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筒井康隆
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新しいことを次々とやろうとする筒井さんの作家としての姿勢。それはこの推理作品でも発揮されている。ロートレックの作品が多く点在する豪邸。そこに青年たちと美女たちの会合が。だがそれは2発の銃弾で連続殺人の幕が上がる。仕掛けは最初から始まっており、その後も妙な違和感を感じる描写が。それらはすべて伏線となって最後に犯人と共に種明かしも。このトリックは今では特に驚きもないが、当時はかなり珍しいものだったのだろう。「富豪刑事」などと違って、映像化できないのも特徴。 >> 続きを読む
2021/02/11 by オーウェン
元永定正 , 谷川俊太郎
「奇妙な絵」と「擬音語、擬態語」のみで構成されたシュールな世界観。不気味さすら感じるこちらの絵本。子ども(1歳児)にバカ受けです。有名な絵本なので試し読みしたことはあったのですがどうも息子にウケルとは思えず購入せず。ところが、保育園で先生がこの本を読んでくれた時子どもたちが、そりゃーもうハイテンションで!母ちゃん、さっそく本屋へダッシュです。「ギラギラ」では手をにぎにぎさせたり「バーン」では手をぱちーんとさせたり「しーん」では鼻の穴に人差し指突っ込んだり(たぶん"しー"をやりたい)最近「にょきにょき」では、私も一緒に体全体をにょきにょきさせたりして全身使って親子で楽しんでいます。 >> 続きを読む
2013/11/22 by ∵どた∵
津本陽
織田信長と本願寺(一向宗)との10年以上もの長きに渡る戦争(対立)を描いた内容です。天下統一を目指す信長は、一向一揆を平均(征伐)しなければ「大名=武家支配は成り立たない…」という強い執念(意思)を元に強固な結束力を誇る本願寺(一向宗)と対戦するのだが、このような「宗教勢力」を断固排除しようとした例として、他にも「延暦寺の焼き討ち」もあり、これらは信長でしか出来なかった(やらなかった)ことだと思います。また、死を恐れず信長軍団に立ち向かう宗教の力の強さ(イスラム教にも相通じる面があると思うが)という点も考えさせられる店があります。 >> 続きを読む
2011/06/21 by toshi
佐伯 啓思
西部邁のように「ポスト・モダニズム」を「ニヒリズム」として一蹴するのではなく、ポスト・モダニズムを突き詰めて行くと保守になるのだ、という手続きを行っている。 >> 続きを読む
2015/10/14 by aaa
津村 秀介
最後のトリックを崩すドキドキ感だけ(?)面白かった。推理小説としては、あまり魅力があるなかったかなぁ。。。 >> 続きを読む
2018/08/31 by mika
横光利一
横光利一の晩年の著作2本が入っています。私はこの中の「微笑」が好きです。二次大戦中、祖国の敗戦が目に見えてきた時分、俳人の先生(著者を模している)が「祖国を勝利に導く発明をした」と豪語する(それでもどこか謙虚な)若手の天才科学者と出会う話です。主人公視点で書かれる、天才が非常にうっすらしていて、周囲から「本物の天才だ」「あいつはただのほら吹きだ」「気が狂ってしまった」など様々な噂話が聞こえてきて、主人公の中で彼へのイメージが次々に形を変えていきます。その結末も天才の真偽もはっきりとしないまま、物語は終わりを迎えます。釈然としないのに、なぜか空虚に満ちた主人公に感情移入してしまいます。60年近く前の作品ですが、あまり古臭さは感じません。霧がかかりつつもどこか爽やかな描写は今の流行りにも近い気がします。青空文庫でも読めますので、読んでみてはいかがでしょうか。 >> 続きを読む
2014/06/02 by オオスカシ
米山公啓
