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松本清張
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詳細は下巻の感想に書きました。早く下巻読みたいなぁと思った上巻でした。
2018/05/20 by ∵どた∵
銀行員のひとつの歯車として働き、上司にも同僚にも蔑ろにされてきた日々を憂いた主人公元子は、隠し預金を横領することで、その歯車から抜け出すことに成功する。華やかな世界、銀座のクラブのママとなった元子は、しかし予想外に出費がかさむ現実に直面する。やっとの思いで手に入れた自分の城を守るため、やがて大きくするためにとった手段とは。また、その結末やいかに。米倉涼子、武井咲のドラマで本作を知った、完全ミーハーです。原作の主人公は、米倉さんとも武井さんともまた違う、泥臭さがありました。夜の銀座の世界は、会社勤めする自分から見ると別世界。その世界を垣間見るだけでも、とても面白かったです。作品中、具体的な金額が随所に出てきますが、到底私が一生かかってもお目にかかれないような金額が右から左へとコロコロ転がっていきます。それに乗じて、人生までもがコロコロコロコロ。大金のそばで生活するの怖い!とか思った私は、会社勤めから離れられないんだろうなぁ。裏口入学や総会屋、隠し預金など、社会が持つ闇に切り込んでいっているところも、魅力です。悪に悪で立ち回る元子。動機は元子の欲だしそこに正義はないんだけど、なぜか応援してしまう。より多くを知り、より力を持つ人間とのパイプがあり、より知恵が回る人間がのし上がって行くんだなぁと、上巻の元子に対して思った感想が、下巻で違う形で思い知らされます。原作面白い。読んでよかった作品です。 >> 続きを読む
ウィリアム・シェイクスピア
【あらすじ】リア王は煩わしい政から解放されるために退位し、三人の娘に領土を譲渡することを決める。リアは自分への愛がもっとも深いものにもっとも深い情愛を示すといい娘達を試す。長女のゴネリルと次女のリーガンは言葉巧みにリアの機嫌を取り土地を譲り受ける。一方、正直者なコーディリアは姉たちのようにごますりをしなかったことで、リアの不興を買ってしまい領土を貰えないばかりか、求婚者のフランス王の元へと実質国外追放の扱いを受けることとなる。リアはゴネリルの屋敷で悠々自適に過ごす。ゴネリルは不法で乱暴者なリアの部下たちと退位してなお王として振る舞おうとするリアに業を煮やして、リアの部下の半数を解雇する。これに対してリアは激昂してリーガンの元へと去っていく。期待に反してリーガンにも軽んじた扱いをされてしまい、リアは怒り屋敷を出ていく。リアは嵐の中、領土を渡した瞬間に手のひらを返す娘達に絶望する。グロスター伯爵には嫡男のエドガーと私生児のエドマンドという二人の息子がいた。エドマンドは相続権欲しさに計略をめぐらし、兄のエドガーが財産目当てに父親殺しを企んでいるとグロスター伯爵に信じ込ませる。グロスター伯爵は息子の裏切りに心を痛め、エドガーは追われる身となる。【感想】4大悲劇として有名な本作ですが、僕にとってはほとんど喜劇でした。というのも苦境に陥ったリアとグロスターは子に裏切られたことによって世の無常さを呪うのですが,完全に自業自得なんですね。特にリアは権力しか取り柄のない人間が自ら権力を手放したのだから、彼に起こった出来事は全て必然であり身から出た錆といえるでしょう。そのことはp35のエドマンドのセリフに示されているように思います。「人間ってやつ、ばかばかしさもこうなると天下一品だな、運が悪くなると、たいていはおのれが招いたわざわいだというのに、それを太陽や月や星のせいにしやがる」そして、リアの側にいる道化がナンセンスなセリフを混じえながらもリアが苦境に陥った原因を突くところが面白いです。阿呆なはずの道化が本質を見抜く一方で、大仰なセリフで天を呪うリアのほうが道化となっているように感じました。「ええい、必要を論ずるな。どんな卑しい乞食でも、その貧しさのなかになにかよけいなものをもっておる。自然の必要とするものしか許されぬとすれば、人間の生活は畜生同然となろう。」(p106)「人間、生まれてくるとき泣くのはな、この阿呆どもの舞台に引き出されたのが悲しいからだ」(p186)リアのセリフはいいセリフもあるんですが、この人が口にすると滑稽で笑えるようになってしまいます。