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中沢 啓治 (1993/04)
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久々に懐かしのNGワード全開の本でした。時代ですね(笑)最初の1~2巻は原爆の描写とかそれによっての死体の描写などが怖くて、「これは小学生のころだったら読めないかも」と、思っていたのですが、戦争も終わり、復興に向けて頑張っているゲンたち。お金がいし食べ物もない。人は冷たいし、いろいろ大変なんだけど、とんちが利くのか賢く生きていく。凄く心根の優しいゲンです。戦争を心から憎み、仲間を大切に思う。小学生の物語とは思えないくらい。ただ、天皇陛下に対しての思いというか、発言にはやや引いちゃいます。戦争責任が天皇陛下にあると固く信じているタイプ。この間見た「終戦のエンペラー」でも天皇陛下に戦争責任があるかというのが問題視されてましたけれど、ゲンは疑うことなくあると言ってました。・・・作者の中沢さんがゲンの口から言わせているようですが。そういえば、ゲンの被爆体験は中沢さんが経験したことそのまんまだそうです。友達のお母さんと話している最中に原爆が落ちて、気付いたら友達のお母さんは死んでたとか。自分は学校の門の陰にいて無事だったそうです。運やタイミングもあるんだな。中学卒業して、東京に向かうところまでがこの10巻までの内容。「第一部完」と書かれてました。今回、ニュースでは強姦のシーンや拷問のシーンが問題視されてましたが、強姦ったって・・・当然少年ジャンプなんだからリアルな表現があるわけでもないし、拷問だって・・・今はもっと酷い映像とか漫画やテレビで見ていると思う。今の小学生たちも。この小学校に文句を言った保護者・・・アホだろ。と、思いましたがそのおかげで「はだしのゲン」は飛ぶように売れ、何がどうなるか分からない世の中だなと思いました。1人の男の物語としてはとても面白く、戦争を忘れないという事のほかに普通に漫画として楽しめました。最近の保護者、子供の事気にしすぎというか、全て把握しないと気が済まないの?ゲンなんて何日も家に帰らないのよ。まぁそれはそれで大問題かも(^^;) >> 続きを読む
2013/09/21 by igaiga
四国五郎高橋昭博 (1983/07)
作者の方の自分自身の思い出を描いた絵本。作者の高橋昭博さんは、当時は軍国少年で軍人になることに憧れていた。しかし、八月六日、原爆の投下で地獄を見る。高橋さん自身も体の三分の一に重傷のやけどを負い、同級生と必死で逃げる。その同級生たちは、間もなく亡くなっていった。高橋さんは家族の必死の救助と看護があったおかげで、奇跡的に一命をとりとめて、助かる。しかし、その後もずっとその時のけがや原爆症に苦しめられてきた。「原爆は、核兵器は、悪魔の兵器なのです。」という高橋さんの言葉は、体験に裏打ちされた重い言葉だと思う。同級生の五十名のうち、四十数名は原爆により死んだという。その後、高橋さんは語り部となって子どもたちに被爆体験を語り継ぐことに取り組むようになったそうである。「ひとりでは何もできないかもしれないけれど、まず、ひとりから出発しなければならない」という高橋さんの言葉は、本当に大切な、貴重なメッセージだと思う意。後世の人間も、一人一人、広島や長崎のメッセージに耳を傾け、記憶を継承しようとし、志を同じくしようとするところから始めるしかないし、それこそが、最も大切なことなのだと思う。 >> 続きを読む
2013/06/05 by atsushi
宮良作 , 宮良瑛子 (1998/03)
これも、涙なしには読めない一冊だった。沖縄の地上戦での御話で、小さな女の子の弟が、戦争の中で、爆弾の破片をお腹に受けて、死んでしまう。また、逃げている人々の中の、とてもかわいい赤ちゃんが、泣き声をあげるから黙らせろと兵隊に言われ、お母さんが泣く泣く窒息死させる姿も、その女の子は目撃する。なんと実際の戦争とは、むごいものだろうか。日本は地上戦を沖縄以外の県は経験していない。なので、空襲の被害は別にして、こうした地上戦の悲惨さは、満洲やサイパンなど外地の一部と、沖縄のみが経験したことだろう。そのむごさを、私たちは忘れてはならないのだと思う。 >> 続きを読む
