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ドストエフスキー
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「地下室の手記」を読むのはこれで6回目。そのうち3回が江川卓訳で、やはりこの人の訳がもっとも良い。日本語がしっかりしていて、しかもドストエフスキーの原文を(たぶん)精確に反映している。この人の文章は、とてもしっくりくるのだが、若い頃から読んでいて、私自身の文章もこの人の翻訳文に影響を受けているような気がする。前に、「ここに描かれたのは、写真でいえばネガの姿で、ネガをネガとして浮かび上がらせるためにはポジの世界が必要ではないだろうか。その視点があるからこそ、ドストエフスキーはここまで精確にネガの世界を描き出すことができたのではないだろうか。」と書いたけれども、今度読んでも、やはりそう思う。「ドストエフスキーは、自分の主人公の状態を人間全体として考えて正しいものとはみなしていない。彼は主人公を苦しめ、軽蔑している。」(p257 解説)というシクロフスキーの評はその通りだ。そしてドストエフスキーがここまでリアルに現代の人間を描き出せたのは、かれ自身は「地下室」ではなく、その外にいるからだ。だからこそ「地下室」の世界を徹底的に描き出すことができた。「というのも、ぼくらはすべて、多少とも生活からかけ離れ、跛行状態でいるからだ。そのかけ離れ方があまりにはなはだしいので、ときには真の《生きた生活》に対してある種の嫌悪を感ずるまでになっている。そこで、その《生きた生活》のことを思い出させられるのが耐えられないほどにもなっているのである。とにかくぼくらは、真の《生きた生活》を、ほとんど労役かお勤めとみなすまでになっていて、それぞれ腹のなかでは、書物式の方がよほどましだとさえ思っているのだ」(p244-245)かれの居る場所からは「真の《生きた生活》」が見える。ただし、「真の《生きた生活》」は、ここでは、まだ、ネガの裏返しでしか、あらわされていない。たいていの小説は、それを裏返しでしか表現できないものだ。ドストエフスキーのこれから以降のテーマは、その姿をいかにしてポジティブに、肯定を肯定として現そうとする努力ではなかったか。 >> 続きを読む
2017/09/09 by Raven
西巻茅子
子どもの日なので子どもの本をご紹介します。「わたしのワンピース」(「洋服」のワンピースですよ!)はタイトルでご想像できるとおり、女の子向きの絵本です。……と言いましたが、メルヘンな展開とほんわかした絵がとても心地よいので、女の子の本なんていう思い込みは捨ててぜひ手に取ってみてほしいです。夢があるってこういうことよね。と微笑みたくなりますよ。(ストーリー)白うさぎのわたしのもとに、真っ白なきれが空から落ちてきましたミシン カタカタわたしのワンピースをつくろうっと真っ白なワンピースを着てお散歩に出かけると、あれっ?不思議なことが起こります。色とりどりですが派手でなく、花や雨や草の香りがするような、素朴さの感じられる絵。シンプルで表情もポーズも控えめですが、無表情ではない温かみ。ミシンが足踏みミシンでね。すごく面白いというのとは違う、いつまでもそばに置いておいて楽しめるタイプの絵本です。(余談)数年前にグラニフという洋服メーカーから「わたしのワンピース」の絵をモチーフにした子ども服が販売されているのを見つけて、何ていいアイディアなんだと感動しました。ああ、私の子どもが小さかったら絶対買ったのに!!その後もエリック・カールやレオ・レオニー、五味太郎や馬場のぼるなどなど絵本好きなら素通りできないラインナップが多数。今年はブルーナなどもシリーズで出していますね。絵本とセットで贈り物にしたい!中でも一番私が気に入っているのが、この「わたしのワンピース」の服なのです。 >> 続きを読む
2019/05/05 by 月うさぎ
エズラ=ジャック=キーツ
ポケットに入れた雪が、とけてなくなったのが、かわいそうだった。
2015/10/31 by れおっち8
有吉 佐和子
医学探求に没頭する男の妻と母親。嫁姑問題の根の深さと本質を見る思いがした。世界で始めて麻酔を用いて手術を行った華岡青洲。この母親と妻の微妙な関係が本作品のテーマで有る。実際に自身の体内に生命を宿し、痛みとともに産み落とすことが出来るという点で、母親は子供に対し、自分の分身として特別な感情を抱き易いのでは無いかと思う。江戸時代という封建社会においては、後継ぎを生むことを期待され、また女人の礼は、幼いときは父親に従い、若いときは夫に従い、老いては子に従うことだとと言われているような環境では、より一層出産というイベントに重みが有ったことが想定できる。青洲を生んだ母親は、息子かわいさと家業隆盛のために自ら選んだ女性を息子の妻として迎える。青洲が留守をしていた、しばらくの間は、青洲を待ち焦がれるという価値観が共有され蜜月関係で有ったものの、青洲帰還とともに取り合いの様相を呈す。子を儲け、子を喪う中で、母親としての価値観も共有されていくものの、息子を挟んだ嫁姑関係で有るという二人の関係は結局変えられないようだ。さだまさしの関白宣言の歌詞に「姑小姑。