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吉田修一
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読みやすいけど気持ち悪い。「ひなた」は家族の表と裏を描いてて割りとありそうかなと思えてそれでも差し障り無く日常は続いているところにある意味評価できると思えた。ここでは他人の男女5人がルームシェアする。そのひとりひとりにスポットを当てて1章ずつ進む。みんな一見いい人っぽいが影の部分で病んでる人もいる。この本を読むといきなり残酷な殺人を犯す人の周囲の人の「まさかあの人が・・」という状況が理解できる気がする。直輝がみんな知ってたのかと感じたところはどんなことがあっても守ろうとするルールがここでは第一になるのかな。殺人を犯したことよりも。。。。 >> 続きを読む
2019/05/23 by miko
畠中恵
妖(あやかし)と人間の、感覚や能力の違いが興味深かった。事件が未遂て終わってくれていたらなぁと、血なまぐさい物語が苦手なために抱く感想てありました。 >> 続きを読む
2021/09/06 by とりきなこ
佐藤雅彦
イラストと解説が交互に入る構成。ゆるいイラストと内容ながら、ビビッとくるものもあった。「結果と過程」ってのが特に良かった。受験生とか社会人になる前とかなってすぐって、「過程はどうでもいい結果が大事、結果しか評価されない」って人から言われまくると思う。そういう人に読んで欲しいと思った。擬人化されたおサルさんが神様にお願いする。「おなかいっぱいバナナが食べたい」→一瞬でおなかがバナナでふくれる。 →「そういうことじゃなくって」擬人化されたカエル君が神様にお願いする。「あこがれのケロ子ちゃんと一生を添いとげたい」→一瞬でよぼよぼになったカエル君とケロ子ちゃんになる →「そうじゃなくって」 >> 続きを読む
2016/09/13 by W_W
奥田英朗
不思議な先生とその患者さん達のお話。伊良部先生の患者さんを治療する(振り回す?)様子にどんどん引き込まれ、他の2作品も読まなければと思う。シリーズ物だと知らなかったことに後悔。(10.05.15 読了) >> 続きを読む
2015/05/14 by のこ☆
ひぐちアサ
硬式野球部が新設された西浦高校。1年生だけの野球部のエースは暗くて卑屈で!?アニメ化もされたことのある野球漫画です。正直、初期は主人公でありエースである三橋の性格にイライラして途中で本を置こうかと思ってしまいました。が、読み進めていくとめちゃくちゃ面白い。スポーツ漫画でこうも自身のない主人公が据えられていることに驚きました。キャラクターも非常に魅力的です。1巻ということもありチームメイトの内、数名にしかスポットが当たっていないのですがみんなカッコイです。ただ、初期のキャッチャーの阿部くんはちょっと高慢すぎてちょっと嫌ですが。素人なので「ストレートもまた変化球」であるなんてこと全然知らなかったので勉強にもなりました。【http://futekikansou.blog.shinobi.jp/Entry/287/】に感想をアップしています(2011年1月のものです)。 >> 続きを読む
2014/05/14 by hrg_knm
嶽本野ばら
桃子の考え方が私はとても好き!!自分をもってるかんじも!借りたものを返さない理由とか、母が再婚する時にかけた言葉とか、『幸せを勝ち取ることは不幸に耐えることより勇気がいるの』 >> 続きを読む
2016/10/05 by asa_chann
町田康
このまえWikipediaの純文学で例示されてい町田康の作品はなくて、かわりに読みだしたのがこれ。期待していたのだが、もひとつかな。文学っぽくはあるんだが、自分には合わないのかな。52ページでドロップ。 >> 続きを読む
2020/02/29 by 和田久生
須賀敦子 , 酒井駒子
大人の絵本は、やはり見応え、読み応えがあります。須賀敦子さんの文は、格調高く一見してわかりにくく、読み返すところなんぞ、良い短歌と同じ匂いが。酒井駒子さんの絵はそれにもまして素敵な絵柄、文をよみ絵をみてまた言葉をよむ、ラルゴのごとくゆったりと時が流れる大人の絵本でおます。 >> 続きを読む
