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サンパウロ(聖パウロ修道会) (サンパウロセイパウロシユウドウカイ)

企業情報
企業名:サンパウロ(聖パウロ修道会)
さんぱうろせいぱうろしゆうどうかい
サンパウロセイパウロシユウドウカイ
コード:8056
URL: http://www.sanpaolo.or.jp
      いとし子よ

      永井隆1995/11

      5.0
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      • とても素晴らしい本だった。
        多くの方に読んで欲しい。
        読み継がれて欲しい。

        長崎で被爆した永井隆博士が、我が子に向けて切々とつづった、
        深い愛と貴重な人生のメッセージ。

        「わが子よ、言葉を知っているということと、
        その言葉の命ずるとおり行なうということとは、
        大きな違いがあるのである。
        何千年来、何千億とも数知れぬ人々がこの言葉を知っていた。
        しかし、この言葉のとおり行った人は、
        おそらく指折り数えるほどしかなかったのではあるまいか?」

        「なんじの近き者を己の如く愛すべし」
        >> 続きを読む

        2015/08/17 by atsushi

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      長崎の鐘

      永井隆1995/04

      4.5
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      • 歌は耳にしたことがあったのに原作は読んだことがなかった。

        終戦目前の八月九日午前十一時二分。人類二発目となる原子爆弾が長崎に投下された。

        終戦の象徴として何度も流されるキノコ雲の映像は見慣れたが、雲の中で何が起きていたのかを想像する力をなくしていたことを、70年経ったいまこの本が教えてくれた。

        爆心地からわずか七百メートルの長崎医科大学(現長崎大学医学部)で助教授を務めていた医学博士・永井隆氏が重傷を負いながらも、生き残った医師や看護スタッフたちとともに救護活動を行なった壮絶な体験を克明に記した手記だ。

        突然「ぴかり」と閃いた静かな閃光に人々は一瞬「?」と静止。その直後、辺りは夕暮れのような闇に包まれる。

        雲の中に発生した強烈なエネルギーは、一瞬に人も建物も、自然も圧し潰し、吹き飛ばす。いったい何が起きたのか?「太陽が爆発したのでは?」と驚愕する未曾有の恐怖が、その後も人々を容赦なく襲い続ける。

        雲の中にできた真空は、全てを上空に吸い上げ、投下。高熱がすべてを焼き尽くし、空からは火の玉が降りそそぎ、大地は灼熱地獄と化した。

        パニックを起こす間もない殺傷力と熱傷力を持つ原子爆弾の破壊力。大粒の黒い雨、投下後米軍機がばらまいたビラ。

        救護にあたりながら、じわじわと人々の身体を蝕む放射能の被爆症状も医師の目で記録、観察を続け、混乱の中でいち早く有効な治療法も実践している。

        屍しかない絶望の「原子の野」に生き残った人々の地獄のような苦しみが時間軸にそって、目をつむりたくなるほど鮮明に描かれている。

        終盤で博士として、書き残した原子力の平和利用への想いや、浦上天主堂に投下された奇遇に関する著者の見解も現代とつながるミステリアスに感じた。

        著者は闘病の中、精力的に執筆活動を行い、被爆6年後に白血病で他界している。
         
        ひと夏を謳歌するようにひびく蝉の合唱を聞きながら、

        見慣れたキノコ雲は、終戦の象徴ではなく、大地に存在する生命を根こそぎ消滅させるために利用した大量殺戮兵器と再認識したいと思った。




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        2015/08/15 by まきたろう

    • 他1人がレビュー登録、 2人が本棚登録しています
      現代のアダムとエバへのメッセージ 家族・男女のきずなの新しいとらえ方

      Kushner, Harold S , 松宮克昌2006/12

      カテゴリー:ユダヤ教
      5.0
      いいね!
      • アダムとイブの「失楽園」の物語は、「人間の堕罪物語」ではなくて、実は「人間の出現物語」である。