古本市で見つけた文庫。面白かった。医者…というと「お医者様」「お金持ち」「賢い」という感じに特別視してしまうのが一般的ではないだろうか。でも実際医療従事者から見ると、その特別感もいつの間にかどこへやら。先生!といつも呼びつつも、改めて考えたときに気づく…「あ、先生ってそういえばお医者さんなんだな」そんな医療のリアルに近い人間関係を覗き見ることができるエッセイだと私自身感じた。そうそう、先生って病院ではこんな扱いなんだよねと頷けた。医者がいなくてはどうにもならない医療だけど看護師やコメディカル、医療事務、そして掃除のおばちゃんがいないことにも、病院はどうにもならない。笑いあり、哲学あり、医療の現状あり、とても良いエッセイでした。 >> 続きを読む
2015/11/09 by snoopo
桐野夏生
桐野さんがプロレス好きというのは初めて知ったが、刊行は1995年なのでプロレス人気がK-1に押され始める時。人気レスラーの火渡と、新人で全く勝つことが出来ない近田。この2人を中心に行われる女子プロの興行を描いていく。ライバルの存在から、それに関連していく死体の謎。そして謎の真相からレスラーとして臨む試合。桐野さんとは正反対な作風の空気であり、熱さや青春といった要素が映し出されていく。ラストを敢えて近田の試合にしており、初勝利なるかというクライマックスで締め。 >> 続きを読む
2020/11/27 by オーウェン
神尾葉子
花より男子9巻。ニューヨークへ行くことになった道明寺。静が忘れられない花沢類。そんな中、つくしはバイト先で爽やかでカッコイイ天草くんに出会う。天草くんから日曜日に出かけようと誘われるつくし。またカッコイイ男が現れてつくしと良い雰囲気になってる。。。カッコイイ男の子が登場しすぎて若干マヒしてときめかない私。。。 >> 続きを読む
2014/08/15 by sunflower
竹内 桜
想い人に似せたロボットを作り上げた理工大学生が、ロボだとバレないように立ち回るラブコメディ3巻。 「ひびき」編が収束し、海だったり怪異だったりマリの恋だったり。 マリは、主人公の妹という事になってはいるが、ロボットである。 主人公がマリに、雑用や面倒ごとを押し付けるのは理に適っている。 創造主としてマリをロボットと思っているのか、想い人に似せたひとりの人格として尊重しているのか。 深いテーマのようでいて、その場その場の都合のようにも感じられる。 今後そんなテーマを掘り下げる話もあるのかもしれないが。 アンドロイド作品いろいろ読んで色々考えてみるのも楽しい。 や。スマホの方じゃなくて・・・スマホと会話する機能も、広義には含まれるかもしれんけどね。 >> 続きを読む
2020/11/24 by 猿山リム
宮沢賢治
さすが自然に囲まれて育った宮沢賢治、どの童話も自然が豊かに描かれている。しかし私はそれを十分に想像できない。それは自然の少ない都会で暮らし、自然を十分に見たことがないせいなんだろう。なんともやるせない気持ちになる。それに彼は鉱物も研究していたようで、鉱物やそれに関連する言い回しがよく出てくる。登場人物は人間だったりばけものだったり動物、植物とさまざまである。すべての感想を書くと長くなるので、ここでは題名にもなっているポラーノの広場と銀河鉄道の夜の感想を書こうと思う。博物局で働いている主人公のレオーノキューストが、モリーオ市で出会った17歳のファゼーロと20歳のミーロと出会い、2人が探している伝説の場所「ポラーノの広場」を一緒になって探しに行くストーリー。ファゼーロとミーロは青年でありながら伝説の場所を夢見てそれを探している。今じゃそんな伝説なんて、とくに青年であれば、そんなもの全然信じないだろう。実際の青年はもっと現実的なはずだと思っている(悪い意味でさとり世代?)。主人公のレオーノも半信半疑でその場所を探す。このレオーノとファゼーロとミーロの関係は私にあるカタルシスをもたらしてくれる。それは伝説を信じ夢見て探す情熱的で健気な青年ファゼーロとミーロ、その二人の後ろをついていきながらしっかり見守る保護者的な主人公。それは今日のマンガやアニメやドラマなどでよく見るスカした、ひねくれた、妙に気取った、いわゆる“盛った”男性ではなく、等身大の素直な男性を描いている。その素直さが私の心の奥に染み込みカタルシスをもたらしてくれる。