2021/08/29 by ごまめ
乾くるみ
大学の代打合コンで、運命的な出逢いを果たす僕とマユ。同じ時を過ごし、次第に惹かれ合う二人だったが、僕が東京勤務を命じられた事から、長距離の心と心がすれ違う物語。それは、どれだけ苦くても誰もが通過儀礼する恋。恋愛をすると盲目になると言う。気付くべきサインを取り逃してしまったり、片や相手を想った行動が裏目に出てしまったり。恋のロマンスとは時として、極めてビターな結末を迎えて、僕らに学ばせる。どんなに素晴らしい愛も永遠には続かない。その刹那の中で、何度も失敗するが、そんな失敗は誰しもが経験する物なのだ。 >> 続きを読む
2021/01/30 by ebishi
ギー・ド・モーパッサン
フランス軍が敗北し、プロシャ軍がルアン市に入場。プロシャ軍は厳しい軍規によって、この町を支配するものの、噂になっていたような残虐行為をここでは一切せず、ルアン市民も徐々に平生の姿を取り戻します。ドイツ軍将校のつてを利用して、司令官から出発許可証をもらい、10人が大きな乗合馬車で一緒にディエップに向けて出発することに。ブドウ酒問屋を営むロワゾー夫妻、上流階級に属する大物のカレ=ラマドン氏夫妻、ユベール・ド・ブレヴィル伯爵夫妻、修道女2人、共和主義者のコルニュデ、そして太った娼婦-----。その体つきからブール・ド・シュイフ(脂肪のかたまり)と呼ばれている女性でした。乗合馬車に乗り合わせた10人の作り出す一つの世界。他にも登場する人間はいますが、中心となるのは、あくまでもこの10人だけ。しかし、ここには、一つの完全な世界が作り出されています。一言で言ってしまえば、とても嫌な話。そして、とても身につまされる話。でも、人間の本当に醜い部分を、こんな風に描き出してしまうのは、やっぱり凄いなと思いますね。もしここに自分がいたら、どうなんでしょう。そう思わずにはいられません。心の奥ではダメだと分かっていても、やっぱり安易な方へと流れていってしまうのではないかと思いますね。誰が入れ替わっても、これ以外の結末というのはあり得ないんじゃないか、そう思えてしまうような、ものすごく底力のある作品。社会的弱者であり、お上品な人たちに蔑まれる娼婦。でも、他人のことを思いやり、我慢するということを知っているのは、皆に蔑すまれる「脂肪のかたまり」だけなんですね。どれほど立派な服装をしていても、教養があったとしても、顔立ちが美しかったとしても、それは単なる外側の飾り物。同じ人間をこんな風に踏みつけにしていいはずがないんですが。でも、この面々は、目的地に着いて解散した途端、娼婦のことなんて忘れてしまって、きっと、もう一生思い出さないのだろう。もし、この物語がキリスト教的寓話なら、最終的に天国の門で、聖ペテロにどう扱われるかまで描かれるところですが、そうじゃないですしね。これは現実に起こりうること。他の人々のために自分を殺すことを知っている娼婦だけど、彼女が最終的に救われるとは限らないわけです。だからこそ、人生の縮図を感じさせるし、娼婦の思いが一層響いてくるんですね。 >> 続きを読む
2021/11/29 by dreamer
霞流一
玩具会社コハダトーイの創業者・小羽田伝介は、かつて計画のみに終わった幻の蒸気機関車C63を、残された設計図から実際に作り上げ、中央本線を走らせる。だが、この特別列車「虎鉄号」が華々しく出発した後の東甲府駅で、乗客の死体が発見された。一方、雪の中を疾走する「虎鉄号」の前には、列車強盗が立ちはだかる。さらに車内では、密室と化した客室に、全身赤剥けのグロテクな死体が忽然と出現したのだった-------。この霞流一の「スティームタイガーの死走」における列車とは、群像劇を乗せた、走るクローズドサークルだ。メカニズムに乗客を乗せて進んで行く列車は、プロットにドラマを乗せて進んで行くストーリーでもあり、本格ミステリの味わいさえ感じさせてくれる。この作品は、冒険小説的なフォーマットに、トラベルミステリの味わい、人間消失、密室の変死体といった不可能興味、犯罪活劇にコンゲームと、色とりどりのガジェットを積み込んで、それを力業で牽引する伝奇趣味に満ちている。