その計略通り、翌夜、ウィニキウスの家に送られる途中でキリスト教徒達により奪還されたのでした。

         怒り狂ったのはウィニキウスです。
         ペトロニウスにも責任の一端はあるとしてその協力を求め、配下の奴隷を要所要所に張り付けてリギアがローマ市内から脱出できないようにし、ローマ中をくまなく探すのですがどうしてもリギアを見つけることができずにいました。
         そんなところへ姿を現したのはギリシャ人の自称哲学者と名乗るキロンという胡散臭い老人でした。
         キロンはリギアを探し出して見せると豪語し、高額の報酬を要求するのでした。

         こんな感じで幕を開ける本作は、全3巻という大作で、上巻(約350ページ)では、ウィニキウスがキロンの助けを得てリギアを見つけ出し、強引に奪い返そうとするところまでが描かれます。
         この先まだまだ長いですね~。
         全体の展開がまだ見えないので何とも言えないのですが、気持ちゆっくりとしたスタートのように感じました。

         沢山の人物の名前があちこちで出てきますので、ちょっと面倒かなとも感じますが、でも主要な登場人物はそれほど多くはないので、色んな人の名前が出てきてもさらっと流して読んでしまっても概ね大丈夫です。
         この作品は、某書評サイトで『徹夜小説』と激賞されていたので読み始めたのですが、さて、この先どうなりますか。
         随時レビューしていく予定ですので、よろしくおつきあい願います。
        >> 続きを読む

        2019/10/09 by ef177

    • 3人が本棚登録しています
      クオ・ワディス〈中〉

      木村彰一 , SienkiewiczHenryk

      4.0
      いいね!

      • 【「火を消す奴は殺すぞ!」/ローマは燃えているか?】
         キリスト教徒であるリギアに心を奪われたローマ軍団将校ウィニキウスは、狡猾な自称哲学者というキロンの手を借りて遂にリギアの居所を突き止めました。
         ウィニキウスは力ずくでリギアを奪おうとしたのですが、その企みはキリスト教徒達によって阻止されて失敗し、ウィニキウスも負傷してしまいます。

         もはやここまでと観念したウィニキウスは自分を殺すように言うのですが、キリスト教徒達はウィニキウスに赦しを与え、その傷の手当てをしてくれたのです。
         ウィニキウスは、リギアを見つけたキリスト教徒達の集会で聞いた使徒ペテロの説教を思い出し、不思議な思いにかられます。

         その後、ウィニキウスは徐々にキリスト教の教えに惹かれていき、もはや今までのローマの愉しみなど何の価値もないと思うまでに至りました。
         リギアも、信仰を持ち始めたウィニキウスに心を許し、もともと好ましく思ってもいたものですから、その気持ちを愛にまで高めていったのでした。

         ウィニキウスは、これまで自分が力によってリギアを奪おうとしたことは誤りであると気付き、リギアを尊び、崇拝し、愛することを心から誓うようになり、リギアもその思いに応えたのです。
         そして二人の思いは使徒ペテロにも祝福され、ウィニキウスは皇帝のアンティウムへの旅行の随行から戻ったら洗礼を受け、正式にリギアを妻に娶ることを誓いました。

         一方のネロですが、芸術を愛したことは史実のようですが、本作ではそれは滑稽な独りよがりと描かれます。
         もっとも誰もネロに対してそんなことを言うことはできないのですが。
         そして、ネロは、「自分はトロイアのように都市が燃え滅びるのを見たことがないからすばらしい詩作ができないのだ」と嘆くのです。
         そんなネロに対して、側近のティゲリヌスは密かに耳打ちをするのでした。

         ネロがアンティウムに滞在していた夜、急使が駆け込んで来ました。
         「ローマが燃えています!」と。
         ネロは、「今すぐ出発すればその火事を見物するのに間に合うだろうか?」などと言う始末。
         そして、悲劇役者を呼び入れ、火事を見る際にはどのような嘆きのポーズを取れば良いかを相談し始めるのでした。