とはいっても、うまくいかないことがあると何かのせいにしたくなるというのが人の心なのかもしれません。本作にドラマとしての魅力を加えているのはグロスター伯爵家のパートでしょう。エドマンドは未亡人となったリーガンとゴネリルの間を飛び回りさらに権力を手中に収めるために暗躍します。一方、おたずね者となったエドガーはキチガイ乞食のふりをして追っ手の目を逃れます。エドガーは逆境に立たされても絶望せずこう言います。「人間、運に見放されてどん底の境遇まで落ちれば、あとは浮かび上がる希望のみあって不安はない。悲しい運命の変化は最高の絶頂からはじまる、最低のどん底からは笑いにいたる道しかない」(p151)その直後にエドマンドの暗躍によって盲となったグロスターを目撃することでさらなるどん底に突き落とされるのですが、彼は迷わず父に手を差し伸べます。そして、自らの汚名を晴らしエドマンドの前に表れ、決闘を申し込むという熱い展開になるのです。 >> 続きを読む
2016/11/05 by けやきー
戸部 新十郎
秀吉の片腕となり天下統一の一翼を担った(正勝)が主人公です。読むと正勝が秀吉に私利私欲からでなく惚れ込こんだからこそ使える続けたということが分かります。最後まで惚れ込んだ主君に使えることができた正勝が羨ましくも感じました。 >> 続きを読む
2020/05/15 by koten
杉浦範茂 , 山下明生
小学校時代を思い出しました。当時はくだらないことでもめていたな…と。あんなことや、こんなことで仕返しをしてやろうと想像している場面。わかるなぁ。 >> 続きを読む
2012/06/10 by montitti
筒井康隆
何年か前に深田恭子主演でやっていたドラマの原作です。祖父が悪いことをして稼いだ大金を派手にお金を使って事件解決という点は大体同じなのですが、ドラマの方が演出が派手なのとなにより主人公の性別が違います。筒井康隆さんの本にしては一般向けな感じなので軽くよめて面白いです。おぼろげにドラマの印象がある人は違和感を感じながら読んでみるのも一興かと思います。 >> 続きを読む
2015/03/19 by kenyuu
西村 京太郎
銀座の空に舞い上がる蝶の大群。蝶を解き放った男は何故か微笑みながら、死んでいた。これが連続予告自殺事件の始まりであり、事件の裏にはある宗教団体の存在があった。宗教をテーマにした異色作。途中で十津川警部が誘拐されるなど、続きが気になって一気に読んだことを憶えています。人間の心理を巧みに描いたラストは秀逸でしたね。 >> 続きを読む
2015/07/17 by UNI
アガサ・クリスティ , 中村妙子
このお話し、イントロは、スパイ映画みたいです。列車内での宝石強盗殺人事件発生。密室殺人。と思いきや、舞台はあっさりと南仏のリビエラへ。とまあ、ストーリー的にも論理的にも、いろいろ疑問は多いのですね。なぜ億万長者その人がわざわざ危険な町に出向いて自ら「物(ブツ)」を受け取りに行かなくてはならないのだ?とか、もう、初めっからです(^ー^)このお話しでは、ヘイスティングズはいないし、ポアロが大活躍というわけでもないのがまた寂しいです。クリスティもこの作品が嫌いだとかなんとか言っていたとかいないとか。どうやら出版社にせかされて書いたらしいです。しかし、クリスティならではの魅力は人物描写にあります。セントメアリ・ミード村に住むお年寄りのレディはやっぱり個性的で魅力的。彼女は毅然としたお年寄りの女性に好意的なんですよね。ちょっと興味深いのは、キャストの年齢設定です。33歳の独身女性が2名(2名とも魅力的な女性)、男性は30代後半30代、40代の美女はでてくるけれど、20代の女性は、美しくて魅力的ではない。(当のクリスティーは37歳)ミレールもあまり若いイメージではないです。つまりクリスティーが『大人の恋愛』を描いた作品。といえるでしょう。だからこの小説はミステリーというよりも恋愛ものとして楽しんだ方が正解です。ポアロが今回の相棒に選んだ女性キャサリンの恋愛も無事に成就しそうです。読者が、その恋のお相手に納得できるかどうかは保証しませんが…。多分、主人公はあくまでキャサリン。なのでした。【蛇足】舞台として、ミス・マープルの住む村、セント・メアリ・ミード村が登場することも話題性のひとつ。私が持っているのは、この『ブルートレイン殺人事件』 中村妙子訳 新潮文庫 です。2009年03月14日、日本の青列車、九州行きの「はやぶさ」と「富士」が最後の運行を終えました。北陸行の列車もなくなり、今では北海道と北東北、山陰・四国行きの寝台特急がわずかに残っていますが、新幹線が開通したらそれも、全廃になるかもしれません。日本では「ブルートレイン」もそのうち死語になるのかしら。だとすると、かなり寂しいことですね。 >> 続きを読む
