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1968年1月発行の書籍

人気の作品

      幸福な王子 ワイルド童話全集

      西村孝次 , オスカー・ワイルド

      新潮社
      カテゴリー:小説、物語
      3.7
      いいね! el-j Tukiwami
      • 9月の課題図書!

        すごく興味があって読みました。(先着で読んでいた本を飛ばして 笑


        幸福な王子 ★5

        最後ハッピーエンドでよかった。ホッ。
        「世間とは」が一つのテーマだった気がして、鳥瞰的に眺めば、いろんな世界やらなんやら。目を犠牲にするシーンは怖かった。自分が網膜剥離の手術を受けた経験があるだけに。多分自分なら無理だ。みすぼらしくなった王様の「世間」の態度が真に「世間」だ!お金がすべてでは当然ないけども、お金に人がより、お金を失うとまた、人々がすっと去って行く世間でもまたあると思ってもいるかな。すべてではないけども・・・・・・

        ナイチンゲールとばらの花 ★5

        学生が「自己本位」と鳥を評し、その「ナイチンゲールとばらの花」を読む読者(私)はその学生を「自己本位」と評す。 (><;)この世はPerfect Circle。めくるめく、分厚い書物も哲学も、学問も無能に感じる時、最先端ITが発達しようとも、不易を感じる内容だった~ 汗

        わがままな大男 ★4

        なんかほのぼのとした絵本的な童話だった気がします。読みながらも、もう一人の世間に揉まれた自分がヤジっていて。大人な自分になるとみょ~に屁理屈になったり、純粋さに欠ける自分を読みながら感じてました><;その屁理屈な自分を単純にPUREにしてくれた気がしました。。。。

        忠実な友達 ★3

        なかなか最後は難しく自分なりの消化不良しました。読んでいて中盤から「小さいハンス」のあまりに無垢な純粋さにイライラもしたし、粉屋は普通に嫌いだったけども。。。友情の定義は今も自分にははっきりとは断言できなく、「友情」と「勇気」もしくは「断る勇気」を持つべきだと私は思ったし、一つの定義っつーのもなかなかボーダーを引きにくいし、それが善悪とか、う~~~~ん難しい。私には子供がいないから親心はわからない。けど、子供いない自分を下げる必要も当然ないけども、なにか卑屈になる自分がいるのもまた事実。それが、この小説では「友達」だったのだろう。教訓かぁ・・・そうかもな・・・ただ、最後自分のこの「忠実な友達」の感想と言うか、締めるなら「自分の信念やらを信じ掴み取る為に、思考、疑問、勇気、そしてその信念を念じそれを手にいれる努力はその人、当事者の責任かな、と思う。人の責任にするには自分をあまりに無責任にしている気がしてくるから・・・・(レヴュ書いていたら★5でもいいかなと思える重さもかんじてきたかな 汗)

        すばらしいロケット ★3

        ロケットの自分の話ばかりする、そんな人、私も周りにもいます。仕事だったり割りけれるけども。なかなか会話も難しいものでもあるな~と。ある程度、5:5、7:3、ぐらいとかかな。9:1になるともう一方通行会話になるしな。。。人の意見を聞けば参考にもなるし。しかし、意見にしても、言い方を誤るとスムーズに流れないトークにもなるし。自信過剰な人、無口な人、難しい人、いろいろ世間はホントいろんな人がいるなと思う。自分も含め 笑
        そんな世間を想い読んでいました。自分もある意味ロケットのように、自分の見える世界で世間を見ているのだろう。この小説読んで少しは客観的になろう。。。と思う事は良い事だとは思って・・・自分の仕事にプライドを持つ事は大事だけど、自信過剰となると訳が変わってくるから「奇体」と「稀代」と物語にも出てくるけど、読み方と理解を誤ると・・・

        若い王 ★4

        なんか読んでいたらシェイクスピアの「リア王」が頭をよぎった。なんつーか人それぞれの立場や仕事、もっと大げさ?に言えばその人の宿命?という気もする。アマゾンのベゾス氏が今の仕事放棄したら世界が混乱するだろう。。。ボクシングではボクサーがいてレフリーがいてそれを採点するジャッジ、そしてその試合を楽しむ観客(ヤジも含め)そして試合すらしらない無関心な人々。永遠に答えの出ない話(テーマ)だったけども、こうして他者の気持ちを考える勉強として私はとらえました。

