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ハーマン・メルヴィル (1988/11)
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この「代書人バートルビー」は、「白鯨」の著者でもあるハーマン・メルヴィルの不条理文学の秀作です。バートルビーと言えば、"無為"というくらい、文学の世界では少しは名の知れた登場人物です。この無為の人、法律事務所に代書人として雇われるのですが、雇い主の「私」から、ちょっとした書類を一通、一緒に点検して欲しいという仕事を頼まれても、「せずにすめばありがたいのですが」と断ってしまうのです。雇い主が逆上しても、そのセリフを繰り返すだけ。書類を作成する筆写の仕事以外、一切しようとしないのです。その点検だって、自分の仕事のうちなのに、オウムのように「せずにすめばありがたいのですが」を繰り返して、拒み続けるばかり。食べるものはといえば、ジンジャー・ナッツだけ。家にも帰らず、事務所に住みついてしまうバートルビーは、変種のひきこもりと言えるのかもしれません。やがて、バートルビーは、筆写の仕事すらやめてしまうのです。雇い主からは当然、事務所から出ていって欲しいと言われるに決まっているんですね。ところが、バートルビーは、このクビの宣告も「いかずにすめばありがたいのですが」と一向に意に介しません。果たして、バートルビーの運命やいかに?ただ言えるのは、私はこのバートルビーという、どこから来たのか、何者なのか、まるっきり素性の知れない、謎の人物が抱えているほどの"虚無感"と、世界への"拒絶感"を知らないということです。敢えて、一番近いキャラというと、カフカの「断食芸人」あたりかも知れません。かつて、イギリスの生理学者として有名なJ・B・S・ホールデンが、こんなことを言っていました。「この世界は不思議な事物がなくとも消滅しないが、驚異の感情がなくなったら消滅するだろう」と。この「代書人バートルビー」は、私たちの"驚異の感情"を、笑いのうちに呼び覚ましてくれる、そんな本なのです。 >> 続きを読む
2019/05/24 by dreamer
井出弘之ホレス・ウォルポール (1983/09)
【すべてはここから始まった】 いわゆるゴシック・ロマンスの嚆矢とされている作品。 著者のホレス・ウォルポールは英初代首相であるロバート・ウォルポールの三男(彼の息子のヒュー・ウォルポールも「銀の仮面」などで知られる作家です)。 自らストロベリー・ヒルにゴシック趣味の城を建築するなどのディレッタントとしても知られます。 さて、問題は本書です。 この作品は、この後あまた連なり生み出されたいわゆるゴシック・ロマンスの最初の作品とされています。 ゴシック・ロマンスとはどんな作品かと言えば、古い城、幽霊、怪奇現象などなどが鏤められた恐怖譚と言えば良いでしょうか。 その記念すべき第一作が本作なのです。 粗筋をご紹介すると、中世イタリアにあったオトラント城。 その城主のマンフレッドは先代城主を弑逆し、城主の地位を僭称する輩。 病弱な息子を近隣城主の娘であるマチルダ姫と強引に結婚させて城を継がせようとしますが、そこに現れたのが巨大な兜。 息子は兜に押しつぶされて死んでしまいます。 「先代城主の呪いだ!」と糾弾する農民姿のセオドア。 逆上したマンフレッドは、セオドアこそが息子を殺したのだと決めつけ(何とご無体な!)、セオドアを幽閉してしまいます。 そして、何とか子孫を残さねばとの思いから、正妻ヒッポリタがいるにもかかわらず、彼女と離婚して、息子と強引に結婚させようとした若いマチルダ姫と結婚して子供を作ろうなどと考えます。 「そんなことは神がお許しになりませんぞ!」と諫める司祭など全く相手にしません。 そんなことをしているうちに、オトラントの城には様々な怪奇現象が現れ始めます。 絵の中の人物が絵を抜け出して徘徊する。 落ちてきた巨大な兜と対をなすものなのか、籠手だけがさまようなどなど。 今読むとさすがに古色蒼然としている感は拭えませんが、この作品があったからこそ、その後の「フランケンシュタインの怪物」、「ジキル博士とハイド氏」、「吸血鬼ドラキュラ」などの誰でも知っているような作品が生まれてくることになったわけです。 残念ながら、現在我が国でこの作品はあまり読まれなくなってしまったようですが、歴史的意味のある作品ですので、何かの機会に手に取ってご覧になられるのも一興かと思います。 >> 続きを読む
2019/01/20 by ef177
AltickRichard Daniel , 浜名恵美 (1990/07)
【教育か娯楽か。それが問題だ。】 しばらく間が空いてしまいましたが、以前レビューした『ロンドンの見世物』の最終巻をようやく読み終えました。 いやぁ、このシリーズ、密度が濃いので読むのが結構大変なんですよね。 そのため、2巻までは読んだものの、最終巻に手をつけるのがためらわれてしまい、なかなか読み出せずに引っ張ってしまいました。 さて、第三巻は1798年~1817年にかけてスプリング・ガーデンズのグレイト・ルームで公開された自動人形の話題から始まります。 様々な芸を見せる機械仕掛けの人形がブームになったんですね~。 第一巻でも触れていましたが、『メルツェルの将棋指し』なんかが有名です。 もっとも、この将棋指し人形はインチキで、その点については、ポオが『メルツェルの将棋指し』という作品で、「中に人が入ってるんだぞ!」とからくりを暴露しちゃいました。 このポーの作品も人気を煽る要因の一つになったというから皮肉なものではあります。 このような自動人形が人気を博した理由の一つとして、大衆の科学に対する関心という点があったのだということです。 この時代、産業革命を目前に控え、様々な技術が開発され、科学万能感のようなものも醸成され、機械によってどんなことでもできる的な夢が広がっていった時代だったのかもしれません。 労働者に対する啓蒙的な意味合いも込めて(職工学校普及運動とも関連していたそうです)、色々なカラクリ仕掛けが盛んに公開され人気を呼んだのだとか。 さらに教育的色合いを強めたのはロイヤル・インスティテューションで行われた一連の科学講演でした。 炭鉱で安全に使用できるライトであるデービー灯を発明したハンフリー・デイヴィや、子供たちを相手に恒例のクリスマス講演で『ろうそくの科学』を披露したマイケル・ファラデーらの科学講演が人気を博したのです。 