         火事の知らせを受けたウィニキウスは、ローマにいるリギアを救出すべく馬を疾走させました。
         しかし、ローマから逃げてくる群集に押し戻されなかなか近づくことができません。
         ようやくリギアが身を寄せていた家にたどり着いたものの、そこには既に誰もいませんでした。
         煙と炎にまかれながらかろうじて逃げ出すウィニキウスですが、意識も薄れていき遂に倒れてしまいます。
         そんなウィニキウスを助けてくれたのはキリスト教徒達でした。
         そして、ウィニキウスをリギアやペテロのもとに連れて行ってくれたのです。

         ウィニキウスは、リギアやペテロ一行に対して、自分の領地に避難して欲しいと申し出ました。
         そこには他のキリスト教徒達にも来てもらい、自分の領地をキリスト教の国にすれば良いと言ったのです。
         しかし、ペテロは、ローマで苦しんでいる人々がいるのに自分たちだけが逃げることはできないとこの申し出を断りました。
         ウィニキウスは、ここに至り己の心の狭さを思い知らされ、ペテロの言葉に従いました。
         この時、ペテロはウィニキウスに洗礼を施し、ウィニキウスは正式にキリスト教徒となったのでした。

         さて、大火事が収まったローマは悲惨な状態になっていました。
         市街の大部分が焼き払われ、略奪、暴虐の限りが尽くされ、人々は飢え、苦しんでいました。
         人々の話では火をつけて回った者達がいたというのです。
         火を消そうとすると「これは命令だ。火を消す奴は殺すぞ!」と剣をふるわれたと言うのですね。
         ネロが火を放った……。

         ローマに戻ってきたネロ達も市民達の不穏な空気を感じ取っていました。
         このままでは叛乱が起きる、殺されると。
         ネロは、キロンとティゲリヌスの言を容れ、火を放ったのはキリスト教徒であると己の罪をなすりつけることにし、キリスト教徒の捕縛を命じたのです。

         さて、中巻に入り、史実に名高いローマ大火災が描かれました。
         実際にネロが火をつけたとまでは史実上認められているわけではないようですが、幾多の物語でそのように語られていますよね。
         そして、歴史上、ネロがローマ大火災の責任をキリスト教徒になすりつけて弾圧したことは事実のようです。

         本作は、そんな歴史をなぞりながら、ウィニキウスとリギアの愛を描いていくわけですね。
         あぁ、ウィニキウスは信仰に目覚め、洗礼を受けて正式にキリスト教徒になったばかりだというのに、今度は弾圧が待っているというのでしょうか?

         下巻を読了したら引き続きレビューいたします。
        >> 続きを読む

        2019/10/10 by ef177

    • 2人が本棚登録しています
      クォ ヴァディス ネロの時代の物語

      木村彰一 , SienkiewiczHenryk

      4.0
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      • 【本を読む時の予備知識などについて】
         クオ・ワディス、全3巻読了しました。
         下巻は、ローマ大火災の後のネロによるキリスト教徒迫害と、その中でのリギアとウィニキウスの絶望的とも思える愛の行方が描かれていきます。
         そこでは、敬虔なキリスト教徒として目覚めるウィニキウスと、キリスト教の力を認めつつも最後までキリスト教への帰依を拒否し、己の信じる快楽と美に殉ずる道を選ぶペトロニウスとの対比が際だって来るように思われました。

         そう、この作品、主人公はウィニキウスなのでしょうけれど、時としてウィニキウスは単純過ぎるように感じる部分もあり、ペトロニウスの存在はかなり重要です。
         むしろ、ペトロニウスの生き様に共感する読者も多いのではないでしょうか。

         読了してみて、読み応え十分の作品と感じました。
         そして、これは歴史小説なのだと再認識した次第です。

         本を読み始める時、それがどんな本なのか、ある程度の知識を持って読み始めることが多いと思います。
         その方が、おそらくその本に向かい合う姿勢というか、どういう心構えで向き合うかという自分の心の準備ができるでしょうから、望ましいことが多いように思えます。

         もちろん、『予備知識』の程度は様々で、内容をかなり詳しく承知した上で読み始める場合もあれば、SFとかミステリという風にジャンル程度を認識した上で読み始める場合もあるでしょう。
         時には、「これ面白かったよ」というオススメの言葉程度しか知らずに読み始めるという場合もあると思います。

         どういうケースが理想的なのかということについては一概には言えないとは思うのですが、本作に関して言えば、少なくともローマを舞台にした歴史小説なのだという程度の予備知識は持って読み始めた方が楽しめますし、おそらく読みやすいと思われます。