        王女の誕生日 ★5

        最初どんな話になるのだろうと警戒?して読み進め、なんか王女の誕生日を祝う周りの植物や動物、昆虫たちが、世の中の世間とみました。みんな自分のいいたい事をおもしろおかしく、ある意味「無責任」に言いたい放題。それが世間かなとも。花も気品あり綺麗だけど、侏儒症について言っている事はとても下品で品がないただの悪口だと思うし。で独り善がりで自分が正しと・・・そして世間とのギャップを目の当たりにする現実・・・ほんと色んな人がいる世間そのものだと読んでいて思った。そこにはもう善悪を通り越した何かがあるのかな。宇宙空間にあるダークマターか暗黒物質のように、そこにあるけど掴めない、みたいなもどかしさ?かな。そんな自分も書いていてある意味、独り善がりなのか?ただそんな自分もやっぱ自分でそれを自分で認めてあげる事も大事かな!

        漁師とその魂 ★5

        最初は幻想的世界にどこか澁澤龍彦さんの幻想的な小説を想い浮かべ、何が言いたいのか?と、アンテナを巡らせ読み進め、なんつーか、「失敗」「リセット」や「選択」「後悔」などのキーワードから、自分の人生の前半に経験した、「仕事の転職の想い」かな。青い鳥を他社に見え、他社に行って過去が懐かしく。。。魂の誘惑などは、自分は当然経験ないけど、麻薬なども想像したし、中毒性な酒やたばこなど、魂の誘惑が現代のおける人生の誘惑とリンクし。織田信長の「是非に及ばず」じゃないけども、自分に来るある決断に対し、腹くくる、という精神は自分はもっていたいと思っているんですが。魂が離れなくなるシーンには多分、そんな自分にも、常に見え隠れする「後悔」的な部分。その魂(←小説に出る)にように一生自分のそばにいるだろうし。自分はその魂を背負い生きればと。「是非に及ばず」。人間の「欲」がいい意味でも悪い意味においても一つの「テーマ」柱だった気がしました。

        星の子 ★5

        謙虚さの大事さを童話的に描かれていて、普通な流れだなと読み進め、最後、王子になったときは、生意気な態度で生きればそれが顔に現れるし、頑張って生きている人は、引き締まった顔立ちになるし、優しさを考えていれば、その人は笑顔な顔になるよな~なんて思って読み進め、しかし、最後王子になったら、急に周りの人々の態度が180度変わる事に、どこか違和感があり、「まっ自分は大人だから素直にストーリーを理解せず、世間ってすぐ権力や地位、お金で手のひら返すもんだからな~」なんて卑屈な精神になる自分はそれこそ悪い顔なのかな・・・苦笑、と思いながら読み進め、最後の長くは続かない幸せな世界。そこがワイルドの落としどころだったか!と最後のエンディングで驚いたけど、大人な童話をしてはとても皮肉だが面白かったかな・・・なんかリアルで。



        いや~以上でレビュ終わりです。
        最後まで読んで下さりありがとうございます!

        芸術の秋。
        なんかいつも、春でも夏でも、、、「人生とは・・・」

        なんて立ち止まってばかりのワタシですが、なんか秋なだけに、すごく興味そそられた本で、実際読んでとてもよかったですね!
        読むのもそれなりに体力、努力、時間を費やす訳で、必ずこの読書感想や想いは、今後の人生に役立つと思っています!

