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(株)白水社 (ハクスイシヤ)

企業情報
企業名:白水社
はくすいしや
ハクスイシヤ
コード:560
URL: (株)白水社 http://www.hakusuisha.co.jp
      ライ麦畑でつかまえて

      J・D・サリンジャー , 野崎孝1984/04

      カテゴリー:小説、物語
      3.6
      いいね! harujack Minnie
      • コレを初めて読んだのは、そうだな、ちょうど高校生のとき。
        見栄というか、こういうの読んどかないとカッコよくないだろうとか、まぁ何かの影響で読んだんだ。きっとそうだったと思うね。
        当時のティーンエイジャーが喋くる言葉というのがこういうふうなのだとかなんとかいう解説やなんか読んだんだ。例によって巻末やなんかに解説があるやつさ。
        そこへ訳者の野崎孝氏が書いていたわけさ。
        これにはまいったね。とにかく文体にはシビレたね。
        あと笑ったね。というのはホールデンが妙に電話魔だったりするところやなんかがさ。他にも決まって感情が高ぶってきたりなんかすると泣きだしちゃうくだりやなんかにさ。
        しかし妙に心情が重なって思えちまって感激して読んだりなんかしたの覚えてるんだ。
        今、読むと大人がホールデンに諭す説教がほんとに正当に思えてしまうから妙なもんさ。
        昔読んだときなんかはつまんない正論を言ってるもんだよな"大人はさ"とかなんとか思ったのにさ。

        …つかれる。この文体w
        糸冬 了 。

        とにかくコレ好きです。
        物語を期待して読むというより思春期特有の心情の痛さがしみてくる、そこが魅力。
        そしてなにより文体、言い回し、アメリカ文学の金字塔であること。
        >> 続きを読む

        2018/07/06 by motti

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      キャッチャー・イン・ザ・ライ

      村上春樹 , J・D・サリンジャー2006/04

      カテゴリー:小説、物語
      4.0
      いいね!
      • 有名な本書をはじめて読む。
        タイトルはよく聞いて知っていたが、どういう物語なのかは全く知らなかった。
        読み終わって感じたことだが、もしわたしがどういう物語なのかと訊かれても答えに困るかもしれない。物語らしいものは特にないようにも感じたので。

        学校を退学になった主人公の少年が、学生生活や友人、妹のことなどを語る物語。

        内容を纏めてみると、こんなにも短くなってしまった。

        文章は読みやすく、大人になる手前の背伸びしたがる傲慢な少年の様子が上手く描かれていて面白い。
        少女の気持ちを描いた代表作品が「悲しみよこんにちは」だとしたら、少年の気持ちを描いた代表作品はこの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」かもしれない。

        もう少しこういう気持ちが実感として感じられる年齢のときに読んで、自分がどう感じたか知りたい気持ちがする。残念ながら、十代のわたしは海外作品を敬遠しがちで読まなかったので、若いわたしがどう感じたかはわからないままだけれど。
        若いわたしは多分、受け入れられないんじゃないだろうか。
        こういう、自分を棚に上げて他者に対して批判的な物言いをしたがるひとを嫌いそうだ。それでいて今のわたしは結構ひとを批判したりする。この矛盾。

        十分年を取ったわたしには、主人公がかわいらしく思える。
        どうして少年の頃はこんなにも背伸びをし、自分を大きく見せ、周りの人間がくだらなく見えるのだろう。自分がいかに特別であって、それに気付けない人々こそが愚かなのだとを見下す。
        自分が特別だと思う根拠など何もないのに。

        若いっていい。

        本書は確か、ジョン・レノンを殺害した犯人の愛読書だったと思う。
        それがあって、何か変わった思想を植え付けるようなものなのかとも思ったけれど、そういうことではないようだ。結局、本の好みとその人物の行為は単純に結びつくものではないのかもしれない。

        今回は村上春樹さんの翻訳で読んでみたが、他の翻訳でも読んでみたいと思う。読み直すとまた感じるものもあるようにも感じる。
        若いひとなら主人公に共感し、若かったひとなら懐かしく読めるであろう一冊。
        >> 続きを読む

        2016/04/23 by jhm

      • コメント 2件
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      やんごとなき読者

      市川恵里 , BennettAlan2009/03

      カテゴリー:小説、物語
      3.3
      いいね!
      •   原題は'An Uncommon Reader'
        英国女王陛下、エリザベス2世が、80歳にして読書に夢中になったら?
        宮殿に来ていた移動図書館をたまたま知り、そこから読書の楽しみを知ってしまった女王様。

          読書に夢中になるあまり、公務をおざなりにしていく、服装に気をつかわなくなる、会話が一方的。
        読書のいい面ばかりではなく、排他的になってしまう面もちらりとのぞかせています。

         インドア的な趣味、読書などは映画は、結局1人で楽しむものなので、どうしもひとりにして、となってしまうのは自分がそうだからよくわかります。
        ただ、それが女王になるとそれは困る・・・という発想がいいですね。

         王室を知的ながらもコメディにしてしまうというのは、上流階級をからかうP・G・ウッドハウスなど歴史があります。階級差がはっきりしているからこそ、ハイソサエティを痛烈に風刺する文学がイギリスでは発達したと思います。

         ですから、日本は人種にしろ、社会的階級にしろイギリスほど、厳格かつ歴史がないので、わかりにくい部分が出てきます。

         しかし、本を読む歓びに素直に夢中になる女王様と英国文学の歴史の深さがうらやましい。ハリー・ポッターなどファンタジーはお嫌いなんですね、クィーンは。
        >> 続きを読む

        2018/06/01 by 夕暮れ

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      シェイクスピア全集

      ウィリアム・シェイクスピア (1983/01

      カテゴリー:戯曲
      3.5
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      • 【あらすじ】
        リア王は煩わしい政から解放されるために退位し、三人の娘に領土を譲渡することを決める。リアは自分への愛がもっとも深いものにもっとも深い情愛を示すといい娘達を試す。長女のゴネリルと次女のリーガンは言葉巧みにリアの機嫌を取り土地を譲り受ける。一方、正直者なコーディリアは姉たちのようにごますりをしなかったことで、リアの不興を買ってしまい領土を貰えないばかりか、求婚者のフランス王の元へと実質国外追放の扱いを受けることとなる。