このような教育的側面をさらに進めた『見世物』施設は色々と作られたようなのですが、中でもポリテクニック・インスティテューション(科学技術会館)が注目されるところです。 ここでも様々な出し物が公開されたのですが、酸水素顕微鏡(どういうものなんだ?)なる物で様々な物を拡大して見せたのだそうです。 その白眉は、テムズ川の一滴の水に潜むうじゃうじゃとした微生物だったとか。 「うへ~。こんなもん飲んでたのかぁ。」的な驚きがあったのでしょう。 で、じゃあテムズ川を浄化しようとなるかというとそうはならず、人々は「こんな水なんか飲むのをやめて、ギネスかウィトブレット・ビールに限る!」となったんだとか(あらら)。 しかし、大衆が本当に科学的啓蒙を求めていたのかというとどうもそうでもなかったようなのです。 当初は物珍しさも手伝い、盛況だった科学演目も、徐々に翳りがさし始め、ポリテクニック・インスティテューションでも出し物が段々様変わりしていくのです。 演芸をやり始め、こっちの方が人気が高くなっていったようなんですね。 教育を主目的にと設立されたは良いものの、やっぱり大衆は教育より娯楽を好んだようなんです。 かくしてポリテクニック・インスティテューションを始めとする教育施設は、徐々に大道芸人たちの演芸場的なものになっていったとか。 このような『見世物』に政府はどのように関与したかというと、基本的に干渉していないのだそうです。 もっぱら民間により推進させられていたようなのですが、4つだけ、国家的な文化施設がありました。 それは、ウェストミンスター寺院、セント・ポール大聖堂、ロンドン塔、大英博物館でした。 これらの公的機関は、当初は大衆の入場を制限し、また、入場料を徴収していたのですが、それで良いのかという議論が国会でも沸き上がったのだとか。 諸外国ではこういった公的施設では入場料など取らず広く大衆にも開放されているというのに、イギリスは情けないという議論なのですね。 金銭面では特にウェストミンスター寺院は批判のやり玉に挙げられ、入場料を取るばかりか寺院内の様々な物を見ようとする度に堂守がその都度金を徴収する意地汚い場所だと批判されたのだそうです。 また、大英博物館もろくに整理されておらず、劣悪な環境に収蔵物をぎゅう詰めにし、しかも公開時間が短いとは何事だというわけです。 一方で、大衆が押し寄せてきたらあいつら何をしでかすか分からないという議論もあり、この辺り、当時のイギリスの階級意識がモロ見えの議論が国会で行われていたんですね。 解放賛成派は、大衆が安酒場に入り浸るのを防げるから開放すべきなんていう主張までしていたとか。 この議論には、労働時間の短縮も影響しており、徐々に労働時間が短縮されていた時期ですので、仕事が終わった後見物できるように施設開放時間を伸ばせというような議論もあったようです。 そして、国家的営為と言えば忘れちゃいけない水晶宮です。 1851年、ロンドンで開催された第一回万国博覧会のパビリオンですね。 これが大人気! 壮大な国家的見世物小屋だったわけです。 万博終了後も、水晶宮を壊してしまうのは忍びないということで、ロンドン南郊のシデナムに移設され、ますます見世物小屋的色合いを強めて運営されていたそうです。 そんなこんなを経て、再びパノラマに戻ってきます。 いやぁ、ロンドンっ子ってパノラマ好きなんですかねぇ。 一時、凋落したパノラマも完全に息の根を止められていたわけではなかったようなのですが、そこにスターが登場したのです。 その名もアルバート・スミス! もとは医者だったのですが、根っからの旅行好きだったこともあり、自分が訪れた場所の探訪記的な出し物を演じて大ヒットだったそうです。 中でも『モンブラン登頂』という演目がすこぶる人気が高かったのだとか。 一応、パノラマということになってはいるのですが、従来のように大きな絵を見せるだけというのとは異なり、スミスの軽妙な語りや歌がメインで、絵はその添え物的な出し物だったそうです。 これがヒットすると似たような演目があちこちで行われるようになるのですが、スミスはエンターテイナーだったのでしょうね。 彼の語りは他を寄せ付けなかったようです。 で、これってよくよく考えてみると、もはやパノラマというよりも映画やテレビの先駆け的な演目なんじゃないですかね? そうなんです。 長く栄華を誇ったロンドンのパノラマですが、遂に息の根が留まる時代を迎えるのです。 それが写真であり、ぼちぼち上映され始めた映画だったのですね。 こうしてロンドンの見世物は一つの時代を終えていくのでした。 というわけで、全3巻にわたり、ロンドンで公開されたあれやこれやの見世物をご紹介し、当時の風俗や文化にも立ち入った大変な労作がこのシリーズです。 本当に情報量が多く、また、よく調べたなぁと思わせる作品になっています。 地味な本ですが、良書でもあると思いますので、図書館などでお見掛けの際は、ちょっと読んでみると面白いのではないでしょうか。読了時間メーター□□□□□ しばらくお待ち下さい(5日以上、上限無し) >> 続きを読む
2020/05/20 by ef177
佐々木隆 (1991/05)
「サザエさん」の磯野家、「渡る世間は鬼ばかり」の岡倉家、小島家は、おそらく最も有名なTV上の家族でしょう。一方はほのぼのしたイメージがあり、また一方はなんとも言えない暗いイメージがありますが、家政学的な立場から見ると、同じものであることが言えます。それを以下に示してみましょう。まず引用したい文章があります。『特にサザエさんのお父さんもサラリーマンで、お母さんも専業主婦で、主婦が二人とも家にいる生活は現在の三世代家族でも珍しいと思われます。このフィクションを成立させるために、嫁と姑の対立がない妻方居住という形態をとり、サザエさんが働きに行かないようにするためにタラちゃんは幼稚園以前の年齢に止められているのです。』 (「モナ・リザの家政学」:佐々木隆・国書刊行会・65P) この論考では、サザエさん一家が安定している理由が明解に語られています。このような設定を置いた長谷川町子は、なるほど優れていたな、と思われます。綿密な計算の上に磯野家は創造されたのです。「フネ」は「サザエ」の実母です。嫁・姑の争いは起きません。 その観点から言えば、橋田壽賀子脚本の「渡る世間は鬼ばかり」の小島家の場合、母の「小島きみ(赤木春恵)」から見ると、頼んでもいないのに来た押しかけ女房である「小島五月(泉ピン子)」は、憎めども憎み足りない相手でしょう。