読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト
こんにちはゲストさん(ログインはこちら) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト →会員登録(無料)
梨木香歩
1クリック登録
「死」への考え方がこの本で変わりました。大切な人の死、可愛いペットの死に直面したとき、私もこの物語のおばあちゃんのように、「死ぬということは、ずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだと思っています。きっと、どんなにか楽になれてうれしいんじゃないかしら。」と、悲しみの後に思えるかな、と恐怖から気持ちが少し楽になります。ラベンダー畑の上に広げた天然の香りのお布団、お花を浮かべたお庭で取れたハーブティー、ニンニクの傍ですくすくと育てられたバラ、こんな大自然とおばあちゃんの知恵の中で暮らせるまいちゃんは本当に羨ましいです。絶対に学校に行くよりも貴重な時間!なにかをしない(まいの場合は学校なので登校拒否)、と決めたなら、それを「逃げ」とは言わせないくらい得るものがある時間に自身でしていく!という大切さも学べた気がします。命(自然)と死という、類似したようで対比したものを描いているのですが、シンプルに心にスーッと入ってきます。読後に、自分のおばあちゃんにお電話をしました。「おばあちゃん、大好き!」とまいのようには恥ずかしくて言えませんが、「アイ・ノウ」とおばあちゃんも思っていてくれているかな、なんて物語と重ねて、気持ちがほっこりしました。DVDは見事に本の世界観(特に綺麗な自然の風景、丁寧な暮らし)を実現してくれていました。サチ・パーカーさんの「アイ・ノウ (I know)は本書で想像していたよりも重みがあって愛情を感じてすごくよかったです。重ねて観ていただくことをお勧めします。良書です。ずっと大切にします。 >> 続きを読む
2022/03/26 by おとも
石田衣良
活字を読み慣れていない主人公と同じ心情で、感情移入と物語に没頭できました。話によっては、予定調和だったりどんでがえしだったりと、当たりハズレが大きいです。主人公と、その周りの群や雰囲気が好みであれば、楽しみながら世界観に浸ってください。 >> 続きを読む
2020/03/25 by IQ33人
J・K・ローリング , 松岡佑子
十数年ぶりの再読。 「吸魂鬼」について、昔は「ただ黒くて怖いもの」としか思って無かったけど、今読み直すと、意外とこれはすごく身近な存在なのではないかと考えてみた。 近づき過ぎると、楽しい気分と幸せな思い出を無くすこと。 やろうと思えば、やつらは相手を自分と同じような邪悪な魂の抜け殻にさせてしまうこと。 そして、やつらを退ける魔法のコツが、幸せな記憶を思い出すこと…… これだけは、どうしてもファンタジーではなく、リアルに見えてしまった。 >> 続きを読む
2020/09/19 by Moffy
北方謙三
北方〈三国志〉第2巻「三国志 二の巻 参旗の星」を読了。漢の都・洛陽は、焼く尽くされ、董卓は、帝を連れて長安へと遷都。その暴虐ぶりは、一層ひどくなります。王允が持つ密勅を奪い取るように、自ら董卓を討つ呂布。しかし妻・瑶のために討ったにも関わらず、董卓を追うように妻は亡くなり、呂布は、結局麾下の500騎を連れ、王允が治めるようになった長安を抜け出すことに。その頃、曹操は、鮑信の要請に応え、100万をも越えた青州黄巾軍に向かっていた。2万の手勢に劉岱の残兵をかき集め、自ら先頭に立って、夜も昼も執拗に攻め立てる曹操。そして遂に、僅か3万の兵で黄巾軍を下すまでに。孫堅は、流れ矢に当たって戦死、長男・孫策がその跡を継ぎます。