2012/12/19 by 月うさぎ
キャサリン・エアード
英国の田舎町ベリバリーで、年老いた女教師が糖尿病で死ぬ。死因には少しの疑問点もないのだが、25万ポンドという巨額の預金をしている点が、どうもおかしい。この点に執着した警察署長は、強引に検死に持ち込んで、遺体を解剖する。だが、死因は、やはり糖尿病。果たして、殺人はあったのか?この導入部は、謎解きの推理小説としては、実にうまいと思う。殺人がなければミステリにはならないから、女教師は殺されたのに決まっている。それなのに、警察医がいくら調べても病死にしか見えないとは、いったい、どんなトリックが凝らされているのだろう? などと考えて楽しくなってくるのだ。だが、正直なところを言うと、楽しめるのはここまでなんですね。「そして死の鐘が鳴る」に次いで訳されたこの"スローン警部もの"、女流作家らしいクセのない柔らかい筆致で、のんびりとした田園風景が描かれているのはいいんですが、ちょっとのんびりしすぎていて、その語り口の単調さに次第に飽きがきてしまいます。P・D・ジェイムズやルース・レンデルのようにとは言わないけれど、もっと面白そうに、興奮させるように、書けたはずなのにと思いましたね。 >> 続きを読む
2018/03/04 by dreamer
ギイ・テセール
ギイ・テセールの「女テロリストを殺せ」は、ジャンルとしてはスパイ小説だと思うが、ミステリの醍醐味がたっぷり盛られていて、とても面白かった。この小説は、プロローグが騙し絵的な役割を果たしていて、アタナーズというフランス情報部の実力者の回想で始まりますが、実はこの中に主要な登場人物は全て現われ、事件の大きなトリックも抜け目なく書き込まれているのだ。つまり、物語の伏線はすべて張られ、あとは何くわぬ顔で、我々読者にチャレンジしてくるのだ。果たして次の小見出しが「準備開始」となっている。これはアタナーズたちが、ある男を狩りたてて罠にはめこもうと試みる、その準備開始を意味するのだが、同時に我々読者をトリックにかける、準備開始でもあるのだ。西ドイツの過激派の女テロリストを謀殺するために、ボーマンという弱気な失業者が罠に引き込まれるのだが、冒頭からこのボーマンが射殺され、その妻にアタナーズがお悔やみを述べるくだりが現われ、読む側としては面食らってしまうのだ。いったい、テロリストはどうなったのか、ボーマンという男はどんな罠にはめられてしまったのか、罠は奏功したのか、失敗したのか-------。"悩みの電話"にめんめんと恨み、つらみを打ち明けるボーマンという一種の性格破綻者が、なかなか良く描き出されていて、これが作者の大きなトリックを成功させる仕掛けになっていると思う。 >> 続きを読む
2018/03/05 by dreamer
田中芳樹
マッグガーデン版を読んでいる。同盟側のアホさが残念でならない。"軍事的ハードウェアに平和の維持を頼るのは、硬直した軍国主義者の悪夢の産物でしかなく、思考のレベルで言えば、幼児向きの立体TVアクションドラマとことならない。ある日、突然、宇宙の彼方から醜悪で好戦的なエイリアンが理由も原因もなく侵略してきたので、平和と正義を愛する人類はやむを得ず抵抗する。そのためには強大な兵器や施設が必要だ-というわけだ"アルテミスの首飾りを破壊するヤンが考えていたことらしいが、これはあまりにも性善説に寄り過ぎていて危険に見える。現代でも分けのわからない理由、意味の通らない原因によって侵略されつつある国があるというのに。醜悪で好戦的なエイリアンに抵抗するためには、強大な兵器を準備できる技術だけは保持しておかねばならないのに、その議論さえ封殺する。殺されたいヒトのいかに多いことか。 >> 続きを読む
2020/06/06 by 兼好坊主
松谷 みよ子
物語は古くからある伝説だそうで、たぶん江戸時代ぐらいの雰囲気でこの絵本も描かれているのだけれど、作者はこのベースに、新潟水俣病のことをこめているそうである。とても胸を打たれる、涙なくしては読めない絵本だった。ぜひ多くの人に読んで欲しい。 >> 続きを読む
2014/04/29 by atsushi
山本 真理子