通常の嫁・姑の争い以上のパラレルワールドが、小島家では日常的に繰り返されていたのです。(という言い方をするのは、新シリーズでは、赤木春恵が出演していなかったからです。その代わり、何かと言うと「財産分与権放棄」を言い募る・沢田雅美演じる小姑がいます。ちょっと弱いな。もっとも、「渡鬼」自体は完結してしまいましたが。) 嫁・姑問題を見事に回避して表面に現れないようにしているのが「サザエさん」、表面に出し、ずぶずぶの泥沼状態になっているのが「渡る世間は鬼ばかり」です。現れかたは正反対とは言え、嫁・姑問題が重要なファクターであるのはどちらも同じです。 その上に、もう一つの決定的な観点を挙げます。・・・「不倫(浮気)」が描かれているか?ということです。不倫問題は嫁・姑問題とは違い、夫婦である男女当事者間の直接的問題なので、離婚・家庭崩壊に直結しますので、これは深刻な問題です。さて、「サザエさん」の場合・・・「マスオさん」は家と会社の間を往復してキャバレーとかスナックには決して寄らない「いい夫、いいお父さん」です。不倫が取上げられる余地は絶対にありません。むしろ、そのような「いい」ダンナさんを一般に「マスオさん」というくらいですよね。そして、これまでの「渡鬼」シリーズを振り返ってみると、意外にも、「渡る世間は鬼ばかり」でも、不倫の話は出て来ないのです。あれほど岡倉家出身の娘たちの夫婦(5組)がいて、気が滅入る話のオンパレードなのに、ただの一件も不倫騒動はありません!!これは驚きです。 これはどうしたことでしょうか?思うに、「サザエさん」も「渡る世間は鬼ばかり」も、視聴者に安心感を与えるのが目的で作られているのでしょう。嫁・姑問題については、触れないという選択肢を取るとか、前面に押し出しドラマの「アクセント」に出来たりしますが、家庭崩壊につながる不倫という重いテーマでは、視聴者は安心感が得られないのです。だからこの不倫というテーマは厳重に封印する必要があるのだろうと思われます。賢明な選択です。(こう書いてきて、ふと、シリーズの初期、4女の葉子(野村真美)にちょっと不倫っぽいお話があったことを思い出しました。フィアンセ(船越英一郎)の母(草笛光子)に仲を裂かれた葉子、彼が別の女性と結婚後も彼とこっそり恋人感覚で付きあっていたというエピソードですが、これは大事に至らなかったようですので、このまま話を続けます。私の知りうる限り、この一例が例外です。まあ、「渡鬼」では不倫のお話は稀だとトーンダウンしておきます。) このように、「サザエさん」と「渡る世間は鬼ばかり」は同じ構造を持ったお話なのです。つまり、家庭崩壊に至るほどの問題、その核心を隠蔽するという点で、同型なのです。物語を演じる主婦と、それを見る主婦の立場と心理は絶対に安泰なのです。「自分の貞淑な妻ぶり」が再確認できますものね。両作品とも、シリーズが長続きする秘訣は、こんなところにあるわけです。まあ、毒にも薬にもならない。まあ、お手軽に安心感を得たいという、幼児的な視聴者におもねった作品ですね。両方ともに。このレベルの作品がハバを利かせている限り、日本人の精神年齢も低いままでしょう。家庭崩壊しない範囲でのスリル(ユーモア)を味わいたい視聴者と、それを保証するドラマ(アニメ)。「安心感」というのは、ドラマなりアニメなりがシリーズ化するのには不可欠で、ギャグマンガ家としての才能は赤塚不二夫に及ばない藤子不二雄のアニメ(もちろん「ドラえもん」など)が、長期にわたって人気を保っているのは、赤塚ほど過激なギャグで見るものを不安にしないからだと思われます。最後に:「わたおに」のプロデューサー「石井ふく子」さんは、常々女優たちに「忍耐」を訓えているそうですが、それは例えば「嫁・姑問題」に耐えて家庭を維持し、ゆめゆめ不倫はするな、との教えに思えてきます。その説教を聞くこと自体、女優にとっては「忍耐」であることを、石井さんは知らないと見えます。それにしても、石井ふく子・橋田壽賀子のコンビに頭の上がらぬ女優・俳優の多いこと。それもこれも上記の日本人の精神構造に支えられているのですね。このコンビのドラマが「下らない」とする、私のような視聴者が増えれば、このコンビも芸能界から退場になるのにね。今時、自前のキャラクターで視聴率の取れる木村拓哉とか織田裕二、松嶋菜々子くらいでしょう、このコンビに諂(へつら)わなくていいのは。まあ、諂うものの中では泉ピン子が威張っていますが。 >> 続きを読む
2013/08/26 by iirei
井上良夫 (1994/07)
【非常にクリティカルな評論だ】 井上良夫氏(1908~1945)は、ミステリの翻訳家であり評論家です。 中学時代は江戸川乱歩の後輩だったそうで、同時代を生きた方なんですね。 本書は、井上氏が『ぷろふいる』、『新青年』などに執筆したミステリ評論を集めた一冊です。 読んでみてまず気が付くのは大変クリティカルな評論であるということでした。 取り上げている作品書評や、ミステリ評論には概ね同意でき、その評論眼の確かさがうかがえます。 例えば、江戸川乱歩も多数のミステリ評論を残していますが、乱歩の場合、時として「そうか?」と思うものもあるのに対して、井上氏の評論にはほとんど異議がありませんでした。 まあ、もちろんそれは私の趣味の問題という点もあるのですけれど、それにしても確かな評論だと思いました。 書かれた時代が時代ですので(昭和8年~昭和22年)、今となっては読まれなくなったミステリも多数取り上げられており、なかなか興味深い点です。 また、表記が懐かしいのです。 例えば、コーナン・ドイル、クリスチイ、ドロシイ・セイアーズなどなど。 この辺は誰を指しているのかもちろん分かるのですが、私、一瞬「誰だ、それ?」と思ってしまった表記もありました。 作中人物の表記なのですが、ドルリー・レーン名義で書かれた、『Xの悲劇』、『Yの悲劇』、『Zの悲劇』、『最後の事件』についての評論中に『タム』という作中人物の名前が出てくるのです。 最初、???だったのですが、そうか、サム警部か!(サムってSamじゃないのかね? Thamみたいな表記ってあるのかしら?) 昔は『タム』と表記していたのかあと、思わずにんまりしてしまいました。 また、クリスティを非常に高く評価しているのですが、何故か『オリエント急行殺人事件』位までしか触れていないのです。 これは解せない……と思ったのですが、もしかしたらこの時代、まだ『ABC殺人事件』などは翻訳されていなかったのかもしれません(井上氏は、洋書でも取り寄せて読んではいたようですが)。 大体、ドルリー・レーンとエラリー・クイーンが同一人物だということに気付かずに評論を書いてしまい、その後そのことを知って驚いたなどという文章もある位ですから、その時代だったのだなぁと感慨深く読みました。 今読んでも参考になる評論もあり、なかなか侮れない一冊だと思います。 ミステリ好きな方はご一読されるのも興味深いのではないでしょうか。読了時間メーター□□□□ むむっ(数日必要、概ね3~4日位) >> 続きを読む