劉備は、徐州、予州の賊徒平定で軍功を立て、私心のない徳の将軍として、その名を知られつつあった。孫策は、父・孫堅が発見した伝国の玉璽を渡して袁術から独立。曹操の動きが一番大きく感じられる、この第2巻。第1巻の時から登場していた曹操の間者「五鈷の者」。石岐を頭に5人ずつ5組となって動く集団で、その報酬は、曹操が天下を取った後に、各郡に一つずつ浮屠(仏教)のための建物を建てて欲しいということ。日頃、宗教を嫌っている曹操と、この五鈷の者たちの関係が面白いですね。石岐は、曹操が宗教嫌いだからこそ、一つの宗教にはまりこんでいく危険がなくていいと言います。浮屠という宗教は、他の宗教の存在も認め、ただ心の平安のみを得ようとする宗教なんですね。曹操が、太平道や五斗米道といった他の宗教と手を結んでも、石岐にとっては問題ではありません。それに対し、宗教に関しては理解不能といった態度の曹操。これがまた、曹操という人物像によく似合っていますね。そしてこの第2巻では、「信仰は心の中のものだ。教義を振りかざし、徒党を組み、戦をなすならば、それは許さん。----帰農して、日々の生活の中で、心穏やかに信仰の心を全うするかぎり、邪魔はせぬ」という考えを改めて示しています。袁紹を見限って曹操の元へやって来た荀彧が、とてもいい味を出しています。文官の荀彧ですが、曹操の与えた数々の難題を命がけでこなし、武官以上に男ぶりを上げています。そんな彼と対照的なのは、劉岱の遺臣であった陳宮。彼に関しては、あまりいいところがありません。曹操は、陳宮の能力を認めてはいるのですが、なんとなく織田信長にとっての明智光秀のようなイメージ。しかし実際には、陳宮が曹操を見限った理由が、曹操は「万能の王たらんと望んでいる」ためというのがまた面白いですね。ただ、呂布は、結局、王允に利用されたかのように董卓を討つのですが、王允に関してはどうなのでしょう。呂布側から見ていると、董卓を討つまでの流れはとても自然なのですが、王允側に関しては少々ひっかかりを感じます。それまで足繁く通って来ていたのが、急に使者をよこすようになる場面など、一言、王允の言い訳が入っていれば、簡単に納得できたと思うのですが。 >> 続きを読む
2021/05/05 by dreamer
野沢尚
感想、ただ一言、これだけで良い。「ページを捲る手が止まらない」エンタテイメント色の強い作品だけど、リアリスティックな描写で緊迫感を楽しめる。 >> 続きを読む
2015/05/12 by yuria
森博嗣
S&Mシリーズ、9巻です。700ページという長編で、読み切れるのか不安にもなりました(笑)M大学付近にある公会堂で、一人の女性が殺されていた。しかもその遺体には、首が切断され無くなっていた。その部屋には、被害者がもう一人いた。それは寺林高司という男で、頭を殴られていた。この寺林は、同時刻M大学で起きていた、女子学生絞殺殺人事件の、容疑者でもあった。この複雑に絡み合った事件を、犀川先生と萌絵が挑みます。 >> 続きを読む
2015/04/03 by ゆずの
穂村弘
ただでさえ短歌で手紙をもらったらどう反応していいかわからないのに、これが591通来たのだと。ある意味面白いが、やっぱり怖い。それ以上に書かれている短歌の解釈が難しい。まだまだ触れる機会が少ない自分には、この本は早かったのかな?全体的に穂村さんが書いていそうな感じというのは感じられるのだが、なんかなぁ... >> 続きを読む
2014/11/09 by freaks004
佐藤賢一