        という、独自の視点からアダムとイブの物語や、その他の旧約の物語を解釈している、とても面白い本だった。

        間違いは無価値の象徴ではなく、学びの経験であり、神の愛をより学ぶことにつながる。

        神は、人に完全さを求めるのではなく、十分に尽くせば良いと考えている。

        不完全さこそ神が立ち入れる傷口。

        聖書は本当は、人が自分の誤りと限界を認めた時に、完全には程遠くても、神から拒絶されることはないというメッセージで一貫している。

        あなたは完全である必要はない。ただ最善を尽くせば、神はありのままのあなたを受け容れてくださる。

        独自の聖書の読みから、こうしたメッセージを著者紡ぎ、発し続ける。

        それは、とても考えさせれる、良い内容だった。

        著者はユダヤ教なので、「原罪」を誘惑によって遺伝されるようになったものとは受け取らない。
        そうではなく、「皆に行きわたる愛は存在しない」という誤った思い込みや嫉妬の感情こそが原罪、あるいは罪の名に値し、それは旧約を注意深く読み解けば、カインから始まると指摘している。

        もちろん、ユダヤ教のこの観点とは異なる観点がキリスト教にはあると思うが、一つの解釈としてとても刺激される、面白い解釈だった。

        また、一般的にはイブはアダムの「肋骨」からつくられたと訳されている「ツェラ」というヘブライ語は、「側面」という意味があり、おそらくは男女が一つの身体だったところからその側面を切り離したという、プラトンの饗宴と似たようなことを聖書のこの箇所は言っていたのではないかという解釈も興味深かった。

        エデンの園が狭くなったから、そしてある程度、成長したから、アダムとイブは知恵の実をとったのであり、神はあらかじめそのことは予測済みで、決して必ずしも悪いことばかりではなかった。
        広い世界に出ることも、労働や仕事も、結婚して子どもを産むことも、つらいばかりではなくて、むしろそこに人生があるのではないか。

        そういう著者の視点は、一つの視点としては考えさせられる、面白いものだと思う。
        聖書は多様な読みができる、本当に豊かなテキストなのだと思う。
        >> 続きを読む

        2014/01/04 by atsushi

      • コメント 4件
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      この子を残して

      永井隆1995/04

      5.0
      いいね!
      • 子どもたちに対する父の想い、愛情、「生きる」ことや「平和」への強いメッセージ。



        「出しゃばるな 偉ぶるな 名を売るな 人気者になるな 世間を気にするな いつも隠れて善いことをせよ」 〈へりくだり〉

        「『何をしたか?』ではなくて『いかにしたか?』」「どんな人でも職業によって値打ちを決められてはならない。与えられた才能を十分発揮しているかどうかによって人間の値打ちが決まるのだ。」 〈職業〉

        「いつも神のみ栄えのためになることだけをするように努める。み栄えにならぬことはしない。-この心がけを持ち続けてゆけば永遠に生きるのだ。」 〈永遠の生活〉


        永井博士はキリスト教信者であるので、人間のあらゆる行為は「神に善しと評価してもらうために」 「神のみ栄えのために」するべきと言う。自分のためにするのは善ではないというのは分かる。(それは欲でありエゴ)

        お釈迦様は 「生きとし生きるすべての者が幸せであるため」 自分のこころの欲やエゴなどの汚れを落としてきれいに磨きつづけなければいけないと言う(つまり慈悲の気持ちを育てること)。神も死後も関係ない。



        人生の真の目的は「神を知り、神を愛し、神に仕えて、ついに天国の幸福を得る」ことである 〈人生の目的〉

        お釈迦様・・「生きることに目的はない 人生は苦であり無常である 一瞬一瞬をただ正しく精一杯生きるのみ」 



        考え方の違いはあるが、親としてこのように自分の想いを子どもに残してあげられると言うことは大変素晴らしく尊いことだと思う。

        本当にいいお父さんだなあ・・・
        >> 続きを読む

        2013/01/15 by バカボン

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      主はわれらの牧者 現代人の心を癒す詩編23のメッセージ

      Kushner, Harold S , 松宮克昌2005/10

      カテゴリー:ユダヤ教
      5.0
      いいね!
      • とても良い本だった。
        著者はユダヤ教のラビ。
        聖書の詩編の第二十三章を一冊かけてこの本では解説してある。

        私が小さい時に若くして亡くなった伯母は、詩編の第二十三章が好きだったそうだ。
        直接は伯母からその話を聞くことはできなかったが、ふとそのことを思い出し、感銘深くこの本を読んだ。

        著者が言うには、詩編には、人生を変える力があるという。

        それは、詩編を唱えたり祈れば、悪いことが何も起こらないという意味ではない。
        そうではなく、独りで立ち向かわなければならないのではない、いつも神が共にいると教えてくれ、わかることにより、勇気や慰めを得て、その意味で人生が変わるのだという。