2013/05/03 by atsushi
宮良瑛子 (1998/03)
これは涙なしには読めない絵本だった。「海鳴りの像」という像が沖縄にあるそうである。そこに、三つのお人形を胸に抱いてお参りするおじいさんとおばあさんがいた。その人形は、五十年の間大切にされてきたものだった。おじいさんとおばあさんの娘だった可奈子は、当時国民学校の四年生で、とてもかわいい元気な、絵が好きな女の子だった。しかし、ある日、港の景色を無邪気に絵に描いて学校に持っていったら、それを軍人に怒られ、ビンタされて、倒れた時に頭をぶつけて、それ以来、耳が聞こえなくなってしまった。それからは、大好きだった絵も描かなくなり、あまり笑わなくなって、家にこもって人形ばかりつくるようになった。兵隊にいった兄や、九州の工場に勤労動員で向かった姉を思って、人形をつくった。米軍が上陸し、家族は必死に逃げ惑ったが、耳の聞こえなかった可奈子は爆弾で死んでしまう。戦争が終った後に、兵隊にいった兄は戦死し、九州の工場に向かった姉は船が沈められて死んでいたという通知が来た。お父さんとお母さんは、他の人々と一緒に、その「海鳴りの像」をつくり、三つの人形を胸に持ってお参りに来た。という御話だった。正直、あまりにかわいそうで、涙を禁じ得なかった。それにしても、日本の軍隊というのは、いったい何を守るために沖縄に行ったのだろう。もちろん、中には立派な人もいたかもしれないが、沖縄でしばしば聞く話のひどさには、根本的にこの疑問を持たざるを得ない。二度とこのようなことがあってはならないと、あらためて思った。 >> 続きを読む
島袋あさこ , 野原マキ (1998/03)
すばらしい絵本だった。キジムナーというのは、沖縄にいると言われている妖精で、古い大きな樹を住みかにするそうである。ある大きなガジマルの木に、男の子と女の子のキジムナーがいたそうだ。近所のおじいさんとおばあさんは、その姿を見たことはなかったが、よく物音がするし、おじいさんとおばあさんの家の庭の井戸でよく水浴びをしていたそうである。そして、御礼に魚をときどき庭先に置いて行ったそうである。おじいさんとおばあさんも、そのキジムナーたちに、ときどきお芋をふかして置いてあげていたそうである。やがて戦争が始まり、何もかもが焼きつくされ、ガジマルの樹も破壊されてしまった。生き残った村人たちは必死に働き、島を復興させていった。おじいさんとおばあさんは、ある日、もういなくなってしまっていたと思っていたキジムナーたちが戻って来たことを悟る。キジムナーが生きていてくれたことに、大きく感動する。とても良い絵本だった。キジムナーや、いろんな妖精や神々のような存在が、平和に生きていけるような世の中こそが、本当に最も大切なことだと思う。 >> 続きを読む
芝憲子 , 大城節子 (1998/03)
沖縄の反戦地主の島袋善祐さんの物語。ぜんゆうさんは、今はバラ園を営んでいる。元々はもっと大きな土地を持っていたが、今はその多くが、基地として強制的に借り上げられている。戦時中は家族とも戦争のためにひどい目にあい、命からがら生き延びた。その上、収容所の中で、ぜんゆうさんのお父さんはある時、無理やりケガをした米兵に輸血するために血をおびただしく抜かれて、それ以来具合が悪くなり、間もなく亡くなった。ぜんゆうさんは、決して土地の借り上げを認める印鑑を押さず、米軍と日本政府に自分の土地を返すように主張し続けてきた。この絵本を読んでいて、本来ならば所有権というものは神聖なもので、その保護が優先されるべきだというロックの統治二論における社会契約説を思い出した。考えてみれば、このロックの理論を本当に純粋に実行しようとしているのがぜんゆうさんで、それを踏みにじり続けてきたのが米軍と日本政府なのかもしれない。沖縄の米軍基地の土地の地主には、中には不労所得で贅沢な暮しをしている寄生者みたいな人々もいるという話を聴く。その一方で、このぜんゆうさんのように、いつの日か自分の土地を取り戻したい、そしてその土地にバラの花をいっぱい咲かせたい、と思い闘っている人々もいるのだということを、あらためて教えられた。良い一冊だった。 >> 続きを読む