【しっぽ、とり、ひげ】 何とまた、破天荒な主人公を生み出したものです。 いえ、モデルになったベルトラン・デュ・ゲクランは実在の人物です。 百年戦争初期に活躍したフランスの軍人。最初はブロワ伯に仕え、その後、シャルル5世に仕えて、劣勢だったフランスを救って大元帥にまで上り詰めた人物です。 この、デュ・ゲクランを主人公にしたのが本作なんですが、佐藤賢一さんの筆にかかると、まぁ、これが破格の英雄に描かれるのですね。 異形の男です。丸い顔をして、飛び出た丸い目、丸刈りの頭で、腕が膝まで届く位に長い、醜男として描かれます。 特筆すべきはその性格描写。 まるで子供です。礼儀作法も何もなく、天衣無縫、好き勝手に振る舞い、しかもそれを恥じることはなく、豪放磊落で真っ正直。だから、慕われるのですね。 今回のリードで使った、「しっぽ、とり、ひげ」というのは、作中でデュ・ゲクランがおどけて真似をしたものです。 剣を尻に突き刺して「しっぽ」とふざけ、会食中、鶏のくちばしを唇に当てて「とり」とおどけ、シャルル5世とその一族を逃亡させる緊迫の場面で、地面に落ちていたうんちを拾って鼻の下に当てて「ひげ」とやってみせます。 何で30男がそんな子供みたいなことをするの?こいつは本物のあんぽんたんなんじゃないか?と思ってしまいますが、でも、こと戦争となると軍神と言っても良い程の能力を発揮するのでした。 この能力をいち早く認めたのがシャルル5世です。 デュ・ゲクランの出自は下級貴族であり、その醜い容貌のために母親から遺棄されて成長し、子供の頃から悪ガキで通っていたような男。粗暴で野卑で、およそ貴族からは鼻つまみにされそうな男なのですが、抜群の軍事的センスの持ち主です。 家族の相克も描かれるのですよね。デュ・ゲクランがこの様な男に育ったのは、母親のためなのです。美貌の母親は、醜いデュ・ゲクランをとことん嫌い、体罰も与えて疎んじます。それがトラウマになっているのですよね。だから悪ガキにもなりますし、家を飛び出て傭兵隊長になんかなっていったわけです。 他方で、三男は母親の美貌を受け継いだため溺愛されるんです。でも、傲慢な性格に育ってしまうのですけれど。 でも、所詮は下級貴族のため、その後、一族は零落してしまうのですが、デュ・ゲクランだけはシャルル5世を救ったことがきっかけで栄進していくわけです。 だから、彼の兄弟達は最初は面白くないのですが、喰っていかなければならず、やむなく節を曲げて長兄の世話になるわけです。 最初はぎくしゃくもするのですが、次第に長兄の魅力に惹かれていき、いつしかその下で活躍するようになっていくのです。 しかし、美貌の三男だけはどうしても長兄を認めることができずにいます。 母の溺愛の下に生育したこともあり、自分が一族の中心じゃなければ納得できないというさもしい根性なんですよね。 それが悲劇をも生みます。 デュ・ゲクランは、自分が醜男だということを自覚しています。 だから母親からも愛されなかったのだと。 なので、徹底して女性を避ける様になってしまったのです。 でも、決して女性にモテないなんていうことはないのですよ。むしろとても面白い人物だということで、例えば救出したシャルル5世の一族の女性陣達からは大好評なんですが、当の本人が女性を苦手としているのでどうにもうまくいきません。 そんな、デュ・ゲクランを一途に愛していた女性がいました。 占星術をよくするティファーヌです・デュ・ゲクランの幼なじみで貴族の娘なのですが、その想いは叶えられます。あれほど女嫌いだったデュ・ゲクランは、遅くにですが、彼女を最初の妻として娶ります(これは史実通り)。 でも、その裏には根性のひんまがった三男の影があったのですね。 というわけで、本書は、佐藤賢一さんお得意の史実に題材を取った大河ロマン的作品です。破天荒なデュ・ゲクランの生涯を描くのかな?(まだ上巻を読んだところなのでどこまで行くのか見えないのですが)。 デュ・ゲクランの卓越した戦闘も描かれます。ですが、時には馬鹿貴族の掣肘が原因で、敢えて負け戦をしなければならなかったり、本来の力を発揮できなかったり(この辺は、銀英伝みたいなテイストも感じます)。 そう、銀英伝と言えば、本作にも、デュ・ゲクランが唯一認めるイングランド側の戦争の天才がもう一人登場します。 ですが、彼も様々な事情から決してその能力を自由に使えるわけでもないのです。ですが、二人はお互いの能力を認め合い、敵味方なのですが、友人として生きていくのですね。 非常にダイナミックな作品ではないかと思います。 下巻を読了したら、続きを書きますね。 >> 続きを読む
