こんにちはゲストさん(ログインはこちら) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト →会員登録(無料)


1969年9月発行の書籍

人気の作品

      ペスト

      アルベール・カミュ , 宮崎嶺雄

      新潮社
      カテゴリー:小説、物語
      3.7
      いいね! Minnie
      • ひとつひとつの文章がきめ細かくて、文学だなあと思いました。自分には正直いって、難解でした。

        この本は実話ではなく、メタファーとしての感染症という解説を見たこともありますが、いま感染症を生きている身としてはとてもリアルで、お店が閉まったり、当局が世論を不安にさせないように不正確な情報しか出さない、など、あるあるという感じでした。いま、世界的に人心が不安定になっているのも、身をもって感じることですね。

        主人公(?)の医師リウーを中心に、判事や司祭、新聞記者や役人など、いろいろな登場人物が現れ、それぞれのペストとの格闘が描かれています。
        序盤の、ネズミがどんどん増えてゆく描写、すごみがありました。

        印象に残ったのは、子供の死という不条理にふれたバヌルー神父の「神への愛は困難な愛であります」「(神も)極度の不幸のなかではその魂が激越ならんことを望むのである」という言葉でした。すべてを信仰に向けるキリスト教の厳しい教えをみました。

        今のコロナウィルスもやがて収まるのだろうと思いますが、この小説にあるように、収まってくればお祭り騒ぎで、その陰にあった多くの死のことを忘れてしまうのかもしれません。ひとつひとつの死に悲しみが宿っていることを忘れてはいけないと思いました。
        >> 続きを読む

        2020/10/08 by みやま

    • 他7人がレビュー登録、 28人が本棚登録しています
      或阿呆の一生・侏儒の言葉

      芥川 龍之介

      角川グループパブリッシング
      カテゴリー:小説、物語
      5.0
      いいね!
      •  私は、中学校から高校にかけて、芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ:1892-1927)のファンでした。それというのも、芥川は幼少時、彼の母が発狂し、頭をコツンと長ギセルで殴られたという体験談があります。これは小説「点鬼簿:てんきぼ」の記述から。(芥川は養子先の姓です。旧姓:新原。)

         私も、中学生時代に母が発狂し、その狂った矛先が私に向かい、私は苦しみました。そんな私にとって、芥川は身近な存在に思えたのです。

         世を拗ねた(すねた)視点・・・これこそが芥川の基本スタンスであったと思います。

        例えば警句集「侏儒の言葉:しゅじゅのことば」で、いろいろな事象を彼なりの犀利(さいり)な視点で料理しています。

         たとえば「ユートピア:どこにもない理想郷:トーマス・モアの造語」について「完全なるユウトピアの生まれない所以は大体下の通りである。――人間性そのものを変えないとすれば、完全なるユウトピアの生まれるはずはない。人間性そのものを変えるとすれば、完全なるユウトピアと思ったものもたちまち不完全に感じられてしまう。」と言った具合です。まるで数学の背理法のような論理で出来上がったこの一節を読んで、私は快哉を叫んだものです。「なるほど、その通りだ!」と。

         「人生は一箱のマッチ箱に似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい(ばかばかしい)。重大に扱わなければ危険である」

         「人生は一行のボードレールにも如かない」などなど。(←この言葉は「或る阿呆の一生」に見えます。)このボードレールの一節に関して興味があり、後にボードレールが始祖である「フランス象徴詩」(もしくは象徴詩)への関心にも繋がりました。

         あるいは、芥川の処女作であった「羅生門:らしょうもん」で、平安期、「悪事を働かなくては生きてはいけない」・・・門の上の階で、死んだ女の髪の毛を商売目的で剥いでいた老婆の言葉を聞き、「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もさうしなければ、餓死をする体なのだ。」と追いはぎをする男・・・彼の行く末には「外には
        、唯、黒洞々たる夜が広がっているばかりである。」という記述で、読むものを「厭世主義:えんせいしゅぎ・世の中をネガティブに見回す姿勢」に誘う何かがありました。

         私の場合、その厭世主義は、数学好きになって結実しました。数学は、嫌な現実から飛翔し、まさしくユートピアにあそべる側面を持っています。そんな訳で、中学3年生の時点で数学は高校2年くらいのレベルまでやりました。もっとも、東京大学に進んでみると、私より数学の出来る人がいくらでもおり、私は数学科を断念しました。(東大の場合、科類によっては思った進路に進めない制度・・・「進学振り分け制度」があります。入学後も専門決定までには厳しい競争があります。これが京都大学なら、大学入学の時点で、数学科に進めることは決定しているのです。)

         それでも、厭世的な気分は変わらず、東大マンガクラブに籍を置いていた私は「キャベジン」というペンネームで作品を描いていましたが、この「キャベジン」というペンネーム、やはり厭世的な、アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」にでてくる「キャベツ:だいたい人間と同じくらいの大きさと知能程度の野菜」ということばをもじったものでした。

         私が、芥川とかビアスの厭世主義から脱するのは、専門が工学部都市工学科・衛生コースに決まり、専門が要求することでもある、粗い世の姿を正しく認識するように心がけてからです。

         私は、その当時読んだ中島敦(なかじま・あつし:1909-1942)の作品のなか、彼の遺稿だった「李陵(りりょう)」に出て来る、歴史家・司馬遷(しばせん)が漢の武帝の怒りに触れ宮刑に処され、その後の史記の完成までの厳しい戦いに、芥川の作品とは違う、厭世的ではない何物かを発見した思いでした。楽天的ではないけれど、芥川作品よりずいぶんポジティヴな作品だったのです。たとえ、生きていくのが苦痛であるとしても、ポジティブなのです。

         ここに、私は芥川龍之介を客観視できるようになったのです。芥川の悲惨な最期・・・遺稿「歯車」の最後に出てくる「僕はもうこの先を書き続ける力を持っていない。こういう気持の中に生きていうのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」とのノイローゼの極致も、彼の路線の行き着く果てだったと思えます。そして彼は服毒自殺します。(睡眠薬を用いた)

        最後に:芥川龍之介は、歴史小説を沢山書きましたが、彼の作品はいわゆる「歴史ばなれ」の作品であろうと思います。歴史上の人物の精神構造を現代人に迎合させるという作りの小説で、森鴎外(1862-1922)がきびしく歴史小説を2つ・・・「歴史ばなれ」「歴史そのまま」に区分けした際、芥川の小説を標的としていたように思えます。中島敦の小説は「歴史そのまま」かと思います。
        >> 続きを読む

        2012/09/12 by iirei

      • コメント 3件
    • 2人が本棚登録しています
      このつぎなあに

      くりたやえこ , 山中恒

      あかね書房
      カテゴリー:小説、物語
      4.0
      いいね! foolman
      • 油断禁物、長いです。

        淋しいおじいさんと、化けるのが下手なたねきのコント絵本!?

        最後は素敵なので、読んで悔いなし(^_-)
        >> 続きを読む

        2013/04/01 by fraiseyui

      • コメント 4件
    • 3人が本棚登録しています

出版年月 - 1969年9月発行,出版の書籍 | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト

会員登録(無料)

今月の課題図書
読書ログってこんなサービス
映画ログはこちら
読書ログさんの本棚

レビューのある本