さらには、蒸気機関車自体に仕掛けられたトリックと対になる、この作品全体への大仕掛け。エンターテインメント小説のありとあらゆる要素が詰め込まれていて、最後まで飽きさせない。毎回、動物尽くしの趣向で作品を彩ってくれる霞流一だが、この作品におけるテーマは、ズバリ"虎"だ。そして、注目すべきは、夥しいトリックのみならず結末のつけ方まで、すべてが虎尽くしの趣向に奉仕しているという徹底ぶりなのだ。ただ、惜しむらくは、数多くのギミックを詰め込み過ぎたせいか、推理のために必要な伏線が乏しい憾みもあるが、絶え間なく炸裂し続ける爆竹のように連打される、ドンデン返しとギャグに籠められた著者の執念が、その不満を補っていると思う。 >> 続きを読む
2018/07/22 by dreamer
香月日輪
1巻がおもしろかったので、引き続き図書館から借りて読みました。1巻よりも、主人公の夕士君の精神が安定しており、非常にほっこりして読むことができました。また親友の長谷君とのやり取りは、本当にお互いを大切にしていることが伝わって、「良かったね…」と思わずにはいられませんでした。もう学生ではないからこそ、こんな風な温かい友情に心打たれるのでしょうか?次巻もぜひとも読みたいと思います。 >> 続きを読む
2018/03/16 by sei
小林恭二
この物語は、現代小説であると思います。 プロローグとエピローグで現代の渋谷の街(宇田川町)で出会う若者を描きますが、ほとんどは江戸末期、安政年間がメインとなります。 しかし、この安政年間の登場人物たちは、さらにさかのぼって鎌倉時代の男女の生まれ変わりである、というのが底辺にあります。そして現代の渋谷の街で出会った少女と少年も・・・ つまり、道ならぬ恋に身を焦がした故に悲劇となった男女は成仏できずにいつまでもいつまでもその怨念というか執念に身を焦がし、それは輪廻転生という形でもって後の世の男女の愛憎にまるで車輪のように受け継がれていくのです。 安政年間、豊かな商家の娘、はつと僧侶の招円が出会い、恋に落ちる。 しかし、はつには許嫁がいるし、招円は仏門の身です。しかし、惹かれあった2人の恋情は誰も止めることができない。 現代小説、と思ったのは、言葉使いが、鎌倉時代であっても、江戸時代であっても実に現代風。 そのせいで、大変読みやすいものになっていると同時にこれは、時代小説ではない、という思いにもかられます。 恋というのはいいもの、だけではありません。恋が故に人生が破滅した者は、恋を呪う。「すべては恋のせいなのだ。そんなものがあるから、娘たちは耐え難き苦しみを背負ったのだ。恋こそは憎悪と諍いの根源だ。これを絶たぬ限り、世に悲劇は繰り返されるだろう。恋を賛美し、恋を謳歌する者に呪いあれ」 しかし、この物語ではそんな「呪詛」をはねとばす「心中を辞さない恋の強さ」も描きだします。 現世で恋が成就せねば、来世で結ばれよう・・・そこまで思い詰める恋人たち。 恋愛小説というのはその人の感情に直撃するものを持っているから共感と反感の狭間にゆれる難しい分野です。 しかし、作者は芝居仕立てにして、非現実の中にある現実を見事に描き出し、そして読む者の気をそらさない。 読みやすいのですが、その底に流れている「恋愛感情」の深さはとことん深いとみました。 >> 続きを読む
2018/06/11 by 夕暮れ
アガサ・クリスティ , 田村隆一
【エヴァンスって一体何者?】 アガサ・クリスティの比較的初期の作品です。 主人公のボビィは、知人の医師と二人でゴルフを楽しんでいたのですが、偶然崖下に転落している男を発見してしまいます。 すぐに助けに行ったのですが、もう虫の息で、医師の見立てでは助からないだろうということでした。 とにかく、引き上げなければならないということで、ボビィが倒れている男に付き添い、医師が助けを呼びに行きました。 しばらくして、男の意識が一瞬戻り、「なぜ、エヴァンスに頼まなかったのか?」とあけ言うとこときれてしまいました。 ボビィは、男の顔にハンカチをかけてやろうと考え、男のポケットを探ったところ、女性の顔写真が入っているではないですか。 