        ちなみに今回の作品で一番印象に残ったのは、いろいろあるけども、一つ挙げるなら・・・・

        ★漁師とその魂かな^^
        >> 続きを読む

        2018/10/18 by ジュディス

    • 他6人がレビュー登録、 17人が本棚登録しています
      富岳百景・走れメロス 他八篇

      太宰治

      岩波書店
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
      いいね!
      • "富士には、月見草がよく似合う--明日の文学の理想を求めて苦悶する太宰治中期の名作、富嶽百景"

        今回、読了した太宰治の「富嶽百景」という短編小説は、太宰の中期の代表作で、主人公の"私"に仮託して、"くるしいのである。仕事が、---純粋に運筆することの、その苦しさよりも、いや、運筆はかえって私の楽しみでさえあるのだが、そのことではなく、私の世界観、芸術というもの、あすの文学というもの、いわば、新しさというもの、私はそれらについて、まだぐずぐず、思い悩み、誇張ではなしに、身悶えしていた。"と表現されているように、この小説の執筆時の昭和14年頃の、新しいあすの文学を模索し、身悶えしている若き太宰治の文学との格闘の日々が魂を削るかの如く赤裸々に描かれています。

        青春の彷徨と錯乱の時代ともいえる彼の前期において、自身の大地主の生まれだという出自に反抗して左翼運動に身を投じたり、愛の苦しみから女性と心中未遂事件を引き起こしたりして、そういう時期を経て、ようやく明るく健康的な精神の安定期を迎えていた、いわば作家としての充実期に書かれた、文学史に残り得る優れた短編小説だと思います。

        この小説の主人公である若い小説家は、新しいあすの文学を模索し、身悶えしながら、そうした自己の課題を背負いつつ、眼の前に広がる富士と対座し、富士を眺めています。そして、主人公の眼に窓越しに見える月夜の富士は、青白く、湖から浮き上がった水の妖精のようだと、幻想的で神秘的な美しさをもって眺められています。

        そして、富士を眺めながら、"私は溜息をつく。ああ、富士が見える"と私は富士に対して、私の考えている「単一表現」の美しさに近い美をいったんは認めかけながら、その後、あわてて打消し、富士の姿があまりにも「棒状の素朴」なのに対し、小説の中で、"これがいいなら、ほていさまの置物だっていいはずだ。ほていさまの置物は、どうにもがまんできない、あんなもの、とても、いい表現とは思えない、この富士の姿も、やはりどこかまちがっている、これは違う、と再び思いまどうのである"と表現しています。

        いったん「あすの文学」の理想を眼前の富士に見出しかけた主人公が、それは自分の既成の権威との安易な妥協であるとして、自己を厳しく責め、富士に戦いを挑む事によって、さらに独自の「あすの文学」への新しい理想を求めて苦悶する太宰の姿が透かし絵のように浮き上がってきます。

        "素朴な、自然なもの、したがって簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動で掴まえて、そのままに紙にうつしとること、それよりほかには無いと思い、そう思うときには、眼前の富士の姿も、別な意味をもって目にうつる。この姿は、この表現は、結局、私の考えている「単一表現」の美しさなのかもしれない。"と描き、それまで溜息まじりに、しかし否定されるべき既成の美としてとらえていた富士が、別な意味をもって見えてくるというように、富士というものが、主人公の気持ちの動きにしたがって、否定されるべき古い権威の姿となったり、逆に学びとるべき美の目標とされかけたりしています。

        このようにこの小説「富嶽百景」は、富士山との対話を通して、文学の理想像を富士山に見出しかけてみては、また否定しようとする「あすの文学」を求める太宰治の苦悶を描いていて、暗黒の青春から脱皮する事で、文学的野心に燃え、新たな出発を目指そうとしていた太宰の自画像でもあるのです。

        そして、太宰のそのような心の在り様を見事に表現したものとして、この小説の中の第十四景の"三七七八メートルの富士の山と、りっぱに相対峙し、みじんもゆるがず、なんというのか、金剛力草とでもいいたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。"という文学史上の有名なこの一節につながっていくのです。

        つまり、既成の権威に妥協するところのない、"そいつをさっと一挙動でとらえて、そのまま紙にうつしとる"のにふさわしい、"素朴な、自然なもの、したがって簡潔鮮明なもの"と主人公が呼ぶところの太宰の芸術の理想---「単一表現」の美しさ---の具体的な姿を、富士とりっぱに対峙し、みじんもゆるがずにすっくと立つ、このけなげな月見草の姿に象徴的に言い表わしているのです。

        "富士には、月見草がよく似合う"と表現された、この月見草のような文学が、太宰治という作家の文学の理想であったのだと思います。







        >> 続きを読む

        2016/03/19 by dreamer

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