本来の人間関係はこうあるべきだと私は思っている。ファゼーロとミーロを大事に思い守る主人公の安心感と不安感。私は二重の気持ちを主人公に感じた。銀河鉄道の夜は、この本に収録されているのは第三次稿である。一般的に知られている完成形は第四次稿のものである。第三次稿と第四次稿(以下完成形)の大きな違いは結末にある。第三次稿ではブルガニロ博士という主人公ジョバンニをはっきり導いてくれる存在がいるが、完成形にはブルガニロ博士はまったくいなくなっている。第三次稿では状況をもうすこし詳しく描いているので完成形よりちょっと長い気がする。しかしこの第三次稿を修正して完成形にした宮沢賢治の判断はさすがだと思う。完成形で詳しい状況やブルガニロ博士を削ったことでもっと物語が抽象的になり、ジョバンニの不安と世界観の神秘さは増す。特に結末の大きな違いがそれをあらわしている。それにしても、やはり銀河鉄道の夜は第三次稿でもその神秘さは大きなものだ。宮沢賢治作品の中でこの作品が私の心を最もふるわせる。新潮文庫から出ている宮沢賢治の本は全て読んだので、今度はちくま文庫から出ている全集を読もうと思う。 >> 続きを読む
2015/06/26 by Nanna
稲森 道三郎
一番好きな小説は「銀の匙」だ。その中勘助と稲森さんの3年間の思い出を日記調にしたもの。純粋で無垢な透き通った小説を書く中勘助は彼自身も純粋無垢で透き通っている。真っ直ぐで媚びない、そして気取らない性格がとても良いと思ったしなかなかそういう人はいるようでいない。古書店で見つけた本。 >> 続きを読む
2017/01/07 by snoopo
竹宮 惠子
SF漫画の中で最も面白い作品と言っていいと思います。竹宮惠子はは大河ドラマが描ける漫画家なのです。そしてこれは大河ドラマです。SFとしては時代を感じるとか、典型的なパターンの一つとか?ノンノン、そういうあなたはわかっていない。時代小説がなぜ大河ドラマになるのか?それはいつの時代にも変わらぬ人間の営みがスケール最大級に描けるからなのだ。そしてSFも時代を未来にとった大河時代劇だと思えばいい。「地球へ…」には、人類の進歩と変わらぬ悩みが表現されている。それが難解な哲学ではなくシンプルにダイレクトに活劇として描かれているのだからこれを読まないなんてもったいないですよ!萩尾望都がファンタジーの世界に秀でているとすれば、竹宮惠子はキャラクターとダイナミックなストーリーで読者をわしづかみにできる漫画家です。少女漫画雑誌ではなく「マンガ少年」に連載できたことも重要です。「マン少」は手塚治虫の「火の鳥」、石ノ森章太郎の「サイボーグ009」という2代巨匠の代表作を新連載していた雑誌で、竹宮氏が師とあがめる二人の作品と同時掲載されているという当時でも夢のような雑誌だったんですから。これまでにないのびのびした作品になっており、本当に楽しくて描いているなあ。というのが読者にも伝わってきました。あ。私、連載中に読んでいたのです。最初買った「地球へ…」の別冊総集編は雑誌サイズでした。あの本はなぜ消えたんだろう(´;ω;`)ウッ…本作は連載直後にアニメ映画化されたので(後年TVアニメ化もしたらしい)アニメの「地球へ…」をご存じの方も多いでしょう。でも原作未読の方には、ぜひ漫画を読んでもらいたいです。この情緒、躍動感は動かぬ絵で描かれたからこその美があるのです。あと、アニメファンには申し訳ないのですが、私は映画はNGです。本作をもってアニメと決別したという記念すべき映画です。ほんと~~~~にガッカリどころか怒りを感じずにいられない改変でしたので、もう。バッカじゃないの?と思いました。脚本も、メカデザインも、キャラクターデザインも全部です!なので、何も知らない方は、どうかどうか、まず漫画の方を読んでね。【ストーリー】遠い未来。地球は人類の人口過剰と環境破壊のために居住不可能な星になっていた。移住先を探すも、地球ほどに適した場所はどこにもなく、人類はやむを得ず一つの決断をする。SD(スペリオル・ドミナント)体制それは地球を護るために人類が全て地球から立ち去ることの決断だった。