2021/08/28 by ef177
田辺貞之助 , HuysmansJoris Karl (1994/02)
【腐蝕していく肉体~聖女リドヴィナ】 リドヴィナは、1380年、オランダの小村であるスヒーダムの貧家に生まれた少女です。 美しい少女で、15歳までは健康に育ったのですが、15歳の時、友人に誘われて半ば無理矢理スケートに連れ出された時、友人が衝突してきて肋骨を骨折し、以後、この世にあるありとあらゆる病苦を一心に背負ったとされています。 彼女は、他者の不品行の償いや、病苦を自らの身体に転化することによって人びとを救済したとされ、列聖されました。 本書は、そんな聖女リドヴィナの生涯を、様々な文献を元にしてまとめあげた作品です。 リドヴィナは、その病苦のために、身体が腐敗し、腹は割けて内臓が飛び出し、血の涙を流し、手足は萎え、皮膚はただれ、健康な身体の部分などどこにもない程醜く崩れ落ちました。 ですが、その身体は薫香を放っていたとされています。 そして、臨終を迎えた後、病苦にさいなまれる前の美しい身体に戻ったとのことです。 ご承知のとおり、作者のユイスマンスは、あのディレッタント文学の粋とも言われる『さかしま』を書き、その中ではデカダンスの極みに達したわけですが、その後、キリスト教に回心したとされています。 あの『さかしま』を書いたユイスマンスが? と、人びとを驚かせ、それはまやかしではないのかとも言われたそうですが、当のユイスマンスは、回心に至る道を、その苦悩を『出発』などの作品に赤裸々に描いています。 そんな回心後のユイスマンスにより書かれたのが本書です。 そこには聖女リドヴィナが、己の肉体に科せられた余りの苦難をどう乗り越え、神の下に到達したのかが描かれていきます。 この作品は、ユイスマンスの『ルルドの群集』と同列に並ぶ作品でしょう。 『ルルドの群集』では、信仰の力によりあらゆる病を癒すとされるルルドの泉のこと、そこに群がる群集の様を描き出しています。 本書は、伝記的に、リドヴィナが生きた53年の生涯を、その奇蹟と共に実直に描いています。 そこには、信仰を強いるような態度はなく、淡々とリドヴィナの生涯を追っていきます。 私は、信仰を持たないものですが、ユイスマンスが好きなことから本書も手にとってみました。 信仰を持たない者も、一つの奇蹟物語として、素直に読まれれば良いのではないでしょうか。 ユイスマンスの静かな筆に、時に感動を覚えたことも事実です。 >> 続きを読む
2020/01/10 by ef177
若島正 , IrwinRobert (1999/09)
【混沌としたアラビアの悪夢】 いやぁ、分からない小説でした。 一度途中で挫折して、もう一度最初に戻って読み直し、ようやく最後までたどり着いたのですが、それでもよく分からなかった。 著者は、最初に、寝ながら読む物語を書きたいと言い、ガイドブックかロマンスのような作品として本作を書いたと書いています。 物語の舞台となるのは1486年のカイロ。 今、雑多な西洋人の集団がカイロに到着したところです。 商人、巡礼者、画家、技師、牧師……。 主人公となるのは、巡礼団に加わっているバリアンというフランス人です。 彼は、巡礼が主目的なのですが、フランス王宮の依頼により、マムルークの兵力を探るスパイとしての任務も帯びていました。 そして、もう一人、マイケル・ヴェインと名乗る、正体不明の男。 一行はカイロを通過して聖カタリナ修道院に向かう予定なのですが、スルタンの孫息子の割礼儀式が行われるために、通行許可証がすぐには発行されないと言います。 バリアンは、しばらくカイロに足止めを食うことになっても、スパイをするにはそれはそれで好都合と考えます。 ところが、バリアンは奇妙な病気に冒されてしまうのです。 不思議な夢にうなされ、朝起きると口と鼻から血を噴き出してしまうのです。 次第に身体が弱っていき、夢なのか現実なのか、その区別すらつかなくなっていきます。 聞くところによると、カイロには『アラビアの悪夢』と呼ばれる奇病があると言い、バリアンは自分もその『アラビアの悪夢』にかかってしまったのではないかと疑います。 そんなバリアンの様子を見ていたヴェインは、その病気を治してやると言い、猫の父と呼ばれる者がいる『眠りの館』へ連れて行きます。 しかし、ヴェインと猫の父はどうにも胡散臭いのです。 猫の父は、「お前の病気は『アラビアの悪夢』などではない。病気を治してやるから『眠の館』に泊まれ」と言います。 しかし、バリアンは、こんな怪しげな所に泊まりたくなどないと考え、そこから逃げ出してしまうのです。 バリアンの症状は全く改善されることなく続いていくのですが、そのうちに『不潔なヨル』という男と出会います。 このヨルは、語り部として商いをしている男なのですが、猫の父とヴェインを信じてはいけないと言い、バリアンを二人から逃がしてやるのです。 そんな状況下で、何ともわけがわからない話が展開されていきます。 ヨルは、この物語自体を語っているのは自分だと言うのですが、物語の後半に殺されてしまい、それでも物語は続くのです。 そう。 この物語を語っているのはヨルではないと、何者かが話し始めます。 そもそも、書かれていることのどこが現実の話で、どこが夢の話なのか読者にも分からなくなっていくのです。 また、作中でヨルが語り部として物語を語る部分があるのですが、ここが何重もの入れ子構造になっている話で、結局どういう話なのか、読者にも分からなくなってきます。 そんな混沌とした物語が続き、最後は…… 分かりませ~ん。 いや、訳者あとがきによると、本作はカルト小説としての評価も受けている傑作なのだそうですが、とにかく分からない。 当初は、どこの出版社も出版を断った作品なのだそうですよ。 まぁ、分からないなりに夢のように読み進める物語なのかもしれませんが。 そういう作品なので、評価は難しいのですが、この位ということでご了承を。読了時間メーター□□□□ むむっ(数日必要、概ね3~4日位) >> 続きを読む