その女性の顔が大変印象深かったので強く記憶に残りました。 ボビィは、写真を男のポケットに戻し、ハンカチを顔にかけてやりました。 ところで、ボビィの父親は牧師なのですが、その日の夜、教会でオルガンを弾くことを父親に約束していました。 もう、間に合いそうもないけれど、事情が事情だから約束を違えても仕方ないだろう、でも、口うるさい父親からはまた小言を言われるのだろうなぁなどと考えていたところ、ロジャーという男が通りかかりました。 ロジャーは、この地方に家を買おうと考えやってきたというのです。 事情を説明したところ、ロジャーは自分が遺体に付き添ってあげましょうと申し出てくれたので、後のことはロジャーに任せて、ボビィは教会へ向かったのでした。 その後、遺体のポケットに入っていた女性の顔写真が新聞に掲載されたことがきっかけで、亡くなった男の妹夫婦だという者が名乗り出て、身元が確認されました。 ボビィは、名乗り出た妹だという女性に会ったのですが、写真の女性にはどうしても見えませんでした。 まぁ、でも、自分の兄に間違いないと明言するのだから、そうなのだろうとは思うのですが、どこか釈然としません。 その後、ボビィは毒殺されかけます。ビールにモルヒネが大量に混入されており、危うく一命を取り留めました。 しかし、何故、自分が殺されかけなければならないのか、全く心当たりがありません。 ボビィの知人である伯爵令嬢のフランキーは、ボビィから事の顛末を聞き、非常に興味を持ちます。 ゴルフ場の崖下で亡くなった男は、おそらく足を踏み外して転落したのだろうと考えられていましたが、フランキーは何者かに突き落とされたのではないかとの疑念を持ちます。 ボビィがいまわの際に聞いた言葉に何か重大な意味があるため、ボビィは殺されかけたのだと主張するのです。 この後、ボビィとフランキーの二人が素人探偵となり、謎の解明に乗り出すというのが大まかな粗筋になります。 本書の一番のポイントは、「エヴァンス」とは何者か? 何を頼まなかったというのか?という点にあるのですが、この点は物語の最後まで明かされません。 物語には胡散臭い人物が沢山出てくるのですが、肝心のエヴァンスはどこにもいないのです。 この一点で引っ張るのはなかなかに秀逸です。 ただ、その後も色々起きる事件は、多少都合が良すぎる点もあり、トリックとしてはさほど評価はできないかなぁという感想です。 また、名探偵が登場しないというのも一つの弱点になります。 つまり、探偵役に鋭い推理はなかなか期待できないわけです。 ところが、本作では、時折フランキーが核心に迫るひらめきを見せるのですね。 一応、何故そのように考えたのかは説明されるのですが、名探偵ならともかく、素人が……と考えると唐突感は拭えません。 私としては、本作はクリスティの名作には及ばないものの、まぁ、比較的まとまったミステリかなと感じました。 >> 続きを読む
2019/10/03 by ef177
平岩弓枝
シリーズ第一弾。八篇収録。江戸の大川端にある小さな旅籠かわせみの女主人るいと、その恋人神林東吾が様々な事件に遭遇しながら愛を深めていく物語。るいと東吾は結ばれながらも、添いとげるのは難しい事情がある。事件を通して知る男女の情念に自分たちの想いを重ねながら、二人はかわせみを守っていく。二人の愛がどういう形に落ち着くのか、長いシリーズを少しずつ読みながら見届けたい。 >> 続きを読む
2019/06/04 by Kira
図書館本。シリーズ第二巻。八篇収録。東吾にるいという恋人がいると知りながら、横恋慕する女が二人も出てくる巻で、なんだかやきもきした。東吾が優柔不断な態度でいるのも気にくわない。るいを妻にしたいと、なぜ兄に言えないのか。覚悟が足りないのか?満足した読後感は得られなかったが、辻斬りの話だけは面白かった。そう来るか、と思うほど意外な下手人だった。辻斬りをはたらくような輩はどこか精神を病んでいるというのは、時代小説の定番か? >> 続きを読む
2020/01/18 by Kira
柴崎友香