地球の環境を維持できる最低限のそして最善のエリートのみが地球に住む権利を得る。出生は厳しく管理され、人工授精による誕生、代理父母による養育が制度化される。人類は帰れない故郷「地球(テラ)」を母と慕うようにコンピューターによる洗脳を受けることが義務付けられる。それが14歳の誕生日前後の「目覚めの日」に行われる「成人検査」だ。しかしその「成人検査」によって異変を起す人間たちが続出する。超能力を持つ新人類「ミュウ」の誕生である。その力を恐れた人類は「ミュウ狩り」を開始。より厳しい管理体制は一般人々の知らぬ間に人類と敵対する新人類を作りだしてしまっていた。ミュウの長、ソルジャー=ブルーは余命を悟り、後継者に「強く健康な心と身体をもつ新リーダー」としてジョミー・マーキス・シンを選んだ。「地球(テラ)ヘ還ること。人類と和解・共存すること」ソルジャー・ブルーの願いは叶うのか?心の準備もなくミュウの長を継ぐことになったジョミーの苦悩はあまりに大きい。やがて盲の女占い師、フィシスと共に、大いなる夢に挑むことを決意し…。もう四半世紀ぶりくらいの再読なんですが、ストーリーの細かい点は忘れているくせにセリフやシーンは覚えているんですよね~。ここで、彼はこういった。あの状況でこう反応した。いかに漫画がまるごとインプットされているか、実感した次第です。 >> 続きを読む
2015/09/26 by 月うさぎ
安定のための犠牲。それは本当に正義なのだろうか?ダメージは必ずそれを与えた側に跳ね返ってくるのではないだろうか?人が何かを強く求めるとき、それは実態のあるものではなく物語を追い求めているような、そんな気がします。この漫画は大河ドラマであると1巻のレビューに書きましたが、この第2巻を読めば納得いただけると思います。それは「指導者の悲劇」を描いていることに拠ります。真のリーダーというものは孤独な立場と非情な決定の責任を引き受けざるを得ないのです。竹宮惠子はこのテーマを既に「ファラオの墓」で描いていました。古代エジプトを舞台にした「歴史ロマン」で、この「地球へ…」以上の大スペクタクル漫画なので活劇的なノリが大好きな方には絶対おすすめです。戦争、殺戮、謀略、恋愛、政治的駆け引き、犠牲、献身、奇蹟、成長などなど。中学生だった私は泣きながら何度この漫画を読んだことでしょう!話がそれましたが、事実「ファラオの墓」と「地球へ…」には共通した構図があります。異なる体制を代表するふたりの若きリーダーの宿命。和平の努力も無駄に終わり戦争へ突入すること。キャラクターの設定こそ違え、サリオキス=ジョミー、スネフェル=キース、ナイルキア=フィシス、イザイ=ハーレー、といった役割の共通性があるのです。異なる文明・価値観の対立はなぜいつも相容れない反発となって闘いへと向かうのでしょう?そこにはいつだって無知による「恐怖」があります。もともと同じ人間なのに。現在地球上各地で起きている戦争による悲劇。これも本質は同じです。無知による恐怖と不寛容による拒絶。つまりどちらも思考停止状態です。「地球へ…」は、人類とミュウ(新生人類)との戦争を描いている訳ではないのです。「宇宙戦艦ヤマト」じゃないんだから~!!!そこのところを映画化の際には理解していないのが大問題です。(#`Д´)ノ映画しか知らない方はぜひ原作の漫画を読んでください。卓越した思考に基づく物語を発見できることでしょう。絵の線の美しさも見逃さないでね。【2巻のストーリー】はるかなる未来の人類は、地球という故郷の惑星への憧れを最優先に教育され、善良なるものだけで組織された社会を実現し、コンピューターのチェックにより異分子を極端に排除するという社会体制(SD体制)を敷いていた。人類から派生した新人類みゅうは迫害の中、細々と仲間を増やし、地球への帰還だけを夢にみる。ソルジャー・ブルーの遺志を継ぎ、最大級の超能力パワーを持つジョミーが新たなリーダーとしてミュウを率いていた。一方地球政府側のエリートとして新リーダー候補と目されるキース・アニアンが、対ミュウの尖鋭となって対峙する。