特攻隊についての絵本。まだ十七歳ぐらいの若者たち。彼らにとっての数少ない楽しみは、厳しい訓練の合間に食堂で食べるうどんだった。その中の一人の青年が、食堂のおばさんに、おばちゃんのうどんは本当においしい、もう一度食べたい、という。じゃあ、あとでまた食べに来てちょうだい、待ってるよ、と言うと、うん、もし来れない時は、ほたるになって食べに来るよ、と青年は言った。その日、特攻機は出撃していき、青年は帰ってこなかった。しかし、季節外れのほたるが一匹、光りながら食堂にまぎれこんできた。という物語。実際にあった御話だそうだ。私はこの絵本で読む前、もうだいぶ前に、二十歳の頃、富屋旅館という鹿児島の旅館に一人旅でとまった時に、この物語を聴いたことがあった。その旅館の主が、鳥浜トメさんという、この物語に出てくる食堂のおばちゃんだった。私はトメさんから直接聴いたわけではなく、他の方がビデオを持ってきてくれて、それを食事中に見てその物語を知ったのだけれど、長く忘れていた。この絵本のおかげで、あらためて思い出し、そのような良い若者を死なせていった戦争のむごさをあらためて思わされた。良い絵本だった。多くの人に読んで欲しい。 >> 続きを読む
2013/04/24 by atsushi
タイタス・アンドロニカス管理社会モノのアニメ「PSYCHO-PASS」の登場人物、芸術家であり女子高生であり猟奇殺人者でもある王陵璃華子が好んでいた作品。その理由はシェイクスピアの悲劇の中でも特別に残酷だから。とりわけ残酷な被害を受けるのはタイタスの娘ラヴィニアだ。彼女は強姦されたあげく、口止めに舌を抜き取られ、両手を切られる。そのうえ最後は実の父親の手によって殺されるのだ。父親が娘を殺した理由を語るセリフが「いま殺した娘は私を涙で盲にしたのです(後略)」。他の場面でもタイタスは嘆いてばかりで(それも無理からぬことではあるが)、両手と舌を奪われ辱めを受けた娘への思いやりは感じられない。だから僕はタイタスを好きになれない。一方であらゆる悪事を好み実行したアーロンは好きだ。悪の権化でありながらどこか小物臭さがあるところがいいし、悪党でありながら息子に対して、我が身に変えても守ろうとするほどの深い愛情を抱いているというギャップもよい。そして何より悪役として全くぶれないところが気に入っている。彼は罰として生き埋めの刑に処される時に「……赤ん坊じゃないぞ、おれは、卑劣な祈りをあげて犯した悪事を悔いるなんて子供じみたことはしないぞ。(中略)おれの生涯にただの一度でも善いことをしていたら、おれは魂の底からそいつを悔やむだろう。」と嘯く。ぶれない心や信念というものはその中身がなんであれ、格好いいものだ。ディズニーアニメ「ヘラクレス」の登場神物ハデスを連想したから、というのも彼に惹かれた理由かもしれない。ところで戯曲って読むのが少し難しいですね。心理描写がほとんど描かれないので想像に依るところが大きくて……なんだか唐突に感じるシーンもあったわけです。例えば、タイタスが息子を殺したシーンでは、最初に剣をとったのはミューシャスだし、家名を汚す許しがたい行為をしたかもしれないけれど、一瞬の迷いもなく息子をやっちゃうの!?と驚きました。そんなわけで僕はストーリーよりも登場人物の会話やセリフを楽しみました。シェイクスピアが各所で引用される理由がわかった気がします。気の利いた言い回しが多くて使ってみたくなるんですよ!なんなら役者のような迫真の演技で音読したくなります。PSYCHO-PASSの王陵璃華子編でも「タイタス・アンドロニカス」が度々引用されてるので、僕と同様にこのアニメで興味を持った人はぜひ読んでみることをお勧めします。ちなみにとあるサイトによると、ちくま文庫版の松岡和子訳のほうが作中で引用されたセリフに近いそうですよ。 >> 続きを読む
2016/05/29 by けやきー
【あらすじ】ハーミアを愛するライサンダーとディミートリアス対立。ハーミアの父イージーアスはディミートリアス擁立。ライサンダーはハーミアへ駆け落ち提案。ハーミア歓喜に溢れて駆け寄り承認。そこへばったりヘレナと出会。予定はっきり公開して散会。ヘレナは愛しのディミートリアスに暴露。ディミートリアス森へ追跡、怒りを発露。ヘレナはディミートリアスへ思いを伝える。ディミートリアス、重いと突っぱねる。妖精王オーベロンは愛の告白、立ち聞き。オーベロン感じる、美しい愛が失われる危機。そこで「恋の三色スミレ」使い、愛をあるべき方向へ。ところが妖精パックの誤りで、愛の在り処は方方へ。