『きょうのできごと』(柴崎友香)〈河出文庫〉読了。※※※ 少し内容に触れますので、嫌な方は読まないでください。※※大学院に進学するため京都に引っ越した大学生と、その引越し祝いに集まった六人の物語。三月二十四日から三月二十五日にかけて、それぞれの視点で「今日の出来事」が語られていく。「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」と「ハニー・フラッシュ」は秀逸。やっぱり、こういう作品を読みたいと思うし、このような状況や心情の描写力は柴崎友香の真骨頂だと思う。しかし、「オオワニカワアカガメ」「十年後の動物園」「途中で」「きょうのできごとのつづきのできごと」はあまりおもしろく読めなかった。おもしろいと思った作品とそうでなかった作品の違いが、自分の事ながらよく分からない。なんとなく、そうでなかった方は会話や回想が多く、状況や心情の描写が少ないようにも思うが、どうだろうか。これまで柴崎友香の作品は、『寝ても覚めても』『春の庭』を読んできて、どちらも素晴らしいと思った。調べてみると、この二作品はそれぞれ2010年、2014年に発表され、『きょうのできごと』は2000年に発表されたようだ。まだ読んだ数が少ないのではっきりしないが、どこかで作風が確立したのかもしれない。 >> 続きを読む
2020/09/29 by IKUNO
梁石日
虚しい。最後にはその気持ちだけが残される。 どんなに信念を持って戦っても消せない『悪』があるのだ。 東南アジアで日々起こっている幼児売春、臓器売買。 これはもはや小説ではなく、ドキュメンタリーである。 貧困から自分の子供を売ってしまう親。 自分の子供を救うため、生きたまま提供される子供の臓器を買い取る親。 それを仲介するマフィア、黙認する警察、その事実を抹消する政府。 『1人でも多くの子供を救いたい』という思いで体を張って 闘い続けてる人間達の努力も虚しく、暴力と権力でねじ伏せられてしまう。 あまりにも残酷でグロテスクな現実を事細かに描かれていて、 ただ読んでいるだけの私ですら逃げたくなった。 性の意味も知らない子供達が大人の性的玩具になる事も勿論、 1人の人間が親や世の全てから見放されてしまう事が悲しい。 東南アジアなどの発展途上国の人々の安い人件費によって、 日本人が安価で物が買えるのも事実。 言い方を変えれば、彼らの犠牲によって 私達の『豊かな生活』は成り立ってると言っても過言ではないと思う。 その裏では人間としての生活すら出来ない子供達がいるのだ。 それを知った今でも、私には何もできない。それが虚しい。 >> 続きを読む
2019/01/28 by NOSE
鈴木 大拙
仙厓(1750~1837)は江戸時代の禅僧である。名前は何となく知っていたし、絵も見たことはあったが、『かわいい江戸絵画』(府中市美術館企画展図録)に収録された絵を見て、あまりの「ゆるさ」にあっけにとられた。ちょっとまとめて拝見しようと探していたらこの本に行き当たった。著者、鈴木大拙(貞太郎:1870~1966)は仏教学者である。僧侶ではなく在家参禅者であり、「大拙」は東京帝国大学哲学科専科生であった際、鎌倉円覚寺の釈宗演から受けた居士名である。禅に関する英語の書籍を多く著わし、日本の禅文化を海外に広く知らしめた。本書も元々は英語で書かれたものであり、訳者がいるのはそのためである。円覚寺は仙厓の兄弟子にあたる僧が再興した寺であり、大拙も仙厓の逸話や絵に触れる機会があったようである。本書にはもう一人、陰の役者がいる。出光佐三(1885~1981)。出光興産の創業者である。仙厓が後半生を過ごした博多に生まれた佐三は、青年期から仙厓の絵に惚れ込み、さほど注目されていない頃からこつこつと蒐集していた。1956年、カリフォルニア州オークランドの日本文化祭で佐三が所蔵する仙厓の絵も展示されたのをきっかけにして、大拙と佐三の交流が始まった。大拙は佐三の別荘で仙厓の書画の研究に没頭し、執筆に励んだ。本書収録の書画128点は、1点を除き、出光美術館所蔵である。最後の加筆を前に、大拙は病に倒れ、本作が遺稿となった。西洋で出版されることを希望した大拙の意志にしたがい、本書は1971年に、英語で出版されている。大拙は、序論で、禅における笑いについて考察している。禅は「笑の余地を見出す」教義だという。