宮里きみよ , 米田晴彦 (1998/03)
沖縄少女暴行事件を描いた絵本。このあまりにも重く、難しいテーマを、よく絵本にしたものだと思う。絵も、文章も、入魂の作品だった。主人公のゆい子の悲しみと、そして勇気を、もしもその心が木石ではないならば、決して忘れてはならないと思った。ゆい子のおばあさんが言う、「いくさは、五三年前に終わったんじゃない。ウチナー(沖縄)は、いまも、いくさ場だよ」というのは、本当にそのとおりなのだと、あらためて思う。ぜひとも多くの人に読んで欲しい一冊だった。 >> 続きを読む
2013/04/29 by atsushi
中沢啓治 (1986/04)
とても良い作品だった。広島で被爆したことを長く自分の子どもに語らずにいた主人公。母が亡くなり、二十五年ぶりに広島に戻り、三十二年前の出来事を息子に語る。当時、軍国少年だった主人公は、学校でもそのように教えられ、ガダルカナルで戦死した父の仇を討とうと思い、無邪気に日本の正義を信じていた。しかし、中国大陸で二百人以上を殺したという町内の退役軍人の自慢話を聴いたり、同級生の朝鮮人の子どもの話を聴くうちに、また父の戦友から母が聞いたという父のむごい死に方を聞くうちに、少しずつ考えが変わっていく。さらに、同級生の親友の父が、特高警察に捕まり拷問で殺され、その友人をユーカリの木の上にかくまって暮すうちに、大きく考えが変わっていくが、八月六日の原爆投下で、あとかたもなくその親友は死んでしまい、街は焼野原になってしまった。主人公は、久しぶりに帰った広島で、半分は焼けた跡が残りながらも、なおユーカリの木が残って生きてくれていたことに感動し、自分の息子に当時の思い出を語る。その親友が、かつて教えてくれた、平井鉄太郎という当時の特高から弾圧を受けていた思想家の言葉が、心に残った。「言論の自由なき世は うばたまの 心の闇の牢獄とぞ思う 戦えば 必ず勝つと自惚れて いくさを好むバカな軍人 我が力 かえりみもせで ひたすらに 強き言葉を民は喜ぶ」昭和初期に、リアルタイムに、これほどの勇気ある言葉をいた人がいたということに驚くし、そのような言葉を言った時に、いかにひどい目に当時は遭ったかということにもあらためて考えさせられた。良い作品だった。また、この巻には、「チエと段平」という短編が収録されている。目の見えない女の子のために、一生懸命尽くすチンドン屋の主人公の物語なのだけれど、この物語、どういうわけか、私は昔、誰かから聞いたことがあったような気がする。読んだことはなかったと思うのだが、不思議なものだ。短いが、心に残る物語だった。 >> 続きを読む
2013/07/07 by atsushi
『はだしのゲン』の作者の中沢啓治の作品。ゲンよりも、十年ぐらい前の、昭和十年ぐらいが舞台。主人公の少年のお父さんは、演劇を通じて日本の軍国主義や戦争を批判する活動をしていたため、特高警察に捕まり、拷問を受け続ける。お母さんは、病気で死んでしまい、幼い弟と妹を抱えて、主人公は苦労する。悪い親戚に、弟と妹はそれぞれ満州と沖縄に養子に売り飛ばされてしまう。主人公はいろんな困難や苦労をしながら、朝鮮人の少年や、中国人のおじさんなどとも友情を育みつつ、特高や警察の横暴に負けず、多くの人が軍国主義に誘導される中、だまされないで生きていく道を歩んでいく。苦労の末、満州で弟に再会するが、弟はわりと親切な人に引き取られていて、その家の子どもが亡くなっていたこともあり、一緒に日本に返ろうと言う兄の言葉を拒否して、満州にとどまる。