2019/08/06 by ef177
トニ モリスン
1941年、アメリカ北部にあるオハイオ州ロレイン市に暮らす9歳のクローディアという少女を通して、ある事件を中心に黒人たちの世界を描いた小説で、秋から夏までの四季に分けて進行していきます。「青い眼がほしい」と願い、物語の焦点となるのはクローディアの友人、ピコーラという12歳前後の少女です。彼女たち二人以外には、ピコーラの母ポーリーンの過去と父チョリーの過去、そしてクローディアから眼を青くしてほしいと請われる客員牧師ソープヘッド・チャーチの章が設けられています。クローディアの年齢は当時の著者の年齢と合致しており、彼女は著者の分身でもあるのでしょう。主題だけではなく、小説としての構成、少女たちの目に映る社会の姿など、目を見張る点が多々ありました。心に深く刻まれ、容易には整理し難い小説です。本書を知ってからしばらく躊躇していたのですが、読んで良かったです。気になっている方はぜひ。 >> 続きを読む
2020/07/25 by ikawaArise
少年Aの父母
淡々と綴られる少年Aの父親の日記。当時、少年Aによるこの事件は衝撃的であった。現在では、犯罪の低年齢化が問題視されているが、この事件では、少年による猟奇殺人という点で衝撃的であった。日記によれば、少年Aが持つ火種はあった。しかし、残念ながら、異常性、猟奇性を探り当てるところまでは行けなかった。何十億人もの人間がいる現在において、大人であっても自分を制御できず、社会的規範から外れた行動をする人間はたくさんいるのに、自分を制御できない少年が大人と同じ異常性、猟奇性を持つというのは非常に怖い事だと思う。 >> 続きを読む
2016/11/20 by zunbe
R・D・ウィングフィールド
フロスト警部シリーズ第3弾。今作もわずかな日にちの中で、多くの事件がデントン警察署に降りかかる。しかも流感のせいで、大半の刑事が欠勤。フロスト警部をはじめ少数の刑事で、多数の事件に取り掛かる。中でも老女を切り裂いていく連続暗殺事件が中心。一体何人死ぬのかというぐらいに死体の山。しかも陰惨な殺しの内容であり、猟奇的とも呼んでいい。フロスト警部が被害者に聞き込む時に下世話な言い方をするが、その答えがこの本のキャラを表している。悲惨な事件の中でフロストの毒気が無かったら、このムードは出せない。次回からは上下巻仕様で、さらに多くの事件がフロストを待ち受ける。 >> 続きを読む
2022/03/23 by オーウェン
森恒二
おびただしい数の漫画がある中で、本当に心に残る作品というのは、たぶんあんまり多くはないと思うのだけれど、この『ホーリーランド』はその数少ない作品と思う。何が心に残るのかは、うまく言葉で一口に言うことはできない。ただ、たぶん、主人公のユウや副主人公のマサキらの気持ちが、若干わかる人には、その必死さがぐっとくるということなのだと思う。そういう人にとっては、単なる漫画の域をこえて、何か心に響く作品なんだと思う。最終巻の十八巻で、何のために闘ってきたかということについて、「過去から自由になるため、新しい自分を得るため」ということをユウたちが述べていることに、私は別に路上で闘ったことはなかったけれど、別の意味で、ああそういえばそういうことだったんだろうなぁととても共感させられた。多くの人に勧めて良いかはちょっとよくわからない、少々ディープな暗い格闘技系漫画ではあるのだけれど、根底にあるメッセージは本当に良い作品だったと思う。 >> 続きを読む