         私も、ある程度のことはブックレビューによって承知はしていたつもりだったのですが、いざ読み始めた時にはそんなことはすっかり抜けていて、かなり白紙の状態で読み始めてしまったため、「さて、これはどういうお話なのだろうか。どういうスタンスで対峙したら良いのだろうか。」と上巻位までは手探りに近い状態で読み進めてしまいました。

         フィクションの部分もありますが、一応歴史的事実を下敷きにしている歴史小説なのだと承知して読み始める方が良かったと、読了後思いました。
         私は歴史小説にはそれほど造詣は深くないのですが、例えば佐藤賢一さんの作品のように、史実をベースにしつつも、作者一流の解釈を加え、エンターテイメントとしても楽しめる作品に近いような読後感を感じたのが本作でした。

         キリスト教を軸にしており、その賛美的な部分もかなりのヴォリュームを占めますが、そこはそれ、そういうお話なのだと割り切ってお読みになればそれほど鼻につくこともないのではないでしょうか。
         素直に読めば感動的な美しいと思える場面も見つかると思います。

         私がそういう読み方をしたせいかもしれませんが、巻を追うに連れて読みやすくなり、またのめりこみ易くなりましたし、評価も上がっていったように感じました。
         それはきっと、この作品はこういう作品なんだという割り切りというか、心構えが自分の中で確立したからではないかと思うのですね。
         だったら最初からそういう作品だと知って読めばもっと早くから入り込み易かったかなともったいなくも感じた次第です。

         というわけで、上巻、中巻の私のレビューは粗筋中心に書かせて頂きましたが、そこである程度のこの作品が描く舞台、世界を把握して頂き、この下巻のレビューを参考にして読み始めて頂けたら、割と入りやすくならないかなと思い、ややこれまでとは異なるスタイルでレビューを書かせて頂きました。

         良い作品だったと思います。
         大作ですが、興味を持たれた方は、ご自身でお読みになられても損はないと思います。
        >> 続きを読む

        2019/10/11 by ef177

    • 2人が本棚登録しています
      ロボット R.U.R

      CapekKarel , 千野栄一

      いいね!
      • SFの古典とされる戯曲。序幕含め、全四幕。原題はR.U.R(ロッスムのユニバーサル・ロボット)で、ロッスムはロボットを製造する企業名。本書内には、実際に登場人物を演じたらしい役者の古い写真が挿入されている。

        「賦役=robota(ロボタ)」を元にしたロボットの言葉が生まれた時点でその反乱がテーマだったこと、ロボットが機械仕掛けではなく生物学的人造人間だったことに驚く。解説では、各登場人物名の意味を知る。SFに慣れたいまの目で見るとストーリーに新奇さは感じないが、「ロボットの反乱」のオリジナルを確認できたことに満足した。
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        2021/01/25 by ikawaArise

    • 1人が本棚登録しています
      コルチャック先生 子どもの権利条約の父

      BogackiTomek , 柳田邦男

      5.0
      いいね!
      • コルチャック先生の生涯を描いた絵本。

        絵もすばらしかったし、柳田邦男さんの翻訳もとても良かった。

        多くの人に読んで欲しい、素晴らしい絵本の一冊。

        コルチャック先生の魂が受け継がれていく世界であって欲しいと思う。
        >> 続きを読む

        2012/12/21 by atsushi

      • コメント 2件
    • 1人が本棚登録しています
      虚数

      西成彦 , 長谷見一雄 , 沼野充義 , LemStanisław

      3.0
      いいね!
      • 【本書には本文が一切無いのであります】
         作者のスタニスワフ・レムは、『ソラリスの陽のもとに』でも有名なポーランドのSF作家です。
         しっかしこれまた不思議な作品を書いたものです。

         本書は、『未来に出版されるであろう』本の序文ばかりを集めた作品集です。
         序文ばかりなので、肝心の本文は全く掲載されていません。
         しかもその全ての本は未だ出版されてはいない本なのです。

         一体どんな本なんだ?と思いませんか?
         それは、例えば人体透視を書いた『ネクロピア』、未来を予測するコンピュータによって書かれたという『ヴェストランド・エクステロペディア』という百科事典の販促パンフレット、バクテリアに英語を教えようとしたアマチュア細菌学者による『バクテリア未来学』なんていう、この世界に実在しない本ばかりを取り上げているんです。