        リアはゴネリルの屋敷で悠々自適に過ごす。ゴネリルは不法で乱暴者なリアの部下たちと退位してなお王として振る舞おうとするリアに業を煮やして、リアの部下の半数を解雇する。これに対してリアは激昂してリーガンの元へと去っていく。期待に反してリーガンにも軽んじた扱いをされてしまい、リアは怒り屋敷を出ていく。リアは嵐の中、領土を渡した瞬間に手のひらを返す娘達に絶望する。

        グロスター伯爵には嫡男のエドガーと私生児のエドマンドという二人の息子がいた。エドマンドは相続権欲しさに計略をめぐらし、兄のエドガーが財産目当てに父親殺しを企んでいるとグロスター伯爵に信じ込ませる。グロスター伯爵は息子の裏切りに心を痛め、エドガーは追われる身となる。


        【感想】
        4大悲劇として有名な本作ですが、僕にとってはほとんど喜劇でした。というのも苦境に陥ったリアとグロスターは子に裏切られたことによって世の無常さを呪うのですが,完全に自業自得なんですね。特にリアは権力しか取り柄のない人間が自ら権力を手放したのだから、彼に起こった出来事は全て必然であり身から出た錆といえるでしょう。そのことはp35のエドマンドのセリフに示されているように思います。「人間ってやつ、ばかばかしさもこうなると天下一品だな、運が悪くなると、たいていはおのれが招いたわざわいだというのに、それを太陽や月や星のせいにしやがる」

        そして、リアの側にいる道化がナンセンスなセリフを混じえながらもリアが苦境に陥った原因を突くところが面白いです。阿呆なはずの道化が本質を見抜く一方で、大仰なセリフで天を呪うリアのほうが道化となっているように感じました。

        「ええい、必要を論ずるな。
        どんな卑しい乞食でも、その貧しさのなかになにかよけいなものをもっておる。
        自然の必要とするものしか許されぬとすれば、人間の生活は畜生同然となろう。」(p106)

        「人間、生まれてくるとき泣くのはな、この阿呆どもの舞台に引き出されたのが悲しいからだ」(p186)

        リアのセリフはいいセリフもあるんですが、この人が口にすると滑稽で笑えるようになってしまいます。とはいっても、うまくいかないことがあると何かのせいにしたくなるというのが人の心なのかもしれません。

        本作にドラマとしての魅力を加えているのはグロスター伯爵家のパートでしょう。エドマンドは未亡人となったリーガンとゴネリルの間を飛び回りさらに権力を手中に収めるために暗躍します。

        一方、おたずね者となったエドガーはキチガイ乞食のふりをして追っ手の目を逃れます。エドガーは逆境に立たされても絶望せずこう言います。
        「人間、運に見放されてどん底の境遇まで落ちれば、
        あとは浮かび上がる希望のみあって不安はない。
        悲しい運命の変化は最高の絶頂からはじまる、
        最低のどん底からは笑いにいたる道しかない」(p151)

        その直後にエドマンドの暗躍によって盲となったグロスターを目撃することでさらなるどん底に突き落とされるのですが、彼は迷わず父に手を差し伸べます。
        そして、自らの汚名を晴らしエドマンドの前に表れ、決闘を申し込むという熱い展開になるのです。
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        2016/11/05 by けやきー

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      鍵のかかった部屋

      AusterPaul , 柴田元幸1993/10

      4.8
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      • 「突然の音楽」に続いて読んだが、これは初期の三部作の中の一冊で、発行順にいけば「ガラスの街」「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」となるようだ。

        順不同でも十分読み応えがあった。彼の作品は自分にあっているようで、抵抗無く世界の中に入っていける。
        簡単に言えば今時の言葉で、自分探しの話になるだろうが、彼の思索は心の深い部分に下りていく。物語で変化するシーンを語る言葉の部分が特に興味深い。

        作品ごとに舞台は変わっても、自分の中の自己(他者)というテーマが繰り返されて、そこには生きていく中にあるひとつのあり方を見つめ続けている。


        その自己という言葉で一方の自分というもののどちらかを他者にした、今ある時間。
        人生という長い時のなかの今という時間の中にあるのは、自己と他者を自覚したものが持つ深い孤独感と、それに気づいた戸惑いと、自分の中で自己というものの神秘な働きが、より孤独感を深めていくことについて、主人公とともに、時には混沌の中で疲れ、時には楽天的な時間の中で現在を放棄し、様々に生きる形を変えて語られている。

        この時期のポール・オースターの、他者と共有できる部分を持つ自己と、他者の介入を許さない孤立した自己意識の間で揺れ動く「僕」と「親友だった彼」のよく似た感性と全く違った行動力に、それぞれの生き方を見つめていく、そんな作風に共感を覚える。


        ぼくと彼ファンショーは隣同士で前庭の芝生に垣根が無く、親たちも親しいと言う環境でオムツの頃から一緒に離れずに育ってきた。だがそういったことが成長した今、遠い過去になり、お互いにニューヨークに住んでいたが連絡もしなくて疎遠になっていた。

        突然、彼の妻から、ファンショーが失踪したと知らせが来る。
        7年前だった。
        訪ねていくと魅力的な妻は赤ん坊を抱いて、ファンショーがふっと消えた話をする。待ったがもう帰ってこないことを覚悟したとき、親友だったと言っていた僕を想い出して連絡をしてきた。

        僕にとって、会わなくなったときは彼が死んだも同じだったが、今、生死が定かでない形で僕の前に再登場したのだ。
        子供の頃から書いていた詩や評論や三作の小説を残して。
        そして一応遺稿と呼ぶこれらの処理を任された。その後すぐ、突然来た彼からの便りで、「書くという病から回復した、原稿の処理や金は任せる、探すな見つけると殺す」という覚悟が知らされた。彼は失踪という形で出て行って、もう帰る意志はないことが分かった。