2014/05/03 by atsushi
ミヒャエル・エンデ , 上田真而子
「はてしない物語」「モモ」のミヒャエル.エンデが、初めて子ども向きに書いた、初めての作品ということです。興味深く読みました。ジム・ボタンという男の子が、機関士の友人ルーカスと、エマという機関車に乗っての冒険の旅のお話。「はてしない物語」「モモ」には、かなり哲学的な要素が入っていますが、この物語は、どうかな、と思って読みました。やはりエンデの作品だなー、と思ったのは、ジム・ボタンらが、旅の途中で、「トゥー・トゥーさん」という巨人に出会います。ジムは、あまりの恐ろしさに、逃げようとします。しかし、その巨人は、決して悪さをする者ではなく、むしろ、心の優しい者だったのです。普通、人は、遠くに行けば、小さく見えますが、巨人は、遠くにいけばいくほど大きく見え、近づけば、普通の大きさにみえるのです。恐れて遠くに見ているときは、とてつもなく大きくみえ、恐れずに近づいてみれば、普通の大きさなのです。結局、その大きさに惑わされずに、近づいて、友人になったジムらは、彼に砂漠を脱出する方法を教えてもらうのです。それから、「トゥー・トゥーさん」の言葉の中で「何か特別なところのある人間というものは多いものですよ。例えば、ボタンさんは、黒い肌をしておられますね。生まれつきのことで、べつにへんなことでも何でもない。そうでしょう?黒であって、ちっともかまわない。ところが、たいていの人は残念ながら、そう考えないんですよ。自分が例えば白いとすると、その色だけが正しいと思ってしまって、黒い人にちょっと反感をもったりするのですね。人間は、どうしてこうものわかりがわるいのか、こまったものです。」この物語が登場したのが、1960年。世界の中で、人種差別が存在する時代に、児童文学の登場人物に、こう語らせるエンデの鋭さ。この物語と、その続編で、エンデは多くの賞を獲得し、これがきっかけとなって、子ども向けの本を書くようになり、後に、「はてしない物語」や、「モモ」を生むことになる。大人が読んでも、気づかされるものがある、エンデの凄さです。 >> 続きを読む
2014/01/26 by ヒカル
山中恒
1969年に刊行され、その後出版社が変わりながらも版を重ねている名作。婿養子に入り母親の尻に敷かれっぱなしの父親。兄弟4人は全員優等生なのにただ1人出来が悪いと秀一(ひでかず)をいつも叱り、抑圧する母親。学校での秀一の素行をとことん調べあげ母親に密告する妹のマユミ。母親に押さえつけられ、妹に見張られて、自分のやりたいことがすべて否定され、奪われている様子に胸が苦しくなります。自分だけが勉強ができない、他の兄弟のようになれないことにもがき苦しみ、ある日、抑圧に耐えらえなくなった秀一は家出を決行します。その途中、ひき逃げを目撃したり、転がり込んだ山中の家が武田信玄の隠された財宝に関係する家で、住人のおじいさんと少女は何か事情をもっていそう。色んな冒険や事件が待ち構えています。学校と家という狭い世界で暮らしていた少年がおじいさんと少女に出会うことで新たな世界が見え、影響され、少年の心の中が少しずつ変化し、整理されていきます。一見、母親の敷いたレールを素直に走っているかのように思えた兄や姉も、きちんと自分の考え、主張を心の中で持っていたことも秀一は知ることができました。子どもだって親の庇護は必要ではあるけれど、親の所有物ではなく、いつまでも思い通りにはならない、ひとりの人間、一個人なのだ、ということを最後には教えてくれます。大人である自分も胸が苦しくなったりハラハラさせられたのです。子どもが読んだら…子どもの心にも激しい化学反応が起こるでしょうか。 >> 続きを読む
2020/03/04 by taiaka45
松沢弘陽 , 丸山真男