2021/01/05 by ef177
西成彦 , 長谷見一雄 , 沼野充義 , LemStanisław (1998/02)
【本書には本文が一切無いのであります】 作者のスタニスワフ・レムは、『ソラリスの陽のもとに』でも有名なポーランドのSF作家です。 しっかしこれまた不思議な作品を書いたものです。 本書は、『未来に出版されるであろう』本の序文ばかりを集めた作品集です。 序文ばかりなので、肝心の本文は全く掲載されていません。 しかもその全ての本は未だ出版されてはいない本なのです。 一体どんな本なんだ?と思いませんか? それは、例えば人体透視を書いた『ネクロピア』、未来を予測するコンピュータによって書かれたという『ヴェストランド・エクステロペディア』という百科事典の販促パンフレット、バクテリアに英語を教えようとしたアマチュア細菌学者による『バクテリア未来学』なんていう、この世界に実在しない本ばかりを取り上げているんです。 序文のみで本文が読めない本というと、イタロ・カルヴィーノの『冬の夜一人の旅人が』を思い出してしまいますね(あれは序文ではなく、物語のさわりしか読めないという意地悪な?本でしたが)。 本書もそんな感じです。 それは一体どんな本なんだ?と興味を抱いても決して本文を読むことはできないのです。 構想からして奇抜です。 序文を読みながら、決して読むことのできない本文に思いを馳せてみるのも面白いのでは? >> 続きを読む
2021/11/23 by ef177
森英俊 (1998/01)
【これは大変な労作ですよ/事典なのだけれど通読してしまいました】 タイトルの通り、ミステリ作家の事典です。 250名の作家、5200冊の作品を取り上げているということで、そのボリュームは圧倒的です。 事典ですから、各作家ごとにその作家の経歴、代表的な作品の簡単な紹介がまとめられており、項目の最後にはその作家が生み出したシリーズ探偵名および全著作のリスト、その作家に関する評論などがまとめられています。 事典なのですが、私、通読してしまいました。 これから読んでみたいと思う作品も多く、付箋を貼りまくりました。 本邦未訳の作品もかなり多いのですが(未訳作品は原題で表記され、翻訳されている作品は邦題で表記されていて区別がつくようになっています)、未訳の作品がその作家の最高傑作などと書かれているとなんだかもったいないなぁと思ってしまいます(どなたか翻訳してくれないでしょうか?)。 作品の紹介についても、対象がミステリですから決してネタばれするようなことは書かれていませんので安心して読めますよ。 また、現在のミステリ界の傾向のようなことも書かれており、アメリカではコージー・ミステリが最大勢力になっているとか。 確かにコージー・ミステリは多いなとは感じていましたが、最大勢力にまでなっているとは知りませんでした。 読んでいない作家も多く、これはますます頑張って読んでいかないとなぁと思わされました。 また、作家、作品の評価は(私が読んだものについてのみですが)ほぼ妥当だと思ったのですが、中には私が「こりゃバカミスだ!」と感じた作品の評価が思いのほか高くて驚いたものもありました。 自分の読みが間違っていたのだろうか?と不安になってしまったり。 事典ですので、何か知りたいことがあった場合に引くというのが本来的な使い方なのかもしれませんが、通読してみるとかなり濃密なブック・ガイドにもなると思います。 さすがに通読するのは大変ですから、気になる作家の項目を読んでみて、作品リストから読みたい作品を探すという方法でも十分ブック・ガイドとして役に立つでしょう。 ちょっとお高い本ですが、それだけの値打ちはあると思いました。 なお、本書の姉妹編で[ハードボイルド、警察小説、サスペンス篇]も出ています。 私、両方購入しちゃいましたので、もう一冊の方も通読後レビューしますね。読了時間メーター■■■■■ しばらくお待ち下さい(5日以上、上限無し) >> 続きを読む
2020/06/21 by ef177
PeakeMervyn Laurence , 横山茂雄 (2000/01)
【タイトル通り!】 本書の作者は、あの『ゴーメン・ガースト三部作』を書いたマーヴィン・ピークです。 『ゴーメン・ガースト』はお読みになられましたか? 私の大好きな本で、できたらマーヴィン・ピークの作品をもっと読みたいと強く願っていたのですが、どうやらそうそうは書いていない様子です。 仕方がないので、英BBCが製作した『ゴーメン・ガースト』のドラマDVDを買ったり、マーヴィン・ピークの奥様が書かれた『ゴーメン・ガースト』の続編を読んだりして渇きを癒していたのです。 どこかにマーヴィン・ピークの作品は無いものかと探し続けてようやく見つけたのが本書でした。 ……なんだかタイトルからすると、『ゴーメン・ガースト』とは程遠い内容に思えましたが、何しろ貴重なマーヴィン・ピークの著作ですので、そんなことはお構いなしにすぐに注文して入手してしまいました。 さて、実際に読んでみると……やっぱり『ゴーメン・ガースト』のおどろおどろしい話の様な物語とは全く違った作品でした。 タイトルの通り、ヘンテコな叔父さんから届く冒険一杯の手紙が綴られている、まぁ、童話なんですね。 ピークは、絵にも造詣が深く、挿絵もピーク自身が描いてます。 予想はしていましたが、『ゴーメン・ガースト』との落差にちょっとびっくり!の一冊でした。 >> 続きを読む
2021/07/17 by ef177
西崎憲 , ChestertonGilbert Keith (2001/08)
【パラドキシカルな『懺悔録』?】 チェスタトン一流の実にパラドキシカルな作品。 舞台はイギリスのとあるクラブ。 そこには『誤解された男達』なるクラブがあり、その取材に来た新聞記者に語られる4人の会員それぞれの物語です。 会員それぞれは、各自ある罪を犯しているのですが、何故そのような罪を犯すことになったかというのがテーマの作品。 これがまたひねりをきかせまくったチェスタトンらしいお話なのです。 例えば、総督は着任早々狙撃されてしまうのですが、それは何故? 自分の庭に生えている木を決して誰にも見せようとしない画家がいるのですが、どうして? 盗みを働くたびに落とし物をしてしまう不注意な泥棒がいるんですが、何故そんなに毎回落とし物をしてしまうのか? 数人の学者たちが革命を起こそうと頑張っているけれど、何故? 一見彼らはそれぞれに重大な犯罪を犯した……と思われるのですが、見方を変えるとそれは罪なのだろうか?と思わせるつくりになっています。 まったくチェスタトンらしい作品です。 >> 続きを読む