        原稿を整理して見ると確かに才能があり、ツテで編集出版する。好評で本が売れ、生活が豊かになった。
        カツカツの記者生活にも余裕が出来、彼の妻とは愛情が湧いて結婚した。自分の子供も生まれた。

        しかし、彼の原稿を読みそれに没頭して過ごすうちに、彼と自分の境があいまいになることがあった。彼の世界は常に自分の背後にあって、同じ物書き(僕は記者だったが)であり、彼の才能は彼の失踪後に花開いたが彼はその恩恵を一切うけず関係を絶ってしまった。
        僕は、いつしか彼と自分のの境界が薄く透明になっていくことに気づいた。

        ---
        考えるという言葉はそもそも、考えていることを自分が意識している場合にのみ用いられる。僕はどうだろう。たしかにファンショーは僕の頭から一時も離れなかった。何ヶ月もの間、昼も夜も、彼は僕の中にいた。でもそのことは僕にはわからなかった。とすれば自分が考えていることを意識していなかったわけだから、これは「考えていた」とは言えないのではあるまいか?むしろ僕は憑かれていた、と言うべきかもしれない。悪霊のごときなにものかに僕は取りつかれ憑かれていたのだ。だが表面的にはそんな徴候は何一つなかった
        ---

        僕は自分と言うものを考えてみる。そして死んだと決まっていいないファンショーの手がかりを探して歩く。
        ファンショーを探すことは彼から自分を解放するだろう。


        作品は、多分にミステリだ。私は様々にファンショーの行き先(生き先)を推理しながら読んだ。僕の作り出した分身ではないだろうか。ファンショーはもう自分を見失った神経病患者ではないだろうか。

        僕はついに家族を捨てファンショーに取り込まれてしまうのではないだろうか。

        しかし作者はそんなやすやすと手の内を見せてくれなかった。

        最後まで面白く好奇心も十分満足した作品だった。
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        2016/06/18 by 空耳よ

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      変身

      池内紀 , フランツ・カフカ2006/03

      カテゴリー:小説、物語
      4.5
      いいね!

      • フランツ・カフカの「変身」を、定番の高橋義孝訳(新潮文庫)ではなく、今回は池内紀訳(白水uブックス)を読了しました。

        フランツ・カフカの凄いところは、余計な説明をしないところだと思っています。

        例えば、ザムザが変身した虫の姿を、正確にどのようなものか描写しないんですね。
        どうして虫になったのか、虫が何の象徴なのか、といった因果も一切、書かないんですね。

        そうすると、読んでいるうちに不安になってくるし、読み終えた後も、なんだか今までいた場所とは違うところへ連れ出されたような、宙ぶらりんな気持ちにさせられてしまいます。

        そこが、実にいいんですよね。最近の多くの小説のように、一から十まで言葉で説明をしている小説とは、正反対なんですね。

        考えてみれば、この小説は、アイディア自体は、それほど奇異なものではないと思う。
        だけど、実に巧いなと思うのは、虫になってましたというところから突然に始める冒頭と、虫であること以外は、すべてがリアルに進行する家庭の状況と、ラストのザムザの死後、家族が出掛けるピクニックのシーンですね。

        この過酷なまでに明るいピクニックは、衝撃的な後味を残してくれます。
        とにかく、このピクニックのところは凄くて、可哀想なザムザが死んだ後に、家族みんなで楽しいピクニックに行くなんて、どうしたら思いつける展開でしょう。

        それで、お手伝いさんが「(ザムザの死体は)片づけときましたから」と。
        この残酷さと美しさというのは、ちょっと書けないと思いますね。

        今回、池内紀訳で読み直しての最大の発見は、ザムザは自分が虫になってしまったことには、さほど驚かないのに、目覚まし時計を見て、寝過ごしたことに、もの凄く驚くところです。
        読んでいて、ザムザのその不可解な心理に驚いてしまいます。

        高橋義孝訳では「そして、用箪笥の上でかちかち鳴っている目ざまし時計のほうを見やった。『これはいかん』と彼は思った」と訳されているところを、池内紀訳では「それから時計に目をやった。戸棚の上でチクタク音をたてている。『ウッヒャー!』と彼はたまげた」と訳されているんですね。

        こんな時に、この男はなんで会社に行くことなんかを心配しているんだろうと-------。
        ここが、池内紀訳の功績なんだと思うんですね。

        高橋義孝訳で読んだ時には、まるで感じませんでしたからね。
        これは、批評的訳文の最たるものだと思うんですね。

        そして、池内さんの訳で読むと、虫以前と虫以後の時間の流れ方が、全然違うことにも気づかされるんですね。

        前は、仕事に追いまくられてアッという間に一日が経っていたというのに、虫になったら時間の流れ方が、どんどんゆっくりになっていく。
        それが、まざまざと読み手に伝わってくるように訳してあるんですね。

        そして、それとは反対に、家族の時間は、どんどん速くなっていく。
        ザムザが、働いていた頃は、おんぶにダッコでお父さんはノラクラしていて、お母さんは専業主婦、妹はヴァイオリンなんかを弾いている。
        それが、全員、働き蜂みたいになっていく。ここの対比も、すこぶる暗示的だなと思うんですね。

        それから、これも今回新たに気づいた点なんですが、この小説で大切なのは「笑えるカフカ」になっているということです。

        例えば、ザムザがだんだん虫でいることに退屈してきて、「そんなことから気晴らしのために、壁や天井をあちらこちらと這いまわるのをはじめた。とりわけ天井からぶら下がるのが気に入った。床に寝そべっているのとは、まるでちがうのだ。ずっと息がしやすい。からだに力がみなぎるようだ。ぶら下がったままうっとり」しているんですね。

        これは、相当可笑しくて、「グレゴールは這いまわりはじめた。いたるところを這いつづけた。四方の壁も、家具調度も、天井も這いまわった。やがて部屋全体がグルグル廻りはじめたとき、絶望して大きなテーブルのまん中に落下した」というところも、ほんとに可笑しいんですね。