本当ならばもっと長く続くはずの物語だが、わりと途中で、突然終わってしまっているので、たぶん掲載媒体の都合か何かで、途中で無理に終わらせてしまっているところがやや残念だが、良い作品だった。昭和の初期は、本当に、暗黒の時代と言ってもいいほど、特高や軍隊の横暴がまかりとおっていた時代だったのだとあらためて思う。なお、『ゲキの河』は、表題作だけでなく、上巻には「ある日突然」、下巻には「何かが起きる」という、それぞれ短篇の作品も収録されている。どちらも、戦争が終わってから二十五年が経った昭和四十五年が舞台で、まだ中学生ぐらいの少年が、親が被爆していたために突然白血病になり、なんとか治りたいと思い、周囲もそのことを願いながら、亡くなっていく物語だった。「ある日突然」は、父親の嘆きの深さが、また「ある日突然」は日本一のラーメン屋を目指していた少年が周囲から惜しまれながら死んでいく様子が、とても心に残った。『はだしのゲン』とともに、あらためて多くの人に読み直されて欲しい、痛切なメッセージに満ちた作品だった。 >> 続きを読む
2013/06/28 by atsushi
HearnLafcadio , 高村忠範 (2005/04)
和歌山のある村で、ちょうどお祭りがあっている時に、地震があり、海水が遠くの方に引いていった。それを見た、浜口五兵衛は、小さい時に祖父に聞いた話を思い出し、必死になって稲むらに火をつけ、村人たちを丘の上に集めた。その直後、大津波が村を襲い、間一髪で村人すべてのいのちが助かった。江戸時代に実際にあったことがもとになった御話。大津波や地震などの災害を、ちゃんとおじいさんおばあさんたちから聞いて覚えておいて、何かあった時にその知恵をすぐに生かし、勇気を持って断固として行えば、多くの人のいのちが助かる。そのことをあらためて教わる、良い絵本だった。 >> 続きを読む
2013/01/11 by atsushi
歴史教育者協議会 (2005/12)
二十世紀の平和主義についてのいろんな事例がわかりやすく子供向けに書かれていて、面白かった。恥ずかしながら、知らないこともいくつかあって、そんなことがあったんだととても感動させられた。ひとつは、そういえば小耳に挟んだことはあった気がするが、ほとんどよく知らなかった「青い目の人形」(友情人形)の話。二十世紀初頭、アメリカで排日移民法が成立し、日米間のお互いの感情が悪化しつつあった時に、ギューリックさんという長年日本に住んだことがあったアメリカ人の人が、日米の友好を願って、多くの人に呼びかけ、西洋人形をたくさん日本の子どもたちに送ったそうである。その数は、なんと一万二千体以上にものぼったらしい。日本の側でも感謝し、渋沢栄一らが中心になって、御礼に「答礼人形」という日本人形が五十八体、アメリカに送られ、各地で喜ばれたそうだ。しかし、やがて日米の関係は悪化し、ついに戦争となった。戦時中はとかくそういうことがあったようだが、この人形についても、焼却や破棄という方針が出されて、ほとんど燃やされてしまったそうである。しかし、中には大切に隠して守る人々もいたそうで、三百二十体の友情人形が、今でも日本で確認され大事に保存されているそうだ。アメリカでも、四十三体は無事に大事に受け継がれ、一時的に戦後になって日本に修理に出されたりしたそうである。ギューリックらの思いが、無にならないような世にしていかんとなぁと思う。また、この本に載ってて興味深かったのは、パリをナチスが占領した頃、ピカソはパリに住んでいたそうである。ナチスから食料と灯油を提供しようと言われたそうだが、ピカソは断ったそうだ。偉いもんだとあらためて思った。いろんな、感心する話がまだまだあるものだと思う、良い一冊だった。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E3%81%84%E7%9B%AE%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%BD%A2 >> 続きを読む
2013/05/13 by atsushi