2021/11/13 by ef177
Fulcanelli , 平岡忠 (2002/09)
【大聖堂に秘められた錬金術の秘密】 ということなんですが……。 著者のフルカネリは、錬金術、ヘルメス学の分野では知られた方です。 だっけどねぇ……。 とにかく教会等の建築に錬金術の秘密は隠されているのだとほのめかすだけで、だから何よ! まったくはっきりしたことは言わずほのめかしに終始します。 これ、最後まで読んでも秘密なんて一つも解明されませんのですよ。 まぁ、そもそもの錬金術自体がまがいものではあるわけで、そんなにはっきりと、「こうすれば金が作れる!」なんて書けるわけもないのですが。 実際、きょう日、誰も金を作りたくてこの手の本を読むわけでは無し。 古来から、こうやってほのめかしを重ねて多くの人々をだまし続けて来たんだよね~という検証のための一冊というところでしょう。 まあ、くれぐれも錬金術の秘術を知ろうなどということで読まないように。 歴史的に、錬金術はどう語られて来たのかという興味で読むというのがせいぜいでしょうね。 好事家のみが読める一冊。 >> 続きを読む
2021/11/15 by ef177
山尾悠子 (2003/10)
【冬眠者と人形】 何とも不思議な味わいの作品でした。 たいへんデリケートな作品です。構成としては5編の中、短編からなっています。 最初の「銅販」で、この物語全体を見通すような主題が語られているのでしょうか。 深夜の画廊で何かの物語の挿絵のような3枚の銅版画を目にします。 1枚目は「使用人の反乱」というタイトル。 秋の終わりの森の中、荷車に積み上げられた高貴な身分と思われる人達を、その使用人と思われる人達が投げ捨てているように見えます。 高貴な人達はまだ死んではいないようですが、ぐったりしています。 2枚目は「冬寝室」。 六角形の、塔の上の部屋と思われる部屋に男性とも女性とも見分けがつかない人物がベッドに寝ています。 そのそばには大振りな人形が描かれています。窓の外は冬の景色のようです。 3枚目は「人形狂いの奥方への使い」。 幾何学庭園に庭道具を手にした老人と木箱を担いだ旅装束の若者が描かれています。 山となった落ち葉が焚かれていて白煙を上げているのですが、常緑樹で作られた庭園に何故落ち葉があるのでしょう? その後に続く中、短編は、この銅版画のモチーフを基にして語られているようです。 2編目と3編目はまさにそうで、特に3編目の「竈の秋」という中編ではその城のことが詳しく語られています。 この描写が、「ゴーメン・ガースト」を彷彿とさせるのですよ。 ええ、マーヴィン・ピークのあの奇作です。 あれに近い感覚を味わいました。 ところが、4編目になると、舞台はいきなり日本に戻ってきます。 「これは?」とややとまどいを覚えたのですが、これは……人形つながりなのか? あるいは、季節の巡りを言いたいのか? そしてラストの「青金石」で静かに幕を閉じます。 余韻の深い作品です。 まるで夢を見ているような。でも、その夢は決して楽しい夢などではないのですけれど。 >> 続きを読む
2019/01/09 by ef177
柳下毅一郎 , WolfeGene (2004/07)
【この本は危険だ。読まない方が良いのかもしれない……。】 この本、持っているんです。 タイトルに魅かれて買ってしまいました。 で、読んだのですが……ワケワカラン。 ということで、本棚のスペースを確保するために段ボール箱行きになりました。 ……でもどうしても気になる。 ずっと気になって仕方がなかったんです。 それで、今回、図書館から借りてきました(段ボール箱を発掘するより早い!)。 再読になります。 本書は、連作中編ということになるのでしょう。 三つの中編が収録されています。〇 ケルベロス第五の首 この作品が基本的モチーフを提供してくれています。 ここをしっかり読まないと、後の作品はワケワカで終わる事必至。 でも、この作品も読みにくいんだよねぇ。 普通に読んでいると、幼い兄弟が成長していく物語と読めます。 お屋敷の中で、外部との接触を絶たれて。 非常に奇妙な境遇に読めます。 で。 作者はしれっと、次々と新しい情報を織り交ぜてくるのです。 何? ここ、地球じゃないの? 主人公の少年は普通の人間じゃないのか? いや、待て、そもそも人間はここにいるのか? などなど。 少しだけ設定を書くと、人類は地球を離れて、サント・クロアとサント・アンヌという惑星に植民したようなのです(これだって確かなことではありません。私が辛うじて読み解いたところだとそう読めるというだけのことです)。 しかし、ここ、サント・アンヌには先住民がいたらしいのです。 それはアポと呼ばれていたようなのですが、とんでもない事にどんな姿にも擬態したらしいのです。 人類は、アポを絶滅させてその後この惑星に文明を確立した……と言われているのですが、本当か? 絶滅させられたのは人類の方で、今、ここに生きている少年やその他の人々はアポなのではないのか? 君たちは一体何者なのだ?〇 『ある物語』ジョン・V・マーシュ作 マーシュは最初の中編にも登場します。 どうも、地球からやってきた人類学者らしい。 この作品はかなり唐突です。 どうやら、サント・アンヌで原生していたアポたちの物語なのではないか……と思えるのですが。 だけど……、人類学者のフィールド・ワークの記録のようには読めません。 最後まで読んで、もしや、と思ったのは、これはマーシュが牢獄の中で「書こうか」と漏らしていた小説なのか?〇 V・R・T なんだ、このタイトルはと思うでしょ? そう私も思ったのですよ。 この中編は、士官が送達箱に入っていた記録を読んだりテープを聞いたりした断片から構成されているんです。 しばらく読み進めるうちに、『V・R・T』というのは少年の名前であることに気付きます。 誰だ、お前は? そもそも、この記録を残したのは……マーシュなのか? どうも、マーシュは訳の分からない状況で逮捕され牢獄に拘束され続けているようなのです。 それは、マーシュの人類学者としての記録でもあり、牢獄で書き続けている尋問された状況であり、あとは、なんだこれは? V・R・Tって、もしかしたら……。 いや、そもそも、この世界は……。 