        確かに、カフカの寓意は、どんな風にも解釈ができるところに強みがあって、例えば未来の22世紀にも23世紀になっても、その時代の「変身」の読み方が成り立つと思うのですが、また逆に、引きこもりのメタファーとか、機械文明に押しつぶされる人間の悲劇だとか、そんな一辺倒な読み解きを許さないという、深い味わいがここにはあるのだと思う。

        機械文明に押しつぶされる人間というように解釈しても、全然ダメで、そういう解釈をするから、カフカが哲学的だというように、通り一遍の作家みたいに言われるのだと思う。

        自分の内面と自分の外の現実と、両方を同じ重さで見ることのできた作家が、世界を記述している作品だから、可笑しいと同時に恐ろしくて、おぞましいと同時に、涙が出るほど笑える小説なんだと思いますね。

        かつて、フランスの小説家のフィリップ・ソレルスの対談集の「ニューヨークの啓示」という本の中で、「およそ人間の生命などは、ある瞬間に大きな波のなかできらりと光る泡でしかないこと、しかし、それを笑うことのできる泡であること、そういうことに人は気づくのだ。」と語られていますが、そういう自分のちっぽけさを笑えるのが人間なのだと-------。

        まさに、カフカというのはそうなのだと思う。自分も含めた、そうした卑小な人間を笑う目を持っている。
        つまり、自分を客体視する目を持っているのが、カフカの最大の美点だと思いますね。

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        2018/07/26 by dreamer

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      パウル・ツェラン詩文集

      飯吉光夫 , CelanPaul2012/02

      カテゴリー:作品集
      4.5
      いいね!
      • 石原吉郎さんの詩を初めて読んだとき(全詩集でなく、どこかに発表されていた詩や代表作)シベリアに強制収容されていてその上強制労働につかされ帰還した方だと知った。
        並んでドイツの詩人、パウル・ツェランが語られることがあるということだったが、そういうことをいつどうして知ったかも覚えがなかった。

        別な本を読もうとして、そこにパウル・ツェランの詩の一節が引用されていた。それで読む前の参考にとこの本を読んでみた。
        全詩集ではなく代表作を集めたものだった。、特に、その特徴は、思いがけない災厄に出合ったこの詩人の作品のなかから、東日本大震災で被害にあった方たちの心に響く作品が選ばれたということ。
        ツェランがユダヤ人で、ナチスに両親が殺され、自分も強制労働につかされた、悲惨な過去が詩の底にあること、そういったものを集めてこの詩文集が編まれている。

        参考までにドイツの詩人はと、調べてみるとハイネが出てきた。「ローレライ」の歌詞を書いた人である。

        パウル・ツェランの詩は日本の戦後詩に当たる時期に書かれたといえる。サルトルだったか、詩人の言葉で「水車」といっても、それは現実に思い浮かべる「水車」ではない、と言うようなことが述べられていた。
        パウル・ツェランも言葉をメタファーとして使う詩人であり、言葉にどういうイメージが含まれているか、詩の中に詩人は何を現したかったのか、あるいは訴え、表現したものは何だったのか。
        読んでいるうちに深く打たれるものがある。

        パウル・ツェランの詩はその技法に慣れて、読んでいると、奥深く潜んでいる原体験、非常に深い傷跡が読み取れる、
        詩篇は不思議なリズム感があるが、悲しみと、それとともに両親への追悼の心が、悲しい響きを伝えてくる。
        読むうちに、破綻のない詩の形に偉大な詩人が死を見据えた魂の声を聞くことができる。

        解説は後部に、一編ずつつに対してつけられ、詩文集は彼の少ない講演の記録や文章も集めている。

        代表作「罌栗と記憶」の中の「詩のフーガ」が冒頭にあるが、それではなく、趣旨に沿って

        「ひとつのどよめき」を

        ひとつのどよめきーーー いま
        真実そのものが、
        人間どもの中に
        歩みいった、
        暗喩(メタファ)たちのふぶきの
        さなかに

        訳者解説

        「暗喩たち」というのは、詩の代名詞と考えていい。詩について喋々喃々している間に「どよめき」が(災厄)が持ち上がった。



        石原吉郎さんの詩も(手持ちの名詩集から)

        泣きたいやつ

        おれよりも泣きたいやつが
        おれのなかにいて
        自分の足首を自分の手で
        しっかりつかまえて
        はなさないのだ
        おれより泣きたいやつが
        おれのなかにいて
        涙をこぼすのは
        いつもおれだ

        以下略



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        2015/04/02 by 空耳よ

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      犬は鎖につなぐべからず 岸田國士一幕劇コレクション