※「恋の三色スミレ」の花の汁を瞼に垂らされた人間は、最初に見たもの(それが例え動物だろうと)を愛するようになる。妖精パックはディミートリアスに恋の三色スミレを使おうとするも、ライサンダーをディミートリアスと誤認してしまう。ライサンダーが目覚めるとそこにはヘレナが立っていた。そこへ恋の三色スミレの汁を目に垂らされたディミートリアスもやってくる。ハーミアの争奪戦は一転して、ヘレナの争奪戦&ハーミアの押し付け合戦へ。愛と嫉妬と勘違いが交差するドタバタコメディ。【感想】あらすじは決してふざけてないよ。だって本当にそういう内容。あ、もういいですか……その意見採用!『夏の夜の夢』は韻を踏むのが大好きなシェークスピア作品の中でもとりわけ韻踏みが多い作品となっています。さらに文字数にも気を遣っているので、とても音楽的なんですね。僕が今まで読んできた作品はまさに演劇!という感じでしたが、こちらの作品はミュージカルに近い印象を受けました。その分、よりセリフが発声されることの価値が高く、どんな音楽を流すかも重要であると言えるでしょう。つまり、文字だけ読んでもそれほど面白くないということです。そもそも戯曲は劇を上演するための脚本ですが、『夏の夜の夢』は一層舞台で演じられてこそ際立つ作品であると感じました。また、韻踏みが多いので言語の障壁もあるかもしれません。しかしながら、16~17世紀にはすでに純粋におもしろおかしく楽しめるドタバタコメディがあったとは驚きです。たった一人の女性を巡って簡単に決闘という名の殺し合いをしようとする価値観のギャップやいたずら好きの妖精パックが僕の中の妖精像と合致しているのも興味深い点です。そして、さすがシェークスピア。セリフは冴えたものが多いです。ライサンダー「きみはお父上に愛されているんだ、ディミートリアス、ハーミアはおれにまかせて、お父上と結婚するんだな。」(p14)ヘレナ「――ディミートリアスもハーミアの目にふれるまでは、私だけのものだとあられのように誓いを降らせていた、ところがそのあられは、ハーミアの熱を受けると、あられもない、あの人もろとも溶けるとは。――」(p24)オーベロン「キューピッドの愛の矢に染まるこの紫の花の汁、瞳の底にしみとおる、そのとき開いた目に入る女の姿は空に見る金星よりもなお光る。目覚めたときにそばにいる女にお前は恋を得る。」(p74)ライサンダー「――涙とともに生まれた誓いはまことの心をあらわしている、それなのにきみにあざけりと見えるのはどういうわけか?誠実の涙がまことの恋と証明しているではないか。」ヘレナ「――誓いで誓いの重さをはかれば、重さはゼロになるわ。二人への誓いをのせてごらんなさい、二つの秤皿に、メモリはゼロで二つも軽くなるわ、作り話のように。」(p79)この物語は喜劇なので落ち着くところに落ち着きます。やはりハッピーエンドというのは読後感がよいものです。不出来なバッドエンドに対しては文句の一つもいいたくなりますが、ハッピーエンドだと多少強引な展開でも許せたりします。終わりよければすべてよしですね。 >> 続きを読む
2016/09/25 by けやきー
【あらすじ】バッサーニオはポーシャとの恋を成就させるために、3000ダカットという多額の資金を必要としていた。友人のアントーニオは金持ちでヴェニスの商人をしていたが、交易のために船を何隻も出していたために、手元に資金がなくバッサーニオに資金を提供することができなかった。そのためアントーニオは金貸しのユダヤ人、シャイロックの元へ金を借りにいくことにする。シャイロックは金を無利息で貸す代わりに、もし金を期限までに返済できなかった場合、アントーニオの体から自分の好きな部位を1ポンドきっかり切り取ることを許可する証文に判を押させる。不幸なことにアントーニオの船は全て帰らぬものとなってしまい、証文をめぐった裁判へと発展するのだった。【感想】この作品は一応喜劇だとされている。利息をむさぼる強欲で卑しい金貸しのユダヤ人が最後はまんまと成敗される。そういうところに当時の人々はカタルシスを得ていたのだろう。しかし、現代人の僕からするとシャイロックに同情せざるを得なかった。ユダヤ人が長い歴史の中で抑圧されてきたこと、金融業というのもその結果追い込まれた場所であることを知っているからだ。キリスト教徒のアントーニオは困った人間に無利息でお金を貸す。これは果たして善なる行いだろうか?こんなことをされるとユダヤ人の数少ない仕事である金融業は大打撃を受けるのである。