という、何だかこれまで読んできたことが根底から覆されてしまうような恐さが……。 二度目の挑戦でしたが、やっぱりワカラン! 気が付いたのは、相当に伏線が張り巡らされているということ。 これは、続けて何度か読まないと駄目だ。 ノートでも取りながら、相当に精読しないと読み解けません。 そんな本なら放り投げてしまえば良いのですが、奇妙な感覚を残すのですよ、この本。 だから、何年も経った今、また読みたくなってしまったのですね。 次に読む時は、ちゃんとノートを取りながら、しかも、最初から複数回読み返すことを覚悟して読まなければ。 このレビューも、次に読む時のためのとっかかりとして残しておく。 すこぶるやっかいな本です。 こんな本は、あるいは知らない方が良いのかもしれない。 一度読んでしまって、ココロにひっかかりを残してしまったら……それを忘れることができなくなって、何年も経っても、読み返し始めてしまうから。 私が、次に読み返すのは何年後なのだろうか……。読了時間メーター□□□□ むむっ(数日必要、概ね3~4日位) >> 続きを読む
2021/08/18 by ef177
森村たまき , WodehousePelham Grenville (2005/02)
【極めてイギリスらしい】 以前から気にはなっていたのですが、なかなか手が出なかったP.G.ウッドハウス。 そろそろ読んでみようかなと手にとったのが、ジーヴズ・シリーズの第二作目(邦訳されているものでは一番前の作品?)である本書です。 私、完全に勘違いしていたようです。 どこでどう間違ったのか、ウッドハウスとコナン・ドイルは何か関係があると思い込んでいたようです。 なので、ジーヴズ物も、何か事件が発生して、執事のジーヴズが鮮やかに解決するとか、そういうストーリーじゃないかと思い込んでいたのですね。 いや、確かに事件が発生すると言えば発生します。 ただし、犯罪というわけではなく、まぁ、どうでも良いっちゃどうでも良いような(笑)事件なんですけれどね。 ジーヴズは大変優れた(?)執事で、ウースター家のバーティーに仕えています。 で、事件というのは、例えばバーティーが意に添わない結婚をアガサ伯母から押しつけられそうになるとか、バーティーの親友のビンゴ・リトルの恋路の行方とか(いや、ビンゴは会う女性、会う女性に全部恋しちゃうんですよ)、様々な賭にどう勝つかとか。 描かれているのはイギリス上流社会でして、バーティーはお金に不自由しない大変恵まれた御身分です。 特にやることもなく、日がなぶらぶらしているところに様々な事件が降りかかるというわけですね。 賭の話が結構多く出てくるのですが、この辺りもいかにもイギリスらしいところ。 あるいは、階級差の話もありますが、これもそうですよね。 短編集なのですが、前半の作品は2話で一つのエピソードを書くというスタイル。 後半になってくると、一話一エピソードに変わってきます。 どの作品もユーモラスなものであって、私が誤解していたミステリ的なものでは全くありません。 そうですねぇ、軽いユーモア小説として読むのがよろしいのでしょう。 そんなに爆笑するほど面白いとは思いませんでしたが、ほんのりにやっとする軽い笑いと感じました。 ジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』みたいな感じかな。 ところで、ジーヴズって何歳位の設定なんでしょうね? ベテラン執事というイメージがあるので初老かな?とも思うのですが、でもジーヴズ自身の艶っぽい話もちょっとほのめかされていたりもするので、もう少し若いのかな? >> 続きを読む
2019/10/28 by ef177
浅倉久志 , 伊藤典夫 , 柳下毅一郎 , WolfeGene (2006/02)
デス博士の島その他の物語 (未来の文学)。ジーン ウルフ先生の著書。私はSF小説が好きで今までたくさんのSF小説を読んできたけれど、こんなに難しくて考えさせられたのは初めて。単純なSF小説ではなくて、奥が深いSF小説を読みたい人には自信を持っておすすめできる一冊です。 >> 続きを読む
2019/02/10 by 香菜子
角田文衛 (2006/05)
その昔、かなり長いあいだ或る場所に拘束されたことがあって(刑務所じゃないよ)、暇つぶしにプルーストでも読もうと思ったが、やや気乗りしなくてこの本を図書館で借りた。物語を読むというよりは、何か研究めいたことがしたかったらしい。そうして、女性の名前の研究をはじめた。 わたしの関心事はただ一つ、自分が好きな女性名を見つけることだ。その為に、この本の力を借りて、古代から現代を彩る女性の名前の来歴を、光の上に乗った気分で辿ってみた。残念ながら、名前の歴史性とわたしの好みは無関係だった。唯一の収穫として、植物の名に「子」を加えた名前が好みと判明した。結局、わたしが好きなのは「あかり」と「ゆかり」で、これは今でも変わらない。 しかし今、とても気になる名前がある。昨年行われた世界バレーを偶然見ていたとき、「迫田さおり」という選手の眼に釘付けになった。こんなこと言うと可笑しいが、ジャンヌ・ダルクと同じ眼をしている気がした。そのうえスタイルもかなりいい。ダンサー好きで有名だった物理学者のファインマンでも、彼女のスタイルを認めるだろう。どうやら話の行き止まりまで来たらしい、素直にペンを置くことにします。 >> 続きを読む
2015/01/12 by 素頓狂
山尾悠子 (2010/02)
【とてもリリカル】 大好きな、山尾悠子さんの作品集です。やっぱり良いなぁ。ちょっと、習作?というか、他の作品集で完成を見た作品の前触れになるような作品も含まれています。完成型は「作品集成」の方でお読みいただければと。 その辺りの作品は、「影盗みの話」と「火の発見」です。 「影盗みの話」は、くだんの彫刻家のお話。死に人(死ぬ前ですけどね)の姿をからめとって塑像に作り上げる人達。 だから、自分を見ることだけはできないんです。 鏡を向けられると自然に失神してしまうのは、だから、なのですね。 「作品集成」で詳しくは語られていますが、その中に出てくる「赤い本」のことが描かれています。 「火の発見」は、「腸詰め宇超」のお話ですよ。 これは、「夢の遠近法」で書かれたお話。もちろん、「作品集成」にも収録されています。 不思議な、不思議な宇宙のお話。そ この本、とてもきれいな本なんです。銀色の布の装丁と見返しにちりばめられているコラージュ。 山尾さんの雰囲気そのものみたいな、美しい本です。 「ゴルゴンゾーラ大王あるいは草の冠」は、カエル大王様のお話です(あかつきさん、カエルですよ~!)。 「水源地まで」は、当番で水源地を見張っている魔女のお話。 あぁ、どうしてこんな発想が生まれてくるのだろう。 どの作品もとても繊細で、ちょっと触れたら壊れてしまいそうなほど。 山尾さんは、あんまり多くの作品を残さなかったようです。 この「歪み真珠」を読み終えてしまったら、あとはもう残っていないかも。 私の愛してやまない作家さんです。 >> 続きを読む