      ケラリーノ・サンドロヴィッチ , 岸田国士2008/01

      カテゴリー:戯曲
      5.0
      いいね!
      •  先週の出来事です。今日も今日のうちに帰れないと嘆きながら、ペットボトルのペプシコーラを一口、そして思わず
        「モスバーガーの味だ」
        と漏らしたのはいいものの、やはり帰宅する目途はたたない。ふわっと意識が宙を浮き、左手をスラックスの後ろのほう、要するに臀部に伸ばすと昼休憩での惨事、あの事件の痕跡と逢着した。あのバカ犬め、バカ犬め……。
         お昼ごはんを食べたあとの、オフィスへもどる抜け道がちょっとした住宅街に近いせいか、犬の散歩に精をだす婦人がやたら多い。ここにも犬を連れた奥さんはいるのだ。しかもこの辺りの奥さんには(にも?)不文律に縛られない人もいて、つなぎをしないでゆうゆう散歩しておられる。はじめて見たときはそれは目を疑いましたが、郷に入っては郷に従えとあるように、もしくは、じぶんも犬を連れた気分で平然とやり過ごしていました。ところが、じゃなくて案の定、うしろからガブッとやられましてね、いいえ体はまったくの無傷で、うまい具合に布地のみ痕が残りました。なにか知りませんけれど弁償するとか言ってくるもんですから、
        「それがこれは安物ではないんです」と返せば、ほのかに申し訳なさそうな表情を浮かべたので、「いえいえ、19,800円です」とその場をあとにしました。
         それでも私は声高らかに訴えたい。犬は鎖につなぐべからず。そういえば、このごろ駅から歩いて帰路に着くあいだに必ず吠えてくるあの犬を見かけていない。私が通り過ぎる手前、一目散に駆けつけてくるのだが、鎖のせいでどうしても飛びつけず、透明な壁にぶつかるように頓挫してしまう。それを見るたびに可哀想になったり、嬉しくなったり、家に帰った心地がしたりするのだ。こんなに私の帰りを待ってくれる人はついにいなかったのではないか? だからもう一度訴えたい、犬は鎖につなぐべからず。
         それでは本のご紹介。表紙に目をやると、なんだかクラリーノ・サンドロヴィッチさんの戯曲を岸田國士が訳した古い本の復刻版に見えるが、その反対で、岸田國士の原作の戯曲を、日本生まれのクラリーノ・サンドロヴィッチが読みやすく編纂した本なんですね。この劇作家の奥さんは緒川たまきさんらしいですぞ。羨ましいですね。わりとぼくのタイプです(最近の一押しはNHKの桑子アナ)。いろいろな短篇の芝居がコラージュされており、これを読めばおよそ名前しか聞く機会のない岸田國士の世界を垣間見ることができるのです。もちろん岩波書店や新潮社から全集も刊行されています。しかし、あたらしい岩波の全集は旧かな表記なので、それに慣れていない人は取っつきにくくて仕方がない。そこで奥さん、じゃなくて皆さんに岸田國士のおもしろさに触れてほしくてレヴューしました。さり気ない人間の機微がつまった澱みなく交わされる会話文には、それでいて余白もあって、読者各々のイメージがうまくテキストに投影される。たとえば「驟雨」に出てくる、新婚旅行早々に愛想を尽かされる男なんて定めし身近にいるだろう。そうやって手繰り寄せたあとに遠目からも眺められるのが岸田國士のほんとうの魅力であり、頭のなかに特設された劇場まで読者を手びきするテキストのみが本として読まれる。シェイクスピアにしてもブレヒトにしても。言うまでもなく、この劇場はペット持ち込み可。シェイクスピアの戯曲でなくても、鎖なしの犬が、何食わぬ顔して見知らぬものを拾ってくる。
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        2016/11/13 by 素頓狂

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      文盲 アゴタ・クリストフ自伝

      堀茂樹 , アゴタ・クリストフ2006/02

      5.0
      いいね! kentoman
      • 淡々と綴られているようであって、その奥にあるものは濃い。
        自伝。
        自分の経験に根ざしているからこそなのだと思う。
        著者独特の言い回しというのか、ちょっと違うところに視点をおいて見ているというのか、そのあたりが特徴的でもある。
        今の自分の置かれた環境が、ある意味において、とても恵まれているとも思うし、違う点で言うと、果たしてそうなのか?と思うこともある。
        そう思えること自体が、恵まれているのだろう。
        文盲・・・いろいろな意味に捉えられるな。
        >> 続きを読む

        2014/08/17 by けんとまん

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      ボクの先生は山と川

      矢口高雄1988/06

      カテゴリー:漫画、挿絵、童画
      3.0
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      • 結構前の本で久しぶりの再読
        矢口高雄の文書は読みやすく、ちょっと昔の田舎の生活が面白く書かれている。人生の楽園とか世間では田舎の良さが色々言われている部分もあるが、自分としては田舎生活チョットと思っていまう。
        近所付き合いetc色々・・・
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        2015/01/25 by kazenooto

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      インド夜想曲

      TabucchiAntonio , 須賀敦子1991/01

      カテゴリー:小説、物語
      5.0
      いいね!
      •  二、三年まえの雑誌『ユリイカ』に、わたしをウキウキさせる特集があった。アントニオ・タブッキの特集である。殊に、作家の堀江敏幸さんと、タブッキの翻訳も手掛ける和田忠彦さんの対談がおもしろく、それを読むあいだに多くの記憶が甦ってきた。
         わたしが最初に読んだ堀江作品は『熊の敷石』で、堀江さんはこの作品で芥川賞を受賞した。『熊の敷石』を読んでいるとき、わたしはタブッキの匂いを感じていた。もちろん、堀江さんは、わたしが名も知らぬフランスの小説を多く読んでいるはずなので、堀江さんとタブッキを結びつけることは性急にすぎた。しかし、この『インド夜想曲』と『熊の敷石』はじつに通い合うものがあるのだ。その謎がこの対談ですこし明らかになった。
         タブッキを読むとき、いや大抵の小説を読むときにいえることだが、あまり初読をあてにしてはいけない。たぶんナボコフの言葉にこんなのがあった。
         「小説を読むことはできない。小説は再読されるものだ」
        初読ではどうしても筋を追う読み方になるし、すぐれた小説の見るべきところは、いかんせん恥ずかしがり屋で、それを味わうためには再読が必要なのだろう。タブッキもそれを要求する。
         『インド夜想曲』も初読の段階では、インドを巡る幻想めいた冒険という印象を受ける。が、筋を忘れない程度に時間をあけてまた読むと、かなり違った読書体験になると思う。用意された容器に神秘的な水が注がれるように、タブッキの世界を味わうことができる。登場人物たちのやりとりや、たくさん出てくるホテルの情景に魅了される。幸い、この小説は短い。150ページだ。気になった人は是非、タブッキの本を手に取ってほしい。
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        2015/02/18 by 素頓狂

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      フロベールの鸚鵡

      BarnesJulian , 斎藤昌三1989/10

      4.0
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      • 本書著者のエッセイ『文士厨房に入る』が面白かったので、小説も読んでみました。分類としてはポストモダンになるらしいのですが、ポストモダンがどんなものなのかいまいちよくわからず…しかし従来の小説の構造とは違うなというのは感じました。かといって幻想怪奇系でもなく、内容は非常に現実的なのですが、小説としての構造がだいぶ違う感じです。こういう書き方もあるのか、と。最初は戸惑いましたが、演出として非常によかったので、好きです。かなりしっかり取材をして書く人らしく、これ小説なの?と最初は思いましたが、小説でした。