わかりやすく世界の中における日本国憲法九条の受けとめ方や、各国の平和に関する取り組みやデータ、戦争違法化の流れを子どもにもわかるようにまとめてあり、とても面白かった。へえ~っと驚いたのは、世界の中に軍隊を持たない国が二十九カ国もあるということ。そのほとんどは、ヨーロッパや南太平洋やインド洋やカリブ海の、非常に小さな国々なのだけれど、世界のうちにおよそ三十カ国も軍隊を持たない国があるというのは、なんとなくほのぼのとした気持ちになるエピソードと思う。また、戦争放棄を憲法で定めた国は別に日本だけではなく、イタリア憲法11条、ドイツ憲法26条、フィリピン憲法第二節、韓国憲法五条もそれぞれ定めていることや、インド憲法51条、ブラジル憲法前文も平和的解決や平和促進を定めていることなどがわかりやすく解説してあり、面白かった。また、ミクロネシア連邦の憲法前文というのが、詩のようで、感銘深かった。「海は我々を分かつのではなく、一つにしてくれる。海は我々を支えて、大きくたくましくしてくれる。いかだやカヌーで海に漕ぎ出した時、ミクロネシアの歴史は始まる。ミクロネシアの民族は、星の中を航海した時代に生まれた。世界はひとつの島なのだ、我々はここよりほかに祖国を望まない。戦争を知ったがゆえに、我々は平和を望む。分割させられたが故に、我々は統一を望む。支配されたが故に、自由を望む。」(ミクロネシア憲法前文)外国にはけっこう日本の憲法九条に共鳴する人々がいるようで、アメリカのオーバービーさんという人が中心になって「第九条の会」という団体がアメリカにはあり、すべての国の憲法に九条の原則を採択させようと新聞広告を出したりしているそうである。また、1999年にオランダにハーグで開かれた「平和のための市民会議」では、世界百カ国から790ものNGOが参加し、そこで、「公正な世界秩序のための基本10原則」というものが発表されたそうである。その第一目標には、「各国議会は、日本国憲法第九条のように、自国政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである。」と掲げられているそうだ。また、スペインのカナリア諸島にあるテルデ市には、ヒロシマ・ナガサキ広場という広場があり、そこに憲法九条の碑という碑文が建てられているそうである。また、核兵器を持ちこませないことを決めている非核神戸方式が、ニュージーランドにもとても大きな影響を与え、ニュージーランド非核地帯法を制定させたというエピソードもとても興味深かった。なお、日本の市区町村の77%は、非核平和都市宣言をしているそうである。最近は、安倍首相や橋下さんなどの発言により、九条は何かとても色あせた古いもので、変えた方が良いという論調が強まりつつあるようだが、何事にも一長一短あるし、いろんな視点から物事は観察した方が良いのかもしれない。世界の中における九条を、いろんなデータや事例に基づいてわかりやすくまとめてある本書は、その一つの参考として、とてもためになるのではないかと思った。なお、この本の中で、私ははじめて知って興味深かったのは、ユネスコの「わたしの平和宣言」という試みである。宣言の内容は以下の六つで、良い内容と思うので、私も署名した。http://www3.unesco.org/manifesto2000/uk/uk_6points.htm(このページの下の方の”sign it”をクリックすると、署名の欄が開く。)【わたしの平和宣言】わたしは、家でも、学校でも、次の6つのことを心がけ、行動します。1.「すべての人の生命を大切にします.」わたしは、生まれた国や皮膚の色、男女の違いに関わらず、すべての人の生命を大切にし、人権を守ります。2.「いじめや暴力をなくします」わたしは、自分の思いどおりにするために、言葉や力で弱い立場の人をいじめたり、暴力をふるったりしません。3.「思いやり、助け合います」わたしはボランティア活動などを通して助け合いや思いやりの心を学び、自分の時間や持ち物を人のためにも使います。