ついに直接対決する日が訪れたが、ジョミーの対話の試みはキースによって拒絶される。キースはあまりにも地球(テラ)の体制に忠実だった。その心の奥の疼きとは別の次元で。人類とみゅうとの溝は、もはや対決が避けられないほど深まり、生き残りをかけたみゅうの反撃がついに始まる。若き双璧の対決はどちらに軍配があがるのだろうか?地球人類代表のキースの複雑な人格設定が見事。ジョミーは純粋でまっすぐな強い心を持っていますが、本当に純粋培養されたはずのキースは明晰な頭脳故にかえって迷いを生み出してしまいます。それは人間が本質的に両義的な存在であるからでしょう。ヒーローものとして読めばミュウ側に立つのが心情として当然ですが、大人な私にはキースの心が痛々しい。(ようやく私も竹宮さんの気持ちが分かるようになったのね。ようやく今頃ね)教育ステーションでの訓練生時代にキースに敵意を燃やしていたシロエという少年の存在意義は大きい。ジョミーが「成人検査」をスルーしたなら、このシロエのようになっていたことでしょう。コンピューターの申し子ともあだ名されるキースの人間性の片鱗は、このように、いつも悲劇の中において見られます。このストーリーテラーとしての「非情さ」が竹宮惠子のすさまじさだと私は思います。コンピューターに支配される社会も、元は人間がプログラムしたものであるということが、言下に示されている点も実に深いです。 >> 続きを読む
2015/09/27 by 月うさぎ
「人類は二度と道を誤ってはならぬ」読み終わって決して絵空事ではないと思われる方が多いのではないでしょうか?この作品はキャラクターの魅力が非常に強いながらも決してヒーローものではないです。戦いの結果としての救いは訪れません。人は自分の意志で生きなければならない。目を耳を口をふさがれたまま、それを知らずに生きていてはいけない。非常に強いメッセージ性と大きな物語性がマッチした傑作です。今改めてこの作品の偉大さを噛み締めています。私の思想のベーシックな部分になんと深く入り込んでいることか。特にキースの発する言葉に、それを感じました。「人間の介在しない自然ほどバランスのとれたものはなない」「…神の領域だ…」そうか~。折々に思い浮かぶこの言葉は「地球へ…」のセリフだったのか~。改めて、私は竹宮チルドレンだったのだな。と思い知りました。【第3巻のストーリー】人類と新人類・ミュウとの共存は不可との地球政府の意志は変わらない。「ミュウはすべて抹殺すべし」それが地球を統括するグランド・マザーと呼ばれるコンピューターの決定だからだ。人間とミュウを近づければ人間がミュウ化することも実験で確認された。人間かミュウかどちらかが生き残るしかないのだ。と。しかしキースの心の奥では「歴史がミュウに味方している」との疑念が拭えない。ミュウの進撃は教育都市「アタラクシア」の陥落を皮切りに次々に地球防衛軍を撃滅。惑星ナスカで母体から生まれたトォニイを筆頭に、特別にESP能力の高い子どもたちが「武器」となって戦っているおかげである。ついに乗り込んだ地球でミュウたちを待ち受けるグランド・マザーの考えとは。ジョミーの最終決戦が迫る。萩尾望都の漫画がヒンドゥ教的多神教の世界観ならこちらは一神教的世界観だと思われます。実際に「地球へ…」の物語のモチーフを「旧約聖書」に見る意見もありました。確かにミュウたちの地球への帰還に対するこだわりはイスラエルを目指すモーセの「出エジプト」のよう。人類とミュウとの地球を巡る戦いはイスラエルとパレスチナの戦争を思わせるし。ただ、竹宮惠子はそれをモチーフにしたわけでは決してない。すぐれた物語というものは同じ骨格を持つものだということの証明であって、旧約聖書は、世界で最も古いすぐれた「物語集」ということの証明に過ぎないのです。そして、人間というものは物語なくしては人生の意義を紡ぎ出すことができない生き物であるらしい。だから私たちは読書をする。自分の物語を発見し確かめるために。そして新たな世界に旅立ち自分をより深め広げるために。または傷を癒し希望を取り戻すために。「地球へ…」は重く、救いのない物語だと感じる人もいるでしょう。