        フロベールは19世紀フランスの小説家ですが、私は『ボヴァリー夫人』しか読んでいません。でも『ボヴァリー夫人』だけでも読んでいてよかった。他のも読んでいたもう少し違う楽しみも感じられたかもしれません。元ネタの知識があるとより面白そうな。後出しになりますが、後日『紋切型辞典』は読むつもりです。

        フロベールの年表からはじまって、彼の足跡を訪ね、作家の姿に迫り、しかしこれはフィクションなのです。「純然たる実話」の章(少なくとも他の章は丹念な調査に基づいたフロベールに関する話題なのに、実話と称したこの章で小説っぽさを出してくるとは…!)が、かなりぐっときました。

        「僕は妻を愛していた、僕らは幸せだった、妻がいないのがつらい。」

        これまでぐだぐだと(失礼。)作家フロベールについて調べ、分析し、書いていたのはこのためだったのか、というのが、もう!その後の「試験問題」の章もそうですが、語り手の男性の状況をこういう風に描き出す方法があるのか、というのがいい意味でショックでした。やられた。


        そういえば少し勘違いしていたのですが、著者のジュリアン・バーンズ、御歳70なんだとか。まだ50か60かそこらだと思っていました。
        今年に入って『アーサーとジョージ』が刊行されましたが、wikiによれば、これは英国では2005年に刊行されたものですね。
        ちなみにブッカー賞を受賞したのは英国で2011年に刊行された『The Sense of an Ending』で、これは新潮クレストブックスで翌年に訳されていました。読まないと。『イングランド・イングランド』も面白そうです。
        ところでブッカー賞についてよく知らなかったので調べてみたのですが、これはその年に英国籍の著者により出版されたもっともすぐれた長編小説に与えられる、というものらしくて、作家ではなく作品に対して贈られるんですね。選考委員のバランスの良さに定評があるのだとか。へぇー。
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        2016/04/17 by ワルツ

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      初版グリム童話集

      吉原素子 , ヤーコプ・グリム , 吉原高志 , ヴィルヘルム・グリム1997/05

      カテゴリー:小説、物語
      3.0
      いいね!
      •  5歳になる娘の読み聞かせに使えればと思って買いましたが、
        幼稚園児には難しすぎたようです。
        かえって大人が読んだ方が面白いと思います。
        きっとコンセプトもそんな本です。

         現行もっとも知られており、
        一般的に「グリム童話」として認知されているものは、
        初版に様々な手を加えられた第7版だそうです。
        それまでに子供向けではない表現が削除されたり、
        文章や描写が洗練されたりしてかなりの変化があったようです。

         本書を読むと、そのことをすごく実感します。
        文章に飾り気がなく、とても純朴で、
        ある意味 粗野な印象を受けるのです。
        まさに磨かれる前の素材のままの昔話です。
        シンデレラやラプンツェルとかの原型は、
        だいぶ今つたわっている物と違い興味深かったです。
        各ストーリーの後の注釈で、
        それぞれの話の変遷などが分かるのも面白かったです。
        >> 続きを読む

        2015/02/01 by kengo

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      カモメに飛ぶことを教えた猫

      SepulvedaLuis , 河野万里子1998/05

      カテゴリー:小説、物語
      4.0
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      • 一匹の猫が廃油にまみれ飛ぶ事さえ出来なくなったカモメと出会う。
        カモメは死ぬ間際に猫に3つのお願いをする。
        『私がこれから産む卵を食べないで欲しい。卵を温めてヒナをかえして欲しい。そして、産まれたその子に空を飛ぶ事を教えてやって欲しい』

        太っちょの黒猫ゾルバは約束する。

        物語は単純である。
        単純であるが故に人間は見失っているのである。

        ゾルバは懸命に約束を守ろうとする。
        時には彼の命を懸けてまでである。

        仮にカモメが出会っていたのが犬であればどうであろう。
        彼もまた命を懸けて約束を守ろうとしたと思う。

        仮にネズミであれば?仮にブタであれば?どうであろうか?
        きっと、同様に約束に命を懸けたであろう。

        仮に人間であれば?

        約束を、ルールを破り海に廃油を流し続けカモメの命を奪ったのは人間である。

        嘘をつく事、横着をする事、言い訳をする事・・・・約束を破る事・・・。

        慣れ過ぎてはいないだろうか?

        『小説だろ。猫がそんな事する訳ないじゃん』

        そういう事ではなく、

        守らなくていい約束などひとつもないという事である。
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        2012/12/05 by <しおつ>

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      切り裂き魔ゴーレム

      池田栄一 , AckroydPeter2001/09

      カテゴリー:小説、物語
      5.0
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      • 今回時間をかけて読了したのは、読みやすいポストモダン小説の作家ピーター・アクロイドの「切り裂き魔ゴーレム」で、ヴィクトリア朝時代のロンドンを舞台にした、巧緻な犯罪小説です。

        この物語は、主に四つの語りによって成り立っている。
        第一章で、夫を毒殺した罪によって処刑されてしまうエリザベスが、その半生を物語るパート。
        エリザベスの夫クリー氏の日記のパート、エリザベスの公判記録のパート、殺人鬼ゴーレムが引き起こす連続殺人事件に怯えつつも、興奮を隠せないロンドンという街を活写したパート。

        切り裂きジャックを彷彿とさせる殺人鬼ゴーレムの正体とは?----と、趣向を誰がやったのかというフーダニットにもっていくのは、よくあるパターンなんですね。

        ところが、この作品は、それを早々に明らかにしてしまうのだ。
        クリー氏に日記の中で、嬉々として自らの行為を告白させることで。
        だが、しかし-------。

        ミステリ好きとしては、考えずにはいられなくなるんですね。
        彼は信用できる語り手なのだろうか、と。
        そして、その疑いは読み進めるほどに深まっていくんですね。
        あたかもロンドンの街を覆う、濃い霧のように-------。