しかし、彼らキリスト教徒に言わせれば善であろう。なぜならシャイロックはキリスト教を信仰せず、その上キリスト教的価値観では悪とされる利息をとった金貸しをしている薄汚い異教徒なのだから。キリスト教へ改宗しない限りは、弾圧されてしかるべきなのである。シャイロックはアントーニオに普段から侮蔑されていただけではなく、実害を受けていた。しかも、彼は物語の中で次々とひどい目にあうのである(悪党の彼が次々ひどい目にあうのだから当時の観客たちはさぞ愉快だったのだろう)。そんな彼が証文を盾にすることで、被抑圧者から抑圧者の立場になった時の残忍な喜びを覚えるのも必然といえるだろう。元金の倍以上の金額を払うといってもそれを受け付けず、頑なにアントーニオの命を奪おうとするシャイロックはその恨みの根深さを表しているし、また感情的になってもいる。しかし、感情的になってはいるものの、無闇に暴走はしていない。このことはシャイロックの行動やセリフを見れば分かる。「いったい、なんのためだ、やつがそうするのは?おれがユダヤ人だからだ。ユダヤ人をなんだと思ってやがる?ユダヤ人には目がないか?手がないか?五臓六腑が、四肢五体が、感覚、感情、情熱がないとでも言うのか?キリスト教徒とどこがちがう、同じ食いものを食い、同じ刃物で傷つき、同じ病気にかかり、同じ薬でなおり、同じ冬の寒さ、夏の暑さを感じたりしないとでも言うのか?針をさしても血が出ない、くすぐっても笑わない、毒を飲ましても死なないとでも言うのか?だからおれたちは、ひどいめに会わされても復讐しちゃあいかんとでも言うのか?だが、ほかのことがあんたらと同じなら、この点だって同じだろうぜ。かりにユダヤ人がキリスト教徒をひどい目に会わせたとする、それにたいする忍従の道とはなんだ?復讐だ。とすりゃあ、もしもキリスト教徒がユダヤ人をひどいめに会わせたら、それにたいする忍従の道とは、キリスト教徒のお手本に従えば、なんだ?もちろん復讐だ。この道ならぬ道をあんたらがせっかく教えてくれたんだ、俺もそのとおりやってみせてやる、いや、教えられた以上にりっぱにやってみせてやらなきゃ、腹の虫がおさまらん」(p87)シャイロックはキリスト教徒のルールに則って復讐をしているのだ。キリスト教徒がユダヤ人を扱うように、ユダヤ人もキリスト教徒を扱うというだけの話なのだ。それにも関わらず、公爵は「今はそんな頑な態度をとっているが最後の場面には証文を無効とし元金の一部の免除すらするのだろう?」なんて最高に笑えるジョークを放つ。確かにこれは喜劇だと言えるかもしれない。シャイロックとアントーニオの立場が逆だったら、こんなセリフは絶対にでてこなかったであろう。そしてこれは喜劇だから大団円で幕が閉じる。キリスト教徒にとっての、ね。ついつい、シャイロック寄りのレビューをしてしまったが、それというのも作中に彼の味方が全くいないからだ。一応友人であるテューバルなる人物がいたらしいが誰だよこいつ、いつ出たんだと言いたくなるほどに四面楚歌である。しかし、ヴェニスの商人の最も面白い点は当時は喜劇だとされていた作品が、時代が移るにつれて「シャイロックの悲劇」とまで言われるようになったところだ。これはシャイロックの人物像がしっかりと描かれ、見方によっては単純な悪役と断言できなくなったために生まれた現象と言える。シャイロックの人物像や生々しい感情の動きこそがこの作品の魅力なのだ。【メモ】・p132のシャイロックのセリフは奴隷制を暗に批判しているのか、奴隷制を肯定した上で自分の行為の正当化として引き合いにだしたのかが分からなかった。作中ではおそらく後者への比重が大きいと思うのだけれど、シェークスピアはどういうつもりで書いたのかというのが疑問だった。奴隷貿易が行われていた時代背景の中で人々はこのセリフをどのように捉えていたのだろうか。・戯曲はセリフが大勢を占めるから、細かな描写に乏しく想像力がもとめられる。そういう点で戯曲を理解するのは難しい。しかし、この空白こそが肝要なのだろう。これにより多彩な解釈が可能となり、演出によって様々な見せ方が可能になるのである、といった風に少しばかり考え方が変わった。その時代の人々の価値観によってシャイロックの人物像や劇全体の意味が変わっていった歴史があることを知ったからである。戯曲はあくまで劇の台本であるから、俳優の演技や演出を含めてはじめて完成した作品となるのだ。ぜひともこの演目を劇場で鑑賞したいものである。・当時これが喜劇として楽しまれていたことに複雑な思いを抱くが、現代人の価値観でこれを裁くのは感情論でしかないだろう。