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(株)国書刊行会 (コクシヨカンコウカイ)

企業情報
企業名:国書刊行会
こくしよかんこうかい
コクシヨカンコウカイ
コード:336
URL: http://www.kokusho.co.jp
      モナ・リザの家政学

      佐々木隆1991/05

      カテゴリー:家政学、生活科学
      5.0
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      • 「サザエさん」の磯野家、「渡る世間は鬼ばかり」の岡倉家、小島家は、おそらく最も有名なTV上の家族でしょう。一方はほのぼのしたイメージがあり、また一方はなんとも言えない暗いイメージがありますが、家政学的な立場から見ると、同じものであることが言えます。それを以下に示してみましょう。まず引用したい文章があります。

        『特にサザエさんのお父さんもサラリーマンで、お母さんも専業主婦で、主婦が二人とも家にいる生活は現在の三世代家族でも珍しいと思われます。このフィクションを成立させるために、嫁と姑の対立がない妻方居住という形態をとり、サザエさんが働きに行かないようにするためにタラちゃんは幼稚園以前の年齢に止められているのです。』
          (「モナ・リザの家政学」:佐々木隆・国書刊行会・65P)

         この論考では、サザエさん一家が安定している理由が明解に語られています。このような設定を置いた長谷川町子は、なるほど優れていたな、と思われます。綿密な計算の上に磯野家は創造されたのです。「フネ」は「サザエ」の実母です。嫁・姑の争いは起きません。

         その観点から言えば、橋田壽賀子脚本の「渡る世間は鬼ばかり」の小島家の場合、母の「小島きみ(赤木春恵)」から見ると、頼んでもいないのに来た押しかけ女房である「小島五月(泉ピン子)」は、憎めども憎み足りない相手でしょう。通常の嫁・姑の争い以上のパラレルワールドが、小島家では日常的に繰り返されていたのです。(という言い方をするのは、新シリーズでは、赤木春恵が出演していなかったからです。その代わり、何かと言うと「財産分与権放棄」を言い募る・沢田雅美演じる小姑がいます。ちょっと弱いな。もっとも、「渡鬼」自体は完結してしまいましたが。)

         嫁・姑問題を見事に回避して表面に現れないようにしているのが「サザエさん」、表面に出し、ずぶずぶの泥沼状態になっているのが「渡る世間は鬼ばかり」です。現れかたは正反対とは言え、嫁・姑問題が重要なファクターであるのはどちらも同じです。

         その上に、もう一つの決定的な観点を挙げます。・・・「不倫(浮気)」が描かれているか?ということです。不倫問題は嫁・姑問題とは違い、夫婦である男女当事者間の直接的問題なので、離婚・家庭崩壊に直結しますので、これは深刻な問題です。さて、「サザエさん」の場合・・・「マスオさん」は家と会社の間を往復してキャバレーとかスナックには決して寄らない「いい夫、いいお父さん」です。不倫が取上げられる余地は絶対にありません。むしろ、そのような「いい」ダンナさんを一般に「マスオさん」というくらいですよね。

        そして、これまでの「渡鬼」シリーズを振り返ってみると、意外にも、「渡る世間は鬼ばかり」でも、不倫の話は出て来ないのです。あれほど岡倉家出身の娘たちの夫婦(5組)がいて、気が滅入る話のオンパレードなのに、ただの一件も不倫騒動はありません!!これは驚きです。 これはどうしたことでしょうか?

        思うに、「サザエさん」も「渡る世間は鬼ばかり」も、視聴者に安心感を与えるのが目的で作られているのでしょう。嫁・姑問題については、触れないという選択肢を取るとか、前面に押し出しドラマの「アクセント」に出来たりしますが、家庭崩壊につながる不倫という重いテーマでは、視聴者は安心感が得られないのです。だからこの不倫というテーマは厳重に封印する必要があるのだろうと思われます。賢明な選択です。

        (こう書いてきて、ふと、シリーズの初期、4女の葉子(野村真美)にちょっと不倫っぽいお話があったことを思い出しました。フィアンセ(船越英一郎)の母(草笛光子)に仲を裂かれた葉子、彼が別の女性と結婚後も彼とこっそり恋人感覚で付きあっていたというエピソードですが、これは大事に至らなかったようですので、このまま話を続けます。私の知りうる限り、この一例が例外です。まあ、「渡鬼」では不倫のお話は稀だとトーンダウンしておきます。)

         このように、「サザエさん」と「渡る世間は鬼ばかり」は同じ構造を持ったお話なのです。つまり、家庭崩壊に至るほどの問題、その核心を隠蔽するという点で、同型なのです。物語を演じる主婦と、それを見る主婦の立場と心理は絶対に安泰なのです。「自分の貞淑な妻ぶり」が再確認できますものね。両作品とも、シリーズが長続きする秘訣は、こんなところにあるわけです。まあ、毒にも薬にもならない。