         序文のみで本文が読めない本というと、イタロ・カルヴィーノの『冬の夜一人の旅人が』を思い出してしまいますね(あれは序文ではなく、物語のさわりしか読めないという意地悪な?本でしたが)。
         本書もそんな感じです。
         それは一体どんな本なんだ?と興味を抱いても決して本文を読むことはできないのです。

         構想からして奇抜です。
         序文を読みながら、決して読むことのできない本文に思いを馳せてみるのも面白いのでは?
        >> 続きを読む

        2021/11/23 by ef177

    • 1人が本棚登録しています
      ありのフェルダ

      関沢明子 , SekoraOndřej

      4.0
      いいね!
      • (図書館から借りて読む)この本の主人公ありのフェルダはたくましくて仲間から信頼され、物語の途中で罪人扱いにされてもめげずに頑張る姿に心を撃たれました。私もありのフェルダみたいに心強く生きてみたいとつくづく感じました。 >> 続きを読む

        2013/01/07 by xy-562244

      • コメント 4件
    • 1人が本棚登録しています
      あまりにも騒がしい孤独

      ボフミル・フラバル

      5.0
      いいね! Tukiwami

      • 20世紀を代表する作家のひとりで、チェコの国民的な作家でもあるボフミル・フラバルの「あまりにも騒がしい孤独」を、じっくりと味わいながら読み終えました。

        この作品の主人公は35年間、水圧プレスで故紙や本を潰してきた「僕」。

        毎日トラックで運ばれてくる故紙の中から好きな思想家や作家の著作を抜き出して読んできたので、心ならず教養が身についてしまった主人公のアパートには、そんな本が三トン以上もあり、いずれ本に押し潰されて死ぬんじゃないかと怯えているんですね。

        水圧プレスが発する騒音と駆除しても増えていくネズミたち、イエスや老子や死者が現われる白昼夢。
        そうした"あまりにも騒がしい孤独"の中、読書とビールの救けを借りて、終わりのない単調な肉体労働をこなす「僕」は、ゼウスの怒りをかって運んでも運んでも落ちてしまう、岩を山頂に上げ続ける罰を科せられたシーシュポスのようです。

        でも、シーシュポスは、岩を運び続けることで運命を投げ出さない姿勢を示し、神への復讐を遂げているという、カミュが「シーシュポスの神話」の中で述べた解釈に従えば、言論の自由が弾圧された1970年代のチェコにあって絶望から免れている「僕」は、小さな英雄だと私は思うのです。

        そして、この小さな英雄は、仕事をしながらいろんなことを思い出します。
        酒場のトイレに入った時、「ほとんど床板の穴にまで達した糞便のピラミッド」に長いリボンと髪飾りをつけてしまったせいで「クソまみれのマンチャ」と呼ばれるようになってしまった初恋の少女のこと。

        下水掃除人をさせられていた二人の元科学アカデミー会員のこと。
        そして、ある日、忽然と姿を消したジプシー娘のこと。

        孤独をかこっている主人公に、かつては愛する女性がいて、その彼女は「馬肉サラミ入りジャガイモのグラーシュを作り、炉に薪をくべ、秋には天空に凧を掲げる以上のことは、本当に望まなかった」のにナチスによって、強制収容所に連れて行かれてしまったのです。

        この「僕」と彼女が凧揚げを楽しむシーンの美しさは、この小説の白眉だと言えると思う。

        物語の終盤、主人公は自分が使っているプレス機よりも巨大で効率のいい機械の出現におののき、仕事を奪われ、深刻なアイデンティティ・クライシスに見舞われます。

        そんな彼を救うのは-------。

        自由化運動「プラハの春」の夢が、ソ連の軍事介入によって潰え、非人間的な社会主義体制下におかれた時代背景を用いながら、単なる告発小説には堕さず、不条理なあまりほとんどSFとも思えるようなストーリーに、苦いユーモアと節度ある感傷を織り込んで、ボフミル・フラバルは、とても個性的な小説を完成させていると思います。

        >> 続きを読む

        2019/02/27 by dreamer

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