でも、彼女はトォニイに言わせる『希望はどんなものをも創りだす』と…。【追記】連載当時よりも100ページも?!書き足しているそうで、そのせいか記憶の不確かなせいか、若干印象の異なる部分がありました。まず、戦闘は以前はもっとあっさりしたものだったこと。アタラクシア陥落後割とすぐに地球に向かっていなかったかしら?グランド・マザーのシーンと爆発シーンも増えているような。一番印象が異なるのは、地球の星としてのバランスをコンピューターで制御しているという設定。ここまでコンピューターが統御していなかった気がするのですが…。セリフの削除など、他にも細かい修正があるようですね。今となっては手元にないので、比べられないのがもどかしいです。 >> 続きを読む
2015/09/29 by 月うさぎ
デイヴィッド マレル
この「偽装者」(上・下巻)を書いたデイヴィッド・マレルという作家は、ご存知シルヴェスター・スタローンの人気シリーズ"ランボー"の原作者として有名で、デビュー作の「一人だけの軍隊」が映画「ランボー」の原作に使われて以来、さらに「ランボー 怒りの脱出」「ランボー3 怒りのアフガン」などを書いているので、こちらのジャンルで有名になったのも当然のことだろう。しかし、小説家としてのマレルは、活劇小説ばかりを書いていたわけではなく、ホラーや私小説も書いたりしているのです。今回読了した「偽装者」は、いわゆる冒険小説のジャンルの作品ですが、壮大なスケールで展開する物語に、精神分析の要素を導入した個性的なものになっており、このことからもマレルの多彩な作風の一端を感じ取ることができるのです。アメリカ陸軍の潜入工作員ブレンダン・ブキャナンは、いつも偽の人格を演じることで任務を遂行してきた。ところが、麻薬密売組織へ潜入工作している最中、別の任務で関わった男ベイリーに出会ってしまい、売人たちに正体を怪しまれてしまうのだった。そして、その際の銃撃戦で頭部に重傷を負い、さらには、ベイリーに執拗に追求されるようになり、ブキャナンは第一線を退かざるを得なくなるのだった。ブキャナンが、演じるべき人格を失って精神的な安定を失っていると、6年前に使っていた偽名宛てに一通の葉書が届いた。そこには意味ありげなメッセージだけが書かれており、差出人の名前はなかったが、ブキャナンにはそんなものは必要はなく、彼がかつて愛していた女フアナが助けを求めているのだと察知して、彼女を助けるためにニューオーリンズへと向かうのだった。そして、そこで彼を待ち受けていたのは、マヤ遺跡をめぐる巨大な陰謀であった-------。この小説の原題である「ASSUMED IDENTITY」は「見せかけのアイデンティティ」となりますが、この小説のテーマはまさにそれなのです。マヤ遺跡をめぐる陰謀に巻き込まれる潜入工作員というだけでは、月並みなプロットになってしまうところへ、自らの人格を見失った人物を主人公に据えることで、新味を加えているのだと思う。古代マヤ族の文明を引き継いだ集落での対決は、奇をてらったように見えなくもないが、それも一種の読者へのサービスとしてのエンターテインメントといえるのだろう。B級映画めいた作りはやや気になるものの、サービス精神にあふれた娯楽作品として読めば、そこそこ面白かったと思う。 >> 続きを読む
2018/03/06 by dreamer
高島 俊男
「落語ファン」を卒業いたします。「ファン」とは何か。ファンとは自分はそれでなく、それをするものでないが、それが好きであるという人間のことと。「阪神ファン」「大相撲ファン」とかがそうであり、逆に自分がそれであったり、それをする者のことを「ファン」と呼ぶことはない。生け花をするご婦人が人の生けた花を観賞しても「生花ファン」とは言わないし、日曜画家が本職の展覧会を見に行っても「絵画ファン」「美術ファン」とは言わないのと同じように・・・。この頃、私も素人「落語」をするようになって、それいくと「落語ファン」は卒業して、単に「落語好き」とさせていただこうと・・・なんやかんや、言うているうちに、だんだんおかしくなってきましたな。