        まあ、お手軽に安心感を得たいという、幼児的な視聴者におもねった作品ですね。両方ともに。このレベルの作品がハバを利かせている限り、日本人の精神年齢も低いままでしょう。家庭崩壊しない範囲でのスリル(ユーモア)を味わいたい視聴者と、それを保証するドラマ(アニメ)。

        「安心感」というのは、ドラマなりアニメなりがシリーズ化するのには不可欠で、ギャグマンガ家としての才能は赤塚不二夫に及ばない藤子不二雄のアニメ(もちろん「ドラえもん」など)が、長期にわたって人気を保っているのは、赤塚ほど過激なギャグで見るものを不安にしないからだと思われます。
        最後に:「わたおに」のプロデューサー「石井ふく子」さんは、常々女優たちに「忍耐」を訓えているそうですが、それは例えば「嫁・姑問題」に耐えて家庭を維持し、ゆめゆめ不倫はするな、との教えに思えてきます。その説教を聞くこと自体、女優にとっては「忍耐」であることを、石井さんは知らないと見えます。

        それにしても、石井ふく子・橋田壽賀子のコンビに頭の上がらぬ女優・俳優の多いこと。それもこれも上記の日本人の精神構造に支えられているのですね。このコンビのドラマが「下らない」とする、私のような視聴者が増えれば、このコンビも芸能界から退場になるのにね。今時、自前のキャラクターで視聴率の取れる木村拓哉とか織田裕二、松嶋菜々子くらいでしょう、このコンビに諂(へつら)わなくていいのは。まあ、諂うものの中では泉ピン子が威張っていますが。
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        2013/08/26 by iirei

      • コメント 18件
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      夜明け前のセレスティーノ

      ArenasReinaldo , 安藤哲行2002/04

      カテゴリー:小説、物語
      5.0
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      • 今回読了した「夜明け前のセレスティーノ」の作者レイナルド・アレナスといえば、本好きには「めくるめく世界」によって、また映画ファンには「夜になるまえに」の原作者として名が知られている、キューバ出身の亡命作家ですね。

        この「夜明け前のセレスティーノ」は、そのアレナスのデビュー作で、寒村の農家に暮らす少年の目に映った世界を、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を彷彿とさせるような、詩的リアリズムにのっとった語りで再構成されている作品なんですね。

        豊饒なイメージの断片の連なりで成っていて、説明できる筋なんてないんですね。
        例えば、こんな具合に----「とっても大きな雲がふたつ、ぶつかりあい、粉々になった。その断片がぼくの家の上に落ち、地面に押し倒した。雲の断片がそんなに重くて大きいものだなんて思ってもみなかった。まるで刃があるみたいによく切れ、そのひとつがぼくのじいちゃんの頭を見事にちょんぎった」

        食べるにも困るほど貧乏で、斧を振り回すおっかない「じいちゃん」が暴君のように一家に君臨していて、「ばあちゃん」は意地悪で、「かあちゃん」も怒ってばかり。
        「ぼく」を取り巻く世界は、とてつもなく悲惨なんだけど、少年の奔放な想像力は現実にくじけない。

        憎きじいちゃんには、何通りもの奇抜なやり方で正義の鉄槌が下され、生活やつれした怒りんぼうのかあちゃんは偽物で、本物のかあちゃんは「ぼく」を膝に乗せてお話をしてくれる。

        そして「ぼく」のそばには、葉っぱや木の幹に詩を書き連ねる従兄のセレスティーノがいてくれて、二人は赤土で作った大きな城でパーティをしたり、夜中に家をこっそり抜け出して、小さな冒険に繰り出したりもする。
        そして、じいちゃんやばあちゃんの攻撃から、互いをかばい合うのだ。

        妖精や魔女とだって話ができる少年の意識は、"夜明け前"の状態だから、祖父母も母親もひとつの像を持たない。
        その時々の気分によって、様々に姿を変える。

        セレスティーノだって、実は未分化な少年の自我が生み出した分身なのかもしれない。
        すべての登場人物は、少年の想像力の中で、いつしか誰が誰との区別を失い、厳しく窮屈な現実は、愉快で伸び伸びしたファンタジーと溶け合ってしまうのだ。

        これは、物語の宝庫としての幼年期を、リズム豊かな文体でイメージ鮮やかに描き出した、神話クラスの広がりと深みを持つ小説なのだ。

        映画「夜になるまえに」を観て、穴の中に取り残された幼児が、土を食べるシーンに「嘘だろ!」と思った人は、是非、この小説を読んでもらいたいですね。

        土喰らう現実が生み出す、想像力の強靭さとしなやかさに驚嘆すること請け合いですから。

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        2018/06/15 by dreamer