道徳観、宗教観、生死観などあらゆる価値観、人々が共有しているコンテキストが当時と現代では全く違うのだから。最もこれは理屈の上での話に過ぎないのだが。・ポーシャが父の遺言によって結婚相手を決めなければならないその理由、時代背景は?アントーニオ「あのユダヤ人もキリスト教徒に改宗しそうだな、親切になったよ」(p37)バッサーニオ「好きになれなきゃ殺す、人間ってそんなものか?」シャイロック「憎けりゃ殺したくなる、人間ってそんなもんだろう?」バッサーニオ「虫が好かんからといってすぐ憎むとは限るまい。」シャイロック「じゃあ、あんた、同じマムシに二度噛まれたいのか?」(p130) >> 続きを読む
2016/08/15 by けやきー
<ぼくが死ぬまでにしたい10のこと>8. 大好きな人に買い物で振り回される(ぼくが哲学者になるひととき) 注 一応、下に一回目を貼ってありますわりと規模の大きなショッピングモール。平日なので人はそれほど多くない。女性用の洋服店にて(今日はこれで4店舗め)。黒髪で落ちついた雰囲気の色白さん 「これはどうかしら?」ぼく 「それも良いけど、こっちはどうだろう?」色白さん 「可もなく不可もない感じね、男ものと女ものとでは‘文法’がちがうのよ」ぼく 「へぇー、そいつは大変だぁ。では外国人はあそこのベンチで待ってるね」 三人掛けのベンチで仰向けになり、しばし物思いに耽るぼく (文法がちがうってどういうことだろう? まず、時制は同じではないな。女ものは未来志向がつよくて、イタリア語やフランス語、スペイン語に近いのかもなあ~、この三つは屈折語のなかでも助動詞なしで未来を語ることができるからね。しかし男ものも流行はあるのだろうか? そりゃーあるか、ぼくが知らないだけで。それと不規則動詞の多さが女ものの特徴だろうなあ~ 英語を学びはじめた頃、なんだい! この語形変化はと思ったけれど、日常でよく使われる動詞のほうが不規則な変化をするのが多いし、本来、動詞の活用は不規則なものらしい。これはあれだな、お店にいる時間の長さが不規則ということにでもしておこう。 しかしあれだな、待たされるのは辛いことといわれるけど、いくら待たせても平気と思われるのは、舐められてるか、信頼されているかのどっちかだね。ぼくはどっちなんだろう? ぼくは女性を引っ張っていくタイプの信頼、頼りになる大きな背中をみせるのは苦手だから、こういう消極的な信頼を得るしかないけれど、これって実際にはどうなんだろう? でも引っ張っていくのが得意な人は化粧や買い物を待つのは苦手だよね? ほら、明石家さんまがよく披露してくれる大竹しのぶのエピソード。あれはできる男はみんな抱いている気持ちじゃないかな? そりゃ~、引っ張ることもできて、待つことにも寛容な男がいちばんだけど、そんな人って実在するの??? そんな人が世の中にはいて、そいつらがモテモテなわけ??? あー、イライラしてきた。今日はもう三店舗くらい回るコースに入っちゃったなあ~ う~ん、胸部に子ラクダのこぶを二つ備えた人でも歩いてないかなと思ったら店から出てきたぞ)色白さん 「めぼしいものがなかったわ、もう一店行くわよ」ぼく 「‘お気に召すまま’に……」 <あらすじ> 兄から不遇な扱いを受けているオーランドは、ある日、公爵の御前で行われるレスリング大会に出場する。日頃のうっぷんばらしの興に任せ、公爵のお抱えの力士を投げ飛ばし、オーランドは公爵の不興を買う。偶然その試合を観ていたのは公爵の娘のシーリアと、物語のヒロインのロザリンド。オーランドとロザリンドは言葉を交わし、そして互いにひと目惚れしてしまう。 宮廷に戻ったロザリンドはとつぜん追放を申し渡される。彼女の父親(前公爵)は現在の公爵の兄で、領土を奪われ追放されていたのだ。もちろんシーリアも父親に抵抗したが、まったく聞く耳を持たないので、彼女ら二人は道化を連れて前公爵(ロザリンドの父)が身を潜めるアーデンの森へ旅にでる。公爵の息のかかった兄から逃れるため、オーランドもまたアーデンの森へ向かった。 旅の都合で男装をして、ギャ二ミードと名乗っていたロザリンドは、森での暮らしのなかでオーランドとばったり出会う。そしてオーランドに話しかけ、彼の恋患いの治療を申し出る。 その提案とは、オーランドはギャ二ミードをロザリンドと想定して口説き、ギャ二ミードはロザリンドに為りきってそれに応じるという、なんともまあ倒錯的なお遊びで……。 <短評> シェイクスピアの喜劇のなかでも、この『お気に召すまま』はハッとさせられる台詞が多いと思う。なかでも、「この世はすべて舞台であり、男も女もその役者に過ぎない」「結婚するときは十二月。女は娘の間は五月だけど、女房になると空模様が変わる」 この二つなどはシェイクスピアらしく、人生の真実を高らかに歌いあげるもの。他にもたくさんの名台詞、しかも長~い台詞がけっこう多くて、役者の力量が最も問われる芝居の一つと見なす人もいる。 黙読に飽き飽きしているそこのあなた、この芝居をダシにして、素敵な人と甘い言葉を交わしてみませんか? <一回目> http://www.dokusho-log.com/r/Conservo/ahFzfm5ldy1kb2t1c2hvLWxvZ3I4CxICQk0iEzQwODg3MjcxNzcrQ29uc2Vydm8MCxIBUiIWNDA4ODcyNzE3NytDb25zZXJ2byswMQw/?sort=&narrow= >> 続きを読む
2015/07/10 by 素頓狂
少女「……満月?」男「満月は明日だな。でもぼくは、このときの月がいちばん好きだ。満月は、次の日から欠けてしまうけれど、十四日目の月には明日がある……、明日という希望が」 アニメ映画「千年女優」より 十二夜にまつわる月の呼び名が見当たらないのは、おそらく、十二夜はシェイクスピアの領分だからであろう。月の異名といえば、満月の翌日のことを十六夜(いざよい)と呼び、阿仏尼の紀行文『十六夜日記』は世に広く知られている。「いざよい」とは、ぐずぐずとためらう様子を表し、満月の翌日は月の出が遅れ、それがまるで月がためらうように見える故、十六日目の月をそう呼ぶようになった。 私たちがついためらう色恋を題材とした『十二夜』は、恋愛喜劇のなかで群を抜くばかりか、シェイクスピアの初めの一冊にも相応しく、これが面白いのであれば四大悲劇もたぶん楽しめるし、気づけば大半の作品を読破してしまう危険もある。そのくらい『十二夜』にはシェイクスピアの醍醐味がつまっている。 本来ならここから『十二夜』のあらすじを書くところですが、面倒くさいからやめました(笑)。いや、ネットで探せばすぐ出てくるので、ぼくが要領の得ない素人芸を見せても仕方ないでしょう。ぼくはアニメの話がしたいんだ(笑)。 ぼくはね、冒頭で引用したアニメ映画「千年女優」を、日本でもっとも見た一人だと思う。百回くらい流しました。初めて見たときは、こんなに退屈な映画もあるんだなあ~と呆れた。しかし、ヒロインがおばさんになるまでは面白かったと繰りかえし見るうち、だんだん見方が分かってくる感覚が面白くて、止まらなくなる。まあ、仕事を辞めて暇だったから、家内を送り出して毎朝見ました。 この見方が分かってくる感覚は『十二夜』にもあって、これこそ何度も読むべき作品でしょう(無理)。そしてこの二作品はまったく同じことを我々に教える。それは、一人の人間を間断なく思いつづける気持は、単なる好意とは比べ物にならないほど高級な感情だということだ。 (ちなみに、十二夜とは、クリスマスから十二日目にあたる公現祭の夜のことである) >> 続きを読む
2015/05/13 by 素頓狂
「100分deで名著」がおもしろかったので、ハムレットを取りあげます。まずは番組の感想。この番組は、やはり大家と称される先生をお招きするらしく、案内役は河合祥一郎先生だった。名ばかり知る知識人を見られる嬉しさもこの番組の魅力かも。番組の内容を述べるのは面倒なので止めにして、よかった点をぶっきらぼうに伝えると、提示される情報はあまり目新しくなく退屈なのだが、その語りに、大昔の戯曲を現代に引きつけようとする気迫を感じた。と同時に、福田恆存のこの言葉を思い出した、「『ハムレット』ほど現代的な芝居はない」 なるほど、と一人うなずいてリモコンに手を伸ばした。 >> 続きを読む
2014/12/04 by 素頓狂
図書館。他サイトのイベントでこの作品を読み始めました。初めてのシェイクスピア作品で、内容が難しいのではないかとヒヤヒヤしていました。マクベスが悪の手に落ちてしまう内容です。 >> 続きを読む
2014/08/26 by おれんじ
出版年月 - 1983年1月発行,出版の書籍 | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト
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