「福沢に於ける「実学」の転回」と「福沢諭吉の哲学」などが収録されている。 二つは前編後編の関係にあるのだけれど、本当に両方とも目のさめるような、すばらしい論文だった。 「福沢に於ける「実学」の転回」では、丸山は以下のようなことを言っている。 福沢諭吉は日本のヴォルテールで、福沢を語ることは日本の啓蒙思想を語ることになる。 福沢は、しかしながら、他の明治期の啓蒙思想家とは異なる独自の思惟がある。 福沢の「実学」は、山鹿素行や石田梅岩などの「実学」、つまり日常役に立つことを求めるだけの従来の実学とは根本から異なるものだった。 どう異なったかというと、福沢は、日本の従来の学問に欠けているものとして「数理学」と「独立心」の二つを指摘したけれど、この二つの根本を支える「精神」に着目し、この二つが不可分であることに着目した。 それまでの朱子学的・儒教的世界観では、自然と倫理は一体をなし、倫理や社会秩序は自然とのアナロジーで、先天的な自然なものとして説かれていた。 それに対して、福沢は、「社会秩序の先天性の否定」を敢行し、物理と道理の混同を捨ててその峻別へと向った。 いわば、根底の精神や学問のあり方を問題にし、その改革を敢行した。 そして、近代理性=実験精神により、あらゆるものの「働」を吟味し、物理的定則・法則を発見し、技術化していくという、実験精神に基づく主体性を形成していった。 そこには、法則把握、いわば「空理」への不断の前進があり、そこにおいてこそ生活と学問のより高度の結合が保証されるという哲学があった。 法則の把握は、単なる経験の積み重ねからだけでは生まれない。 主体が「実験」を以て積極的に客体を再構成していくところにはじめて見出される。 つまり、福沢は、法則把握に至らない単なる手放しの経験主義=従来の東洋的思惟を全面的に批判した。 無理無則の機会主義と手放しの経験主義の両方を批判した。 日常生活を絶えず予測と計画に基づいて律し、試行錯誤を通じて無限に新しい生活領域を開拓していく奮闘的人間の育成を志した。 「福沢に於ける「実学」の転回」では、以上のことが、明晰に説き明かされてて、本当目のさめる思いでなるほどと思った。 (また、科学的認識論が、近代ヨーロッパにおいては、トルストイやラスキンらが現われたように、近代文明への幻滅や陰鬱や退屈とそこから逃れるための自然回帰への思潮をもたらしたのに対し、福沢は、啓蒙思想でありながら、そうした科学的認識のもたらす陰鬱から免れていたことを指摘し、いずれそれを検討するとしながら、福沢が情緒や趣味、宗教の領域を重視していたことにも読者の注意を促している。) それに続けて、「福澤諭吉の哲学」では、丸山は、福沢における価値判断の相対性の主張を重視し、そのことが主体的契機をいかにもたらしているかを明らかにしている。 福沢における善や正ということは、常にどの面についてどういう観点からか、という状況と切り離せずに説かれている。 だが、それは単なる機会主義ではなくて、無方向・無理無則の機会主義は常に批判され、真理原則に基づいて予量する計画的人間育成が目指されている。 その原則とは、プラグマティズムの哲学ときわめて接近した、実験精神に基づく主体的な精神だった。 福沢は、価値判断のたびごとに具体的状況を分析する煩雑さから免れようとする態度を「惑溺」と呼んで批判した。 教条的な公式主義も、単なる無原則の機会主義も、ともに「惑溺」だとして、福沢は鋭く批判した。 福沢においては、常に具体的状況を分析し、あらゆる価値を相対化していくところに、その主体性の発揮があった。 そして、価値の分化や多元化こそが、文明の進歩だとみなした。 精神の化石化・社会意識の凝集化に常に抵抗し、価値の相対化や多元化を目指し続けたのが、福澤諭吉の哲学であり文明の理想であった。 といったことが、「福沢諭吉の哲学」で丸山が分析した福沢の思想だった。 