4.「あいての身になって考えます」わたしは、あいての話をよく聞き、あいての身になって考えます。そして、問題が起こったら話しあいで解決します。5.「かけがえのない地球環境を守ります」わたしは、かけがえのない地球を守るために物を大切にし、地球の生き物たちが仲良く一緒に暮らせるいい環境をつくります。6.「みんなで力をあわせます」わたしは、平和な世界を作るために、いろんな人と仲よくし、みんなで力を合わせます。そのために、いま、ここで、できることから始めます。今日(2013年5月29日)までに全世界で、七千五百八十五万八千九百二十三人が署名しているそうである。ユネスコは一億人をめざしているそうだ。世の中、知らないことで、有意義なことが、いっぱいあるものだとあらためて思う。 >> 続きを読む
2013/05/29 by atsushi
StraussRochelle. , 的場容子 , ThompsonMargot (2008/11)
この地球には、百七十五万種のいのちがあるそうである。それを、百七十五万枚の葉っぱを持つ「いのちの木」だと考えた場合、どうなるかをわかりやすくこの絵本はいろんな絵とともに教えてくれる。いのちの木は五本の大きな枝を持つ。モネラ界(細菌)、菌界、原生生物界(藻類やアメーバなどの原生動物)、植物界、動物界である。モネラ界は一万種、菌界は七万二千種、原生生物界は八万種、植物界は二十七万種、動物界は百三十一万八千種。動物界のうち、無脊椎動物は百二十六万五千五百種、脊椎動物は五万二千五百種。脊椎動物の中で、魚類が二万五千百種、鳥類が九千八百種、爬虫類が八千種、両生類が四千九百六十種、哺乳類が四千六百四十種。人類は、哺乳類四千六百四十種の中の一種。脊椎動物五万二千五百種の中の一種。動物界百三十一万八千種の中の一種。いのちの木をつくっている百七十五万種のいのちの中の一種である。いかにすべての種が支え合い、この微妙ないのちの木をつくっているか。しかし、現在、毎年二万七千種の生きものが地球から消えていっているそうである。食物連鎖や生態系の微妙なバランスが続くために、生物多様性が保たれるように、これ以上の乱開発をなんとか避けて、この素晴らしいいのちの木がずっと続いていって欲しい。この一冊を読むと、誰もがそう願わずにはおれないだろう。素晴らしい絵本だった。 >> 続きを読む
2013/10/01 by atsushi
高村忠範 (2011/08)
「津波!稲むらの火」の続編の絵本。大洪水と地震でうちひしがれた人々のために、浜口五兵衛は、自分自身も津波によって奇跡的に助かった身でありながら、まだ死ねないと再び立ち上がる。村人のため、防波堤の建設を企画。醤油づくりで稼いで自分の財産をそのためにつぎこみ、人々にもう一度やる気と仕事を与え、無事に復興を成し遂げる。その防波堤は、完成から八十八年後、再び大きな津波があった時に大きな役目を果たし、被害を最小限に食い止めたそうである。この物語のような心を持った人たちが、かつて日本にいたこと。そのことを忘れず、311の後の我々もその志や知恵を受け継いでいきたいと、読んでいて思った。 >> 続きを読む
なかだえり (2011/10)
読み終えたあと、ニュースで知った。伐採されることになったと。この本に出合って、本当に、数多くの松の代表として、残ったのではと思った。それは、松だけでなく、そこに関わったこれまでの人も含め、あるいは、そこにあるものすべてに対して。記録、記憶に残るものであるが、やはり、あること自体の意義は大きい。 >> 続きを読む
2018/03/24 by けんとまん
中沢 啓治 (1984/01)
アンヒゴン , ナムキョンワン , 藤田千枝 (2012/01)
井上ひさし (1998/11)
牧野節子 (2003/06)
HearnLafcadio , 高村忠範 (2004/07)
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