        だが、この小説の面白さは、切り裂きジャックのみならず、当時のロンドンで起きた有名な殺人事件の幾つかをモデルにした、殺人鬼の正体探しだけにあるわけではないんですね。

        母親に死に別れたエリザベスが、飛び込んでいくミュージック・ホールの愉快で明るい世界と、犯罪の巣窟だった貧民街の物騒な暗がりの対比の鮮やかさ。

        チャールズ・チャップリンも畏敬した大衆演芸のスター、ダン・リーノや、「資本論」で有名な思想家カール・マルクスといった実在の人物が、虚構に華を添えていると思う。

        ユダヤ神秘主義カバラの秘法によって粘土から生まれると信じられていたゴーレムという怪異が、殺人事件に振りかけるオカルティズムの怪しい香り。

        そうした要素を四つのパートに巧みに織り込み、様々な伏線を張り巡らせながら、作者のピーター・アクロイドは、ゴーレムの謎に迫っていくんですね。

        ゴーレムとは一体何者なのか?
        ゴーレムが殺害したのは、本当は何人なのか?-------。

        史実と虚構を渾然一体とさせた、久し振りに読み応えのあった"知性派歴史ミステリ"であったと思う。

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        2018/06/08 by dreamer

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      越境

      BarkerPat , 高儀進2002/09

      カテゴリー:小説、物語
      いいね! misako
      • 10歳のダニーは本当に女性を殺したのか。ダニーに責任能力ありと判断して、成人扱いで裁かれるきっかけを与えた心理学者トムの、住まい近くの川に身投げしたのも偶然だったのか。この辺りは、読者を引っ張る主要テーマになっていると思う。でも実は、これらの答えを知ってる、読者はみんな。トムの離婚の流れはメインストーリーではないものの、興味ある展開になってる。それにしても以前、就労支援してた学生に、ダニーはそっくり。だぶって困ってしまった。 >> 続きを読む

        2015/02/10 by 紫指導官

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      猫に名前はいらない

      小竹由美子 , WilsonA. N2004/09

      カテゴリー:小説、物語
      3.0
      いいね!
      • 老いぼれ猫が孫猫に語り聞かせる一代記、自叙伝すなわち猫語の物語を人間語に訳したという実験小説・・・としては大失敗の駄作であろ。(凡愚の人間を嗤いのめしてみせた「吾輩は」で始まる日本の名作を知らないのだろうか。)
        ・・・と見せかけて、そんな批難も百も承知の人情話ならぬ『猫情話』なのでありました。

         * * *

        主人公(といってはいけないのか「主猫公」か?)は人間から押しつけられた名前は幾つもあるのに猫には不要と「名無し」を決めこんだ雄猫です。
        記憶力だけは抜群で、幼少期からの、とりまく二本足どもの会話を再現してみせる。

        ただし猫は猫らしく、テレビのことをあっさりテレビといわずに、ながたらしい説明付きの「函」と表現してみせるあたりは可愛かった。でも、そんな調子で語り続けたらとんでもないことになるのは眼に見えていた。案の定、猫らしい遠回しなことばは申し訳程度に「たまに」登場するばかりで、「テレビ」は言えないのに「番組」は言える。「医学」がわかる。

        「名前はいらない」と所有物扱いを嫌いながら、ほかの猫を語るときには、便宜上だかなんだかしらないが堂々と「二本足の奴からつけられた名前」を使う。(そりゃそうだ、落語の寿限無寿限無になってしまうからね。)

        猫の気持ちを解さない二本足を愚弄しているのに、町の野良として、食いものは結局人間のおこぼれに与って生きている。

        人間の言葉は理解し記憶するが、犬のことばもインコの声も鳴き声としか聞こえないあたりは、なんとも人間臭い猫様なのです。

         * * *

        そうなんですよ。「人間臭さ」がいいんです。猫なのに、孫猫に一代記を語る。
        聡明そのものかと思ったら、とんでもなく智慧が抜けていたりする。
        生きている限りは愛も哀しみもある、まさに人生いやいや猫生。
        読んでいて、初めは難癖ばかりつけて「駄作?」と読み進んでいくのですが、気が付けば、
        気楽に見える猫生に「おまえらは呑気でいいなあ」と間抜けな台詞を吐いてきた自分らの愚かしさが見えてきます。

        これから読む人は、タイトルから察しの付く想定内の物語にぶつぶつイライラしながらもラストまで読んでください。案外、読後はさわやかです。
        >> 続きを読む

        2016/01/20 by junyo

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      悪魔の文化史

      Minois, Georges, 1946- , 平野隆文2004/07

      3.0
      いいね!
      • 悪魔って神とセットなので、宗教的な所から出ることはない印象。信心深い方ではないので、一番なじみ深い悪魔はやっぱり閣下ってことになるかなぁ。 >> 続きを読む

        2013/06/15 by freaks004

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      シェイクスピア全集

      ウィリアム・シェイクスピア (1983/01

      カテゴリー:戯曲
      4.0
      いいね!
      • タイタス・アンドロニカス

        管理社会モノのアニメ「PSYCHO-PASS」の登場人物、芸術家であり女子高生であり猟奇殺人者でもある王陵璃華子が好んでいた作品。その理由はシェイクスピアの悲劇の中でも特別に残酷だから。

        とりわけ残酷な被害を受けるのはタイタスの娘ラヴィニアだ。彼女は強姦されたあげく、口止めに舌を抜き取られ、両手を切られる。そのうえ最後は実の父親の手によって殺されるのだ。父親が娘を殺した理由を語るセリフが「いま殺した娘は私を涙で盲にしたのです(後略)」。他の場面でもタイタスは嘆いてばかりで(それも無理からぬことではあるが)、両手と舌を奪われ辱めを受けた娘への思いやりは感じられない。だから僕はタイタスを好きになれない。

        一方であらゆる悪事を好み実行したアーロンは好きだ。悪の権化でありながらどこか小物臭さがあるところがいいし、悪党でありながら息子に対して、我が身に変えても守ろうとするほどの深い愛情を抱いているというギャップもよい。そして何より悪役として全くぶれないところが気に入っている。