両方ともとても面白かったが、私にとっては、どちらかというと、「福澤諭吉の哲学」よりも、「福沢に於ける「実学」の転回」の方が、丸山真男のすごみを感じる論文だったように感じられた。 凡百の人間にはわからない、福沢の精神の精髄をつかみとった名著だと思う。 福沢の「惑溺」批判は、本当に考えさせられる。 具体的な状況分析や価値判断の条件根拠への吟味を忘れた態度というのは、たとえどのような政治的立場やイデオロギーであれ、「惑溺」と呼ぶべきなのだろう。 なんの根拠もなく自民党を支持している人々も「惑溺」だろうが、状況分析を忘れた民主党への無批判な追随やその他の野党への支持もまた「惑溺」となっていく危険をはらんだものだろう。 >> 続きを読む
2012/12/22 by atsushi
柳美里
一番苦手な女性のタイプ・・・・。理論的で、攻撃的で、女性の前に人としての存在が問われる。ケセラセラと生きている、私にとって、色んなものごとに真正面から考えるのは一番苦手な行為。リタイア後の私のテーマが「散歩人生」。これからは、目的や計画に縛られることなく、あっちへふらふら、こっちへふらふらきままに歩く、休みたければちょいといっぷく。そんな心境の、ごまめにとって、柳さん、いたって遠い存在になりそう・・・・そんな気にさせる本でございます。 >> 続きを読む
2019/07/22 by ごまめ
ハルオ シラネ
授業用に読んだのでレビューしにくいのですが、一応。アメリカで育った著者が芭蕉、および俳諧(俳句)のついて述べた本です。アメリカではひと昔、「日本・東洋は精神的に優れている」という思想が流行っていて、その流れで広がったのが俳句らしい。アメリカの小学校でも俳句を教えていたとか。西洋の論述の仕方でかたられているから、俳諧はじめ日本の詩歌をシステマチックに理解するには適してるかも。本中で気に入った句があったので、引用。 牛部屋に蚊の声闇(くら)き残暑哉 芭蕉(『三冊子』による)暗い部屋のむっとする暑さが表現される、との著者の評に賛同です。 >> 続きを読む
2016/09/21 by botan
藤本直 , SmittenRichard
希代の相場師ジェシー・リバモアの生涯は株式市場で成功し、莫大な富を得るまでの過程は、多少の失敗も含めて興味深くどんどん読むスピードが上がっていく。でもその相場に対しての才能とは裏腹に、家族は崩壊していて、自身と息子は自殺、妻寂しい最期を迎えるなど、決して恵まれてはいなかった。リバモア本人はお金で人生を狂わせたというものではなかったが、その家族はリバモアが稼いだお金で相当人生が狂っている。自分で稼いだお金でも使い方間違えておかしくなるひとは少なくないんだから、苦労せずに湯水のようにお金を使えるようになってしまえば、家族がおかしくなってもしょうがないのかなぁ?そんな人生の悲哀はともかく、株式市場に向き合う相場師としてのリバモアは並はずれた才能を持った人だったことは間違いない。 >> 続きを読む
2013/10/27 by freaks004
鈴木みそ , 高松正勝
高校で習う理論化学の基礎が学べる好著.漫画なので内容量は多くはないが,きちんと筋道立てて考えられるように工夫がされている.また,好みの問題はあるだろうが,漫画も古臭くなくそれなりに物語がおもしろくなるようにも描かれているので高校生(特に男子)におススメ. >> 続きを読む
2014/12/07 by 物理と数学
福井晴敏
スケールの大きな話なんですが、あまり入ってきませんでした…。なんだかイロイロ混みいってますね。 >> 続きを読む
2013/10/18 by ken
出版年月 - 2001年6月発行,出版の書籍 | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト
ページの先頭に戻る
会員登録(無料)
レビューのある本