        魂は誰もが持っているため、魂を持つためには宗教は必ずしもいらない。
        また、完全な人間になるためにも、おそらく宗教は必ずしも必要ではない。
        しかし、魂をよみがえらせるためには、宗教でなければならない、と著者は言う。

        さまざまなたとえ話も入れてあるが、その中で、出エジプトのあと、モーゼたちは四十年間荒野をさまようが、あれは単なる回り道ではなく、自由にふさわしい人間になるためであった、ということが書かれてあり、なるほどと思った。

        また、ブーバーのエピソードを引いて、いかなる人も本当に尊重することが大切であり、それはその人の中にある神の似姿に逆らう罪を犯さないことである、ということが述べられてあり、なるほどと思った。

        信仰とは、神の存在を信じることではなく、神が信頼に値することを信じることだ、ということも、なるほどーっと思った。

        また、愛とは何かということについて、
        「(愛するとは)あなたの身近な存在であることが私にはとても大切だから、私を傷つける力をあなたに渡してもその傷つける力をあなたが使わないことを私は信じる。」
        ということだと書いてあって、なるほどーっと思った。

        また、15世紀にスペインからユダヤ人が追放になった後、人々の心の支えとなる思想を紡いだイサク・ルリアという中世ユダヤの思想家が紹介されてあって、とても興味深かった。
        神の存在の断片を発見し、壊された世界を再び苦労しながら、つなぎ合わせ、取り戻すこと。
        「この世界を修復すること」。
        そうした思想を、イサク・ルリアは説いたのだという。
        それを敷衍して、著者のクシュナーは、私たちは、メシアをただ何もせずに待望するのではなく、私たち一人一人が世界を完全なものにするために、それでも自分ができることを行う大人の態度をとるべきだという。
        エリヤ(古代ユダヤの偉大な預言者)がそこにいないなら、私をエリヤのようにならせてください、と言うことを学ぼう、という著者のメッセージは、とても考えさせられた。

        また、感謝ということについて、別に神は人間の感謝を必要としているわけではない、私たちが神から受けた多くの祝福を感謝する時、神と世界をこれまでと違ったように感じ、その結果、より幸せな人生を生きるようになる、ということが書かれてあり、なるほどと思った。

        私たちが、自分の努力によっては手に入れることができない、神が私たちに与えてくださった贈りものの蓄積として、人生を見るよう学びさえしたら、多くを持てなかったことに不平を言うよりもむしろ、何も持てるはずがなかったのに持っているものに感謝することを学びさえしたら、という言葉も、なるほどーっと考えさせられた。

        著者が言うには、私たちを祝福する神の力を受け取ることは、私たちの能力の働きにかかっているそうである。

        力むのではなく、肩の力を抜いた時に、恵みと慈しみが人生をに入り込む、と著者は言う。

        恵みとは、人生を好ましく感じ、自分を好ましく感じること。
        つまり、私が私であることに幸せを感じる、ありのままの私でいい、と自分で納得できること、というのは、なるほどーっと思った。

        シナイ山でモーゼたちが神と出会ったというのは、そうでなければ孤独であったろうことから、実は神とともに生きる孤独でない人生が与えられたことであった、という言葉も、なるほどーっと思った。

        死の陰の谷についての箇所でも、歩いてその他にを脱け出ていくことが人にはできる、世の中にはいつまでも悲しみにとどまり歩くのをやめてしまって止まっている人がいる、しかし、神とともに歩むことで、人は悲しみがあっても、歩いていくことができる、というメッセージは心に響いた。

        とても良い本だった。


        「詩編 第二十三章」

        主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

        主はわたしを青草の原に休ませ
        憩いの水のほとりに伴い

        魂を生き返らせてくださる。
        主は御名にふさわしく
        わたしを正しい道に導かれる。

        死の陰の谷を行くときも
        わたしは災いを恐れない。
        あなたがわたしと共にいてくださる。
        あなたの鞭、あなたの杖
        それがわたしを力づける。

        わたしを苦しめる者を前にしても
        あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
        わたしの頭に香油を注ぎ
        わたしの杯を溢れさせてくださる。

        命のある限り
        恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
        主の家にわたしは帰り
        生涯、そこにとどまるであろう。
        >> 続きを読む

        2013/07/10 by atsushi

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【サンパウロ(聖パウロ修道会)】(サンパウロセイパウロシユウドウカイ) | 読書ログ - 読書ファンが集まる読書レビューサイト(出版社,発行所)

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