数字の書き方で、よく私も悩みますが二三年前(にさんねんまえ)と言う時、どう書くのか、これでは二十三と思われるのでは、でも筆者は縦書きなのに「十日」が「一〇日」、「六十歳」が「六〇歳」と了解もなく変えられていたと。「二八そば」「四六のガマ」は?「明治二八年」、「家が四五百軒の村」、アラビア数字と、漢数字の使い分けはやはり悩みますなこんなこだわりが次々でてくる、おもしろい本でおます。どこでこの本を知ったのか、たぶんインスタグラムか何かで知ったんでしょう。図書館で借りているのは、中を確認してない証拠。でも、まずは、本屋ではよう見つけられないなかなか読み応えのある本でおます。 >> 続きを読む
2022/02/11 by ごまめ
デヴィッド ウィルツ
デヴィッド・ウィルツの「闇の狩人」は、アラブ過激派の依頼を受けてアメリカに潜入した伝説的なテロリストと対決するFBI捜査官の活躍を描いた、ハードボイルドタッチのサスペンス小説だ。このストーリー自体に新鮮味があるわけではなく、似たような話は嫌になるほど書かれていると思う。それでもこの小説が印象に残るのは、主人公がテロリストを追いつめる方法が行き当たりばったりではなく、昨今流行りのプロファイリングでもなく、もっと原初的なものであることだ。「彼になるのだ。わたしは彼がやりたいと思っているにすぎないことを実行する」のだ。そのために、主人公の精神はテロリストに近づかざるを得ない。時には彼そのものになって考えざるを得ない。つまり、テロリストと捜査官という対峙する二人の男は、実はコインの裏表であるという構造なのだ。この構造は、著者ウィルツの「倒錯者の祈り」ですでに描かれているが、自分も殺人者であるという主人公の心の暗黒が、ついにFBIを辞職するまでになる挿話が、今回の「闇の狩人」なのだ。これもことさら珍しい展開ではない。法を守る側の人間がそのために人を殺すことと、殺人者の行為とどこが違うのか。そのことに悩む人間の苦悩は、ウィルツの独創ではないと思う。しかし、ウィルツは巧みな人物造形で、その心の暗部をえぐり出していく。ウィルツにしては珍しく物語がまとまっているのも、あるいはこのテーマが自分に合っているからなのかもしれません。 >> 続きを読む
2019/04/01 by dreamer
(注) 終りのほうに小エッセイを付けました。お時間のある方はどうぞ。 さる貴族の話。自分の娼婦に息子がちょっかいをかけたと知って、その父親は隣に座る息子をポカリと殴った。すると殴られた息子は、父親と反対側の隣にいる友人をポカリと殴った。その友人は怒って、「なんでおれの頭を張るんだ、おれを殴らないでおやじをぶて」といった。 息子いわく「いや、おれがおやじの頭を張るのはまずい。しかし友達を殴るのはいい。順に右側、右側と殴っていってくれ。そうすれば最後におれのおやじは殴られる」 こんなくだらない冗談話好きが高じてか、ミラン・クンデラの小説のタイトルを思わせる本を借りてしまった。いや、編著者の名に、河合隼雄を見つけたせいかもしれない。一身上の都合により、若いころのぼくは、朝から酒をあおりながら河合さんの論稿や書籍と格闘した。費やした時間に対して、見返りが微々たるものだったことには触れないでおこう。とりあえず河合隼雄が冗談を好むことは分かった。 いや待て、ひょっとすると、この「日本の名随筆」という名の、とんでもなく膨大なアンソロジーを紹介したかったのかもしれない。別巻まで併せるとなんと全150巻!! 一期から十期までは、「老」や「雪」、「水」、「酔」など、漢字一文字にまつわるエッセイを、そうそうたる文筆家たちが編集している。別巻では、「星座」や「散歩」、「化粧」など、ある熟語に関する随筆をあつめている。まっさきに目に飛び込んできたのは「女心」だが、近ごろのぼくは生身の女性にモテたいという意欲が薄らいでいて(年のせいかな?)、シルヴァーウィークのあいだに「女心」はその手のゲームを復習することで済ませた。 本音を吐露すると、この本の冗談はぼくには高級すぎて、一杯ウン万円のコーヒーを差し出されたよう。