かしこくこなせ。たやすいはずだ。愛すればいい」というものが有る。難しい場合も多いことは分かるが、これが本質だと思う。結婚してしまえば、嫁姑の縁は嫌でも切れない。営業の世界では、相手に好意を持ってもらうためには、まず相手を好きになれという格言的な手法が有るのだが、このマインドでいけば大抵は何とかなると思う。まず最初に自分をマインドコントロールする努力から始めるべきなのかもしれない。当時は親が選んだ結婚相手だったりするため、少し違う気がするが、少なくとも双方が自身で選択した相手を伴侶とする現代では、嫁姑問題のほとんどは男性に問題が有るように思う。どちらが大切かを決めることは出来ないわけだが、母親サイドには既に伴侶という味方がいる。(少なくとも己が存在する以上、精子提供者という意味での父親は存在する理屈)これで夫が母親の肩を持ってしまえば、妻は孤立無援となってしまうだろう。また、無限と言って良い選択肢の中から自らを選択してくれたと言う点でも妻の肩を持つべきだと思う。母親の伴侶が母親の肩を持てばイーブンとも言える。ただ、子供で有り、夫で有る自身の立場からすると、母親との間には揺ぐ可能性さえないような信頼と愛情が有るのだから、ポーズとしては妻の肩を持つからね。という立ち位置な気がする。これも母親に対しての甘えかもしれないが、ここは甘えさせてもらうことにする。両親と同居なので嫁姑が上手くいかない的な発言を耳にすることが有る。良く聞いてみると持ち家購入まで資金を貯めるために転がり込んでいる状況らしい。脛を齧りつつ上手くいかないとは何事か。この場合は夫が妻をグリップ出来ていないのが問題だろうし、どうにもならない場合は、同居を解消すれば良い話に過ぎない。事態は案外深刻な段階に入っていることも多いようだが、アパートに引っ越すなど、お金で解決できる簡単な問題にも関わらず、大切な伴侶を失うリスクを負う気持ちが理解出来ない。深刻な結果を無策で座して待つような男にだけはなりたくないもので有る。青洲が先に死ねば再び蜜月化しているだろうと考えると根の深さを再認識する。 >> 続きを読む
2011/08/26 by ice
司馬遼太郎
幕末・維新は、公武合体論、尊皇攘夷論、佐幕、勤皇などと、まさに激動の時代だ。そうした時勢の中で、"人斬り"と異名をとった人たちがいた。土佐の岡田以蔵、薩摩の田中新兵衛、中村半次郎etc.------。彼らの思想はさまざまですが、"人斬り"小説は、幕末・維新には欠かせない重要なジャンルになっていると思う。この司馬遼太郎の表題作の「人斬り以蔵」他、日本陸軍の実質的な創始者である長州藩の大村益次郎の半生を描いた「鬼謀の人」等、全8編を収めた短編集を読了しました。表題作ともなっている「人斬り以蔵」は、かつて五社英雄監督、勝新太郎主演、仲代達矢、石原裕次郎、三島由紀夫らの豪華共演で「人斬り」という題名で映画化もされましたが、人斬り以蔵こと、土佐生まれの本名・岡田以蔵の生涯を描いた作品だ。足軽上がりの以蔵は、常に自分の身分の低さと、無教養という劣等感をもって生きていた。そして、自分という存在を、師である武市半平太に認めてもらうために、また誉めてもらうために、武市に言われるがままに"人斬り"をしたのだった。考えることは武市に任せ、ただ盲目的な殺し屋としてのみ生きたのだった。しかし、彼は師と藩に利用され、裏切られたことを知る。その結果、以蔵は、武市や土佐勤皇党について、過去の吉田東洋暗殺の真相を自白し、自らの生き方に目覚めて、土佐藩によって梟首されたのだった-------。司馬遼太郎は、血も涙もない狂人のような殺人者と見られがちな、岡田以蔵という人間の人斬りをする本当の理由、そしてその過程にも焦点を当てて描いているんですね。幕末という"時代"によって壊された青年、岡田以蔵は悲劇の人だったと。 >> 続きを読む
2018/03/28 by dreamer
斎藤 隆介
この「花さき山」の絵本は、もう六、七年前に、一度、ある人にすすめられて読んだことがあった。その時も心打たれたけれど、いまあらためて読むと、本当にすばらしい作品と思う。何か良いことをすると、その時に、「花さき山」に花が咲く。本当に美しいビジョンだと思う。そういえば、法然上人の「選択本願念仏集」の中にも、念仏の一声一声に浄土で蓮の花が咲くということが書かれている箇所がある。目には見えなくても、そのような花をできるだけ咲かせていく人生。そうした人生を心がけて生きることができたら、それこそが豊かな心の人生と言える。そう思う。斉藤隆介と滝平次郎のコンビの絵本はそれも名作だけれど、この作品は特にその最高峰と思う。多くの人に一度は読んで欲しい。 >> 続きを読む
2012/12/21 by atsushi
ルイーズ=ファチオ
井伏 鱒二
フョードル・ドストエフスキー , 米川正夫
ブルノー=ホルスト=ブル
テルマ=ボルクマン
武者小路 実篤
宮沢 賢治
出版年月 - 1969年12月発行,出版の書籍 | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト
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