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      日本の女性名 歴史的展望

      角田文衛2006/05

      カテゴリー:系譜、家史、皇室
      4.0
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      •  その昔、かなり長いあいだ或る場所に拘束されたことがあって(刑務所じゃないよ)、暇つぶしにプルーストでも読もうと思ったが、やや気乗りしなくてこの本を図書館で借りた。物語を読むというよりは、何か研究めいたことがしたかったらしい。そうして、女性の名前の研究をはじめた。
         わたしの関心事はただ一つ、自分が好きな女性名を見つけることだ。その為に、この本の力を借りて、古代から現代を彩る女性の名前の来歴を、光の上に乗った気分で辿ってみた。残念ながら、名前の歴史性とわたしの好みは無関係だった。唯一の収穫として、植物の名に「子」を加えた名前が好みと判明した。結局、わたしが好きなのは「あかり」と「ゆかり」で、これは今でも変わらない。
         しかし今、とても気になる名前がある。昨年行われた世界バレーを偶然見ていたとき、「迫田さおり」という選手の眼に釘付けになった。こんなこと言うと可笑しいが、ジャンヌ・ダルクと同じ眼をしている気がした。そのうえスタイルもかなりいい。ダンサー好きで有名だった物理学者のファインマンでも、彼女のスタイルを認めるだろう。どうやら話の行き止まりまで来たらしい、素直にペンを置くことにします。
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        2015/01/12 by 素頓狂

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      ミステリウム

      増田まもる , McCormackEric P2011/01

      カテゴリー:小説、物語
      5.0
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      • フーダニットと、ハウダニットと、ホワイダニット。
        ミステリの世界では、たいていの場合、犯人もトリックも動機も明らかにされるけれど、それはお話だからです。

        犯人とトリックはともかく、現実の世界において、動機が白日の下にさらされることは少ないものです。
        いや、動機そのものが存在しないことすらままあるものです。
        世界で起きる多くの出来事は、恐ろしいことに、ただ起きるんですね。

        今回読了したカナダの作家エリック・マコーマックの「ミステリウム」は、そのような動機なき世界のありようを描いて、戦慄的な作品でしたね。

        物語の舞台は、〈島の北部〉にある小さな炭鉱町キャリック。
        周囲を低い丘が連なり、霧に包まれることの多いこの町に、ある日、〈植民地〉から一人の男がやってくる。

        水の循環を研究する水文学者を名乗るその男カークは、町にひとつしかない宿に滞在する。
        やがて、町のそこここで不審な事件が発生する。

        戦死者の記念碑や墓地の墓石が破壊され、強い酸性の液体をかけられた図書館の本は溶け、羊飼いの男が撲殺されたうえ、唇を切り取られる猟奇的な殺人までが起きるのだ。

        そればかりか、まずは動物が、やがて子供たちが原因不明の病に侵されて次々と死んでいき-------。

        大学に通うかたわら新聞社で記者見習いをしている〈私〉が、行政官ブレアの依頼で、それらの事件を取材することになる。
        町の薬剤師ロバートが書いた文書を読み、死の床についている住民たちから話を聞くことで、器物破損や殺人事件の犯人は誰なのか? 町に蔓延する死病は伝染病なのか? 飲料水に毒が混入されたのか? を調査していくのだった。

        だとすれば、犯人は一体誰なのか? そもそも動機は何なのか? といったたくさんの謎に迫ろうとするのが、この物語の骨子なのだ。

        粗筋だけをみると、いかにも順当なミステリだという気がしますが、この小説のタイトルは「秘密」「儀式」といった意味を持つ古いラテン語の「ミステリウム」。
        一筋縄ではいかない小説なんですね。

        語り手の〈私〉と読者である私たちは、はじめ、すべては植民地からやってきたカークの仕業だと疑うロバートの文書によって、キャリックという小さな町を翻弄している事件の渦中へと入っていくんですね。

        つまり、ロバートの誘導によって、ある意味、安心して謎の核心へと近づこうとする。
        しかし、その後、ロバートの幼馴染みのアンナをはじめとする、住民たちへの聞き取りを進めていくにつれ、〈私〉と私たちが抱いていた予断は大きく揺さぶられ、やがて、核心の周囲を回るばかりで、一向に近づけないもどかしさに身をよじることになるのだ。

        その過程で明らかになる町の昏い過去。
        すると、〈私〉と私たちは、溺れる者は藁をもつかむの伝で、今度は過去の因果としての現在の町の悲劇という予断を持つ。

        だとしたら、過去と現在をつなぐキーパーソン、つまり犯人は誰なのか? カークなのか? カークだとするなら、余所者である彼にどんな動機があるのか? 結論を急ぐ〈私〉と私たちを、しかし、アンナはこんな言葉で、さらに混乱させるのだ。

        「真実? 真実を語るのが可能なのは、あなたがあまりよく知らないときだけよ」-------。

        かくして、語り手と読者は二転三転するプロットの果てで、驚くべき"真実"を前に慄然とさせられるわけですが、それが明らかになるまでの過程には、ミステリとしての愉しみだけでなく、文学理論を応用したパロディをはじめとする知的な遊びや、それ自体、短篇小説のように味わえる、おぞましかったり、美しかったりする、たくさんの印象的なエピソードが用意されていて、読んでいて退屈するということがない。

        久し振りに格闘しがいのある、現代文学の愉悦に浸れましたね。

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        2018/06/20 by dreamer

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