ここで、大拙は哲学者ベルグソンの笑の分析に言及しつつ、仙厓の笑いは、言語や論理の厚い雲を払って「本来の」我が出てくるときに現れる喜悦であると説く。心を解き放ち、実在と直に接し、無限に広がる「我」。それは「あまねく宇宙を渡って広がる」。禅の修行は苛烈で、ときに凡人には意味不明だ。仙厓の絵にも何人か、伝説の禅匠が登場する。常に棒を持ち、「問おうが問うまいがわしの棒で三十打ち」と棒を振り回していたという徳山。仏像を燃やして「舎利(仏の遺骨)を探していたのだ」とうそぶく丹霞。棒で殴りかかってきた師匠に反撃して押し倒した黄檗。一見、冒涜的でやりたい放題のようでも、矛盾・対立・二元性を見極め、越えていくための手法であるらしい。悟りを開き、しかし悟りに囚われることのないようそれを手放し、無になり、そしてまた街に出でよ、と説く『十牛図』を思い出させる。仙厓は「ゆるい」絵ばかり描いているわけではない。収録された絵の中には非常に細密で端正な絵も何点かある。つまりは、技術や画法が備わっている上での「ゆるさ」なのだ。仏画はもちろん、花鳥画や、風景画もあれば、風俗画のような市井の人々の暮らしもある。さまざまな対象を描こうとも、根底にあるのはいずれも禅の精神なのだろう。128の書画を見て、坐禅蛙や布袋の絵、どこかかわいらしい虎の絵がやはり好きだ。偉くなっても民に慕われ、うるさがりながらも請われると絵を描いていた仙厓は、手の届かないほどその道を究めつつも、親しみやすく慕わしいお坊さんだったのだと思う。難解なものや不可解なものを内包しつつ、十牛図で最後に布袋となって街へ戻る牧童さながらに、人々に慕われながら、仙厓は88歳の生涯を閉じる。本書の表紙にもある布袋の絵は、しみじみ、生への大いなる肯定のように思える。 >> 続きを読む
2016/05/09 by ぽんきち
中島賢二 , ThackerayWilliam Makepeace , 三宅幾三郎
虚栄の市、全四巻で幕を閉じました。いやぁ、面白かったです!著者のサッカレーのドビン贔屓っぷりはすごかったけれど、最終的にはアミーリアとくっつくんだろうとは思っていたけれど、そうきたかー!という感じでした。盛り上げ方素晴らしかったです。最終巻では訳の中島賢二さんの解説もついていて、サッカレーについても語られていましたが、彼、放蕩息子だったんですね。虚栄の市は群像劇ですが、メインの登場人物の一部にそれぞれサッカレーの一部が宿っているのでしょう。中心となる登場人物はやはりアミーリアとレベッカですが、たぶんサッカレーはどちらのことも好きなんだと思います。レベッカは悪女だとか、最終的に殺したか殺してないかという議論もあるようですが、サッカレーがどちらとも断言しなかったのは正しい姿勢だと思います。断言しちゃいけないところですよね。私個人としては、レベッカは殺してない派です。立派な小悪党ではありますが、そこまでの悪女ではないと思っているので。しかしドビン少佐はいい男だった。何よりアミーリアにとって、自分を本当に大事にしてくれる人をちゃんと好きになれたことが最大の幸せだと思います。どんなに自分を大事に思っていてくれて、相手がどんなに素晴らしい人であっても、恋人として好きになれないことってありますからね。アミーリアは幸運だった。レベッカもロードンのことは好きだったと思いますけどね。解説でも語られていましたが、ロードンが相続するはずだったお金が手に入らなくても笑い飛ばせる女房だったわけで、それってなかなかいい女じゃあないですか。タフだし。クライマックスでアミーリアの目を覚まさせるときの振る舞いなんて、中国の列伝ものに数えられそうなくらいの名場面でしたよ。全巻通して、非常に面白かったです。19世紀の虚栄の市でのどんちゃん騒ぎ、そして今日も明日もこれからも、人生劇場は続いていくのですね。 >> 続きを読む
2016/02/27 by ワルツ
出版年月 - 2004年3月発行,出版の書籍 | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト
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