        彼は罰として生き埋めの刑に処される時に「……赤ん坊じゃないぞ、おれは、卑劣な祈りをあげて犯した悪事を悔いるなんて子供じみたことはしないぞ。(中略)おれの生涯にただの一度でも善いことをしていたら、おれは魂の底からそいつを悔やむだろう。」と嘯く。ぶれない心や信念というものはその中身がなんであれ、格好いいものだ。ディズニーアニメ「ヘラクレス」の登場神物ハデスを連想したから、というのも彼に惹かれた理由かもしれない。



        ところで戯曲って読むのが少し難しいですね。心理描写がほとんど描かれないので想像に依るところが大きくて……なんだか唐突に感じるシーンもあったわけです。例えば、タイタスが息子を殺したシーンでは、最初に剣をとったのはミューシャスだし、家名を汚す許しがたい行為をしたかもしれないけれど、一瞬の迷いもなく息子をやっちゃうの!?と驚きました。

        そんなわけで僕はストーリーよりも登場人物の会話やセリフを楽しみました。シェイクスピアが各所で引用される理由がわかった気がします。気の利いた言い回しが多くて使ってみたくなるんですよ!なんなら役者のような迫真の演技で音読したくなります。

        PSYCHO-PASSの王陵璃華子編でも「タイタス・アンドロニカス」が度々引用されてるので、僕と同様にこのアニメで興味を持った人はぜひ読んでみることをお勧めします。ちなみにとあるサイトによると、ちくま文庫版の松岡和子訳のほうが作中で引用されたセリフに近いそうですよ。
        >> 続きを読む

        2016/05/29 by けやきー

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      シェイクスピア全集

      ウィリアム・シェイクスピア (1983/01

      カテゴリー:戯曲
      3.7
      いいね!
      • 【あらすじ】
        ハーミアを愛するライサンダーとディミートリアス対立。
        ハーミアの父イージーアスはディミートリアス擁立。
        ライサンダーはハーミアへ駆け落ち提案。
        ハーミア歓喜に溢れて駆け寄り承認。
        そこへばったりヘレナと出会。
        予定はっきり公開して散会。
        ヘレナは愛しのディミートリアスに暴露。
        ディミートリアス森へ追跡、怒りを発露。

        ヘレナはディミートリアスへ思いを伝える。
        ディミートリアス、重いと突っぱねる。
        妖精王オーベロンは愛の告白、立ち聞き。
        オーベロン感じる、美しい愛が失われる危機。
        そこで「恋の三色スミレ」使い、愛をあるべき方向へ。
        ところが妖精パックの誤りで、愛の在り処は方方へ。

        ※「恋の三色スミレ」の花の汁を瞼に垂らされた人間は、最初に見たもの(それが例え動物だろうと)を愛するようになる。
        妖精パックはディミートリアスに恋の三色スミレを使おうとするも、ライサンダーをディミートリアスと誤認してしまう。
        ライサンダーが目覚めるとそこにはヘレナが立っていた。
        そこへ恋の三色スミレの汁を目に垂らされたディミートリアスもやってくる。
        ハーミアの争奪戦は一転して、ヘレナの争奪戦&ハーミアの押し付け合戦へ。
        愛と嫉妬と勘違いが交差するドタバタコメディ。


        【感想】
        あらすじは決してふざけてないよ。
        だって本当にそういう内容。
        あ、もういいですか……その意見採用!

        『夏の夜の夢』は韻を踏むのが大好きなシェークスピア作品の中でもとりわけ韻踏みが多い作品となっています。
        さらに文字数にも気を遣っているので、とても音楽的なんですね。
        僕が今まで読んできた作品はまさに演劇!という感じでしたが、こちらの作品はミュージカルに近い印象を受けました。

        その分、よりセリフが発声されることの価値が高く、どんな音楽を流すかも重要であると言えるでしょう。つまり、文字だけ読んでもそれほど面白くないということです。
        そもそも戯曲は劇を上演するための脚本ですが、『夏の夜の夢』は一層舞台で演じられてこそ際立つ作品であると感じました。
        また、韻踏みが多いので言語の障壁もあるかもしれません。

        しかしながら、16~17世紀にはすでに純粋におもしろおかしく楽しめるドタバタコメディがあったとは驚きです。
        たった一人の女性を巡って簡単に決闘という名の殺し合いをしようとする価値観のギャップやいたずら好きの妖精パックが僕の中の妖精像と合致しているのも興味深い点です。

        そして、さすがシェークスピア。
        セリフは冴えたものが多いです。

        ライサンダー
        「きみはお父上に愛されているんだ、ディミートリアス、
        ハーミアはおれにまかせて、お父上と結婚するんだな。」(p14)

        ヘレナ
        「――ディミートリアスもハーミアの目にふれるまでは、
        私だけのものだとあられのように誓いを降らせていた、
        ところがそのあられは、ハーミアの熱を受けると、
        あられもない、あの人もろとも溶けるとは。――」(p24)

        オーベロン
        「キューピッドの愛の矢に染まる
        この紫の花の汁、
        瞳の底にしみとおる、
        そのとき開いた目に入る
        女の姿は空に見る
        金星よりもなお光る。
        目覚めたときにそばにいる
        女にお前は恋を得る。」(p74)


        ライサンダー
        「――涙とともに生まれた誓いはまことの心をあらわしている、
        それなのにきみにあざけりと見えるのはどういうわけか?
        誠実の涙がまことの恋と証明しているではないか。」
        ヘレナ
        「――誓いで誓いの重さをはかれば、重さはゼロになるわ。
        二人への誓いをのせてごらんなさい、二つの秤皿に、
        メモリはゼロで二つも軽くなるわ、作り話のように。」(p79)

        この物語は喜劇なので落ち着くところに落ち着きます。
        やはりハッピーエンドというのは読後感がよいものです。
        不出来なバッドエンドに対しては文句の一つもいいたくなりますが、ハッピーエンドだと多少強引な展開でも許せたりします。
        終わりよければすべてよしですね。
        >> 続きを読む

        2016/09/25 by けやきー

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