2020/01/11 by ef177
石堂藍 , 東雅夫 (2009/10)
【舐めるように事典を読む】 私、事典類って結構好きなんです。 いや、実用的な事典ではなく、ジャンルを特化した事典が良いですね~。 そういう辞典は、もちろん引いて調べることもできますが、読めるんですよね。 そういう観点から、これまでにも事典(事典的なもの)には色々手を出してきました。 例えば、荒俣宏の歴史的名著『世界大博物図鑑』。 『世界ミステリ作家事典』(全2巻) これも名著だなぁ、『幻想文学大事典』 事典と名はつかないものの、事典とも言えるジャンルで言えば…… 『プリニウスの博物誌』(買ったんかい!) 蔵書目録も事典的ではあるのですよ。 『書物の宇宙誌/澁澤龍彦蔵書目録』 『幻影の蔵』(江戸川乱歩の蔵書目録です) その他『千冊千夜』(松岡正剛の博覧強記のブックガイド)や各種美術図録集などもその類とも言えそうです(何だら美術全集や、個人全集みたいなのありますよね)。 そんな私がまたまた手を出した本書は、日本の、かなり幅広い意味での幻想文学に関わった人達に関する事典です。 幻想文学大好きですし、これまでちょっと日本の作家陣は手薄だったこともあり、購入してみました。 事典類の楽しみの一つは、その解説にもあります。 本書で言えば、一体この作家さんをどう紹介しているのだろう?という興味ですね。 その辺りも読みどころの一つです。 また、かなり広く作家さんを拾っており、「え?この人も幻想文学作家に入るの?」 と思うようなセレクトもあって、なにしろ労作だと思います。 実際には本書を引いて調べるという機会はあまり無く、むしろ、この事典を読んで、「この本、この人の作品を読んでみようかな」と触発されるという方があるかもしれません。 そういう意味では、一つのブックガイドかもしれませんね。 え? 通読したのか?ですか? もちろん通読しましたとも! >> 続きを読む
2021/10/15 by ef177
河内恵子 , BrandrethGyles Daubeney (2010/06)
【おやまあ、これは雰囲気たっぷりだこと】 タイトル通りのオスカー・ワイルドが探偵役を務めるミステリです。 いやあ、なかなか雰囲気が出ていて良い感じですよ。 被害者はまだ若い美少年です。 オスカー・ワイルドが(何のために行ったのかははっきり語らないのですが)、ある家……なんて言えば良いのでしょうね、時間貸しもするような家ということなので、もしかしたら当時のラブホみたいな感じ? ともかく、そういう家に少年を呼んでそこで会おうとしたところ、少年はその家の中で全裸で殺されていたという事件にでくわします。 はい、オスカー・ワイルドはホモ・セクシャルだったということで、その件で投獄もされていますよね。 そういうことなのかなぁと思いながら読み進めるわけです。 ワイルドは動転してしまい、警察に届け出ることもせずその家から逃げ出します。 でも、やはり気になったので翌日またその家に行ってみると、何と、死体も血溜まりも無くなっているではないですか! で、ここに登場するのが、コナン・ドイルです。 ちょうど、『緋色の研究』を出版し、『四つの署名』も書き上げたばかりの時という設定です。 ワイルドも、ドイルを高く評価していてすぐに親友になってしまいます。 ワイルドはホームズばりの推理を発揮するのですよ。 まさに、ホームズのように、初対面の人の素性をばっちり言い当てたりして、ドイルが舌を巻くんですね。 死体が消えてしまったことをドイルに話し、この作品の書き手でもあり、ワイルドのワトソン役を務める親友と共に現場を再見分します。 ドイルはお医者さんですから、血の痕跡を発見し、確かにここで何かが行われたと確信するのです。 死体はどこに消えてしまったのでしょうか? ワイルドがホームズ役となり、この謎に挑むというのが本作です。 作中、結構寄り道がありまして、ストレートに謎解きをするというよりも、まさにあの時代、ワイルド達の生活が描かれていたりします。 ご存知の通り、ワイルドはいずれ金に困窮することになるわけですが、そんなことをほのめかしつつも、随分と気前の良いワイルドの様子が書かれていきます。 そういう点も筆者の『振り返り』(後日談として書かれます)にほのめかされてはいるのですが、この作品は、ワイルドがどういう人で、どういう人生を送ったのかを知って読んだ方が絶対面白いと思います。 ワイルドの推理が余りに鋭いことから、ドイルはワイルドをモデルにしてホームズの兄(マイクロフト・ホームズですね)を創作する決意をするなんていうくだりも出てきます。 こういうところは楽しいですよね。 マイクロフト・ホームズはご存知でしょうか? シャーロック・ホームズをして、自分よりも賢い兄と言わしめるほどの天才的頭脳の持ち主で、シャーロックが困り切った時に助力を求めたりもしますよね。 でも、ドイルの作品としてはマイクロフトが初めて登場するのは『シャーロック・ホームズの思い出』ですから、実際に書かれるのはまだまだ先ということになりますが。 で、ゆるゆると事件の捜査を進めているうちに、何と、被害者の少年の切断された頭部がワイルドがメンバーになっているクラブに送りつけられて来るのです。 それまでは、「死体が無いとねぇ」と腰が重かったスコットランド・ヤードも俄然色めき立ちます。 そんなこんなでこの殺人事件の謎を追いかける作品というわけです。 ヴィクトリア朝当時の雰囲気が色濃く漂う、そんな雰囲気を楽しむ作品とも言えそうです。 >> 続きを読む
2019/08/24 by ef177
【(株)国書刊行会】(コクシヨカンコウカイ) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(出版社,発行所)
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