色川武大の「霊柩車が欲しい」、和田誠さんの「松尾芭蕉の大予言」、宇野信夫の「役者とだんご」、この辺りはおもしろさはともかく、なんだか感慨深かった。そして、最後を飾る大牟田雄三先生。ユング研究の大家の原稿が載るなんて、さすがおなじくユング学者の河合隼雄の人徳だなあ~と、河合さんの顔の広さや、度量の大きさをひしひしと感じたものだ。 さてさて河合先生、ぼくの冗談は何点ですか? <収録作品総覧>井伏鱒二「悪戯」 吉田健一「一口噺」 河盛好蔵「日本人のユーモア」高田保 「冗談」 鳥山景三「冗談」 池田彌三郎「しんちゅう組」春山行夫「うそクラブ」 飯沢匡「政治ジョーク」 加藤周一「日本再占領案」星新一「終戦秘話」 ながいなだ「毛沢山君のこと」 安岡章太郎「歯は葉にして」遠藤周作「北杜夫氏の巻」 北杜夫「葬式」 色川武大「霊柩車が欲しい」阿刀田高「ブラック・ユーモア私論」 別役実「正しい狩猟生活の仕方」池部良「拳銃携帯許可の件」 佐々木邦「英米笑話秀逸」 森安達也「ポーランド人のユーモア」織田正吉「だまされやすさの研究」 加藤尚武「ソノ気にさせる憎い型」佐藤垢石「河童酒宴」 和田誠「松尾芭蕉の大予言」 安藤鶴夫「お蠟下さるよの春風亭梅枝」井上ひさし「ある魔男狩について」 サトウサンペイ「ユーモア大学」藤本義一「女のユーモアとウィット」 澄川久「大金塊発見さる」梅崎春生「四月ばか」 宇野信夫「役者とだんご」 宮本忠雄「ナンチャッテおじさん」林真理子「弘前のサイン」 青木雨彦「冗談について」 塩田丸男「ホントのようなウソの話」安部譲二「どっちが本物?」 田辺聖子「狐がキマらないことについて」大牟田雄三(河合隼雄)「次郎物語」 「幸福なもの忘れ」 休憩時間くらいひとりで休みたいと思っていたら、数台ある自販機のほうから落下物の音、おそらくつめた~い缶コーヒー片手に携え、いやしくもぼくの隣に先輩が座り込んできた。ちなみに、ぼくは自販機を利用することはない。うすいお茶入りの水筒を持参している。 向こうから話しかけてきた。「○○くん(ぼく)、ちょっとおもしろい話があるんだよ、つきあってよ」「本当ですか? いや~、今日は泣くためのハンカチの持ち合わせはありませんよ」「いやいや、そこまではおもしろくないかもしれない。でも、ちょっと聞いていってよ」と、缶のプルタブに指をかけながら語りはじめた。 その先輩の供述によると、彼の奥さんは記憶力がよく、そのうえ好奇心旺盛らしい。身のまわりの不思議なことに頭を悩ませているという。たとえば、車のヘッドライト。右ハンドルの運転席まで前方から回りこむと、助手席の側のライトのほうが、運転席側のライトよりも疑いなくあたらしく見える。これはどうもおかしい。どちらか一方がはやく劣化するなんてあるのかしら、と気になりはじめたという。ある日射しのつよい日に、運転席側のライトのほうが、心なしか日照りがひどいのを目撃して、もしかしてこれが原因かしらと思案した。しかし、まさかとすぐに考えを引っ込めたという。 月日が風のように流れて行き、いよいよ知りたい衝動が抑えられなくなって、彼女は、主人であるその先輩にたずねた。「車のヘッドライトがおかしいの。片方だけが古くなってるみたい。どうして?」と奥さんから打ち明けられたとき、その先輩はひどく動揺したという。「あの~、真実を言っても落ち込まない?」「落ち込む? ええ大丈夫。で、原因は?」「二、三年まえに、君はかるい交通事故をやったね。そのときに助手席のライトを交換したはずだよ」 その言葉を耳にすると、かつて少女のころに隠した赤らいだ頬をしたと漏らし、その先輩は残りの缶コーヒーをぐっと飲み干した。 >> 続きを読む
2015/09/27 by 素頓狂
レイモンド A.メリマン
メリマンサイクルって聞かなくなりましたね。
2018/03/18 by gura
出版年月 - 1995年1月発行,出版の書籍 | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト
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